第六話 卑怯者
咲弥が紋様を描くや、騎士団員達が野次を飛ばしてきた。
「おいおい。これは決闘だぞ!」
「一騎打ちで紋章術を使うとか、卑怯者じゃないかぁ!」
「そうだそうだ。この卑怯者ぉ!」
「やっちまってください! レオル部隊長!」
部隊長のレオルが肩を竦め、小さく両手を広げた。
紋章術を扱う気はなかったが、そういうルールのようだ。
とはいえ、咲弥の武器は紋様を通さなければ出せない。
野次の隙間を見計らい、咲弥はレオルに伝える。
「安心してください。僕の得物を出すだけですから」
柔弱な表情を崩さず、レオルが手のひらで続きを促した。
了承を得た咲弥は、静かに唱える。
「僕に力を貸してくれ……黒白の籠手!」
空色の紋様が砕け、咲弥の両手がまばゆい光に包まれる。
光が弾け飛んだ瞬間――黒白の籠手が両腕に出現した。
やや驚いた顔を見せ、レオルは短い口笛を吹く。
「宝具所持者だったのか。こりゃあ、大物じゃないか」
その呟きに、咲弥は応えなかった。
騎士団の部隊長ともなれば、実力者なのは間違いない。
相手の動向を注視しながら、咲弥はそっと構えを取った。
剣を斜め下に向け、レオルも戦闘態勢に入る。
柔弱な顔のレオルは、とてもお調子者の口調をしていた。だが、剣を構えた途端、肌に突き刺さる雰囲気が放たれる。
その鋭い眼光からは、確かな殺意が感じられた。
やはり相当な実力者らしく、どこにも隙が見当たらない。
(それでも……)
咲弥はまっすぐ、レオルを見据えた。
「もし僕が、この一騎打ちに勝てば……もう二度と、ここの人達や僕達に、ちょっかいをかけないと約束してください」
「わかった。俺が勝てば、あの娘は好きにさせてもらう」
ほんの一瞬だけ、咲弥は悩んだ。
悩みはしたが、もう後には引けない。
負けるわけには、絶対にいかなくなった。
咲弥は自分に誓いを立てるように伝える。
「そんなことには……絶対なりませんから」
「それじゃあ、楽しい決闘を開始しよう」
言葉が終わるや、レオルが大きな一歩を踏み出した。
レオルの鋭い突進に、咲弥はわずかに身が硬直する。
レオルの剣先が地を駆け、素早い切り上げが襲ってきた。
「……ぅっ!」
白い籠手で防ぐと、凄まじい高音が響き渡る。
反動を利用した一撃は、咲弥の左腕を強く痛めた。
振り上げた剣をそのままに、レオルは身を大きく捻る。
(やばい……!)
とっさに痛めた左腕も上げ、咲弥は両腕で盾を作る。
さきほどよりも強烈な一撃が、籠手を通じて伝わった。
やや後ろに吹き飛ばされてしまい、咲弥の姿勢が崩れる。
防御に徹しているせいで、反撃に移れない。
レオルはなおも、剣技を繰り出した。
咲弥は剣筋の軌道を読み、かろうじて籠手で受け流す。
「ほらほら! 護るだけでは、勝てないぞ?」
レオルの顔には、余裕の笑みが張りついている。
対して咲弥は、苦い思いしかない。
暴力的なまでの猛攻撃を、防ぐだけで精一杯であった。
再び強烈な一撃を食らい、咲弥は大きく後退する。
「あらら……力量にちょっと差があり過ぎるな」
「部隊長、全然本気出してないもんなあ」
「こりゃあ、あと十数秒で終わるかもな」
そんな呟きが、咲弥の耳に届いた。
緊張と焦りが生まれる。
呼吸が乱れ、視界がわずかにぼやけた。
「はあ……はあ……はあ……」
「おや? もう息切れか? まだほんの小手調べなんだが」
悔しいが、確かにレオルの実力は高い。
これが素の能力なのだから、恐ろしさすら感じる。
しかし、敗北は許されない。
咲弥は全神経を集中させ、再び構える。
「では、もう一度行くぞ!」
レオルはまた、鋭く突進する。
これまでの攻撃は、ぎりぎりながらに防げていた。
つまり裏を返せば、目と体ではしっかりと追えている。
防ぐだけでは勝てない。何か別の方法がいる。
(……防ぐだけじゃ、勝てないなら……)
上空から降り注いだ刃を、下へと受け流し――
咲弥は大きく、一歩を前へと踏み出た。
咲弥の中で、何かが噛み合った気がする。
そのまま勢いを乗せ、咲弥は右の拳を振るう。
レオルの余裕そうな顔に、咲弥の拳が命中した。
カウンターもあってか、嫌なほど綺麗に衝撃を与える。
レオルは仰け反ったものの、なんとか踏ん張った。
「いっ……」
レオルの形相が一変する。
じろりと睨んだ目から、おぞましいほどの殺意が溢れる。
「……ってぇな、クソガキがぁ! ぶち殺すぞ!」
人格が変わったとしか、そう思えない声量だった。
憤怒の形相を浮かべ、レオルは剣で虚空を切り裂いた。
「あ、やべ……部隊長がキレちまった」
野次馬達の中の誰かが、そんな呟きを漏らした。
「テメェをぶち殺したあと――その腐った亡骸の前で、あのメスが狂っても、犯し続けてやるからな! オラァアッ!」
人道から外れた言葉に、咲弥は沸々と怒りが込み上がる。
自然と口から言葉を紡いだ。
「……なんで、お前なんかが、騎士をやってるんだ」
咲弥は強く、レオルを睨みつけた。
レオルが途端に、赤い紋様を浮かべる。
突然のルール違反に、咲弥は驚愕した。
「火の紋章第七節、爆刃の猛火」
剣身に火炎を纏い、レオルが猛火の斬撃を放つ。
籠手で防いだ瞬間――凄まじい爆発が生じた。
熱風と爆音に襲われ、咲弥は軽く意識が飛んだ。
「がはぁっ……」
地に伏した咲弥の腹に、蹴りが飛んでくる。
重い衝撃が、痛みとなって腹部から広がった。
何度も踏まれているのか、腕や横腹からも衝撃が伝わる。
かろうじて意識を保ちつつ、咲弥はある気配を察知した。
「紅羽……! 僕は、まだ……負けてない」
動きだそうとした紅羽を、咲弥は声を振り絞って止めた。
咲弥は地面を転がり、レオルを再び睨んだ。
「卑怯者……決闘で紋章術は……卑怯者じゃないのか」
「知るか! テメェはすぐ死んでろ! カスが!」
まるで鬼が宿った形相で、レオルは怒りの声を吐いた。
奥歯をぐっと噛み締めて立ち上がり、咲弥は命じる。
「黒白の籠手、解放――」
咲弥の言葉に呼応し、籠手がまばゆい光を放った。
力強い光は、たちまち獣を連想させる形へと変化する。
危険を察知したのか、レオルは大きく距離を取った。
「なんだ、そりゃあ……」
咲弥の体が、痛みで小刻みに震える。
さすがに、紋章術の直撃はかなり堪えた。重くないはずの籠手ですら、今はずっしりと重く感じられる。
両腕を垂らし、やや前傾の姿勢でレオルを睨んだ。
「二度と……紅羽に汚い言葉を聞かせるな!」
両腕を垂らしたまま、咲弥は駆けた。
体中から痛みが広がり、そのうえ気怠さまである。しかし本能的に無駄を省いたからか、今の姿勢は案外楽であった。
残った体力を使い切るつもりで、レオルへと詰め寄る。
「もう遠慮なんかしないぞ!」
「やってみろ! ドクソが!」
レオルは剣を大きく構え、素早く斬りかかってくる。
咲弥は黒い手を握り締め、まずレオルの剣身を殴った。
剣が歪な音を立てて折れ、レオルの表情が驚きに染まる。
咲弥は瞬時に、虚空へ空色の紋様を浮かべた。
「白い爪に限界突破!」
レオルの胴体を、白い爪で縦に引っかいた。
白い手は黒い手とは違い、外傷をまったく与えられない。
その代わりに、精神――オドを根こそぎ切り裂いたのだ。
「な……んだ……オド……が……消え……」
その場で崩れ落ち、レオルは地に伏した。
咲弥は力が抜け、膝が落ちる。それから、肩で息をした。
「はあ……はあ……はあ……」
「おいおい、マジか……部隊長が負けたぞ」
「おい……どうするよ……なあ……」
「どうするって……」
「俺達ぁ、舐められるわけにはいかんだろ?」
紅羽にこかされた大男が、剣を鞘から抜いた。
それに続き、ほかの騎士達も抜剣する。
「テメェらは、ここで始末する」
「ぐっ……卑怯者め……」
酷い怪我を負い、咲弥はもう立ち上がれそうにない。
騎士団がぞろぞろと動き始めた。
「おやおや……子供相手に、騎士様がなんとも情けない」
突然、穏やかな男の声が、上のほうから聞こえた。
建物の窓――出っ張りのところに、声の主がいる。まるでソファーの上で、くつろいでいるかのような姿勢であった。
男は帽子を、さらに目深にかぶり直す。
「何者だ、テメェ!」
「私が何者なのか? それはさして、重要な問題ではない。国の騎士団ともあろう者達が、決闘で負けた腹いせに集団で襲いかかる――そんな奇妙で滑稽で呆れた話のほうが、今は重要なのではないのだろうか?」
男は歌うように言い、からからと笑った。
「ここは潔く引いたほうが、今後のためだと思うがね」
さすがに限界が近くなり、咲弥は地に倒れる。
地に伏す寸前のところで、紅羽が素早く上半身を抱えた。
「咲弥様」
「紅、はぁっ?」
まるで流れるように、紅羽が咲弥を膝枕した。
咲弥は恥ずかしさから、胸がはちきれそうになる。
紅羽が純白の紋様を浮かべ、静かに唱えた。
「光の紋章第三節、光粒の陽だまり」
純白の紋様が輝きを強め、大きく弾け飛んだ。
咲弥の周囲に、星々を連想する光の粒が発生する。
徐々にではあるが、痛みが引いていた。
「あ、ありが、とう。紅羽」
「いいえ。問題ありません」
「治癒術……マジか、この娘……」
紅羽の治癒術から、場が騒然となる。
その中――
「――警告します」
寒気がするほどの声で言い、紅羽はすっと前を向いた。
「もしまだ危害を加えるようでしたら、私はたとえすべてを敵に回したとしても、本気であなた方の息の根を止めます。ご理解いただけますか?」
何かに腹を立てているのか、紅羽の気迫が凄まじい。
強烈な気迫に呑まれたらしく、騎士団全員がたじろいだ。
紅羽に転ばされた男が、大きく舌を打つ。
「部隊長を連れ、撤収するぞ」
一斉に剣を納め、騎士団員達がぞろぞろと撤退する。
騎士団の姿が消えるや、周囲から賞賛の声が飛んだ。
「うっはあ! 見たかよ、あの顔!」
「お前ら、ここの英雄だぞ!」
「すげぇ! あの騎士団に立ち向かって退かせたぞ!」
「こりゃあ、今日はうめぇ酒が飲めそうだ」
やまない歓声の中で、咲弥はふと気づいた。
出っ張りのところにいた男が、いつの間にか消えている。
探していると、紅羽が紅い瞳を向けてきた。
「咲弥様」
「……ん?」
「なぜもっと早くに、宝具を解放されなかったのですか?」
「え……?」
咲弥の思考が停止する。
理由を模索していると、紅羽が重ねて告げた。
「あれでは、剣の鞘のみで戦っているのに等しい行為です」
「だって……卑怯者だって、言われそうだったから……」
「それは紋章術であって、解放とは別ではありませんか? もしそれを卑怯者というのであれば、剣を鞘から抜く行為もまた、卑怯者ではないのですか?」
咲弥は苦笑しか漏れない。
突然の出来事に、とっさの対応や判断は難しかった。
「……そこまで、考えが回らなかったよ……」
ほんの少し呆れ顔を見せ、紅羽は微笑する。
「でも、咲弥様らしいです」
その小さな笑みに、咲弥はドキッとさせられた。
膝枕も込みで、心がくすぐったい気分になる。
「すっげぇ! ほんと、すっげぇよ! 兄さん、姉さん!」
枯れ葉色のフードの者――レンが、傍に詰め寄ってきた。
「感動し過ぎて、俺ぁ固まっちまったよ!」
「ははは……もとはといえば、君のせいなんだけどね?」
「あいたたたっ! でも、これで無事にちゃんと返せたし、今回の詫びのつもりで、もっと俺達にお礼させてくれよ」
つい、咲弥は頬が引きつった。
何を企んでいるのか、少し怖い。
「俺達の隠れ家に来てくれ! 歓迎するからさ!」
「隠れ家?」
「そう! どんなお礼がいいのか、まだわからないけどさ、兄さん達のお願いなら、聞けるだけなんでも聞けるぜ」
願いと聞き、咲弥の脳裏にぼんやりと浮かぶ。
「それじゃあ……情報屋について、何か情報はないかな?」
レンは一瞬だけ硬直したのち、大きく笑った。
「兄さん達のお求めは、まさか俺の仲間の一人かい。お安い御用さ。持っている情報は、なんでも教えさせてやるぜ」
奇妙な偶然に、咲弥はただ静かに驚かされた。