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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第一章  王都を目指して
22/222

第二十一話 紅き瞳を持つ少女




 奴隷となってから、すでに三週間の時が流れた。


「せぇ……のっ!」


 咲弥は体に巻きつけた縄を、全力で引っ張り続ける。

 縄の先にある重い石が、少しずつ引きずる音を立てた。


「ん、ぎぎっ、ぎぎぃ……ぎぎぎぃっ!」

「よーし、咲弥君! ここでいいぞ!」


 咲弥が素人ながらに手当てした男、ボアルがそう叫んだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 咲弥は呼吸を整え、体に巻いた縄をゆっくりとほどいた。

 縄が食い込んでいた箇所(かしょ)が、じんわりと痛んでいる。

 肉体労働は本来、紋章術を扱えない奴隷の仕事だった。

 しかしオドが回復するまでの間は、自由な時間がある。

 そのため、咲弥は二つの理由から手助けを始めたのだ。


 最初はほかの奴隷達から、うんざりとした顔をされたが、次第に意識が変わり、今ではもう当然として扱われている。

 劣悪な環境に身を置き続け、咲弥は考え方を改めた。

 ここは紋章術のほか、肉体を(きた)える修行の場――

 そう思い込むことにしたのだ。


「いやぁ……毎日、本当に助かるよ」

「いえ。僕も少しずつですが、力がついてきた気がします」

「最初の頃に比べたら、見違えたぐらいだ」

「力の入れ方を教えてくれた、ボアルさんのお陰です」

「命の恩人の役に立てたなら、とても喜ばしいことだよ」


 一つは修行だが、もう一つの理由はここにある。

 奴隷施設を訪れてから、二日目の出来事――

 ボアルは瀕死(ひんし)の状態から、かろうじて回復してくれた。

 だが当然、すぐに万全となれるわけではない。


 それなのに彼は、無理矢理に働かされ続けていた。

 あまりの酷さに、見て見ぬふりなどできるはずもない。

 この件をきっかけに、咲弥は肉体労働をも始めたのだ。


「咲弥君。そろそろ、あっちのほうに戻るのかい? 可愛いあの()、君のことを待ってるみたいだぞ。ほら、あそこ」


 ボアルが向いた先には、紅い瞳を持つ銀髪の少女がいる。

 咲弥の行くところに、初日からずっと追ってきていた。

 何かを喋るわけでもなく、何かをされるわけでもない。


 さすがの咲弥も、これには少し恐怖を感じている。

 せめて会話でもできればいいが、無言でついてくるのだ。

 好意なのか、はたまた別の理由があるのか――

 無表情からでは、何一つとして読み取れなかった。


「……いくら話しかけても、反応してくれないんですよね」

「咲弥君に何か、思うところがあるんじゃないか? まあ、びっくりするほど可愛い娘なんだから、(うらや)ましい限りだ」


 見た目は確かに、神々しいまでの美しい容姿をしている。

 目の保養にはなるが、それでもやはり無言はきつい。


「うぅーん……」

「そのうち、心も開いてくれるよ」

「だと、いいんですけど……」


 ボアルはにこやかに笑った。


「あっちはとても危険なんだろ。気をつけてな」

「ボアルさんも、水分補給はしっかりしてくださいね」

「うん。ありがとう」


 付近の奴隷達に挨拶をしながら、咲弥はその場を去った。

 本来の持ち場へと帰り、また死に物狂いの戦いが始まる。


「咲弥君。来るよ!」

「はい!」


 コルスの合図で、咲弥は虚空に空色の紋様を描いた。


「水の紋章第一節、螺旋の水弾」


 輝いた紋様が砕け散り、虚空に()()の水の渦を生んだ。

 放たれた()()の水弾が、アラクネの猿顔に激突する。

 タイミングとコントロールは、もうほぼ完璧だった。

 とはいえ、まだ一発でアラクネを退治できない。


 今の咲弥には、進行を止めるだけで精一杯であった。

 しかも水弾以外の新たな力は、何も生み出せていない――第一節と口にしていたのは、ただ真似ているだけなのだ。

 成長してない部分もある。だが、悪い話ばかりでもない。

 オドの消耗軽減には、しっかりと成功している。


 これまでは、最大四回までしか放てなかった。今は水弾を単発にすることで、最大八回まで発動回数が増加している。

 成長速度は、おそらくほかの人よりも遅い。

 それでも一歩ずつ、前に進めている実感はあった。

 それが、咲弥の原動力の一つとなっている。


「それでは、僕。死骸(しがい)処理の手伝いに行ってきますね」

「あ、ああ……」


 コルスに断りを入れ、本日も魔物の死骸処理を開始した。

 しばらくして、やや離れた場所にいる銀髪の少女を見る。

 処理を手伝うわけでもなく、じっと見守ってきていた。

 咲弥は軽い笑みを作り、少女に向けて手を振っておく。


 こうして、また一日を終える。

 食事を終えた咲弥は、シーツの上にぱたりと倒れ込んだ。

 また疲労が溜まり始め、ぐったりとする。

 ロイから貰った紋章具は、とうの昔に使いきっていた。


(そういえば、ロイさん……最近、姿を見せないなぁ)


 不安ではあるが、無理なときもあると事前に聞いている。

 また会いに来たときに、近況を尋ねてみようと思う。


 重い(まぶた)に逆らえず、咲弥はそっと目を閉じる。

 視界に暗闇が訪れた。不意に、何か物音が聞こえてくる。

 衣擦れような、妙に耳に刺さる音であった。

 ゆっくりと瞼を持ち上げると、部屋がかなり薄暗い。

 格子窓の部分から、わずかな光が差し込んでいる。


 いつの間にか、眠っていたのだと気づいた。

 手の甲で目をこすり、咲弥は上半身を起す。

 さきほどの物音は、現実で発生した音のようだ。

 コルスが何かしているのか、暗くてよく見えない。


「もう我慢(がまん)できねぇ……もう我慢できねぇ……」


 それは、コルスの声だった。

 咲弥は暗闇の中で目を細め、うごめく影を見つめる。

 そこには――


「な、何をしてるんですかっ! コルスさん!」

「さ、咲弥君……」


 コルスが慌てた様子で振り向いた。

 あまりよく見えないが、銀髪の少女の上に(またが)っている。

 咲弥はとても嫌な予感がした。

 コルスがおどおどとした声を(つむ)ぐ。


「一か月は我慢しろと言われたが、もう我慢できない」


 次第に暗さにも慣れ、咲弥は素早くコルスに近づいた。

 少女が着ている布服は、幸いまだ乱れていない。

 咲弥はぞっと背筋に悪寒が走る。

 あともう少し起きるのが遅ければ、確実に襲われていた。


「ふざけないでください! 彼女から離れてください!」

「う、うるせぇ!」


 コルスは殴るように、咲弥を突き飛ばした。

 咲弥の腹部に、じわりと痛みが広がる。


「その子、何もできないんですよっ? そんな子の寝込みを襲って……コルスさんは、それで満足するんですかっ?」


 傷みを(こら)え、咲弥はコルスの情に(うった)えた。

 コルスはさらに怒声で返してくる。


「ああ、そうさ、そうさ! こいつはまったく何もしない。なんの役にも立たない人形さ。だったら、これぐらいは役に立ってくれたって構わないだろ!」

「なっ……早く、どいてください!」


 情に訴えても無駄だと知り、コルスに飛びかかった。

 咲弥は必死に、少女から離させようと試みる。

 普段頼りない感じのコルスは、意外な力をみせた。


「邪魔をすんな!」


 振り払われた衝撃で、咲弥は後ろにあった壁に激突する。背に強烈な痛みを覚え、そのまま下へとずり落ちていった。

 筋肉痛や疲労のせいか、思うように力が出せない。


「お前は……なんにもわかってない。どうして各班に、女が一人、あてがわれてると思う? それはな、こうしても別に構わないからさ。お(とが)めなんかないんだ」


 その言い訳は、暴論以外の何物でもない。

 咲弥は声を振り絞った。


「そ、そんなわけ……」

「お前が手伝ってる、紋章術すら扱えないゴミどもだって、みんなやってる! お前が何も知らないだけで、ここじゃあ何も問題ないんだ! ばかガキが!」


 コルスの話が事実かどうか、現状では知るすべはない。

 事実確認もしないまま、咲弥は強烈なショックを受けた。


 ただでさえ、上からは()としてしか扱われていない。

 それなのに、その者達の中ですら、生きる人を()だとしか見ていないのだ。

 咲弥の目もとに、じわりと涙が溜まる。


「お前にその気がねぇなら、黙って見てろ!」


 コルスは少女が着ている布服を、乱暴に(つか)んだ。

 その瞬間――少女の紅い瞳が、カッと見開かれる。

 普段の感情の宿らない目つきとは、明らかに違う。

 異常なまでに、力が込められた眼差しだった。


 少女のすらりとした脚が、コルスの(どう)に巻きつく。

 そして大きく蹴り飛ばされ、悲痛なうめき声が聞こえた。

 咲弥は少女のほうへ、すぐに視線を戻す。

 ゆらりと立ち上がり、拘束された両腕を垂らしていた。


「標的を発見。これより、戦闘に移行する」


 紅い瞳を持つ少女は、初めて言葉を発した。

 やや幼い可憐な声には、奇妙なぐらいの圧迫感がある。


「紋章術は使用不可。拘束具の破壊は困難だと判断します」


 その口調には抑揚(よくよう)がなく、まさに機械じみていた。

 感情というものが、欠片もこもっていない。


「近接戦闘に切り替えます」

「……こ、この……クソ女がぁあああああああ!」


 頭に血が上った様子のコルスが、少女へと突っ走る。

 少女の細長い脚が()を描く。コルスの肩へと降り注いだ。

 そこから、少女による怒涛の猛攻撃が始まった。

 おぞましいほど、連続の蹴りが繰り出されている。

 回避する余地など、どこにもない。


 コルスは再び、後ろに大きく弾き飛ばされた。

 石壁に鈍い音を立てて、ずるずると地に崩れ落ちる。

 それはまさに、あっという間の出来事だった。

 少女の豹変振りに、強い衝撃を受けたせいもある。

 咲弥はただ、ずっと傍観(ぼうかん)してしまっていた。


 普段のぼんやりとした彼女とは、何もかもがまるで違う。

 信じられないぐらい、戦闘に特化した少女であった。

 このままでは、コルスが殺されるかもしれない。

 咲弥は恐る恐る、機械的な少女に声をかける。


「あ、あの……もう……」

「敵意は不明。万一に備え処理します」

「へ……?」


 驚きの声を発した直後、少女の紅い瞳が横に線を描いた。

 咲弥は慌てて立ち上がり、防御の姿勢を取る。


「ちょ、ちょっと待って!」


 少女はまったく聞く耳を持たない。

 鋭い回し蹴りが飛んでくる。

 咲弥は反射的に、体を()()らせた。

 少女のつま先が、前髪をほんの少しかすめる。

 音が後から聞こえるほど、彼女の蹴りは凄まじい。


 咲弥はとっさに、部屋の隅へと移動する。

 蹴りがしづらいと、そう判断したからだ。


「ちょ、ちょっと待って! 僕は、君に危害を加えない!」


 薄暗い闇の中で、咲弥は必死に相手の姿を捉える。

 制止の声もむなしく、彼女は止まらない。

 少女は石壁に向かって跳躍した。

 左足で石壁を踏み、そのまま右足を頭上より高く上げる。


「……それは、だめだっ!」


 咲弥は即座に、前方へと大きく転がる。

 重い衝撃音が(とどろ)いた。

 後ろを振り返ると、硬い石床が砕けている。

 細い体つきだが、ありえないぐらいの力をもっていた。


 一発でも攻撃を食らえば、どうなるのかわからない。

 しかし場所も悪ければ、ここは視界も非常に悪かった。

 このまま避け続けるのは、さすがに不可能だと判断する。とはいえ、日々の疲労に加え、拘束具もされたままだった。

 取り押さえることは、あまり現実的な方法ではない。


「お願いだから、待って! 落ち着いてくれ!」


 現状できることは、こうして必死に叫ぶほかない。

 ふと、少女の動きが止まった。

 少女の手が、自身の頭へと向かう。


「うぅ……うぅっ……うぅ……」


 唐突にうめき、少女の上半身が左右へ揺れる。


「あぁあああ――っ!」


 まるで猛獣を連想させる咆哮(ほうこう)だった。

 そのとき、咲弥は信じられない事態を目撃する。

 咆哮とともに、少女が自身の拘束具をねじり壊したのだ。

 そんな簡単に壊れる代物ではない。

 屈強な大男ですら、そんな真似はできないだろう。


 我が目を疑う光景に、咲弥の意識が少しばかり奪われる。

 まるで蝋燭の火のごとく、少女がふっと消えた。

 咲弥は慌てて、視線を滑らせる。少女の姿を探した。

 まったく別の場所で、少女の片足が石壁に着地している。

 そう認識した瞬間――咲弥の腕に激痛が走った。


 樹枝が折れるような、気味の悪い音が耳に届く。

 腕が折れたのだと、瞬時にそう判断した。

 同時に、今度は腹部に重い衝撃を覚える。

 どこにそんな力があるのか、小さな拳が腹にめり込んだ。


「がはぁっ!」


 悲痛な声が、咲弥の口から自然と漏れた。

 呼吸がまったくできない。

 思考が霧のごとく散らばり、まとまらなくなった。

 体のあらゆる場所から、激痛が発生する。コルスに見せた猛攻撃を、今度は手を含めてしているのだと思われる。


 次第に痛みが、なぜか遠ざかった。

 おぼろげな意識の中で、ぼんやりと咲弥の視界に映る。

 銀髪の少女は哀しいぐらい、冷徹(れいてつ)な紅き瞳をしていた。

 しかしそれはどこか、まるで――


 咲弥はまた闇の中へと、思考が静かに落ちる。

 そんな暗闇の世界で、妙に暖かい何かを感じていた。


(ああ……僕、死んじゃったのかな……)


 死後の世界は、こういった感じなのだろうかと模索する。

 さきほどまで襲ってきた痛みは、もうどこにもない。

 ただただ、陽だまりみたいな温かさだけがあった。


 ふと、咲弥は耳にする。

 声なのか、あるいは物音なのかわからない。

 よく耳を澄ませば、泣き声みたいなものが聞こえた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 まるで泣きながら、謝っているように聞こえるのだ。

 しかしそれも、どんどんと遠退いてく。

 遠く――無の世界へと消えた。




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