第?話 因果の悪魔
ラグリオラスは腕を組み、大樹に背をあずけていた。
やや遠くのほうを、なかば茫然と眺めている。
広々とした美しい庭園に、汗だくの男が三人――
「ひぃ……ひぃ……これ、そろそろ死ぬっしょ」
「なぁにばかを言ってる! もっとしっかり打ち込め!」
「いやいや……マジ、腕、限界近いって……」
「お前が未達成だと、俺達にまで被害がくるんだぞ!」
「ひぇ……マジ、やばばん……」
「ははは……あと、もうひと踏ん張りだ」
疲労困憊の男達が、死力を尽くして訓練に励んでいる。
本日は六角鉄棒の素振りから始まった。それから長距離を全力疾走させられ、今現在はオドを込めた木造の剣を使い、指定された威力で木人に打ち込んでいる。
彼らに残された体力次第で、訓練の内容は変化していく。
英雄の末裔アルベルトと黒髪の男キースは、どうやらまだ余力を残している。しかし金髪の男エルヴィンに関しては、本当に体力の限界が近づいているようだ。
それも、仕方のない話ではある。
彼らが師事している女の訓練は、かなり絶妙なのだ。
弟子の限界を正確に把握しており、あと一歩を踏ん張れば達成できる難題を与えている。連帯責任も、その一歩を踏み出させるための布石に過ぎない。
ただラグリオラスは、質が低いものだと感じていた。
約二か月間――
仮に精魂が尽き果てようと、命の危機にまでは瀕さない。
封印される前の古き時代にいた猛者達からすれば、これは単純に、体を鈍らせない程度としか思えないだろう。当時の英雄達もまた然りで、日々、死と隣り合わせの世界を必死に生き抜いていたのだ。
死が傍にあるか否かの差は、天と地ほどの違いが出る。
無論、それがすべてではないし、侮ってもならない。
硬い殻を打ち破った者は、それこそ神や魔などをも超える場合があるからだ。
(ふっ……そんな者、もう本当に数が少なくなったな)
ざっと現世を観察してきたうえでの結論だった。
このアルバト女王国でも、ラグリオラスの心を揺さぶった者はほとんどいない。あえて言えば――女王国にも、運命の破壊者がいた事実くらいだ。
面白く思い、少しその男をこっそり観察もしている。
(彼も彼で、今後の未来で役には立ちそうか)
魔神戦で役に立つか問われると、答えは否となる。
稀有な力を持っていたものの、さすがに神殺しの獣を宿す少年には及ばない。
彼は戦闘面よりも、技術的な分野のほうが優れている。
ラグリオラスですら驚く機器を、彼は造っていたのだ。
(邪魔な十天魔や神程度なら、きっと討てる……か)
曖昧なのは、実際のところ不明でしかないからだ。もっと深く分析すれば可不可も見えてくるが、今は生憎、優先的な物事に取り組む必要がある。
いずれにしろ、唾をつけても損はないと考えていた。
急ぐ必要はない。まだ時間はたっぷりとある。
未来への道筋を構築しているさなか――
「やあ、ラグリオラス君。久しぶりだねぇ。元気ぃ?」
すぐ右隣から、唐突に陽気な声が飛んできた。
ラグリオラスは視線を移さない。
わざわざ見ずとも、誰なのかがわかっている。
「なんの用だ? ここは、俺の管轄だ」
「おや? ちょっと、ご機嫌斜め?」
「なんの用かと訊いている」
隣にいる存在へ、ラグリオラスは横目に睨みつけた。
顕界に住まう上流貴族を思わせる装いをしており、顔には上半分を隠すだけの奇妙な仮面をつけていた。彼の姿勢は、ラグリオラスを完璧に真似ている。
ラグリオラスは内心、ため息が漏れる思いであった。
彼の真名は誰も知らないが、異名であれば無数にある。
過去から未来へと託された民話、お伽噺、伝説、神話――どれであれ、同じ話、あるいは類似している伝承もあれば、まったくの別物といったものも多い。
しかし後者でありながら、同一の存在がいる場合がある。
全部とまでは言わないが、それが彼である可能性は高い。
仮に神、人、魔の勢力に大別したとすれば、彼はすべての味方であり、また同時に敵でもある。つまり、据え置かれた視点により、見方が大きく変わるのだ。
彼も一応、十天魔の一体となる。
もし最終的に遺された伝承が、彼の最新だとすれば――
彼に与えられた異名は、因果の悪魔だった。
正直、好みではない。むしろ、面倒なため嫌いまである。
因果の悪魔は、そっと唇の端に笑みを乗せた。
「そう邪険に扱わないでくれ。僕の心が悲しむよ?」
「早く要件を告げろ」
「久しぶりに会ったのに、つれないねぇ」
「馴れ合う必要などない」
「僕としては、もっとお近づきになりたいのに……」
「必要ない」
因果の悪魔は寂しそうに、両肩を竦めて見せる。
ラグリオラスは呆れ、英雄の末裔側に視線を戻した。
彼らの誰かに、気配を覚られる心配をしたわけではない。
たんに因果の悪魔を、視界に入れたくないだけだった。
「せっかく、君が興味ありそうな情報を持って来たのに」
「なら、とっとと言え」
「やれやれ。それじゃあ――神殺しの獣」
因果の悪魔が途端に重い声音で、その名を口にした。
ラグリオラスは動じない。当然、顔色も変えなかった。
「とある大陸で、ユグドラシールという名の女神が、顕界に降臨してね。さくっと結論を言えば、その女神を殺したのが――神殺しの獣を身に宿した少年なのさ」
「ユグドラ、シール……? 旧時代の世界樹か何かか?」
「類似したもの……とでも、言えばいいのかな」
「ふぅん……」
ラグリオラスは曖昧な相槌を打つ。
さすがに災厄の正体を正確に断定などできないが、少年に禍が訪れるであろうことは、前々から知っていた。どうやら相手は神もどきの一種であったらしい。
ラグリオラスは心の内側で、こっそりと微笑む。
少年が無事、災厄を払い除けられたと知れたからだ。
「世界樹の女神――とは、な」
「実は彼女には、とても悲しい物語があって――自らの命と引き換えに、荒廃して死にゆく大地を緑で溢れかえさせた。でも、あまりにも長過ぎる時の流れが、彼女を歪な存在へと変えたのさ。人から精へ、神へ、そして邪――へとね?」
まるで詠うように、因果の悪魔はぺらぺらと語った。
ラグリオラスは下手に乗らず、話を先へ進めておく。
「へぇ。現世の人類には、その程度でも充分に脅威か」
「うん。僕らが封印される前より、退化しているからね」
話の切れ目を悟り、ラグリオラスはため息をついた。
「話はそれだけか?」
「いやいや、まっさかぁ?」
「なら、早く話せ」
「ほんと、せっかちだねぇ」
隣から嘆息が聞こえたが、ラグリオラスは無視する。
因果の悪魔が陽気な声を紡いだ。
「女神の降臨には、いくつか特定の条件があってね」
「まだ続くのか? その話……」
「大事なことなのさ。結論を言えば、皇帝陛下と奥方を贄に捧げたわけだけど、これがのちに重要な意味を持つ。彼らの娘が、硬い殻を破るからね」
「ふむ。そうか」
ラグリオラスは呆れ気味に相槌を打った。
理解不能な物語を得意げに語る――彼は何も変わらない。
因果の悪魔が覗き込むように、ラグリオラスの視界に飛び込んできた。
「重要だよ? ラグリオラス君の思い描く図式にも、ね?」
ラグリオラスは無意識に、一本の指がぴくりと動く。
因果の悪魔を即刻、殺すべきだと判断したからだ。
だが、ぎりぎりのところで理性が留めた。
一撃で葬れるかどうか以前に、保険をかけている可能性が高い。彼を殺せたところで、より最悪な状況が我が身に降り注ぐと予感したのだ。
「そんな警戒するなよ。僕は君の味方なんだ」
「……」
「神殺しの獣が強くなるのは、君にとっていいことだろ?」
「いつから、気づいていた?」
因果の悪魔が再び口もとを緩ませた。
「それもまた、ひどい話じゃないか」
「何が言いたい?」
「勘違いだよ。君が先じゃない。僕が先――なんだ」
ラグリオラスの思考が、無数に駆け巡っていく。
因果の悪魔は大袈裟な身振りで続けた。
「――とは言っても、誤差ではあるけどね。ニギルが顕界で悪事を働き、それが少年の逆鱗に触れた。そんなところを、僕は少し遠くから実際に見ていたからさ」
「ふん……ニギルの奴を、見殺しにしたのか」
「協力する義務なんかないし、僕の描く物語にはいらない」
ラグリオラスは黙した。
因果の悪魔が口にした言葉に、何も間違いはない。
「その後、君があれの残滓を集めて覗き見た。ほらね?」
「ああ。俺が後だったな」
わずかながら、声に警戒が滲んでいたと自覚する。
ラグリオラスは内心、穏やかではない。
最悪の場合を言えば、消される覚悟をしている。
無論、すんなりと享受するわけにはいかない。
こちらの心情を見透かしたのか、因果の悪魔が述べた。
「安心しなよ? 僕は言いふらすなんて真似はしない」
「さあ、どうかな……」
「でもさ、ほら……僕って案外、自分勝手な性分だからさ。ラグリオラス君の作り上げている図式に、僕の作った物語を織り交ぜたくなるんだよねぇ」
「はた迷惑な話だ」
因果の悪魔がくすりと笑った。
「期待に応えられたはずではあるんだけど……結構、何かと暗躍していたんだよ」
「ほう……?」
「彼の物語は、たった一通のメッセージから始まった」
ラグリオラスは横目に、因果の悪魔を見据えた。
「飛行船の墜落、獣人の里に忍び寄る魔物達の襲撃、海賊の住処への訪れ、英雄の末裔達の現状、飛竜の奇病、それから――最後に、女神様との邂逅。これらすべては、僕が描いた物語だ。仲間と絆を深め合いながら、さらに力の増強を彼と彼の大事な仲間達にも促している。今後のために、ね?」
決して、警戒を欠かしていたわけではない。
それでも、まるで気づかなかった。
運命の破壊者による偶然の邂逅と考えていたが、明らかに因果の悪魔が導いた作為的なもの――確実に少年との対面を覗かれており、さらにラグリオラスが話した内容も、すべて筒抜けとなっているに違いない。
それ以前に、思惑をすでに見抜かれていたふしがある。
もはや言い逃れなど、可能な領域にはない。
ラグリオラスは、因果の悪魔を睨みつけた。
「望みは、なんだ?」
「知っているでしょう? 僕はただ、楽しみたいだけさ」
「……なら、なぜわざわざ俺の前に現れた?」
「協力者は多いほうが、いいじゃないか?」
「俺が?」
「僕が、ね。魔神を殺した後の世界を、見てみたいしさ?」
ラグリオラスはすべてを諦めた。もう打つ手などない。
因果の悪魔が静かに笑った。
「もうちょっとだけ、君に情報をあげるよ」
「なんだ?」
「神殺しの獣を宿した少年が、まもなく女王国を訪れる」
「……は?」
「そうなるように、僕が空白の領域で促したからね」
「もっと詳しく話せ」
因果の悪魔は数歩前を進み、ラグリオラスを振り返った。
「君も気づいているとは思うが、この国には彼と似た異物が存在する。その彼に、少年は会いたいと願うからさ。空白の領域で、超文明の秘密に触れたから」
「超文明の秘密?」
「世界が破壊と再生を繰り返されている……そんな真実さ」
正直に言えば、曖昧な話ではある。
存在自体は把握しているが、不明瞭な部分がかなり多い。
それは、因果の悪魔も然りのはずであった。
魔の総帥たる存在ですら、きちんと認識していないのだ。
ラグリオラスはようやく、因果の悪魔の思惑に気づく。
因果の悪魔が淡々と話を進めた。
「彼らは以前、密会をしていてね。そのときに知れたのさ。どうやらここに在る異物は、神殺しの獣の彼よりも、高度な文明の世界から訪れている。いくら運命が破壊されて、先が見えなくなってもさ――人の心が見えれば、道筋は見える」
「物語の目的は……破壊と再生の神か?」
ラグリオラスは話を遮り、因果の悪魔に問いかけた。
表情は変わらないが、わずかに因果の悪魔が硬直する。
ほどなくして、因果の悪魔は口に微笑みを湛えた。
「そう。運命の破壊者達がいれば、可能だと踏んでいる」
「俺の真の目的も、もしかしたら……そいつなのかもな」
「ね? 僕も結構、役に立つだろ?」
「そうだな」
因果の悪魔が嬉しそうに、両手をぱちんと合わせた。
「それなら、僕の描いた物語に君も乗ってくれよ」
「俺の描いた図式を、すべて潰せと?」
「まっさかぁ? 併せてくれたら嬉しいって話さ」
「脚本次第だな。つまらない演劇には乗らない」
「ひどいね? より情熱的に、劇的で美しいものだぞ」
ラグリオラスは鼻で笑った。
落胆する因果の悪魔に、ラグリオラスは疑問を投げる。
「あの英雄の末裔達は、どう処理しておく?」
「処理なんてとんでもない! 彼も重要な役者なのに」
「ふむ……? では、どうする?」
「もちろん、僕が囁くさ――」
悪魔の囁き――それは当然、誘惑が大半を占めている。
対象者の渇望が強ければ強いほど、誘惑の甘美さは増し、相応に理性を失っていく。己の欲望に忠実となれば、あとは地獄へと堕ちていくのみであった。
ただ因果の悪魔の場合、別物と言えるほどの違いがある。
まず対象者は、囁かれたとすら認識しない。
己の中で思考を巡らせながら悩み、迷い、そうして最後に結論を下す――たとえそれが、周囲の者達に動揺、あるいは困惑をもたらす結果を招いたとしても、誰もが勝手に理由や事情などを模索して納得へと至る。
つまり因果の悪魔の囁きは、ある種の思考に近い。
だから非常に強力で、ひどく恐ろしいものでもある。
対象者は自覚なく、己の意思で選択したと錯覚するのだ。
他者から与えられた選択肢などではなく、己の生みだした選択によるもの――この事実こそが、まさに漆黒にも等しい盲目となって現れる。
本人は迷っても疑わない。否、信じ込むほかないのだ。
後戻りなどできない地点に辿り着くまで、ずっと――
ラグリオラスは黙したまま、漠然と予想していく。
英雄の末裔に情など抱かないが、憐れだとは思った。
「どうせ魔神の封印は、ほっといても時間がかかる。だから最終的には、ゆっくりじっくりと自滅へと仕向ければいい。まあ、それよりも前に……彼には、とても重要な役を演じてもらわなきゃね」
「ふん……? それは……?」
因果の悪魔が、不敵な笑みを口に張りつかせた。
しばらくしてから――
「実はもう、下準備は整っていてね……結論から言おうか。まず例の少年を孤立させ、こちら側へ引き込む予定なんだ」
予想外の話に、ラグリオラスは内心で驚く。
いずれ仲間にするつもりではいた。
だが、まだ早い。彼はあまりにも未熟過ぎるからだ。
「あの彼には、やってもらいたい仕事がいくつかあってね。それは、現代の――あるいは、二代目神殺しの獣とも言える彼にしかできないんだ。一度こちら側に引き込めば、あとはもう自発的に動いてくれるはずだから」
まだ何か、隠している目的がありそうだった。
因果の悪魔の企みは見えないが、妙な違和感がある。
ラグリオラスは思案しつつ、呆れた声を紡いだ。
「効率的な話だが、君が直に囁けばよくないか?」
「それは、僕に死ねって言っているのかい? 彼の中で眠る神殺しの獣が怒り狂うかもしれないだろ? まあ、試そうと思ったのは、ちょっと否めないけど……でもね、あれは――間違いなく、火傷程度じゃ済まなくなる」
ラグリオラスは失笑した。
「ふっ……君でも、怖いものがあるんだな」
「当然! 完全にはまだ、力が戻っていないからね」
嘆息まじりに言い、因果の悪魔があっと声をあげた。
「そうそう――やっぱり、運命の破壊者だからなのかな……予想外の展開が生じるかもしれないから、そこは臨機応変な対応をしてくれよ」
「へぇ……君でも見通せないものがあるのか」
「いや……結果としては、僕が描いた物語通りではあるよ。でもね、その過程が少し異なった部分が多々とあってさ……ここはもう、予測が不可能だね」
「ふぅん……」
ラグリオラスは曖昧な相槌を打つ。
確かに予測不能な事態は起こり得るに違いないが、因果の悪魔ですら見通せない事実に内心で驚いた。やはり、彼らの裏には計り知れない存在が潜んでいる。
ラグリオラスは鼻で笑い、因果の悪魔に視線を据えた。
「そういえば、彼がここの異物に会いに来ると言ったな? 君が思い描く物語の範囲なのかどうかわからないが、きっと彼と接している暇はないかもしれない」
「ん……? なんの話だい?」
ラグリオラスは事情を説明する。
すると、因果の悪魔がひどく肩を落とした。
「ほらぁ……また予想外の展開が起こっているじゃないか」
「君の物語は、どうやら破綻してしまったか?」
因果の悪魔の落胆に、ラグリオラスは内心で微笑んだ。
因果の悪魔は諦め気味に、深い溜め息をつく。
「まあ、それならそれで……いや、逆にいいかもしれない。僕の思い描いていた物語の大部分が、削がれてしまうが……時には激動的なのも悪くはない」
「ふっ……では、君の描き直した物語を聞かせてくれ」
「きっと気に入ってくれるはずだ。君は、特に――ね」
正直なところ、因果の悪魔には関わりたくなかった。
しかしすべて知られている以上、ほうってもおけない。
最悪の場合――それすらも、確実に見抜かれている。
意気揚々と物語を口にする因果の悪魔を見据え――
ラグリオラスは胸の内側で、どっとしたため息が漏れた。




