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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第四章 無数にある分岐点(下)
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第二十八話 点と線




 空を泳ぐ蛇龍(だりゅう)ウルズヘッグを眺め、メイアは口を開いた。


「なあ、アイーシャ」

「あん?」

「私は、いわゆる武器だ」

「はあ……? あんたはただのメストカゲだろ」


 メイアは微笑してから、アイーシャに視線を移した。


「エーテルの存在を、知っているか?」

「エー、テル……?」


 やはり、知らない。メイアは簡潔に説明する。

 それから、エーテルを込めた黄金色に輝く紋様を見せた。


「なんだ……これ……」

「わかるか? これが、エーテルで顕現(けんげん)した紋様だ――もしあの蛇龍ウルズヘッグが、神鹿(しんろく)ヨトヴァリンと同等ならば、おそらくは私達の誰よりも、遥か格上となるエーテルを身に(まと)っているはずだ」


 瞠目(どうもく)するアイーシャに、メイアは続けた。


「対抗できるのは、最低限エーテルの会得が必須だ」

「オド程度じゃあ、歯が立たないってわけか?」


 メイアはゆっくり(うなず)いた。


「紅羽達との訓練中に、聞かされた話がある。まだ彼女達がエーテルを知らなかった頃、それを身に(まと)った存在と戦った経験があるらしい」

「ほう……?」

「通常の攻撃や紋章術が、まったく効かなかったどころか、まず自分という存在自体、認識されていなかったそうだ」

「んな怪物、どうやって対処したんだ……?」


 メイアは肩を(すく)めた。


「お優しい少年が、なんとか始末したらしい」

「ああ……あいつは間違いなく、攻撃型の怪物だもんな」

「そうだな」

「それで、どうしろってんだ?」

「お前が、蛇龍ウルズヘッグと戦え」


 メイアの発言から、アイーシャが(いぶか)しげに(にら)んできた。


「なぁに言ってんだ……このドカスメスドラゴン。あんたが自分でさっき言ったんだろ。神獣を相手にするんなら、そのエーテルとやらの会得が必須だって」

「ああ」

「じゃあ――」

「だからつまりは、私がお前の武器だ」


 アイーシャが黙った。メイアは真面目な声で述べる。


「帝国軍の参戦はまずい。確実に、消し飛ばされるだろう。またお相手は、あれほど自由に空を遊泳できるときている。ならば……最悪、紋章術で同じ空を舞えるお前が、空中戦で奴を仕留(しと)めるほかない」

「いやいや、待て待て……相手はあんたや紅羽達より、遥か格上なんだろ? それにアタシは、あれほど長時間、自由に空を移動できるわけじゃない」


 アイーシャの疑問は、もっともではある。

 メイアは鼻で笑って応えた。


「安心しろ。基本的には、その子に協力してもらえばいい」


 アイーシャの背後にいる飛竜へ、メイアは視線を投げた。

 アイーシャが困り顔の中に、納得した様子を(にじ)ませる。

 メイアは畳みかけるように、指を一つ立てて言った。


「それから、私にはもう一つ――最終の秘奥義がある」

「最終、秘奥義だと……?」

「紅羽達がどうであれ、私の場合……最悪、命を削ってでも精霊の召喚をする」


 これには、さすがに予想外だったらしく――

 アイーシャが間の抜けた顔で、石像のごとく固まった。



    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



 ネイは今現在、苦渋の選択を迫られていた。

 どちらが正解なのか、まるで判断がつけられない。


 当初の案では、天樹祭の会場付近から人を払い、それから神獣を迎え撃つ方法――だがそれは、帝国軍第一千人隊長のシルヴィアに否定されていた。

 理由としては、神獣に結託されると勝ち目を失う危険性が出てくるからだ。


 間違いではない。むしろ、正解だとすら思えている。

 神鹿(しんろく)の一体ですら、危機感しか持てなかったのだ。いくら紅羽達と足並みを(そろ)えられたところで、最低でも五体はいる神獣が一か所に(つど)えば絶望しかなくなる。

 あまりにも時間が足りない。ネイは、くっとうめいた。


 ほのかに(さと)れるものの、まだ位置までは特定できない。

 しかし確実に、上空のどこかに神獣がいる。

 姿を見せない点から、どこか狩人じみた印象を抱いた。

 ネイは迷い、悩み、そして決断を――


《こちら上級冒険者のアイーシャだ。誰か、応答しろ》


 唐突(とうとつ)な通信に、ネイの体がびくりと震えた。

 すぐ近くにある通信機へ、シルヴィアが歩み寄っていく。


「はい。こちら帝国軍第一千人隊長、シルヴィアです」

《おぉっ? シルヴィアか! なあ、そっちにいま冒険者の赤髪娘が来てないか》


 シルヴィアの視線が、ネイのほうへと向けられる。


「はい。すでに対面済みです」

《そいつに伝えてくれ。今からメイアと蛇龍(だりゅう)ウルズヘッグの討伐に入るってな》


 ネイは驚愕する。即座に、シルヴィアの横を陣取った。


「ちょっと待って! まだメイアの武器がないでしょ!」

《なんだ、そこにいたのか。問題ない。こいつの武器はもう手渡してある。アタシは、お前に言ったはずだぞ? 自分が扱える武器をってな》


 ネイは低くうめきながら、それとなく事情を理解した。

 アイーシャは最初から、メイア目当てだった気配がある。

 きっと武器も、メイアのぶんだけは用意していたのだ。


《そんで、あんたら全軍人達に告ぐ――たとえ神獣と(おぼ)しき存在と邂逅(かいこう)、または発見しても、絶対に交戦するな。どんな武力も、神獣にはまるで歯が立たない》


 ネイは眉をひそめたものの、すぐに気づいた。

 これはおそらく、メイアからの助言だと思われる。

 シルヴィアが黙したあと、通信機に向かって問いかけた。


「それは、エーテルの存在――そう判断されても?」

《はんっ! 赤髪から聞いたか。そう、だから交戦ではなく防戦一択にしておけ。アタシらは、これから飛竜を用いての空中戦になる。絶対、参戦してくんなよ》

「ちょ、ちょっと待ちなよ! じゃあ、私はっ?」


 ネイは間に割って入った。

 通信機から、わざとらしいため息が響いてくる。


《お前もエーテルが扱える、いっぱしの冒険者なんだろ? もうガキじゃねぇんだから、テメェ一人で考えて、死ぬ気で動きやがれ。このドクソメスノラネコ》


 その言葉を最後に、ぶつりと通信機が途絶える。

 ネイは怒りから震える下唇を、前歯で抑えとどめた。


(なんだぁ、この女ぁ……! ほんと……マジで!)

「はっはっはっ――年々、母親に似てきたな」


 笑うシルヴィアに、ネイは苛立(いらだ)った声で尋ねる。


「こいつの母親、知ってるの?」

「ああ。第二大将軍ジェラルド様の奥方だからな」


 ネイは合点がいく。

 いかに上級冒険者といえども、さすがにここまで帝国軍に対して、強く踏み込めるはずがない。やけに帝国軍に融通が利くのも、その後ろ盾があるからなのだ。

 十中八九、手渡された勲章は父親の物に違いない。


(どうりで……みんな、ぎょっとするわけだわ)


 胸中で毒づいていると、シルヴィアが質問してきた。


「それで、どうする? 答えは出たか?」

「……ええ。そうね。おありがたいことに、ね」


 アイーシャの通信から、もう選択肢は一つしかない。

 ネイは神経を研ぎ澄まし、改めて気配を深く探った。

 まだ、かすかに感じ取れる。うまく存在感を消していた。


(メイア達側が討伐に入ると断言したってことは、つまりは姿を(とら)えたという証……それならこれは、蛇龍じゃない? なら、考えられるのは――)


 うろ覚えなのは(いな)めない。

 天樹祭の催しの準備中に、小耳に挟んだ程度なのだ。

 ただ守護神獣は、全部で五体なのは間違いない。


 その五体の中で空を自由に舞えそうなのは、蛇龍を除けば大鷹アースヴェルグと考えるのが妥当(だとう)ではある。とはいえ、相手は信仰対象の守護神獣なのだ。

 だから神鹿(しんろく)栗鼠(りす)という可能性も、充分にあり得る。


(一つ確かなのは、あれは蛇龍ではない)


 予期せぬ展開から、二つだった選択肢の一つが消えた。

 残った選択肢は、エーテルを体得している者が、分断した神獣を一体ずつ各個撃破していく――正直なところ、自然と重いため息が漏れそうな心境ではある。

 その反面、心の片隅ではよい機会だとも(とら)えていた。


(もし神獣に勝てるなら……きっと、十天魔にも……)


 ネイは、ふと思う。ある種、魔も神も変わらない。

 なんの前触れもなく、理不尽に人から奪い去っていく。

 友人も、家族も、大切なものすべてを――不意に奥歯から短く(きし)んだ音が鳴り響き、ネイははっと我に返る。首を横に振り、素早く心を整えていった。


 あの頃には持っていなかった力が、今のネイにはある。

 それならば、全力で戦うほかない。自分と同じく、多くを失う人が少しでも減るように――これは、復讐心ではない。ネイがあの日、導き出した信念なのだ。


「まったく、怪しい奴め! さっさと動け!」

「だからよ、誤解だって! 俺はそんなんじゃねぇ!」


 荒々(あらあら)しい男達の声が、不意に耳へと届いた。

 ネイは視線を向け、ほんの少し硬直する。

 さきほどとは違い、本当に重いため息が漏れた。


「あっ……!」

「シルヴィア隊長! 不審な獣人の男を一人捕らえました。この駐留所の付近を、なにやらうろうろと詮索していた模様……いかが致しましょうか?」

「そのまま牢にぶち込んで、拷問でもしておきなさい」


 シルヴィアに先んじて、ネイが呆れ声で応じた。

 帝国軍の男が困り顔を見せ、ゼイドは唖然としている。


「おいおい! いくらなんでも、そりゃねぇだろ」

「……あんた、なにやってんの?」

「どんどん人の波に流されちまってな。それで会場のほうへ戻ろうとしたら、どこかへ走っていくお前が見えたんだよ。それで、今こうなった、と……」


 ゼイドが事情を語った直後、シルヴィアが尋ねてきた。


「知り合いか?」

「ええ。この胡散臭(うさんくさ)い獣人も、咲弥の仲間よ」

「えっ――?」


 ひどく驚いていたのは、ゼイドを捕らえた男だった。

 男は焦り気味に、ネイとゼイドを交互に見ている。


「あの、その咲弥とは……もしかして、レイストリア王国の冒険者の……です?」

「そう。私達は、あいつの仲間」


 シルヴィアが鼻で笑い、男に向かって指示を飛ばした。


「放してやれ」

「は、はっ――!」


 帝国の男は拘束を解き、少しゼイドから離れた。

 ゼイドがうな垂れ、大きなため息をつく。


「咲弥の奴――いつの間に、そんな権力を……?」

「そういうわけではないが、事情が事情なのでな」

「ふむ……」


 シルヴィアの返答を受け、ゼイドは腕を組んで(うな)った。

 黙したゼイドを見据え、ネイは告げる。


「ちょうどいいわ。ねえ、あんたも手伝いなよ」

「あん? いったい何の話だ……?」

「最悪……また精霊装(せいれいそう)で、命を犠牲にしてもいいわよ」

「お、おまっ……俺の命を、なんだと思ってんだ!」


 (あわ)てるゼイドをよそに、ネイは淡々と説明していく。

 そのさなかも、やはり漠然とある気配は動かなかった。

 こちら側を、じっと監視しているに違いない。


 (ほの)遺薫(いくん)が三つ――ネイの付近に、ゼイドはいた。

 現状、三つの内の二つがここに(そろ)っている。

 だからこそ、(ひそ)んだまま様子をうかがっているのだ。

 きっと、どこにも逃がさないために――


(はんっ! 狩人は、あんたじゃない……私達よ)


 守護神獣に、先手を取られた事実は(いな)めなかった。

 だがそれも、ここまでに過ぎない。

 まずは潜んだ神獣の位置を、特定する必要がある。

 ネイは迅速に、帝国軍を含めた策を練っていった。



    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



 リィンは防災課を目指しながら、ひどく困惑していた。

 目的は単純で、得た情報を帝都に届ける――

 ただパスカの言葉を、そのまま伝えてはいけない。


 まず間違いなく、最悪な恐慌(きょうこう)混沌(こんとん)をもたらすからだ。

 それを、パスカが考慮していないはずがない。


(だったらなぜ、パスカ所長は……?)


 その真意は(つか)めそうにない。何か裏があるのか、それとも単純に出血多量による影響で、思考力が落ちていたのか――普通に考えれば、後者ではあった。

 対象がパスカなだけあって、前者だとも思える。


 何もわからないまま、リィンは夜の道を駆けていく。

 研究所から第四軍施設まで、決して近くはないが、さほど遠くもない。また時間帯に加え、異常事態が発生している。そのためか、人の気配がまったくない。

 なんの障害もなく、着実に進んでいけている。


 実はもう、世界が滅んだあとなのではないか。

 一人だけ生き残り、頭が狂っているのではないか。

 そんな思考を持つこと自体、あながち外れとも言い難い。


「はっ……はっ……はっ……」


 帝都から研究所、研究所から第四軍施設――

 これだけ走ったのは、学生のとき以来かもしれない。


 人並み以上に、運動が得意というわけでもなかった。

 しかしいまだ、なんとか立ち止まらずにいられている。

 状況のせいで、体中の感覚が麻痺しているのだろう。


 そうは言っても、肉体の限界値は定められている。

 脚は(なまり)のように重く、そして視界が狭まり――

 ふと暗い視界の端で、何か異質な人影を(とら)えた。

 リィンは驚いて立ち止まり、さっと背後に目を向ける。


 誰もいない。けれども、曖昧(あいまい)に記憶として残っている。

 立派な(よそお)いをしながら、顔に陽気な仮面をつけていた。

 この国の者ではない。肌が黒くないからだ。

 リィンはいよいよ、頭が変になってきたのだと自覚する。


(だめ……体が、動かなくなる……)


 今のリィンに、休憩はむしろ毒になる。

 リィンは呼吸を整えないまま、再び第四軍施設に向かう。

 遠いようで近く、されど近いようで遠い。

 それでもなんとか、体力の限界を迎える前に辿(たど)り着く。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 防災課までは、確か東館から行けば早かった気がする。

 訪れる機会など、ほとんどないにも等しかった。

 だから真偽は知れないが、自分の記憶を信じるしかない。

 相変わらず、人の気配はなかった。


 幸いなことに、出入口は開いている。

 薄暗い館内を、リィンは気力のみで走った。

 その道中、簡易地図を一瞥(いちべつ)する。リィンは安堵(あんど)した。

 一度だけ階段を上り、渡り廊下を進めばいい。


 目的地が目と鼻の先にあると知り、気力もよみがえる。

 そのとき、不意にリィンの目が壁側に奪われた。

 自然と足を止め、なかば茫然と眺める。


(これは……)


 古い写真から、新しい写真まで飾られている。

 その中の一つ――パスカの姿があった。


(そうか……そうだった。パスカ所長ってもとは……)


 軍学校を卒業後、パスカは帝国軍の参謀を務めていた。

 過去の記憶が、漠然とリィンの脳裏(のうり)を過ぎ去っていく。



    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



「――点と線を用いれば、容易に言い表せられる」


 パスカが(ほこ)らしげに、そう言い放ってきた。

 (そば)にいる白板へ、黒い点を星々のごとく描いていく。

 それから点の下に、一番から四番の数字が割り振られた。


「一番は君達、二番は私だ。三番は私達の知り合い、または見知らぬ人で、四番が人外すべてとする。そして今現在が、一番下側にある横並びにした点だな」

 パスカは始点の左側に丸を描き、一筋の横線を入れた。

「本能、思考――さらに、行動だ。至極当然の話、この世に生きるあらゆる存在は、無数にある選択肢から一つを選び、強制的に未来へと進んでいる」


 パスカは点と点を、上へ上へと線で繋いでいく。

 ときに左へ、またときには右へ――

 規則性は、特に見られない。

 ラーズが手を挙げ、面倒くさそうな声で尋ねる。


「じゃあ、選ばないって場合は、どうすんですかぁ?」

「選ばない――そう選択したに過ぎない」

「では……一つではなく、複数の選択肢を選ぶ場合は?」


 次いで、レイが疑問を投げた。

 パスカが淡々とした口調で答える。


「無論、それもまた一つの選択に過ぎない。どれだけ言葉を言い換えようとも、あらゆる選択を常に迫られ、その結果、我々は今現在こうしてここにある」

 パスカは指を一つ立てた。

「では、仮に過去に選んだものとは、異なる選択をしていた場合、我々はこうして(そろ)っていたのだろうか? たとえば、私が軍の参謀を続けていたとしたら?」


 リィンは素早く思考を巡らせ、パスカに告げた。


「今現時点で言えば、揃ってはいなかったかもしれない……ですが、これより未来の話であれば、たとえその場合でも、揃っていた可能性はあるのでは?」

(いな)めないね。結局のところ、これらは未来予知、あるいは未来視が可能な者以外は、結果論でしか語れないだろうさ。実際にお会いした経験はないがね」

「じゃあ、いったい何の話なんだよ!」


 ラーズの野次に、パスカはくすりと笑った。


「では少し、視点を変えてみようか。ラーズ。私は今から、君にキスをする」

「は……?」

接吻(せっぷん)。そう口づけだ。ちゅっちゅっちゅっ」


 パスカは唇を(とが)らせ、ラーズへとにじり寄っていく。

 ラーズが顔を赤らめ、両腕で防御の姿勢に入った。


「んだよ、きめぇな! 近づくんじゃねぇ!」

「照れるなよ。美女からの抱擁(ほうよう)も込みだぞ」

「いらねぇよ!」


 パスカは不敵な笑みを浮かべ、ぴたりと立ち止まった。


「ふっ……想像したか?」

「するわけねぇだろ!」

「嘘だね。想像しなければ、(ふせ)ごうとはしない」


 ラーズは渋い表情で黙している。

 パスカが定位置に戻りつつ、話を進めた。


「さて、ラーズがいま経験したものは未来予知か、はたまた未来予測なのか――似て非なる能力の可能性は高いのだが、結局はやがて同じところへ辿(たど)り着く」

「まったく意味がわかんねぇよ」

「たとえ未来が見えていようが、あるいは運命という残酷な存在があろうが、後退など決して不可能な分岐点を――ただひたすら前へ、進み続けるほかないのさ」


 レイがすっと手を挙げ、苦笑気味に質問した


「あの……それと軍をやめた理由に、なんの関係が?」

「いい質問だ。お答えしよう。この世に生きるすべてには、それぞれ肩書きが与えられる。その中には個人的な影響しか及ぼさないものから、また反対に――」


 二番以外にある縦列の点を、パスカは乱雑に消した。


「本来あるべき誰かの選択肢、分岐点が消滅することがある――つまり、一つの選択が死をもたらす可能性があり得る。それが、軍の参謀という仕事なのさ。無論、反対にどこかの誰かが幸運に恵まれる可能性も、あるにはあるのだがね」


 部屋に重い空気が満ちていく。

 パスカは白板に描いたものを綺麗に消しながら、肩越しに微笑みを見せてきた。


「私はそんな重圧感に満ちた世界なんかより、君達と一緒にばか騒ぎをしながら、研究に没頭するほうが好きなんだよ。いずれ、私達のした研究が、どこかの誰かの役に立つことを願って――と、まあ、肩書き上は一応そう言っておくかな。簡潔に言えば、それが私の選んだ道というだけのお話さ」



    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



 じわりじわりと、パスカの意図が形をなしていく。

 木に属した者は可哀想だが、(ふせ)ぎようがない――

 生き残る人が、たとえ一人でも増えてくれれば――


「そっか……パスカ所長は――()より、()を選んだのね」


 残酷な話ではある。混沌(こんとん)は確実に訪れるだろう。

 もし木属性の生き残りが奇跡的にいた場合、その者はまず間違いなく差別対象となる。むしろ、理不尽な木属性狩りが起きても、何も不思議ではなかった。

 それでも、巻き込まれて死者が増大するよりはいい。


 パスカはおそらく、そう選択したのだと思われる。

 現状、解決方法どころか、明確な原因も判明していない。

 だから自分にできる最大限を――


(そして、その全に……自分を入れていない……)


 リィンは唇を()み締め、再び走りだした。

 わかっている。自分に何ができるわけでもない。

 解決方法や打開策など、浮かぶはずがなかった。

 それでも――


(パスカ所長。私は――あなたの優秀な()()ですから)


 リィンは胸に想いを抱き、そして己を(ふる)い立たせた。

 そしてついに、前方に差し込んだ光を目で(とら)える。


 防災課の室内には、どうやら人がいるようだ。

 まずは、事情を説明しなければならない。

 リィンはさらに足を速め、そして――

 目の前にある扉を、力いっぱい大きく開いた。




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