第?話 狂った運命の歯車
森の中にある小さな村では、祭りが催されていた。
中央に組み立てられた木々を焚き、大きな炎を生みだす。その巨大な焚火を村人達は取り囲み、楽器を手にして歌い、そして踊るのだ。
村からやや離れた丘の草地で、足を広げて座る若い男――
赤黒い髪と瞳を持ち、その眼差しはとても鋭い。決して、品性が感じられる容姿とは言えなかった。それはこれまで、彼が歩んできた人生のせいでもある。
幼い頃に戦争で家族を失い、天涯孤独の身となって以来、上品な世界とは無縁の場所で、生きるほかなかったからだ。
その男の名は、ジオ・ラグナスといった。
(赤い火……ぼうぼうの火……なんだか、温かそうだ)
賑わう村の様子を、ただぼんやりと眺めた。
ジオが生きてきた国でも、類似した祭事はある。参加した経験は一度もないが、精霊を崇めるためのものであった。
云われているだけで、実際に精霊がいるのかは知らない。
(この新世界でなら、本当に精霊とかもいそうだよなぁ)
ジオのいた惑星では、伝承扱いとなっていた存在がある。それが新世界のほうでは、普通に魔物として実在していた。
類似点を探せば、まだいくらでも見つかるに違いない。
まず安心感を覚えたのは、人の在り方についてだった。
心を持ち、思いを言葉で伝え合い、腹が減れば飯を食い、生きていくために多くの物事を、日々こなし続けていく。
人のいる世界は、思いのほか違いはないのかもしれない。
「ふぁああ~ぁあ、あ、あっ」
途端に大きな欠伸が漏れ、ジオは草地に寝転がった。
新世界の月は二つあり、日によって色が変わる。なんでも色は属性を表しており、同属性なら少し力が強まるそうだ。
(星々は変わらねぇが、月は惑星によって違うんだなぁ)
そんなどうでもいい感想を、ジオは心の中で呟いた。
吹き抜ける風が心地よく、うとうとと夢見心地になる。
不意に、後方から気配が差した。
耳を澄ませば、聞き覚えのある足音が聞こえる。
「……やっぱり、今回はここにいらしたのですね」
穏やかな女の声――エリナという同じ年頃の娘だ。
「やっぱり、あんたか。まぁた、抜け出してきたのか?」
「えへへ。すみません。お邪魔でしたか?」
「忙しそうに見えるか? ただごろごろとしてただけだ」
ジオは寝ころんだまま、エリナに目を向ける。
枝を編んだ籠を持ち、おっとりとした顔で微笑んでいた。
長い金髪に青い瞳、そして体の線といい、どれをとっても魅力で溢れている。
どこかの、お姫様ではないのか――そう錯覚しそうだが、着ている服は、あくまでも庶民的な意匠をした格好だった。
おそらくは、生まれ育つ場所を間違えたに違いない。
エリナは風になびく金髪を、耳にかけながら訊いてきた。
「お隣、よろしいですか?」
「ああ」
エリナはたおやかな所作で、ジオの隣に腰を下ろした。
無言の沈黙が、お互いを行き来する。
エリナはぼんやりとした顔で、村のほうを眺めていた。
「あのさ。あんたは、あれ参加しなくていいの?」
「はい。大事な用が、私にはありましたので」
「ここで、村を見てるだけじゃねぇか」
ジオは苦笑まじりに呟いた。
エリナは綺麗な顔を向け、朗らかに微笑む。
「私には、とても大事な用です。これを、どうぞ」
エリナは両手で籠を差し出してきた。
その中には、数日分の食料が詰め込まれている。
ジオは上半身を起こし、エリナからの支援を受け取った。
「ありがてぇけど、律儀に持ってこなくたっていいんだぞ」
「ジオ様は、命の恩人ですから」
それは新世界に来て、まだ間もない頃――
右も左もわからぬまま、とりあえず飲み水と食料を求め、ふらふらと森の中を、ただずっとさまよい続けていた。
これに関しては、自分の歩んできた人生に感謝している。どんな過酷な状況下でも、生き抜くすべは学べていたのだ。
やっとの思いで辿り着いた泉の傍で、魔物に襲われていたエリナと出会った。
結果的に助けたことにはなるが、少しだけ語弊がある。
天使から強制的に与えられた異能を、お手頃そうな魔物を相手に、ちょっと試したかっただけであった。
理由はどうであれ、エリナは恩義を感じているのだろう。
「ジオ様も……村に来てくだされば――」
「ああ。パスパス」
エリナの言葉を遮り、ジオは片手を振る。
「堅苦しそうだしな。こんな廃墟のほうが性に合ってんだ」
「村の人達は確かに、少し排他的ですが……」
「よそ者に厳しいのは、ほんとどこもおんなじだよなぁ」
「そう……なのですか……?」
「そぉうーなぁのだわよぉー」
言いながら、ジオはまた草地に寝転がった。
ちかちかとした星々を眺めながら、エリナに告げる。
「別にいいんだ。俺は、のらりくらりとしてたいからさ」
また沈黙が訪れたが、長くは続かなかった。
「……ここを離れ、どこかへ旅立つのですか?」
「さあな。今のところ予定はない。どぉうすっかなぁー」
天使が強制した使命は、邪悪な神を討つことだった。
討伐対象が何か、現時点ではまったく判明していない。
仮に判明したところで、討つかどうかはわからなかった。
自分がやらずとも、おそらく残り九名の使徒が、代わりに使命を果たすに違いない。ジオは勝手に、そう考えている。
生か死の二択だったから、生を選んだだけなのだ。
「あんたさ……なんか悩みとかってある?」
「私……ですか?」
「ここには、ほかに誰かがいるのか? まさか、俺にだけは見えない幽霊か?」
「怖い話は、やめてください」
「ははは……幽霊より、魔物のほうが怖ぇと思うんだがな」
エリナは軽く頬を膨らませ、無理した睨みをきかせた。
ジオが苦笑で応えると、エリナは小首を傾げる。
「ジオ様は、何か悩みを抱えていらっしゃるのですか?」
「悩みっつぅか。迷っているっつぅか。なんだろうなぁ?」
「ふふっ……変なジオ様」
ジオはがばっと、また上半身を起こした。
「んで? あんたには、悩みってないのか?」
「私は……」
消え入りそうな声で、エリナは口を閉ざす。
少しして、勇気を出したような声音で言い放った。
「私も……悩みっつぅか。迷っていることがあるっつぅか」
「あはは。なんだ、その下手な口調は」
「ジオ様の真似です。変……ですか?」
「俺も変だし、変な者同士いいんじゃねぇの?」
ジオはエリナと、奇妙な感じで笑い合った。
なにげなく、エリナの端正な顔を見据える。
星明かりのせいか、青い瞳が少し潤んで見えた。
「ジオ様。もしも、どこか旅立たれるのであれば……」
唐突に、ジオは後方から嫌な気配を察知する。
エリナの言葉を手で制し、顔だけ振り返った。
暗い闇の中、妙な臭いと気配が強くなる。
「やれやれ……俺と同じ、迷いがやって来たらしいな」
闇から這い出るように、ぬるりと巨体が現れる。
激しい形相をした鬼の顔を持つ、熊みたいな魔物だ。
「鬼熊……? どうして、こんなところに……」
「食べ物の匂いにでも、惹かれて来たんじゃねぇの?」
「山奥の森が、縄張りの魔物ですよ?」
ジオは肩を竦めながら、首を捻った。
ジオは鬼熊に、すっと視線を投げる。
「おい。ここは俺のテリトリーだ。侵入罪で死刑な、お前」
「ジオ様……」
「じっとしてろ。すぐ終わる」
ジオはゆっくりと立ち上がり、鬼熊と向き合った。
ジオの身長は、百八十程度はある。
だが鬼熊は、それよりも遥かに大きい。
じろじろと見つめ、ジオははっとなった。
「こいつ、まさか……食えるんじゃねぇのか……?」
「じょ、冗談を言っている場合ですかっ?」
エリナのつっこみには反応せず、ジオは真剣に悩んだ。
魔物といえども、見た目はただの獣に過ぎない。
ただ肉が臭そうだと思い、食べるのは諦めておいた。
「グッグォオオオオオオ――ッ!」
「へっ。うるせぇな。とっととかかって来い。鬼面野郎が」
ジオは左手で手招きをした。
鬼熊は素早く赤い魔法陣を描き、火の玉――火球を放つ。
ジオは避けるわけでもなく、火球へと突っ走った。
「うぉおおらぁ!」
駆けながら、火球を拳でぶん殴った。
「ジ、ジオ様ぁああっ!」
エリナが悲鳴じみた声が聞こえたが、特に問題はない。
破裂した火球をすり抜け、ジオは鬼熊の眼前に迫る。
「いや、やっぱ普通にあっちぃわ!」
鬼熊の腹部を、踏み込む形で蹴りを入れた。
そして即座に、上空へと大きく跳躍する。
「俺の一張羅だぞ! 焦げてんじゃん! バカッ!」
左右に生えた黒角の間に、踵落としをぶち込んだ。
獣に近い生物なら、頭部に衝撃を与えればだいたい怯む。
効かなければ、別の方法を考えればいい。
念のため、ついでに鬼の顔面に拳で殴っておいた。
「グォッ……グォオオオオ!」
「グオグオグオグオと、うっせぇなぁっ?」
ジオは全神経を集中して、足に練り込んだ氣を込めた。
「爆ぜろ! ジオ流必殺奥義――ちょっと本気の蹴り!」
鬼熊の腹部をめがけ、渾身の回し蹴りを放つ。
鈍い音が響き渡り、巨体が宙を舞う。
木々を薙ぎ払い、少し遠くなった鬼熊の気配が消滅した。
「へっ。死刑完了だ」
「す、凄い……」
ジオは、漆黒の紋様を宙に浮かべた。
「魂魄吸収」
黒い紋様が輝き、鬼熊から赤く丸い光が抜け出す。
鬼熊は、火の魔法を扱っていた。
色合いから考えても、火属性に間違いない。
そのままジオの紋様へと、赤い光が吸い込まれる。
「よし。確保、確保っと」
天使から押しつけられた固有能力は〝武具創造〟――
さきほどの〝魂魄吸収〟で魔物のオドの残滓を奪い取り、そこから魔物の特徴を生かした武器を、〝武具創造〟という異能を用いて生み出せるのだ。
創造した武器の強さは、奪った残滓の強さで変化する。
まるで御伽噺じみた伝承、神の御使いリフィアにも近しい異能だが――これらを扱えるのは、あくまでも自身のオドで創造したジオのみであった。
少し面倒な仕様に、ジオはややうんざりとしている。
ジオは小さなため息をついてから、エリナを振り返った。
「なっ? すぐ終わっただろ?」
ジオは不敵な笑みを見せる。
エリナは口を開け、ぽかんとした顔で見つめてきていた。
「鬼熊を素手で倒せる人……村には一人もおりません」
「この程度なら素手でも余裕。つか、ほぼ蹴りだけどな」
ジオは苦笑して、エリナの隣に戻った。
新世界で、オドと呼ばれる力は――もとの世界では、氣と呼ばれていた。扱い方次第で、こうして魔物も倒せるのだ。
そもそも、ジオのいた世界でも魔物は存在している。
だから、戦い慣れているという側面は確かにあった。
それもまた、ジオの人生に深く関わりあっている。
「どっこらせぃっ、と!」
ジオは草地に腰を下ろし、再びのんびりとくつろいだ。
「ジオ様は紋章者ですのに、あまり扱わないのですね」
「ああ、まあ……今はそこまで必要じゃねぇからな」
「ジオ様の紋様……いつ見ても本当にお綺麗ですね。まるで天使様が宿っているかのような、とてもお美しい紋様です」
「ああ……」
これには、さすがのジオも絶句するほかなかった。
決して、自分の正体を明かしてはならない――そう言っておきながら、天使は気持ちの悪い仕掛けを施していた。
「ほんと、どっちだよ! って、話だよな」
「え……?」
「いや、こっちの話」
ジオは軽く肩を竦めた。
小首を傾げるエリナに、ジオは問いかける。
「それよりさ……そろそろ、帰らなくてもいいのか?」
「あ……」
エリナの綺麗な顔が、途端に曇る。
その理由は、うわべ程度には知っていた。
「あのさ、俺が言っていいもんか、わかんねぇけど」
「はい……?」
「好きに生きりゃいいんじゃねぇの?」
「……いい、の……でしょうか?」
「あんたの人生だろ? やりたいことやっていいだろ」
「……はい」
「やりたいこともやらず、いつか死ぬなんてあんまりだ」
新世界へ送られる前を、ジオは思い返す。
唐突に雷に打たれ、気がついたら天の間にいた。
天使いわく、ただ天の間へ召喚されただけらしい。だが、それにしては、強烈な痛みがあったのを今も覚えている。
一度死んだのかどうか、ジオは微妙な線に感じていた。
「まあ、そこは天のみぞ知る。って、感じかもだけどさ」
ジオを苦笑する。
「やりたいことなんか、なんもない俺が言っても、まったく説得力なんか、どこにも見当たらねぇかもしんねぇけど」
エリナは顔を伏せ、ただ黙っている。
実際、難しい話だとは思った。
村の風習、家族の掟、世間のしがらみ――人を縛る物事は実に多い。それこそ、身動きが取れないほどだってある。
彼女の場合もまた、きっとそれに近いものであった。
「私は……」
エリナは顔を上げ、ジオのほうを向いた。
何やら恥じ入るように、その表情はこわばっている。
やや上目づかいに、エリナはジオを覗き込んできた。
「私は……その……」
「ん……?」
「ジオ様のお傍にいたい……と言ったら、ご迷惑ですか?」
「え……?」
エリナの唐突な告白に、ジオは言葉に詰まった。
頬どころか、耳の裏まで紅く染めている。
潤んだ青い瞳には、さまざまな感情が混じり合っていた。
「すみません。なんでもないです」
素早く立ち上がり、エリナは後退する。
ジオは腰をひねって背後を振り向き、手を伸ばした。
「え、あ、おい」
「忘れてください。ジオ様、おやすみなさい」
エリナは、後ろを振り返った。
「いや、おい。ちょっと待てよ。エリナ! おーい!」
制止を振り切り、そのままエリナは走り去った。
追うかどうか悩んだが、追えない雰囲気がある。
ジオは伸ばした腕を、無言のまま下ろす。
しばしの静寂が流れ、ジオはもう一度寝ころんだ。
「はぁーあ……あんなの、不意打ち過ぎるだろ」
いまさらになって、心臓が鼓動を速める。
ジオの脳裏に、エリナの笑顔が浮かび続けた。
なんとも言えない気持ちに襲われる。
(ちょっと……寝るか……)
ジオはそう思いながらも、輝く星々を見上げる。
(ほかの使徒らは、今頃……何してんだかなあ……)
ジオはそんなことを、ぼんやりと考えた。
自然と目が閉じ、暗い闇に視界が支配される。
そしてまた、誰も見えない明日へと進んでいくのだ。
どんな存在もが、見通すことができない未来へと――
もしもジオがこの世界にやって来なければ、エリナは暗い森の中で命を失い、孤独にひっそりとこの世を去っていた。
彼女の人生は、そうなる宿命だったからだ。しかし理由はどうであれ、ジオはこの世界を訪れ、エリナの命を救った。
だから彼女の運命の歯車は、今もなお回り続けている。
十人の使徒が、天使によって一つの世界に放り込まれた。
たった十個の歯車が、ただ組み込まれただけのこと。
すでに数多の運命は狂い、断ち切れ、理は崩壊した。
天使ですらも予測しえない、暗黒領域へ突入している。
全使徒の中で、もっとも邪悪な神を討つ可能性がある――全天使から、そう高い評価を受けた男が一人いる。
その男の名は、ジオ・ラグナスといった。
だが、使徒の使命とは、まるで無関係の方向へ――
ジオの運命の歯車は、ずっと静かに回り続けている。