第三十四話 魔物による影響
王都への中継地となる町には、甘い匂いが漂っていた。
果実酒が名産なだけあってか、果物の香りがとても強い。
ここは旅人がよく訪れるからか、あちこちに出店がある。だから人間以外にも、別の種族の姿がちらほらと見られた。
咲弥達は今現在、繁華街的な場所を歩き続けている。
「あっれぇー? 確か、この辺じゃなかったかなぁ?」
悩ましげな顔をして、ネイは小首を傾げた。
大荷物を背負うロイが、息切れまじりに怒鳴る。
「おまっ……ざけんな……いったい、何度目だよ……!」
「ここは飲食店とか、食品関係のお店が多そうですね」
咲弥も大荷物を背負い、呟きながら周囲を観察する。
この付近は、レンガ造りのオシャレな建物が多い。そんな場所にいる人々は、庶民的ではあるが景観に沿う格好をした者ばかりであった。
ほかにもメイド服や、執事っぽい格好の者もいる。それがお屋敷勤めなのか、飲食店の店員なのかまではわからない。
この場の雰囲気に馴染まない者は、きっと咲弥達と同様、よそ者だと思われる。
「酒の匂いに釣られ、無意識に誘われたんじゃないか?」
ゼイドのからかいに、ネイが凛とした顔に笑みを湛えた。
「んぅ……そうかも?」
「ざけんな! 先に宿を見つけて、荷物を下ろさせろ!」
ロイの不満げな声に、ネイは呆れた様子で肩を竦めた。
「情けないわねぇ。私の荷物持ち君を見習いなさいよ」
「いや、ぜってぇしんどいだろ? なあ?」
確かに少々重く、大変ではある。だが、奴隷時代で培った経験のせいなのか、もはやそこまで苦ではなくなっていた。
同意を求めてきたロイに、咲弥は苦笑まじりに答える。
「早めに荷物を下ろせるなら、ありがたくはありますね」
「ほれ、見てみろ!」
ネイが、すっと目を細めて睨んできた。
「単純に、あんたが同意求めたから配慮してるだけでしょ。だって咲弥君、まったくといって疲れた顔してないもん」
「いっ……?」
ロイが驚いた面持ちで、咲弥を振り返った。
どうやら、ネイには見透かされているらしい。
ゼイドが豪快に笑い、フォローしてきた。
「動きづらくはあるし、とにかく宿は早めに探そうぜ」
「それはそうね。でも……おっかしいな……この辺だったと思うんだけどなぁ」
ネイは困惑げに、すらりとした足をゆったりと進める。
その隣に、ロイが並んだ。
「どうして、その宿に固執してんだ?」
「え? 普通に、お風呂がちゃんとあるから」
「ま、まさか……それだけ、か……?」
「それだけって、それが一番重要でしょうが」
歩き回った理由が判明し、ロイががっくりとうな垂れた。
咲弥は苦笑したものの、心の内側で賛同しておく。
ロイがすっと立ち直り、ネイに提案した。
「つか、人に聞いたほうが早くね?」
「観光がてらに探したいでしょ? 急ぐ理由もないし」
「俺は急いで、このばかでかくそ荷物下ろしたいんだよ!」
ネイが口を尖らせ、半目でロイを睨んだ。
「お金、出すのは?」
「うっ……」
ネイのほうから視線を逸らし、ロイは押し黙った。
そんなロイに、ネイが追い打ちをかける。
「宿代。移動費。食費――貸しとはいえ、誰が出すのよ? 無職さんか?」
「す……ほんと、すんませんでした……」
ネイはからからと笑い、ロイの肩をぱちんと叩いた。
咲弥は二人のやり取りを眺め、ある種の予感を覚える。
きっとネイの本心は、観光がてらではない。
ある目的から、ついでに下見をしているのだと思われる。
それから三十分以上も歩き続け、やっと宿を探しだした。
部屋に荷物を降ろしたのち、再び一同は玄関口に集まる。
「飯にはまだ早いし、三時間ぐらいは自由行動ってことで。ほな!」
ネイは片手を振り、颯爽とどこかへ去っていく。
ゼイドは腕を組み、ネイが消えた方角を見つめていた。
「あいつ、果実酒のためだけに、この町を選んだな……」
「やっぱり、そうだと思いました。お酒、好きですもんね」
ゼイドと一緒に、咲弥は深いため息を漏らす。
ロイが不意に、ゼイドへと歩み寄った。
「ゼイド。わりぃが、ちと俺に付き合ってくれねぇか」
「ん? どうしたんだ?」
ロイは歯を食い縛り、その拳を震わせた。
「あんの赤毛メスガキに、元裏の住人である俺の力を、思い知らせてやるぜ」
「ほう。どうするつもりだ?」
「なぁに。簡単な話よ。だが、無職の俺一人じゃ無理だ……だから手伝ってくれ」
「やれやれ……まあ、いいぜ。お手並み拝見といこうか」
「おう」
馬車に乗り始めの頃に聞いた話なのだが、ゼイドとロイは同年代らしい。だからか、二人のやり取りはとても気さくなものに感じられた。
ゼイドがいかつい顔を、咲弥のほうへ向けてくる。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるぜ」
「あ、はい!」
ゼイドはロイと一緒に、どこかへ行った。
ロイが何を企んでいるのか、少しばかり不安を覚える。
ただゼイドが一緒であれば、特に問題はなさそうだった。面倒見のいい彼なら、最悪の場合止めてくれるに違いない。
ふと気づけば、咲弥は銀髪の少女と取り残されていた。
彼女は真顔のまま、ぼんやりと周囲を眺めている。
整った綺麗な横顔を見ながら、咲弥は声をかけた。
「紅羽。僕達も時間まで、町を散歩でもしてようか?」
紅羽がふわりと、咲弥を振り返った。
「了解しました」
紅羽はこくりと頷き、抑揚のない口調で了承した。
果実の匂いに満ちた町の中を、咲弥は紅羽と散歩する。
咲弥は行き交う人々に、視線を巡らせた。
みんなそれぞれ、さまざまな目的を持って生きている。
馬車内でした会話の記憶が、不意によみがえった。
(ここの人達にも、何か自分なりの楽しみってあるのかな)
答えの出ない疑問を抱え、咲弥は紅羽に視線を移した。
神々しさのある少女は、無表情で前を見据えている。
「ねぇ、紅羽」
魅力的な紅い瞳を見据え、咲弥は質問する。
「紅羽は何か……やりたいこととかってある?」
「……? 咲弥様のお力になることです」
「あぁ、いや、そうじゃなくて……趣味っていうか、紅羽が息抜きになる何かとか、そういうのは特にないのかな?」
紅羽は、すっと前を向き直った。
一瞬、無視されたのかと思ったが、なにやら思案している雰囲気が漂っている。さすがに無表情からでは、感情を読み取るのがとても難しい。
少しして、紅羽の紅い瞳が咲弥へ向けられた。
「はい。ありません。特に必要性も感じません」
「そ、そっかぁ……」
無趣味というのは、ちょっと寂しい気もする。とはいえ、そういうものは自分の興味、あるいは感性によって決まる。
だから、無理矢理に押しつけるようなものでもない。
「咲弥様には、何かあるんですか?」
「あ、いやぁ……」
もとの世界なら、それこそ多種多様の娯楽に満ちていた。だが、こちらの世界で似た――または同様の趣味を持てるかどうかは、正直まだよくわからない。
咲弥は首を横に振ってから、紅羽と視線を重ねる。
「僕も特になくて……だから、何か探してみようかなって」
「そうですか。では、私も咲弥様と一緒に探してみます」
「うん。お互い、いいものが見つかるといいね」
「はい」
紅羽は再び、前を向き直った。
表情に変化はないが、どこか笑っているようにも見える。たとえ表情が乏しくとも、その美貌は損なわれていない。
透き通る白い肌に、煌めく銀髪――やや幼い顔立ちだが、紅い瞳が際立っているせいか、とても力強いといった印象を抱かせる。さらにまつ毛も長く綺麗だった。
見れば見るほど、非の打ち所がまったくない。怖いぐらい綺麗な顔は、まるで人の上位種だと錯覚しかねないほどだ。
それこそ、この世界へ放り込んだ天使クラスだと思える。
紅羽の横顔に見とれていると、聞き慣れた声が聞こえた。
「ちょっと! どうして、こんなに高いわけっ?」
咲弥は、荒々しい声の方角を向いた。もう一人の美人――赤髪のネイが、店員らしき男となにやら言い合っている。
やや遠くからだが、凛とした顔をしかめているようだ。
「ネイさん? 紅羽。ちょっと、行ってみようか」
「了解しました」
歩み寄る最中、ネイと男店員の会話が聞こえてくる。
「だから、生産がおっつかないんだよ。ただでさえ、どこもかしこも、魔物の活発化による影響は、とても大きいんだ」
「だからって、こんなばかな値段はないでしょうよ!」
「嫌ならほかをあたりなよ。まあ、どこも変わらんがね」
まるで野犬みたい顔をするネイに、恐る恐る話しかける。
「……ネイさん……? 何してるんですか?」
「あ、咲弥君! 聞いてよ! こいつ、ぼったくりなの!」
「姉ちゃん、人聞きが悪いな?」
男店員はむすっとした顔で、唇を尖らせた。
「本来なら一本数百スフィア程度のはずが、一万スフィアを超えるだなんて、どう考えたっておかしいでしょうが!」
「やれやれ、話が進まんな。何度も言ってるが、ほかの町や村への輸送に大多数が回されちまって、本来なら、旅人達に販売する余裕なんかないんだ。だから一本丸々売るんなら、この金額で出せって上のほうから言われてんだよ」
男店員は、うんざりとした顔を見せた。
ネイの言い分はわかる。確かに、ぼったくりだと思えた。
ただ男店員の言い分もまた、当然のように理解できる。
「……ネイさん。今回は諦めるしかないですよ」
「はあ? ばか? ここまで来て、それはないでしょ!」
もの凄い剣幕で、ネイが睨んでくる。
咲弥は軽く後退して、言葉を返した。
「いやまあ、そうですけど……さすがに高くありません?」
「高いわよ! ぼったくりよ!」
咲弥は苦笑で、なんとかネイをなだめる。
不意に、ネイの背後を町人らしき青年が通り過ぎた。
「おっちゃん。いつものちょうだい」
「はいよ」
なんらかの液体が入ったビンが、青年に手渡された。
種類はわからないものの、おそらく果実酒だと思われる。
その後――男店員へと支払われたスフィアは、どう見ても一万以上ではない。一瞬、咲弥は自分の勉強不足を疑った。
しかし正しければ、六〇〇スフィアで間違いない。
「いつも、ありがとうよ。親父さんに、よろしくな」
「うん。それじゃあ、また」
「あいよ!」
立ち去る青年を眺めるネイの姿を、咲弥は見つめた。
奇妙な沈黙が訪れたのち、ネイが声を最大にして荒げる。
「はぁああっ? どういうこと! おかしいでしょうが!」
「あの子は、この町の子なんだ。あたりまえだろ?」
「訳わかんないわ! なんであの人には定価なのに、私にはぼったくり価格なわけ! きちんと、一から説明しなよ!」
男店員は面倒そうに、老けた顔をしかめた。
「この町の人にとっちゃ、果実酒が唯一の生きがいなんだ。でも、あんたみたいな旅人はそうじゃないだろ? 別の町に行きゃあ、息抜きなんか腐るほどあるんだ」
「私だって! お酒が息抜きで生きがいやろがい!」
地面を一度強く踏みつけ、ネイは全力の抗議をした。
男店員は、深々とため息を漏らす。
「兄ちゃん、知り合いだろ? この娘を引き取ってくれよ」
「えぇえ……」
咲弥はつい嫌そうな声が漏れてしまう。
これほど怒ったネイを、初めて見たというのもあるが――正直、下手に刺激するのは、よろしくないと感じられた。
しかも双方の言い分がわかるだけに、難しい話でもある。
とはいえ、このまま放っておくわけにもいかない。
「ネイさん……」
「もういいわよ! わかったわよ! 製造所に直接行って、交渉してくればいいんでしょ! じゃあ、そうするわよ!」
咲弥の言葉を遮ったあと、ネイは飛ぶように去っていく。
持ち前の機敏さで、あっという間に姿が見えなくなった。
しばしの静寂を経て、男店員のため息が聞こえてくる。
「そっち行っても、同じなんだがなぁ……俺だって本当は、まっとうな値段で売りたいんだ。でも魔物の被害のせいで、そう簡単な話じゃないんだ」
呟く男店員に向け、咲弥は頭を下げる。
「すみませんでした。ネイさん……果実酒が手に入るのを、凄く楽しみにしていたので……わかってあげてください」
「ああ……見てたら、わかるよ。もしも安くなったら届けてあげるからって、あの娘に言っておいてやってくれないか」
「はい。ありがとうございます。きっと、喜びます」
お礼を告げてから、咲弥は紅羽と一緒にその場を離れた。
再び歩きながら、咲弥は思考を巡らせる。
魔物による影響は、こんな場所にまで出ていると知った。おそらくほかにもまだ、似た事例はたくさんあるのだろう。
それは――魔物を討伐する人の数が、追いついていないのかもしれない。
そうでなければ、こんな被害が出るはずがなかった。
(魔神を討てば……魔物の被害も消えるのかな……)
初めて訪れた村でも抱いた疑問だった。
あの頃から、その答えはいまだ出ていない。
すべては――
「だぁあああああ――っ!」
唐突な男の叫びに、咲弥の肩が大きく飛び跳ねた。
声がした方角を振り返り、咲弥は視線で探る。
するとそこには、見慣れた二人の男がいた。
見知らぬ男とテーブルを挟み、ロイは頭を抱えている。
咲弥は首を捻ったあと、紅羽に視線を移した。
「今度は何があったんだろ? ちょっと、行ってみようか」
「了解しました」
咲弥は紅羽と並び、ロイ達がいるほうを目指した。