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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第一章  王都を目指して
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第二十五話 与えられた猶予の一端




 現在いる場所は、奴隷区域と比べれば別世界であった。

 大きな浴場もあれば、食事は食べ放題となっている。

 さらに個室までもが、きちんと用意されていた。ベッドのほか、椅子と机ぐらいしかない質素なものだが、これまでの待遇を考えれば、天と地ほどの差に思える。


 アグニスに連れてこられた初日は、紅羽から治癒(ちゆ)の施しを受けたあと、泥のように眠りこけてしまった。

 魔獣ヌエとの戦いで、体力が底を尽きかけていたからだろう。


 そして、二日目――

 自室の床でじかに胡坐(あぐら)をかき、咲弥は目を閉じていた。

 暗闇の中で、静かに自身のオドを感じ取る。


 胸の内側で生まれたオドは体中を巡り、あらゆる場所から体外へと排出されていく。それから(まと)わりつくように全身を漂い、やがて霧のごとく消え去る。

 咲弥は霧散(むさん)するオドを、必死に抑え(とど)める努力をした。


「そうではありません――まずは、人型の器を想像してみてください。胸の部分にオドという名の水が流し込まれ、その状態が続いています。それが、今の咲弥様」


 可憐な声をした紅羽は、抑揚(よくよう)のない口調で説明を続ける。


「器が満たされたあともなお、一定量の水が絶え間なく流し込まれ、無駄遣いをしているのです。であれば、その無駄を(はぶ)くしかありません」


 紅羽の例え話から、咲弥は漠然と浴槽を連想する。

 水の流しっぱなしは、確かによくない。

 発生するオドを、今度は()き止める努力をした。

 だが、そんな簡単な話ではない。


 少しの間だけ堰き止められても、またすぐにオドの発生が強制的に始まる。堰き止めた分だけ、どばっと溢れるのだ。

 それはまるで、川の氾濫(はんらん)にも等しい。


「はあ、だめだ……どうして、上手くできないんだろ」


 咲弥は自然と、重いため息が漏れる。

 目を開けば、対面で正座をしている紅羽が視界に入った。

 灰色のワンピースを着た銀髪の少女は、太ももの上に重ね合わせた手を乗せ、じっと紅い瞳で見据えてきていた。

 恐ろしいほど無表情のため、何一つ感情は読み取れない。


 ヌエ戦を経て以来――少し意識をすれば、人のオドが目で見えるようになっていた。彼女が(まと)っているオドは、容姿と同じぐらいとても綺麗で美しい。

 まるで清流のごとく、静かにオドが巡り巡っているのだ。


 それに対して咲弥は、雑に散らかったオドとも言える。

 彼女の真似をしようにも、これがなかなかに難しい。


「なんていうか、その……難しくないですか?」

「咲弥様は、どのように紋章を会得なされたのですか?」


 咲弥は言葉に詰まった。

 紅羽は淡々とした口調で続ける。


「訓練開始時の話ですが、オドを練り上げるといった言葉の意味も、最初はまるで理解をされていないご様子でした」

「ああ……いや……」

「オドの操作は初歩技術です。よくこれまで紋章術を扱ってこられましたね。おそらくは、天性のもの――いいえ、(いびつ)な才能かもしれません」


 天使に無理矢理、力を植えつけられたからとは言えない。

 本来これらは、天使が説明してしかるべきだと思える。

 ほかの使徒達の天使はどうだったのか、少し気になった。


「本日を含め、あと二日しか猶予(ゆうよ)がありません。基礎程度は会得をしていただかなければ、咲弥様はただの足手まとい。お荷物になってしまいます」


 見惚れるくらい可愛い顔をして、その言葉は結構きつい。

 しかし事実なだけに、咲弥は何も言い返せなかった。

 苦々しい気持ちを抱えつつ、オドの訓練を再開する。


(うぅーうん……?)


 何度試みても、同じ場所でつまずいた。

 オドへの理解力が足りないのか、そもそも単純に技術力が足りないのか、失敗するたびに少しずつ自信を失っていく。


「咲弥様。目を開いてください」

「ん……? はい」


 紅き瞳が、まっすぐ咲弥の目へと向けられている

 紅羽はそっと、右手を前に差し出した。


「私の右手に、指で触れてみてください」

「えっ? あ、はい」


 咲弥は指示通り、紅羽の右手を人差し指で触れた。

 驚くぐらい(なめ)らかな感触が、指先から伝わる。

 表情一つ変えずに、紅羽は問いかけてきた。


「どのようにして、指で私の手に触れましたか?」

「え……? どのように、って……普通にですが……」

「では、どのように指を操作し、私の手に触れましたか?」

「……へ?」


 咲弥は小首を(かし)げる。

 人差し指以外を折り曲げ、腕を伸ばしただけに過ぎない。

 ふと、咲弥の胸に何かがつかえる。


「あ、そうか……そういうことですか……」

「水を堰き止めるのではありません。必要な分を取り入れ、常に練り上げた状態のオドに混ぜ合わせ、維持するのです。それが、オドを(とど)めるということです」


 つまりは、新陳代謝みたいな理論だと呑み込んだ。

 なんとなくではあるが、咲弥は(つか)めてきた気がする。


 再び、そっと目を閉じた。

 胸の内側で生じるオドを、静かにゆっくりと感じ取る。


(このオドを……まずは、練り上げていく……)


 発生したままのオドは、いうなれば薄霧にも等しい。

 その薄霧をより深く、より濃く――

 洗練していく作業を、練り上げるというらしいのだ。


(よし。ここまではできた……ここから、さらに……)


 静まりかえる空間の中で、咲弥はついにオドを留める。


「で、できましたぁっ!」


 喜ぶのも、つかの間だった。

 目を開いた途端、オドが爆散したようにもとへと戻る。

 気まずい空気が流れた。


「あ……」

「――ですが、理解はされましたね」

「あ、はい!」


 冒険者のネイが、ゴブリンボスのときに言っていた。

 投げナイフは自身の一部――何かに触れようとするとき、手はどこかへは行かない。オドもまた、自分の一部なのだ。


 ただそれを理解しても、すぐに扱えるわけではない。

 突然、耳を動かせと言われても、大半の人は無理だろう。


「オドの操作が完璧になれば、回復は飛躍的に向上します。また、消耗も軽減し、紋章術の効果も上昇が見込めます」

「はい。わかりました。頑張ります!」


 少し沈黙してから、紅羽は小首を(かし)げた。


「ところで、咲弥様。なぜ、私にも敬語なのですか?」

「……え?」

「ヌエのときとは、言葉遣いが変わっています」

「あ、ああ……あのときは……」


 咲弥は虚空を見上げる。

 理由は、たくさんあった。


「えっと、気が高ぶって……いや、切羽詰まってというか」

「あのときのような感じで、接してみてくれませんか?」


 ずいぶん難しい問題だと感じる。

 一度定着した言葉遣いは、なかなか取れにくい。

 じっと揺れ動かない紅い瞳に、咲弥は少し気圧される。


「う……す、少しずつ、頑張ってみます」

「……」

「えっ……?」

「……」


 紅羽は、また無言を貫いている。

 喋るときもあれば、そうでないときの差が激しい。

 少なくとも、ロイが近くにいると絶対に話さなかった。

 困り果てた咲弥に、ある閃きが起こる。


「が、頑張るよ」

「はい」


 見た目に似合わず、わりと頑固(がんこ)な子なのかもしれない。

 ほんの少しだけ、紅羽のことがわかった気がした。


「そうだ。一つ、教えてもらってもいいですか?」

「……」

「……一つ、聞いてもいい?」

「なんでしょうか?」


 咲弥は、冷や汗が(したた)り落ちていく気分であった。

 心の中でため息をつき、気持ちをリセットする。


「オドって、防御の役割もあるのかな?」

「魔物相手に、紋章術が通じづらかった話でしょうか?」

「うん。そう」

「防御面だけではなく、さまざまな分野が向上します」

「さまざまな……分野?」

「オドを鍛えれば鍛えるほど、その恩恵は計り知れません。咲弥様が日々感じていた疲労――あれもかなり軽減します」


 日々の疲労感は、呆れるぐらい取れない。

 紅羽が重ねて補足した。


「体力を(きた)えれば、疲れを軽減します。精神力を鍛えれば、行動力が増します。腕力を鍛えれば、重い物も扱えます――これらはあくまでも一例に過ぎませんが、原理は同じです。オドを鍛えれば、体に関するあらゆる面が強化されます」


 とてもわかりやすい説明に、咲弥は内心で感心する。

 もっと社交的であれば、教師に向いているかもしれない。


「でも……どうやれば、オドは鍛えられるんだろ?」

「肉体労働のとき、力がついたとおっしゃっていましたね」

「あ、そうか。酷使すればするほどってことか」

「ですから、まずは基礎を学んでください」


 結局は、基礎の話に帰結(きけつ)する。

 肉体労働では力の入れ方、使い方を学んできた。

 オドも同じく、いろいろと学んでいくしかない。


「紅羽さん。オドの訓練の指導、よろしくお願いします」

「……」


 我知らず、また敬語に戻っていた。

 苦い心境を抱きつつ、咲弥は言い直す。


「もしよかったら、オドの訓練に付き合ってほしいな?」

「了解しました」


 何が目的なのか、何が紅羽をそうさせるのか――

 敬語のほうが無難であり、失礼はないと感じられる。


「思ったんだけど、紅羽さんだって敬語じゃないか?」

「……」


 重い沈黙が、お互いの間を行き来する。

 咲弥は困惑した。

 今度は敬語を使っていない。

 しばらく考え、まさかとは思いながら問い直した。


「く、紅羽だって敬語じゃないか?」

「私は関係ありません。ですが、咲弥様はだめです」


 予想が現実となり、苦笑しか漏れない。


(オドの指導をしてくれる、お礼だと思えばいいのかな)


 ずいぶんと奇妙なお礼に違いない。

 ただそうでもしなければ、ろくに会話すらしてくれない。

 諦めの境地で、咲弥は静かにため息をついた。

 不意に、コンコンコンッと扉をノックする音が飛ぶ。


「あ、はい。どうぞ」


 部屋に入ってきたのは、栗毛のロイであった。

 いかつい顔をほころばせ、ロイは片手を軽く振る。


「よお。お疲れさん。オドの訓練のほうはどうだ?」

「なかなか、厳しいですね」

「そうか。ちょい訓練は切り上げて、ついてきてくれ」

「えっ? もう届いたんですか?」


 咲弥は信じられない気持ちだった。

 呆れ顔で、ロイは首を縦に振る。


「もとからこの町では、多くの品々が揃ってるからな。あの連中にとっちゃあ、ささっと集めるぐらいわけないことだ」


 咲弥が立つと、紅羽も立ち上がった。

 ロイに連れられ、別の部屋へと移動する。


 そこは、とても大きな広間であった。

 見渡す限り、多種多様の品々が用意されている。

 武器、防具、道具と、種別ごとに振り分けられていた。


「ここにあるものは、全部好きに使っていいそうだ」

「わあぁ……凄いですね」

「それだけ、連中も本気だって証でもあるな」


 咲弥はふと、不可解に思った。


「あの、気になったんですが……僕らに任せるぐらいなら、自分達で精鋭(せいえい)を集め、討伐したほうが早くないですか?」


 咲弥の問いに、ロイは苦い顔をして答えた。


「ん……? なあに、簡単な話さ」

「え?」

「ねぐらを突き止めるために、奴隷じゃない人員が割かれるわけがねぇ。本当のところは、ただ単純に失敗したのさ」

「討伐するつもりが、返り討ちにされたってことですか?」

「ああ。間違いねぇ。そこで死者を多数出したもんだから、どうしようと悩んでいたときに――お前さんが現れたんだ」


 咲弥はぎょっとして、肩が大きく跳ねる。


「ぼ、僕ですか? どうして……」

「あの魔獣ヌエは裏取引で入手した魔物なんだが、あいつと一騎打ちで勝てる奴なんか、ぶっちゃけそうそういねぇよ」


 咲弥は戸惑いながら、ヌエを討った感想を告げる。


「でも、奇跡的にって……いいえ。もっとはっきり言えば、あの魔物おそらくですが、かなり疲れてた状態だったんだと思うんです。勝てたのもそのお陰かと……」


 見世物の状態を、ずっとしいられ続けていたに違いない。

 おそらくヌエは、ある種の弱体化に近い状態だったのだ。


「だとしても、()ける価値は充分にあったのさ」


 失敗したらしたで、仕方がない。

 ロイの声からは、そういった響きがこもっていた。

 もしかすると、ヌエよりも強い魔物なのかもしれない。

 咲弥は少し、どんよりとした何かに胸が圧迫される。


「アラクネ女王って、どんな魔物なんですか?」

「アラクネの連中には母であり、また神みたいな存在だな。まあ、俺も実際に遭遇したことはねぇから、あれだが……」


 言葉を止め、ロイは唸ってから続ける。


「冒険者や王都の騎士からしたら、どうかは知らねぇが……一般人からすりゃあ、やばいぐらいに危険な魔物だろうな」

「そうなんですか……」

「属性も個々によって違うらしいから、あんま前知識なんかあてにならんかもな」


 そう言って、ロイは先へと進んだ。


「……それじゃあ、僕達も――」


 紅羽がいたと思われる場所に、咲弥は目を向ける。

 だがそこには、紅羽の姿がどこにも見当たらなかった。

 咲弥は不思議に思いつつ、周囲を視線で探る。


 銀髪の少女は、すでに一人で物色を始めていた。

 なぜか男物の衣服を選んでいる。

 不意に、咲弥は紅羽と視線が重なった。




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