第一話 所持金の悲鳴
南レイストリアにある公園には、いろいろな人達がいた。
会話を楽しむ人達に、運動や休憩をして過ごす者もいる。のびのびとした雰囲気に、みんな心が癒されているようだ。
その中で、咲弥はどんよりとした空気を醸していた。
道の脇にあるベンチに座り、周辺を眺めては空を仰ぐ。
飛行機らしき大船が、遠い空をいくつか翔けていた。
まともな状態で見れば、きっと驚倒していたに違いない。
今の咲弥には、まったく感情が揺れ動かなかった。
(あぁーあ……やっちゃったなぁ……ほんと……)
悔恨の念のみが、咲弥の胸をいっぱいに満たしていた。
今現在――咲弥達が試験へのエントリーが不可だと知り、ネイとゼイドが、何かいい方法がないか探ってくれている。
ただ結局、身分証がなければ、その制限はかなりひどい。
最初は密入国や不法滞在など、懲役か国外追放の可能性を懸念したが、どうやらそういうことは特に発生しなかった。
この世界では、そもそも無国籍者がとても多いらしい。
主な理由は魔物による被害なのだが、他種族での問題から領地問題と、ほかにもさまざまな理由が存在するようだ。
だが当然、無国籍には相応の不利な点がたくさんある。
国による恩恵を、ほぼ受けられなくなってしまう。
冒険者ギルドに関しても、その内の一つとも言える。
「はぁああ……」
まるで煙が出そうなほど、咲弥は重いため息を吐いた。
隣にいる紅羽は、無言のまま前を向いて座っている。
この重い沈黙を破ったのは、以外にもそんな紅羽だった。
「咲弥様」
「ん……?」
紅羽が紅い瞳で、まっすぐ見据えてくる。
「これから、どうなされますか?」
「ああ……うぅん……」
言葉も予定も、何も浮かんでこない。
想定していた未来から、大きく外れてしまった。
どうすればいいのか、さっぱりとわからない。
「冒険者への道は、もう諦めますか?」
望みが薄いとはいえ、ネイ達が頑張ってくれている。
もし徒労に終わったとしても、そんな状態で諦めるのは、二人に申し訳なさ過ぎる。か細い希望でもすがるしかない。
「いや、それに関しては……ネイさん達を待つよ」
「少々……咲弥様らしくありません」
「えっ……?」
紅羽はどこか寂しそうに、そっと目を逸らした。
「たとえどんな最悪な状況にあろうとも、決して諦めない。私の知っている咲弥様は、そんなお方です。それは……私の勘違いなのでしょうか?」
「紅羽……」
紅羽は前を向き直り、遠くのほうを見つめた。
紅羽から静かな叱咤を受け、咲弥の意識が次第に変わる。
(そうか……そうだよな……)
ただほんの少し、つまずいただけに過ぎなかった。
今回の失態で、道のすべてが閉ざされたわけではない。
無職のロイも、今頃は面接を頑張っているはずだった。
(そう……落ち込んでたって、何も始まらないじゃないか)
咲弥は立ち上がり、大きく深呼吸する。
気持ちを入れ替えてから、紅羽を振り返った。
「そうだね。紅羽……不安にさせて、本当にごめんね。今の僕にできることから、ちょっとずつでも始めてみるよ」
わずかに笑みを浮かべ、紅羽は顔を伏せる。
一度目を閉じた紅羽が、ゆっくり視線を重ねてきた。
「これから、どうなされますか?」
咲弥は腕を組み、しばし黙考した。
試験に関する問題は、ネイ達に任せてある。
それならば、別の情報を探っておくほうがいい。
「王都に来たら、いろいろ調べたいことがあったんだ」
「なんでしょう?」
「一つは、無属性についての情報かな。ほかにも……空白の領域に関する情報と、魔神に関連した情報とかも欲しいね」
「魔神……ですか?」
「うん。ここ最近……魔物が活発化してるって情報が多い。その原因は魔神の復活にあると、僕はそう考えてるんだ」
紅羽は何も言わず、極わずかに不思議そうな顔をした。
「王都なら、たくさんの情報があると思う。僕はもともと、自分の道を決めるために、この王都を目指してたからね」
「そうですか。了解しました」
顎を指で撫で、咲弥は小さく唸った。
「でも……どこへ行けば、こんな情報が手に入るんだろう」
「それも含め、これから探しに行きますか?」
「うん。そうしよう。ついでに、王都のことも知れるから」
紅羽が立ち上がり、とりあえずは適当に歩き始めた。
とにかく、王都の広さは計り知れない。ただ、これだけの広さがあれば、どこかに案内板的なものはあるように思う。
そう考えた矢先、目的の物を発見する。
「うぁっ……こんなところにあったんだ……」
ネイ達と解散したあと、通ってきた道に案内板があった。
周りが目に入らないほど、落ち込んでいたと自覚する。
自身に呆れ果て、咲弥は案内板へと歩み寄った。
「ええっと……今は、ここにいるんだね」
王都は全部で五つに区分され、方角の文字が先頭に入る。
南レイストリアには、冒険者ギルドのほか、別のギルドがたくさんあった。だが、図書館や情報屋的なのは特にない。
ほかの区での詳細図は、現地まで行く必要があるようだ。
(うぅーん……ネットでもあれば、簡単に……あっ!)
咲弥は、はっとなる。
これまで文明の利器とは、かけ離れた生活をしいられた。
そのせいで、思考の外側にあったのは否めない。
冒険者ギルドには、その文明の利器がたくさんあるのだ。
「紅羽。もう一度、冒険者ギルドに戻ろうか」
「なぜですか?」
「もしかしたら、そこで欲しい情報が手に入るかも?」
紅羽は少し固まったあと、曖昧に頷いた。
現在地からは、そう遠くない。
ほどなくして、咲弥達は冒険者ギルドに戻ってきた。
(やっぱり……あった)
フリースペースらしき場所には、数台のパソコンがある。
空いていたパソコンの前に、咲弥は紅羽と並んで立つ。
パソコンの形状は、デスクトップ型であった。ただ咲弥が知っているキーボードよりも、一回りぐらい広くて大きい。
文字の打ち方も、非常に難解そうに感じられた。
モニターには、すでに何かが表示されている。
「ん……? 冒険者カードを、読み込んでください……?」
咲弥は嫌な予感がした。
まさかとは思いつつ、適当にキーボードを操作してみる。
案の定、まったく何の反応も示さない。
「うわぁ……そうか……冒険者専用なんだ……これ……」
咲弥は大きくうな垂れる。
消えた利点の一つが、このパソコンに違いない。
やはり冒険者にならなければ、選択肢が乏しくなるのだ。
「咲弥様。これはなんでしょうか?」
「これは、パソコンだよ――」
「パソコン……?」
咲弥は、紅羽に簡潔に説明した。
「――僕の求めるデータ……記録、だね。それがおそらく、この中にあると思う。たとえば、無属性と検索をかければ、関連した情報がモニターに表示されるんだ」
頭の中で情報を整理しているのか、紅羽は沈黙した。
咲弥は彼女の整理が終わるまで、静かに待ち続ける。
「……つまり、書物みたいなものなのですね」
「ああ、そうだね。自動的に選ばれた書物って感じかな」
「あらまあ? 君達は……?」
聞き覚えのある、おっとりとした女の声が聞こえた。
背後を振り返ると、やや遠くに青髪のミリアがいる。
「あ、ミリアさん」
「どうしたの? こんなところで」
間延びした口調で言い、ミリアが近づいてきた。
「あ、いいえ……パソコンが使えるかと思ったんですけど、冒険者専用だったんですね。これ以外で、一般人でも使える方法とかはありませんか?」
人差し指を唇に添え、ミリアは短く唸った。
「なくはないけれど……冒険者専用のものとは違って、情報規制されているものもあるわよ? 何を調べたいのか、まだ知らないけれども……」
「えっ……情報……規制、ですか?」
「重要な情報や、簡単には手に入らない情報とか……まあ、本当いろいろねぇ。でも、冒険者にさえなれば、等級とお金次第では開示が可能よ」
ミリアの説明に、咲弥は絶句を余儀なくされた。
かなり嫌な疑問が、漠然と思い浮かんだ。
「もしかしてですが……その情報規制って、書物やなんやも対象なんですか?」
「ええ、もちろん。そうなるわね。そうでなければ、規制の意味がないもの。たとえば……書物なら、認められた者しか入れないエリアに保管されているとか」
咲弥は足から力が抜け、危うく崩れかけた。
冒険者にならなければ、手に入れられない情報が存在する――それは貴重な情報と同時に、絶望的な情報でもあった。
王都に着いてから、まったく前進できていない。
もはや、八方ふさがりであった。
ミリアは、ゆっくり両手を重ね合わせる。
「そうだ。私これから休憩なの。ご一緒にどうかしら?」
「え? あ、あの……」
「お姉さん、奢ってあげるから。ついておいで」
紅羽の背後に、ミリアは軽快に回り込んだ。
こちらの返答を聞く前に、紅羽の肩を押して進む。
重いため息を漏らしてから、咲弥はミリア達を追った。
冒険者ギルドのすぐ隣に、飲食物を提供する酒場がある。
咲弥達は数あるテーブル席の一つに着いた。
「好きな物、なんでも頼んでいいからね」
「ああ、はい……ありがとうございます」
メニューを見るが、正直あまりよくわからない。
これまではずっと、ネイやゼイドが注文してくれていた。
だから品名からでは、どんな品なのかピンとこない。
ただ、一つ――
(あ、これ……リャタンナってところの、飲み物だっけ)
一か月ほど前、ゼイドに勧められて飲んだ記憶がある。
「では、このリャタンをお願いします」
「ええ。いいわよ。そちらの可愛いお嬢さんは?」
「咲弥様と同じ品で構いません」
「ふふっ。遠慮しちゃって……わかったわ」
注文してから、ほどなくして商品が運ばれてきた。
ミリアは紅茶的な品を頼んだらしい。
そしてリャタンのほか、少し豪華そうなパフェも届いた。
「えっ……あの、ミリアさん?」
「遠慮しないで、召し上がってね」
ミリアの配慮に、咲弥は申し訳なくなる。
紅茶を嗜んでいるミリアに、咲弥は小さく頭を下げた。
「すみません。いただきます」
「どうぞ」
ストローをくわえ、まずリャタンを飲んだ。
かなり甘い炭酸のオレンジジュースなのだが、謎に後味はさっぱりとしている。
最初はお酒に似た匂いが、個人的に受けつけなかった。
(久々に飲んだけど……これ、本当に美味しいや……)
咲弥は次に、あまり食べた経験のないパフェを口にする。
ただ単純に、甘いというだけではない。多種類の果物が、それぞれを絶妙に生かし合い、また溶け合っている。
食べる場所によっては、まったく別の味に変化していた。
(いろいろ入ってて……これも、かなり美味しいなぁ)
咲弥は心の内側で驚き、ふと紅羽に目を向けた。
無表情のままパフェを睨み、ゆっくりと食べている。
彼女の口に合っているのか、咲弥は少し気になった。
「……ところで、ネイとはどういった関係なの?」
ミリアの唐突な質問に、咲弥は小首を傾げる。
「どうって……えっと、そうですね……恩人、ですかね?」
「恩人?」
ネイとの出会いから、咲弥は簡潔に語る。
ただ気づけば、これまでの経緯を事細かに説明していた。
ミリアは問い方が非常に上手い。
特に話してはいけない内容だとも思えなかった。
咲弥は訊かれた話には、素直に答え続ける。
あらかた語り終え、ミリアは小刻みに頷いた。
「そう。君達……結構、大変な目に遭ったのね」
「いいえ……皆さんがいてくれましたので、助かりました」
ミリアは柔らかい微笑を見せた。
「そうだわ。ところで君達、これからどうするのかしら」
「今は、ネイさん達を待つしかないかと……」
「いいえ。そうではなく、もっと目先の話ね」
「目先……?」
ミリアの意図が呑み込めない。
咲弥が考えていると、ミリアはくすりと笑った。
「ここまで来て、まさか野宿ってわけでもないでしょう?」
「はぁっ……!」
咲弥は思わずうめき、がばっと立ち上がった。
ずっとネイ達に頼りきっていたため、うっかりしていた。
「ミリアさん。この付近の宿代っていくらぐらいですか?」
「んぅ……安ければ一泊、一〇〇〇スフィアだったかしら。ごめんなさいね。利用した経験がないから、正確には……」
紅羽の分も含め、二〇〇〇スフィアを失う計算となる。
現在の手持ちは、四〇〇〇しかない。食費など関係なく、咲弥の財力では宿代の二日間で、全財産を失ってしまう。
そもそもの話、王都を訪れたら、まず仕事か何かでお金を稼ぐつもりだった。
一度つまずいてからというもの、思慮が欠け過ぎている。
その場に直面しなければ、何にも気づけないでいた。
ただ今回ばかりは、落ち込んでいる場合でもない。
「やばい……お金をどうにかして、稼がなきゃ……」
「魔物でも狩りに行きますか?」
紅羽の提案に戸惑いつつ、咲弥は悩んだ。
生き物の命を奪うのは心が痛む。
だが選べる選択肢など、そう多くはない。
「そう、する、しか……なさそうだね」
「ふふっ。まるで、冒険者みたいなことをするのね」
ミリアはくすりと笑った。
微笑むミリアを見据え、咲弥は言葉を返す。
「それぐらいしか、稼ぐ方法が思いつかなくて……です」
「この王都なら、ほかにもいっぱいあるのに……?」
「えっ?」
ミリアは立ち上がり、両手を合わせながら首を傾げた。
「よぉし。ちょっと、お姉さんに任せておきなさい」
ミリアが何を考えているのか、よくわからない。
咲弥はひとまず、ミリアの思いつきに乗ることにした。