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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第四章 無数にある分岐点(下)
199/222

第二十七話 認めたくない現実




 帝国兵の男に誘導され、ネイは軍の駐留所を走っていた。

 駐留所といっても、そんな大々的なものではない。

 普通の広場に、急ごしらえの仮設がある程度だった。


 ここにはまず、帝国兵の姿しかない――ある者達は木箱を運び入れており、またある者達は(せわ)しなく駆け回っている。ところどころに置かれてある木箱には、どうやら支援物資が詰め込まれているらしい。

 木箱の色により、入っている品が異なっていた。


(やっぱり、ちょっとおかしいわね……)


 周辺の状態から、ネイは漠然とした疑心を抱いた。

 緊急時に備えていた事実は、別に不思議なことでもない。


 ただ突発的な出来事への対応が、あまりにも迅速過ぎる。まるでこの日に異常事態が発生すると、帝国軍はあらかじめ予期していたとしか思えない。

 ネイは前を行く男に、それとなく問いかけてみた。


「さすが帝国軍ね。緊急事態への対応が凄いわ」

「いいや……まさか、こんな大災害が起きるなんて……」

「ん……?」

「本当は……本日は、ただの予行演習のはずだったんだ」


 男は困り顔を肩越しに見せ、またすぐ前を向き直った。


「上のほうからの命令でね……不測の事態が発生した場合に備え、即刻対応するための予行演習を実施する。全軍人は、速やかな行動を心がけるべし――って」

 男は小さなため息をついた。

「何が起こっているのか、俺達にもさっぱりだよ……勲章を持っていた君だから教えるけれど、巨大樹の付近では混信がひどくて、大混乱が起きているらしいよ」


 ネイは眉をひそめた。(いつわ)っている様子は特にない。

 本当に偶然が重なったとしか、彼は思っていないのだ。

 だが、ネイは違う。神鹿(しんろく)の不穏な発言が脳裏(のうり)に浮かぶ。


(罪深き闖入者(ちんにゅうしゃ)遺薫(いくん)……確かそう言って、あれは真っ先に紅羽のほうを見た)


 その後、ネイとメイア側にも視線を移してきた。

 これらを考慮すれば、曖昧(あいまい)ながらも推測が成り立つ。


 軍の上層部は、ほぼ確実に発災の可能性を危惧(きぐ)していた。

 ただ末端の兵にまでは、明確に伝わっていない。なぜなら今現在も遂行中だと思われる極秘任務が、今回の異常事態に深い関わりを持っているからなのだろう。

 真偽は知れないものの、そう考えるほかない。


(咲弥……あんた、今どこでなにしてんのよ……)


 お伽噺(とぎばなし)のごとく伝え聞いた神鹿(しんろく)ヨトヴァリン――

 十中八九、咲弥に関連性のある者を狙ってきている。極秘任務の内容までは当然不明瞭だが、少なからず女神か神獣を怒らせる程度ではあったに違いない。

 いずれにしろ、今は災害を食い止めるのが先決だった。


 ふと――ネイは不吉な気配をかすかに察知する。

 空を(あお)いでも、どこにも異変は見られない。

 それなのに、いまだ本能が警告を発していた。

 現状を考慮すれば、気配の正体は想像に難くない。


「まずい……! ねぇ、武器置き場はまだなのっ?」

「……ん? もう、そこだよ」


 男が指で示した方角には、大きな天幕が見えた。

 ネイは思考する余地なく、一飛(ひとと)びで天幕の(そば)まで進む。

 警備している様子の男達に、ネイは素早く勲章を見せる。


「アイーシャの使いよ。急いで武器をもらっていくわね」

「え? あっ……お、おう。た、確かに……」


 たじろぐ男をよそに、ネイは視線を走らせて確認する。

 詰め込まれた武具の種類を一目(ひとめ)で判別するためか、赤色の木箱それぞれには焼印が施されていた。開かれた赤箱の中を見れば、ネイの推測はどうやら正しい。

 また帝国軍の物資は、とても高品質だと見受けられた。


 アイーシャからの指示に従えば、ネイが扱える武器だけを得ればいいのだが、この先なにが起こるのかまったく見当もつかない。念のため予備の短剣と一緒に、メイア用の双剣を一組、腰に帯びておいた。

 それから、黒い剣身をした短剣を握り締める。


 ネイは再び、空を(あお)いだ。まだ遥か遠い位置にいる。

 天空から人の流れを観察しているのか、それともこちらの動向を見張っているのか――その事情まではわからないが、警戒はしなければならない。

 普段から相手にしているような、魔物ではないのだ。


 いずれにしろ、まずは来た道を戻るべきだろう。

 もし神獣の狙いが想像通りであれば、このままここに立ち止まっているのはよろしくない。極力、人の気配が薄い――つまり現状、ひどい騒ぎが起こり、大勢の人が離れつつある天樹祭の会場付近が、もっとも好都合な場の一つであった。

 それならば――


「おい、そこの赤毛の女! いったい何者だ!」


 (いさ)ましげな女の声が、不意にネイの耳に届いた。

 褐色の肌をした銀髪の女が、かなり(けわ)しい面持ちで足早に迫ってきている。やや高身長な彼女の身なりから、明らかにほかとは異なった雰囲気が(かも)されていた。


 御付(おつ)きらしき帝国兵の男二名が、彼女の両脇にいる。

 その点も含め、軍の中でも地位が高い者だと推測した。


(これは、好都合かも)


 銀髪の女が、ネイの眼前で立ち止まった。

 翡翠色をした瞳で、じっと見据えてくる。


「私は帝国軍第一千人隊長を務める、シルヴィアだ。貴殿は何者だ。答えろ」

「レイストリア王国所属、中級冒険者のネイよ。いくつかの武器を、アイーシャからの使いでちょっと貰いに来たの」


 ネイは言いながら、勲章をひらひらとちらつかせる。

 勲章を提示すれば、末端の軍人ですらぎょっとしていた。

 地位が高そうな彼女も、すぐ理解に達すると思われる。

 しかしシルヴィアの反応は、予想外の方向へ転がった。


「レイストリア、王国……? そうか、貴殿が()の……」


 ネイの思考が、ほんの一瞬だけ停止した。

 そして濁流のごとく、過去の記憶がよみがえる。


「そういえば、()()()……軍の訓練を受けるとかなんとか」

「ははっ。そうか、そうか。貴殿が、咲弥の仲間なのだな。話だけは聞いている」

「あんたが……失礼。あなたが、咲弥に訓練を……?」

「貴殿は、軍人ではない。砕けた話し方で接してもらっても構わない――ああ、その通りだ。彼の訓練に関しては、私が一任させていただいている」


 シルヴィアを下から上へと眺め、ほんの少しばかり咲弥のすけべ心を疑った。とはいえ、究極の奥手とも言える咲弥と何かあるはずもない。

 ネイは胸裏(きょうり)で訂正してから、シルヴィアに問いかけた。


「その咲弥は、いったい今どこにいるの?」

「訓練外での行動は不明だ。したがって答えられない」


 (いつわ)っている様子はない。ネイは小さなため息をつく。

 訓練を一任されるほどの人ならば――そう考えたものの、どうやらあまかったようだ。おそらく千人隊長の地位を持つ彼女ですら、たいした説明を受けていない。


 つい雑談じみた会話をしたが、ネイは首を横に振る。

 思考を改めてから、シルヴィアを真っ向から見据えた。


「……あなたが、ここの管理を任されてる人?」

「ここ、というよりは、この地区一帯だ」

「そう。それなら、あなたにお願いがあるの」

「……? なんだ」


 下手な説明は、かえって長引くかもしれない。

 ネイは素早く、頭の中で伝える順番を思案した。


「まず私は、決して帝国軍を(あなど)ってるわけじゃない。それを前提として聞いてちょうだいね――帝都の人達の救助活動を続けながら、帝国軍の人達もみんな、可能な限り全力でこの地区から遠ざけてほしいの」


 ネイは一度言葉を止め、シルヴィアの反応をうかがった。

 シルヴィアは黙したまま、続きを待っている。

 ネイは組み立てた順に説明を進めた。


「帝国民が(あが)めている女神の守護神獣、あれはたとえ屈強な帝国軍の人でも、絶対かなう相手じゃないわ。その理由は、ある特殊なエネルギーを(まと)っているから」


 シルヴィアは小首を(かし)げた。


「……特殊な、エネルギー?」

「ええ。会場で神鹿(しんろく)ヨトヴァリンと遭遇したときに見たの。あの領域にまで達していた場合、もう並みのオド程度では、傷一つすらもつけられやしないわ」


 ネイはエーテルを生み、若草色をした紋様を描く。

 シルヴィアの目が大きく見開かれた。


「わかるかしら? これが、その特殊なエネルギーで生んだ紋様よ――神獣に対抗できるのは、このエーテルと呼ばれる力を扱える者だけなの」

「エーテル……」


 シルヴィアが硬い表情で黙る。

 それから静かに、彼女は首を横に振った。


「あの咲弥の仲間だ。今の話を信じないわけではないが――それは、できない」

「ど、どうして……?」

「一部の帝都民が女神の天罰だと、そう騒ぎ立てているとの報告があがっている。そのような状況下、我々帝国軍も民と一緒に逃げるなど、あってはならない」


 シルヴィアは苦い表情を、ほんの少し伏せた。


「我々ですら……正直、女神ユグドラシール様の守護神獣が降臨し、我が軍のほか、帝国民達に災いをなしているなどと信じたくはない心境なのだ」


 シルヴィアは苦い表情を、さらに強めた。

 ネイに信仰心はない。(あが)めるものなど、一つもなかった。

 それでも彼女の心情は、理解できなくはない。


 信じていた何かに、裏切られたのにも等しいからだ。

 ネイの頭に思い浮かぶのは、同じ赤毛をした女――

 だからそのつらい気持ちだけは、痛いくらいにわかる。


(たとえ、そうだとしても……)

 ネイは目を閉じてから、まっすぐシルヴィアを見た。

「あなたや帝国民には悪いけれど……私は、戦うわよ?」


 シルヴィアの目が、ネイへと向けられた。

 ネイは心の中にあるものを、そのまま彼女に伝える。


「このまま黙って、私は死ねないの。あなた達が死ぬのも、絶対に見たくない。だからもし、帝国民に女神の叛逆者(はんぎゃくしゃ)だと(ののし)られても、私は守護神獣を討つわ」


 シルヴィアは少し、きょとんとした顔で固まっていた。

 一呼吸の間を置き、シルヴィアは妖艶(ようえん)に微笑んだ。


「確かに彼の仲間だ……一つ訂正させてくれ。その信念は、貴殿だけではない」

「え……?」

「我々帝国軍もまた、上からこう命じられている――たとえどのような()()()()であろうとも、命を()して民を護り、立ち向かえ……と」


 シルヴィアは真面目な顔で腕を組み、小刻みに(うなず)いた。


「話は理解した。エーテルを扱えない我々では、守護神獣の討伐にはまるで戦力にならない。されど、援護ならば可能。違うか?」

「それは……」

「ならば、貴殿が最善だと思える作戦を伝えてくれ。すべて叶えられるかはさておき、我々も可能な限りの助力はすると約束しよう」


 あまりの聞きわけのよさに、ネイは逆に不安を覚えた。

 威風堂々としたシルヴィアに、怪訝(けげん)に思いながら問う。


「初対面の私に、どうしてそこまで……?」

「エーテルの指南に加え、現状……まあ、あの究極に愚直な彼の存在が影響しているのは事実だ。そう告げれば、貴殿に納得をしていただけるかな?」

「ああ……まあ、そう……ね」


 シルヴィアの対応も、もちろん多少は影響している。ただ咲弥が軍の中でどう過ごしてきたのかなど、そこに関しては見なくとも容易に想像がつく。

 シルヴィアは微笑してから、隣の男を手で指し示した。


「こちらの彼は咲弥とともに、厳しい訓練に励んだ仲だ」

「咲弥殿の真摯(しんし)に物事へ取り組む姿勢、そして他者に対する温かな配慮の数々――我々も彼の意思に応え、負けまいと、切磋琢磨(せっさたくま)させていただいておりました」


 男は言いながら、帝国式の敬礼をした。

 仲間として(ほこ)らしく思う反面、少しだけ呆れてもいる。

 それはそれとして、ふと新たな問題点が浮上した。


 神鹿(しんろく)が口にした遺薫(いくん)――

 もし〝関わりあるすべて〟であれば、非常にまずい。

 シルヴィア達もまた同様に、狙われる可能性がある。

 ネイはこっそり、極々小さなため息をついた。


「わかったわ。それじゃあ、まず――」


 ネイは簡潔に、想定していた策をシルヴィアに伝えた。



    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



 咲弥は恐れを抱きつつも、まっすぐ前を向いていた。

 生きた彫像を思わせる女神ユグドラシールから、まったく視線が外せない。とはいえ、視界の端では、色鮮やかな光が広がっていく光景を(とら)えている。

 ひらりとした不吉な光は、まるで津波のようであった。


 きっと帝都では、惨劇と大混乱が巻き起こるだろう。

 その中には、大切な仲間達も含まれている。

 もっと言えば、放たれた神獣の件も気にかかっていた。

 すべてにおいて、最悪だとしか言いようがない。


(でも、だったら……どうしていたら……)


 その思考に意味はない。すでに(さい)は投げられたからだ。

 わかってはいても、考えずにいられない。

 咲弥はぐっと奥歯を()み締め、女神を(にら)む。

 女神はくすりと笑った。


「よいのか? (いにしえ)の獣よ。我を消滅させぬ限り、天樹の光はやまない――」

 女神はしとやかに、口もとを人差し指で覆った。

「次の段階へ進めば植物が動き、猛威を振るうぞ?」


 咲弥の呼吸が止まった。植物化は前段階に過ぎない。

 本当の惨劇は、もうじき始まるのだと理解する。

 ただ知ってか知らでか、予期せぬ情報も手に入った。


(女神を討てば……止まる……?)


 当然、確証はない。(たばか)られている可能性は高かった。

 とはいえ、今の咲弥には選べるほどの選択肢はない。

 咲弥は呼吸を再開すると同時に、黒白を大きく構える。

 空気を最大限まで吸いきる前に、女神へと駆けていた。


(止めなきゃ……絶対!)


 一見、黒爪でも攻撃が通じそうな予感はある。

 肩や(あご)を触れられた経緯からも、完全に霊的な存在というわけではないはずだった。問題は女神が全身に(まと)っている、(すさ)まじいエーテルの質感にこそある。

 疑う余地なく、神――そう、強く認識させられていた。


「すぐ止めてください。でなければ、僕は――」


 咲弥は白手を大きく開き、女神に向かって振るう。

 どんなエーテルであれ、白爪なら裂けないものはない。

 このまま戦い続けるか、それとも引かせるのか――

 いずれにしろ、まず女神のエーテルを削ぐ必要がある。


 咲弥自身、(おろ)かな希望だとわかっていた。

 この()に及んでまだ、あまい幻想を胸に抱いている。

それでも可能な限り、穏便に事を済ませたいと願うのは、別に不思議な思考ではない。また相手が帝国民の(あが)めている女神というのも、理由の一つではあった。


 だから、どうか――淡い期待だったと、すぐに思い知る。

 空間が突如として(ゆが)み、そこから現れた蛇のような植物に白手が弾かれた。ほぼ同時に、別の(ねじ)じれた空間から伸びたツルが、咲弥の腹部を強打する。

 咲弥の想いや願いは、物理的な方法で否定されたのだ。


「ぐはぁっ……」


 ツルが与えてきた衝撃は、もはや鈍器にも等しかった。

 苦しんでいる暇などない。

 蛇らしき植物が、素早く追撃してきた。

 咲弥は痛みに耐え、必死に黒爪で応戦する。


 非常に硬い。黒爪ですら、かろうじて裂けたほどだ。

 咲弥の体は、なかば強制的に後退させられていく。


「咲弥殿!」

「動くな」


 叫んだジェラルドを、女神は手で制する――違う。

 地面から伸びた植物に、ジェラルドの脚が(から)め取られた。


「ぐぁあああっ!」

「ジェラルドさん……ぐっ!」


 ジェラルドを案じた咲弥の腹部に、激痛が走った。

 自然と腹に左手を向かわせ、ふと気づく。

 (こけ)らしき何かが、打たれた腹部に張り付いている。


 危険だと直感で判断し、(あわ)てて白爪で引っかいた。

 すると、灰のごとく苔らしき何かは消え去っていく。


「異なる世界から訪れた運命の破壊者――(いにしえ)の獣よ、人選を誤ったのではないか? 心から不憫(ふびん)に思えるくらい弱いぞ。(あわ)れよのぉ」


 恐怖と辛酸(しんさん)が、一緒に咲弥の胸を訪れた。

 わかっている。才能に恵まれているわけではない。

 天使の人選ミスだと、咲弥本人ですら疑ったほどなのだ。

 そう理解してはいるが、その事実がときにつらくもなる。


 しかし、今はそんな負の感情など本当にどうでもいい。

 咲弥はおずおずと、ジェラルド側を一瞥(いちべつ)する。


 ジェラルドは脚に絡まった植物に、苦戦しているようだ。

 問題なのは――シャーロットがどこか唖然とした表情で、咲弥へ視線を据えてきている。当然の話ではあった。女神の発言に、ひどく驚いているに違いない。

 眼前にいる男は、この世界の住人ではないと――


 咲弥の心が、素早く焦燥感と恐怖に(むしば)まれていく。

 ジェラルドは聞き(のが)した様子が濃厚だが、シャーロットは確実に認識してしまっている。天使との約束を破れば、咲弥もろとも彼女は死ぬはめとなるのだ。

 命を()して救えたのに、これでは何も意味がなくなる。


 戦々恐々とする咲弥だったが、死の兆候は表れない。

 時間差なのかどうか、理由がさっぱりと(つか)めなかった。

 咲弥の事情など知らず、女神が緩やかな口調で告げる。


(うら)むならば、(おの)が運命を呪え」

「くっ! この地を慈しむ、女神じゃないんですか……!」

「勘違いするな。生者が我の力を酷く恐れ、(すが)り、また力の波により恵まれた大地を、ただ享受(きょうじゅ)したに過ぎない。ほかの神々と違い、我は信仰心など(かて)とはせぬ」


 咲弥は苦しい思いで、言葉を吐き出した。


「だったら……なんで宿り木で力を与えるような真似――」

「人の言葉で伝えるのであれば、ただの暇つぶしに過ぎぬ。我が力の一端をどのように扱い、そして何を成すのか。その過程と結末を眺めておるだけ――忘れるなよ。人の存在など所詮、世界の循環を保つための歯車に過ぎぬ。調和が崩れぬ程度であれば、我が何をしようとも自由なのだ」


 女神がにたりと笑った。


「此度の選出者も、実に(みにく)(あわ)れな存在よのぉ。吹けば消し飛ぶような短い一生――何を成すこともなく、(みじ)めなまま、愛と憎悪の狭間で()ちおったのだから」


 そこに、善き神などいなかった――

 きっとすべてが、悪しき神だとは限らない。

 少なくとも、咲弥は優しい神もいてほしいと願っていた。

 だが眼前で嘲笑う女神は、その(くく)りには入らないらしい。


(そうか……そうか……)

 咲弥はギリッと奥歯を()み締め、女神を(にら)みつけた。

(わら)うな……人の気持なんか、何もわからないくせに!」


 咲弥は言い終えると同時に、女神へ一気に迫った。

 黒手を大きく振り上げ――


「果たして、そうかの?」


 女神が手のひらの上で、やや小さめに空間を(ゆが)めた。

 そこには再び、何かが映されている。

 咲弥は息を呑み、目を大きく見開いた。


「まずは、一人目。異界の者、忘れるな。これは我が神域を荒らした罰なのだ」


 咲弥の勢いは、完全に停止する。

 我を忘れ、茫然と歪められた空間を凝視した。

 銀髪の少女、紅羽の胴体が横に両断されている光景――

 彼女の(そば)には、幼い少女が尻餅をついて愕然としている。


 一瞬、嘘だと疑った。それなのに、脳が否定してくる。

 踊り子の衣裳を着た彼女は、まぎれもなく紅羽だった。

 見間違うはずなどない。


「この者が、(なんじ)とより深い繋がりを持った者であろう?」


 女神の言葉が、咲弥の耳を通り過ぎていく。

 仮に罰を受けるとしても、紅羽は関係ない。彼女は、別に――違う。神々に狙われるということは、つまりこういった最悪が、自分以外の者までをも襲うのだ。


 あらゆる感情が、咲弥の胸の内側で荒れ狂う。

 その衝動は(すさ)まじく、唐突(とうとつ)に爆発した。


「う……うわぁああああああああああ――っ!」


 咲弥は再び黒手を振り上げ、女神へと一気に迫った。

 したり顔で嘲笑っている女神に、黒爪を振るう。

 感情任せの、愚かな一撃なのは(いな)めない。

 心の片隅では、理解している。それでも、止められない。


 黒爪が女神に届く寸前、強烈な衝撃が咲弥を襲った。

 空間が()じれ、弾け飛んだような気がする。

 全身の骨が砕けたのか、激痛と浮遊感だけがあった。

 やがて咲弥の体は、地面のないところにまで達する。

 放り投げられるかたちで、天樹から落ちていく。


(くそっ……くそっ! 紅羽……紅羽……!)


 全身にある傷みなど、もはやどうでもよかった。

 紅羽が殺された。その光景が脳裏(のうり)に焼きついて離れない。

 当然、受け入れられなかった。認めたくなどない。

 しかし現実は、容赦なく咲弥の心を(むしば)む。


 そこはまるで、何もない闇にも等しい。

 咲弥は身も心も、どんどんと流れ落ちていく。

 真っ暗闇の底へと向かって――




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