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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第一章  王都を目指して
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第二十九話 人語を解する魔物




 礼拝堂らしき場所から、咲弥は紅羽と上を目指していた。

 ロイの安否(あんぴ)が気にかかり、おのずと進む足も速くなる。

 ぱっと見ただけでも、アラクネの数は四十を超えていた。

 どう考えても、たった一人で対処が可能な数ではない。


 ただでさえ、ロイへの不安で胸がひどく圧迫されている。そんな咲弥をよそに、地形はとても複雑に入り組んでいた。

 次第に方向感覚が狂い、現在地すらもわからない。


(ロイさん……どうか……)

「咲弥様」


 紅羽に呼ばれた意図を、咲弥は瞬時に理解する。

 少し先の通路――石壁には、無数の糸が張りついていた。


 白い糸もあれば、赤黒い糸もある。それはまるで、何かの体内を彷彿とさせるような、気味の悪いものに感じられた。

 卵らしき物体もあり、心臓の鼓動みたいに動いている。


「ここは、アラクネ女王の産卵場かな?」

「おそらくは」


 それが意味するのは、至極単純であった。

 アラクネ女王が付近にいる――途端に空気が張り詰める。

 ロイの安否が不明のまま、目的地に辿(たど)り着いてしまった。


「ロイさんが、まだ見つかっていない。ここは一度……」


 ある一つの物体が目に入り、咲弥は言葉に詰まった。

 (まゆ)っぽい形に、背筋が凍える不気味さがある。


 嫌な想像が巡ったせいで、本音を言えば触れたくはない。

 ただ、もし生きていたら――まだ間に合う可能性はある。

 咲弥は意を決し、繭の一部に指をかけた。


「う、うわぁあああっ……」


 恐怖と驚愕が交じり合い、咲弥は尻もちをつく。

 中には、ドロドロに溶けた人が入れられていた。

 すでに死亡していると、即座に判断できる状態だった。


 周囲をよく見回せば、似た感じの繭がいくつもある。

 アグネスから聞いた、先発隊の者達に違いない。

 込み上げる吐き気を(こら)え、咲弥は溢れ出る涙を拭う。


「咲弥様。あちらに」


 紅羽が差した指の方角に、咲弥は目を向ける。

 礼拝堂以上に、広々とした空間――なんのための場所かは不明だが、そこにある舞台らしき部分に、両手足を糸に(から)()られたロイがいた。


「ロ、ロイさん!」


 ロイが生きているのか、遠目からではわからない。

 咲弥は我知らず、全力で走りだした。


「待ってください。咲弥様!」


 制止の声も届かないほど、咲弥の視界は(せば)まっていた。

 不意に、咲弥は体に衝撃を覚える。

 紅羽が飛びついてきたのだと、遅れて理解した。


 瞬間――

 咲弥がいた場所に、地を砕く衝撃が駆け抜けた。

 紐の切れた咲弥の鞄が宙を舞い、いきなり細切れとなる。


「なっ……」


 紅羽が助けてくれなければ、確実に自分が裂かれていた。

 重量感のある振動と音が響く。


 人を軽々と踏みつぶせそうなほど、巨大なクモの胴体――本来ならクモの顔にあたる部分には、青白い肌をした女性の上半身が生えていた。

 両手の指には、恐ろしいぐらい長く伸びた爪がある。


(あれが、アラクネ女王……?)


 妖艶な女性に見えなくもないが、明らかに人ではない。


「餌……餌、餌……また来た。餌……」


 強い衝撃を受け、咲弥はひどく混乱した。

 人語を操るさまから、本来は人だったのかと想像する。


「言葉が……わかるのか……?」

「さあ、我が子達の(いしずえ)となれ」


 アラクネ女王は両手を下に広げ、勢いよく振り上げた。

 なんの意味があるのか、咲弥は(いぶか)しげに観察する。

 紅羽が荷物を放り投げ、咲弥の前に飛び出した。


「光の紋章第五節、極光(きょっこう)障壁(しょうへき)


 純白の紋様が砕け、前方に光の幕が発生する。

 さきほどの見えない斬撃が、光の幕によって(はば)まれた。

 ようやく、咲弥は攻撃の正体が(つか)める。

 アラクネの長い爪から、極細の糸が流れているらしい。


「咲弥様。冷静に、なってください」


 時折か弱くなった紅羽の声に、違和感を覚える。

 紅羽の全体を眺め、咲弥は目を大きく見開いた。

 紅羽の脚から、血が(したた)り落ちている。


「まさか、あのとき……」


 自身の(おろ)かな行動を、咲弥は心の中で激しく責め立てる。

 無鉄砲に進んだ結果、紅羽に怪我を負わせていた。

 咲弥が、自責の念に駆られている最中――アラクネ女王は指先を器用に動かし、流れる糸を器用に手繰り寄せていく。

 アラクネ女王は糸の一部分に、異様に長い舌を()わせる。


「生きのよい餌……極上の餌……アァーハッハッハッ!」


 紅羽の血を舐めたのだと、咲弥はそう断定する。

 アラクネ女王の甲高い笑い声が、咲弥の耳を傷めた。

 これまで出会ってきた、どの大型の魔物とも違う。

 異質で危険な雰囲気が、色濃く漂っていた。


 思考を切り替え、咲弥は短剣を構える。

 空色の紋様を浮かべ、練り込んだオドを込めた。


「ごめん。紅羽……安全な場所で、怪我の治癒(ちゆ)を優先して。僕一人じゃ、あいつには敵わない。だから、助けてほしい」

「了解しました」


 咲弥は力一杯に駆け、まずは紅羽から遠ざかった。


「水の紋章第一節、螺旋の水弾!」


 空色の紋様が砕け、咲弥の周囲に一つの渦が生まれた。

 渦から放たれた水弾が、アラクネ女王をめがけて飛ぶ。


 アラクネ女王は長い爪で、水弾をたやすく破壊する。

 攻撃は失敗したが、それは別に構わない。

 アラクネ女王の意識を、しっかり自分へ向けさせていた。


「こっちだ! アラクネ女王!」

(なんじ)も極上の香り……極上の餌」


 アラクネ女王は、にたりと笑った。

 手のひらを広げ、アラクネ女王は唱える。


「来たれ。闇の眷属(けんぞく)


 手の周囲に、黒く小さめの魔法陣が無数に描かれた。


(な、なんだ! 複数の魔法を同時に……っ?)


 虫に似た気味の悪い生物が、魔法陣から飛び出してきた。

 咲弥は斜め後ろに飛び、大きく距離を取る。

 左腕の一部がかすったらしく、痛みが脳に伝わった。


「ぐっ……」


 アラクネ女王が、また舌なめずりした。


「この世のものとは思えぬほどの極上……なんぞ、これ……美味なり、まこと美味なり……アァアアアアアア――ッ!」


 鼓膜(こまく)を破りかねないぐらい、激しく狂った咆哮(ほうこう)であった。

 奇妙な虫も警戒するが、徐々に姿が薄れて消えてしまう。

 おそらくは、魔法で生み出された生物だと考えられた。

 その生物が得た血は、アラクネ女王へと届くのだろう。


(魔法……こんなにも、気持ち悪いものもあるのか)


 いまだ狂うアラクネ女王――咲弥はチャンスだと踏んだ。

 咲弥はオドの発生を、一時的に()き止める。


「水の紋章第一節、螺旋の水弾――限界突破!」


 強く輝いた空色の紋様が砕け、色濃い渦を生み出した。

 凄まじい速度で放たれた水弾が、アラクネ女王へ向かう。

 その時点で、咲弥は即座にオドの停止を解除する。


 準備期間内で得た大収穫の一つ――この方法を用いれば、たとえ限界突破といえども、オドの消耗を最小限にまで抑え込むことができる。

 ただその分、これまでのような威力は出せない。加えて、練り上げていたオドが、綺麗さっぱりと消えてしまうのだ。


(よし……いけるぞ!)

「アァ……もっと……もっと……欲、し、い……」


 アラクネの視線が、ゆらりと咲弥へと流れる。

 恐怖で全身が凍てつくほど、殺意に満ちた眼差しだった。


 アラクネ女王は、爪の一つ持ち上げる。

 突然、限界突破した水弾が破壊された。

 糸ではない。破壊方法が、まったく見えなかった。


「な、んで……?」

「天にも昇る極上の血を……すべて、我に捧げよ」


 アラクネ女王は、指先から絡み合う無数の糸を生んだ。

 クモの巣――広範囲に(つむ)がれた糸が、咲弥に襲いかかる。

 それは漁師の使う投網を連想させた。


(こんなの! よ、避けられない――)

「光の紋章第一節、閃く剣戟(けんげき)


 小さな光球が舞い、クモの巣を切り裂いた。


「紅羽!」

「咲弥様。お待たせしました」


 危機は去っていないが、紅羽の復帰に安心感が芽生える。

 もう一人――紅羽が救出したのか、ロイが声を張った。


「よくもやってくれたな! 火の紋章符(もんしょうふ)、発動!」


 火の紋章符が灰になるや、辺りに火炎が駆け抜ける。

 ロイがまだ生きていて、咲弥は心の中で喜んだ。


「ロイさん!」

「わりぃ! 捕まっちまった! つか、死んだと思った」


 ようやく、全員が揃った。


(おろ)かなり……それもまた、一興(いっきょう)なり……」


 アラクネ女王は萎縮(いしゅく)するどころか、楽しんでさえいる。

 アラクネ女王は、ロイを振り返った。


(なんじ)は、不味い餌」

「はんっ! 美味かったとしても、喰わせてやらねぇよ」


 ロイは二枚の紋章符を取りだした。


「水の紋章符、発動!」


 大きな水の塊が、アラクネ女王をめがけて放たれた。

 咲弥の紋章術に比べれば、明らかに速度がたりない。

 当然、水の塊は糸で細切れにされた。

 再び、ロイの声が飛ぶ。


「雷の紋章符、発動!」


 切られた水しぶきを、電撃が繋ぎ走った。


「アァアアアアア――ッ!」


 雷鳴が(とど)き、アラクネ女王に電撃が届いた。

 咲弥は感心しつつも、チャンスは逃さない。


「水の紋章第一節、螺旋の水弾――限界突破」

「光の紋章第四節、白熱の波動」


 咲弥は、紅羽と同時に詠唱(えいしょう)した。

 水弾が凄まじい速度で、アラクネ女王に激突する。

 そして、紅羽が放った白い光の筋にも飲み込まれた。


「まだまだ、くらえ! 雷火(らいか)の紋章符、発動!」


 二枚の紋章符が、一緒になって散った。

 火と雷が交じり合い、アラクネ女王に襲いかかる。

 紅羽の光の矢での追撃を見ながら、咲弥は衝撃を受けた。


(二枚の紋章符を合体……? そんなこともできるのか)


 ロイの戦い方は、今まで見てきた者達とはまるで異なる。

 紋章符の扱いにたけた――確かに、納得の戦い方だった。


「さすがに、これなら……」


 全員の攻撃が、アラクネ女王にすべて命中している。

 手応えは確かにあった。


「ぐあぁああああ――っ!」


 突然、ロイが絶叫した。


「ロ、ロイさん……!」


 後方へと吹き飛び、ロイは石壁に激突する。

 (もろ)かった様子の石壁が、ガラガラと音を立てて崩壊した。

 倒れているロイは、ぴくりとも動かない。


 ロイの安否が気になるが、アラクネ女王が動き始める。

 アラクネ女王の口もとに、静かな笑みが張りついた。


「なんで……どうして、効かないんだ……?」


 咲弥は怪訝(けげん)に思い、アラクネ女王を観察する。

 火傷どころか、傷一つすら負っていない様子だった。


 紋章術の無効化――咲弥は、そんな可能性を模索する。

 仮に紋章術が通じていないのなら、さきほど上げた悲鳴の意味がわからない。水と雷の紋章符を連携したとき、確実にダメージは入っているはずなのだ。


(何かを、見落としてるのか……?)


 アラクネ女王の視線が、また咲弥へと流れてくる。

 まるですべてを、呑み込むような、暗く黒い、瞳だ。

 ただ、ただ――

 暗い、瞳――

 吸い――

 こ――

 ――


「咲弥様ぁっ!」


 咲弥の視界に、紅羽は悲鳴じみた声を出して割り込んだ。

 (うつ)ろだった咲弥の意識が、途端にはっきりとする。


「はっ……僕は……」


 奇妙な感覚に、危うく取り込まれかけていた。

 それを理解した瞬間――紅羽が大きく()()る。

 なんらかの攻撃を、背に受けたのだとわかった。


「闇魔法に……気を……つけて……くだ……」


 紅羽がどさっと、地面に崩れ落ちた。

 咲弥は目を大きく見開き、素早く紅羽の上半身を抱える。

 彼女の背からは、生温かい血が溢れるように流れていた。


「く、紅羽! 紅羽! しっかり!」


 息はしているが、完全に意識を失っている。

 さきほどから、紅羽に助けられてばかりだった。

 つまり紅羽だけは、アラクネ女王に対応できているのだ。

 咲弥がいなければ、傷を負うこともなかったに違いない。


 紅羽に言われた通り、完全にお荷物となっている。

 しかし、今は落ち込んでいる場合でもない。

 紅羽をそっと寝かせ、咲弥はアラクネ女王を向いた。


「迷惑かけて、本当にごめん――」


 下手に相手の動向を探る余裕などない。

 アラクネ女王との距離を、咲弥は一気に縮めた。

 後手に回れば、最悪の事態を招きかねない。

 倒れた紅羽達に、追い打ちをかけるかもしれないからだ。


「お前の相手は、この僕だ!」

「邪魔は消えた。さあ、(なんじ)の極上なる血を……もっと……」


 咲弥は短剣を握り締め、勢いよく振った。

 アラクネ女王は大きく跳躍して、後方へ飛び退()く。

 アラクネ女王はなぜか、物理的な攻撃をしてこない。

 咲弥の脳裏に、何かが引っかかった。


 無効化と思えるほどの防御力があるのならば、その硬さを生かした物理攻撃をしてきても、なんら不思議ではない。

 短剣を回避するのも、不思議に感じられた。

 紋章術は無効化できても、物理攻撃には弱いのか――


(なんだ……なんなんだ、いったい……)


 ふと、咲弥は足元にぬめりを感じた。

 水の紋章術での残骸か、ひどく濡れている。


(まさか……っ? 闇って……)


 咲弥に閃きが起こる。

 地面の濡れ、闇魔法――確かめてみる価値は充分にある。


 咲弥はまた、アラクネ女王に詰め寄った。

 アラクネ女王が糸を操り、咲弥の肌を傷つける。

 全神経を集中し、咲弥は糸をすり抜けた。


「水の紋章第一節、螺旋の水弾!」


 ただの水弾を、アラクネ女王にめがけて放つ。

 当然、謎の不気味な破壊が起きる。

 その間に、咲弥はオドの発生を()き止めた。


「水の紋章第一節、螺旋の水弾――限界突破!」


 まばゆく砕けた空色の紋様は、色濃い渦を生み出した。

 凄まじい速さで、水弾がアラクネ女王の足元に飛ぶ。

 水弾が地面を豪快に砕いた。


「アァアアアアア――ッ!」


 アラクネ女王がゆらりと揺れ、重なったように見えた。

 睨んだ通りの結果が得られる。

 自身の影の中に、アラクネ女王はずっと(ひそ)んでいたのだ。

 つまり地上にいた物体は、ただのダミーに過ぎない。


「ようやく、姿を現したな!」


 アラクネ女王へ、紋様を描きながら勢いよく突っ込んだ。


()()に、限界突破!」


 短剣が(くう)を裂いていく。

 アラクネの胴体に、当たる寸前での出来事だった。

 短剣がいきなり粉々に砕け散ってしまう。

 これまでも、別のアラクネを相手に短剣を使っていた。


 そのせいで、武器の疲労が溜まっていたのかもしれない。おそらく空を裂いている段階で、限界突破の威力に耐えきれなかったのだと察した。

 ()()にではなく、()()()()()()を限界突破すべきだった。


「そ、んなっ……!」


 咲弥の意識が、砕けた短剣に奪われる。

 アラクネ女王から、凄まじい足蹴りを食らった。


「ぐぁ――っ!」


 咲弥は後方へ吹き飛ぶ。

 石の扉をも貫き、背からも激しい痛みが広がる。

 紋章効果のある服――または、長い年月を経て(もろ)くなった扉でなければ、その衝撃だけで死んでいた可能性が浮く。


(いっ、つつ……もう、アレを……やるしかないのか……)


 相手が死ぬか、自分が死ぬか、またはその両方が死ぬか。

 それは天から与えられた、正真正銘(しょうしんしょうめい)――諸刃(もろは)(つるぎ)

 全開の限界突破を自身に使うといった、禁断の選択だ。


 非常に危険な()けになるだろう。

 ただ本体が現れた今であれば、分が悪い賭けでもない。

 咲弥はゆっくり、上半身を起こしていく。


「ここが、勝負どころだろ……やれ! やるしかない!」


 咲弥は自身を鼓舞(こぶ)した。

 ふと、(そば)にある異物が視界に入る。

 それは淡く輝いており、(あや)しく咲弥の目を引きつけた。




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