最終話 満点の星空
夜の帳がおりると、途端に冷え込みが強くなる。
奴隷施設は地下にあったため、寒暖差による影響がない。
そこでの生活に慣れたせいか、地上に戻ってからの気温の違いは、少しばかり厳しく感じられた。ただ紋章効果が宿る衣服のお陰か、寒さはやや緩和している。
そんな寒空の下にある一つの屋敷――咲弥達は今、村長の家に招かれていた。
温かい部屋にある横長のテーブルの上には、豪勢な料理が並べられている。
小柄な年老いた村長が、そのテーブルの脇に立ち言った。
「村の腕自慢が作った料理じゃ。ぜひ堪能していってくれ」
「どれも凄く美味しそうです。いただきます」
咲弥が素直な感想を告げると、村長はにっこり笑う。
咲弥の対面に座っているネイが、訝しげに村長を睨んだ。
「言っておくけれど……残党や討ち漏らしが、絶対ないとは言い切れないからね。だから念のためにも、王都では駆除の依頼は出しておきなさいよ」
ネイからの指摘に、村長はこくりと頷いた。
「心配せんでも、そのつもりじゃよ」
「それなら、まあいいわ。こんなご馳走だから、なんかもう安心しきってんじゃないかと、ちょっと勘繰っちゃった」
「なぁに。村の恩人へのもてなしにしては、ちとひどいが」
村長の発言は、多少なりの謙遜があったのかもしれない。
しかし咲弥は、首を横に振った。
「いいえ。ありがたくいただきます」
「ああ。存分に召し上がってくれ。ワシはこれから、明日の準備に取りかかろう」
「今からか?」
ゼイドの問いに、村長は首を捻った。
「できる限り、早く王都に行きたいんじゃろ?」
そんな話をした覚えはない。
なぜ村長がそう思ったのか、咲弥は小首を傾げる。
「近道がどうのこうの言っとったから、てっきりそうかと」
村長の呟きを聞き、咲弥は苦笑する。
咲弥からすれば、とにかく王都に行けさえすればいい。
ただ、ネイ達の世話になりっぱなしのため、少しでも早く王都に行けるのなら、確かにそちらのほうがいい気がした。
「ええ。そうね。急いでるから、頑張ってちょうだい」
ネイの不躾な急かし方に、咲弥は内心で焦る。
気にはしていないのか、村長はからからと笑った。
「なら、明日の朝に出立できるよう、準備を進めておこう」
「すみません。よろしくお願いします」
「気にせんでええ。これぐらいしか、してやれんからな」
咲弥は座りながら、軽くお辞儀した。
村長はうんうんと頷く。
「そんじゃあ、たぁんと召し上がってくれ。あと、村の者に風呂と寝間を用意させているでな。食事が終われば、自由に寛いでくれ」
「何から何まで、ありがとうございます」
咲弥のお礼の言葉を最後に、村長は部屋から出て行った。
ネイが颯爽と、骨付き肉を掴んだ。
「ほいじゃ、先にいっただきぃー!」
「僕も、いただきます!」
先陣を切ったネイに続き、各々が好き勝手に食べ始めた。お腹が空いていたからか、誰もが黙々と食事を進めている。
それから少しして、ネイがテーブルに頬杖をついた。
ネイの凛とした顔に、いたずらな笑みが浮かぶ。
「私達はたぁくさん働いたから、ご飯が美味しいなぁ?」
ネイの視線に気づいたのか、ロイが苦い顔で文句を言う。
「オメェは、俺にいったいなんの怨みがあんだよ」
「無職食うべからず、餓死せよ。って言葉、知ってる?」
「ねぇよ、んな言葉! あってたまるかってんだ!」
ネイはにやにやと笑い、再び食事を堪能している。
ネイのいじりに呆れたのか、ロイはため息をついた。
咲弥は愛想笑いしてから、ネイに話しかける。
「そういえば、ネイさんって、本当はとても強いんですね」
「ん?」
「ゴブリンのときにも、戦闘慣れしてるなとは感じましたが……まさかここまで強かったなんて、びっくりしました」
咲弥の言葉に、ゼイドが乗っかった。
「そうだ! オメェ、あのとき手ぇ抜いていやがったな?」
きょとんとした顔で、ネイは小首を傾げる。
「だって、お金になると思ってなかったし」
「オメェなぁ……」
「お金になると知ってたら、私が真っ先に殺してたわよ」
ゼイドが額に手をあて、嘆きまじりのため息を漏らす。
ネイが骨を器用に指先に乗せ、手遊びしながら言った。
「まあ、最悪。あんたがもし死にそうになったら、手を貸すつもりだったけれど。咲弥君がとどめ刺しちゃったからね」
ネイの視線が、咲弥のほうへと流れる。
「私よりも、あんたの成長のほうが驚きじゃない?」
「奴隷施設のほうでは、本当にいろいろとありましたから」
「少しは、勉強できたってことね」
骨をツボに投げ入れ、ネイは若草色の紋様を浮かべた。
「まず己のオドを感知、そして世にあるマナを知覚する――やがて形作られるは、万物の基盤となる己の紋様なり。理の紋章を携え、いつしか虚空へ紋様を顕現し、奇跡を唱えん。その者、遥か高みの門を開いた紋章者なり」
まるで歌うように、ネイは滑らかな声を紡いだ。
ぼんやりとしか理解できず、咲弥は曖昧に返事をする。
「は、はあ……?」
「まっ。神に愛されたあんたには、わからないかぁ」
そんな話を、出会った頃にも言われた気がする。
ネイが別の骨付き肉を掴み、食べながらに呟いた。
「……あんたが神に、愛された男なら、ロイは反対に、神に見放された男よね」
「うるせぇやい」
ロイが不満げに口を尖らせた。
ふと、過去の疑問が脳裏をよぎる。
「あの……少し、訊きづらいんですが……」
「ん?」
野菜を頬張っていたロイが、咲弥のほうへと顔を向けた。
「紋章術が扱えないと、才能がないのって……いったい何が違うんでしょうか? ロイさん、そう言ってましたよね?」
「ああ……咲弥君、ちょっと紋様を浮かべてみな」
ロイの誘導に、咲弥は素直に応じた。
「あたりまえの話、そうやって紋様を浮かべられるだろ? で、当然、紋章術ってのは、それがないと扱えねぇわけだ」
「え? あ、はい」
「俺は紋様が顕現できない。どれだけ訓練してもだ。さっきネイが言ってただろ? そもそもの話――俺は己の紋様が、訓練をしても形作られなかったんだ」
紋章者となるには、血の滲むような訓練が必要になる――この情報からだけでは、頑張りさえすれば、誰もが紋章者になれると思っても仕方がない。
だが実際は、ロイみたいになれさえしない者もいる。
あまりに衝撃的な事実に、咲弥は少しショックを受けた。
ロイの言葉を経て、ゼイドが続いた。
「しかしまあ、それは別に珍しい話でもない。そんな人達はごまんといるからな」
「だからこそ、紋章符や紋章具っつぅ物が生まれたわけだ」
「紋章具は別に、無職とそこまで関係ないけれども」
棘のあるネイのからかいに、ロイはから笑いを飛ばした。
「属性違い達が、気軽に扱えるようにした。っつぅ側面も、あるっちゃあるわな」
ロイはそう一言補足してから、咲弥へ視線を戻した。
「だからといってだ。別に俺は冒険者になりたいわけでも、騎士や軍隊に入りたいわけでもねぇ。適材適所――それぞれ見合った場所にいりゃいいのさ」
ロイは口もとに笑みを湛え、格好よく言い切った。
デリケートな問題かと思ったが、そうではないらしい。
「まっ。無職なんですけれどもね」
ネイがおどけた口調で、ロイをいじった。
ロイはガクッとこけてから、肩を竦める。
「しかし真面目な話、冒険者ってやっぱすげぇな。施設でも実力者だと言われてる奴らがいたが、プロとアマの違いって見てわかったぜ」
「そこはまあ、ピンキリだとは思うかな」
ネイは誇らしげな顔で、自身の豊満な胸に手を添えた。
「私は幼い頃から、才能があると言われてたし。別格よ?」
男性陣一同、揃って苦笑いが漏れた。
ただ、ネイの発言を否定する者は誰もいない。彼女の戦闘技術に加え、思考の展開や指示など、群を抜いているのだ。
傍にいればいるほど、それが身に染みてよくわかる。
冒険者としても、多くの修羅場を潜ってきたのだろう。
(僕も冒険者になれば、ネイさんみたいになれるのかな)
そんな思いが、ふと咲弥の胸の中を巡った。
今の自分には、足りないものが数えきれないほどある。
オドの扱いを少し覚え、偶然にも手にした黒白の籠手に、ただ助けられているに過ぎない。どちらも本来なら、自分の力ですらないのだ。
思考に耽っていると、不意に小さな衝撃が額に走る。
「ぅっ……」
ネイがテーブルに、大きく身を乗り出していた。
咲弥の額を、すらりとした指で突いてきたらしい。
つい彼女の深い胸の谷間に、咲弥の視線が奪われる。
「どうしちゃったの? 難しい顔なんかして」
咲弥は即座に我を取り戻し、ネイの青い瞳を見据えた。
「あ、い、いいえ。ただ、僕もたくさん経験を積まなきゃと思いまして」
「咲弥様はもう、とてもお強いです」
黙々と食事を続けていた紅羽が、途端に過剰なフォローを入れてきた。これはさすがに、買い被り過ぎにも程がある。
ばつが悪く思い、咲弥は首の裏に手を回した。
「ははは……いやぁ……全然だよ……ほんと……」
「攻撃の威力に関しちゃあ、俺達の中では随一かもな」
ゼイドが顎に指を添え、虚空を見上げた。
スプーンを咥えたまま、ネイは声を発する。
「ぶっちゃけ冒険者の中でも、かなり上位だと思うわよ」
「固有能力が凄まじいもんな。咲弥君は生粋の攻撃型だな」
ネイとゼイドの会話に、咲弥も交じった。
「そんな型とか、あるんですか?」
「どこが特化しているのかという、ただの適当な分類さ――そこを踏まえ、俺は護りを活かした防御型だ。ネイと紅羽は素早さを活かした、速度型って程度のな」
「はぁ……なるほど」
ゼイドの説明を聞き、咲弥は唸った。
ネイは呆れた声で述べる。
「つっても、チームを組む上では、案外ばかにできないわ。今回の猩々クラスなら問題ないけどさ、そうじゃない魔物の討伐には、重要な指標でもあるからね」
咲弥はゆっくり頷いた。
バランスの取れたチームのほうが、安定するとは思える。
「それに、紅羽は速度型じゃなくて、確実に万能型でしょ。治癒術が扱えるし、攻撃力もかなり高いみたいだからね」
「咲弥様ほどの威力は出せません」
「となれば、咲弥君は超攻撃型かな。案外、このチームって最高かもしんないわ」
ネイと紅羽の会話の切れ目に、ゼイドは苦笑した。
「とはいえまあ、咲弥君と紅羽ちゃんは冒険者じゃない」
「そういえば、あんたはどうすんの?」
紅羽に向け、ネイは回答を待たずに続けた。
「咲弥君は冒険者になるために、王都に行くわけだけど……紅羽は別に、冒険者なんかちっとも興味ないんでしょう?」
「いいえ。咲弥様が目指しておられる以上、私も冒険者にはなろうと考えています。そのほうが都合よさそうですので」
「それはそうね。冒険者でなければ、行動に差が出るから」
「はい。ですから、確かに興味はありませんが――冒険者になっておきます」
どんな試練が待ち受けているのか、まだよくわからない。それでも、紅羽であれば簡単にクリアできそうではあった。
問題は自分が、試験に合格できるかどうかにある。
そんな不安を見抜かれたのか、ネイがにやりと笑った。
「紅羽だけが受かって、咲弥君が落ちたらいい笑いものね」
「勘弁してくださいよ……そんな気がしてるんですから」
「そういえば、冒険者資格取得試験っていつだったか……」
ゼイドの呟きに、ネイが深いため息をついた。
「正確な日時は知らないけれど、あと二週間もないはずよ」
「えっ――!」
衝撃的な事実に、咲弥は驚きの声が漏れた。
二週間など、もう目の前だとすら感じられる。
「試験のエントリー期日もあるし、だから急いで近道ばかり選んだのよ」
ネイが、村長を急かした理由が判明した。
明かされた事情に、咲弥は心から感謝するほかない。
「僕なんかのために……本当にありがとうございます。凄く……凄く嬉しいです」
「うんうん。早く冒険者になって、私に楽をさせてね」
「え? あ、え? は、はい……」
ネイがどこまで本気なのかは不明だが、ありがたい話には違いない。今はもう、冒険者になる以外の道はないからだ。
邪悪な神を討つため――できることは全部やるしかない。
そう意気込んだ瞬間、扉がコンコンコンとノックされた。
「どうぞぉ」
ネイの合図で、ゆっくりと扉が開かれる。
庶民的な服を着た女が足を進め、丁寧な一礼をした。
「失礼いたします。湯浴みと寝床の準備が整いました」
「腹も満たされたし、お風呂にでも入ってくっかぁ~」
背伸びをしてから、ネイが席を立った。
ゼイドが手を伸ばして、ネイを制する。
「その前に、荷物を部屋に預けてからな」
「そうね。汗を流す前に、ちゃちゃっと終わらせるかね」
「それでは……お部屋のほうへ、ご案内いたします」
村の女は再び、かしこまったお辞儀をした。
咲弥も立ち上がり、礼儀として頭を下げる。
「あ、はい。よろしくお願いします」
少し困惑したような顔をしてから、村の女は微笑んだ。
全員立ち上がり、村の女の誘導に従った。
寝間は村長の家とは別らしく、外のほうへと出る。
今宵は満点の星空が、どこまでも広がっていた。その中にある青い月の傍には、紅い小さな月が寄り添っている。
幻想的な夜空に、つい咲弥の視線が奪われた。
(この広い世界の中……ほかの使徒達は何をしてるんだろ)
咲弥はぼんやりと、そんなことを考えた。
同じ夜空を見上げているのか、あるいは夜ではないのか。
いまだ出会わない同種の存在を、勝手に想像してみる。
「咲弥様? どうかされましたか?」
紅羽の声に、咲弥ははっと我に返った。
少し前にいる銀髪の少女は、小首を傾げている。
夜空も相まってか、とても神秘的な姿に見えた。
暗い中で立つ紅羽を見て、咲弥はふと思う。
あの日以来、紅羽が暴走する気配はもうない。やはりあの幻影こそが、彼女が暴走に至る原因だったのだろう。
ただ、あの男が何者なのか――咲弥は首を横に振る。
紅羽をまっすぐに見据え、咲弥は頬に微笑みを乗せた。
「うんん。なんでもない。寒いし、早く行こうか」
「はい」
微笑んだ紅羽を見て、心臓の鼓動が少し速まった。
普段が無表情なだけに、その微笑みにはつい驚かされる。単純に可愛いからという理由も、もちろんあるにはあった。
咲弥は恥じ入りつつも、紅羽の隣に並ぶ。
明日はまた、王都へと向かって旅立つ。
目指していた王都は、あともう少しのところにある。
最初に訪れた村を出てから、とても長い時間をかけ――
咲弥はようやく、目的の地を捉えたのだった。
第一章 完
これにて、第一章は終わりを迎えました。
ここまでお読みいただき、本当に感謝しております。
メッセージやイイネも、とても嬉しく思っています。
今回は、蛇足の話が特にありません。
主要人物に関しては、これからの物語で明かされます。
ですので、今回は次回予告でもしておきます。
次回、主人公がまったくの別人に変わります。
しかし、安心してください。
ここまでお読みくださった方々であれば――
ああ……と、なれる主人公ですから。
ここもお読みいただき、ありがとうございました。
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