第二十八話 点と線
空を泳ぐ蛇龍ウルズヘッグを眺め、メイアは口を開いた。
「なあ、アイーシャ」
「あん?」
「私は、いわゆる武器だ」
「はあ……? あんたはただのメストカゲだろ」
メイアは微笑してから、アイーシャに視線を移した。
「エーテルの存在を、知っているか?」
「エー、テル……?」
やはり、知らない。メイアは簡潔に説明する。
それから、エーテルを込めた黄金色に輝く紋様を見せた。
「なんだ……これ……」
「わかるか? これが、エーテルで顕現した紋様だ――もしあの蛇龍ウルズヘッグが、神鹿ヨトヴァリンと同等ならば、おそらくは私達の誰よりも、遥か格上となるエーテルを身に纏っているはずだ」
瞠目するアイーシャに、メイアは続けた。
「対抗できるのは、最低限エーテルの会得が必須だ」
「オド程度じゃあ、歯が立たないってわけか?」
メイアはゆっくり頷いた。
「紅羽達との訓練中に、聞かされた話がある。まだ彼女達がエーテルを知らなかった頃、それを身に纏った存在と戦った経験があるらしい」
「ほう……?」
「通常の攻撃や紋章術が、まったく効かなかったどころか、まず自分という存在自体、認識されていなかったそうだ」
「んな怪物、どうやって対処したんだ……?」
メイアは肩を竦めた。
「お優しい少年が、なんとか始末したらしい」
「ああ……あいつは間違いなく、攻撃型の怪物だもんな」
「そうだな」
「それで、どうしろってんだ?」
「お前が、蛇龍ウルズヘッグと戦え」
メイアの発言から、アイーシャが訝しげに睨んできた。
「なぁに言ってんだ……このドカスメスドラゴン。あんたが自分でさっき言ったんだろ。神獣を相手にするんなら、そのエーテルとやらの会得が必須だって」
「ああ」
「じゃあ――」
「だからつまりは、私がお前の武器だ」
アイーシャが黙った。メイアは真面目な声で述べる。
「帝国軍の参戦はまずい。確実に、消し飛ばされるだろう。またお相手は、あれほど自由に空を遊泳できるときている。ならば……最悪、紋章術で同じ空を舞えるお前が、空中戦で奴を仕留めるほかない」
「いやいや、待て待て……相手はあんたや紅羽達より、遥か格上なんだろ? それにアタシは、あれほど長時間、自由に空を移動できるわけじゃない」
アイーシャの疑問は、もっともではある。
メイアは鼻で笑って応えた。
「安心しろ。基本的には、その子に協力してもらえばいい」
アイーシャの背後にいる飛竜へ、メイアは視線を投げた。
アイーシャが困り顔の中に、納得した様子を滲ませる。
メイアは畳みかけるように、指を一つ立てて言った。
「それから、私にはもう一つ――最終の秘奥義がある」
「最終、秘奥義だと……?」
「紅羽達がどうであれ、私の場合……最悪、命を削ってでも精霊の召喚をする」
これには、さすがに予想外だったらしく――
アイーシャが間の抜けた顔で、石像のごとく固まった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
ネイは今現在、苦渋の選択を迫られていた。
どちらが正解なのか、まるで判断がつけられない。
当初の案では、天樹祭の会場付近から人を払い、それから神獣を迎え撃つ方法――だがそれは、帝国軍第一千人隊長のシルヴィアに否定されていた。
理由としては、神獣に結託されると勝ち目を失う危険性が出てくるからだ。
間違いではない。むしろ、正解だとすら思えている。
神鹿の一体ですら、危機感しか持てなかったのだ。いくら紅羽達と足並みを揃えられたところで、最低でも五体はいる神獣が一か所に集えば絶望しかなくなる。
あまりにも時間が足りない。ネイは、くっとうめいた。
ほのかに覚れるものの、まだ位置までは特定できない。
しかし確実に、上空のどこかに神獣がいる。
姿を見せない点から、どこか狩人じみた印象を抱いた。
ネイは迷い、悩み、そして決断を――
《こちら上級冒険者のアイーシャだ。誰か、応答しろ》
唐突な通信に、ネイの体がびくりと震えた。
すぐ近くにある通信機へ、シルヴィアが歩み寄っていく。
「はい。こちら帝国軍第一千人隊長、シルヴィアです」
《おぉっ? シルヴィアか! なあ、そっちにいま冒険者の赤髪娘が来てないか》
シルヴィアの視線が、ネイのほうへと向けられる。
「はい。すでに対面済みです」
《そいつに伝えてくれ。今からメイアと蛇龍ウルズヘッグの討伐に入るってな》
ネイは驚愕する。即座に、シルヴィアの横を陣取った。
「ちょっと待って! まだメイアの武器がないでしょ!」
《なんだ、そこにいたのか。問題ない。こいつの武器はもう手渡してある。アタシは、お前に言ったはずだぞ? 自分が扱える武器をってな》
ネイは低くうめきながら、それとなく事情を理解した。
アイーシャは最初から、メイア目当てだった気配がある。
きっと武器も、メイアのぶんだけは用意していたのだ。
《そんで、あんたら全軍人達に告ぐ――たとえ神獣と思しき存在と邂逅、または発見しても、絶対に交戦するな。どんな武力も、神獣にはまるで歯が立たない》
ネイは眉をひそめたものの、すぐに気づいた。
これはおそらく、メイアからの助言だと思われる。
シルヴィアが黙したあと、通信機に向かって問いかけた。
「それは、エーテルの存在――そう判断されても?」
《はんっ! 赤髪から聞いたか。そう、だから交戦ではなく防戦一択にしておけ。アタシらは、これから飛竜を用いての空中戦になる。絶対、参戦してくんなよ》
「ちょ、ちょっと待ちなよ! じゃあ、私はっ?」
ネイは間に割って入った。
通信機から、わざとらしいため息が響いてくる。
《お前もエーテルが扱える、いっぱしの冒険者なんだろ? もうガキじゃねぇんだから、テメェ一人で考えて、死ぬ気で動きやがれ。このドクソメスノラネコ》
その言葉を最後に、ぶつりと通信機が途絶える。
ネイは怒りから震える下唇を、前歯で抑えとどめた。
(なんだぁ、この女ぁ……! ほんと……マジで!)
「はっはっはっ――年々、母親に似てきたな」
笑うシルヴィアに、ネイは苛立った声で尋ねる。
「こいつの母親、知ってるの?」
「ああ。第二大将軍ジェラルド様の奥方だからな」
ネイは合点がいく。
いかに上級冒険者といえども、さすがにここまで帝国軍に対して、強く踏み込めるはずがない。やけに帝国軍に融通が利くのも、その後ろ盾があるからなのだ。
十中八九、手渡された勲章は父親の物に違いない。
(どうりで……みんな、ぎょっとするわけだわ)
胸中で毒づいていると、シルヴィアが質問してきた。
「それで、どうする? 答えは出たか?」
「……ええ。そうね。おありがたいことに、ね」
アイーシャの通信から、もう選択肢は一つしかない。
ネイは神経を研ぎ澄まし、改めて気配を深く探った。
まだ、かすかに感じ取れる。うまく存在感を消していた。
(メイア達側が討伐に入ると断言したってことは、つまりは姿を捉えたという証……それならこれは、蛇龍じゃない? なら、考えられるのは――)
うろ覚えなのは否めない。
天樹祭の催しの準備中に、小耳に挟んだ程度なのだ。
ただ守護神獣は、全部で五体なのは間違いない。
その五体の中で空を自由に舞えそうなのは、蛇龍を除けば大鷹アースヴェルグと考えるのが妥当ではある。とはいえ、相手は信仰対象の守護神獣なのだ。
だから神鹿や栗鼠という可能性も、充分にあり得る。
(一つ確かなのは、あれは蛇龍ではない)
予期せぬ展開から、二つだった選択肢の一つが消えた。
残った選択肢は、エーテルを体得している者が、分断した神獣を一体ずつ各個撃破していく――正直なところ、自然と重いため息が漏れそうな心境ではある。
その反面、心の片隅ではよい機会だとも捉えていた。
(もし神獣に勝てるなら……きっと、十天魔にも……)
ネイは、ふと思う。ある種、魔も神も変わらない。
なんの前触れもなく、理不尽に人から奪い去っていく。
友人も、家族も、大切なものすべてを――不意に奥歯から短く軋んだ音が鳴り響き、ネイははっと我に返る。首を横に振り、素早く心を整えていった。
あの頃には持っていなかった力が、今のネイにはある。
それならば、全力で戦うほかない。自分と同じく、多くを失う人が少しでも減るように――これは、復讐心ではない。ネイがあの日、導き出した信念なのだ。
「まったく、怪しい奴め! さっさと動け!」
「だからよ、誤解だって! 俺はそんなんじゃねぇ!」
荒々しい男達の声が、不意に耳へと届いた。
ネイは視線を向け、ほんの少し硬直する。
さきほどとは違い、本当に重いため息が漏れた。
「あっ……!」
「シルヴィア隊長! 不審な獣人の男を一人捕らえました。この駐留所の付近を、なにやらうろうろと詮索していた模様……いかが致しましょうか?」
「そのまま牢にぶち込んで、拷問でもしておきなさい」
シルヴィアに先んじて、ネイが呆れ声で応じた。
帝国軍の男が困り顔を見せ、ゼイドは唖然としている。
「おいおい! いくらなんでも、そりゃねぇだろ」
「……あんた、なにやってんの?」
「どんどん人の波に流されちまってな。それで会場のほうへ戻ろうとしたら、どこかへ走っていくお前が見えたんだよ。それで、今こうなった、と……」
ゼイドが事情を語った直後、シルヴィアが尋ねてきた。
「知り合いか?」
「ええ。この胡散臭い獣人も、咲弥の仲間よ」
「えっ――?」
ひどく驚いていたのは、ゼイドを捕らえた男だった。
男は焦り気味に、ネイとゼイドを交互に見ている。
「あの、その咲弥とは……もしかして、レイストリア王国の冒険者の……です?」
「そう。私達は、あいつの仲間」
シルヴィアが鼻で笑い、男に向かって指示を飛ばした。
「放してやれ」
「は、はっ――!」
帝国の男は拘束を解き、少しゼイドから離れた。
ゼイドがうな垂れ、大きなため息をつく。
「咲弥の奴――いつの間に、そんな権力を……?」
「そういうわけではないが、事情が事情なのでな」
「ふむ……」
シルヴィアの返答を受け、ゼイドは腕を組んで唸った。
黙したゼイドを見据え、ネイは告げる。
「ちょうどいいわ。ねえ、あんたも手伝いなよ」
「あん? いったい何の話だ……?」
「最悪……また精霊装で、命を犠牲にしてもいいわよ」
「お、おまっ……俺の命を、なんだと思ってんだ!」
慌てるゼイドをよそに、ネイは淡々と説明していく。
そのさなかも、やはり漠然とある気配は動かなかった。
こちら側を、じっと監視しているに違いない。
仄か遺薫が三つ――ネイの付近に、ゼイドはいた。
現状、三つの内の二つがここに揃っている。
だからこそ、潜んだまま様子をうかがっているのだ。
きっと、どこにも逃がさないために――
(はんっ! 狩人は、あんたじゃない……私達よ)
守護神獣に、先手を取られた事実は否めなかった。
だがそれも、ここまでに過ぎない。
まずは潜んだ神獣の位置を、特定する必要がある。
ネイは迅速に、帝国軍を含めた策を練っていった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
リィンは防災課を目指しながら、ひどく困惑していた。
目的は単純で、得た情報を帝都に届ける――
ただパスカの言葉を、そのまま伝えてはいけない。
まず間違いなく、最悪な恐慌や混沌をもたらすからだ。
それを、パスカが考慮していないはずがない。
(だったらなぜ、パスカ所長は……?)
その真意は掴めそうにない。何か裏があるのか、それとも単純に出血多量による影響で、思考力が落ちていたのか――普通に考えれば、後者ではあった。
対象がパスカなだけあって、前者だとも思える。
何もわからないまま、リィンは夜の道を駆けていく。
研究所から第四軍施設まで、決して近くはないが、さほど遠くもない。また時間帯に加え、異常事態が発生している。そのためか、人の気配がまったくない。
なんの障害もなく、着実に進んでいけている。
実はもう、世界が滅んだあとなのではないか。
一人だけ生き残り、頭が狂っているのではないか。
そんな思考を持つこと自体、あながち外れとも言い難い。
「はっ……はっ……はっ……」
帝都から研究所、研究所から第四軍施設――
これだけ走ったのは、学生のとき以来かもしれない。
人並み以上に、運動が得意というわけでもなかった。
しかしいまだ、なんとか立ち止まらずにいられている。
状況のせいで、体中の感覚が麻痺しているのだろう。
そうは言っても、肉体の限界値は定められている。
脚は鉛のように重く、そして視界が狭まり――
ふと暗い視界の端で、何か異質な人影を捉えた。
リィンは驚いて立ち止まり、さっと背後に目を向ける。
誰もいない。けれども、曖昧に記憶として残っている。
立派な装いをしながら、顔に陽気な仮面をつけていた。
この国の者ではない。肌が黒くないからだ。
リィンはいよいよ、頭が変になってきたのだと自覚する。
(だめ……体が、動かなくなる……)
今のリィンに、休憩はむしろ毒になる。
リィンは呼吸を整えないまま、再び第四軍施設に向かう。
遠いようで近く、されど近いようで遠い。
それでもなんとか、体力の限界を迎える前に辿り着く。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
防災課までは、確か東館から行けば早かった気がする。
訪れる機会など、ほとんどないにも等しかった。
だから真偽は知れないが、自分の記憶を信じるしかない。
相変わらず、人の気配はなかった。
幸いなことに、出入口は開いている。
薄暗い館内を、リィンは気力のみで走った。
その道中、簡易地図を一瞥する。リィンは安堵した。
一度だけ階段を上り、渡り廊下を進めばいい。
目的地が目と鼻の先にあると知り、気力もよみがえる。
そのとき、不意にリィンの目が壁側に奪われた。
自然と足を止め、なかば茫然と眺める。
(これは……)
古い写真から、新しい写真まで飾られている。
その中の一つ――パスカの姿があった。
(そうか……そうだった。パスカ所長ってもとは……)
軍学校を卒業後、パスカは帝国軍の参謀を務めていた。
過去の記憶が、漠然とリィンの脳裏を過ぎ去っていく。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「――点と線を用いれば、容易に言い表せられる」
パスカが誇らしげに、そう言い放ってきた。
傍にいる白板へ、黒い点を星々のごとく描いていく。
それから点の下に、一番から四番の数字が割り振られた。
「一番は君達、二番は私だ。三番は私達の知り合い、または見知らぬ人で、四番が人外すべてとする。そして今現在が、一番下側にある横並びにした点だな」
パスカは始点の左側に丸を描き、一筋の横線を入れた。
「本能、思考――さらに、行動だ。至極当然の話、この世に生きるあらゆる存在は、無数にある選択肢から一つを選び、強制的に未来へと進んでいる」
パスカは点と点を、上へ上へと線で繋いでいく。
ときに左へ、またときには右へ――
規則性は、特に見られない。
ラーズが手を挙げ、面倒くさそうな声で尋ねる。
「じゃあ、選ばないって場合は、どうすんですかぁ?」
「選ばない――そう選択したに過ぎない」
「では……一つではなく、複数の選択肢を選ぶ場合は?」
次いで、レイが疑問を投げた。
パスカが淡々とした口調で答える。
「無論、それもまた一つの選択に過ぎない。どれだけ言葉を言い換えようとも、あらゆる選択を常に迫られ、その結果、我々は今現在こうしてここにある」
パスカは指を一つ立てた。
「では、仮に過去に選んだものとは、異なる選択をしていた場合、我々はこうして揃っていたのだろうか? たとえば、私が軍の参謀を続けていたとしたら?」
リィンは素早く思考を巡らせ、パスカに告げた。
「今現時点で言えば、揃ってはいなかったかもしれない……ですが、これより未来の話であれば、たとえその場合でも、揃っていた可能性はあるのでは?」
「否めないね。結局のところ、これらは未来予知、あるいは未来視が可能な者以外は、結果論でしか語れないだろうさ。実際にお会いした経験はないがね」
「じゃあ、いったい何の話なんだよ!」
ラーズの野次に、パスカはくすりと笑った。
「では少し、視点を変えてみようか。ラーズ。私は今から、君にキスをする」
「は……?」
「接吻。そう口づけだ。ちゅっちゅっちゅっ」
パスカは唇を尖らせ、ラーズへとにじり寄っていく。
ラーズが顔を赤らめ、両腕で防御の姿勢に入った。
「んだよ、きめぇな! 近づくんじゃねぇ!」
「照れるなよ。美女からの抱擁も込みだぞ」
「いらねぇよ!」
パスカは不敵な笑みを浮かべ、ぴたりと立ち止まった。
「ふっ……想像したか?」
「するわけねぇだろ!」
「嘘だね。想像しなければ、防ごうとはしない」
ラーズは渋い表情で黙している。
パスカが定位置に戻りつつ、話を進めた。
「さて、ラーズがいま経験したものは未来予知か、はたまた未来予測なのか――似て非なる能力の可能性は高いのだが、結局はやがて同じところへ辿り着く」
「まったく意味がわかんねぇよ」
「たとえ未来が見えていようが、あるいは運命という残酷な存在があろうが、後退など決して不可能な分岐点を――ただひたすら前へ、進み続けるほかないのさ」
レイがすっと手を挙げ、苦笑気味に質問した
「あの……それと軍をやめた理由に、なんの関係が?」
「いい質問だ。お答えしよう。この世に生きるすべてには、それぞれ肩書きが与えられる。その中には個人的な影響しか及ぼさないものから、また反対に――」
二番以外にある縦列の点を、パスカは乱雑に消した。
「本来あるべき誰かの選択肢、分岐点が消滅することがある――つまり、一つの選択が死をもたらす可能性があり得る。それが、軍の参謀という仕事なのさ。無論、反対にどこかの誰かが幸運に恵まれる可能性も、あるにはあるのだがね」
部屋に重い空気が満ちていく。
パスカは白板に描いたものを綺麗に消しながら、肩越しに微笑みを見せてきた。
「私はそんな重圧感に満ちた世界なんかより、君達と一緒にばか騒ぎをしながら、研究に没頭するほうが好きなんだよ。いずれ、私達のした研究が、どこかの誰かの役に立つことを願って――と、まあ、肩書き上は一応そう言っておくかな。簡潔に言えば、それが私の選んだ道というだけのお話さ」
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
じわりじわりと、パスカの意図が形をなしていく。
木に属した者は可哀想だが、防ぎようがない――
生き残る人が、たとえ一人でも増えてくれれば――
「そっか……パスカ所長は――個より、全を選んだのね」
残酷な話ではある。混沌は確実に訪れるだろう。
もし木属性の生き残りが奇跡的にいた場合、その者はまず間違いなく差別対象となる。むしろ、理不尽な木属性狩りが起きても、何も不思議ではなかった。
それでも、巻き込まれて死者が増大するよりはいい。
パスカはおそらく、そう選択したのだと思われる。
現状、解決方法どころか、明確な原因も判明していない。
だから自分にできる最大限を――
(そして、その全に……自分を入れていない……)
リィンは唇を噛み締め、再び走りだした。
わかっている。自分に何ができるわけでもない。
解決方法や打開策など、浮かぶはずがなかった。
それでも――
(パスカ所長。私は――あなたの優秀な片腕ですから)
リィンは胸に想いを抱き、そして己を奮い立たせた。
そしてついに、前方に差し込んだ光を目で捉える。
防災課の室内には、どうやら人がいるようだ。
まずは、事情を説明しなければならない。
リィンはさらに足を速め、そして――
目の前にある扉を、力いっぱい大きく開いた。