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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第二章 冒険者への軌跡
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第十五話 第二の諸刃の剣




 悲しみに沈んだ巨漢(きょかん)に、咲弥はそっと声をかけた。


「ラシャスさん。どうか、自分を取り戻してください」


 涙に濡れた黒い瞳で、ラシャスが見つめてくる。

 その瞳の奥に、困惑の色が宿った。


「何者だ、貴様」

「もう千年も……遥か昔の出来事なんです」

「黙れ黙れ黙れ黙れ!」


 咲弥は目を大きく見開いた。

 無数の小さな文字が連なり、ラシャスの周囲を流れる。

 護ると殺す――それらに類似した文字も繋ぎ合い、まるで鎖のごとく、ラシャスの全身をきつく絞めつけていた。

 文字の鎖に操られるかのように、ラシャスは戦斧(せんぷ)を振る。


「ラシャスさん!」

「うぉおおおおおお!」


 咲弥は黒い手で防御に(てっ)するが、弾き飛ばされた。

 この不思議な場所でも、どうやら痛みは当然ある。


 ラシャスの猛攻を回避しながら、咲弥は困り果てた。

 下手に迎え撃つわけにもいかない。そんな予感がした。

 目の前のラシャスは、心そのものだと思える。


 下手に傷つけてしまえば、どうなるのかわからない。

 最悪、魂そのものが消滅する可能性があるからだ。


(どうすれば……)


 ラシャスは戦斧を、大きく振り上げた。

 大振りな攻撃は、とても避けやすい。

 咲弥はタイミングを――それは、ラシャスの罠であった。


 フェイントを入れられ、ラシャスの素早い蹴りが飛ぶ。

 強烈な一撃が、咲弥の腹部を貫いた。


「がはっ……」


 宙に浮き上がった咲弥へ、再び戦斧が振り下ろされた。

 地面に足がついた頃には、おそらくもう両断されている。だが滞空中の咲弥に、選べる選択肢などほぼないに等しい。

 明確な死を予感し、咲弥はただがむしゃらに(あらが)う。


 迫るラシャスの戦斧を、黒い拳で殴りつける。そのときに生じた反動を使い、斬撃の軌道から逃れようと試みたのだ。

 無我夢中での行為は、完璧だったとは言い(がた)い。

 戦斧の刃が横腹をかすめ、電流に似た激痛が駆け抜けた。


「ぐぁあああああっ!」


 咲弥は受け身も取れないまま、地面へと落下する。

 激痛のせいで、思考が途切れ途切れになる。

 そんな咲弥の首を、ラシャスは大きな片手で(つか)んだ。

 あまりの息苦しさに、咲弥は足をじたばたとさせる。


「まだ、終わってなどいない! 護るんだ! 絶対だ!」


 ラシャスの黒い瞳は、激しい憎しみに満ち溢れていた。

 戦斧が高く天を突く。

 (おぼろ)げになる意識の中で、咲弥は気力を振り絞った。


 ラシャスを縛る文字を、白い人差し指の爪で引っかく。

 必死の行動ではあったが、予期せぬ幸運を生んだ。

 ラシャスの動きが、完全に停止している。

 (つか)んでいた手が(ゆる)まり、咲弥はまた地面に落ちた。


「げほっ……げほっ……」


 嘔吐(おうと)しそうなくらい、咲弥はむせかえる。

 あともう少し遅ければ、おそらく意識が飛んでいた。

 (あや)うい状況だが、ぼうっともしていられない。

 咲弥は傷を負った右の横腹に腕を添え、ラシャスを向く。


 ラシャスの体を縛っていた文字が、はらはらと消え去る。

 それはどこか、水に溶ける墨のようにも見えた。


「私は……いったい……」


 呆然とした顔で、ラシャスは立ち尽くしていた。

 咲弥は痛みを(こら)え、必死に言葉を(つむ)ぐ。


「ラシャス、さん……げほっ……」

「君は、いったい……?」

「正気に、戻ってください。ラシャスさん。あなたはもう、千年も前に……亡くなって、しまっているんです……」


 信じられないといった顔で、ラシャスは自身の手を見た。

 そして震えながらに、ぎゅっと拳を作る。


「そうか……私は、護れなかったのか……何も、何も……」


 溢れるように涙を流し、ラシャスは天を(あお)ぐ。

 がくんとラシャスの両膝が落ち、戦斧が地に伏した。

 そこで咲弥は、信じられないものを見た。


「いいえ。護ってくださいましたとも」


 聞きほれるほど、清らかな女の声だった。

 ラシャスを後ろから、ネフトリアがそっと抱きしめる。


「私は魔物にではなく、生まれながらの(やまい)に殺されました」

「……ネフトリア、お嬢、様……」

「長い間ずっと……あなたに声をかけ続けていましたのに」


 ネフトリアはいたずらな笑みを浮かべる。


「ラシャスったら……まったく聞いてくれなかったわ」

「す、すみません……ネフトリアお嬢様……私は……」

「彼のお陰ね……本当に、ありがとう」


 咲弥のほうを見て、ネフトリアはにっこりと微笑んだ。

 (やまい)()していた頃とは違い、活発な表情にうかがえる。

 気品溢れる笑みから、少し面はゆい気持ちになった。


「い、いいえ。よかったです……」


 ラシャスの前に、ネフトリアは小さく回り込んだ。


「ねえ、ラシャス。一緒に行きましょう」

「しかし……私は……」

「もう休みましょう。私も……あなたも」


 ネフトリアは手を取り、ラシャスを立たせた。


「本当にありがとう。ラシャス……そして、あなたも」

「いいえ……どうか、安らかに」

「ええ」


 ラシャスはどこか諦めたように、ネフトリアを見つめる。

 手を繋いだまま、ネフトリアも見つめ返していた。


「ねえ、ラシャス。小さな頃のように、呼んでください」

「……その、待たせて……すまない……ネフェリー」

「ふふっ」


 ふとラシャスが、申し訳なさそうな眼差しを向けてきた。


「勇敢なる小さき戦士よ……救ってくれて、感謝する。もしよければ、これを――どうか、受け取ってはくれないか」


 差し出される拳に、咲弥は手を伸ばした。

 大きな手に包まれていたため、何かはわからない。

 そっと手に置かれたのは、綺麗な深紅の紋章石だった。


「さらばだ、誇り高き戦士よ」

「さようなら」


 二人の姿は、ゆっくりと空気に溶け込んで消え去った。

 途端に視界がもとに戻り、咲弥に激しい息切れが起こる。


 目の前にいる大鬼となり果てたラシャスの全身が、まるで灰のように白くなり――そして、ぱらぱらと崩れ落ちた。

 咲弥もまた解放が自然と解かれ、その場に倒れ込んだ。


「咲弥!」


 駆け足で(そば)に来たミラが、咲弥の上半身を抱き起こした。


「いったい、何がどうなってんの? いきなりぴたぁーって止まったと思ったら、いきなりどさって倒れちゃって!」


 咲弥は自分でも知らない情報を得る。

 白い空間――精神世界とも呼べる場所だろうか。

 結構な時間が経っていると、咲弥自身は思っていた。

 現実のほうでは、ほんの一瞬の出来事だったらしい。


「いや、まあ……いろいろ……いつつっ……」

「どこか怪我したの? 見せて!」

「右の脇腹のところを……ちょっと斬られまして……」


 ミラが慌てた様子で、咲弥の服をめくった。

 ただ服をめくられただけですら、痛みが生じている。

 ミラは(いぶか)しげな表情で、小首を(かし)げる。


「怪我なんか、どこにもないよ?」

「え……」


 そんなはずはない。

 ラシャスに斬られた痛みが、ずっと残り続けている。

 咲弥は力を振り絞り、痛みがあるほうを見てみた。

 確かに、どこにも斬られた跡がない。


(まさか……精神的なものに、傷を負ってるんじゃ……)


 二度目の経験を経て、咲弥はぼんやりと理解に達した。

 あちらで受けた傷は、こちらでは目に見えない傷となって残る――もしあちら側で死ねば、きっと心が死ぬのだろう。


 使いどころを誤れば、咲弥自身の心が壊れるに違いない。

 全力の限界突破とはまた違う、まるで第二の諸刃(もろは)(つるぎ)とも呼べそうな力だった。

 ほかにも判明していない何かが、きっとあると思われる。


 咲弥は今回の件を、(きも)(めい)じておいた。

 ふと手に違和感を覚え、そっと目を向ける。

 手には、ラシャスから貰った深紅の紋章石があった。


(本当……この世界では、不思議なことだら……けっ?)


 途端に、ミラが膝枕をしてきた。

 動けない咲弥は、恥じ入ることしかできない。

 そんな咲弥の前に、民族的な衣装を着た男が立つ。


「おい。本当は、俺が倒すはずだったんだ」

「ははは……す、すみませんでした」

「貸しだからな? いつか何かで、絶対に返せ」

「……はい。わかりました」

「ふん」


 男は後ろを振り返り、立ち去ろうとした。


「あっ……そういえば、あなたの名前……」


 男はぴたりと止まり、肩越しに目を向けてくる。


「ハオだ。あんまイチャついてっと、試験落ちるぜ?」

「ち、ちが……いててっ……」

「今は無理しちゃだめだって!」

「時音の鏡は、お前達にくれてやるよ。じゃあな」


 ハオはそのまま、素早くどこかに消えた。

 恥を抱えつつ、咲弥は必死に回復をはかる。

 一刻も早く、ミラの膝枕から抜け出さなければならない。


「ミラさん……治癒(ちゆ)の紋章具とか……持ってませんか?」

「えぇっと……確かあったはず」

「使ってもらっても……いいですか?」

「やれやれ。仕方ないなあ」


 言葉は不満そうだったが、ミラの表情はにこやかだった。

 咲弥はしばらくの間、回復に専念する。


(紅羽は……無事なのかな……今、どこにいるんだろ)


 紅羽ほどの実力者であれば、問題ないとは思えた。

 しかし――いい知れない不安が、咲弥の胸に募る。

 目をそっと閉じ、紅羽の無事を静かに祈っておいた。



    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



 日が沈み、島には闇が満ちていた。

 今宵(こよい)は褐色の鉱月(こうげつ)に、空色の凍月(とうげつ)が並んで浮かんでいる。

 鉱月の夜は、あまり明るくはならない。

 島の中央にある漆黒に満ちた森の中を、銀色の線が閃く。


「ギャギャガ!」


 奇妙な鳴き声が、あちこちから飛び交う。

 宙に描かれた赤い魔法陣から、火球が一つ放たれた。

 火球とは別の場所から、黄金色に輝いた雷鳴が(とどろ)く。

 さらに別の場所からは、無数の鋭利な石が飛来(ひらい)する。


 樹木を駆け上ってから、光の矢でお返ししておいた。

 このマドカレ島には、奇怪な魔物で溢れ返っている。

 今現在、ハエに酷似――虫の顔を持ち、人と似た両手足を計八本生やした魔物が、多彩な手段で攻撃してきていた。


 属性も個体次第で異なるのだ。

 また夜行性らしく、確実に姿を捉えられてしまっている。


(けれどそれは、私とて同じ)


 紅羽もまた、夜行での戦闘には慣れている――いや、島で単独行動をしいられ、当時の勘を完全に取り戻しつつあるといったほうが正しい。

 思い返せば、父親と呼べる男に拾われて以来、殺伐とした世界とは、まったく縁遠(えんどお)い世界に身を置き続けていたのだ。


 だから今の状態に至るまで、ずっと本調子ではなかった。

 アラクネ女王から死の狂姫(きょうき)までの間、紅羽は信じられないミスを連発していたと、そうしっかりと自覚をしている。

 それだけ、体がなまりきっていたという証拠でもあった。


 だが今はもう、感覚が当時と同等に研ぎ澄まされている。

 たとえ魔物が、暗い闇にまぎれようとも、オドの気配から場所を特定できた。

 樹上に六体、地上に八体、やや遠くに中型が三体に大型が一体――この大型が、交戦中の魔物の親玉だと(にら)んでいる。


 群れをなす魔物は、親玉を消せば混乱する可能性が高い。


(先に親玉を処理してから、ほかの個体もすべて駆除する)


 とはいえ、あまり無駄に疲労感を抱えたくはない。

 それでなくとも、本日はオドをかなり消耗し過ぎていた。


 あれからずっと、咲弥の姿を探し続けている。

 しかし、彼の姿がどこにも見当たらない。

 とても歯がゆく思い、紅羽の胸をぎゅっと絞めつけた。


(……今は……敵の始末に専念)


 紅羽は気を引き締め、親玉の気配がある場所を急いだ。

 多種類の攻撃を回避しつつ、邪魔な魔物の駆除もする。

 ほどなくして、紅羽の視界に目標地点が映った。

 死骸(しがい)となった魔物の首を(つか)んだまま、状況の整理をする。


 あちらもまた、こちら側の行動は承知の上だったらしい。

 中型のハエに酷似した魔物が、三手に分かれて飛んだ。

 あまりの飛行速度に、目で追いかけるのは難しい。


 一方から雷撃が放たれ、また別のところからは、氷の矢が向かってくる。

 最後の一体は、近接戦が得意なようだ。


 紅羽は死骸を放り投げ、まずは雷撃を(ふせ)ぐ。氷の矢と木の棍棒を難なくかわしたあと、作戦通り親玉の駆除を試みる。

 純白の紋様を瞬時に、右手の付近に描いた。


「光の紋章第四節、白熱の波動」


 紅羽の右手から、白い光の筋が親玉をめがけて伸びる。

 しかし、親玉は微動だにしなかった。

 死を覚悟した雰囲気はない。むしろ余裕げに感じられた。


 中型の三体が、閃光を追い抜く速さで親玉の場所へ戻る。

 三角形に陣を取り、三体それぞれが手を大きく(かか)げた。

 紅羽の閃光は、魔法で生み出された障壁(しょうへき)(はば)まれる。


(防御系統の魔法を、三体同時に……?)


 紅羽の胸に、静かな焦りが生まれた。

 今回も異常なほど、厄介な魔物に狙われたと呑み込む。

 本音では撤退(てったい)したかったが、そういうわけにもいかない。


 もし咲弥が単独で、こんな魔物と遭遇してしまった場合、非常に危険な目に()う。そんな可能性を捨てきれなかった。

 今の彼ではまだ、対峙するのは早過ぎる魔物だと思える。だからといって、紅羽も無駄に体力を消耗し続けられない。


(今なら……いけるかな。久々に……)


 それは体力とオドを、多分に消耗する結果を招く。さらに一度発動すれば、必ず二十四時間は再使用が不可ともなる。

 ただ戦いが長引くよりは、まだましだと結論を導いた。

 無駄を(はぶ)くなら、なるべく早いほうがいい。


 紅羽は静かに息を整え、純白の紋様をそっと浮かべる。

 咲弥すらも知らない、紅羽の固有能力――


「魔女の悪戯(あくぎ)


 紋様が砕けた瞬間――

 紅羽の目に映るすべてが、動きを止めたように見えた。




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