第零話 王都レイストリア
王都レイストリア――壮観な王城は、中央にそびえ立つ。
王城を囲う城壁から、まるで波紋のごとく城下町は大きく広がる。その城下町もまた巨大な壁や川によって、いくつか仕切られている様子だった。
王族や貴族、または民としての位が高い者ほど、城に近い場所に居を構える。
基本的には身分が低い者ほど、外側に住む仕組のようだ。
だから、王都全体を囲む壁はない。ある種、建ち並ぶ民の家々が、王都の中央を護る壁の役割を担っているのだろう。
そんな王都の最外層付近――
丸々と太った大荷物を背負う、黒髪の少年がいた。
赤いシャツの上に黒革のジャケット、紺色のズボンに黒いブーツと、どこか服に着られるといった装いをしている。
「うわぁあ……ここが、王都レイストリアですか!」
咲弥は感嘆の声を放ち、ずっと遠くのほうまで眺めた。
王都では大勢の人が行き交い、そして大賑わいしている。ここは人間と獣人のほか、別の種族もあちこちで見られた。
しかも、機械的な代物や乗り物までたくさんある。馬車もあるにはあるのだが、それより機械的な代物のほうが多い。
文明力が途端に上がり、それも驚きの要因となっていた。
「やっと、王都に……辿り着けたんですね……」
ついに念願の王都を訪れ、咲弥は感動に打ち震えた。
赤髪を後頭部で束ねている女、ネイがひらりと振り返る。
ネイは胸元や脚と、少し目のやり場に困る服を着ていた。
身軽そうな軽装を好む彼女は、まだ十六歳と若い。
咲弥の一つ上とは見えないくらい、かなり大人びた綺麗な顔立ちをしていた。
「冒険者ギルドがあるのは、この南レイストリアよ。ほら、感動するのは後にして、まずはギルドのほうに行くわよ」
透き通った声で言い放ち、ネイは軽快な足取りで進んだ。
凛とした美人の背を、咲弥はやや急ぎ足で追いかける。
ネイの隣に、身長が二メートルを超える熊型の男獣人――ゼイドがすっと並ぶ。
彼もまた、露出度の高い格好をしている。
しかしそれには、ある特別な理由があった。
ネイの格好は、単純に彼女の好みでしかない。だが獣人は誰しもが、昇華と呼ばれる特殊な変身能力を秘めている。
下手な服でははち切れるため、軽装をする者が多いのだ。
「王都のギルドに戻るのは、なんだか久しぶりだなぁ」
ゼイドとネイは、冒険者ギルドに所属する冒険者だった。
きっと幾度となく、王都を訪れているに違いない。
ゼイドはしみじみとした声音で、誰にとなく呟き続けた。
「なんだか、知らない場所にでも来た気分だ」
「そういえば、あんた。結局、王都に帰れなかったもんね」
ネイの発言を聞き、咲弥ははっとなる。
ゼイドの帰還が遅れたのは、確実に咲弥のせいであった。
「すみません……いろいろ、ご迷惑をかけてしまって……」
「なあに、問題ない。少し寄り道したようなもんだからな」
「本当に、ありがとうございます。ゼイドさん」
いかつい見た目に反して、ゼイドは本当に面倒見がいい。
王都まで無事に辿り着けたのも、彼が八割方、貸しとして援助してくれたからなのだ。残りの二割は、馬車の手配から王都への経路を考えたネイとなる。
二人は咲弥にとって、頭の上がらない恩人と言っても差し支えはない。
不意に背後から、ぶつぶつと呟く声が聞こえてくる。
「やっぱり面接するなら、服装は整えたほうがいいのか……いや、冒険者ギルドだし、逆に自分を推すのも悪くないか。んぅー、でもなぁ……」
硬派な印象があるロイに、咲弥は肩越しに視線を移した。
栗毛に指を通し、彼は頭を雑にかきむしっている。
王都までの道中、ゼイドと同じ十九歳なのだと知った。
硬派な見た目のせいか、もっと年上に感じられる。
そんなロイが、今はがちがちに緊張しきっていた。
「……大丈夫ですか? ロイさん」
「いやぁ……面接を考えると、やっぱ怖気づいちまうぜ」
「その気持ち、わからなくもないです」
「はあ……ここで、無職から脱却しねぇとなあ……」
無職を嘆くロイに、咲弥は苦笑を送った。
突然、咲弥の腕が強く引っ張られる。
前方への不注意から、危うく人とぶつかりかけたのだ。
「咲弥様。しっかり前を向いて歩いてください」
神々しいまでの美貌を持つ、紅い瞳をした銀髪の少女――紅羽は抑揚があまりない口調で、そう注意を飛ばしてきた。
注意されていながら、少しだけ彼女に見とれてしまう。
紅羽はどこか神秘的な、清楚感に溢れた格好をしている。白と黒を基調とした意匠は、彼女にはとても似合っていた。
実年齢は不明だが、身長は自分とさほど変わらない。
だから年齢も差がないだろうと、咲弥はそう感じている。
咲弥は、はっと我を取り戻した。
無表情で見据えてくる彼女に、咲弥は素直に謝罪する。
「ごめんね、紅羽。ありがとう。助かったよ」
「はい」
返事をしたあと、紅羽は前を向き直った。
彼女の横顔に少し見惚れてから、咲弥は周囲を観察する。
現在いる付近では、屋台や露店などがたくさんあった。
喧騒が凄まじく、商人が声を張って客を呼び込んでいる。
武器や防具に加え、謎の怪しげな商品も置かれていた。
そのせいか、ここは冒険者らしき格好の者が多い。
さらに、スマートフォン――通信機と呼ばれる携帯機器を扱っている者達が、視線を流すだけでもあちこちにいた。
これまで訪れた村や町とは異なり、妙な違和感を覚える。
少し歩き続けると、やや遠くに巨大な建物が見えてきた。
建物の中央付近には、見覚えのある紋章が刻まれている。
「あれが……王都の、冒険者ギルド……ですか?」
咲弥は自然と、心の中にある声が漏れていた。
王都に建っているだけのことはある。
まるで城を彷彿とさせる、石造りの立派な建物であった。
「そっ。ここが、王国の総支部――冒険者ギルドよ」
どこか誇らしげに、ネイの凛とした顔に笑みが浮かぶ。
やや長めの階段を、咲弥達はゆっくり歩いてのぼる。
冒険者ギルドの扉は、常に開かれたままだった。
そしてついに、咲弥は冒険者ギルドへと足を踏み入れる。
(わっ……テレビとかパソコンとか、いろいろあるぞ……)
溢れんばかりの電子機器の存在に、咲弥は驚かされた。
ここでは、こうした機器が盛んに扱われているらしい。
「受付は、メインホールの奥にあるからね」
「凄く広くて、なんだか迷っちゃいそうですね」
咲弥は苦笑まじりに、ネイにそう伝えた。
ゼイドが豪快に笑う。
「俺も最初はそうだった。どこに何があるのかさっぱりだ」
「ゼイドさんも?」
「冒険者ギルドだけじゃない。王都全体がまるで迷路さ」
咲弥も遠目から王都を眺めたが、それはあくまで一部だ。
それほどまでに、この王都は広い。
「お前らって、案外……田舎者なんだな」
ロイは苦みのある声音で、そう呟いた。
ゼイドが苦笑を漏らす。
「俺の故郷はかなりのもんだぞ。炭鉱夫達が仕事終わりに、日夜賑わうだけの、なぁんにもない平穏な町だったからな」
「働いて食っていけるだけ、マシってもんさ……」
無職のロイは、がっくりと肩を落とした。
咲弥はゼイドと、同時に苦笑いする。
「その無職も、じきに終わるさ」
「だと……いいんだがなぁ……」
ロイは落胆めいたため息をついた。
そうこうしている間に、受付らしき場所までやってくる。
冒険者ギルドの受付嬢は、綺麗というよりは、可愛らしい女であった。長そうな青髪を後頭部で綺麗にまとめており、かなりおっとりとした顔立ちをしている。
「あらあら、まあ……お帰りなさい。ネイ」
「ただいま。ミリア」
受付嬢のミリアは、見た目通りの緩い口調をしていた。
しかし少し間延びした口調は、彼女によく似合っている。
受付のカウンターに、ネイが両腕を乗せた。
ミリアはおっとり顔に、優しい微笑みを湛える。
「ふふっ。珍しいわね。あなたが、こんな大所帯だなんて」
「まあね……ところで、ミリア。確かもうそろそろ、冒険者資格取得試験の時期よね? 今年は、いつ開催されるの?」
「んぅ……っとぉ……」
手元にあるパソコンを、ミリアは手際よく操作する。
カタカタと打ち込み、モニターのほうを見つめていた。
「……十日後の七月十日ね」
「十日……? はあ……やっぱり、ぎりぎりだったわね」
「どなたが、試験を受ける予定なのかしら?」
「あっ、僕です」
ネイの後ろにいた咲弥は、ミリアが見える位置に出た。
ゼイドの後ろ辺りにいた紅羽は、その咲弥の隣に並ぶ。
「私も」
「坊やと、まあ……まあまあ。とっても可愛いお嬢さんね」
紅羽を見てから、ミリアの声色が途端に変化した。
「あんま、舐めちゃだめよ。こう見えてこの二人、アラクネ女王や猩々とかも討伐できる、結構な実力者なんだから」
ネイは不敵な笑みで、そう紹介した。
ミリアは目を丸くさせ、手を口の前に添える。
「あらまあ……そうなの? じゃあ、将来有望ね」
「でもこっちは、私の荷物持ち君なんだけれどもね」
不思議そうな眼差しで、ミリアは小首を傾げた。
「……あなたがそこまで入れ込むだなんて、少し意外ね」
「そりゃあ、だって……将来有望だからねぇ?」
友人関係なのか、ネイとミリアは仲がよさそうに感じた。
ミリアは肩を竦める。
「それじゃあ、二人を試験にエントリーすればいいのね?」
「ええ。お願いできる?」
「任せてちょうだい。じゃあ、君達――」
ミリアに呼ばれ、咲弥は少し緊張する。
「あ、はい!」
「身分証か、国籍証明書を提示してくれるかしら?」
そのとき、咲弥の思考は完全に停止する。
我を取り戻すなり、咲弥は悲鳴じみた声を出した。
「……えぇえええっ?」
まさかの展開――考えてみれば、至極当然の話だった。
素性の知れない不審者を、組織に加入させるわけがない。
今まで想像すらしなかった愚かさに、咲弥は呆れ果てた。
「あのぉ……えっとぉ……そのぉ……」
どう取り繕えばいいのか、言葉が何も思い浮かばない。
身分証など、この世界に存在するはずがないからだ。
「そんな物は、持っておりません」
隣にいる紅羽が、そっけない声で言い放った。
この世界で生まれ育った者でも、持っていない者がいる。
仲間を見つけたからか、咲弥は妙にほっとした。
「す、すみません……僕も、持っていません……」
場の空気が一気に凍りついた。
周囲の喧騒が、かき消えるほどの沈黙に包まれる。
「……へっ? ちょっと、どういうこと?」
最初に口を開いたのは、ネイであった。
半目で睨みながら、ネイがぐいぐいと顔を近づけてくる。
「ああ……いや……その……えっと……」
「遠い海の向こうから来たとか、あんた言ってなかった?」
初めて出会った頃に、そんな言い訳をした覚えがあった。
ネイの記憶力に、咲弥は脱帽するしかない。
「出自がわかる程度の、簡単な証明書でいいんだぞ?」
ゼイドの発言に、咲弥は何も応えられない。
全身から嫌な冷や汗が、だらだらと流れ落ちる。
ミリアが、穏やかな声で述べた。
「困っちゃったわね。最低限の身分証すら持っていないと、試験へのエントリーすら……もしかして、無国籍?」
怪訝そうに、ミリアは小首を傾げた。
咲弥は吐き気を覚えるくらい、ひどい焦燥感に襲われる。
あまりに状況が特殊過ぎて、対処方法が何もわからない。
「私は奴隷として、この国へと入って来ました。ですから、どのような手続きがされていたのかは、まったく不明です。そもそも、最初から無国籍だと思われます」
「あら、そうなのね……? 可哀そうに……」
ミリアは優しい声音で、紅羽を慰めた。
紅羽の時だけ、声色がかなり変化している。
「僕もある種……それに近いというか、全然違うというか」
実際のところ、似て非なるものに違いない。
この世界の大陸へと――天使に放り込まれたのだ。
「あの……ほかに何か、手は……ないんでしょうか?」
「あんたは国名さえわかれば、取り寄せられるでしょうが」
ネイの言うその国名は、こことは別の世界にしかない。
咲弥は錯乱状態まま、ネイに言葉を返した。
「ちょっと、事情が複雑というか、かなり特殊というか……それが、できない状態なんです……どうしましょう……」
人差し指を立て、ミリアは自身の唇に当てた。
「ほかの方法となると――上級冒険者、あるいは身分の高い王族や貴族とかの推薦状があれば、可能かしらねぇ。つまりその人が、推薦した方の保証人という形になるの。ただ上級冒険者の場合、最低でも五名の推薦が必要となるわ」
難易度が激しく高そうな条件に、咲弥は絶句する。
そんな知り合いはおらず、現時点では無理難題であった。
ミリアは困り顔で、小首を傾げる。
「いずれにしても……三日後の午後三時までにエントリーをしなければ、次に開催されるのは、一年後になるのよねぇ」
「い、一年後……ですか」
さすがに一年間も、ぼんやりとは過ごせない。
邪悪な神を討つという使命を、咲弥は背負っている。
もとの世界へ帰るためには、それしか方法がないからだ。
(こんなの……どうすれば……)
これではもう、冒険者の道を諦めるほかない。
咲弥はがっくりと肩を落とした。
邪悪な神を討つためには、おそらく冒険者になったほうが何かと利点は多い。
その利点のすべてを、失うはめとなる。
思慮の足りなさが原因だが、出鼻をくじかれてしまった。
「咲弥様……?」
紅羽の言葉も耳に届かないほど、咲弥は落ち込んでいた。
その場でただ、悲しみに明け暮れるしかなかったのだ。