第九話 試験の開始
一隻の飛行船が大空を翔る。
飛ぶ原理は、正直まだよくわからない。ただ船の形をした飛行物体は、まるで海のごとく空を悠々と進み続けている。
船内には立派な大広間があり、咲弥と紅羽はそこにいた。
周囲にはほかの種族も含め、さまざまな人達がいる。
きっと全員が、冒険者資格取得試験の受験者に違いない。
そして大広間にはもう一つ、見上げるほどの高台がある。
そこの奥にある大扉が、不意に強く開かれた。
高台に男二人のほか、女が一人現れる。
中央にいるバンダナの男が、拡声器を口の前へ運んだ。
「ああ、ええ……」
場はしんと静まりかえる。
誰もがじっと言葉を待つが、なぜか男は喋らない。
(……え?)
男は石像のごとく、ぼんやりとした表情で固まっていた。
困惑した咲弥は、ふと隣にいる紅羽を見る。
弓と矢筒を背負っている彼女は、静かに前を向いていた。
「とっとと、喋りやがれ! クソドカス野郎!」
あまりの声量に、咲弥の肩が大きく飛び跳ねる。
罵倒を含む野次を飛ばしたのは、高台にいる女であった。
「ああ……何を言うんだっけかなあ」
「引っ込んでろ、クソカス雑魚!」
拡声器を強引に奪い、女が高台のふちまで進んだ。
後頭部で束ねた紫色の髪が、まるで花のようにも見えた。ずいぶん露出度が高い服装で、目のやり場にかなり困る。
高台のふちに片足を上げたせいで、下着が丸見えだった。
「試験官のアイーシャだ。後ろのドカスナメクジに変わり、私が説明会を執りおこなう。始めに――本試験から、従来の試験を一変させ、難易度を爆上げする。これまでは、一次、二次と細かく分けていたが、それはもうない」
アイーシャの発言に、咲弥は驚きを隠せない。
試験のエントリー終了後、咲弥は紅羽と酒場で働きつつ、試験の傾向と対策のため、ネイ達からいろいろ学んでいた。
同時に、紋章術とオドの訓練も頑張ったのだ。
努力が水泡に帰さないと、ただ願うほかない。
「同時に――本来なら、新米冒険者は下の五級から始まる。だが今回から、力量に見合った等級が飛び級で与えられる」
アイーシャは不敵な笑みを張りつかせた。
「それだけ、難易度がやばくなったってことさ」
唐突過ぎる大きな仕様変更に、咲弥はただただ戸惑う。
一番端にいた強面の男――四十代ぐらいの男が前に出た。
「行方不明者二千百二十五名。死亡者三千七百八十三名だ」
「在籍していた、全国の冒険者達の末路だ。上のほうから、質の悪いゴミは最初から振るい落とせって言われてんだ」
アイーシャは高台から、颯爽と飛び降りた。
じろじろと周囲を眺めながら、ゆっくりと歩き始める。
「さて、それはなぜか? お前、答えてみろ」
男の受験者の前に、アイーシャは拡声器を差し出した。
「え? なんでって……えっと……」
突然の問いに驚いたのか、男は悩むしぐさを見せた。
普通に考えれば、行方不明者と死亡者数を極力減らしたいからだと思われる。
もしほかの理由があるとすれば、何があるのか――自分が問われているわけではないが、咲弥は少し思索に耽る。
「行方不明者数と死亡者数を、減らしたいから……ですか」
「ふむ。それで?」
「え? それでって……えっと……わかりません」
アイーシャは大仰に、呆れた様子のため息をついた。
「おい! こいつは失格だ。飛行船から落とせ!」
「え、ちょ、え、待ってください! そんな……!」
慌てふためく男に続き、咲弥も驚きに満ち溢れる。
今現在、かなり上空を飛行中のはずであった。
アイーシャはこともなげに、冷ややかな眼差しを向ける。
「お前は強敵を前にしても、同じことを言うんだろうな」
咲弥は不意に、激しい風を全身に浴びる。
広間の壁だった場所が、大きく開いていた。
船員らしき者が、どこからともなく続々と現れる。
その船員の一人が、失格者の体に何かを取りつけていた。
おそらく、パラシュート的な物だと思われる。
「ちょっと、待って! こんなんで、失格なんですかっ?」
「知能が足りない。オドの総量も足りない。お前は何もかも足りないづくしだ」
抗議する男を、船員が肩に抱え上げる。
咲弥はとっさに行動に移った。
「待ってください! こんな高い場所……慣れている人ならまだしも、いきなり落とされたら、死ぬかもしれません!」
船員が困った様子で、アイーシャに目で訴えた。
アイーシャが、呆れ声で述べる。
「冒険者は、いつもいつだって命懸けだ。ここで死ぬようなクソカスなら、最初からなろうだなんて思うんじゃねぇ」
「だからといって、別に落とす必要はないじゃないですか」
「だからちゃんと、大丈夫なようにしてんだろ。早くやれ」
船員は咲弥を押し退け、開かれた場所へと進んだ。
そして、なんのためらいもなく男を外に放り投げる。
男の悲鳴が、素早く流れて消えた。
「さて、続けようか。では次、お前……なぜだ?」
今度は女に、アイーシャは拡声器を突きつけた。
女は怯えた様子で、絞り出すように言葉を発する。
「……し、質を高めたいからですか?」
「ほう。それで?」
「そ、そ、そんな……急にはぁ……」
「おい。こいつも失格だ。捨てろ。次、お前」
「ひ、ひぃ……そんなの、どれが正解なのかわかりません」
「失格。次、お前」
どんどんと受験者達が、文字通り本当に落とされる。
そして――
アイーシャは、咲弥の前に立った。
「さて……もうそろそろいいか。私の指示を阻んだ勇気ある小僧。次、お前だ」
咲弥は心臓がはちきれそうになる。
どれが正解で不正解なのか、まるでわからない。
間違えれば、ほかの者達と同じく落とされるのだろう。
ひっそりと重い深呼吸をして、咲弥はアイーシャを見た。
「ここ最近……魔物が活発化してるという情報があります。おそらくですが、さきほどの行方不明者と死亡者も、全体の総数ではなく、活発化してから増えた数ではありませんか」
「ほう。それで?」
「多かれ少なかれ、冒険者は魔物との対峙が不可避です……そのため育てるのではなく、最初から一定以上の力量を持つ人達を、優先的に招き入れたい……」
アイーシャは冷たい表情を、まったく崩さない。
背筋に悪寒が走る中で、咲弥は最後まで言い切る。
「だからこそ……試験の難易度を上げ、さらに飛び級という大きな仕様変更が、今回からなされたんではありませんか」
正解か不正解か、アイーシャの顔からは読み取れない。
不穏な空気が流れ、沈黙が広がる。
少ししてから、アイーシャは鼻で笑った。
「貴様ら、小僧に感謝するんだな。そういうことだ」
開いていた壁が、ゆっくり閉じた。
咲弥は強く脈打つ心臓を、静めるように努める。
女は高台へ向かい、そして飛び戻った。
常人の跳躍力を、明らかに越えている。
ただの身体能力なのか、はたまた紋章効果の宿った何かを装着しているのか、見た目からでは判断がかなり難しい。
視界の端で、紅羽が隣に寄ってくるのが見えた。
「落とされずに済み、安心しました」
「ははは……そ、そうだね」
「それではこれより、試験の内容を話す」
アイーシャの隣に、一番年長者らしき強面の男が並んだ。
「試験官のゴルダだ。今、この飛行船が向かっているのは、魔物が支配するマドカレ島だ。そこには、さまざまな魔物がうようよといる」
場がざわめいた。
ゴルダは特に気にした様子もなく、淡々と続ける。
「試験の内容は単純明快。島にある指定物を入手すること。指定物リストは、今から船員達が、お前達に配っていく」
(指定物……納品系の試験!)
咲弥は心の内側で喜んだ。
指定物納品の内容は、ネイ達から学んでいる一つだった。
船員達が現われ、紙を配り始める。
手渡された紙を、咲弥はまずざっと眺めた。
(うげっ……なんだ、これ……)
文字は読めても、書かれている物の意味が理解できない。
かろうじてわかるのは、魔物の素材らしき品だけだ。
だが魔物の名称など、見て判明するとは限らない。
もう一つ、リストで気になる点がある。
なぜか品々の隣に、金額が書かれているのだ。
「……ここに書かれている物、紅羽ならわかる?」
「いいえ。ほとんどわかりません」
「……え」
「魔物らしき名も、私の記憶にはない魔物ばかりです」
紅羽の言葉に、咲弥は別の意味で唖然とした。
彼女ですら判明しない名称が並んでいる。
それだけ、本当に難易度が高いという証明でもあった。
今度は一つ一つ、咲弥はじっくりリストを見直してみる。
(あ……こいつは……)
咲弥の胸の内側が、驚きに満ちた。
リストの中の一つ――確実に知っている魔物の名がある。
「レイガルム……」
「私もわかるのは、レイガルムと鬼熊くらいです」
「……鬼熊?」
「鬼の顔をした熊みたいな魔物です。魔法も扱いますよ」
どうやら、一筋縄ではいきそうにない。
そう思いながら、咲弥はぼんやりと過去を振り返る。
あの頃はまだ、この世界を訪れて間もない頃であった。
(レイガルム……)
あれから、ずいぶん成長しているはずだった。
今の自分がレイガルムを相手に、どこまで通じるのか――試験の最中に、もしかしたら遭遇する可能性は充分にある。
恐怖とは別に、少し試したいという気持ちも湧いた。
ただ生き物の命を奪うのは、あまり気が進まない。
できれば別の物で代用したいが、そうはいかないだろう。
「さて、全員配られたな。そのリストはなくさないように。もう二度と、同じ物をこちらから配りはしないからな」
ゴルダの言葉が終わるや、誰かが声を飛ばした。
「すみません。リストの名称がほとんどわかりません」
「俺もわからない」
「私も……」
「何か、わかるヒントはあるんですか?」
次々に疑問の声が飛び交い、場が騒然とする。
アイーシャは一歩を前に踏み出た。
「うるせぇぞ、クソザコカスどもが!」
拡声器を使わず、鼓膜を破りかねないほどの声量だった。
驚きのあまり、咲弥の足が自然と一歩後退する。
しんと静まり返った空間に、アイーシャの声が飛ぶ。
「次一言でも質問してみやがれ! 即刻叩き落としてやる」
「質問はいっさい受けつけない。各々で対処しろ。以上」
誰一人として、声を上げる者はいなかった。
「うぉっと……」
途端に、体の感覚がおかしくなった。
飛行船が着陸態勢に入ったと予想する。
「それじゃあ、全員――甲板に移動する」
ゴルダはそう言い残して、二人の試験官と出ていった。
姿が消えるや、ところどころで不満の声が聞こえてくる。
「咲弥様。移動しましょう」
紅羽はいつも通り、淡々とした口調で告げた。
もうまもなく、試験が始まるに違いない。
咲弥は両頬を叩き、気合を入れる。
「よし……行こう」
「はい」
紅羽と並び、咲弥は甲板を目指した。
豪華に造られた通路を進んでいると、強風が流れ込んだ。
吹き抜ける風が、まるで緊張を運んでくるようだった。
甲板に出るや、咲弥は息を呑む。
遥か下のほうに、不気味な大きい島が見える。
しかし着陸までには、まだまだ時間がかかる様子だった。
そこで咲弥は、ふと異変に気づく。
飛行船が、まるで下降していかない。
むしろ、どんどんと上昇している気さえした。
「全員、ちゃんと来たな」
アイーシャの言葉が終わるや、船員達が詰め寄ってきた。
受験者は謎の腕輪を一つ、左腕に装着させられる。
なんのための装飾品なのか、よくわからない。
しかしそれよりも、愕然とする事態が起こる。
今度は次々に、ある物が受験者達に取りつけられていた。
(え、これって……失格者達がつけてたやつじゃ……?)
咲弥は一気に血の気が引いた。
「島の滞在期間は三日だ。各々、死なないように頑張れ」
ゴルダの言葉が終わるや、アイーシャが前に歩み出た。
船員達が慌てた様子で、船内へと駆け戻る。
「それじゃあ、テメェら! 試験開始だぁっ!」
瞬間――アイーシャの右手付近に、緑色の紋様が浮かぶ。
「風の紋章第八節、粗暴な渡り鳥」
緑色の紋様が、大きく砕け散った。
甲板に激しい風が巻き起こる。
「咲弥様!」
「うわ、うわ、うわぁあああ――!」
上空へと舞い上がる咲弥は、心の底から悲鳴を上げた。
どんどん飛行船が遠ざかる。
紅羽がどこに飛ばされたのか、まったくわからない。
ここは気温が低いのか、かなり肌寒かった。
だが寒さがどうでもいいぐらい、恐怖に心が染まる。
激しい風を全身に浴び続け、今度は一気に落下した。
「うわぁああああ――っ!」
パラシュートの使い方など、知らないに等しい。
いっさい何も説明もされなかったのだ。
死に物狂いで、咲弥は装着された物の使い方を探った。