第十一話 一抹の不安
咲弥は素早く、背後を振り返った。
すぐ動ける姿勢を整え、音がした方角をじっと凝視する。
背丈をも越える草むらから、人の形をした女が一人――
「……ありゃりゃ! 君、受験者?」
「へ……? あ、はい」
一気に緊張が削がれ、やや間の抜けた声が漏れた。
橙色の短い髪に、三角形に尖った耳が覗いている。
細長い尻尾も生えており、猫型の獣人だと見当をつけた。
獣人は昇華と呼ばれる変身能力を扱えるため、普段からも薄着をする傾向がある。だが彼女は、一際肌の露出が多い。もはや、ただの痴女にすら思える。
胸はやや控え目だが、すらりとした綺麗な体形だった。
尻尾をふらふらと揺らして、女が喋りかけてくる。
「いやぁ、まさか同じ受験者と出会えるなんて、本当かなり嬉しい! 魔物が多過ぎて、一人じゃ厳しかったんだぁ」
「あなたも魔物に襲われたんですか?」
女は何度も首を縦に振る。
「君も襲われたみたいだね」
指を差された場所を、咲弥はぼんやり理解する。
鞄から漏れたレイガルムの角を、一つ取り出した。
「はい。早速、魔獣? の、群れに襲われました」
「あにゃ! 君、素材の取り方が下手くそだねぇ!」
尻尾をぴんと伸ばし、女は指摘してきた。
咲弥は苦い笑みがこぼれる。
「見よう見真似でやってみたんですが、なかなか難しくて」
「ちょいと貸してごらんよ」
「え、あ、はい」
咲弥は角を手渡した。
すると女は、自分の鞄をあさり始める。
どう扱うのかわからない工具を、いくつか取り出した。
「ここ、レイガルムの肉片がついてるっしょ? 根もとから摘出し過ぎてるってことなの。これじゃ、角の質がどんどん下がっちゃうから、こっからでいいんだよ」
凄まじいほど手際よく、角の根もとを切り離している。
最初の村で譲り受けた角も、思えば同じ形をしていた。
「ほい。まだあるなら出して。ついでにやっちゃうから」
「ほ、本当ですか。ありがとうございます!」
咲弥は入手した角を、すべて取り出した。
あっという間に、綺麗な素材へと変化する。
「これで、よしっと。素材の摘出は、丁寧にしなきゃね」
「ははは……すみません。あ、あの……?」
咲弥はレイガルムの角を一本、女へと差し出した。
「……よかったら、これを受け取ってください」
「へゃっ?」
「素材を綺麗に整えてくださった、そのお礼です」
「別に気にしなくていいよ。気持ち悪くてやっただけだし」
「いいえ。本当に助かりました」
「……そこまで言うなら、じゃあいただいちゃおっかなあ」
受け取ったレイガルムの角を、女は自分の鞄に入れた。
それから、にこやかな笑みで見据えてくる。
「遅れたけど、ラ・イ・ミラっていうの。ミラでいいよ」
「僕も遅れてすみません。咲弥っていいます」
「ああ、思いだした。どこかで見かけた記憶あるなあって、ずっと思ってたんだけど、咲弥は試験官に抗議してた人ね」
咲弥の脳裏に、飛行船での出来事がよみがえった。
「ああ……そうですね」
「カッケかったよ。あそこでビシッて言える根性も凄いし」
ミラはずいぶん、明るい性格の持ち主のようだ。
身振り手振りが激しく、見ていて飽きない。
「ところで、咲弥もお宝狙い?」
「お宝?」
「うんうん。幽鬼の古城!」
咲弥はつい頬が引きつった。
「いや、お宝って……あれは、危険というマークでは?」
「あにゃ? 咲弥、まだ知らないんだね」
なんの話をしているのか、咲弥は小首を傾げた。
ミラは不敵に笑う。
「それじゃあさ、ミラが得た情報の一つを教えてあげる」
「どんな情報なんですか?」
「にゃっはっはっ。ちょっと、ついておいでよ」
ミラはそう言い、やってきた道のほうを引き返した。
状況を呑み込めないまま、咲弥はミラの後を追う。
「ドクロマーク以外にも、いろいろあったっしょ?」
「はい。星と赤丸のマークですよね?」
「実はミラ、最初に向かったのは星のところなんだよね」
向かっている場所を予想できた。
星のマークが何を示しているのか、確かに気にはなる。
「星のマークには、何があるんですか?」
「見ればわかるよ。ほらほら、きびきび歩く歩くー!」
そう急かされたが、道はあまりよろしくない。
そもそも、道と呼ぶにはふさわしくない地面であった。
気を抜けば、すぐに草や木の根に足を取られる。
移動を始めてから、だいたい十分弱か――
ミラが肩越しに咲弥を振り返り、にっこりと笑った。
「もうそろそろ、着くよ」
ついに、星のマークの場所へと辿り着いた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
島の地図では、東側に位置する場所に荒廃した町がある。
草木一つない廃墟を、少女は銀髪をなびかせて歩く。
石の建造物や道などが、当時はたくさんあったらしい。
今では倒壊し、崩壊し、滅茶苦茶になっていた。
ドクロ地点は、滅びた場所を指し示していると予想する。地図によると、ここは緑色のドクロが記されていたからだ。
そんな場所を歩き、少女はふと思いが巡る。
(独りで歩くのは……いつ振り……?)
どこへ行くのも、何をするのも――
いつも少年が、傍にいてくれた。
しかし今現在、その彼の姿はどこにもない。心の中が妙にざわつき、落ち着かない感覚がずっと燻り続けていた。
紋章具が少年を、落下から守っているだろう。
だから島のどこかで、無事ではいるはずだった。
(咲弥様……早く、合流をしなければ……)
紅羽は静かに、そっと両拳を作って意気込んだ。
ただ咲弥の発見には、困難を極めると思われる。
アイーシャという女が発動した風の紋章術――受験者達は全員、完璧に分断され、島に落とされたとみて間違いない。
それほどまでに、かなり強力な紋章術であった。
すぐ抗う努力をしたが、不意の出来事では対処が難しい。
見た目や性格はさておき、相当な実力者だと推し量れる。
(今は、ただ……)
自分の予感を信じて、奇跡を願って歩くほかない。
(……?)
背後のほうから、奇妙な気配が滲んだ。
さっと振り返ると、なにやら禍々しいオドを察知する。
リストには、見た記憶のない魔物の名が数多くあった。
先手を取られるわけにはいかない。
紅羽は迅速に、行動を開始する。
純白の紋様を浮かべ、静かに唱えた。
「光の紋章第二節、煌めく息吹」
夜空の星々にも似た欠片が、紅羽の周囲に発生した。
身体強化の紋章術を浴び、倒壊した建物を駆け上がる。
瞬間――
瓦礫の隙間から、何かが飛んできた気がした。
なかば反射的に、手刀で薙ぎ払う。
はめられた腕輪に当たってしまい、パキッと音が鳴る。
何かを弾いた実感はあったが、正体を見逃してしまった。
(これは……?)
途端に無数の場所から、気配が一気に湧き起こる。
すでに後手であったと、紅羽は気づかされた。
わざと気配を察知させ、動いたところを突かれたらしい。
紅羽は再び、純白の紋様を虚空に描き出す。
「光の紋章第四節、白熱の波動」
右手の先に光が集い、高熱の光芒を放つ。
光の筋が瓦礫を飲み込み、荒々しい爆発が生じる。
確実に回避すると、紅羽はそう予測していた。
気配はしっかりあったが、どこにも姿が見えない。
(逃げない……? なぜ……?)
ヒュッと風を切る音が聞こえた。
今度は払うのではなく、しっかりと掴んだ。
ぬめりのある奇妙な感触はあるが、手には何も見えない。
何も見えないのに、掴んでいる感覚だけが残っていた。
(……透、明?)
そうだとしか考えられない。
これまでにないぐらい、厄介な敵だと感じる。
姿どころか、オドも完全に透明化できるようだ。
個体なのか、複数なのか、それすらも把握ができない。
あちらこちらから、風を切る音が響き渡る。
回避を試みるが、いくつかはかすってしまう。
掴んだ感触では、矢のような物体らしい。
物陰に身を寄せ、隠れながら対策を練る。
目に見えない相手は、初めての経験だった。
そんな生物が存在していることに、まず驚きを隠せない。
(どうすれば……)
紅羽は頭の中で、勝つための作戦を構築していく。
いかに透明といえども、そこに実はある。
それはさきほど、掴んだ物体で実証済みであった。
(なら……)
紅羽は、さっそく行動に移った。
透明の攻撃を、瓦礫の陰で回避する。
素早く高い場所へ駆け上り、頂上付近で大きく跳躍した。
「光の紋章第四節、白熱の波動」
右手から光線を放ち、適当に瓦礫を破壊する。
即刻、二度目、三度目と同様の術を連発した。
合計四回、第四の紋章術を発動し終える。
周辺は色濃い煙が立ち込め、深い粉塵にまみれていた。
(いた……一匹?)
触手を持つ、海洋系の巨大な魔物だと思えた。
自分の姿を隠せても、周りの粉塵までは消せない。透明の攻撃を再び仕掛けてきたものの、煙がふわりと揺れ動いた。軌道さえ読めれば、容易にかわせる。
風で流されてしまう前に、透明の魔物へ詰め寄った。
紅羽は再度、紋章術を唱える。
「光の紋章第一節、閃く剣戟」
純白の紋様が砕け、小さな光球が宙を舞い踊る。
魔物は深く切り裂かれ、どす黒い血を噴いた。
(血は透明にできない? 逃しても、場所を特定できる)
透明の矢を撃たれ、紅羽は大きく跳び退いてから離れる。
また高い場所へ駆けのぼり、上空に大きく舞い上がった。
背から外した弓を構え、渾身のオドを纏わせる。
紋章効果を宿した弓が、光の矢を創り出した。
放たれた光の矢は無数に分裂して、光の雨を降らせる。
魔物のあらゆる場所を貫き、ついでに地面をも砕き粉塵を色濃くしておいた。
手応えは充分にあったが、生命力の高さがわからない。
すぐにその場から去り、物陰からこっそりと観察する。
透明だった魔物は、徐々にその姿を現した。
海洋系の生物だと思ったが、どうやら違う。
(植物系の魔物……?)
草木が生えていない理由が、漠然と呑み込めた。
きっと透明の植物が、すべてを養分にしたのだろう。
紅羽は観察を手早く終え、右手を前に伸ばした。
「光の紋章第四節、白熱の波動」
右手から光芒を放ち、植物の幹にあたる場所を攻撃した。
中には死んだふり、気絶したふりをする魔物がいる。
確実に仕留めたと判断できるまでは、安心ができない。
威力を上げた閃光に貫かれても、動かなくなっていた。
上手く処理できていた様子で、ほっと一息つく。
今回の一件で、こんな奇怪な魔物までもがいると知れた。
ドクロのマークは、おそらくは滅びた場所とかではない。非常に危険な魔物がいる地点だと、紅羽は認識を改める。
そうともなれば、いよいよ咲弥との合流は急ぎたい。
人のいい彼は、さまざまな理由から――危険性の高い妙な何かに、つい巻き込まれてしまう場合が多々とあるからだ。
きっと、そういう歪な運命力を持っているのだろう。
合流するまでの間は、そうならないことを願うほかない。
漠然とした不安を抱え、紅羽はまた魔物に視線を据えた。
ある一つの部分に、自然と目が奪われる。
虹色の玉みたいな物が、木の実のごとく一つなっていた。
リストにある品かどうか、その判断は難しい。
念のため、宝石にも見える実を回収しておいた。
(咲弥様……)
咲弥の安否を求め、紅羽はその場から素早く移動した。