第四話 遥か遠い昔の物語
昼は明るい太陽に照らされ、夜は暗い闇に包まれる。
この世界を訪れ、咲弥はそんなあたりまえを体験した。
ただ、昼と夜では気温差があまりに激しい。
それこそ、夏と冬に等しいぐらいの差だった。
太陽の違いは不明だが、月には明らかな相違点がある。
大きな月は赤色で、その周辺にある小さな月は緑色の光を発していた。月の明りはとても幻想的だったが、地球の月と比べると、あまり明るさはない気がする。
そのためか、村のあちこちで火か焚かれていた。
光源の確保以外に、防寒の役割も担っているに違いない。
そんな村にある民家の一つに、咲弥は招待されていた。
卓上にあるランプと暖炉の火で、室内は照らされている。炎が揺らめくたびに、ゆらゆらと不規則に影が舞い踊った。
電灯に慣れた身からすれば、かなり薄暗く感じられる。
テーブルの上には、晩御飯が並べられていた。とはいえ、あるのは芋を扱った料理のほか、パンと果物しかない。
咲弥は席に着きながら、対面に座るロッセを眺める。
両手の指を絡め合わせ、ロッセは静かに唱え続けていた。
そして――
「リフィア様の恵みと加護に感謝し、食事をいただきます」
「いただきます」
ロッセの隣に座るシェイも、祈りの姿勢で言葉を紡いだ。
どうやら、これがこの村――あるいは、国の常識らしい。
咲弥も形だけは真似て、食事前の挨拶をする。
「いただきます」
「さあ、食事を始めようか」
「あ、はい」
咲弥は返事をしたものの、じっと様子をうかがう。
ロッセ達が料理をよそう姿を確認してから、咲弥も料理を取るつもりであった。そのほうが、間違いは起こりえない。
だが、予想外の事態が起こった。ここでは客人から料理をよそうのが礼儀なのか、どちらも動く気配がまるでない。
(もしかして……お客……僕から、なのか……?)
待たせてもいけないと思い、料理を取り皿に移し始めた。
内心、穏やかではない。何か失礼はないか、所作を違えていないか――ただでさえ、暮らしていた世界が異なるのだ。
胸に不安を募らせるが、ただの取り越し苦労に終わる。
咲弥が終われば、今度はロッセがよそい始めた。
ただ料理を取るだけで、異常なぐらい心が疲弊する。
最後にシェイが取り終えたあと、やっと食事が開始した。
(うん……これは、芋だな……)
芋のスープには、何か別の味があるわけではない。
パンも同様、食感と薄い味以外は特に何もなかった。
ひどく味気ないが、それでも一定の満足感は得られる。
まったく別世界の食事だというのに、自分が認知している食べ物があるだけでも、素直にありがたい気持ちだった。
失礼な話ではあるが、とりあえずこれで腹は満たせる。
「こんなものしか用意できなくて、本当にすまないな」
「あ、え? あ、いいえ……」
不満が顔にでも出ていたのか、咲弥は心の底から焦った。
「ご馳走を用意してくださって、ありがたく思っています。それに僕のために、寝床まで用意してくださったみたいで、本当に感謝しかないです」
「なあに。村まで連れて来たのは私だ。礼には及ばないさ」
「いいえ……」
咲弥の否定を最後に、また沈黙が広がった。
もとの世界でも、他人の家で食事をする経験は少ない。
妙にそわそわとしてしまい、咲弥はまた会話を試みた。
「そういえば、ここにはお二人で住んでるんですか?」
「ん? ああ、そうだ」
「じゃあ、シェイ君は……ロッセさんのお子さん……?」
「オレの両親は魔物にやられて、もう死んじゃったんだ」
シェイの声はそっけなかったが、咲弥は冷や汗をかいた。
さきほどの沈黙が消えるぐらい、重い雰囲気が満ちる。
「えっ……あ、その……そっか、ごめん……」
「そんな気にすることないだろ。別に珍しい話じゃないし」
「そんな事情から、この子は私が引き取ってるんだ」
本当に面倒見がいい人なのだと、咲弥は改めて思った。
こうして咲弥の助けになり、世話をしてくれているのも、きっとロッセが人格者だからにほかならない。
「この村は、とても小さな村だ。だから村の者達はみんな、家族みたいなものだ。私を育ててくれた師父と同じように、私もそうありたいと思っている」
「そうですか。素晴らしいお考えだと思います」
ロッセは朗らかな笑みを見せた。
「ところで、咲弥君は……なぜ、シンバ草原にいたんだ?」
「ああ……いやぁ……」
事情を説明するわけにはいかない。
だからといって、何かいい方便があるわけでもなかった。方便を作るためには、この世界をもっと知る必要がある。
「えっと、そうですね。世界を知るための旅……ですかね。もしよろしければ……ロッセさんのほうからも、いろいろと教えていただけませんか?」
その場しのぎとして、咲弥はそういうことにしておく。
ロッセは自身の顎を指で撫でながら、相槌を打った。
「ふむ……」
「咲弥の兄ちゃんって、ほんと何も知らないんだぜ?」
「シェイ。もう少し、言葉を選ぶようにしなさい」
「へぇい……」
「んぅ……すまないな、咲弥君」
シュンとしているシェイを見て、咲弥は首を横に振る。
「シェイ君にもいろいろと教えてもらい、助かっています」
「そうか。ならいいんだが……」
「でもさ、ほんと何も知らないんだぜ? 咲弥の兄ちゃん」
「ふむ?」
「紋章者のくせに、紋様も紋章術もなぁんも知らないんだ」
ロッセは訝しげな表情で口を閉ざした。
「咲弥の兄ちゃん。リフィア様のことも知らなかったり?」
シェイの指摘に、咲弥は肩が瞬間的に震える。
二人は同時に、驚きの顔に変化した。
「うわぁ。マジかぁっ!」
「咲弥君、本当か?」
「ああ……いや、その……えっと……あ、は、はい」
「リフィア様を知らないとか、どんな孤島にいたのさ」
これにはもう、苦笑いで誤魔化すしかない。
宇宙人と疑われなかっただけ、まだましな気がした。
「あのですね……僕、ちょっと特殊な環境で育ちまして……本当に何も知らないんです。だからこそ、世界を知るために旅をしています……」
必死に言葉を選び、咲弥はそう言い繕った。
「僕にこの世界のあれこれを、教えていただけませんか?」
「リフィア様はさ、この世界を救った神の御使いだよ」
神の御使いと聞き、咲弥の眉間に自然と力がこもる。
使徒と何か、関係があるかもしれないと思ったからだ。
「少しだけ、昔話をしようか」
ロッセはテーブルに両肘をつき、両手を絡め合わせる。
ある一つの物語を語ってくれた。
遥か遠い昔の物語――
厄災そのものである魔神が、天から地上に舞い降りた。
魔神は数多の魔神兵を放ち、世界を絶望へと染め上げる。
長い年月が流れ、人々が諦めかけたそのときであった。
今度は天から神の御使い――リフィアが舞い降りる。
神の御使いリフィアは、人々に三つの神器を授けた。
一つは聖剣ゼレブアート――
二つは短剣ハヴィティア――
三つは聖弓デアスマオス――
神の御使いに選ばれた男女三名は、魔神を討つ旅に出た。
多くの苦難を乗り越え、ついに魔神と対峙する。
だが激しい攻防の末、魔神を討ち果たせはしなかった。
その代わり、魔神を闇の底へと厳重に封じ込めたのだ。
いつしか封印が綻び、復活する日がくるかもしれない。
そんな日が訪れるまで――
三つの神器は今もなお、神殿で深き眠りにつく。
「今は魔物と呼ばれているが、ガルムも魔神兵の一種だ」
「……なるほど」
咲弥からすれば、アニメやゲームだと思える話だった。
しかしこれらは、実際に起こった歴史の一つなのだろう。
咲弥はある予感を感じていた。
魔神こそが、使徒が討つべき対象なのかもしれない。
ここ最近、魔物がいやに活発化している――魔神の復活、あるいは、封印の綻びが原因となっているようにも思えた。
だからこそ、使徒をこの世界に送り込んだに違いない。
(もし、リフィアって方が僕と同じ使徒だったとしたら……邪悪な神を討つことに、失敗したってことか? 与えられた固有能力は……武具の精製かな?)
咲弥の脳裏に、答えの出ない憶測が巡り続ける。
「ところで、咲弥君」
「あ、はい」
「君はこれから、どうするんだ? すぐ旅を続けるのか?」
討つ対象を見定められたが、あまりにも情報が足りない。
もっと多くの情報を、入手する必要がある。そのためには旅をすることになるが、抱えている問題は山積みであった。
今の咲弥は、手持ちがまったくない。食べ物はもちろん、旅をするための道具ですら、手に入れられない状況なのだ。
だからと言って、ロッセに甘え続けるわけにもいかない。
咲弥は悩み、考え、そして答えを導きだした。
「そうですね……明日には、出て行きます」
「えぇえええっ? 咲弥の兄ちゃん、行っちゃうのかよ」
「ロッセさんに、負担をかけるわけにはいかないからね」
「そんなぁ……一人や二人、増えたところで問題ないぜ?」
「はは……」
沈黙していたロッセが、静かに口を開いた。
「咲弥君さえよければ、しばらくここを自由に使ってくれて構わないぞ。シェイも、ずいぶん懐いてるみたいだしな」
「いや、あ、でも……」
「なあに。もう一人、養えるぐらいの蓄えならあるさ」
咲弥は、また悩まされる。
ロッセの好意に、素直に甘えてもいいのかわからない。
ふと、咲弥にある一つの考えが浮かぶ。
「……ここって、農作業とかしてるんですよね?」
「ああ。そうだが?」
「もしできる仕事があれば、手伝わせていただけませんか」
「え……?」
「経験はないので、邪魔になるかもしれませんが……ここでお世話になるんです。ですから、ぜひ手伝わせてください」
これが、咲弥の思いついた提案だった。
ただ厄介になるだけでは、あまりにも申し訳ない。
ロッセは腕を組み、難しい顔をして唸る。
固唾を飲んで見守っていると、ロッセは頷いた。
「わかった。そう言ってくれるのであれば、そうしよう」
「あ、はい!」
「明日、モウラという男を紹介する。彼の下で働くといい」
「わかりました。できる限り精一杯、頑張ります」
これでしばらくは、村を拠点に情報収集ができる。
これはゲームでも、ましてやアニメでもない。
死ねばそれで終わりの――現実なのだ。
だからこそ、慎重に焦らず物事を進めていくしかない。
(着実に、前に進むんだ。母さん、父さん。必ず帰るから)
咲弥はこっそりと、決意を胸に秘める。
それからロッセ達とともに、また食事を再開した。
「あ、そうだ! 咲弥の兄ちゃん、ちょっと待ってて」
「こら! シェイ!」
ロッセの叱咤も聞かず、シェイは走り去った。
「やれやれ、まだ食事中だというのに……」
「ははは……でも、元気があっていいと思います」
「そう言ってもらえると、助かるよ」
少しして、シェイが手に何かを持って戻ってくる。
「これ、約束してたやつ」
「あ、これ……」
シェイから手渡された物を、咲弥はじっと見つめる。
やや厚みのある不揃いな紙を、ツタで閉じた代物だった。
「それと、これも」
糸が巻かれた黒鉛――鉛筆だと思われる。
診療所の一件で、勘違いされたままだった。
しかし、シェイの行為を無駄にはできない。
「わあ、ありがとう。助かるよ」
「おう。でもさ、何に使うんだ?」
「えっと……抑えておきたい情報を、記録しておこうかな」
「ふぅん……」
書き心地がどんなものか確かめる。
記入中に、ロッセの呆れた声が聞こえた。
「ほら、シェイ。席に着きなさい」
「はあい」
「咲弥君も、たくさん食べてくれ」
「あ、はい。いただきます!」
咲弥はノートを隣に置き、食事を進めた。
どんな仕事を任せられるのか、まだ何もわからない。
たくさん食べて、力をつけておく必要がある。
ロッセ達と雑談したのち――
咲弥は初めて、新たな世界での夜を過ごした。