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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第二章 冒険者への軌跡
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第四話 不出来な使徒




 咲弥の視界を、凄まじい蹴りが横切った。

 腹の(そば)にある短剣が、衝突音を鳴らして弾け飛ぶ。


「咲弥様! ご無事ですか!」


 紅羽の悲鳴じみた声が届き、悪寒が背を駆け抜ける。

 あと少しでも紅羽が遅ければ、腹を裂かれていた。

 咲弥は大きく後退して、刺された箇所の確認をする。

 短剣の切っ先が、幸い極わずかに刺さっただけらしい。


「だ、大丈夫!」


 咲弥は声を張って伝えた。実際、大丈夫ではない。

 痺れにも似た感覚だけが、体中に発生していた。

 とても嫌な汗が、全身から噴き出している。


「あと、もうちょっとだったのに……」


 死の狂姫(きょうき)の声が、どこからか届いた。

 やはり、霧を払わなければ勝機はない。

 そのとき、紅羽の声が聞こえた。


「光の紋章第四節、白熱の波動」


 爆発音が(とどろ)いたあと、すぐにまた似た音が響いた。

 次第に霧が晴れ、空間の上部に二つの大穴が見える。

 一方の穴が風を吸い、もう一方が霧を吐き出した。


(そうか……確かに、それが一番いい)


 緊迫(きんぱく)した空気のせいか、思考がかなり(にぶ)っていた。ただ、たとえ思いついたとしても、咲弥には難しい芸当ではある。

 死の狂姫の姿が、徐々にはっきりとした。


 紅羽が、咲弥の隣に並ぶ。

 女の子達のほうを見ると、まだ無事の様子だった。

 ひとまず、そこには安堵(あんど)する。


「ところで……咲弥様だったかな? 坊やの描いた紋様()、とても美しいわね」

(……も……?)


 死の狂姫は頬に右手をあてて、腰をくねらせた。


「まるで、天使が舞い降りたような紋様……色違いではあるけれど、彼と同じね」

「彼……?」

「別の大陸でね、坊やと似た紋様を持つ彼と出逢ったの」


 別の意味から、咲弥の背筋がゾクッとなる。

 咲弥とはまた別の、ほかの使徒の話に間違いない。


(僕以外の使徒……どんな人なんだ……?)


 死の狂姫は、うっとりとした表情を見せる。

 蠱惑的(こわくてき)な体に手を()わせ、そっと自身をまさぐった。


「とても、強く、(しん)のある、赤黒い瞳、だったわ――私ね、ぞくぞくしちゃった」

(なっ……んだ、この人……)


 気持ちが悪い――咲弥はつい、心からそう感じた。

 死の狂姫は、なおも続ける。


「もう一度……彼に会いたい。だから、自分の予感を信じて……こんなつまらない国に、来たけれど……とっても残念。この国では、なかったみたい」


 死の狂姫は(なま)めかしい吐息を吐き、頬を赤く染めていた。

 そして妖艶な笑みを浮かべ、自分の手に舌を滑らせる。


「坊や達もいいけれど、だめね。彼ほど欲情しないから……ああ、()()……どこにいるの……こんなに求めているのに」


 この世界を訪れ、初めて別の使徒の名が判明した。

 ジオ――どんな人かはわからないが、少しだけ同情する。

 こんな気味の悪い女に、大陸を越えて追われているのだ。


「でも……そうね……」

 途端に、空気が凍りついた。

「……この(うず)きぐらいは、止めてくれるかしら?」


 死の狂姫が、まっすぐに突っ込んできた。

 ほぼ同時に、紅羽も動く。

 使徒の話も気になるが、今は死の狂姫の()退()が先だった。

 まるで霧を相手にしている――そんな気さえする。


(ジオって人は、どうやって撃退したんだ……?)


 ジオという男が追われている。その事実からも、必ず死の狂姫を撃退する方法が、何かあるはずであった。

 紅羽との戦いを見ながら、咲弥は必死に思考を巡らせる。


 体術だと口にしていた。だが、そんなはずがない。

 ただ、紋章術でもなさそうなのだ。

 だから紋章具を使用している可能性が高い。


 あともう一つ――本来、紋章術は使い捨てのはずだった。一度効果を発したあとは消滅するか、跡が残るかしかない。

 しかし彼女の紋章術は、回収されている気配があるのだ。


 そんなことができるのか、咲弥にはわからない。

 考察が間違えている。そんな可能性は充分にあった。

 だが――


(さっきの紋章術なら……試してみる価値はあるか……?)


 咲弥は白い手に、ぐっと力を込めた。

 問題点としては、また同様の術を放つとは限らない。

 もし放たれても、一発当てられるのか自信もなかった。


 紅羽の攻撃ですら、当たったと思えば煙のごとく消える。

 心から、訳がわからない心境だった。


「ああん……紅羽だったかな? 君も本当にいいわ」

 死の狂姫は、灰色の紋様を生み出した。

「霧の紋章第八節、散開の陽炎(かげろう)


 死の狂姫が、また十数人に分身した。

 咲弥はなかば、弾かれたように行動を開始する。


(ここだ……ここしかない!)


 たとえ幻影だったとしても、そこに実はあると予想した。

 考えが正しければ、幻影が受けたダメージは本体へ(かえ)る。

 今はもう、そう信じるしか道はなかった。


 いずれにしろ、紅羽の負担は減らしておいたほうがいい。

 紅羽を狙う一体の背後に迫り、咲弥は空色の紋様を描く。同時に、胸の内側から発生するオドを一時的に遮断(しゃだん)した。


「白い爪に限界突破!」


 死の狂姫の背後から、白い爪で大きく斜めに引き裂いた。

 幻影のはずなのに、そこにあるといった手応えがする。

 途端に幻影が霧に変わり、死の狂姫へと吸い込まれた。

 遠くのほうにいた死の狂姫が、ふらりとよろめく。


「何、それ……オドが大量に、削り取られた……?」

「追撃します!」


 紅羽が追い打ちをかけようと、恐ろしい速度で進んだ。

 そのとき、死の狂姫が(ふところ)から何かを取り出した。

 小さな紋様が飛び出て、周囲が素早く濃霧(のうむ)に包まれる。


「くそっ……! やっぱり、紋章具を持ってたんだ……!」


 咲弥は必死に、死の狂姫のか(ぼそ)くなったオドを探る。


「残念……今回は身を引くわ」


 死の狂姫の声が響いた。

 場所の特定はまだできない。


「ジオには遥かに(おと)るけれど……坊や達もあと数年後には、いい感じになってそうね。でも先に……私はジオを追うわ。それまでに、成長しておいてね」


 ようやく捉えた死の狂姫のオドが、どんどんと遠退(とおの)いた。

 次第に霧も晴れ、咲弥はその場にへたり込んだ。

 いまさらながらに、恐怖に心の中が蝕まれる。

 想像を超えた奇怪な人間――正直、二度と会いたくない。


「咲弥様……!」

「紅羽……大丈夫? 怪我はない?」

「はい。問題ありません」

「よかった……」


 安堵(あんど)もつかの間、咲弥は金髪の女の子のほうを見た。

 死の狂姫が手を出さなかったのが、救いだったと思える。そこまでの余裕はなかったのか、または、紅羽を心の底から警戒していたからなのだろう。


「紅羽、オドはまだ大丈夫?」

「はい。了解しました」


 紅羽は咲弥の意図を、言わずとも呑み込んでくれた。

 咲弥は微笑みを作り、紅羽にお礼を告げる。


「ありがとう」


 倒れたリリスのほうへ、紅羽と歩み寄る。

 紅羽は右手を前に伸ばして、純白の紋様を宙に描いた。


「光の紋章第三節、光粒(こうりゅう)の陽だまり」


 キラキラとした光が舞い、リリスの全身に淡い光が灯る。


「これは……治癒(ちゆ)の紋章術?」


 女の子は目に涙を溜め、(つぶや)くように問いかけた。

 紅羽の代わりに、咲弥が(うなず)いて応える。


「このお姉ちゃんに、任せておいて大丈夫だよ。きっと……元気にしてくれるから。だからもう、安心していいからね」

「……心より……感謝する」


 女の子は少し顔を()せ、涙ながらにお礼を口にした。

 紅羽が治癒をしている間、咲弥は周囲に目を向ける。

 死の狂姫が手に――男達には、まだしっかり息があった。


(……でも、紅羽一人じゃ……この人数は無理だ……)


 紅羽を見ると、リリスの治癒に(いそ)しんでいる。

 紅羽を見つめていると、ふとある一つの想像が浮かぶ。

 いつの日か、ある選択を迫られるかもしれない。


(護るためなら、僕は……殺せるのか?)


 魔物ではない。この世界にいる、自分とよく似た住人だ。

 今回は当然のように、()退()ばかりを考えていた。


 結果だけを見れば、死の狂姫を()()()()に過ぎない。

 そのことで、ほかに被害が出るのは目に見えている。

 自分の知らないところで、こうして被害が出るのだ。


(それなら、僕は……あの人を、殺せたのか……?)


 もし殺さなければ、自分か大切な人を失う可能性は充分に考えられる。そこは魔物であれなにであれ、変わりはない。

 紅羽をたとえに、咲弥は漠然と想像する。


(紅羽が殺されかけたら……僕は、迷わない?)


 二つの考えが、咲弥の脳裏で交差する。

 天使の遣い――使徒ではあるが、咲弥は英雄ではない。

 また、救世主でもない。

 世界のすべてを、救える力なんか持っていないのだ。


 それでも、身近な人――大切な人ぐらいは救いたい。

 手の届く範囲でなら、護りたいとそう願っている。

 だから、その日がきたときは――


「咲弥様。気がつきました」


 紅羽の声に、咲弥ははっと我を取り戻した。

 急いで、紅羽の(そば)まで戻る。


 どうやら、リリスはまだ完全には()えていない。

 完治するまで、もうしばらくの時間がかかりそうだ。

 そんなリリスが、絞り出したような声で(つぶや)く。


「あれ……私……」

「安心してください。死の狂姫は、もう逃げましたから」

「リリス! どうして、あなたがやられているの!」


 女の子がリリスに、ぎゅっと抱き着いた。


「シア様、申し訳ありません……ご心配をおかけしました。事実確認をしてから、報告する、つもりだったのですが……その前に……」

「ばか! とても心配したんだから!」


 二人の上下関係が、咲弥にはよくわからなかった。

 小さなシアのほうが年上のリリスより、上の立場らしい。

 リリスがゆっくりと、咲弥達のほうに目を向けてきた。


「すみません。冒険者ギルドか、衛兵所に、連絡を……」

「冒険者ギルドか衛兵所に、ですか……?」


 咲弥が問うと、リリスは小さく(うなず)いた。


「死の狂姫は全国指名手配犯。まだ付近に、潜伏していると考えられます。ですから、通報を、どうか、お願いします」

「リリス。あなたの通信機は、どうしたのよ?」

「死の狂姫に、壊されて、しまいました……」

「……もう、ばか!」


 事情はよくわからないが、咲弥はとにかく応じる。


「わかりました。僕、急いで伝えてきます」

「よろしく、お願いします」


 安心したのか、リリスは体の力を抜いたようだ。

 咲弥は紅羽に視線を移した。


「紅羽。ここを、任せてもいいかな?」

「了解しました。咲弥様、お気をつけください」

「うん……」


 顔見知りのミリアであれば、簡潔に話が進むと予想する。

 咲弥は全速力で、冒険者ギルドに向かった。


 その後――

 今回の事件は、冒険者ギルドから王国側へと通達された。

 咲弥はそのまま、冒険者ギルドに待機を命じられる。


 帰還した紅羽の話によれば、リリスや男達は全員、王都にある治療施設に運ばれた。幸い、死者は一人も出ていない。

 そして咲弥達は、調査班の者達に事情聴取される。


 終わった頃にはもう、かなりいい時間になっていた。

 さすがに酒場での仕事は、休むようにと紅羽に提案する。

 宝具使いの自分とは違い、紋章術を連発していたからだ。だが紅羽は(がん)として了承せず、そのまま働くこととなった。


「紅羽ちゃん! こっちの席に酒を頼んだ!」

「こっちが先だ! 紅羽ちゃん、持ってきてくれぇい!」

「んだと、テメェ! こっちが先だ! クォラァッ!」

「いいおっさんが色気づいてんじゃねぇぞ、オラァ!」

「噂で聞いてたけど、本当に可愛いわ。あの()……」


 相変わらず、紅羽の人気が凄まじい。

 ミリアが新たに見立てた、ゴスロリのような――黒と赤を基調とした衣装を着させられ、本日も淡々と働いていた。

 疲れた様子は見受けられないが、心配は拭いきれない。


 少しでも紅羽の負担を減らすべく、咲弥も精一杯働いた。

 そんなさなか、咲弥はふとほかの使徒のことを考える。


(ジオって人は、死の狂姫を一人で撃退したのかな……)


 一か月ほど前、冒険者達の間で噂になった人物がいる。

 また別の使徒なのかどうか、咲弥にわかるすべはない。

 噂のほうの使徒は、上級冒険者に無傷で完勝したようだ。


 今回の使徒は、死の狂姫を撃退している。

 その事実から、咲弥は苦い思いを抱かずにはいられない。

 自分は使徒として不出来――そう思わざるを得なかった。


(きっと……本当に凄い人達が、選ばれてるんだ……)


 自分が選ばれた理由が、いまだによくわからない。

 このままでは、ほかの使徒が先に邪悪な神を討つだろう。

 そうなれば、もとの世界にはもう二度と戻れない。

 迫る激しい焦燥感に、咲弥の胸が圧迫された。


「おぉい! 咲弥! これも運んでくれぇ!」 

「あ、はい! すみません!」


 仕事を少しさぼってしまい、咲弥は自分をたしなめる。


(今は……自分にできることだけを、考えよう……)


 たとえほかの使徒に、大きく後れを取っていたとしても、諦めるにはまだ早い。

 最終的に邪悪な神を討った者だけが、願いを叶えられる。

 そのときが来るまでは、前へ前へと進んでいくしかない。


 冒険者資格取得試験の、エントリー期限が刻々と迫る。

 あともう、一日分もない――




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