第十二話 移動型商店
咲弥は目を細めて歩き、やや遠くを観察した。
出店的な何かが、森の中にぽつんとある。そのすぐ傍にはペットなのか、丸々とした牛に近い生物が草を食っていた。
店にはさまざまな道具から、食料まで備えているらしい。
そこにいた執事ふうの装いをした獣人――その姿に、つい咲弥の目が奪われる。
なぜか昇華している様子で、狐と思われる姿をしていた。
「おや、いらっしゃいませ」
「やっほー、トリッキー! まぁた来たよー」
「これはこれは、ミラ様――ご機嫌麗しゅう」
糸目なのか笑みなのか、あるいは両方なのかもしれない。
言葉づかいや立ち振る舞いから、妙なぐらい気品が漂う。
「そちらの殿方は、ご友人でございますか?」
「あ、どうも……初めまして、咲弥といいます」
咲弥は自己紹介をしてから、頭を下げる。
トリッキーと呼ばれた獣人が、優雅な一礼を見せた。
「大変、失礼をいたしました。私は移動型商店を営んでいるトリッキーと申します。どうぞ、お見知りおきのほどを」
「厳密には、トリッキーは名前じゃなくて種族名だけどね」
ミラの補足に、トリッキーはこくりと頷いた。
咲弥は小首を傾げる。
すると、トリッキーが説明した。
「私達トリッキー族は個々の名を持ちません。生まれてから数年程度で自立をするため、その期間以外で、同族が生活を営むことはありませんから」
「そ、そうなんですか……無知で、すみません」
いろいろ疑問が湧くものの、咲弥に訊く勇気はない。
獣人は少々、複雑な事情を持つ者が多いからだ。
トリッキーは優しい笑みを浮かべる。
「基本は旅をしつつ、旅人が多そうな場所に店を構えます。中には辺境地ばかり行く、変わったトリッキーもおりますが――自立してから同族と出会うのは、仕入れ時に立ち寄った町の中か、あとは偶然ばかりですね」
話を聞き、咲弥はぼんやりと記憶がよみがえる。
王都にはそれこそ、多種多様な種族がわんさかいた。
その中に、トリッキーの同族がいたような気もする。
「今回は冒険者ギルドからのご依頼で、この島にたくさんのトリッキー達がおります。いつでも、ご利用くださいませ」
「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
トリッキーは優美な一礼をした。
咲弥もつられて、軽くお辞儀する。
「トリッキーってまさに獣人って感じだから、どこにいてもわかりやすいよね!」
(えぇえええっ……!)
ミラは禁句めいた言葉を、ずばずばと口にした。
咲弥は内心、慌てふためく。だが、ミラも獣人ではある。
そこは同族のよしみとして、許されるのかもしれない。
「ミラ様とは異なり、今が素の容姿でございますからね」
「昇華しなくてもいいのは、楽ちんそうだね」
「はは。そうでございますね」
トリッキーが大人の対応なだけなのか、判別はつかない。
いずれにしても、口を挟むような勇気は持てなかった。
「それでは、お客様方……今回は何をお求めでしょうか?」
「もう一度、幽鬼の古城について教えてもらえる?」
ミラは人差し指を立てて、トリッキーに説明を促す。
トリッキーは、ゆったりと頷いた。
「幽鬼の古城に関する情報のご料金は、少し前にミラ様から頂戴しておりますゆえ、無料でご説明させていただきます」
「はあい」
物だけではなく、情報も売っているのだと知った。
トリッキーは、紳士的な声で説明を始める。
「幽鬼の古城に巣食うは不死なる魔物――いわゆる、死鬼。そして幽鬼の古城のどこかには、指定物リストの四十八番、時音の鏡が眠っております」
咲弥は手渡されたリストを、もう一度眺めてみる。
四十八番目には、確かに時音の鏡と記されていた。
「――ですが、幽鬼の古城を徘徊する主敵は、非常に獰猛で好戦的。魔物としての等級は、中の四級となっております」
咲弥は漠然とした恐怖を抱き、頭の中を疑問が飛び交う。
小さく手を上げ、トリッキーに尋ねる。
「あ、あの、すみません」
「どうされましたか?」
「実は僕、等級に関してあまり詳しくありません。その中の四級とは……具体的には、どれほど危険なんでしょうか?」
トリッキーは顎に指を当て、少し悩ましげな顔をした。
適切な説明を、思索してくれているのだろう。
考えてもみれば、それは至極当然だった。
咲弥の知識量など、トリッキーが知るよしもないのだ。
知識量が不明という前提で、相手が納得してくれる説明を導き出すのは、かなり困難な作業に違いない。
非常に申し訳なく思い、咲弥は必死に思考を働かせた。
「あ、えっと……アラクネ女王って魔物はご存じですか?」
「はい。地底を根城とした、蜘蛛型の魔物でございますね」
「アラクネ女王の等級は、いくつぐらいなんでしょうか?」
「私の記憶が確かであれば、下の三級でございます」
「ふぇ……っ?」
驚きのあまり、咲弥はつい間の抜けた声が漏れ出る。
この世界を訪れてから、一番危機感を覚えた魔物だった。
そのアラクネ女王ですら、中級にすら至っていない。
ドクロマークは、やはり想像通りの場所だと理解する。
「ちなみに、指定物リストの品に関してなのですが――どのトリッキーにお渡しくださっても、納品完了となり、相応の金額をお支払いいたします。また、リスト外の魔物の素材も買い取りしておりますゆえ、ぜひご利用ください」
「ああ……だから、金額とか書いてあったんですね……」
ようやく咲弥は、試験の趣旨を把握できてきた。
ミラが覗き込むように、いたずらな笑みを見せてくる。
彼女が言わんとすることを、咲弥はそれとなく呑み込む。
「ね?」
「わかりました……」
試験官が説明しなかったのは、事前にトリッキーを各所に配置しておき、情報源をきちんと用意していたからだろう。
トリッキーに辿り着けるよう、地図まで配布されている。
もしお金がなければ、魔物を狩ったり、あるいは指定物を納品したりして、資金を自分で稼がせる算段だと思われる。
(これはつまり……冒険者としての縮図ってことか)
咲弥は早速、手にした素材を売り払うことにする。
合計で一二〇〇〇スフィアを入手する。
トリッキーが優美に一礼した。
「もしまだ何かご入用でしたら、おっしゃってください」
そう勧められ、咲弥はまじまじと商品を眺める。
どれもこれも、王都の店よりも少し高い気がした。
運送代や手間代も、金額に含まれているからに違いない。
急ぐほどの品はないが、かなり悩む品が目に入った。
紅羽がいない現状、購入しておくべきかもしれない。
(うーん……治癒の紋章具か……二五〇〇〇……高いなあ)
しかもこの治癒の紋章具は、一回きりの使い捨てだった。
魔物と戦闘が不可避だと考えれば、入手するほうがいい。だがそうすると、今度は食糧問題に直面しそうな気がする。
最初に与えられた物資は、一食分程度の食料しかない。
咲弥が深く悩んでいると、ミラがからからと笑った。
「また今度でも、いいんじゃない?」
「そ、そうですね……」
「二十四時間いつでも、お待ちしております」
「わかりました。そのときは、よろしくお願いします」
咲弥の言葉に、トリッキーはこくりと頷いた。
「さて、それじゃあ――幽鬼の古城に向けて出発しよ!」
満面の笑みを浮かべ、ミラは拳を高く掲げた。
知らない間に、咲弥も行くことになっている。
咲弥は腕を組み、深く悩んだ。
なるべく早く、紅羽と合流しておきたい。
そのうえ相手は、アラクネ女王よりも等級が高いのだ。
今の咲弥では、太刀打ちなどできるはずもない。
ふと、ミラのもの悲しげな表情が目に入った。
「ええぇー……付き合ってくんないの?」
「いや、その……実は、仲間とはぐれていまして」
「もしかしたら、幽鬼の古城にいるかもよ!」
ミラは本当に、表情がころころと変わる。
尻尾をふらふらと揺らし、咲弥の反応をうかがっている。
咲弥は困り果てた。
確かに、まだ確認したわけではない。最悪、紅羽がドクロ地点に、運悪く落ちている可能性は否定できなかった。
「確認も含め、ちょっと手伝ってよ! ミラね、どうしても今回で、冒険者にならなきゃならないの。だからお願い!」
両手をパチンと合わせ、ミラが深く頭を下げた。
すぐに姿勢を正し、ばつが悪そうな笑みを浮かべる。
「ミラさあ、あんま戦闘タイプって感じじゃないからさ……でも咲弥は、魔獣を狩れるなら戦闘タイプっぽいし、一緒にミラと冒険してみてよ」
戦闘タイプかどうかは、正直あやしいところであった。
真の戦闘タイプが身近にいるからか、余計にそう思える。
(いや、それよりも……やっぱり、まずいよなぁ……)
中級の魔物がどんなものか、想像すらもつかない。
下級のアラクネ女王にですら、恐ろしさを感じている。
とはいえ、必死な彼女の願いを、むげにできそうもない。
素材の加工から、トリッキーの紹介という恩もある。
咲弥は少し悩んでから、ミラに伝える。
「いえ……やっぱり、危険過ぎませんか?」
「ええぇ……!」
「僕も別に、戦闘タイプってわけではありませんから」
「うぅーん……」
ミラは頭を抱え、深く唸る。
すぐ満面の笑みに転じて、人差し指を立てた。
「最悪さ、時音の鏡さえ手に入ればいいの」
「と、言いますと?」
「魔物との戦闘は最小限、または逃げに徹するってこと」
「そんな上手く……いきますかね」
「いけるいける! なんだか、いけそうな気がしてきたし」
何も根拠になりえない感覚を、ミラは感じているらしい。
「あの……時音の鏡でなければ、ならないんでしょうか?」
「え?」
「もっと入手しやすい品を狙うとか……どうでしょう?」
「だめだめ!」
ミラは素早く両腕を交差させ、罰点を作って否定する。
そのしぐさを、咲弥はどこか不思議な気持ちで見つめた。
「競争率の高い品は、ほかの受験者に荒らされてそうだし。だからこその、時音の鏡――危険度の高い魔物がいるなら、普通は咲弥みたいに避けるもんね」
「ああ……」
理屈としては、間違っていない。
安全性が高ければ、誰もがこぞって狙うだろう。
これもまた、冒険者としての縮図なのかもしれない。
「別に魔物と戦わなくても、指定物を入手すればいいの」
「うぅーん……」
咲弥はなかば諦めの境地に達する。
「……正直、僕では完全に力不足だと思います。ですから、少し覗いて危なそうであれば、絶対に引き返しましょうね」
「うんうん。わかった!」
奇妙な形をした石から、南西に進んだ先に古城はある。
しかし咲弥からでは、どちらが東西南北かわからない。
トリッキーに尋ねてみようと思ったが、ふと気になった。
「あれ……そういえば、ミラさん。方角がわからなければ、トリッキーさんのお店まで辿り着けませんよね? たまたま近くに落ちたんですか?」
自身の後頭部に両手を置き、ミラは大きく笑った。
「太陽や植物とかを見れば、だいたいならすぐにわかるよ。たとえばそこら中にある、木についている苔とかでもね」
「へぇえ……凄いですね」
咲弥は素直に感心した。
周囲に視線を流したが、咲弥にはまるでわからない。
「じゃあ、南西ってどちらの方角になるんですか?」
「んぅー。こっちだね」
ミラと来た道の、少し左側のほうを指差した。
心から、咲弥は感心する。現在地だけを知ったところで、方角が何もわからなければ、なかなか動きづらい。
方角さえ知れば、今後はかなり移動しやすくなるだろう。
「でもね、そっちの方角に進む道はないから、来た道を戻ることになるよ」
「ああ……なるほど……それはそうですよね」
咲弥は苦笑する。
至極まっとうな話だった。
「それじゃあ! そろそろ、行こ行こ!」
ミラが進み、咲弥はやや重い足取りで歩いた。
不意に後ろから、トリッキーの声が飛ぶ。
「それでは、またのご利用――お待ちしております」
咲弥はトリッキーを振り返り、軽い会釈で応える。
不意に、ある考えに至った。
「あ、ミラさん。ちょっと待っててください!」
「んにゃ?」
先を行くミラに伝え、咲弥は踵を返した。
「あの、トリッキーさん。一つ質問してもいいですか?」
「……? はい、どうぞ」
「ほかの受験者がどこにいるか、ご存じではないですか?」
トリッキーは、ゆっくり首を横に振った。
「さすがに、そこまでは把握しかねます。私達が知っている情報は、あくまで事前に冒険者ギルドから提示された、島に関する資料程度なのでございます」
「ああ、そうですか……」
「ですが……言伝程度であれば、承りいたします」
「ほ、本当ですか?」
トリッキーは小さく頷いた。
「この程度のサービスなくして、移動型商店は営めません」
「あ、ありがとうございます」
紅羽の容姿に加え、現在自分がどこに向かうか――咲弥はトリッキーに伝え、言伝を頼んでおいた。
「かしこまりました。お見かけしましたら、お伝えします」
「こちらこそ、本当にありがとうございます」
「もお! おそぉい! 何してんのぉー?」
不満げな顔で、遠くにいたミラが近づいてくる。
咲弥は苦笑いで誤魔化しておいた。
「すみません、もう大丈夫です」
「よぉし! じゃあ、今度こそ行くよぉ!」
咲弥は不安を抱えつつ、ミラと幽鬼の古城を目指した。