第三十七話 鐘の音は唐突に
王都への中継地となる町を離れ、もう三日の時が流れた。
移動の最中、何度か魔物の群れと遭遇したものの、戦闘に特化した冒険者二人に加え、銀髪の少女も同席している。
魔物は即座に撃退され、順調に王都へと近づいていた。
そして、今現在――咲弥達は、また新たな村にいる。
時折こうして、村や町に立ち寄っては、休息や馬車の乗り換えをしているのだ。
人も迅馬も、永続的に活動というわけにもいかない。
今回は馬車を乗り換えようと、厩舎を訪れていた。
「……ここから先は、しばらくは進めんよ」
厩舎には、白髪の年老いた男がいた。
やや小柄な老爺は、申し訳なさそうな雰囲気を漂わせる。
ネイの凛とした顔に、困惑の色が宿った。
「はぁ? どうしてよ?」
「ここ最近、王都までの道に魔物が巣くってしもうてな……数も多いもんだから、もうどうすることもできん」
やはりどこも、魔物の活発化には辟易している。
ゼイドが腕を組み、老爺に問いかけた。
「巣くっているのは、どんな魔物だ?」
「猩々と呼ばれる、猿みたいな魔物じゃな」
老爺の言葉に、ネイがうめいた。
「うげぇっ……ちょっと厄介な魔物じゃない」
「そうなんですか?」
何気なく訊いた咲弥を、ネイが半目で睨んでくる。
すらりとした指先で、ネイは咲弥の額をつんと押した。
「かぁ~なりね」
「は、はぁ……?」
ネイの嘆いた顔を見て、咲弥は首を捻る。
道中での魔物の襲撃から、ある事実が見え隠れしていた。
奴隷施設に単身で潜入していた時点で、少しおかしいとは感じていたが――実は、紅羽と同等クラスの実力を、ネイは持っている可能性があるのだ。
ゴブリン戦のときは、きっと手を抜いていたに違いない。
もしネイがその気にさえなれば、ゴブリンボスですらも、一人で討伐できたのだと思える。そう勘繰ってしまうほど、魔物の襲撃を華麗に撃退していた。
そんな彼女が嘆く魔物が、どんなものか想像もつかない。
「猩々かぁ……結構、強めの魔物ねぇ……」
「村の若いのも、もう何人か攫われてしもうた」
「攫われた……? 魔物に、ですか?」
老爺の発言に驚き、咲弥は声が裏返りかける。
ゼイドが渋い顔になり、重い声音で言った。
「猩々が好んで食うのは、若い人の肉体だ」
「えっ……!」
咲弥は一気に血の気が引く。
ネイが老爺に問う。
「王国や冒険者ギルドに、通達は?」
「いいや……その道中の者達がやられてしもうてな。だから王都のほうではなく、今現在、別の町からの通達を試みとるところじゃよ」
「そう。けれど、この件を王国の連中が、把握してないとは思えないわ……いったい何をしてんの……とっとと討伐隊を組めばいいものを……」
ネイは不満げに赤髪を耳にかけ、ため息を漏らした。
これには咲弥も、同様の気持ちを抱かざるを得ない。
ゼイドが冷静な口調で述べた。
「どこも魔物の活発化には、悩まされているんだ。おそらく手が回らんのだろう」
「えっ……ちょっと、待ってください。それじゃ、攫われてしまった方達は――」
「ばっ。オメェ……」
ロイが突然、背後から咲弥の口を塞いだ。
肩越しに目を向けると、ロイは苦い顔で首を横に振った。
咲弥はやっと、己の失言に気づく。
老爺の顔が陰り、もの悲しい表情に転じた。
「もう生きちゃおらんよ。村の中で救出隊も組まれたが……結局それも、だぁれも戻っちゃこんかったからのぉ……」
場が重苦しい静寂に包まれた。
不意に、咲弥の袖が小刻みに引っ張られる。
紅羽が無表情のまま、じっと紅い瞳で見据えてきていた。
「咲弥様。これから、どうなされますか?」
「う、うぅん……どうにか、ならないんでしょうか……?」
咲弥の漠然とした疑問に、ネイが嫌そうに反応を示した。
「どうにかって?」
「このままじゃ、村にいる人達は――」
咲弥の額をつんと押し、ネイは言葉を遮った。
やれやれとため息をつき、青い瞳で睨んでくる。
「絶対、言うと思った。だぁめ。わかってんでしょ?」
ネイに諭され、咲弥は閉口する。
無償での奉仕は、冒険者的にはよろしくない。
そんな過去の記憶が、漠然とよみがえる。
「まあ今回に至っては、そういう意味じゃなくて……単純に私とゼイドだけじゃ、きつ過ぎるのよ。ゴブリンのときや、道中の魔物とはわけが違うから」
咲弥はそれとなく、ネイの言葉を呑み込んだ。
つまりは、ボランティア云々の話ではない。討伐隊を組む――さきほどの言葉も踏まえれば、いったいどれほど危険な魔物か想像に難くない。
「だぁーから、順路で進めばよかったんだよ」
ロイが呆れ顔で、栗毛の後頭部に両手を乗せた。
ネイは少し、片頬を膨らませる。
「だってこっちのほうが近道なんだから、仕方ないでしょ」
「つっても、これじゃあ……余計に時間がかかっちまうぜ」
王都までの道筋は、ネイが独断で決めていた。
そもそも咲弥は、大陸の構造をあまり把握できていない。地図だけで簡単にわかるほど、生易しい地形ではないのだ。
だが先へ進めない以上、選択肢はそう多くないだろう。
ネイが不満の詰まった声を紡いだ。
「猩々が根を張ってるとか、普通は思わないでしょうが」
「冒険者の情報網っつーのも、案外あてにはならんな」
「はぁ? ばか? 無職のあんたより、数億倍マシよ」
「ぐはぁっ!」
ロイが力強くうめき、両手を心臓の辺りに添えた。
ネイは唇を尖らせ、ふんっと、そっぽを向く。
虚空を見上げながら、ゼイドが顎をさすった。
「真面目な話……ここから引き返すのも、結構厄介だぜ?」
「親玉と側近を抹殺すれば、よいのではありませんか?」
咲弥は驚きをもって、紅羽を二度見する。見惚れるぐらい綺麗な顔をして、彼女は恐ろしいことをさらりと言った。
ただ、紅羽の言葉の裏を読み、咲弥は少し嬉しく思う。
ゼイドが戸惑った様子で、相槌を打った。
「確かに親玉と側近を駆除すれば、時間は稼げるが……」
「あんたは、咲弥君側ってわけね――いいわ。わかった」
ネイは老爺を振り返った。
「じゃあ、いくら出せんの?」
ネイはやや憤慨した声音で訊いた。
ゼイドが慌て気味に、ネイへと詰め寄る。
「おいおい。まさかギルドを通さず、依頼を請ける気か?」
「仕方ないでしょ。ばかにされたまま、黙ってらんないわ」
「ばれたら、絶対に事だぞ?」
会話の隙間を見計らったのか、老爺が口を挟んだ。
「もしも依頼ができたらと、こちらが用意できたお金は……確か四〇万だったかの? じゃが、猩々の全討伐じゃぞ?」
「うん。きつい。じゃあ、こうしましょうか。猩々の親玉と側近を討伐してあげる。それでしばらく時間が稼げるから、その間に再度、正式な依頼をすればいいわ」
老爺はしわの多い顔に、さらにしわを作った。
「ああ、まあ……じゃが、君らに実入りがなくないか?」
「いいえ――討伐の依頼を簡潔に済ますには、王都に行ったほうが確実に早いわ。だからそのついでとして、私達全員をタダで王都まで送り届けてよ」
ネイは淀みなく、すらすらと続けた。
「あと宿の手配と食事の用意も、もちろんそちら持ちでね。どう? 被害から考えれば、そう悪い話でもないでしょ?」
老爺は数回頷き、沈黙する。
ネイがくるりと、咲弥達を振り返った。
「これなら、別に問題ないわよね?」
「遂行に関しちゃな……だが、俺と二人でやるつもりか? 正直、猩々の等級は、ゴブリンのときとはわけが違うぜ?」
「なぁに――」
ネイはすたすたと歩き、咲弥と紅羽の背後に回り込んだ。
まるでもたれかかるように、咲弥達の肩に腕を乗せる。
「この二人にも、ちょいと手伝ってもらうわ」
「いっ……!」
咲弥は二つの意味からうめいた。
ネイの柔らかな胸の感触が、背から脳に伝わってくる。
照れと同時に、驚愕が併せてやってきた。
ゼイドは右手を激しく振る。
「いやいや。ぜってぇ、ばれたらまずいって」
「今回は冒険者としてじゃない。ただ障害を払うってだけ。咲弥君はアラクネ女王を、討ち取れるくらいの戦力はあるし……それよりなにより、紅羽は強い」
「だからってなぁ……」
ゼイドは口ごもり、少ししてから深いため息をついた。
「確かに、それ以外……かなり遠回りになりかねんからな」
「あんたが言いだしたんだから、それでいいわよね?」
ネイが咲弥の耳元で、そう囁いてきた。
なんだかんだ言うが、最終的にネイとゼイドは助ける道を選ぶ。心根が優しい二人を、咲弥はとても嬉しく思った。
少し緊張しながらも、咲弥はネイに頷いて応じる。
「はい……困ってる人を、ほうってはおけませんから。僕がどこまで力になれるかはわかりませんが、頑張ってみます」
「咲弥様のお力になれるのであれば、私も問題ありません」
「んん。わかったわ」
ネイは咲弥達からすっと離れ、涼やかな声を紡いだ。
「紋章術を扱えない無職さんは、村人の警護でもよろしく」
「オメェ……俺に何か怨みでもあんのか?」
ロイが渋い顔で、ネイのほうをじっとり睨んでいる。
さして気にした様子もないまま、ネイは老爺を前にした。
「というわけで……こちらの方針は固まったわ。村長にそう伝えてくれる?」
「いや、その必要はない」
ネイと同様、咲弥も小首を傾げる。
「だって、ワシが村長だし」
「あっ……そう……」
ネイは苦笑を漏らした。
その瞬間――唐突に警鐘が響き渡る。
村長は深々としたため息を吐いた。
「また猩々が来おったか……」
「猩々が現れるのは、どの方角?」
「王都側の北の方角じゃが……ちょいと待たれよ」
ネイは訝しげに、首を傾げた。
村長はじっとしたまま、まったく動かない。
「いったい、なんなの?」
「王都側ではない! 村の四区のほうじゃ」
「それはどっちよ?」
「あっちじゃ」
村長が指差した方角へ、ネイは颯爽と駆けだした。
咲弥達も一歩遅れ、ネイの背を追いかける。
「警鐘の数で、場所がわかるようにしてたのね」
「村つっても、結構広いからな」
ネイとゼイドの会話を聞き、咲弥は驚いた。
ただ警鐘を鳴らすのではなく、しっかり考えられている。
ネイが肩越しに、後ろを振り返った。
「何匹いるかわからないけど、数匹だけは残しておいて」
「え? ど、どうするんですか?」
ネイの意図が理解できず、咲弥は走りつつ訊いた。
わざと残す必要性が、まるでわからない。
咲弥の疑問は、ネイの代わりに隣を走る紅羽が答えた。
「数匹だけ瀕死にまで追い込み、わざと巣へ帰還させます。巣が一つとは限りませんから、そこを見極め襲撃するのだと思われます」
「そういうこと」
なるほどと、咲弥は心の内側で納得した。
突発的な事態なのに、ネイの対応は素早い。即座に意図を呑み込んでいた紅羽にも、ネイと同様の感心を抱いた。
潜り抜けた場数の違いが、こうして顕著に表れている。
二人から学ぶため、まずサポートに回ると方針を定めた。
戦闘になる可能性を考慮し、咲弥は事前の準備をする。
右手の付近に、空色の紋様を虚空へと描いた。
「力を貸してくれ……黒白の籠手!」
紋様が弾け飛び、無数の輝きが咲弥の両腕に集まった。
まばゆい光が破裂した瞬間、生命の宿る宝具――
右手は黒く、左手は白い貴金属の籠手が出現する。
生命の宿る宝具は紋章石と同様、紋様に宿っているのだ。
紋様を浮かべ、名を呼べば即座に装着できる。
この方法を教えてくれたのは、知識豊かなネイであった。
そして当然、黒白の籠手と安直な名をつけたのは咲弥――ネイには散々ばかにされたが、ほかにいい名も浮かばない。
結局は、黒白の籠手という名に落ち着いたのだ。
(よし……これで、いつでも解放できる)
村の大通りを走り抜けると、村人の群れが見えてくる。
しかし、どこにも猩々らしき姿は確認できない。
村人達の付近に着く前に、ネイが声を飛ばした。
「村長の頼みで来た駆除隊よ。道を開けて!」
「駆除隊?」
「マジか」
「頼む、助けてくれ」
村人達がどよめき、道を作った。
だがやはり、魔物の姿はない。
紅羽がおもむろに木の矢を番え、弓を引き絞った。
「かなりの数です」
言葉を発すると同時に、紅羽は矢を射る。
飛翔する矢を目で追いかけ、咲弥は目を大きく見開いた。
屋根の影に隠れ、こっそり覗き見ていた猩々を発見する。
全身が赤黒い毛に覆われ、大柄な体格をしていた。まるでマンドリルを彷彿とさせる顔を持つ猩々が、口を剥いて鋭い牙を覗かせている。
仲間がやられたためか、そこら中から猩々は姿を現した。
「村人は全員、避難して!」
ネイが指示を飛ばしつつ、若草色の紋様を浮かべた。
「風の紋章第四節、自在の旋風」
若草色の紋様が砕け、激しい風が巻き起こる。
暴風は猩々数体を呑み込み、そのまま空高く舞い上げた。
ネイは猩々よりも、さらに高く空を舞う。
猩々を踏みつつ、複数の投げナイフを一気に投げる。
その際中、枝分かれする光の線が猩々達を貫いていく。
紅羽が光の矢を番え、弓の弦を弾いた。
「うわぁあああ!」
逃げ遅れた村人へ、一体の猩々が迫っている。
咲弥は思考する間もなく、村人のほうへと駆けた。
「黒白の籠手、解放!」
籠手が少量のオドを吸い、咲弥の両腕が光に包まれる。
右は悪魔的な黒い獣の手に――
左は神秘的な白い獣の手に――
獣を象った色濃いモヤが、咲弥の手に纏わりついた。
恐怖を煽る猩々を見据え、咲弥は右手を大きく掲げる。
「誰も傷つけさせない!」
黒い爪を浴びせ、猩々の胴体を深く切り裂いた。
しかしすぐ傍に、また別の猩々が控えている。
いったいどれほどの数が、村へとやってきたのか――そのとっさの思考が、咲弥の体をわずかながらに固くさせた。
(しまっ……!)
「土の紋章第三節、岩石の矛!」
近くにいたゼイドが、まるで弾かれたように指が跳ねる。
衝撃が地を走り、鋭く尖った岩が猩々を大きく貫いた。
ゼイドは口もとに笑みを張りつかせ、咲弥に尋ねてくる。
「大丈夫か?」
「すみません! ありがとうございます!」
「避難は任せろ! 紋章符がなきゃ、俺は役に立たねぇ」
村人を支えたロイの発言に、咲弥は頷きをもって応じる。
数多くいた猩々が、次第にその数を減らしていく。
その大半は、ネイと紅羽が瞬く間に討伐していた。
咲弥は邪魔にならないよう、はぐれた猩々を討ち続ける。
「ストーップ!」
若草色の紋様を浮かべたネイが、声高らかに叫んだ。
「風の紋章第三節、戦神の号令」
屋根の上で人差し指を立てる、ネイの紋様が砕け散った。
ネイの伸ばした右腕付近に、目視できるほどの激しい風が巻き起こる。
次第に槍の形へと凝縮され、五つの風の槍が作られた。
ネイが指を振るや、風の槍がもの凄い勢いで猩々を貫く。
当初の作戦通り、致命傷は避けているらしい。
「ガグギャガガッ!」
猩々達は、一目散に撤退の姿勢に入った。
屋根から華麗に降り、ネイが凛とした顔に笑みを湛える。
「さあ、追うわよ」
「はい……!」
咲弥は緊張を胸に抱え、ネイの指示に応じた。
不安は当然あるが、心強い味方がいる。
どこか安心感を抱きつつ――
咲弥達は、撤退した猩々達を追った。
22/02/05 改稿
ネイのセリフ部分が、少しだけ狂ってました。
特に大きな問題はないのですが、ちょびっと変えました。