第二十一話 勇気の決断
天樹祭はいまだ、最初の熱気を保ち続けていた。
踊り子達はいったん舞台裏で休憩をとっており、代わりに芸達者な演者達が、多様な曲芸で観客達の目を奪っている。
紅羽は一人、舞台袖で演者達をぼんやりと眺めていた。
紅羽の胸裏はいま、雨雲のようにどんよりとしている。
咲弥は結局、会場のどこにも姿を見せなかった。
極秘任務に縛られ、どうしても来られないのだろう。
仕方ない話ではあるが、残念な気持ちは拭えない。
(でも、きっと……)
ラングルヘイム帝国を訪れてから、約一か月半――
咲弥側の情報は、徹底的に遮断されていた。
咲弥と久々に会えた少しあと、メイアのほうから秘密裏に伝えてくれた説がある。真偽は知れないものの、おそらくは皇族絡みの可能性が高いとのことだった。
もし事実であれば、時間を作るのは困難だと納得できる。
咲弥との付き合いも、もう長い。だから、よくわかる。
極秘任務中という状況下、仮に無理でも約束を果たそうと必死に頑張ってくれたに違いない。きっと紅羽と同様、彼も残念な思いを抱いている。
そう想像すれば、胸に漂う悲しみも少しずつ薄れていく。
すると今度は、紅羽に別の感情と思考が襲ってきた。
久々に咲弥と会い、心が弾んでいたのは否めない。しかし結果だけをみれば、彼に厳しい約束を結ばせ、下手に負担をかけてしまったのは疑う余地もなかった。
彼への配慮が、あまりにも大きく欠け過ぎている。
紅羽は今になってようやく、自分の愚かさに嘆いた。
心を学び、人らしくなり――しかし欲がもたらす影響は、想像以上に恐ろしいと痛感する。これまで見えて当然だったものが、何も見えなくなっているからだ。
やはり胸中にある陰りは、しばらく晴れそうにない。
紅羽は人知れず、極々小さなため息をつく。
そのはずだったのだが、耳には太い吐息が届いた。
「はぁ……どうして来ないのかしら。この私の美貌と魅惑の踊りを見せつけ、悩殺してやろうと計画してたってのに……これじゃあ、変な男しか釣れないわぁ」
「そのようなこと、別に企てておりません」
背後にいるネイに、紅羽は前を向いたまま否定した。
ため息の時宜は恐ろしいくらい正確だったものの、心情の代弁には誤りがある。ただ彼女との付き合いも長く、それが冗談に過ぎないとわかっていた。
紅羽は内心、やや呆れ気味に後ろを振り返る。
少し腰を曲げていたネイが、すっと姿勢を正した。
ネイの近くにいたメイアが腕を組み、ふっと微笑する。
「だが、当たらずとも遠からず――そんな雰囲気だな」
紅羽は閉口した。
この二人には、どうやら隠し事ができそうにない。
「仕方ありません。咲弥様には事情がありますから」
「それはそうだな。どうしても外せなかったのだろう」
「はい。ただ……」
ネイとメイアが揃って小首を傾げた。
紅羽は胸の前に右手を置き、包み隠さず告げる。
「彼に不要な負担をかけてしまいました。極秘任務中という事情を考慮すれば、おのずと見えてくるはずなのですが……配慮不足だったと反省しておりました」
ネイとメイアの二人は、目を丸くして固まっている。
それから、途端に吹き出すように笑った。
「なぁんだ。そんなこと考えてたのね」
「奥ゆかしいというか、なんというか……そんなところは、配慮する必要がない」
今度は紅羽が首を捻った。
「なぜでしょうか?」
「そう感じる者なら、はなから約束などしない。確かに断り切れず、引き受けてしまう者がいるのも事実ではあるが……今回の対象は、あの咲弥だからな」
メイアの言葉を補足するように、ネイが口を開いた。
「あんたの中にいるあいつは、その程度のことで負担だって思っちゃう男なの?」
二人の言わんとする意図は汲めたが、それとこれとは話が別だと思えた。彼が負担に感じるか否かも大事だが、本質は負担を作ったという事実それ自体にある。
やや困り顔をしたメイアが、穏やかな口調で言った。
「お前達とは違い、付き合いはまだ長いとは言えないが……下手な配慮が、却って相手に負担を強いる場合がある。私の見立てでは、咲弥はそちら側だと思うぞ」
「そう、なのでしょうか……?」
釈然とはしなかったが、間違いだとも言いきれない。
結局、本当のところは、咲弥にしかわからないのだ。
紅羽は深く思案を始め、我知らず顔を伏せていく。
だがメイアが紅羽の顎に指を添え、顔を持ち上げさせた。
「難しく考える必要などない。負担をかけたかもしれないと思うのではなく、もっと単純に、どうすれば喜んでくれるか模索するだけでいい」
メイアは微笑み、最後にもう一つつけ加えてくる。
「負担なんぞ考えていたら、相手と距離をとるしかないぞ」
紅羽ははっとなった。当然、それは極論でしかない。
それでも、紅羽には漠然と見えてきたものがある。
欲に乱され、自制する必要があると咎めていた。
それは言わば、心の距離を置くということになる。きっとメイアの言は物理的な意味合いだと思われるが、心の距離を置けば、やがてはそうなるのかもしれない。
その事実が、紅羽に少しばかり恐怖をもたらした。
紅羽は瞬時に悩み、迷い――
メイアの黄金色をした瞳を、真っ向から見据えた。
「了解しました。お二人の助言、心に留めておきます」
ネイとメイアが見つめ合い、そして同時に肩を竦めた。
ネイが苦笑まじりに述べる。
「まあ、負担とかそんなのは、ほんと考えなくていいわよ。つか、あいつなら『やっべぇ! 行けなかった』つってさ、お詫びの品とか用意してそうじゃない?」
メイアがからからと笑った。
「それもそれで、至極単純だな」
「いやぁ……あいつなら、そう考えてそうなんよねぇ」
確かにネイが言った通り、やりかねない気配はある。
これもまた、見えなくなっていた部分の一つだった。
彼は自分のことよりも、まず仲間や他人を尊重する。
紅羽は再び、なかば自然と胸に手を添えた。
(そう……だから、私が傍にいる)
ようやく、紅羽は我を取り戻せた。
そのお陰なのか、わずかに心が軽くなった気もする。
ネイとメイアが、安堵したように顔をほころばせた。
「やっと元気になったわね」
「もう自分の中で溜め続けるな。また困ったら言え」
紅羽はゆっくりと頷いた。
「了解しました」
「えぇ! いまさらですかっ?」
不意に、女の騒がしい声が響いた。
視線を移すと、そこにはシーラと男の姿がある。
シーラが慌てた様子で、男のほうへ詰め寄った。
「どうして、もっと早く伝えてくれないんですか!」
「い、いや……私もさっき知ったばかりでして……」
「いまさら予定を組み替えるなんて、不可能なんですよ!」
「それはそうですが……」
なにやら問題が発生したらしい。
紅羽はネイとメイアを連れ、シーラを前にする。
まずネイが事情の説明を求めた。
「どったの?」
「あ、皆さん……えっと、その……」
シーラは混乱しているのか、言葉に詰まっている。
彼女の傍にいた男が、代わりに口を開いた。
「いえね、私達の仲間――曲芸師の一人が、どうやら急病で来られなくなっちゃいまして。時間通りに来なかったから、仲間の一人が様子を見に行ったんですよ。そしたら、部屋で倒れている仲間を発見したと、いま報告が入りまして……」
「ふぅん……代わりに誰かがやればいいんじゃないの?」
ネイが楽観的な提案を投げた。
曲芸師の一人らしき男が、苦い表情を浮かべる。
「いや……正直、彼以外にはちょっと厳しいですね。彼ほど投げナイフの技術を持った人はおりませんし、無理にやれば怪我人が出て騒ぎになりかねないですから」
困り果てている男から、紅羽はネイに視線を移した。
すぐ気づいたネイが、なにやら渋い表情を見せてくる。
「それにしても、参ったなぁ……同じ演目じゃダメだし」
「ですが、時間の穴をあけるわけにだっていきませんよ!」
「うぅん……どうしたものか……」
ネイのほうへ、紅羽はすっと手を差し向けた。
「投げナイフであれば、こちらに達人がおりますが?」
「えっ……?」
シーラ達が、揃って目を丸くした。
紅羽はもう少し噛み砕いて述べる。
「ネイの技術は正確無比で、少なくとも私は外したところを見た記憶がありません。ですから、おそらくそちらの期待に応えられるかと思われます」
「ほう……そんな芸当を隠し持っていたのか」
メイアがネイに顔を向け、唸るように言った。
シーラが一歩を前に踏み出る。
「ほ、本当ですかっ?」
「しょうがないわね……いいわ。引き受けてあげる」
ネイが呆れ気味に、後頭部へと手を回した。
シーラと男が、目をきらきらと輝かせる。
「本当にありがとうございます! ネイさん!」
「あ、あの……準備ならできていますので!」
ネイが、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
「一応、どんな投げナイフなのか、ちょっと試させてね? 私が使っているのとは感覚が違うだろうし、種類によっては癖とかも絶対変わってくるから」
「はい! 流れも説明したいので、こちらへ来てください」
男が手のひらを、はらはらと虚空に漂わせた。
メイアはくすりと笑う。
「面白そうだ。私も見学させてもらおう」
「そんなたいそうなものじゃないけどね」
ネイがメイアに応えてから、紅羽を振り返った。
「あんたはもう少しここにいなよ。もしかしたら、あいつが来るかもだし」
「了解しました」
紅羽が応じると、ネイ達は男に連れられ場をあとにした。
彼が来られないと、まだ完全に決まったわけではない――頭では諦めるべきだと囁いてはいたものの、心のどこかでは少しばかりの期待を抱いている。
感情とは複雑で不思議なものだと、紅羽はそう感じながら舞台袖へと向かう。
そのとき、また別の声が紅羽の耳へと届いた。
「どしたの? ミィアちゃん? だいじょうぶ?」
幼い声音がしたほうへ、紅羽は目を向ける。
数人の子供達が、少女ミィアを取り囲んでいた。
ミィアは一人、なぜか小刻みに震えている。
ミィアの周囲にいる子供達は、皆が一様に不安げな表情を浮かべており、彼女を心配している様子だった。それ以上の事情は、一瞥程度では掴めそうにない。
紅羽は歩み寄り、しゃがみ込んだ。
「どうかされましたか?」
「あっ、紅羽おねえちゃん。あのね、わかんないの」
「なんかね、いきなりこうなっちゃって」
子供達もまた、何も状況を把握していない。
紅羽は震えるミィアへ、視線を据えた。
「何か、問題でもありましたか?」
「うぅ……あ、あのね……えっとね……」
「落ち着いてからで構いません。深呼吸をしてください」
紅羽の指示に、ミィアが怯えながら従った。
紅羽は無言のまま、じっと待つ。
少ししてから、ミィアが言った。
「……あのね、あたしにもわからないの」
「わからない……?」
「うん……なんか急に、こわくなっちゃって……」
紅羽は理解に苦しんだ。
何か理由があれば、排除すれば事足りる。
しかし、実態なきものには対処のしようがない。
紅羽は悩み、ネイの姿を脳裏に描いた。
もし彼女が自分の立場ならば、どうするのか思案する。
紅羽は地に両膝をつけ、ミィアをそっと抱き締めた。
「何も問題ありません。もし恐怖の対象が迫れば、私が必ず始末してみせます」
「う、うん……ありがとう。紅羽おねえちゃん」
ミィアがすぐ落ち着くことはなかった。
ただ小さな手で、紅羽の衣裳をしっかりと掴んでいる。
抱き締めた当初に伝わった震えも、次第に収まっていた。
紅羽はミィアが落ち着くまでの間――
ずっとそのまま、優しく抱き締めておいた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
咲弥は肌にひりつきを覚え、同時に焦げた臭いを嗅いだ。
少し耳をやられ、体中から激痛が伝わってくる。
強烈な爆発だったが、死んではいない。意識もある。
とっさに発現した水の防壁――それだけではなかった。
「咲弥殿……ご無事ですか……?」
ジェラルドの声は、ひどくくぐもって聞こえた。
咲弥は目もとを歪め、喉の奥から絞り出すように呟く。
「ジェ、ジェラルドさん……」
苦悶の表情を浮かべるジェラルドを、咲弥は見据えた。
額から血が流れ、背から黒煙があがっている。
護られたと瞬時に理解するや、ジェラルドが崩れ落ちた。
地に片膝をつけた彼を見て、咲弥は言葉を失う。
「……思ったほどでは、ありませんでしたね」
かすかにスイの声が聞こえ、咲弥は我を取り戻した。
呆けている場合ではない。戦いはまだ続いている。
咲弥は全身にある痛みを堪え、ジェラルドを背後にした。
今のジェラルドが、戦えるほど動けるとは思えない。
咲弥は痛みのほか、自分の失態と後悔を噛み殺した。
護られたのならば、今度は護らなければならない。
咲弥は黒白を大きく構え、スイを牽制する。
スイが自身の手のひらを見つめ、緩やかな口調で言った。
「どうやら、まだ……馴染んでいないようです」
落ち着き払った声音からは、余裕がうかがえた。
異形と化してから、時間はまだそれほど経っていない。
しかしスイは、咲弥とジェラルドの二人を相手にしても、苦戦を強いる力を手にしている。仮に言葉通りだとすれば、かなり危険だと判断せざるを得ない。
(これ以上強くなったら、手の施しようがなくなる……)
もう猶予はない。必ず次で、勝敗を決める必要がある。
エーテルを扱えない事実が、再び胸に重くのしかかった。
(くそ……エーテルさえ……エーテルさえ扱えてたら……)
いくら泣き言をもらしても、何も始まらない。
咲弥はすぐ冷静に努め、別の策を考え始めた。
スイが手のひらを泳がせ、咲弥のほうへ目を向けてくる。
「では、お次は――」
「お母様! もうおやめください!」
不意の展開に、咲弥の思考が一瞬停止した。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
シャーロットは正直なところ、父がとても苦手だった。
もっと正確に言えば、父だけではない。
腹違いの兄姉達にも、同様の感情を抱いている。
威風堂々とした姿勢、他者を竦ませる眼光――すべてが、自分と正反対だと感じられる。そのため、物心ついた頃からあまり関わらないようにしていた。
ただ皇子としての立場上、許されない場面もある。
そんなときは、いつも母の陰に隠れていた。
理解している。母もきっと、つらかったに違いない。
第三までの皇妃達に、その皇子達――さらに貴族達からの陰湿な嫌味や嫌がらせを受け続け、気苦労が絶えることなどありえなかったと思われる。
シャーロットもまた、陰湿ないじめを何度も受けていた。
地位が低い。それも確かに、理由の一つではあった。
しかし、単純にやり返す勇気がなかったに過ぎない。
今後を考えれば、仕返しなど考えられなかった。
自分のせいで、母によりひどい被害がいくかもしれない。
だからシャーロットも、母と同様に耐え続けていた。
だが――いつからか、母の様子が少しおかしくなる。
おそらく、女神ユグドラシールの力が宿る、宿り木を手に入れたからなのだろう。いつも傍にいたシャーロットには、母の変化にすぐ気づけた。
ほかの者達には、察知できなかったと考えられる。
父でさえも――
「シャーロット」
不意に太い声音で呼ばれ、シャーロットは少し萎縮した。
まず幻聴を疑ったが、どうやら父に呼ばれたらしい。
父は振り向かないまま、威厳に満ちた声を紡いだ。
「大事はないか?」
シャーロットは混乱した。
父が気にかけてくれている。そんなはずはない。
疑心に溢れ、シャーロットは言葉に詰まった。
「どうだ?」
「……はい。問題は、ございません」
喉の奥から絞り出した声は、ひどく震えていた。
父に気にした様子は見られない。
「そうか」
そう短い言葉を挟み、父は次いで疑問を口にした。
「あいつの変化に、お前は気づいておったのか?」
シャーロットの心臓が、少し飛び跳ねる。
戸惑い、悩み、冷や汗をかいた。
「……薄々とでは、ありますが……感じて、おりました」
「そうか」
シャーロットは自分の言葉に、自信が持てない。
なぜ問いかけたのか、なぜそれ以上喋らないのか――
父が何を考えているのか、さっぱりとわからなかった。
息苦しい空気に、シャーロットは少し吐き気を覚える。
そんなとき、父の鋭い眼光が向けられた。
シャーロットの目は泳ぎ、頭の中が真っ白になる。
父の大きな手が、シャーロットのほうへ伸びてきた。
シャーロットは恐怖に怯え、そのままじっと硬直する。
シャーロットは再び、混乱を余儀なくされた。
なぜか父の大きな手が、頭の上で優しげに乗っている。
「余は父――いや、夫としても失格だな。すまなかった」
シャーロットは、なかば茫然と父を見上げる。
父の顔は、哀しそうに微笑んでいた。
「呪いを受け、母が憎くなったか?」
どう答えればいいのか、正直に言えばわからない。
シャーロットは視線を伏せた。
(あの日……)
記憶しているのは、母の冷たい眼差しだった。
ただただ、静かな恐怖を覚えた気がする。
その先からほとんど意識はなかったものの、囚われていた場所では、世界の停止に等しい寂しさに胸を苦しめられた。とても冷たく、凍りつくような孤独――
まるで永遠とすら感じられる苦痛を、今でも思いだせる。
(でも……)
母を嫌いになど、なれるはずもない。
そうなるだけの理由があったと、知っているからだ。
もっとも咎められるべきは、きっと自分のほうにある。
つらいと――母も苦しいのだと、そうわかっていた。
(それなのに……私は……)
母が傍にいたときは、ずっと母の陰に隠れ続けていた。
言い換えれば、母を盾としていたに過ぎない。
そんな母を、責め立てられるはずもなかった。
シャーロットは唇を結び、自分の不甲斐なさに嘆く。
すると父が、優しく頭を撫でてきた。
「たとえこの先、どんなことがあろうとも……どうか、母を許してやってくれないか。すべては、余の責任なのだ」
シャーロットははっとなり、父を再び見据えた。
「余はいくつもの選択を間違えた。そのせいで、お前達には手酷い苦労をかけた――だから余のことは憎んでも構わん。その代わり、母の味方でいてやってくれ」
父はそっと手を退け、また前のほうを向き直った。
シャーロットは頭の中が、疑問で溢れかえる。
父は、こんな人だったのだろうか――
玉座で威厳を放ち、重い声音で相手の身を竦ませる。
対面すれば必ず、鋭い眼光で相手を威嚇するのだ。
それが、シャーロットが父に抱いていた認識だった。
(違う。そう……もしかしたら、それは……)
何かを掴みかけた瞬間、ひどい爆発音が鳴り響いた。
シャーロットは身を縮め、激しい爆風に耐え忍ぶ。
全身に熱を浴びはしたが、火傷は一つも負っていない。
父がさりげなく壁となり、護ってくれたからだ。
振り向かない父を眺め、シャーロットはやっと気づく。
(お父様じゃない……きっと、私のほうが……)
「シャーロット――もう一つ伝えておく。お前は余やスイがもっとも愛する、心から自慢できる娘だ。それはたとえ……何があろうと、決して変わることなどない」
父はそう言ってから、口を堅く閉ざした。
シャーロットは不意に、何か嫌な寒気を覚える。
父はなんらかの覚悟を身に宿している――
そんな漠然とした予感が、胸に不安を募らせていく。
父はただまっすぐ、母のほうを哀しそうに眺めている。
シャーロットも目を向けると、立ちのぼる黒煙が見えた。
少しずつ風に流され、視界がどんどん良好になっていく。そこには、静寂の世界から救ってくれた男を護るようにして庇う、ジェラルドの姿があった。
異形となり果てた母は、どこか薄く笑みを浮かべている。
(――っ!)
シャーロットは奥歯を噛み締めた。
母が壊れた責任は、父だけではない。
シャーロットにも同等か、それ以上の責任がある。
複雑な心境が、小さな胸の中で荒れ狂う。
シャーロットは我知らず、その足を前へと進めていた。
何かできるわけではない。戦力になどなるはずもない。
それでも――
「お母様! もうおやめください!」
シャーロットは男の前に立ち、両手を大きく広げた。
もうこれ以上、母が苦しむ姿など見たくない。
シャーロットは想いを胸に乗せ――
異形と化した母スイを、じっと見据え続けた。