第二十八話 鮮烈な光景を生む少女
淡く光る鉱石や植物が照らす道を、咲弥達は慎重に進む。
アラクネの大群を、もうすでに何度か目にしていた。そのたびに神経をすり減らしながらも、上手く掻い潜れている。
目的の場所までは、まだまだ遠い。
「よし。大丈夫そうだ。入れ」
小型の懐中電灯で確認してから、ロイが手招きをした。
咲弥は紅羽と一緒に、古びたほら穴の中へさっと入る。
先発隊が遺した休憩地へと、また無事に辿り着けた。
これで、もう六度目となる。魔物の姿はどこにもない。
咲弥は肩から荷を下ろして、照明器具を取り出した。
中にある石が光り、周囲が柔らかな明かりで照らされる。
「ふぅ……やっと一息つけますね」
「ぼんやりともできねぇ。次のルートを確認だ」
「わかりました」
咲弥は地面に、アグニスから手渡された地図を広げる。
この地図には、あらゆる情報が記されていた。アグニスの話によれば、先発隊から無線機で報告を逐一受け取り、書き込まれたものらしい。
紅羽を含めた全員が、地図を上から覗き込んだ。
現時点では、全体の五分の二までは進めている。
「先発隊は、ここから東に迂回しているのか。これじゃあ、かなり遠くなるな」
「西のルートは、何か問題があったんですかね?」
「これを見る限りじゃあ……普通は西に行くよなぁ。でも、選ばれなかったってことは、何か問題があったんだろうよ」
西のルートを進めば、距離が一気に短縮する。とはいえ、安全に進むのであれば、先発隊の道順に従ったほうがいい。
「……東が、結果的には安全そうですね」
「だな。アラクネ女王までは、余力を残しておきてぇし」
「わかりました」
「よし。それじゃあ、そろそろ行くか」
ロイに頷いてから、咲弥は紅羽に視線を移した。
紅羽は表情一つ変えないまま、静かに立ち上がる。
「また気をつけて進みましょう」
咲弥はそう告げ、荷物をまとめてから出入口に向かう。
荒廃したドワーフの跡地は、どこも瓦礫にまみれていた。
当時の生活を感じさせるものは、ほぼ何も残っていない。
かろうじて原型を留めた物も、触れれば崩れそうだった。
そんな荒れ果てた石の道を、咲弥達は息を殺して歩く。
しばらくして、突然ロイが手で制してきた。
「だめだ……こっちは、進めねぇ」
囁く声音で言い、ロイが首を横に振る。
岩陰に隠れ、咲弥も奥を覗いてみた。
おぞましい数のアラクネが、なんらかの作業をしている。
巣作りなのか、眺めてみてもよくわからない。
「どうしますか?」
「戻って、西に進む」
お互いに声を抑え合い、短いやり取りをする。
来た道を戻り、西のルートへ入った。
東とは違い、アラクネの姿はどこにも見当たらない。
まったくの邪魔も入らず、すんなりと進めた。
「なんだ。余裕で行けるじゃねぇか」
「やりましたね。全体の半分以上も距離を縮められました」
「地図の全部が正解。って、わけじゃなさそうだな」
ほどなくして、最後から二番目の休憩地点が見えてくる。
ここまで来られれば、あと少しのところだった。
アラクネ女王のねぐらは、もう目と鼻の先にある。
不意に――ドンッと、真後ろから音が響く。
同時に、咲弥は背中に軽めの衝撃を受けた。
「えっ……?」
肩越しに背後を振り返り、咲弥はすぐさま理解に達する。
咲弥の背を蹴ってきたのは、どうやら紅羽らしい。彼女は片足を上げたままの姿勢で、上空に向けて弓を構えていた。
光の紋章効果が宿る弓に、光輝いた純白の矢が生まれる。
紅羽の選んだ弓は、オドを込めれば光の矢を作れるのだ。
もちろん実際の矢も使えるのだが、矢筒に入れられる矢の数には限界がある。紅羽いわく――実際の矢はあくまでも、オドの消耗を軽減するための物のようだ。
紅羽は無言のまま、眩しいほど白く輝いた矢を射った。
猿顔をしたアラクネを、光の矢が凄まじい速度で射抜く。
咲弥と紅羽の間に、そのアラクネが降ってきた。
「アラクネ……っ!」
「シャアアアア――ッ!」
咲弥に緊張が走った。
さまざまな場所から、アラクネの威嚇が飛んでくる。
四方八方から、続々とアラクネが現れた。
咲弥は考える間もなく、腰に帯びた短剣を掴む。
「ちっ! あと少しだってのに……」
短剣を抜く前に、ロイが颯爽と動いた。
服のポケットから出した赤い紋章符を、指に挟んでいる。
「火の紋章符、発動!」
炎の紋章符が燃え、火球がアラクネに衝突した。
激しい炎に包まれ、アラクネの悲鳴が響き渡る。
「土の紋章符、発動!」
ロイの指にある土の紋章符が、今度は砂となって消えた。
岩の突起が地から飛び出し、燃え盛るアラクネを貫く。
咲弥は素早く、周囲に視線を巡らせる。
「紅羽、後ろ!」
咲弥は叫びながら短剣にオドを込め、力強く薙ぎ払った。
水の線が刃に追随して、アラクネの肌を傷つける。
素人の斬撃では、やはりかすり傷程度しか与えられない。
危険を察知したのか、アラクネが大きく跳び退いた。
「くそっ!」
まだ滞空中のアラクネに向け、紅羽が光の矢を射る。
飛翔する光の矢は途端に、枝分かれのごとく分裂した。
付近にいた複数のアラクネを、一斉に貫いたのだ。
「凄い……紅羽」
「油断するな。まだまだ来るぞ」
ロイは紋章符を扱い、紅羽は何度も弓を引いた。
咲弥は邪魔にならない程度に、短剣を振って応戦する。
ただアラクネの数は、ひっきりなしに増え続けた。
「こりゃあ、キリがねぇ。一気に駆け抜けるぞ」
ロイは口早に告げてから、一目散に走りだした。
咲弥は紅羽と一緒に、ロイを追いかける。
邪魔なアラクネを処理しつつ、ひたすら前を行く。
しかし、徐々に処理しきれなくなってくる。
絶望的なぐらい、アラクネの数が多い。
不安が胸を絞めつけた――そのときであった。
「咲弥様!」
悲鳴じみた紅羽の声が、咲弥の耳に届いた。
ゾワッと悪寒が背を駆け、咲弥は遅れて現状を把握する。
アラクネの一匹が、死角から飛び出してきていた。
とっさに空色の紋様を浮かべたが、詠唱が間に合わない。
「ぐっ……!」
紋章効果が付加された服のお陰か、ぎりぎり回避できた。
だがさらに予期せぬ出来事が生じる。
別のアラクネが、咲弥の付近に勢いよく着地したのだ。
その瞬間、けたたましい音を立てて地面が崩壊する。
「う、うわぁあああ――っ!」
「う、嘘だろぉおー!」
ロイの声が一気に遠退く。
彼はどうやら無事、崩壊に巻き込まれなかったみたいだ。
どこまで落ちるのか、あまりに突然過ぎて対処できない。
咲弥の視界に、銀色の線が走った。
よく見れば、それは弓を肩にかけた紅羽であった。
「咲弥様。お掴まりください」
紅羽も一緒に、落ちているようにしか見えない。
それでも紅羽が伸ばした手を、咲弥はがっしりと掴んだ。
どうするつもりなのか、いまだ落下は止まらない。
紅羽が純白の紋様を浮かべた。
「光の紋章第四節、白熱の波動」
純白の紋様が砕け、紅羽が右手から光の筋が伸びる。
それはもはや、レーザーとも呼べる代物に感じられた。
一瞬だけ、ふわりと浮遊感を覚える。
そしてまたすぐに、落下が始まった。
ドサッと重い音が響き、鈍い痛みが背から発生する。
「いててて……」
「ご無事ですか? 咲弥様」
咲弥とは違い、紅羽は上手く着地できたようだ。
情けなさから恥が湧くが、さすがにどうしようもない。
痛みをなるべく我慢して、咲弥は周囲に視線を巡らせる。
光る鉱石や植物共々、アラクネも数体落ちてきていた。
落下の衝撃には耐えられず、すべて息絶えている。
咲弥は呼吸を整えてから、紅羽を振り返った。
「紅羽は大丈夫? 怪我はない?」
「問題ありません」
「そっか……助けてくれてありがとう」
「はい」
無表情の紅羽を少し眺めてから、上空へと目を向けた。
明らかに、登っていける距離ではない。
「ロイさぁーんっ!」
叫んでみたが、ロイからの返事はなかった。
無事なのかどうか、咲弥からでは判断できない。
「ロイさん、大丈夫かな……」
「咲弥様」
紅羽が指を差していた。
暗くて見えづらいが、ぽっかりとあいたほら穴がある。
どこに繋がっているのかは不明だが、今は進むしかない。
「早く上に戻って、ロイさんと合流しよう」
「了解しました」
紅羽と並び、咲弥はほら穴を前にする。
これまでは、光る鉱石や植物で視界をかろうじて保てた。
落ちた地点はそれらのお陰で明るかったが、ほら穴の先はただただ闇が深い。
咲弥は鞄から、紋章具――誘光灯を二つ手にした。
廃坑のときに、一度だけ使用した思い出がある。
冒険者達を思いだしながら、紅羽に誘光灯を差し出した。
「念のため、紅羽も使っておいて」
「はい」
咲弥は紅羽と同時に、誘光灯を使用した。
周囲が見違えるくらい、二つの光球に明るく照らされる。
ただずっと先のほうまでは、さすがに光が届かない。
「慎重に進もう」
「了解しました」
広々としたほら穴の中を、咲弥は紅羽と並び歩く。
岩肌はとても滑らかで、触れても傷一つつきそうにない。
人かどうかの判断は難しいが、人為的な通路だとわかる。
もし人為的であれば、上に戻る方法もきっとあるだろう。
かすかな希望を胸に、咲弥は通路の先へとやってきた。
「わぁー……これって……?」
おそらくは、ドワーフが遺したものの一つだと思われる。
ひらけた空間は、教会を彷彿とさせる構造をしていた。
遥か昔には、礼拝堂か何かだったに違いない。
今現在はかなり荒れ果てており、瓦礫が散乱している。
ただほかとは違い、まだ形をちゃんと残していた。
「どうして……ここのドワーフ達は、滅んだんだろうね」
雰囲気のある景色に目を奪われ、咲弥は自然と呟いた。
隣にいる紅羽が、反応を示す。
「わかりません。ですが……」
「ん?」
「ドワーフだけではありません。遥か昔、魔神が地上に降り立った日を境に、世界は大きく変わったと学びました」
魔神――使徒が討つべきだと予想している存在だった。
紅羽は語り続ける。
「魔神を封じるまでの間に、絶滅した種族もいます。ですがドワーフの末裔は小人と呼ばれ、今もなお存在しています」
裁縫ギルドにいた小人が、咲弥の頭に思い浮かぶ。
そこの小人達はみな、背は低いがスマートな体系だった。
ドワーフはもっと筋骨隆々という体形で、ごつい顔に凄い髭を生やした存在――勝手にそんな想像をしていたからか、既知していた小人とは結びつかなかった。
「そう、だったのか……それじゃ、ここにいたドワーフ達の子孫が、今もどこかで元気にしてるのかもしれないね」
どこか安心感が芽生えたからか、自然と笑みがこぼれる。
紅羽が無表情のままに、じっと見つめてきた。
「……咲弥様は、本当にお優しいのですね」
「え?」
紅羽はそれ以上、何も言わなかった。
沈黙した場に、突然大きな物音が響く。
「な、なんだ……!」
びっくりした咲弥は、慌てて周囲を観察する。
複数の足音か、ずいぶん素早く感じられた。
「咲弥様。短剣を手にしてください」
「う、うん」
咲弥は空色の紋様を浮かべ、短剣を握り締めた。
音が近づいてくる方向――
瓦礫の一部が破裂したかのように、豪快に弾け飛ぶ。
そこから現れたのは、明らかに異質なアラクネだった。
「なんだ、こいつ……ほかのアラクネ達よりもでかい」
「おそらく、女王の側近かもしれません」
「側近?」
「はい。お気をつけください。魔法を扱うと思われます」
じわりとした緊張感を覚え、いやな汗をかく。
側近のアラクネを見据え、咲弥は動向を探る。
先に動いたのは、紅羽のほうだった。
光の矢を射ると同時に、紅羽は純白の紋様を浮かべる。
アラクネは光の矢を避け、素早く壁に張りついた。
「光の紋章第二節、煌めく息吹」
輝いた純白の紋様が砕け散った。
ちかちかとした欠片が、咲弥達の周囲に漂い始める。
「身体能力を向上させる紋章術です。お気をつけください」
「あ、ありがとう」
アラクネが壁を駆け、咲弥達との距離を素早く縮める。
唐突に尻を向け、アラクネはやや太めの糸を噴出した。
瓦礫に付着するなり、それを勢いよく吹き飛ばしてくる。
「わっ!」
咲弥は回避を――紅羽の紋章術に加え、さらに紋章効果が宿る服のせいか、過剰なぐらい避け過ぎてしまった。
数メートルはある距離を、一気に進んでいる。
とっさには慣れない類の感覚に、少し気分が悪くなった。
(うへぇ……)
アラクネの背後へ、紅羽が恐ろしい速度で回り込んだ。
「光の紋章第一節、閃く剣戟」
純白の紋様が砕けるや、小さな光球が舞い踊る。
光球に裂かれ、アラクネが大きく跳ねた。尻から噴出した糸を巧みに操り、紅羽からかなり慌てた様子で離れている。
そんなアラクネが見せた隙を、咲弥は逃さない。
空色の紋様に、練り上げたオドを込めた。
「水の紋章第一節、螺旋の水弾」
輝く空色の紋様が砕け、深く暗い水の渦が発生した。
激しい音を立てて水弾が放たれ、アラクネに命中する。
タイミングを少し間違え、狙い通りとまではいかない。
それでも、アラクネの足を一本は破壊できた。
「シャアララララ!」
天井に糸を張りつけ、アラクネはぶら下がる。
そのアラクネの真下に、巨大な黒い魔法陣が発生した。
影から飛び出した球体が破裂し、無数の黒い棘が飛ぶ。
さきほどの回避を計算に入れ、咲弥はその場から離れた。
紅羽が華麗に、黒い棘をすり抜けた直後――崩れた石壁を踏み台にして、どんどんと上へ軽快に跳ね上がっていく。
天井にぶら下がったアラクネの、さらに真上を陣取る。
瞬間的な速さで、紅羽は右手付近に純白の紋様を描いた。
「光の紋章第四節、白熱の波動」
紅羽の右手から、まばゆい光線が放たれた。
直撃したアラクネが、悲痛な悲鳴を上げる。
糸も断ち切れ、アラクネは石の地面に激突した。
まだ滞空中の紅羽は、さらに弓を引いて追撃する。
光の矢が枝分かれし、それはまるで光の雨にも見えた。
動かないアラクネは、光の雨を体中で受け取る。
(紅羽って……)
それは、あまりにも鮮烈な光景だった。
彼女の神々しい容姿も相まってか、まるで一枚絵のような美しさがそこにはある――そんな一瞬しかない光景が脳裏に焼きつき、咲弥は息をすることも忘れた。
自分とは違い、彼女のほうが天からの使いと呼ばれそうな雰囲気が漂っている。
コルスのときにも思ったが、かなり戦闘に特化していた。それこそ、他の追随を許さないぐらいの強さに感じられる。
華麗に地へと舞い降り、紅羽はすぐ大きく飛び上がった。
そのまま、咲弥の傍まで距離を縮めてくる。
ただただ呆然と、咲弥は傍に立つ紅羽をじっと見つめた。
少しして、はっと我に返る。
「え……? お、終わった……の?」
「はい。処理が完了しました」
これまで大型の魔物には、苦戦した思い出しかない。
今回はずいぶん、あっさりと倒せた。
紅羽が淡々とした口調で指摘してくる。
「咲弥様。少々、動きが悪かったですね」
「あ……」
「今回の経験を踏まえ、もっと立ち回りを考えてください」
「いや、違うんだ。動きが、逆によすぎたというか……」
紅い瞳にじっと見つめられ、言い訳もできなくなる。
「……そ、そうだね。ごめん。もっと頑張るよ」
「はい」
苦笑いで誤魔化したが、気まずい空気が満ちていく。
流れを変えようと、咲弥は素直な感想を伝えた。
「それにしても、紅羽は本当に凄いね。もしかしたら、僕がこれまで出会ってきた誰よりも、強いんじゃないのかな」
紅羽は少し間を置き、可憐な声で言い放った。
「咲弥様は、私よりもお強いです」
「え……?」
お世辞にしても、あまりに大げさだった。
紅羽より強いわけがない。
立ててくれているのか、逆にプレッシャーを感じた。
「ははは……が、頑張るよ」
「はい」
「それじゃあ、ロイさんが心配だし……進もうか」
「了解しました」
咲弥は紅羽と歩き、ふとアラクネの死骸を見た。
いまだに正しいのかどうか、心の中に迷いはある。
戦闘が終わるたびに、ついそんなことを考えてしまう。
生きのびるためには、殺し合うしか道はないのだ。
そう理解はしていても、やるせない思いは尽きない。
咲弥は心の内側で、アラクネの冥福を祈っておいた。