第二話 これから先の未来
すでに王都レイストリアは、黄昏色に染められていた。
その時間帯から、酒場は一気に賑わう。
大勢の冒険者が、雪崩のごとくやってきたのだ。
「あ、いらっしゃいませっ! 空いている席へどうぞ!」
咲弥は着慣れない格好をして、訪れた客を誘導した。
今はタキシードみたいな制服を着ている。その両手には、料理をたくさん乗せたトレイを持っていた。
当然、これまで働いた経験など一度もない。
未経験のため、配膳と接客を任されたのだ。
「そこの可愛いお嬢ちゃん! 酒を持ってきてくれぇい!」
銀髪を綺麗に整えた紅羽が、無言のままに進んだ。
紅羽は現在、メイドみたいな制服を着させられている。
ふわりとした意匠は、彼女にとてもよく似合っていた。
一つ、不可解――いや、完全にミリアの好みに違いない。
ほかの女店員と色合いは同じなのだが、紅羽の制服だけが明らかに異質だった。
ほかはもう少し、ぴっちりとした制服なのだ。
「おぉい、嬢ちゃん! こっちにも酒を頼む!」
「お嬢さん、こちらにも! お酒を持ってきてください!」
紅羽の仕事量だけが、ほかと比べてあまりにも多い。
新人だからというよりは、単純に可愛いからなのだろう。
さきほどから、ひっきりなしに男達が酒を注文していた。
紅羽はただ黙々と、手際よく酒と料理を運び続けている。
「おい、兄ちゃん。早く料理持ってこいや! オラァッ!」
「す、すみません! ただいますぐに!」
咲弥もひたすら、注文された品を運んでいった。
そうしてまた、酒場の扉が開く音が鳴る。
「いらっしゃいませ! 空いている席――ぅへっ?」
咲弥は石像のごとく硬直した。
赤髪の美人が、半目でじっとりと睨んできている。
傍にはゼイドとロイのほか、ミリアの姿もあった。
「……あんたさ、何してるわけ?」
「ああ、いや……ちょっと、事情が……その……」
「はっはっはっ! なかなか、似合っているじゃないか」
ゼイドは豪快に笑った。
隣にいるロイは、憔悴しきった顔をしている。
「あんたさ、自分の状況わかってる? あと三日もないの。三日!」
咲弥は額を、ネイに何度もつつかれた。
咲弥の頬に冷や汗が流れ落ちる。
「いや、わかってはいますが……あの……」
「やぁあん! 何度見ても、やっぱり可愛いわぁん!」
紅羽のほうへ、ミリアは軽快な足取りで歩み寄る。
ネイは額に手をあて、げっそりとしたため息を漏らした。
「言うの、忘れてたわ。あの人……無類の女好きなのよ」
「へ……?」
「別に変な意味じゃなく、単純に可愛いものに目がないの」
そうなのだろうと、咲弥は薄々感づいてはいた。
出会ったときから、紅羽への態度が明らかにおかしい。
「まっ、いいわ。とりあえず、酒を持ってこぉい!」
「ネイさん。あまり酔わないでくださいよ」
「わかってらぁ! 持ってこぉーい!」
しばらくして、酒場の流れも緩やかなものになる。
大柄で強面の店主――マスターから、咲弥と紅羽は休憩と賄いを貰った。
ネイ達のいるテーブルの席に、咲弥達は腰を落ち着ける。
「ほれ。二人とも、お疲れさん」
ゼイドがリャタンを、咲弥と紅羽に差し出してきた。
咲弥は目を丸くして、お礼を告げる。
「あ、ありがとうございます。ゼイドさん」
「なぁに。ただの差し入れだ」
ゼイドは仕事に関しては厳しめだが、凄く面倒見がいい。
しかも、よく気が利くのだ。
まるで父親に近い雰囲気がある。
「あ、そうだ。そちらは、どうでしたか?」
「うぅ……ん……」
ゼイドは気まずそうに唸った。
ネイが口の中の物を、ごくりと飲み込んでから述べる。
「冒険者ギルドの長に、話をと思ったんだけれど……どこをほっつき歩いてんのか、どっこにも姿を現さないのよね」
「まあ、もとから……変わった人ではあるからなあ」
ネイとゼイドは、二人揃ってため息をついた。
「でっ……どうして、こんなところで働いてるわけ?」
「ああ、その……手持ちがちょっと厳しかったので、最初は魔物でも狩って、お金を稼ごうかと思ったんですが……」
咲弥は食事の手を止め、真摯な姿勢で伝える。
「いつまでも、ゼイドさんやネイさんに、負担をおかけするわけにもいきません。自分でできることぐらいは……自分でやらなきゃって、そう思いまして」
「――で、私がここを勧めてあげたの。ねぇ、紅羽ちゃん」
紅羽の真横に座っているミリアが、会話に割り込んだ。
やや乱れた紅羽の銀髪を、ミリアが綺麗に整えている。
紅羽は何事もないかのように、淡々と食事を進めていた。
そんな二人を、咲弥はやや引き気味に見守るしかない。
「とまあ……これで一応、食費と宿代は問題なさそうです」
うんうんと、ゼイドは頷いた。
「冒険者になるまでは、それも悪くない手ではあるな」
「そうですね。なれればいいんですが……」
咲弥は重い声で続けた。
「あれこれ調べるには、冒険者になるのがやっぱり必要だと感じました。選択の幅が、狭まってしまうみたいですから」
「身分証の一つさえあれば、簡単に話が進むのに……」
ぼやいたネイに、咲弥は苦笑を送った。
「ははは……すみません」
「ないものを言ったところで、もう仕方がないさ。問題は、どう試験のエントリーに間に合わせるか。って、ことだな」
「それが、果てしなく難しいのよ……」
ネイは短いため息をついた。
「一番手っ取り早いのは……ここの国の人間として、国籍を取得することね。まあそれにしたって、三日間じゃ無理よ」
「この国で生まれたっていう明確なものがなけりゃ、なんやかんやで、三か月から半年ぐらいはかかってしまうからな」
「無国籍とはいえ……生まれた国自体はあるみたいだから、無理に国籍を取るのも、どうかとは思うけれどもね……」
どんよりとした空気に、場が満たされる。
グラスに入った酒を、ネイが一気に飲み干した。
「ぷはぁ……となれば、やっぱり推薦って形しかないのよ」
「僕は別に、この国の人間になっても構わないんですが……やっぱり、結構……時間はかかってしまうんですね……」
「私も咲弥様と同意見です。別に、どこでも構いません」
紅羽が咲弥に賛同するものの、土台無理な話ではあった。
国籍を取得した頃には、試験はとうの昔に終わっている。
ミリアが猫なで声を出した。
「紅羽ちゃんなら、私の妹として家系に入ってもいいのに」
「いいえ。遠慮しておきます」
「ツンツンしちゃって、可愛いぃ~」
リャタンをストローで吸い、紅羽は無言になる。
これには一同、苦笑いが漏れた。
咲弥はふと、ロイの状態が気になる。
さきほどから、机に突っ伏していた。
「ところで、ロイさん。大丈夫ですか?」
「やれることは、全部やってやったぜ……」
姿勢を変えないまま、ロイは答えた。
ネイが呆れ顔になる。
「情けないわね。審査の一つや二つで」
「俺の人生がかかってんだ! 人生がよぉ!」
ロイはがばっと立ち上がり、虚空を見上げて主張した。
就職先を勧めたゼイドが、ロイに問いかける。
「手応えのほうは、どうだったんだ?」
「わからねぇ……もう、何もわからねぇ! もしかしたら、あのときの応対だとか、所作だとか、考えたらキリがねぇ」
ネイとゼイドが、渋い顔でロイのほうを見つめた。
「だめだわ、こいつ……病気ね」
「人手不足らしいから、なんとかなりそうではあるが……」
咲弥は食べ物を呑み込んでから、何気なく励ました。
「大丈夫ですよ、ロイさん。なんとかなりますって」
「気休めはよせ! 今の俺には効く」
「ははは……」
今は何を言っても、彼の気休めにはならないのだろう。
ゼイドが腕を組み、ゆったりとした声を紡いだ。
「とりあえず、こっちは任せてくれて構わない。おそらく、何かいい方法があるはずだ。それさえ、見つかれば……」
「助力はするけれど、あんたのほうでも少しは頑張りなよ。働くのは夕方から――それまでは、試験を受けられるための伝手を探る。いい? わかった?」
これから先は、自力で生きていかなければならない。
面倒を見てくれたネイ達には、心から感謝しかなかった。
ゼイドとネイに向かい、咲弥は改めて頭を下げる。
「本当に、お二人には……感謝してもしきれません。本当は冒険者としては……これも、よくないことなんですよね」
「なあに。乗りかかった舟だ。最後の最後まで付き合うさ。言っておくが、これはボランティアなんかじゃないからな」
「え?」
咲弥は顔を上げ、軽く微笑むゼイドを見据えた。
「未来の冒険者仲間への、手助けみたいなもんだ――困った仲間を助けるのに、ボランティアも何もないだろ?」
「ゼイドさん……はい。ありがとうございます」
また王都で、チームを組もう――
ゼイドに出会って間もない頃、そう言われた記憶がある。
あのときは、ただの社交辞令に過ぎないと思った。しかし今回の言葉から、あれはゼイドの本心だったと知り、咲弥は嬉しさのあまり泣きそうになる。
「とっとと冒険者になって、私に楽させてちょうだい」
「え、あ、え? は、はい……」
冗談か、本気か。
ネイの本心は、まだわかりそうにない。
「おぉーい。そろそろ、仕事を再開するぞ」
マスターの野太い声が聞こえた。
咲弥はさっと立ち上がる。
「すみません。それでは、もう一仕事行ってきます」
「おう。頑張れよ」
「酒、持ってこぉい!」
「いや、ほんと……ネイさん。変に酔わないでくださいよ」
「大丈夫だい!」
その言葉は、まるで信用できなかった。
とはいえ、咲弥は仕事をしなければならない。
「それでは、行ってきます」
全員に見送られ、咲弥は紅羽と仕事に戻った。
しばらく配膳を繰り返したのち、皿洗いへと移行する。
最初に、紅羽が店を上がった。
少し遅れてから、咲弥はマスターに呼び出される。
「ご苦労だったな。今日は、これで上がっていいぞ」
「あ、はい! お疲れ様でした」
「最初にしちゃあ、かなり頑張ったな」
「いいえ。いきなり雇ってくださって、感謝しています」
強面のマスターは、にこやかに笑った。
「いい新人が入った。ほれ。これは、今日の分だ」
マスターから差し出された封筒を、咲弥は受け取った。
「本当にありがとうございます。助かりました」
「それじゃあ、また明日の夕方頃にでも頼むぞ」
「はい! お先に失礼します!」
どこかで紅羽が、きっと待っているのだろう。
咲弥は急いで私服に着替え、酒場のホールに出た。
しかし、紅羽の姿はどこにも見当たらない。
確認のため、咲弥は表に出てみる――すでに上がっていた紅羽が、肌寒い空の下、ずっと待ち続けていた様子だった。
「待つなら、酒場の中で待っててくれたらよかったのに」
「いいえ。少し……夜風を浴びていました」
「といっても、夜はかなり冷えるじゃないか」
「そうですね」
紅羽は見上げ、空のほうを見た。
咲弥は小さなため息をつく。
「でも……待っててくれて、ありがとう」
紅羽が顔を向け、そっと微笑んだ。
「はい」
時折見せる微笑みに、いつもドキッとさせられる。
普段が無表情なだけに、可愛さが際立つのかもしれない。
咲弥は我を取り戻し、紅羽を気遣った。
「それじゃあ、早く東レイストリアに行こう」
「了解しました」
咲弥と紅羽は、宿屋がある東レイストリアへ向かった。
冒険者ギルドと酒場は、東レイストリアに近い場所にある――それほど遠くはない。普通に歩いていける距離だった。
しかもこの時間帯は、人の行き来が少なく歩きやすい。
昼間の喧騒が嘘のように、静まりかえっている。
噴水のある小さな広場には、まだ人の気配があった。
弦楽器を奏でる者や、人と会話をしている者――中には、カップルだと思われる者達も、ちらほらと見受けられる。
(そういえば、今日はほとんど、紅羽と二人だったんだな)
いまさらながらに、妙に意識する。
この世界に来てからというもの、苦難の連続であった。
だから浮ついた考えなど、あまり持った記憶がない。
(もとの世界でなら……もっと喜べてたのかな……)
ふと、そんなことを考える。
紅羽の容姿は、本当に現実離れしたような美しさがある。
酒場での人気が、その証拠だともいえた。
そんな美少女と出会い、ずっと行動を共にしているのだ。
もう少しまともな状況であれば――咲弥は首を横に振る。
勝手に変な妄想をしてしまい、心の中で紅羽に謝罪した。
(今は、冒険者になることだけを考えなきゃ……)
やらなければならないことがある。
咲弥は、そう心に決意を秘めた。
しばらく歩くと、宿屋らしき建物に辿り着いた。
「あ、そうだ。今回いくら貰えたのか、確認しとかなきゃ」
咲弥は封筒を手に取り、中身を覗いた。
四〇〇〇スフィアが入っている。宿代が一〇〇〇として、食費に五〇〇使ったとしても、まだ二五〇〇は残る計算だ。
最低でも一食分は、酒場の賄いで済ませられる。
贅沢さえしなければ、少しずつでも貯めていけるだろう。
隣で同じように、紅羽がお金を取り出した。
(……僕以上に頑張ったのに、同じ金額なんだ……)
心の内側で苦笑して、咲弥は封筒にお金を戻した。
「それじゃあ、入ろうか」
「はい」
中に入ると、綺麗な女が受付でぼんやりとしていた。
咲弥達のほうへ、女が視線を向けてくる。
「おや、若いお客さんだね。宿をお求めかい?」
「あ、はい。二名ですが、部屋は空いていますか?」
「一緒の部屋でいいかい?」
「いっ?」
奴隷時代には同室だったが、今は奴隷でもなんでもない。
さすがに異性と同室は、かなり気まずい。
「ああ、いえ……別々で、お願いします」
「そう。なら一人、一〇〇〇スフィアだ。構わないかい?」
ミリアの予想は的中していた。
「はい! 大丈夫です」
咲弥は封筒から、二〇〇〇スフィアを取り出した。
紅羽も取り出そうとしたが、咲弥は手で制する。
「いいよ。紅羽のほうが忙しかったんだ。僕が払うよ」
「自分のものは、自分で支払えます」
「本当にいいよ。いつもお世話になってるし、そのお礼だと思ってくれていいから。だからここは、僕が全部払うよ」
紅羽はじっと固まったあと、こくりと頷いた。
「ありがとうございます」
「うん」
店番の女が、咲弥から二〇〇〇スフィアを受け取った。
「それじゃあ、部屋に案内するからついておいで」
奴隷生活から脱却後、夜は常に誰かが傍にいた。
その日の夜――
咲弥は久々に、一人だけの夜を過ごした。