第五話 紅羽を巡った決闘
西レイストリアは、歓楽的な施設がとても多い。
大勢の人で埋め尽くされ、どこも大混雑していた。
「凄いなあ……はぐれないように、気をつけなくちゃね」
「了解しました」
咲弥の呟きに、紅羽が応じた。
隣を歩く紅羽を見てから、咲弥は鞄に手を入れる。
通行人の邪魔にならない程度に、地図を小さく広げた。
現在は南から西に入った、すぐのところにいる。
「えぇっと……まずは、中央に向かおうか」
「はい」
本日の目的は、一般人でも利用が可能な情報屋――昨日、酒場にいた冒険者の会話を、咲弥はつい小耳に挟んだのだ。
噂の情報屋は、ギルドにもない情報を掴んでいることが、多々とあるらしい。そんな者であれば、試験を受けるための推薦に関しても、きっと何かいい案がある。
咲弥は、そう考えていた。
それとはまた別に、冒険者になれなかった場合、情報屋と繋がってさえいれば、今後のためになるという打算もある。
いずれにしても、面識を持っておく必要は絶対にあった。
(まずは中央に行き、そこからさらに西に進んでみるか……いや、逆時計周りに攻めてみるべきなのかなぁ……うぅん)
その情報屋は、ころころと居場所を変えると聞いた。
冒険者の話によれば、ここ最近は中央付近にいる。
大きく位置を変えられる前に、見つけなければならない。
咲弥は周囲を大きく見渡して、方角を把握しておいた。
よそ見のせいで、咲弥は危うく人とぶつかりかける。
「おっと……」
咲弥はぎりぎりのところで回避する。
危なかったと思いつつ、紅羽に視線を移した。
「紅羽。こっちの――」
言葉の最中、紅羽が無言のまま、途端に逆走を始めた。
「え? く、紅羽!」
「すみません。間に合いませんでした」
何が間に合わなかったのか、さっぱりわからない。
咲弥は慌てながら、紅羽の背を追った。
「間に合わなかったって、何が間に合わなかったのさ?」
「前方にいるフードの者が、咲弥様からお金を盗りました」
「え、まさか……?」
枯れ葉色のフードを纏った者が、確かに前を走っている。
盗まれた感覚など、まったく感じられなかった。
そもそも、人とぶつかってさえいない。
紅羽の後ろを駆けながら、咲弥は念のため確認をする。
所持金を入れていた袋が、鞄の中から消えていた。
「う、嘘だ! そんな感覚なかったのに!」
「おそらく、盗みを生業とした者だと思われます」
ロッカー的な場所もないため、全財産を持ってきている。
咲弥は必死に、逃げ続けている者を追いかけた。
路地裏へと逃げ込み、咲弥も建物と建物の隙間に入る。
「咲弥様はそのまま、あの盗人を追ってください」
「え、あ、う、うん」
紅羽は純白の紋様を浮かべ、可憐な声を紡いだ。
「光の紋章第二節、煌めく息吹」
純白の紋様が砕け、小さな欠片が咲弥達の周囲に漂った。
身体能力が爆発的に向上し、一層早く走れるようになる。
紅羽が建物の壁を交互に蹴り上げ、駆けのぼっていく。
彼女の意図を呑み込み、咲弥は盗人を下で追い続けた。
逃げ道を完全に把握しているのか、まだ捕まえられない。
複雑な迷路と化した場所を、ひたすら進み続ける。
紅羽の紋章術がなければ、完全に見失っていた。
「あっ……」
ついに、盗人の足が止まった。
前方には高い壁があり、左右には背の高い建物がある。
逃げ道は、もうどこにも見当たらない。
盗人はきょろきょろとして、咲弥のほうを振り返った。
「く、くそっ! なんなんだ、お前!」
とても中性的な声をしている。
咲弥よりも年下に思える声質だった。
たとえ何歳だったとしても、許すわけにはいかない。
「僕の全財産なんです。返してください」
「なんの話だ! 俺は何も盗っちゃいない! ほら!」
フードを目深にかぶった者が、懐を裏返して見せてくる。
「あ、あれっ……?」
「おい、コラ! 人を盗人呼ばわりしてんじゃねぇぞ!」
最初に見た、枯れ葉色のフードに間違いはない。
咲弥は訳がわからず、激しく混乱する。
そのとき、紅羽が上空から飛び降りてきた。
「やっと追い詰められましたね」
「紅羽、違うんだ……盗ったのは、あの人じゃないみたい。僕らいつの間にか、別人を間違えて追いかけてたっぽい」
じっと固まったのち、紅羽は純白の紋様を虚空に描いた。
咲弥は思わず、間の抜けた声が漏れる。
「へ……?」
「光の紋章第四節、白熱の波動」
紋様が砕けた瞬間、紅羽の右手から光の筋が伸びた。
軽く壁を破壊し、がらがらと音を立てて崩れ落ちる。
かなり威力を抑え込んでの一撃らしい。
瓦礫のほうを向いたまま、フードの者は硬直していた。
「く、紅羽……?」
咲弥は不安でいっぱいだが、紅羽は毅然としていた。
また純白の紋様が浮かべられる。
「次は外しません。盗ったお金を返してください」
「だ、だから、俺じゃ……」
「光の紋章第四――」
「わあわわわあわわあぁあ! わかった。わかったから!」
フードの者は悲鳴を上げ、その場にへたり込んだ。
「途中で仲間に渡したんだ! でも、すぐ返すから!」
持っていない理由を、咲弥はやっと把握する。
紅羽の脅しがなければ、すっかり騙されていた。
「仲間のところへ案内する。ついて来て」
「下手な真似をした場合、即刻始末します」
「兄さん! この人、凄く可愛い顔して怖いんですけど!」
激しく慌てているフードの者に、咲弥は苦笑を送った。
当然といえばそうなのだが、紅羽は敵には容赦がない。
少し歩いた先で、突然大きな悲鳴が聞こえた。
「……クァン?」
悲鳴が飛んだ方向に、フードの者が素早く走る。
咲弥も、紅羽と一緒に急いだ。
軽武装の格好をした者達が、咲弥の視界に入る。
そこには、軽武装の者に対峙している子供達が数名いた。
「おい! 返せよ!」
「だからさ、みかじめ料だって言ってんだろ? 本来なら、お前ら全員ここから排除したって、構わねぇんだからな?」
咲弥は立ち止まり、少し遠めから様子を観察する。
食ってかかる男の子を、大柄な男が手で軽く突き放した。
その大男の手には、見覚えのある布袋が跳ねている。
(あれは……僕の財布じゃないか!)
「クァン!」
フードの者が、突き放されたクァンに駆け寄った。
「レ、レンのアニキィ!」
いかつい顔をした大男に向かい、レンは声を荒げる。
「ふざけるなよ! この前だって奪っていっただろうが!」
「この前は、この前の分。今回は、今回の分だ」
大人の男達が、げらげらと嫌な笑い声を響かせる。
いがみ合う者達のところへ、咲弥は歩み寄った。
関係性は不透明だが、言わなければならない。
「すみません。それを返してください。それ僕のなんです」
「ああん?」
「その袋に入っているお金は、僕が盗られたお金です」
大男は布袋を軽く眺めてから、じろりと睨んできた。
「さあ、知らねぇな。俺はこのガキから受け取っただけだ。これがお前の物だって、何か証拠でもあるっていうのか?」
「なっ……それは間違いなく、僕のお金です」
「口でだけなら、なんとでも言えるな。証拠がないんじゃ、これを奪おうとしているだけの、盗賊にだって見えるぜ?」
また周囲から、下卑た笑い声が飛ぶ。
大男の暴論に、咲弥は奥歯を噛み締めた。
「では……その袋の中身を、確認してみてください。中には七二〇〇スフィアが、ちゃんと入ってるはずですから」
自分の所持金ぐらい、しっかり把握している。
咲弥が確認を促すと、大男は布袋の中身を覗いた。
「確かに、お前が言った通りの金額が入っているな。だが、お前がこいつらの仲間なら、知っててあたりまえだよな?」
「なっ……別に仲間じゃありません。盗られただけです!」
「証拠は?」
大男が嘲笑まじりに言った。
咲弥は愕然とする。
何を言ったところで、結局は返すつもりがないのだ。
大男の後ろにいる別の男が、途端に甲高い声を出した。
「あ、あれ? そこの娘、酒場の新人ちゃんじゃないか?」
男の一人が鼻息を荒くして、紅羽のほうへと歩み寄る。
「わぁあ。私服は清楚感があって、とっても可愛いね」
「なんだ、知り合いか?」
大男はぶっきらぼうな声で訊いた。
集団の中にいた男の一人が、代わりに応える。
「知らねぇの? 最近酒場で、可愛い娘が雇われたって話」
「冒険者ギルドの隣にある酒場のことか?」
紅羽の傍にいる男が、大男を振り返った。
「そうそう。それが、この娘だよ」
「まあ、確かに……」
大男はいやらしい目で紅羽を眺め、舌で唇を湿らせる。
頬が引きつりそうになったが、咲弥はかろうじて堪えた。
「ねえねえ。どうして、こんなところにいるの?」
興味津々そうな男の隣をすり抜け、紅羽が大きく歩いた。
紅羽は、布袋を持った大男の目の前まで進んだ。
「お? なんだ。へへっ、俺に興味でも――」
それはまさに、一瞬の出来事であった。
大男の足先を、紅羽は薙ぐようにして蹴り入れる。
大男が宙を舞い、地面に背中から叩きつけられる――その寸前のところで、紅羽が大男の首元を掴んで支えたのだ。
一緒に飛んだ布袋を、紅羽がもう片方の手で受け取った。
「これは、咲弥様のお金です。ご理解いただけましたか?」
「く、紅羽……?」
咲弥が不安な声で呼んだのには、きちんと理由がある。
ほかの男達の雰囲気が一変していた。
「兄さん達、気をつけて……こいつらは、掃き溜めの黒十字騎士団の連中だ」
フードをかぶったレンの言葉に、咲弥はぎょっとする。
騎士団員を眺め、我が目を疑いたい気分になった。
さきほどの言動といい、雰囲気といい――どう考えても、騎士団というより、野盗だと言われたほうがしっくりくる。
にわかには信じられない情報だった。
紅羽は掴んでいた手を離し、咲弥のほうを振り返った。
「咲弥様。二度と盗られないよう、注意してください」
「あ、ありがとう……紅羽」
「はい。では、行きましょう」
何事もなかったかのように、紅羽はすたすたと歩いた。
紅羽にこかされた大男が、激高の声で呼び止める。
「おいおい……待ちやがれ、このクソメスが! 俺達に手を出して、無事で済むと思ってんのか! ああんっ?」
「く、紅羽ちゃん。さすがに、まずいよぉ……」
紅羽を知っていた騎士団の男は、おろおろとしている。
「くっはっはっはっ。こりゃあ、傑作だぜ」
また別の男が一人、奥のほうから向かってくる。
柔和な優しい顔立ちをしているが、雰囲気はどこか硬い。
「ああ、情けねぇ情けねぇ。娘一人にスッ転ばされるとか」
「勘弁してくださいよ。部隊長……力抜いてただけっすよ」
「本当かぁ? 綺麗に転ばされたように見えたけどなあ」
微笑んだまま、部隊長と呼ばれた男が虚空を見上げた。
転んだ大男の顔に、激しい険がこもる。
怒りに満ちた大男の肩を、部隊長はポンポンと叩いた。
「悪いけど、そこの娘は俺らと来てもらおうか。俺らもさ、舐められたままじゃいかねぇのさ。だから、お仕置きする」
あまりに筋違いな話に、咲弥は否定の声を張った。
「ふざけないでください。もとはといえば、あなた達が僕の盗られたものを、返してくれなかったからじゃないですか」
部隊長は短く唸り、眉をひそめる。
「もしかして、君――あの可愛い娘の男かなんか? ははは……似合わねぇからさ、やめとけって。釣り合ってねぇぞ」
別に男女の仲ではないが、咲弥は激しい嫌悪感を覚える。
そうであるなしにかかわらず、モラルが感じられない。
「こんな冴えない男はほうっておいてさ、俺らと……」
隣を進む部隊長の腕を、咲弥は強く掴んだ。
「近寄らないでください。紅羽は僕の大切な……仲間です」
見下した目で、部隊長が妖しく笑う。
掴んだ咲弥の手を、部隊長は謎の技術で振り払った。
離そうとしたわけではない。自然と離させられたのだ。
「へぇ……そうなんだ? 仲間、ね」
微笑んだ顔だが、その目は明らかに笑っていない。
少し距離を取った部隊長が剣を抜き、剣先を向けてくる。
「男と男が一人の女を奪い合う……となれば、わかるな?」
周囲にいた騎士団員達が、一斉に囲いを作った。
鼠一匹、通り抜けられそうにない。その慣れた様子から、今回のような事例が、一度や二度ではないのだろうと悟る。
手のひらを上に向け、部隊長が手招きした。
「ほらほら、怖いのか? 男なら、得物を手にしな?」
あざけるような口調で、部隊長が言った。
挑発と理解はしているが、咲弥の胸にいら立ちが募る。
不意に、後ろから気配を感じた。
「咲弥様」
「ん? な、なに……?」
「この場にいる者すべて、私が処理します」
表情を一つも変えず、紅羽はそう囁いた。
確かにそれも、一つの方法ではある。紅羽ほどの実力者であれば、ただの過言ではなく、実現しそうな気配があった。
しかし、咲弥はゆっくりと首を横に振る。
格好をつけたかったわけではない。
下手に紅羽が禍根を残すのは、よくないと考えたのだ。
「大丈夫。少しだけ、下がってて」
「……了解しました」
「娘からのアドバイスは終了か? 情けねぇ情けねぇ」
部隊長はけらけらと嘲笑する。
咲弥は大きく深呼吸してから、空色の紋様を浮かべた。