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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第四章 無数にある分岐点(下)
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第二十四話 天樹災




 咲弥は巨大なツタの上を駆け下りながら、周辺を(せわ)しなく見回していた。

 不安が際限なく(ふく)らみ、胸の大半を()めている。


 あまりにも唐突(とうとつ)過ぎる出来事だった。

 宿り木がひとりでに動き始め、さらに妙な力を発するなど想像のしようがない。ただでさえ――ベルガモットとスイの件で、心が悲しみでくすんでいたのだ。

 咲弥側の事情がどうであれ、悲嘆(ひたん)にくれてもいられない。


 自分の身を守るので、とにかく精一杯だった。

 その事実が、自身をより強く責め立ててもいる。


(くっ……すみません。ラクサーヌさん……)


 いくら胸を痛めようとも、立ち止まることは許されない。

 超巨大樹の急激な成長に巻き込まれたラクサーヌを、今は急いで探しださなければならないのだ。しかし最悪なのは、オドをほとんど察知できないことにある。

 魂の消滅にともない、オドもほぼ消えているからだ。


 上空から降り注ぐ明かりのお(かげ)で、完全な真っ暗闇からは(のが)れられていたが、目では確認できない部分も多い。

 正直、真っ昼間でも、捜索は困難を極めると思われた。


(たとえ見えづらくたって、諦めちゃだめだ……!)


 ラクサーヌは魂を犠牲にしてまで、咲弥を救ってくれた。

 だから受けた恩には、どうしても(むく)いたい。そんな心境を抱きながら、咲弥は必死に目を()らし、仮に期待は薄くとも気配での察知にも力を入れた。


 この超巨大樹の幹には、いくつかの極大なツタが螺旋状(らせんじょう)のごとく()っている。それらはうまく絡み合い、上にも下にも行ける道となっている様子であった。

 ただ進める道に、何一つ障害がないわけではない。


 いたるところで岩石みたいな樹皮が飛び出ており、咲弥の行く手を阻んでいる。黒爪で裂けそうな樹皮は問題ないが、無理なら別のツタに移る必要があった。

 萎縮(いしゅく)しかねない高さだが、今は恐怖を()み殺すしかない。


 何度目かの障害を、からくも乗り越えた先――

 気配で探るのは、どう足掻(あが)いても不可能だったと(さと)る。

 咲弥は茫然と立ち尽くし、ある一点だけを凝視した。


(ラク、サーヌ……さん……)


 咲弥は全身の力が抜け、その場にへたり込んだ。

 魂が消え、確かにいずれ肉体も死に(いた)った可能性は高い。

 たとえ、そうであったとしても――


「ぐっ、ぐぐっ……すみません……ラクサーヌさん……」


 ラクサーヌのちぎれた上半身が、手の届かない位置にある樹皮に突き刺さっている。そんな想像はしたくない――だが薄々、そうかも知れないとは思っていた。

 咲弥自身、防衛をしなければならなかったほどなのだ。


 身動き一つ取れないラクサーヌが、無事のはずがない。

 咲弥の目もとから、涙がぼたぼたとこぼれ落ちていく。

 悔しさ、悲しさ、己の不甲斐(ふがい)なさ、腹立たしさ――

 あらゆる感情が混ざり、咲弥の胸をひどくかき乱した。


 ラクサーヌの魂は、神域で壊されて消えている。

 だからせめて、彼の肉体は穏やかな死を迎えてほしい。

 その程度の小さな願いすら、結局は叶わなかった。


 咲弥は天を(あお)ぎ、限界いっぱいの深呼吸を繰り返す。

 壊れそうな心を、強制的に(しず)めていった。


「ラクサーヌさん……あとで必ず、迎えにきますから」


 咲弥は雑に涙を拭い捨て、全力で走っていく。

 ラクサーヌの遺体は、咲弥よりも下の位置にあった。

 そこから考えれば、ジェラルド達は上にいるのだろう。


 咲弥は来た道を戻り、最初にいた地点をも越えていく。

 しかし次第に、胸の内側に(かげ)りが生まれた。

 進めば進むほど痛感する。あまりにも果てしなかった。


 どれだけ走ろうとも、終着点がまったく見えない。

 もはや超巨大樹の頂上は大気圏をも突き抜け、宇宙にまで達しているのではないか――そんなばかな妄想を抱くほど、咲弥の精神はやられつつある。


(くじけるな……!)


 心が折れている暇などない。咲弥は自分を(たしな)めた。

 一刻も早く、ジェラルド達の安否確認を急ぎたい。


 よく考えずとも、危機は確実に迫っている。

 超巨大樹が生えて終わり――それで済むわけがないのだ。

 守護神獣、あるいは女神の仕業(しわざ)なのだろう。


(もうこれ以上、誰も失わない……絶対!)


 決意を固め、より素早くツタを駆け上がっていく。

 幾多(いくた)の障害を乗り越え、そして――

 超巨大樹の中腹くらいか、妙にひらけた場所がある。

 どこか広場を連想させる場所に、ジェラルド達はいた。


「ジェラルドさん! シャーロット様!」


 咲弥は声を張りながら、ジェラルド達に駆け寄る。

 ジェラルドが(けわ)しい顔を向け、咲弥へと手を伸ばした。


「咲弥殿! こちらに来てはなりません!」

「――え?」


 瞬間――

 バチッと音が鳴り響き、咲弥は見えない壁に弾かれた。

 強烈な(しび)れを覚え、咲弥は木の地面を転がっていく。

 衝撃が(すさ)まじく、(あや)うく落下する寸前であった。


「ぐっ……ぐぐっ……」

「ご無事ですか! 咲弥殿!」


 ジェラルドが取り乱した口調で問いかけてきた。

 注意不足だったのは(いな)めない。とはいえ、まさか見えない障壁が張られているとは、さすがに予想外の展開であった。

 咲弥は痛みに耐えつつ、ゆっくりと体を起こしていく。


 痺れが消えない。手や足が、ずっと震えていた。

 ぎゅっぎゅっと両手足に力を込め、感覚を取り戻させる。

 咲弥はうめきまじりに、まずジェラルドへ応えておいた。


「うっ……ちょ、ちょっと……やばかったですね」


 ジェラルドが安堵(あんど)のしぐさを見せた。

 (そば)にいるシャーロットは、少し茫然と見据えてきている。


「お気をつけください。この障壁――少々、乱雑なのです」

「えっ? それは……?」

(おり)に近い障壁が、そこかしこに張り巡らされています」


 ジェラルド達は、動くに動けない状況だったに違いない。

 咲弥は素早く汲み取り、解放した白手を(かか)げた。


「なるほど。ですが、それがわかれば問題はありません」

 咲弥はそう言い、白爪にオドを込めて()るった。

「白爪空裂き!」


 ふわりとした衝撃が、見えない障害を打ち砕いていく。

 ジェラルドの言葉通り、確かに檻じみてはいた。

 厳密に言えば、抜け出せない鳥籠に等しい。


 ただ白爪で壊せば、再び障壁が張られる様子はなかった。

 咲弥は警戒を解かず、ジェラルド達のほうに歩み寄る。

 ジェラルドの前に立ち、ほんの少しばかり気が抜けた。


「はぁ……よかった。もう、心配はありません」

「さすがです。私では、手の施しようがありませんでした」

「いえ……どちらも、お怪我はありませんか?」


 咲弥は言ってから、自分の発言の間抜(まぬ)けさに気づいた。

 少なくともジェラルドは、すでに大怪我を()っている。

 スイとの戦いの際、彼が身を(てい)して護ってくれたのだ。

 ジェラルドは鷹揚(おうよう)(うなず)いてから、ちょこんと肩を(すく)めた。


「はい。あれ以来は……ですが」


 ジェラルドの言葉に苦笑しつつ、咲弥は胸を()で下ろす。

 ジェラルド達が無事であれば、今はそれで構わない。

 咲弥は気持ちを切り替え、改めて周囲に視線を流した。


「そういえば、ここは……?」


 一見、がらんどうで間違いはなさそうだった。

 ただ普通の樹木とは異なり、あまりに整い過ぎている。

 咲弥はざっと観察してから、すぐにジェラルドを向いた。


「いいえ――それよりも、すぐここから離れたほうがいいと思います」

「そうですな。私のことはさておき、今はシャーロット様を一刻も早く、安全な場所まで送り届けておきたいです。何が起こるか、わかりませんからな」


 きっとジェラルドも、超巨大樹の存在を危惧(きぐ)している。

 ジェラルドは腕を組み、短いため息をついた。


「あと急ぎたい理由は、ほかにもあります」

「どうかされたんですか?」

「通信機が壊れたというわけでは、ないはずなのですが……なぜかさきほどからずっと、軍への緊急連絡が届けられない状態となっていまして」


 咲弥は息を呑み、漠然と神域での出来事が脳裏(のうり)に浮かぶ。

 その真偽はともかく、最悪な状況だと理解する。


「そっ……それは、かなりまずいんじゃ……いきなりこんな超巨大樹が生えたら、近隣に待機している軍の人達だって、異変ありと見做(みな)してしまいます、よね?」

「……ええ。おそらく、まずは偵察隊を送り込むはずです。ですから、そうなる前に、急いで軍隊長に近づかぬようにと警告をしなければなりません。ただ……」


 咲弥は首を(ひね)った。ジェラルドは困り顔で述べる。


「このような高い場所から、シャーロット様を連れ、無事に降りられるのか……」

「まだ深く調べたわけではありませんが……この超巨大樹に巻きついてるツタを伝っていけば、地上まで降りられるかもしれません。僕は途中からだったので正確には不明ですが、少なくともそうやってここまでのぼって来られましたから」


 ジェラルドは(うな)りながら、小刻みに(うなず)いた。


「了解しました。とにかく、下へ移動をしましょう」

「はい。途中までは障害を壊して――」


 再び気味の悪い鼓動の音が、咲弥の言葉を(さえぎ)った。

 木の地面全体が、途端に淡い青色の光を放つ。

 咲弥はひどく(あせ)り、(あわ)ただしく周囲に視線を巡らせる。

 発光していた地面が、徐々に形をなしていく。


(これは……魔法陣?)

「シャーロット様! お(そば)へ!」

「は、はい……!」


 ジェラルドの背後に、不安顔のシャーロットが寄った。

 安全地などわからないが、咲弥達は少しずつ後退する。

 その最中、地面から青い光の粒がふわりと舞い上がった。


「……っ!」


 咲弥は自然と(あお)ぐ。そこに、妙な気配があったからだ。

 まるで天井を浸食するかのごとく、無数のツルが中央へと()って進んでいく。同時に、色とりどりの花々を咲かせ――多くのツルが、一気に地を突き刺す。

 その激しい衝撃に、ぐらぐらと足場が揺れた。


 がらんどうはツルの柵に――いや、そうではない。

 咲弥はようやく、()()()()()()()謎を解明できた。


「これは、祭壇……」


 咲弥は嫌な予感を抱き、我知らず(つぶや)いた。

 ジェラルドへは向かないまま、咲弥は声を張る。


「ジェラルドさん! シャーロット様を連れ、ここから早く逃げて――」


 咲弥の言葉が終わる前に、強烈な鼓動の音が鳴った。

 中央に巨大な紅い花が咲き、空間に亀裂が生じる。

 そこから抜け出るようにして――それはぬるりと咲弥達の前に現れた。


(まさか、これが……?)


 咲弥がまず連想したのは、神々しい人型の彫像だった。

 色鮮やかなツルや葉が真っ白な肌を(おお)い、どこか踊り子を彷彿(ほうふつ)とさせる衣裳を形作っている。かき上げられた草っぽい髪には、美しい花々が飾られていた。

 確かに、一見して女性らしい容姿をしている。


 咲弥は見つめながら、心の底から恐怖した。

 ()()(まと)う濃度の高いエーテルに、全身が震えている。

 咲弥は疑う余地なく、女神が降臨したのだと断定する。


 大人の女を感じさせる女神の美貌が、右へ左へと向いた。

 瞳のない目で辺りを見回してから、咲弥達を振り返る。

 緩やかな立ち居振る舞いで、女神が手で鼻を覆った。


「臭い、臭い……古き獣の臭いが漂っておるわ」


 脳内に直接響くような透き通った声音で、女神が不快感を(あら)わにした。

 咲弥は瞬時に理解する。神殺しの獣のことに違いない。

 心理的な作用からか、咲弥は自然と身構えた。


 黒白から聞かされた話が、脳裏(のうり)によみがえってくる。


『いずれは君を抹殺しにくる』

『神殺しの獣ともども消滅させにくる』

『君は(のが)れられない戦いに身をおいている』

『決して()けられない戦いが待っている』


 真偽は定かではないが、それが今なのかもしれない。

 女神が薄く笑い、再び涼やかな声音を(つむ)いだ。


「まだ(みじ)めに()いずっておるのか? 罪深き邪悪なる獣よ。運命の破壊者――(いな)、いずこかから訪れし、(ことわり)()()()()()()き、何を()したいのか?」


 咲弥は恐怖から総毛(そうけ)()つ。女神は完全に気づいている。

 咲弥が、この世界の住人ではない。と――


 だが、やはり何かおかしい。咲弥は(いぶか)しさが先立つ。

 天使の発言通りであれば、こちらの住人に正体を知られた瞬間、即座に命が失われるはずだった。黒白のときにも似た疑問を抱いたが、そんな気配は微塵(みじん)もない。


 黒白の場合は、咲弥の一部だと解釈できる。

 だからそうならなくても、なんら不思議ではない。

 しかし、女神は違う。明らかに咲弥の一部ではないのだ。


 ここから察せるのは、二通りしかない。

 人類限定、あるいはまだ確定に(いた)っていないからだ。

 いずれにせよ、明確な答えを知る方法などない。

 とにかく、女神に喋られ続けるのは危険だと判断した。


「いったい……何を言って……?」


 案の定、ジェラルドが困惑の声を漏らした。

 ただどちらに対して、悩まされているのかはわからない。咲弥の正体はもちろんのこと、神殺しの獣に関しての説明もいっさいしていないからだ。

 咲弥は胸裏(きょうり)に湧く恐怖を()み殺し、一歩を前へと進む。


「ジェラルドさん。逃げてください。ここは、僕が……」

「んなっ……咲弥殿。しかし……」

「シャーロット様の安全が第一です……だからここは、僕に任せてください」


 一刻も早く、ジェラルド達を遠ざけたほうがいい。

 女神が咲弥の正体をばらせば、二人も一緒に死ぬ。

 それだけは、何があっても阻止しなければならない。


「ふふっ……その必要はなかろう」


 女神が手を高く(かか)げた。

 咲弥はびくりと体が震える。


「くるがよい」


 女神の言葉とともに、再び空間に亀裂が生じた。

 咲弥は目の前にある現実に、ただただ絶望する。


 神域にいた守護神獣が、三体――

 女神の(そば)で、神鹿(しんろく)ヨトヴァリンが悠然と立ち並んだ。

 蛇龍(だりゅう)ウルズヘッグは、超巨大樹の周囲を(まわ)っている。

 大鷹アースヴェルグは羽ばたき、空中に留まっていた。


「罪深き闖入者(ちんにゅうしゃ)

「再びまみえたぞ。憎き闖入者」

「許されざる闖入者」


 ただでさえ、咲弥達の体力はひどく消耗している。

 女神の一体ですら、死活問題だったのだ。

 そこへさらに、神獣の三体までもなど冗談ではない。

 咲弥は顔を(ゆが)め、現実逃避しながら女神側を眺めた。


(こん、なの……どうしろ、って言うんだよ……)


 現状、咲弥にできることは、そう多くない。

 なかば諦めの境地で、咲弥は静かに深呼吸をする。

 素早く覚悟を決め、声を――先に女神が声を発した。


「ゆけ……より深き絶望を、(きざ)もうぞ」

「承知」

「んなっ……待っ――!」


 咲弥の制止の声は届かない。

 守護神獣三体が了承したのち、素早く場を離れていく。


 咲弥はとっさに、神獣達が去った方角を見た。

 ほぼ間違いなく、帝都がある場所を目指している。

 咲弥は再び、女神を振り返った。

 女神があやしげに笑う。


(いにしえ)(おろ)かな獣、(なんじ)のせいだぞ。我が神域を荒らした罪を、大勢の人間で(つぐな)ってもらう。悔しかろう? 悲しかろう? 汝は三度(みたび)、護るべき者を失うのだ」


 女神の言葉を聞き、咲弥はふと古い記憶が湧いた。

 始めのほうは咲弥に向けての発言ではあったが、途中から神殺しの獣に対して挑発している。遥か大昔、大切な人々を天罰で失った神殺しの獣に――


 咲弥はくっと息を詰め、握り締めた手が大きく震えた。

 女神を真っ向から(にら)みつけて言い放つ。


「すぐに……神獣達を引き返させてください。罰なら、僕が一人で受けます」


 女神は嘲笑(あざわら)った。


「愚者よのぉ。やはり、周りを消されるのを嫌がるか」

「なっ……」

「であればこそ、より華やかに、より絶望を――」


 不意に、女神が言葉を止めた。

 咲弥は一呼吸の間を置き、静寂が訪れた理由を察する。


 漠然と感じ取った気配へ、咲弥は顔を振り向かせた。

 やや遠くに、飛竜の群れがあり――その遥か下のほうに、いくつかの明かりがぼんやりと見える。不測の事態に備え、ジェラルドが配備した帝国軍に違いない。


 ジェラルドの想定通り、偵察に来ているのだ。

 しかも訓練されているだけあって、行動がかなり早い。

 咲弥は恐怖から、ぞっと背筋が凍りついた。


「丁度よい。これから起こる天罰を、見せてやろう」

「んなっ……」


 咲弥は肩越しに、女神を振り返った。

 妖艶(ようえん)な美貌はひどく冷たい。女神はそっと手を(かか)げた。

 咲弥は飛竜達のいる方角へ進み、腹の底から叫び上げる。


「逃げろぉおおおおおお――っ!」

「全軍! 撤退しろ! 繰り返す! 全軍撤退だ!」


 咲弥とほぼ同時に、ジェラルドも叫んでいた。

 おそらく使用不能となった通信機器に向かい、何度も声を張っているに違いない。たとえ通じないとわかっていても、何もせずにはいられないのだろう。


天樹災(てんじゅさい)


 叫び続けている最中、女神の声が後ろから耳へと届く。

 瞬間――天を(おお)っている超巨大樹の輝きが強まった。

 距離が遠過ぎるため、よくは見えない。 

 だが確実に、帝国軍の中で何かが起こっていた。


「人の身では見えぬか? ならば、見せてやろう」


 咲弥の警戒心は、完全に消え失せていた。

 女神が寄り添うように、咲弥の背後を陣取る。

 咲弥の肩を(つか)み、女神はもう片方の手を見せてきた。

 途端に空間の一部分が(ゆが)められ、そこに――


「あ、あぁ……あぁあ……」


 咲弥は言葉を失い、代わりに悲痛な声が漏れた。

 全員ではない。一部の人の体に突然草花が生え、恐ろしい速度で樹木化していた。その成長で周りの人達を巻き込み、どんどんと木々へと変化させていく。

 まるで、土砂崩れに巻き込まれている光景にも等しい。


「ふぅむ……久方(ひさかた)()りに降りてきたが……今世(こんせ)の者は、実に質がよくないのぉ。手始めに樹に属した者を変えてみたが、これではあまりに程遠い」


 咲弥は総毛(そうけ)()つ。一部の人――木属性の者であった。

 またたく間に失われていく命に、咲弥は呼吸をも忘れる。


「どうすれば……もとに戻りますか……?」


 咲弥は我知らず(つぶや)いた。無理だとわかっている。

 それでもなお、()かずにはいられなかった。

 そっと咲弥の(あご)一撫(ひとな)でしてから、女神が離れていく。

 咲弥は女神を振り返った。


「どうすれば……あなたは、やめてくれますか……?」


 女神は立てた人差し指を、(あで)やかに口もとに添えた。


「一つ、教えてやろう。もうまもなく、天樹の輝きは人々の住まう地へ辿り着く」


 惨烈(さんれつ)を予見する言葉に、咲弥は心から恐れおののいた。



 咲弥は、まだ知らない。

 喜、怒、憂、恐、愛、憎、欲――


 今を生きる人々は当然、あらゆる感情を宿している。

 ある者は夢を眺め、またある者は現実を直視する――この世に生を受けたもののすべては、それぞれ多種多様の思いを抱き、さまざまな未来へと向かって進む。


 そんな無数にある思い、多くの感情が――

 この日、あっという間に消し飛んだ。




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