第三十一話 不意の来訪者
アラクネ女王討伐後も、アラクネは活発に活動していた。
また襲われる危険性があるため、ロイは歩ける程度に――紅羽は命に別状がない程度にしか、治癒を施せなかった。
討伐した証にアラクネ女王の一部を入手してから、重症の紅羽を咲弥が背負い、ロイと一緒に施設へと帰還する。
その道中――幾度となく、きわどい状況に追い込まれた。
施設まで戻れたのは、もはや奇跡としか言いようがない。
紅羽とロイは今現在、別室で治癒を受けている。
咲弥は豪華絢爛な一室へと、アグニスに招かれていた。
「驚嘆に値する――全員生還など、夢にも思わなかった」
横柄な姿勢で椅子に座ったまま、アグニスが言い放った。
その背後に控えた女二人が、感情のない拍手をする。
まだ帰ってきてから間もない。
疲労困憊のさなか、咲弥はアグニスに問う。
「約束通り……これで僕達を、解放してください」
アグニスは表情を変えないまま、しばらく沈黙した。
「悪いが、それはできない」
「なっ――?」
「ロイと銀髪の女は解放してやるが、お前はだめだ」
咲弥は驚愕の染まり、一歩前へと踏み出る。
「そんな……約束が違うじゃないですか!」
「事情が少しばかり変わった」
訳がわからない心境であった。
どんな事情の変化があるにせよ、解放の延期は困る。
「何がどう、変わったんですか?」
「お前が手にした生命の宿る宝具。それが、問題なのだ」
紅羽を紋章具で治癒中に、籠手は淡い光となって消えた。そのときにロイから、生命の宿る宝具だと教えられたのだ。
アラクネ女王を討伐した証拠品を求められたとき、道中の経緯も説明させられた。当然、宝具の話もせざるを得ない。
宝具があったからこそ、アラクネ女王を討てたからだ。
「おそらく、それはドワーフ達が崇めた遺産に間違いない。我々の最重要入手項目の一つが、それだったというわけだ」
「宝具が欲しいのであれば、アグニスさんにお渡しします」
アグニスは、ゆっくり首を横に振った。
「無理だ」
「な、なぜですか?」
「それは、自らが宿主を選ぶからだ」
ロイから聞かされた話を、咲弥は思いだした。
「宿主に選ばれなければ、何をどうしたところで、石のままだったに違いない。それは、お前を宿主として選んだのだ」
咲弥は困惑する。
なぜ自分を選んだのか、その理由まではわからない。
「だがまあ……たとえ扱えずとも、欲しがる阿呆は多い」
「では……」
「それでは、だめなのだ。商品にするのなら、完璧の状態に据え置かなくてはならない。至極まっとうな理由だろう?」
「何が言いたいんですか?」
アグニスは口の端に笑みを張りつけた。
「生命の宿る宝具が、初期状態に戻る方法は――ただ一つ」
御付きの女二人が、素早く咲弥の側面へと迫った。
左右の首筋に、短剣の刃を突きつけられる。
冷たい感覚が伝わり、瞬間的に震えてから硬直した。
死が間近に感じられ、咲弥の心が恐怖に蝕まれる。
「な、何を……!」
「抵抗するな。もし抵抗すれば、別室の二人を殺す」
「なん……ですってっ?」
「このボタンを押せば、殺すよう命じている」
アグニスは、無線機らしきものを見せびらかした。
完全に見透かされている。
身を護る行動を取りかけたが、見事に釘を刺された。
「初期状態に戻すには、宿主が死ねばいい。それだけだ」
アグニスは立ち上がり、咲弥のほうへ歩いてくる。
短鞭の先を咲弥の顎に当て、無理矢理に顔を上げさせた。
「わかったか? これが、お前だけ自由にできない理由だ」
裏切られ、悔しい気持ちが胸に溢れ返った。
命がけで戦った結果がこれでは、あまりにも惨い。
「むろん、アラクネ女王を討てる相手に、簡単に勝てるとは思っていない。だからこそ、今が好機だとは思わないか?」
「人質を取るなんて……卑怯です」
「戦いとはそういうものだ。隙を突くのは当然ではないか」
咲弥はくっと息を詰めた。
打開策が何も思い浮かばない。
仮にこの場を切り抜けられたとしても、別室にいる紅羽とロイが殺される。人質を取られた時点で完全に詰んでいた。
それでなくとも、動けば躊躇なく喉元を掻っ切るだろう。
咲弥にできるのは、睨みを利かせるぐらいしかなかった。
「悪く思うな。これもすべては、我らがドンのためだ」
「ぐっ……卑怯者……」
「ご苦労だった。本当に心から感謝はしている。では――」
ゴンゴンゴン――
突然、背後から力強くノックする音が響く。
予定にはない来訪なのか、アグニスは訝しげな顔になる。
「何者だ……?」
返事はなく、ゆっくり扉が開く音が聞こえた。
「やあ、悪党ちゃん。いっちょ、戦争でもしてみるかい?」
不意に訪れた女の声には、聞き覚えがある。
漠然とした懐かしさが湧いた。
「もう一度、問おう。何者だ?」
「そこの荷物持ち君の主にして、ただの冒、険、者」
やはり、冒険者のネイで間違いない。
御付きの二人が短剣を引き、アグニスの背後へと戻った。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
咲弥は呼吸を素早く繰り返して、首筋に手を当てた。
少しだけ、切れている手触りがする。
背筋に悪寒が駆け抜けるが、まずはネイを振り返った。
赤髪のネイが、笑顔で手を振ってくる。
「ネイさん……どうして、こんなところに……」
「どうしてじゃないでしょ。あんたこそ、何やってんの?」
「い、いや……僕は……」
「まったく。とんだ大、大、大苦労をかけさせられたわ」
ネイはひらりと短剣を抜き、咲弥の隣に並んだ。
「それで、どうするわけ? この子を解放するか、それとも冒険者達を敵に回すか……そろそろ、選んでくれない?」
咲弥ははっとする。
「だ、だめです! ネイさん」
「へぁ……?」
ネイがぽかんと口を開け、間の抜けた声を出した。
「僕の仲間二人が、人質に取られてるんです」
ネイの目もとが、ぴくりと引きつった。
アグニスが不敵に笑う。
「ふっ。そういうことだ。残念だな。間抜けな侵入者」
「はは……ばか? それ、脅しのつもり?」
「脅しではない。必要とあらば、実行させてもらう」
大きく笑ってから、ネイは再び問いかける。
「そういうことじゃなくてさ、それって脅しのつもり?」
「何が言いたい?」
「やればいいじゃない?」
「ネ、ネイさんっ……?」
毅然とした態度で告げたネイに、咲弥は震撼する。
確かにネイからすれば、ただの知らない他人に過ぎない。
だが、咲弥は違う。そういうわけにはいかないのだ。
ネイは短剣を、くるくると回した。
「言っておくけれど、人質を殺した時点で……私はあなたを敵と見做すわ。つまり、完全に戦争をすると受け取るから」
短剣の切っ先を、アグニスのほうへと向けた。
「意味、わかる?」
険のこもった表情のアグニスを、咲弥は初めて見た。
いつも堂々としているアグニスから、余裕が消えている。
「厄介だな……お前ら冒険者は、本当に厄介な存在だ」
「私一人に侵入を許す、ザルな警備や監視が問題ね」
「一人、だと……?」
目を丸くしたアグニス同様、これには咲弥も驚いた。
この奴隷施設は、規模もわからないぐらい大きな施設だ。
そのため、監視や警備をしている者の数は計り知れない。しかしネイはたった一人きりで、潜入してきたというのだ。
いかに戦闘能力が高いといえども、少し不可解に思える。
咲弥が困惑している中、ネイは肩を竦めてから言った。
「仲間にはもし私が戻らなければ、全力で攻め込んでもらうよう頼んでいるけれども……私が一人で、都合よかった?」
煽りにも思えるネイの言葉に、アグニスが舌を打った。
咲弥には、漠然と思い浮かんだ人物が一人いる。
「仲間って……もしかして……」
「そっ。ところで、あんたの仲間はどこにいんの?」
「別室にいます。今、怪我の治癒をしてるはずです」
「ふぅん。じゃあ、行こっか」
アグニスが一歩前へと出た。
「待て。まだ話は終わっていない」
「そう? 私はてっきり、終わったものだと思ったけれど」
「お前に問おう。このままで済むと、思っているのか?」
「逆に問おうか。本気でやる気なのね?」
どちらも圧力感が凄まじく、一歩も引かない。
肌がひりつくほどであった。
「まあ、私はどちらでも構わないわよ」
「その小僧一人のために、戦争をするだと? ありえない。冒険者ギルドが動き出すとは、到底考えられないのだが?」
アグニスが言った通りだと思える。
今はまだ、冒険者ギルドとは何も関わり合いがない。
「現在、私の仲間がギルドに申請する一歩手前なの。近隣の人達が、この子を救うためであればと、立ち上がったから」
咲弥は心の中で、漠然とした疑問が広がる。
いったい誰なのか、その正体が掴めない。
「それは親子だったり、販売店の店員だったり、村まるごと一つだったりとね。依頼ともなれば当然、私達は動くわよ」
謎だった疑問が、素早く晴れていく気分だった。
この世界で出会った人達の顔が、次々に脳裏に浮かぶ。
嬉しさと感謝が交じり合い、咲弥の視界は涙で滲んだ。
「それに、もとから黒い噂の絶えないあんた達なんだから。面白がる冒険者も、多数いると思うけどね? どうする?」
アグニスは深いため息を漏らした。
黙考する姿勢を見せたのち、アグニスは首を横に振る。
「好きにしろ」
「はあ? ばか? 最初から、そのつもりだけれど?」
くっと息を詰め、アグニスはネイをきつく睨んだ。
何かを言おうとしたらしいが、やめた様子であった。
「それじゃあ、あんたの仲間を引き取って帰るわよ」
「はい……あっ!」
咲弥は唐突に思いだした。
ネイがうんざりとした顔で訊いてくる。
「なあに? まだ何かあるわけ?」
「あ、いいえ。この服とか、借り物なので……」
「そんなの、貰っとけばいいじゃない」
「そういうわけにも……」
「ほんっと! ばかがつくぐらい、あんた真面目過ぎ!」
ネイには怒られたが、借りた物は返さなければならない。
黙って持っていくのは、盗人のすることなのだ。
アグニスはため息をついた。
「構わない。持っていけ」
「え……?」
「そんな物でよければ、いくらでもくれてやる」
「でも……」
「女王がいなくなったことで、ほかに実入りは山ほどある」
面白くなさそうな顔をして、アグニスは腕を組んだ。
「さっささと行け」
「……はい。アグニスさん。ありがとうございました」
引きつった眼差しで、アグニスが見つめてくる。
咲弥はこめかみを、ネイにつつかれた。
「あんた殺されそうになったの、もう忘れたわけ?」
「それとこれとは、話が別です。お礼はちゃんとしないと」
「はぁ……マジであんた……マジで狂気なレベルだわ……」
心の底から、ネイは呆れたようなため息を漏らした。
「まあ、いいわ。行きましょう」
「はい」
ネイが進み、咲弥は後を追う。
扉の付近に着くなり、アグニスが勇ましい声を投げた。
「おい。小僧」
「はい……?」
アグニスを振り返り、咲弥は首を傾げる。
アグニスの美貌に、不敵な笑みが張りついた。
「確か……咲弥だったな……また、必ず会おう」
咲弥は背筋がひやりとした。
その言葉の裏に、何が隠されているのかわからない。
大きな不安が胸に押し寄せてくる。
「えっと……できれば、ご遠慮しておきたいです」
「ふふっ。嫌われたものだ。しかし、すぐ会いたくなるさ」
「いいえ。すみません。失礼します」
咲弥はネイと一緒に、仲間のもとへと向かう。
誰もいない廊下で、ネイがどっとしたため息をついた。
「はあ……マジできつかったぁ……あんたのせいだからね」
「すみません……でも、どうしてここがわかったんです?」
ネイは片目をぴくつかせた。
「私が王都の冒険者ギルドに戻った日に、どこにもあんたの姿がないから、ちょっとおかしいなって思ったのよ」
「ああ……」
「だから、冒険者ギルドの受付に聞いてみたの。そしたら、そんな子は一度も尋ねて来てない――って、言われたわけ」
ネイは両手を軽く広げ、重ねて告げる。
「あれほど冒険者ギルドってずっと言ってたのに、どこにも来てないとなったら、普通はおかしいと思うでしょう?」
「ははは……そうですね」
「道中で何かあったのか、ゼイドに連絡して調べてみたの。そしたら、マータス町で奴隷を探してたアホを見つけたわ」
咲弥はぼんやりと思いだす。
ロイに馬車から蹴り落とされた、小太りの男がいた。
「そいつを問い詰めたら、洗いざらい吐いてくれたの」
「なるほど……そうだったんですか」
咲弥はネイに、改めてお礼を告げる。
「本当に、ありがとうございました」
「お礼なら、ほかに言う人がたくさんいるでしょう?」
「はい……本当に、感謝してもしきれません」
ネイは横目で咲弥を睨んだ。
咲弥は理由がわからず、あたふたとする。
「まあ、後ででいっか」
「なんですか?」
「内緒。ほら、行くわ――ところでさ」
ネイが訝しげに見つめてくる。
咲弥は小首を傾げた。
「なんですか?」
「あんたのソレ――何?」
ネイが、咲弥のほうを指さした。
一瞬、何も理解できなかった。
やがてソレは、咲弥の脳裏で形をなしていく。
「あっ……そうでした……」
「まさか、よね? ただの、首輪でしょ? ねえ?」
咲弥は冷や汗が滴り落ちた。
『すぐ会いたくなるさ』
アグニスの言葉の真意を、いまさらながらに知った。
咲弥はネイに、一緒に戻ってほしいと必死に頼み込んだ。
ネイはただただ、嫌そうな顔をする。
そして――
アグニスのもとへ、また二人は踵を返したのだ。