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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第一章  王都を目指して
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第二十七話 出発前夜




 風呂から上がった咲弥は、自室のベッドに腰を下ろした。


(ふう……なんだか、ずっと久々な気がするなぁ)


 つらい奴隷生活が、身に染み込んでいるからに違いない。

 個室に一人でいると、心が奇妙な感覚で溢れ返った。

 バサッとベッドに寝転がり、石造りの天井を見上げる。


 昨日と今日――できることは試し、ずっと訓練を続けた。

 それでも明日の今頃は、どうなっているのかわからない。

 緊張と不安が同時に、咲弥の胸に募った。


(頑張るしかないんだ……頑張るしか……)


 不意に、コンコンコンと扉が叩かれた。

 咲弥はがばっと起き上がり、部屋の出入口へ向かう。


「はい」


 扉を開けば、そこには紅羽が立っていた。

 銀色の髪が、わずかにまだ湿(しめ)っている。

 どうやら紅羽も、風呂から上がったばかりの様子だった。


「咲弥様。少し、よろしいですか?」

「あ、うん……どうぞ」


 手をひらりと漂わせ、紅羽を部屋へ招き入れた。

 すれ違いざまに、とても華やかな香りが鼻腔(びこう)をくすぐる。

 それは洗剤の匂いというよりは、女性特有の香りだった。


 咲弥は気恥ずかしさを覚えながら、そっと扉を閉じた。

 壁際のほうにある長椅子の前で、紅羽は立ち止まる。

 少し近くに寄ってから、紅羽に問かけた。


「弓ならしのほうは、もう終わったの?」

「はい。やっと馴染(なじ)みました」


 紅羽は数多くある武器から、弓を選択していた。

 咲弥がオドの訓練をしているさなか――紅羽は木偶人形を相手に、何百という数の矢を()続けていたらしい。


 弓を扱った経験はないが、指や腕がもつのか心配だった。だが思えば、咲弥よりも遥かにオドの扱いに慣れている。

 さらに治癒術(ちゆじゅつ)までも扱えるため、問題はないのだろう。

 紅羽は小首を(かし)げ、抑揚(よくよう)のない口調で()いてきた。


「咲弥様のほうは、どうですか?」

「うぅーん……わからない」


 咲弥は正直に告げた。


「でも、少しだけ……わかってきた気がするんだ」

「数日前と比べれば、オドの流れがとても綺麗です」


 ()められたものの、咲弥は苦笑する。

 今はまだ、散らばるオドをまとめているだけに過ぎない。

 紅羽の力強くも(おだ)やかなオドとは、明らかに異なる。


「まだまだ……紅羽には、まったく及ばないけどね」

「それは、今後の訓練次第です。咲弥様はまだ、開始地点に立たれたばかりの、まるで雛鳥(ひなどり)に等しい存在なのですから」


 紅羽は可憐な声で、淡々とした口調でそう(さと)してきた。

 咲弥は苦笑するしかない。

 言われて当然ではあるが、なかなかに厳しい言葉だった。


「うん……そうだね」


 咲弥は少し苦い気持ちを抱え、紅羽に応えておいた。

 焦っても仕方ないが、時間は待ってくれない。

 明日は足手まといにならないよう、努めるしかないのだ。


「咲弥様」

「ん?」

「座らないのですか?」

「あぁ、うん」


 咲弥は長椅子に腰を下ろした。

 座るよう勧めた紅羽が、ぼんやりと立ち続けている。


「えっ? 紅羽も座りなよ」

「はい。失礼します」


 紅羽は微妙な間隔をあけ、隣に腰を下ろした。

 それから沈黙が流れ、なにやら気まずい雰囲気が漂う。

 どこを見ているのか、紅羽はまっすぐ前を向いている。


 まつ毛が長く、顔もとても小さい。見れば見るほど端正な顔立ちをしていた。神々しい美しさに、つい目が奪われる。

 不意に、紅羽が振り向いた。

 ドキッとしてしまい、咲弥はとっさに視線を()らす。


「咲弥様。一つ、お尋ねしてもよろしいですか?」

「え、あ、うん。何かな……?」

「咲弥様は、どのような人生を歩んでこられたのですか?」

「えっ……?」


 一瞬、哲学的な何かを、問われているのかと勘繰(かんぐ)った。

 紅羽の疑問を、咲弥は冷静に考察する。


「えっと……僕の、昔の話ってことでいいのかな?」

「はい」

「僕は……でも、別に……そんな面白い話もないよ?」

「面白さを求めているわけではありません」


 紅羽はきっぱりと否定した。

 咲弥は苦笑する。


「うーん……僕の両親は、どっちも仕事で働いていたから、小さい頃は必然的に、母方のじいちゃんと一緒にいることが多かったんだ……あぁ、そうそう。ばあちゃんのほうはさ、もう亡くなっていたから、写真でしか知らないんだよね」


 咲弥は過去を、一つ一つ振り返っていく。


「じいちゃんは、かなり変わり者でさ……破天荒(はてんこう)というか、無茶苦茶っていうか……とにかく、凄い人だったんだよ」


 相槌(あいづち)も何もないが、紅羽は真剣に聞いている様子だった。

 咲弥は昔話を続けていく。



    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



 まだ八歳の咲弥は、両足をがくがくと震わせていた。

 高い場所にいる、母方の祖父――郷田(ごうだ)啓司(けいじ)は、仁王立(におうだ)ちで腕を組んでおり、咲弥のほうをじっと見守り続けている。

 まだ幼い咲弥は、涙ながらに叫んだ。


「じいちゃん! 今日こそは、本当に無理です!」

「無理ではない! ()せば()るのだ!」

「なりません! 見てください。めっちゃ怒ってますよ!」


 獰猛(どうもう)なイノシシへ、咲弥は小さな指を差した。

 イノシシの鼻息は荒く、何度も威嚇(いかく)してきている。

 今にも突っ込んできそうな気配があった。


「僕、大怪我しちゃいますよ!」

「これが自然の厳しさだ! 強く生きるんだ……くっ!」

「無理ですってば! あぁ……来る……来ちゃいます!」


 その予感は、現実となる。

 ついに、イノシシが突っ走ってきた。


「ひぃああああっ!」


 咲弥は死に物狂いで逃げだした。

 イノシシは想像以上に、機敏な動きを見せる。

 足場の悪い山の道を、ものともしていない。


「速い速い速い!」


 途中で枯れ木に挟まった枝が、咲弥の目に入る。

 咲弥は逃げながら枝を手に取り、そして離した。

 弾かれた枝が、イノシシの付近にバチンと音を立てる。


「全然、(ひる)んでくれない! ひいぃいいいっ!」


 追いつかれそうになり、咲弥はそのまま木に飛びついた。

 立派な木を、必死によじのぼる。


 イノシシを見ると、鼻息を荒くして地団駄(じだんだ)を踏んでいた。

 諦める様子は、まったく見受けられない。

 少しでも高い場所――焦りのせいか、手がずるっと滑る。


「あっ……」


 咲弥は、不意の死を連想した。

 落下の感覚をその身に受けるや、祖父の匂いが近くなる。

 どさっと、咲弥は祖父の両腕の中に落ちた。


「もう終わりじゃい! このクソ獣がぁああ!」


 祖父がイノシシを大きく蹴り上げた。

 思わぬ攻撃に驚いたのか、イノシシが慌てて逃げていく。

 咲弥は泣きじゃくり、祖父の胸に顔をうずめた。


「やれやれ……情けない孫じゃのぉ……」

「だって……あんなの、絶対に無理ですって……」

「これが自然の厳しさだ。無理でもなんでも、どんなことが起こるかはわからん。多くを経験しておけ。いいな、咲弥」


 まだ幼い咲弥には、その言葉の真意はわからなかった。

 ただ、大事なことなのだろう――そうとだけ呑み込んだ。


「……はい。わかりました」

「ワシがガキの頃は、イノシシの二匹や三匹や十匹――鍋にしてやろうと、(たくら)んだもんなんだがなぁ。やれやれじゃ」


 祖父の声には、落胆(らくたん)めいた響きがあった。

 途端に枝が折れ、ぼとっと何かが落ちた音が鳴る。


 音がした方向へと、涙で(にじ)んだ視線を向けた。

 無数の貝殻が重なったような――何かが、そこにはある。

 謎の物体から、蜂の大群が激しい羽音を立てて現れた。


「いかん! スズメバチじゃっ! こりゃいかん!」


 祖父は咲弥を抱えたまま、脱兎(だっと)のごとく撤退(てったい)していった。



    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



「――とまあ……そのあと、母さんに尋常じゃないくらい、じいちゃんはこっぴどく怒られたんだけどね」


 言い終えてから、咲弥は苦笑する。

 当時を振り返ると、懐かしさと寂しさが胸に募った。


「そんなじいちゃんだったんだけど、変な魅力があるからか……本当にたくさんの人達から、凄く(した)われてたんだよね」


 咲弥は紅羽に微笑んだ。


「やることなすこと無茶苦茶だけど、じいちゃんの言葉は、心に響くというか、真に迫るものがあったというか……」

「あのとき、咲弥様が言ってくださった言葉も、ですか?」


 初めて反応があり、咲弥はどこか安堵(あんど)する。

 鋭い彼女に顔を向け、咲弥はうんと(うなず)いた。


「僕はじいちゃんから、本当にたくさんのものを教わった。それは覚悟だったり、言葉だったり、ほんといろいろだね」


 咲弥は拳を作り、じっと見つめる。


「だから今の僕は、じいちゃんが形作ってるって言っても、過言じゃないのかな。今もずっと、記憶に残ってるからさ」


 まっすぐ見つめてくる紅羽に、咲弥は微笑んだ。


「ごめんね。そんな、たいした話じゃなくって」

「いいえ。私がそのように求めましたから」

「これで……よかったのかな?」

「はい。咲弥様を、少しだけ知れた気がします」

「そっか。逆に、紅羽は……」


 咲弥は言葉に詰まった。

 彼女に何があったのか、当然、咲弥には何もわからない。


 だが、自ら死を選ぶほど、つらい何かがあったのだろう。そう理解するからこそ、簡単に()いてはいけない気がした。

 咲弥は首を横に振る。


「いや……ごめん。なんでもない」


 紅羽は綺麗に整った顔を()せ、少しだけ視線を下げた。

 しばらくしてから、また紅い瞳で見据えてくる。


「いつか……今度は私の話も、聞いてくださいますか?」

「……うん。もちろん」


 咲弥は、心からの微笑みを作って応えた。

 紅羽はさっと席を立つ。

 つられて、咲弥も立ち上がった。


「今日は、ありがとうございました」

「ううん。こちらこそ、聞いてくれてありがとう」

「はい。では、また明日」

「迷惑かけちゃうかもしれないけど、よろしくね」

「了解しました」


 咲弥と紅羽は、出入口の扉へ向かう。

 扉を開くなり、紅羽は少しだけ硬直した。

 咲弥は小首を(かし)げる。


「あの、咲弥様……」

「ん?」

「一つ、誤解がないように言っておきます」

「誤解……? なんだろう?」

「私は別に、性的奴隷になった経験などありません」


 咲弥は心の内側で、生返事をする。

 ロイの発言を、どうやら気にしていたようだ。


「されかけたことはありますが、いずれお話しします」

「う、うん……わかった」

「あと……」

「んん?」


 紅羽は押し黙ってから、抑揚のない声を(つむ)いだ。


「おやすみなさい。咲弥様」

「あ、え? う、うん。おやすみ」


 特に何かあったわけではないのか、紅羽は出ていった。

 扉が閉じたあと、咲弥は少しその場で立ち尽くす。

 静寂に満ちる中で、咲弥はふと自分の失態に気づいた。


『あなたが天使の使徒――または、別世界の住人であると、他言してはなりません。肝に銘じておいてください。もしもあなたの素性が知られる事態に直面した場合は――あなたと知った者達は全員、命の灯火が即座に消滅するのだと』


 咲弥の背筋に悪寒が走る。

 今の今まで、すっかりと記憶から抜け落ちていた。

 その理由は、思い返せばたくさんある。


 紅羽の湯上り姿に華やかな匂い、明日に迫る戦い、自身の戦力としての不安――どれもただの言い訳にしか過ぎない。

 何も考えず、求められるままに昔話をしてしまったのだ。

 一歩間違えば、自分と一緒に紅羽も死ぬところだった。


(僕は……)


 咲弥は冷や汗をかき、自身を激しくたしなめる。

 もう二度と、同じ過ちは犯せない。

 咲弥はため息をついて歩き、ベッドに背から倒れ込んだ。


 石の天井を眺め、徐々に気持ちを入れ替えていく。

 明日はアラクネ女王の討伐に、向かわなければならない。


(為せば成る……か)


 過去に言われた祖父の言葉を、心の内側で(つぶや)いた。

 大きな不安が押し寄せ、緊張で眠気がやってこない。

 咲弥は上半身を起こして、ベッドの上で胡坐(あぐら)をかいた。

 目を閉じてから、静かにオドの流れを感じ取る。


「もう一度、基礎から始めよう」


 最低限、寝なければならない時間が来るまで――

 咲弥はひたすら、オドの訓練を続けた。




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