第十九話 奴隷紋章者の初仕事
「ここが、僕達の仕事場だよ」
コルスが片手を上げ、どこか得意げな顔で言った。
案内された場所は、道中と違ってかなり荒れ果てている。
建物らしき残骸はまだかろうじて残っているのだが、ただ長い時の流れだけで、そうなったというわけでもない。
まるで戦争でも起こったような、そんな印象を強く覚える場所も多々とある。なんらかの力で破壊し尽くされていた。
咲弥はあちこちに視線を巡らせ、誰にとなく呟く。
「ここにも、ちらほら人がいますね」
「彼らの班は休憩中だね」
「休憩中……」
「しまった!」
なにやらコルスが、途端に慌てだした。
何事かと思い、咲弥は戸惑う。
「君達、紋章石はもう宿しているかい?」
「へ? あ、はい」
「ああ、よかった……そっかそっか……もし紋様に紋章石を宿していなかったら、各属性のを支給してもらえるからね。といっても、かなり粗悪品からだけど……」
紋章者というだけでは、確かに紋章術は扱えない。
おそらくは、紋章術を扱っての作業になるのだろう。
それがどんな仕事なのか、いまだに説明を受けていない。
問いかけようとする前に、コルスが喋った。
「まあ粗悪品でも、使い続ければちゃんと成長するけどね」
コルスの言葉に、咲弥は静かに驚かされた。
紋章石の成長など、考えたことすらもない。
咲弥の持つ清水の紋章石は、すでに最上級であった。これ以上成長するのか疑問だが、それを訊くわけにもいかない。
施設の者に奪われでもしたら、大変な事態になる。
コルスの発言に乗っかり、咲弥は話を進めた。
「成長すれば、等級も上がるんですよね?」
「ん? うん。それも、僕らの……まあ、それはいいか」
咲弥は小首を傾げるが、話を変えられた。
「じゃあ、攻撃系統の紋章術は、ちゃんと扱えるかい?」
「はい。多少ならですが」
「そっか。しかし……」
「コルス。こいつらが、お前のところの新入りか?」
男の太い声が、コルスの言葉を遮った。
黒革の服を着た男が、咲弥達へ向かってくる。
格好から、施設側の者のようだ。
「へ、へい!」
「ふむ……おい、お前ら。両腕を出せ」
「え? はい」
咲弥が両腕を差し出すと、拘束具がパキンッと外された。
銀髪の少女の腕輪を外しながら、施設員が説明してくる。
「この腕輪はオドを乱す装置だ。これをはめたままじゃあ、紋章術はまったく使えなくなる……よしっと、外れたな」
試してはいなかったが、咲弥は衝撃を受けた。
いったいどういう技術なのか、想像もつかない。
「早速だが、お前らにも働いてもらうぞ」
「あ、あの……僕達は、何をすればいいんですか?」
「来るぞぉおおお――っ!」
咲弥が訊き終えた瞬間、妙な叫びが聞こえてきた。
「な、なんですか? 今の……?」
「さあ! 早く! 君達も行くよ」
慌てた様子で、コルスが走りだした。
事情を呑み込めないまま、咲弥はコルスを追う。
少し先で、前方に奇妙な影がうごめいている。
咲弥からでは、まだ遠過ぎてよく見えない。
「さあ……ここで迎え撃つよ」
「迎え、撃つ?」
周囲にいた者達が、一斉に紋様を虚空へと描いた。
訳もわからないまま、咲弥も空色の紋様を浮かべる。
やや遠くのほうから、男の張った声が飛んだ。
「アラクネが来るぞぉおおお!」
仕事内容を完全に把握すると同時に、咲弥は戦慄する。
十本の足を持つ猿らしき魔物が、大群でやってきていた。
まるでクモみたいな風体をした魔物は、咲弥よりも遥かに大きな体つきをしている。そのうえ、数が桁違いに多い。
とても不気味で、気味が悪い魔物だと感じられた。
「風の紋章第一節、暴風の矢」
コルスが風の紋章術を放った。
ほかの者達も、攻撃系統の紋章術を発している。
「水の紋章、僕に力を!」
輝く紋様が砕け、咲弥の周囲に四つの青い渦が生まれる。
その渦は速度を増し、破裂音を響かせて水弾を放つ。
水弾は数体のアラクネに命中し、その進行を止めた。
(硬い……動きは止められても、倒せるまではいかない)
咲弥とは違い、ほかの者達の攻撃は効いている。
確実にアラクネを仕留めていた。
オドの関係なのか、はたまた実力の違いでしかないのか。
同じ攻撃系統の紋章術なのに、攻撃力に差があり過ぎる。
ふと銀髪の少女の姿が、咲弥の視界に入った。
少女はただじっと、遠くのほうを見つめ続けている。
この異常事態に、まったく何もせずに突っ立っていた。
(なんなんだ……この子……)
理解に苦しんだものの、今は気にしている余裕がない。
この場の全員が、紋章術で応戦している。だがアラクネと呼ばれていた魔物に、距離を徐々に詰められつつあった。
進行を阻止できそうな個体を選び、咲弥は紋章術を放つ。
ただでさえ、最大で四回までしか紋章術を発動できない。
しかしあっという間に、咲弥はオドを使い果たした。
ただアラクネの数は、あと数匹とまでになっている。
ほかの者達も、一様にオドが尽きてきたらしい。
紋章術での攻撃がやみ、場はアラクネの足音だけになる。
オドが尽きた者は、慣れた様子で次々に行動を開始した。
付近に落ちていた木の盾と、鉄の槍を拾い上げている。
そしていきなり、アラクネと接近戦を始めたのだ。
咲弥も慌てて、傍にあった鉄の槍を手にする。
木の盾を探した――そのときであった。
(あ……危ないっ!)
一匹のアラクネが、銀髪の少女のほうへと向かっている。
咲弥は息を呑み、思考する間もなく駆けた。
アラクネの顔面をめがけ、鉄の槍で突く。
想像とは違い、アラクネの胸にあたる部分に刺さった。
鉄の槍を通じて、気持ちの悪い感触が手から伝わる。
「キシャアー! シャァー!」
悲鳴か威嚇か、アラクネが必死にもがき苦しんだ。
信じられないぐらい、アラクネの力は強い。
(だめだ! 僕一人じゃ抑えきれない!)
咲弥の腕力では、アラクネに太刀打ちできそうにない。
それでも懸命に、刺した鉄の槍を押し込む。そうしているうちに、ほかの者達も一緒になって鉄の槍を刺し込んだ。
やがてアラクネは、その動きを止める。
咲弥は、どさっと尻もちをついた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
咲弥は大きく肩で息をした。
周囲を見渡せば、ほかも同じようにへたり込んでいる。
どうやら無事、アラクネの襲撃を止められたらしい。
小刻みに震える自身の手を、咲弥はじっと見つめる。
また生き物を殺したことに、大きな罪悪感を覚えた。
手から伝わる感触が、命を奪ったことを強く実感させる。
銀髪の少女を救うためには、仕方のないことであった。
どういう事情であれ、やはり慣れるものではない。
「お疲れ。お疲れ。お疲れ」
コルスが力のない笑みで、近寄ってきた。
気づけば、人の数が増えている。
どこにいたのか、魔物の死骸を撤去する人で溢れていた。
無残に転がっている死骸が、咲弥の胸を強く締めつける。
「最初にしては、上出来だよ。お疲れ」
「……あ。お疲れ様です。あの、この死骸って……?」
「ああ……アラクネの死骸はね、紋章術を扱えない連中が、処理場のほうへと処分してくれるのさ。このまま放置というわけにはいかないからね」
至極当然の話だった。
このまま放置は、いろいろな意味からよろしくない。
コルスが、咲弥の傍で腰を下ろした。
「それにしても……」
銀髪の少女へと、コルスの視線が流れた。
少女はいまだ、遠くのほうを見て立ち尽くしている。
「この子は可愛いだけで、てんで使い物にならないや……」
気持ちはわからなくもないが、少し不快感を覚える。
倒れた男に関してもだが、人が物としてしか扱われない。
それはとても哀しくもあり、またとても寂しくもあった。
咲弥は、無難なフォローを入れる。
「そうなるぐらいのことが、何かあったのかもしれません」
「うぅん……」
次第に場が、どんよりとした空気に満ちる。
早々に話を切り替えようと、咲弥は別の話題を模索した。
(そうだ……そういえば……)
冒険者のゼイドに、訊けずじまいだったことがある。
代わりに、その質問をコルスにぶつけてみた。
「あの。紋章術に関して、少し訊いてもいいですか?」
「ん? なんだい?」
「紋章術の発動前に、第一節と言ってましたよね?」
「うん。それが?」
「第二節とかって、あるんですか?」
「……? もちろん」
「あれは紋章石によって、第一第二を決めてるんですか?」
コルスは不可解そうに、小首を傾げた。
「ごめん。ちょっと、質問の意味がわからないや」
「えっと、例えばなんですが……この風の紋章石には、この効果……もう一つの風の紋章石には、こういった効果がある……とか、ですね」
想像からでは、新しい術を生み出せなかった。
だから確率として、ありえそうな質問から攻めてみる。
「同じ属性の紋章石を複数個宿して、それぞれ別々の効果を発動ってことかい?」
「あ……そうです、そうです」
コルスは乾いた笑いを漏らした。
「うぅん……そんな使い方もできるのかもだけど、紋章穴の無駄だよ。普通は一つの紋章石で効果を編み出し、記録していくものだからさ」
「え……」
「自身の中で第一節、第二節と、記録した紋章術を発言することによって、発動までの短縮を普通はさせるもんだよね」
いまさらながらに、咲弥は質問の愚かさを自覚する。
(やっぱりそうか……紋章石は一つでも、さまざまな効果を生みだすことができるんだ……ならどうして、僕には一つの攻撃しかできないんだ……?)
納得はできたが、また別の疑問が浮かぶ。
質問する前に、コルスが補足した。
「二つ三つと術を増やしていくのは、なかなか大変だよね。紋章穴の無駄でも……もし、そのほうがイメージしやすく、相性を高めていけるなら、そうすべきかな」
咲弥はようやく、はっと気づいた。
イメージと相性――
頭の中にある不可解な霧が、晴れ渡っていく気分だった。
(そうか。そうだ……初めて水の紋章術を扱ったときから、直線的とはいえ……僕はちゃんとコントロールができてる。それは……僕がそこに当てたいと、無意識にでもなんでも、イメージしてるからなんだ)
水の紋章石を、初めて宿したときの記憶がよみがえる。
紋章石の意思か何かが、咲弥の中に流れ込んできたのだ。
(そして、相性を高める……あのときは、たぶんだけど……紋章石と僕がリンクしたんじゃないか。それはつまり……)
紋章石側もまた、咲弥と繋がったのだと考えられる。
そうでなくては、コントロールなどできるはずもない。
紋章石は無機物ではなく、意思を持った石――
紋章石をなくして、紋章術の発動はありえない。
咲弥は自身の右手を、じっと見据えた。
紋章石との相性を高めて、自分なりのイメージをきちんと伝える。そうして初めて、力を貸してもらえると理解した。
独りよがりの妄想で、奇跡が発動するはずもない。
(ごめんね……僕は、君を知ろうとすら考えてなかった……やっと、そのことに気がつけたよ。遅れて、本当にごめん)
対話が可能なわけではないが、水の紋章石に謝罪をした。
「だ、大丈夫かい?」
「すみません。訳のわからないことを訊いてしまって」
「いや、別にいいさ。こんなところに来て、少しパニックになったんだろ? 無理もないさ。僕も最初はそうだった」
変な勘違いをされたが、そのほうが都合はいいと思った。
咲弥はなかば茫然と、アラクネの死骸処理を観察する。
数が数なだけに、かなりの重労働に違いない。
処理している誰もが、疲労困憊の顔つきをしていた。
咲弥の胸に、なんとも言えない気持ちが募る。
少しして、不意の疑問が湧く。
「あっ、そうだ……あの、オドを使い果たしてしまって……しばらくは紋章術が扱えません。どうすればいいですか?」
「それは、今回の魔物狩りを担当した連中も同じさ。だからオドが回復するまでの間は、別の班が討伐してくれるのさ」
ここに来る前の道中に、休憩していた者達がいた。
「あの手前で休憩していた方々が、前の班だったんですね」
「そう。今度は僕らが後ろに回って、休憩をする番さ」
大体の流れが掴めてきた。
咲弥は続いて、次の質問を投げる。
「コルスさんは、どれぐらいでオドが回復するんですか?」
「だいたい、一時間ってところじゃないかなあ。たぶんね。正直、正確に測ったことが一度もないから、わからないな」
「あ、そうなんですか」
アンカータ村で計ったときは、二時間ほどで回復した。
言葉通りであれば、コルスは咲弥の半分の時間らしい。
これはきっと、慣れによる問題なのだろう。
コルスは、さっと立ち上がった。
「さあ、僕らも後ろに移動して休憩しようか」
「あ……僕、死骸を運んでいる方々の手伝をしてきます」
「え? いや、そんなことする必要は……」
コルスは慌て気味に、咲弥を制してきた。
咲弥は首を横に振り、真摯に伝える。
「今は、体を動かしていたい気分なんです。だめですか?」
「あ、いや……別に……休憩中は、自由だけどさ……」
「わかりました。それでは、ちょっと手伝ってきます」
「あ、うん……」
ただの自己満足にしか過ぎない。
それは咲弥も、しっかりと自覚していた。
初めて遭遇したガルムのときから、答えなど出ないのだ。
だからきっと、一生抱えて生きていくしかないのだろう。
生き物の命を奪った罪悪感を、ただずっと――