第二十話 失うことの恐怖
敷かれたシーツの上に、咲弥はばたりと倒れ込んだ。
魔物の討伐と処理を繰り返したため、疲労感が凄まじい。
体中に擦り傷を負い、意識するとジンジンと痛んだ。
初日からずいぶん無茶をしたと、しっかり自覚している。
もっとも精神的に一番つらかったのは――処理場に魔物の死骸を運び込んだときに、人の死体も適当に投げ捨てられていたのを見たことであった。
死期が迫った者や死んだ者は、ここではアラクネの死骸と同様、一緒くたに焼かれて処理されてしまうのだ。
応急措置をした男の件から、その事実は予想に難くない。だが実際に目で見ると、やるせない思いだけが胸に募った。
肉体を酷使したのは、それが原因でもある。
どうしようもないとはいえ、つい考え込んでしまうのだ。
(今もまた、こうやって……結局、考えちゃうんだよなぁ)
咲弥は寝ころびながら、小さく首を横に振った。
考えれば考えるだけ、悲しい気持ちが溢れ返る。
このままでは、きっと身が持たない。
咲弥はなかば無理矢理に、別のことを考え始めた。
(そういえば……やっぱり、最悪だったなあ……)
仕事を終えたのち、水浴びと食事の時間が設けられた。
水浴びは、まるで家畜の扱いにも等しい。
まず頭上から降り注ぐ冷たいシャワーを浴びる。それから少量の洗剤で全身を手洗いしたのち、また冷たいシャワーで洗い落とすだけで終わった。
そして食事に関しては、もはや栄養を摂取するためだけの行為でしかない。与えられた食べ物は、残飯か何かかと疑う程度のものであった。
正直、食欲など湧くはずもない。だが、何か食べなければ死ぬと思い、なかば強制的に胃袋の中へ収めでおいたのだ。
ここまで環境が劣悪だと、もはや反応する気すら失せる。
咲弥はぐったりとして、周囲に目を向けた。
部屋にはコルスのほか――銀髪の少女と不意に目が合う。
とっさに逸らしてしまい、そのまま宙を見つめる。
水浴び以外は、男女混合であった。
まともな状況なら、あたふたとしていたに違いない。
それすらもできないくらい、咲弥は疲労困憊していた。
(銀髪のあの子……一日中ぼんやりとしてたなぁ……)
終始無表情のまま、少女はまったく働かない。
ただなぜか、咲弥の後を追ってくる。
少し前の水浴びのときも、こっそりついてきていたのだ。
(あれはさすがに……ちょっとびっくりした……)
施設の者が止めたが、あわや大騒ぎになる寸前だった。
(きっと……どうしていいのか、わからないのかな)
新参者同士であれば、多少落ち着くというのはわかる。
おそらくは心細さから、後を追ってくるのだと考えた。
しばらく寝転がっていると、部屋の扉が叩かれる。
げっそりとしつつ、咲弥は視線を注いだ。
開いた扉の先には、栗毛の男――ロイが立っている。
「黒髪の小僧。ついてこい」
(ロイさん……?)
妙に高圧的なロイの態度を、咲弥は不可解に思った。
咲弥は気力を振り絞り、立ち上がる。
コルスが不安げな様子で、咲弥のほうを見守っていた。
咲弥が立つなり、銀髪の少女もすっと腰を上げる。
「え? お、おっと……お前はだめだ。こいつだけだぞ」
ロイが怪訝な面持ちで、銀髪の少女を手で制した。
少女はじっと固まる。そして、また静かに腰を下ろした。
咲弥は少女に向け、謝罪の合図を手で出しておく。
「行くぞ」
咲弥はロイに連れられ、施設員がいる廊下を進んだ。
誰もいない個室へと招かれる。
扉を閉めた途端、ロイは大きなため息をついた。
「はぁ……演技とはいえ、こういうの向いてないな。俺」
「演技……?」
「ほかの奴隷達や施設員に、怪しまれないようにな」
「あ、なるほど……そうですか」
施設員と奴隷が仲良くしていたら、確かにおかしい。
咲弥は納得して、呼び出された要件を待った。
ロイが苦笑する。
「なんか、だいぶ疲れきってんな」
「ええ……少し無理をしまいまして」
「監視に聞いた。死骸処理なんか、する必要ないんだぜ?」
「体を動かさないと、あれこれ考えてしまいそうで……」
「気持ちはわからなくもないが……あまり根詰めるなよ」
「はい。ありがとうございます」
なんとも言えない顔をして、ロイが心配してきた。
「本当に、大丈夫か? 今にも死にそうなツラだぞ」
「……処理場のほうで、人の死体を見ました」
「……ああ……」
「正直……結構、きついですね……」
ロイは指で頬をかいた。
「まあ、その……なんだ。気にするなって言うのも変だが、あまり考えるな。ここじゃあ、人の死は珍しくもないんだ」
「……はい」
「それにそれは、咲弥君が目指す冒険者だって同じだろ?」
「え……?」
「あんま詳しくねぇから、あれだが……冒険者だって多かれ少なかれ、魔物に殺されるなんて、結構ざらに聞く話だぞ」
咲弥はふと、冒険者達の言葉を思いだした。
冒険者は、いつ死ぬかわからない――そう言っていた。
そのため一般人よりも早くから、飲酒が認められている。料理も美味しいものを、頑張って出してくれるそうだ。
「な? だから、慣れろとは言わねぇ。でも、それも含め、もっと強い心がなきゃ、冒険者になんてなれないと思うぞ」
ロイは顔に似合わず、優しい声でそう諭してきた。
咲弥は少しだけ、本来の自分を取り戻す。
独りで抱え込んでいたら、だめになっていたに違いない。
ロイと話せてよかったと、心からそう思えた。
「ロイさん。ありがとうございます。もう、大丈夫です」
微笑みながら頷いたあと、ロイは口を開いた。
「それでだ。ザップの野郎から、連絡が入ったんだが……」
「ああ……どうでしたか?」
ロイは苦い顔で、首を横に振った。
そのしぐさから察する。
「どうにも見つからないみたいでな……」
「そうですか……残念です」
疲労感が、どっと蓄積された気がする。
どこかへ逃げたのか、無駄に想像ばかりが働く。
「探せなかったら消すって伝えといたから、勘弁してくれ」
「ははは……わかりました」
ロイが、はっとした顔を見せる。
咲弥は小首を傾げた。
「そうそう。咲弥君に、これを渡しておこうと思ったんだ」
「ん……? なんですか?」
腰に帯びた鞄から出されたのは、なんらかの品だった。
手のひらに乗るぐらいの品を、咲弥は手渡される。
「光の紋章術が入った紋章具だ」
「ああ、紋章具……」
「横にスイッチがあるだろ? ちょっと、下げてみ?」
咲弥は言われた通りに実行する。
紋章具の先端から、白い紋様が飛び出して砕け散った。
キラキラとした光の粒が、咲弥の全身に漂う。
「それ結構、高価な代物なんだぜ? どうよ?」
「あれ……なんだか、体が軽くなっていく気がします」
「だろぅ? 傷や疲労を癒す効果のある紋章具だからな」
まるで汚れを落とすかのように、擦り傷も消えていく。
原理はわからないが、咲弥は凄いという感想をもった。
「使用回数に制限があるから、無駄遣いすんなよ」
「ありがとうございます。これ、本当に嬉しいです」
「なあに。助けてくれた礼さ。これからもちょくちょく来て、差し入れする。だから、しばらくは我慢しててくれよな」
「わかりました」
咲弥は紋章具を、ポケットにしまった。
「一応、言っておくが……ほかの奴隷達にはバレんなよ?」
「え? あ、はい」
「奴隷に差し入れなんざ、普通はありえねぇからよ」
「ははは……そうですね」
「おう。それじゃあ、そろそろ戻るか」
「はい」
ロイと一緒に、咲弥は自室へと戻ってくる。
コルスと銀髪の少女が、同時に視線を向けてきた。
「それじゃあ、小僧! しっかりと励めよ」
また高圧的な姿勢で、ロイはビシッと指を差した。
それから分厚い扉を閉め、どこかへと去る。
事情を知ってから見ると、確かに向いていない気がした。
咲弥は心の内側で苦笑して、自分のシーツの上に座る。
「なんだったんだ……あれ?」
コルスが呟いた。
咲弥は少しばかり焦る。
関係性を問われた場合の方便を、まだ何も考えていない。
ロイのために、咲弥は必死に言い訳を模索した。
「しっかり仕事をしてるかどうかの……確認、でしたね」
「ふむ……咲弥君をここへ連れてきたのは、彼なのかい?」
「はい。そうです」
「なるほど。査定かなんかに響くから、確認しに来たのか」
納得してくれた様子で、咲弥はほっと安堵する。
嘘をつくのは心苦しいが、こればかりは仕方がない。
「それにしても、咲弥君はどうして奴隷になったんだい?」
「え……?」
「あっ、ごめん。あまり、こういうのは聞いちゃだめだね」
「あ、いいえ」
「僕は借金がかさんで、奴隷になったんだ」
コルスが奴隷になった経緯を明かした。
申し訳ないと思ったからなのか、どんどんと語る。
「このアドロアにはさ、ギャンブルから女からと、とにかく遊べるところがたくさんあってさ。最初の頃は、酒も飲んで気持ちよく遊んでたんだけど……」
ロイに連れられ、咲弥はここへ直接きた。
だからアドロア町については、何も知らない。
おそらく、大人の世界が広がっていたのだろう。
「それで、咲弥君はどうして奴隷になったんだい? 僕とは違って、そんな遊んでいるようには見えないしなあ。接した感じ、犯罪者ってわけでもなさそうだし」
自分語りをしたからか、コルスは気兼ねなく尋ねてきた。
下手に嘘をつくのは、まずいと考える。どういった経緯で奴隷になるのかは、さまざまな事情があるに違いない。
ただ下手に嘘をつけば、ぐいぐいと問われる気がした。
「すみません。その話は、したくないんです」
申し訳ない気持ちが伝わるよう、声に乗せて言った。
この言葉で、引いてくれるのを期待するほかない。
コルスは少し慌てた様子で、謝罪をしてくる。
「ああ、ごめんね。気を悪くしないで」
「いいえ。すみません」
不意に、たくさんの小さな足音が耳に届いた。
扉がある壁の上部には、細長い格子窓がいくつかある。
その部分から、足音が徐々に大きさを増して入ってきた。
「この足音は……」
「ああ、夜勤組だね」
「夜勤、ですか?」
「ここの奴隷は、昼夜関係なく働かなきゃいけないからね。だって、魔物はこちらの時間を、気にはしてくれないから」
言われてみれば、当然の話であった。
魔物は昼夜関係なく襲ってくる。
「僕達はここで休んでても、いいんですか?」
「そのための、組分けさ。僕らが休んでる間に彼らが働き、彼らが休んでる間に僕らが働く。ここでは、それが普通さ」
そうでもしなければ、確かに身が持たない。
咲弥は納得して、ただ足音に耳を傾ける。
突然、男の叫び声が響いた。
「嫌だ! 俺には、もうできない!」
「黙れ! とっとと歩け!」
「なっ……」
咲弥は慌てて立ち上がり、固く閉ざされた扉を前にした。
こちら側からでは、扉は開けられない。
「無理だ! 俺にはもう無理なんだ!」
「貴様、いい加減にしろ!」
「頼む! 誰か助けてくれ!」
ピシッと、鞭か棒で打ちつける音が鳴った。
そしてずるずると、何かを引きずるような音が聞こえる。
咲弥は強く扉を叩いた。
「待ってください! 僕がその人の代わりに行きます!」
外からは何も反応が返ってこない。
格子窓の近くへ移動し、咲弥は声を張った。
「すみません! 開けてください!」
「咲弥君! やめときなって……」
コルスが呆れ声で言ってきた。
「でも……」
「時間が来るまでの間は、そこの扉は開けちゃくれないよ」
コルスの言葉通り、扉が開く気配はない。
もう防衛線のところに向かったのだろう。
咲弥は脱力し、その場で立ち尽くした。
「……多分、新人だろうね」
コルスはやれやれと呟いた。
「たまにいるんだよね。かわいそうだけど、仕方ないね」
「無理に働かせても、戦力になるとは思えませんが……」
「だから、ああいう奴から死んでいくんだ」
「そんな……」
「ああいうので、長く生きている奴は少ない。いや、一人もいないんだ。僕の班だって、前はちゃんと人がいたんだよ」
コルスの班に、ほかの人がいない理由が判明した。
ここでは毎日のように、人が死んでいる。
だからこそ、各地から大量に奴隷を集めているのだ。
「今回は見送ったけど、咲弥君も無茶はしないことさ」
「え?」
「そんな行動ばかり続けていたら、君も簡単に死ぬよ?」
コルスの言葉が、いやに重く感じた。
死を間近に見届けた者の、言葉だからなのかもしれない。
咲弥はコルスに、何も言い返せなかった。
「まっ、この娘よりは、長く生存できるだろうけど」
コルスの視線の先には、銀髪の少女がいる。
少女は膝を抱えて座り、じっと黙っていた。
いつか、自分か身近な人が死ぬ――
そんな場面を、咲弥は漠然と想像する。
心臓がしぼむような、気味の悪い感覚がした。
(嫌だな……そんなの……絶対に、嫌だ)
いつか訪れるかもしれない悪夢が、頭から離れなくなる。
何ができるのか――振り払えないなら、考えるしかない。
そうならないためにどうするか、咲弥は思考を巡らせた。