第三十九話 少女の宣言
咲弥は帝国城にある、豪華な造りをした控えの間にいた。
付近には帝国軍第二大将軍のジェラルドと、その娘となる上級冒険者のアイーシャ――さらには内務大臣のヴィクスに加え、第七皇女シャーロットの姿もある。
皇女呪い事件の真相を知る者が、一堂に会しているのだ。
「ふむ……お似合いですぞ」
ヴィクスがしわがれた声で、シャーロットを褒めた。
シャーロットは今現在、皇族ならではの正装をしている。
もうじき、追悼式が始まるからだ。
一枚の扉を抜けた先には、すでに大勢の人々がいる。
緊張しているのか、シャーロットに反応はない。
彼女の性格を考えれば、それも仕方のない話ではあった。いくら自分から追悼式の演説を務めると申し出たとはいえ、直前ともなれば誰でも緊張するに違いない。
きっと自分なら、震えが止まらないだろうと予想できた。
シャーロットは目を閉じたまま、気を静めている。
しかし、その静寂も長くは続かなかった。
追悼式開始の時が、ついに迫る。
簡易的な敬礼をしてから、ジェラルドが低い声を発した。
「シャーロット様――ご準備のほうは、よろしいですか?」
シャーロットは目を開き、ゆっくりと頷いた。
「はい」
短い応答を受け、ジェラルドが再び敬礼をした。
これからの予定では、咲弥を除く三名が壇場に出る。
参列者を静めたのち、シャーロットが登壇するのだ。
咲弥は控えの間で、待機を命じられている。
皇女呪い事件に携わった一人ではあるが、それはあくまで裏側の話でしかない。至極当然の話、今現在も――これから先も、極秘なのは変わらないのだ。
咲弥は未来永劫、女神関連には関わっていないとされる。
だから追悼式に参加するのなら、参列者に交じったほうがいいはずであった。理由はよくわからないものの、それすら禁じられている。
咲弥はなかば茫然と、ジェラルド達の後ろ姿を見送った。
控えの間にある両開きの扉が、重い音を立てて開かれる。
ここは帝国城の高い位置にあった。
人々のざわめきは、うっすらとしか届いていきていない。
「まもなく、追悼式を執り行う――」
ジェラルドの低い声が、拡声器により大きく響き渡った。
間を計るため、両開きの扉は開かれたままにしてある。
ジェラルドが追悼式の説明を始め、会場に集まった人々をなだめていく。
咲弥は背後から聞き――
「咲弥殿」
不意に、シャーロットに名を呼ばれた。
咲弥ははっと我に返り、シャーロットへ視線を移す。
楚々とした彼女は、ややうつむき加減の姿勢でいた。
「シャーロット様。どうかされましたか?」
「貴殿に少々、お伺いしたく存じます」
「……? はい」
「貴殿はレイストリア王国の冒険者……冒険者とは、危地に飛び込むことも珍しくない。そう、お聞きしております――相違ありませんか?」
緊張を和らげるためか、咲弥は唐突な問いに少し驚く。
疑問の真意はわからないものの、咲弥は素直に答えた。
「はい。確かに、珍しくはありません」
「たとえ――神が敵対するとしても……でしょうか?」
咲弥は言葉に詰まる。適切な言葉が、うまく浮かばない。
もともと咲弥の目的は、邪悪な神を討つことにあった。
そういった事情を考慮すれば、答えは肯定となる。
ただ心情的には、正直なところ否定しかしたくない。
今回の件から、心に傷を負うほど痛感させられている。
咲弥が回答に悩んでいる最中、シャーロットが可憐な声で胸の内を語った。
「私は臆病者です。女神様から力を授かった母や、あるいは女神様そのものが降臨なされたときは、怯え、震え、無力な自分を胸裏で慰めることで精一杯でした」
シャーロットはゆっくり首を横に振った。
「……ですが、貴殿は違います。とても果敢に立ち向かい、多くを護ろうと必死だったと、私はそう認識しております。それは、冒険者だからなのですか?」
シャーロットの可憐な声は、どこか切実な響きがあった。
おそらくは、緊張をほぐしたいからではない。
咲弥の原動力を、単純に知りたいのだろうと察する。
一呼吸の間を置き、咲弥は真摯に応じた。
「本音を言えば、凄く怖いです。ほんの少しの失敗や判断の遅れから、死にそうになった経験は本当に数えきれません。ですが……」
「はい……?」
「これは結構前に気づいたことなんですが……一度こうだと思ったら、どうやら僕は周りが見えなくなってしまいます。今回に関して言えば、とにかく必死でした」
シャーロットの顔がきょとんとしていた。
ここも昔から変わらない。言葉が足りなさ過ぎるのだ。
咲弥は苦笑してから、もっと噛み砕いて告げる。
「人が悲しんだ姿を見ると、僕も悲しい気分になります――できれば、誰もが笑っていられるような、そんな凄く温かな世界になってくれればいいなと……僕はそう思っています。ですから、もし微力でしかないとしても、僕が頑張ることで多くの人が笑顔になる可能性があれば、僕はそれを目指して前へ進み続けるだけです」
「貴殿の願いを阻むものが、たとえ神であったとしても……ですか?」
シャーロットが再び、同じ問いを投げてきた。
咲弥は内心、意図が伝わったのだと安心する。
「はい。たとえ、神と敵対しても……です」
「……そうですか」
シャーロットがどこか儚げに、顔をうつむかせていく。
楚々とした容姿のせいか、内心で不謹慎とは思いつつも、彼女の沈んだ表情から、咲弥はそこはかとない美しさを感じ取った。
守ってあげたくなるような、か弱さもあるからだろう。
そう感想を抱くなか、シャーロットがふっと顔を上げた。
空色の瞳の奥には、なにやら力強い光が宿っている。
シャーロットは無言のまま、静かに前へと歩んだ。
「これより、追悼式を開始する――ラングルヘイム帝国第七皇女、シャーロット様から式辞を賜りたく存じます――」
ヴィクスの声が耳に届き、咲弥ははっとなる。
シャーロットへの答弁に気を取られ、うっかりしていた。
咲弥は後ろを振り返り、シャーロットを見送る。
壇上に立つシャーロットの姿を、咲弥はじっと見据えた。
現在地からでも、彼女の後ろ姿はよく見えている。
「――本日、先の天災により亡くなられた方々の、追悼式を挙行するにあたり、御遺族並び、御参列していただきましたすべての皆様方へ、感謝申し上げます」
シャーロットの声に、震えた様子はまったくない。
シャーロットは毅然とした姿勢で、言葉を紡ぎ続けた。
「途方もない数の尊い命が、一夜にして失われました。先に起こった天災は――我ら帝国に住まう者達が敬愛して、崇め祀っていた女神ユグドラシール様によるものです。なにゆえ彼の女神が我ら帝国の者を苦しめたのか、そこについては、いっさい何も判明しておりません」
真実を知る者は数少ない。
だから、方便的にそう告げている。
「勇敢な者達の活躍により、天災による被害は最低限にまで食い止められたかと存じます。帝国の者を代表して、心より感謝申し上げます。そして、その中には――我らが皇帝陛下ベルガモットと、第四皇妃スイも含まれております。彼らは愛する帝国民を護るため、自らの命と引き換えに奇跡の力を得て、女神ユグドラシール様を深き眠りへとつかせました」
黒い歴史は、闇へと葬り去られる。
これにより咲弥に関する情報も隠蔽され、のちの歴史にはいっさい名前が残らない。それ自体は、咲弥からすれば別に何も問題はなかった。
ただ、か弱い少女が背負うには、あまりにも酷だと思う。
真実はひどく心苦しいものであり、同時に二度と消えない深い傷を残し続けている。シャーロットは未来永劫、そんな重荷を背負い続けなければならないのだ。
咲弥は自分よりも、彼女のほうが心配になる。
皇帝陛下のくだりで、参列者達はどよめいていた。
だが次第に落ち着き、追悼式は滞りなく進行していく。
そしてついに、追悼式最後の言葉まで時間は流れ去る。
そのはずだった――
「本来であれば、この場は私などではなく……もっと地位の高い、あるいはここに立つに相応しいお方が、おられたかと存じます。ですが……この場をお借りして、私から皆様方へお伝えしたいことがございます」
シャーロットの発言に、今度は妙なざわつきが起こる。
咲弥達もまた同様であった。これは、予定にはない。
だからジェラルドとヴィクスも、目を丸くしている。
「女神様が深き眠りにつき、このラングルヘイムの地にある厳しい環境が、悪化する可能性は否めません。そこに不安や迷いが生じている方も、多いかと存じます」
「シャ、シャーロット様……?」
ジェラルドの動揺を、シャーロットは手で制した。
「私はとても臆病で、自分の殻にこもって生きてきました。つらい現実から目を背け、苦しみや悲しみから逃げ続けて、今日まで、ずっと――」
シャーロットは黙った。長い沈黙が続く。
シャーロットの意図がわからず、咲弥は困惑する。
きっと、ジェラルド達も同じに違いない。
シャーロットが大きく深呼吸をした。
「ここに、宣言いたします。私が――いや。余が、次期皇帝陛下となり、帝国に住まう民達の希望になると誓おう。我ら帝国の者は――女神の力がなくとも、決して折れはしない。力強く生き、必ずや帝国に安寧を取り戻す。女神に代わり、余が諸君らの道を照らす太陽となり、平等に笑顔をもたらす女帝となってみせよう」
帝国を訪れた頃を思い出して、咲弥は身震いする。
声の力、言葉の重み、放たれる威圧感――
見た目は母親似だが、今のシャーロットはベルガモットにそっくりだった。
「余の生き様をその眼に焼きつけ、余とともに帝国の繁栄と安寧を取り戻そう」
(やっぱり、親子なんだなぁ……)
徐々に大きく拍手が湧き起こっていくなか、咲弥はそんな感想を持った。
それからシャーロット達が、控えの間へと戻ってくる。
「ほっほっ……その先は、灼熱の地を素足で歩く道ですぞ」
ヴィクスが言い、どこか不敵に微笑んでいる。
咲弥がいる付近で、ジェラルド達が立ち止まった。
シャーロットはやや遠い位置で、力強い声音を紡ぐ。
「ジェラルドおじさ――帝国軍第二大将軍ジェラルド、内務大臣ヴィクス。これからの行く道は貴殿らで決めよ。しかしもし……余に力を貸してくれるというのならば、喜んで受け入れよう」
ジェラルドは戸惑い気味に、深い溜め息を吐いた。
ジェラルドがヴィクスと同時に、跪くほうの敬礼をする。
「亡き陛下の命に従い……というわけではないですが、このジェラルド――シャーロット様に忠誠を誓い、ともに険しき山の頂を目指したく存じます」
「老い先短い私めが、どこまで力になれるのかは不明ですが……健康に気を使い、もう少し長く生きましょう。次期皇帝陛下の華やかなお姿、見たく存じます」
ヴィクスの言葉が終わるや、アイーシャも跪いた。
「私は冒険者として、父と帝国の力になると誓います」
「途方もない力。快く受け入れよう」
シャーロットの空色の瞳が、咲弥のほうへ向けられた。
シャーロットは黙したまま、静かに微笑む。
皇帝となる道を目指すと、そう腹を括ったからか――
それは少女らしからぬ、艶麗な微笑みに見えた。
「咲弥殿。実は、ここだけの話なのですが……」
「え? あ、はい……?」
突然、シャーロットに話しかけられ、咲弥は戸惑いながら応じた。
シャーロットが微笑んだまま、可憐な声音で告げてくる。
「貴殿は、この帝国の闇を知っている。ゆえに、この世から抹消したほうがよいのでは……と、余はジェラルドに、そう提案しておりました」
「――えっ?」
咲弥は心の底から驚愕を覚え、一歩大きく後退した。
実際のところ、まったくありえないという話でもない。
咲弥は体中から、冷や汗がだらだらと溢れだした。
「ですが、ジェラルドのほうから、その必要はない。と――もし貴殿が帝国にとっての傷となるようであれば、自分共々葬られてもよいとの返答を受けました」
(ありがとう! 本当にありがとう! ジェラルドさん!)
咲弥は心の中で、ジェラルドに感謝を述べた。
シャーロットはくすりと笑う。
「彼から、随分な信頼を得たのですね」
「え、えへへ……ありがたく、存じます……」
咲弥はつい、ぎこちない笑みをまじえて言った。
内心の焦りが、いまだ消えない。
シャーロットがおもむろに、咲弥へと歩み寄ってきた。
咲弥は動揺を隠せず、びくびくとしていた。
「されども……人の心は、とても移ろいやすいもの。だからできれば、傍に置いておきたいと思うのが、余の心情です。もし余が皇帝陛下となった暁には、貴殿を余の夫として迎え入れたい。と、そう考えております」
「――えっ? いやいや、そんな! 恐れ多すぎます!」
咲弥はひどく慌てふためく。
庶民だからといった理由もそうだが、咲弥はそれ以前に、果たさなければならない使命がある。仮に使命がなくとも、皇族の仲間入りなどできるはずもない。
シャーロットの微笑んだ顔が、少し険しくなった。
どこか冗談まじりの気配はあるが、真意はわからない。
「余の誘いを断る、と? 初めて余の体を、抱いた男が?」
事実的な話を言えば、確かに抱いたのは間違いない。
だが明らかに、誤解を招きかねない言い回しであった。
「ほっほっほっ」
ヴィクスが呑気に笑っていた。
ジェラルドは眉間をつまみ、アイーシャは渋い表情をして苦笑している。
咲弥は困り果て、首を横に振った。
「いっ、いえいえ! それは、神域でのお話ですよね?」
シャーロットに睨まれ、咲弥は冷や汗が止まらない。
いやな沈黙のなか、ジェラルドが口を開いた。
「ふっ……シャーロット様。残念ながら、咲弥殿を以前からお慕いしていらっしゃるご様子の女性が、もうおられます。名は確か――紅羽さん、でしたかな」
「私見を申せば、彼女は私よりも遥かに有能でお強いです」
アイーシャの補足に、シャーロットと一緒にジェラルドも驚いていた。
「お前より……本当か?」
「のちに聞いた話だが、神鹿を一人で討伐している。しかもその後は、私と友人が協力して戦っていた蛇龍も……彼女の手助けがなければ、こちらがやられていた」
「ほぉ……」
アイーシャの返答に、ジェラルドは長めに唸った。
確かに紅羽はここにきて、さらなる進化を遂げたらしい。
精神世界へ自らの力で行けたと、紅羽本人から聞いている――そこがまだ少し曖昧なものの、少なくとも、女神の守護神獣を討てるほどにまで成長したようだ。
咲弥は末恐ろしいと思いつつ、感嘆しているジェラルドに苦笑を送っておく。
シャーロットが唇を引き締め、咲弥を強く睨んでくる。
アイーシャがどこか、ひやかしめいた口調で言った。
「彼女は、とても手強いですよ? 戦闘面に特化しており、さらには支援方面にも特化しております。彼女の治癒術は、帝国の第一級衛生兵並みです」
「ほっほっ……冒険者はやはり、粒揃いですなぁ」
ヴィクスが穏やかな声音で感心していた。
シャーロットが呆れ気味に、肩を竦めて見せる。
「妾の一人や二人ならば――目を瞑りましょう」
「えぇええ……!」
魂が入れ替わったのではないかと、咲弥はそう勘繰った。
楚々とした容姿のわりに、思いのほか強情な面がある。
言葉を失う咲弥に、シャーロットは再び微笑んだ。
「ふふっ……安心してください。ただの冗談です」
「じょ、冗談……?」
「ですが……」
シャーロットがおもむろに、咲弥に歩み寄ってきた。
咲弥は内心で怯えつつ、じっと状況を見守っておく。
するとシャーロットは、咲弥の右手を両手に取り、優しく包み込んだ。少し力を込めれば、壊れてしまいそうなくらい繊細で、滑らかな感触が伝わってくる。
咲弥はどきりと胸が高鳴り、内心で激しく戸惑った。
「改めて、礼を言わせてください。貴殿に救われたこの命、余は……帝国のために、活躍させていただきたく存じます。貴殿の心優しい強さに倣って」
真摯な言葉を受け、咲弥はやや驚くも自然と微笑んだ。
彼女の意図は、しっかりと伝わっている。
咲弥はゆっくり頷いてから、シャーロットに応じた。
「陰ながらではありますが、応援させていただきます」
シャーロットは手を放したあと、咲弥から離れていく。
数歩だけ進み――シャーロットが肩越しに振り返った。
清楚に溢れた顔には、いたずらっぽさが宿っている。
「いつか貴殿の心が余にのみ振り向く、最高の女帝となってみせましょう」
心臓の鼓動が、一度だけ大きく跳ねた。
冗談か本気か――いや、なんとなく伝わってきている。
とはいえ、肯定も否定もできない。
シャーロット自身、きっと望んではいないからだ。
咲弥は悩み、迷い、そして苦笑で誤魔化すほかない。
周囲の者達もまた同様に、苦い笑みをこぼしている。
シャーロットだけは、照れ気味に微笑んでいた。
遥か遠い未来――とある歴史書には、こう記されていた。
女神による天罰が、ラングルヘイム帝国に降り注ぐ。
だが帝と奥方の愛により、女神は永久の眠りについた。
女神の加護は失われ、灼熱の地は荒れ果てていく。
帝国に住まう者達は苦しみ、怯え、闇の道を歩いた。
されど絶望的な暗闇に、ふと温かな光が射し込む。
その光こそ、新生帝国を築いた日輪の女帝なり――




