第二十九話 驕るな古の神
天樹の樹冠が、緩やかに遠退いていく光景を眺めていた。
たった一日――時間にすれば、ほんの数時間に過ぎない。
そんな短い時の中で、咲弥は大切なものを失った。
きっとまだ知らないだけで、もっと多くを失っていく。
咲弥が相手にしているのは――そうではない。もっと遥か遠い未来を含めれば、最終的に咲弥が戦わなければならない標的は、ありふれた魔物なんかではない。
神と呼ばれた存在なのだ。
『邪悪な神を討ちなさい』
認識があまかった。そこに関しては、言い訳できない。
しかし神々など、あまりにも遠過ぎる存在だった。だから狙われる可能性について知ったときも、どこか夢物語に近い心境でしかなかったのは否めない。
そのときがくれば――
その日が訪れたら――
現実逃避にも似た思考が、咲弥から大切なものを奪った。
(だったら……どうすれば、回避できた……?)
自問したところで、明確な答えなど見えてこない。
もしかしたら、正解などない可能性も充分にあり得る。
何もわからないまま、真っ暗闇に身も心も落ちていく。
もはや悲しみを突き抜け、底知れない虚無に支配される。
「紅羽……ごめん……」
どんどん、落ちていく――昏き、闇の底へ――
《君――戦い――》
《――なたの――いは》
《ま――終わって――い》
《――だ、潰え――ない》
やや遠くのほうから、黒白の声が聞こえてきた。
途切れ途切れではあったが、次第に鮮明になっていく。
《でも、選ぶのは君次第》
《あなたには、選択肢が無限にある》
《無数にある分岐に、君は立っている》
《だから、進むべき道はあなた次第》
まだかすかに思考が残っていた。
進むべき道――いったい、どこにあるのか。
これから先、どこへと向かえばいいのか。
忘れていたわけではない。
それもまた、ずいぶんと遠い願いだった。
「僕は……もとの世界に、帰りたかっただけ……」
事実だった。嘘や偽りなど、いっさいない。
ただ心の中では、ずっと混迷していた。
胸に抱いた希望は、果たして正しいのか――
この世界を訪れ、多くの経験を積んだ。
あの頃の自分は、何も知らない子供でしかない。
おそらく子供じみているのは、今も変わらなかった。
だが幾多の経験から、多少なりとも成長はしている。
多くの人や仲間と出会い、触れ合い、想いを見てきた。
そのせいか、今は自分の希望が子供っぽく感じられる。
とはいえ、やはり家族や友人に心配をかけたくない。
安心させたいという願いは、胸の奥に眠り続けている。
「僕は……どうしたいんだ……?」
その自問自答もまた、闇の中へ溶けていく。
考えなければならない問題が、山のように積み重なる。
もとの世界へ戻り、家族達を安心させ、それから――
平穏な日常生活に、果たして戻れるのだろうか。
この世界を去り、後悔はしないのだろうか。
こちらで得た経験を、あちらで活かせるのだろうか。
もとの世界を捨てて、いつの日か忘れていくのだろうか。
頭がぐちゃぐちゃに、こんがらがっていく。
先延ばしにしてはならない。今回の件で痛感している。
依然として、やはり答えが出る気配など一向にない。
この世界を訪れ、大切なものが数多くできたからだ。
しかし、その中で――もっとも大切だと感じていた人は、もうこの世にはいない。咲弥の思慮の足りなさか、あるいは境遇により、巻き添え喰らって死んだ。
それならば、なんのために――もう、何もわからない。
「ごめんね」
「ごめんなさい」
不意に暗闇の中で、小さな手にそっと握り締められる。
最初は朧気だった。徐々にはっきりと浮かんでくる。
どこか悲しげな表情で、黒白が見守ってきていた。
「でも、忘れないで」
「私達は、あなたの味方」
「僕達は、君の力」
「だから、忘れないで」
咲弥は心を静めてから、力の限り微笑みを作った。
「あのときにも言いましたが、謝る必要なんかありません。この想いや迷いは、僕の問題だから……だからもう、そんな悲しそうな顔をしないで」
咲弥は小さな手を、反対に握り返した。
確かに神殺しの獣を宿した事実で、神々に狙われるという悪影響は発生するのだろう。だが実際問題、黒白がなければ咲弥の旅は、確実にどこかで潰えていた。
またその悪影響は、ある種の幸運と言える可能性もある。
咲弥の最終的な目的は、邪悪な神を討つこと――
もし邪悪な神が、破壊と再生の神リフィアであった場合、神殺しの獣は必ず力強い助けとなってくれる。当然、魔神に関しても救われるに違いない。
計り知れないほどの力には、相応にマイナス面もある。
つまりは、ただそれだけの話に過ぎない。
「ずぅっと先にある未来なんて――いくら考えても、僕にはまったくわかりません……自分の目的や覚悟ですら、何一つ見えないくらいです。でも、今は――」
咲弥は涙しながら、黒白を見据えた。
「僕から……多くの人から……理不尽に、残酷に……大切なものを奪っていった……あの女神ユグドラシールを、絶対に倒さなきゃ、ですね」
しばしの静寂を経てから、黒白は同時に頷いた。
するといつしか忘れていた感覚が、唐突によみがえる。
あまり心地よいとは言えない、奇妙な浮遊感だった。
咲弥はひたすら、どんどんと落ちていく。
(……あっ)
気づけば、黒白の姿は消えていた。
夢を見ていたのか、それともまだ夢の中なのか――
吸い込まれていくような、気味の悪い浮遊感しかない。
暗い――闇の中を――ずっと――
咲弥は不意に、全身に悪寒が走った。
静かな驚愕に襲われる。
眼前にあるのは、闇そのもの――
間違いではないが、正しくもない。
少し雑音まじりの声が、また咲弥の耳へと届く。
《ならば》
《もっと深く》
《もっと深淵に》
《近づいてこい》
咲弥は理解する。これは、瞳の一部分に過ぎなかった。
いくら落下しても、瞳の終着点などわからない。
まるで吹き払われるかたちで、咲弥は遠退いていく。
そして次第に、漠然と見えてくる。
世界を丸のみにできそうなくらいの、巨大な獣――
ふと咲弥の視界に、強烈な光が差し込んだ。
咲弥はぼんやりとした頭で、現状の把握をしていく。
体が重い。枝の一部に、襟が引っかかっているようだ。
また体中にあった激痛が、なぜかほとんど癒えている。
理解不能な心境を抱えながら、咲弥は視線を――胸の奥がずきんと痛んだ。
やや離れた場所に、男の死体が挟まっている。
見上げていたときには、まったく気づかなかった。
ラクサーヌの傍には――咲弥は唇を噛み締める。
(やられっぱなしでいるんじゃねぇよカス……きっと、そう言いたいんですよね)
問題はある。しっかりと扱えるのかわからない。
それでも、やるしかないのだと己の心を奮い立たせた。
不意に、黒白から意思が流れ込んでくる。
咲弥はぎゅっと目を閉じてから、見開く目に力を込めた。
「行きましょう……あの、女神を……殺しに……」
己の心と腕に向かい、咲弥は覚悟を口にした。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
シャーロットは何もできないまま、ずっと動けずにいた。
ジェラルドは今現在、延々と成長するツルに脚を拘束され続けている。助けようとはしたが、こちらの身を案じてか、絶対に触れてはならないと忠告されていた。
救助活動もままならず、戦いはなおのこと役に立たない。
シャーロットは内心、現実に打ちのめされていた。
兄姉達と同様、戦闘訓練を受けていればと痛感する。
もう護ってくれていた母はいない。
父もまた、母と心中するかたちで他界してしまった。
生きている意味など、果たしてあるのだろうか――
悲観的な思考ばかりが、脳裏を巡り巡っていく。
重々、承知している。
疑う余地などなく、ジェラルド達への侮辱にも等しい。
彼らは命を懸け、囚われていた空間から救ってくれた。
そして今もなお、必死に護ってくれている。
頭では理解していても、心までは追随しない。
しかもこのまま、帝国が滅ぶ気配も濃厚に漂っていた。
女神ユグドラシール――既知の伝承とは、まるで異なる。守護神獣とは違い、言葉が何一つ聞き取れなかったのだが、確実に慈愛の女神などではない。
十中八九、荒ぶる神に近い存在なのだと考えられる。
そして、咲弥と呼ばれていた黒髪の男――
女神の力を得た母を打ち破り、そのうえ女神そのものにも果敢に立ち向かっていた。どんな人生を歩めば、彼のような勇敢な者になれるのだろうか。
出会って間もないが、正直ひどく憧れを抱かされた。
(……彼は、なぜ……?)
これが、一番の疑問だとも言える。
もはや咲弥は、純粋に謎めいた存在でしかない。
守護神獣とは異なり、女神は謎の言葉を発していた。
単純にシャーロットが、無知という可能性は否めない。
けれども、明らかに人語だとは思えなかった。
おそらくは、神語だと考えるのが妥当だろう。
それなのに、咲弥は――間違いなく女神と対話していた。こちらに喋るときは共通言語だったが、女神に向かっているときだけは、神語を発していたのだ。
あらゆる面から、咲弥に関しての興味は尽きない。
(けれども、そんな彼でさえ……)
女神の放った不可思議な爆発により、彼は吹き飛ばされ、この場から落とされた。素人の目から見ても、女神には手も足も出せない状態にあったとわかる。
人の身ではかなわない。あまりにも次元が違い過ぎる。
もし彼で勝てないのなら、もう誰もかなわない気がした。
女神に蹂躙され、このまま帝国は終わりを迎える。
正直、心の片隅では、それでも構わないと思えた。
嫌な現実ばかりが脳裏をよぎり、心がくすんでいく。
だから、いっそのこと――突然、空気が張り詰めた。
ふと感じ取れたおぞましい気配に、自然と身が竦む。
不穏の正体は掴めないが、気味の悪い何かが確実にある。
女神がぼそっと呟いた。
言葉の内容は当然、シャーロットには予想もつかない。
徐々に悪寒が強まり、肌がぴりぴりと痺れる。
樹木を砕くような音が響き渡り、地面が揺れだした。
シャーロットは視線を移し、心が恐怖一色に染まる。
頬も口も手も足も――全身が小刻みに震えていた。
「……なにが女神だ。お前なんか、ただの邪神だろうが」
吹き飛ばされた咲弥が、巨大樹をよじ登ってきた。
シャーロットはなかば、思考停止の状態で眺め続ける。
彼が発した声に、何か別の言葉が入り混じって聞こえた。
それは、間違いなく――
「あれは、いったい……」
ジェラルドの呟きには、驚愕と恐怖が詰め込まれていた。
彼は絡まったツタから逃れるのもやめ、唖然としている。
仕方のない話ではあった。なぜなら――
恐ろしいほどの巨大な獣が、咲弥の背後にいたからだ。
巨獣は咲弥の動きに合わせ、巨大樹の枝を握り潰しながら――あるいは、樹幹に爪を立て、その身を持ち上げている。深淵を彷彿とさせる鋭い眼差しから、自然と身が竦むような激しい殺意が強烈に放たれていた。
「人の命を、なんだと思ってる。お前のおもちゃじゃない」
「――――」
「――――」
女神が再び何か発言した。
咲弥の言葉もまた、女神と似た言語に切り替わる。すると突然、殺意に満ち溢れた眼差しをする巨獣が、どんどん淡い光の粒となって咲弥へ流れ込んでいく。
シャーロットは内心、混乱状態へと陥っていた。
これまでの人生、一人で過ごしてきた時間は長い。
幸い、皇族の権限も利用できたため、希少性の高い蔵書も簡単に手に入った。よく侍従に運んでもらい、自室にこもり読書に耽る日々を送ってきている。
ありふれた日常の中にある記憶が、ふと呼び覚まされた。
複数の遺跡から、発見された壁画や遺物を纏めた書物――
題名は、神殺しの獣――古の破壊神の話であった。
まるで湧き出る泉のごとく、ある想像が浮かんでくる。
無論、真偽は知れない。けれど、誤りだとも思えない。
彼の戦い方や異能――数々の謎が、解消されていく。
(そうか。この人……神殺しの獣の生まれ変わりなのね)
そんな感想を、シャーロットは胸の奥に抱いた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
咲弥は奥歯を噛み締め、女神を睨みつけていた。
「止めたいか? されども、哀しきかな。汝には力がない」
「あるさ……」
咲弥は胸の前に、黒白を持ち上げた。瞬間――
濃厚過ぎるエーテルが、咲弥の中へ流れ込んでくる。
体内を満たしたエーテルは、やがて咲弥の全身を覆った。
神殺しの獣による力だと、はっきりと理解している。
《ひとときのみ、力を喰わせてやる》
黒白を通じて、神殺しの獣が送ってきた意思だった。
もちろん代償はあるものの、迷ってなどいられない。
今、この瞬間に、全身全霊をかけるしかないのだ。
咲弥は荒ぶる心を静め、黒白をすっと構える。
黒白の周辺に迸った光は、まるで稲妻を彷彿とさせた。
咲弥は溢れんばかりのエーテルを携え、足先にぐっと力を込める。それは明らかに、自分本来の力ではない。瞬間的な速度で、女神の眼前まで迫った。
当然、女神に慌てた様子はない。すでに始動している。
何度も見てきた。これは、召喚のたぐいに違いない。
捻じれた空間から、生きた植物が飛び出してくる。
形はさまざまだった。どれも動物らしき姿をしている。
まず先陣を切ったのは、虎みたいな植物であった。
咲弥は漠然と全体を捉えながら、黒爪を薙いで対処する。奇跡的とはいえ、自力で生み出したエーテルでの攻撃とは、明らかに次元の違う威力であった。
破裂した虎の形をした植物の裏側には、鳥類らしき植物が潜んでいる。おそらく、意表を突く気だったのであろうが、今の咲弥は無に等しい気配も探れていた。
咲弥は低い声で呟く。
「黒爪空裂き」
咲弥が黒爪を振るうや、空気が強烈に震えて爆発した。
女神が呼んだ複数の植物を、一薙ぎで消滅させていく。
女神も巻き込んだつもりだが、さすがにあまくはない。
女神はすでに、別の場所へと移っている。
その事実が、咲弥にわずかな希望をもたらした。
「怖いか? 神殺しの力が」
「無傷では済まぬ。それだけのこと」
女神がふわりと、がらんどうから飛び去った。
ほぼ同時に、女神ははらりと右腕を振る。
すると虚空を侵食するかのごとく、無から誕生した複数の植物が、またたく間に成長していく。やがて植物は、三つの円を形作った。
咲弥は怪訝に思い、眉をひそめる。
これまで魔法じみた力を、突発的に発動してきていた。
それなのに、魔法陣らしさを醸した物質を生んでいる。
あらゆる思考が、咲弥の脳裏を駆け抜けていく。
「凌げるか?」
魔法陣らしき造型をした植物に咲いた花々が、色鮮やかに輝きながら、時計の秒針みたいな動きを見せる。そのたびに色が変わっていた。
咲弥は自分の体に、突如として異変を覚える。
(体が、植物化――違う! 表面に植えつけられてる!)
自分の思考に、自信が持てない。
わずかに体の感覚が、消えつつある。
咲弥は瞬時に悩み、白爪を大きく構えた。
「白爪空裂き」
植物の魔法陣に狙いを定め、咲弥は白爪を勢いよく振る。
爆風にも等しい衝撃波が、女神のほうへと飛んでいく。
だが慌てて放った一撃など、阻まれて当然ではある。
三つある魔法陣の内の一つが、白爪の生んだ衝撃波を綺麗さっぱりと受け流してしまったのだ。どうやら魔法陣には、それぞれ別の役割があるらしい。
最悪なのは、白爪の攻撃ですら受け流せる事実にあった。
阻んだ魔法陣の防御性能が、異常なくらいに高い。
(まずい……!)
判断を誤った。どんどん体の感覚がなくなっている。
(いや、それも違う! これは……)
体の支配権を、女神に奪われつつあるのだ。
咲弥は急ぎ――女神の妨害が迫ってくる。
三つ目の魔法陣が、無数の動物を模した植物を生んだ。
白爪で自分を裂きつつ、咲弥は黒爪で対処する。
近づき、直接やったほうがいい。咲弥はそう判断した。
裂いた植物を足場にして飛び移り、咲弥は女神を目指す。
女神の猛攻撃はやまないが、黒白の威力が凄まじい。
まるで水を切る感覚で、あらゆるものを裂けていた。また身体能力自体も爆発的に上がっており、またたく間に植物で作られた魔法陣の一つに到達する。
まず厄介なのは、体の支配権を奪う魔法陣だった。
咲弥は白爪で裂き、一つ目の魔法陣を砕く。
流れに乗り、即座に――咲弥は気づいた。
この魔法陣は、ただの時間稼ぎに過ぎない。
「もう終まいか?」
女神は言い、右手で空を縦に切る。
電流にも似た音を響かせ、無から植物が生み出された。
大きな矢の形――違う。大槍が、咲弥へと襲いかかる。
咲弥は空色の紋様を描き、力強い声で唱えた。
「黒爪、限界突破!」
植物が形作る大槍を、咲弥は黒爪の一振りで消し飛ばす。
その衝撃を利用して、がらんどうの足場に舞い戻った。
咲弥は素早く仰ぎ、女神を睨む。
宙に咲く花を足場にして、女神は華麗に下ってくる。
「古の獣の力を得てもなお、その程度か? 憐れよのぉ」
「くっ……」
「拮抗では意味がない。時間切れだ」
宙に咲く花の一つに立ち止まり、女神が右手を掲げた。
すると樹上にある輝きが、停電のごとく消え去る。
「もはや、属性など関係ない――心弱き者達はみな、天樹の輝きに飲み込まれ、そして目覚めよ。汝の力量不足が、この災厄を招くのだ。もっと苦しめ」
咲弥は心の底から震え上がる。
少し前とは比べ物にならない輝きを、樹冠が纏った。
(……くそっ! ここまで力の差が……!)
これまでの事実から、咲弥は自然と理解に達する。
女神ユグドラシールは、本気ではなかった。
やろうと思えば、いつでも咲弥を殺せたのだろう。
しかし、やらない。なぜなら、咲弥を苦しめたいからだ。
そのためだけに、心血を注いでいるに違いない。
(……絶対、やらせるか……!)
咲弥は白爪を構え、警戒態勢に入った。
位置的な事情から、どう足掻いても完全には防げない。
たとえ限られた人数だとしても、救えるのであれば――
「さあ、絶望しろ。古の獣と異界の者よ。これが、すべてを照らす煌めきだ」
まるで爆発のごとく、色鮮やかな光が樹冠から放たれた。
咲弥は奥歯を噛み締め、白爪に全力のエーテルを込める。
より多くの光を消し飛ばせる間を見計らい、咲弥は白手を大きく振りかぶった。
「白爪、限界突――」
咲弥は目を見開き、ふと詠唱を止めた。
女神も驚きの雰囲気を漂わせ、ぴたりと固まっている。
時が停止したかのような静寂が、じわりと広がっていく。
(なんだ……今の……)
さきほど見た光景を、咲弥は再び頭の中で振りかえる。
色濃い光が放たれたあと、黒い何かが帝都のある方角から飛んできた。それはどこか巨大な鳥にも見えたが、さすがに正体までは掴めそうにない。
一つ確かなのは――いまだ燃え盛る黒い痕が見えていた。
「天樹の光を、斬った……のか?」
咲弥は我知らず、疑問を呟いた。
また別の神か何かが、現れたのではないか――
そう考えても、なんら不思議ではない。
明らかに、人ならざるものの斬撃でしかなかったのだ。
だがなぜか、ある別の予感が咲弥の胸を締めつけていく。
この期に及んでまだ、あまい希望を胸に抱いた。
絶対にありえない。さすがに疑う余地しかなかった。
わかってはいても――
(……紅羽……?)
咲弥の脳内は、信じ難い妄想に取り憑かれた。




