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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第四章 無数にある分岐点(下)
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第二十一話 勇気の決断




 天樹祭はいまだ、最初の熱気を(たも)ち続けていた。

 踊り子達はいったん舞台裏で休憩をとっており、代わりに芸達者な演者達が、多様な曲芸で観客達の目を奪っている。

 紅羽は一人、舞台袖で演者達をぼんやりと眺めていた。


 紅羽の胸裏(きょうり)はいま、雨雲のようにどんよりとしている。

 咲弥は結局、会場のどこにも姿を見せなかった。

 極秘任務に縛られ、どうしても来られないのだろう。

 仕方ない話ではあるが、残念な気持ちは拭えない。


(でも、きっと……)


 ラングルヘイム帝国を訪れてから、約一か月半――

 咲弥側の情報は、徹底的に遮断(しゃだん)されていた。


 咲弥と久々に会えた少しあと、メイアのほうから秘密裏に伝えてくれた(せつ)がある。真偽は知れないものの、おそらくは皇族絡みの可能性が高いとのことだった。

 もし事実であれば、時間を作るのは困難だと納得できる。


 咲弥との付き合いも、もう長い。だから、よくわかる。

 極秘任務中という状況下、仮に無理でも約束を果たそうと必死に頑張ってくれたに違いない。きっと紅羽と同様、彼も残念な思いを抱いている。

 そう想像すれば、胸に漂う悲しみも少しずつ薄れていく。


 すると今度は、紅羽に別の感情と思考が襲ってきた。

 久々に咲弥と会い、心が(はず)んでいたのは(いな)めない。しかし結果だけをみれば、彼に厳しい約束を結ばせ、下手に負担をかけてしまったのは疑う余地もなかった。


 彼への配慮が、あまりにも大きく欠け過ぎている。

 紅羽は今になってようやく、自分の愚かさに(なげ)いた。


 心を学び、人らしくなり――しかし欲がもたらす影響は、想像以上に恐ろしいと痛感する。これまで見えて当然だったものが、何も見えなくなっているからだ。

 やはり胸中にある(かげ)りは、しばらく晴れそうにない。


 紅羽は人知れず、極々小さなため息をつく。

 そのはずだったのだが、耳には太い吐息が届いた。


「はぁ……どうして来ないのかしら。この私の美貌と魅惑の踊りを見せつけ、悩殺(のうさつ)してやろうと計画してたってのに……これじゃあ、変な男しか釣れないわぁ」

「そのようなこと、別に(くわだ)てておりません」


 背後にいるネイに、紅羽は前を向いたまま否定した。

 ため息の時宜(じぎ)は恐ろしいくらい正確だったものの、心情の代弁には(あやま)りがある。ただ彼女との付き合いも長く、それが冗談に過ぎないとわかっていた。

 紅羽は内心、やや呆れ気味に後ろを振り返る。


 少し腰を曲げていたネイが、すっと姿勢を正した。

 ネイの近くにいたメイアが腕を組み、ふっと微笑する。


「だが、当たらずとも遠からず――そんな雰囲気だな」


 紅羽は閉口した。

 この二人には、どうやら隠し事ができそうにない。


「仕方ありません。咲弥様には事情がありますから」

「それはそうだな。どうしても外せなかったのだろう」

「はい。ただ……」


 ネイとメイアが(そろ)って小首を(かし)げた。

 紅羽は胸の前に右手を置き、包み隠さず告げる。


「彼に不要な負担をかけてしまいました。極秘任務中という事情を考慮すれば、おのずと見えてくるはずなのですが……配慮不足だったと反省しておりました」


 ネイとメイアの二人は、目を丸くして固まっている。

 それから、途端に吹き出すように笑った。


「なぁんだ。そんなこと考えてたのね」

「奥ゆかしいというか、なんというか……そんなところは、配慮する必要がない」


 今度は紅羽が首を(ひね)った。


「なぜでしょうか?」

「そう感じる者なら、はなから約束などしない。確かに断り切れず、引き受けてしまう者がいるのも事実ではあるが……今回の対象は、あの咲弥だからな」


 メイアの言葉を補足するように、ネイが口を開いた。


「あんたの中にいるあいつは、その程度のことで負担だって思っちゃう男なの?」


 二人の言わんとする意図は汲めたが、それとこれとは話が別だと思えた。彼が負担に感じるか(いな)かも大事(だいじ)だが、本質は負担を作ったという事実それ自体にある。

 やや困り顔をしたメイアが、(おだ)やかな口調で言った。


「お前達とは違い、付き合いはまだ長いとは言えないが……下手な配慮が、(かえ)って相手に負担を()いる場合がある。私の見立てでは、咲弥はそちら側だと思うぞ」

「そう、なのでしょうか……?」


 釈然とはしなかったが、間違いだとも言いきれない。

 結局、本当のところは、咲弥にしかわからないのだ。

 紅羽は深く思案を始め、我知らず顔を()せていく。

 だがメイアが紅羽の(あご)に指を添え、顔を持ち上げさせた。


「難しく考える必要などない。負担をかけたかもしれないと思うのではなく、もっと単純に、どうすれば喜んでくれるか模索するだけでいい」

 メイアは微笑み、最後にもう一つつけ加えてくる。

「負担なんぞ考えていたら、相手と距離をとるしかないぞ」


 紅羽ははっとなった。当然、それは極論でしかない。

 それでも、紅羽には漠然と見えてきたものがある。


 欲に乱され、自制する必要があると(とが)めていた。

 それは言わば、心の距離を置くということになる。きっとメイアの(げん)は物理的な意味合いだと思われるが、心の距離を置けば、やがてはそうなるのかもしれない。

 その事実が、紅羽に少しばかり恐怖をもたらした。


 紅羽は瞬時に悩み、迷い――

 メイアの黄金色をした瞳を、真っ向から見据えた。


「了解しました。お二人の助言、心に留めておきます」


 ネイとメイアが見つめ合い、そして同時に肩を(すく)めた。

 ネイが苦笑まじりに述べる。


「まあ、負担とかそんなのは、ほんと考えなくていいわよ。つか、あいつなら『やっべぇ! 行けなかった』つってさ、お()びの品とか用意してそうじゃない?」


 メイアがからからと笑った。


「それもそれで、至極単純だな」

「いやぁ……あいつなら、そう考えてそうなんよねぇ」


 確かにネイが言った通り、やりかねない気配はある。

 これもまた、見えなくなっていた部分の一つだった。

 彼は自分のことよりも、まず仲間や他人を尊重する。

 紅羽は再び、なかば自然と胸に手を添えた。


(そう……だから、私が(そば)にいる)


 ようやく、紅羽は我を取り戻せた。

 そのお(かげ)なのか、わずかに心が軽くなった気もする。

 ネイとメイアが、安堵(あんど)したように顔をほころばせた。


「やっと元気になったわね」

「もう自分の中で溜め続けるな。また困ったら言え」


 紅羽はゆっくりと(うなず)いた。


「了解しました」

「えぇ! いまさらですかっ?」


 不意に、女の騒がしい声が響いた。

 視線を移すと、そこにはシーラと男の姿がある。

 シーラが(あわ)てた様子で、男のほうへ詰め寄った。


「どうして、もっと早く伝えてくれないんですか!」

「い、いや……私もさっき知ったばかりでして……」

「いまさら予定を組み替えるなんて、不可能なんですよ!」

「それはそうですが……」


 なにやら問題が発生したらしい。

 紅羽はネイとメイアを連れ、シーラを前にする。

 まずネイが事情の説明を求めた。


「どったの?」

「あ、皆さん……えっと、その……」


 シーラは混乱しているのか、言葉に詰まっている。

 彼女の(そば)にいた男が、代わりに口を開いた。


「いえね、私達の仲間――曲芸師の一人が、どうやら急病で来られなくなっちゃいまして。時間通りに来なかったから、仲間の一人が様子を見に行ったんですよ。そしたら、部屋で倒れている仲間を発見したと、いま報告が入りまして……」

「ふぅん……代わりに誰かがやればいいんじゃないの?」


 ネイが楽観的な提案を投げた。

 曲芸師の一人らしき男が、苦い表情を浮かべる。


「いや……正直、彼以外にはちょっと厳しいですね。彼ほど投げナイフの技術を持った人はおりませんし、無理にやれば怪我人が出て騒ぎになりかねないですから」


 困り果てている男から、紅羽はネイに視線を移した。

 すぐ気づいたネイが、なにやら渋い表情を見せてくる。


「それにしても、参ったなぁ……同じ演目じゃダメだし」

「ですが、時間の穴をあけるわけにだっていきませんよ!」

「うぅん……どうしたものか……」


 ネイのほうへ、紅羽はすっと手を差し向けた。


「投げナイフであれば、こちらに達人がおりますが?」

「えっ……?」


 シーラ達が、(そろ)って目を丸くした。

 紅羽はもう少し()み砕いて述べる。


「ネイの技術は正確無比(せいかくむひ)で、少なくとも私は外したところを見た記憶がありません。ですから、おそらくそちらの期待に応えられるかと思われます」

「ほう……そんな芸当を隠し持っていたのか」


 メイアがネイに顔を向け、(うな)るように言った。

 シーラが一歩を前に踏み出る。


「ほ、本当ですかっ?」

「しょうがないわね……いいわ。引き受けてあげる」


 ネイが呆れ気味に、後頭部へと手を回した。

 シーラと男が、目をきらきらと輝かせる。


「本当にありがとうございます! ネイさん!」

「あ、あの……準備ならできていますので!」


 ネイが、やれやれと言わんばかりに肩を(すく)めた。


「一応、どんな投げナイフなのか、ちょっと試させてね? 私が使っているのとは感覚が違うだろうし、種類によっては癖とかも絶対変わってくるから」

「はい! 流れも説明したいので、こちらへ来てください」


 男が手のひらを、はらはらと虚空に漂わせた。

 メイアはくすりと笑う。


「面白そうだ。私も見学させてもらおう」

「そんなたいそうなものじゃないけどね」


 ネイがメイアに応えてから、紅羽を振り返った。


「あんたはもう少しここにいなよ。もしかしたら、あいつが来るかもだし」

「了解しました」


 紅羽が応じると、ネイ達は男に連れられ場をあとにした。

 彼が来られないと、まだ完全に決まったわけではない――頭では諦めるべきだと(ささや)いてはいたものの、心のどこかでは少しばかりの期待を抱いている。


 感情とは複雑で不思議なものだと、紅羽はそう感じながら舞台袖へと向かう。

 そのとき、また別の声が紅羽の耳へと届いた。


「どしたの? ミィアちゃん? だいじょうぶ?」


 幼い声音がしたほうへ、紅羽は目を向ける。

 数人の子供達が、少女ミィアを取り囲んでいた。


 ミィアは一人、なぜか小刻みに震えている。

 ミィアの周囲にいる子供達は、皆が一様に不安げな表情を浮かべており、彼女を心配している様子だった。それ以上の事情は、一瞥(いちべつ)程度では(つか)めそうにない。

 紅羽は歩み寄り、しゃがみ込んだ。


「どうかされましたか?」

「あっ、紅羽おねえちゃん。あのね、わかんないの」

「なんかね、いきなりこうなっちゃって」


 子供達もまた、何も状況を把握していない。

 紅羽は震えるミィアへ、視線を据えた。


「何か、問題でもありましたか?」

「うぅ……あ、あのね……えっとね……」

「落ち着いてからで構いません。深呼吸をしてください」


 紅羽の指示に、ミィアが(おび)えながら従った。

 紅羽は無言のまま、じっと待つ。

 少ししてから、ミィアが言った。


「……あのね、あたしにもわからないの」

「わからない……?」

「うん……なんか急に、こわくなっちゃって……」


 紅羽は理解に苦しんだ。

 何か理由があれば、排除すれば事足りる。

 しかし、実態なきものには対処のしようがない。


 紅羽は悩み、ネイの姿を脳裏(のうり)に描いた。

 もし彼女が自分の立場ならば、どうするのか思案する。

 紅羽は地に両膝をつけ、ミィアをそっと抱き締めた。


「何も問題ありません。もし恐怖の対象が迫れば、私が必ず始末してみせます」

「う、うん……ありがとう。紅羽おねえちゃん」


 ミィアがすぐ落ち着くことはなかった。

 ただ小さな手で、紅羽の衣裳をしっかりと(つか)んでいる。

 抱き締めた当初に伝わった震えも、次第に収まっていた。


 紅羽はミィアが落ち着くまでの間――

 ずっとそのまま、優しく抱き締めておいた。



    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



 咲弥は肌にひりつきを覚え、同時に()げた臭いを()いだ。

 少し耳をやられ、体中から激痛が伝わってくる。

 強烈な爆発だったが、死んではいない。意識もある。

 とっさに発現した水の防壁――それだけではなかった。


「咲弥殿……ご無事ですか……?」


 ジェラルドの声は、ひどくくぐもって聞こえた。

 咲弥は目もとを(ゆが)め、喉の奥から絞り出すように(つぶや)く。


「ジェ、ジェラルドさん……」


 苦悶(くもん)の表情を浮かべるジェラルドを、咲弥は見据えた。

 (ひたい)から血が流れ、背から黒煙があがっている。

 護られたと瞬時に理解するや、ジェラルドが崩れ落ちた。

 地に片膝をつけた彼を見て、咲弥は言葉を失う。


「……思ったほどでは、ありませんでしたね」


 かすかにスイの声が聞こえ、咲弥は我を取り戻した。

 (ほう)けている場合ではない。戦いはまだ続いている。

 咲弥は全身にある痛みを(こら)え、ジェラルドを背後にした。

 今のジェラルドが、戦えるほど動けるとは思えない。


 咲弥は痛みのほか、自分の失態と後悔を()み殺した。

 護られたのならば、今度は護らなければならない。

 咲弥は黒白を大きく構え、スイを牽制(けんせい)する。

 スイが自身の手のひらを見つめ、(ゆる)やかな口調で言った。


「どうやら、まだ……馴染(なじ)んでいないようです」


 落ち着き払った声音からは、余裕がうかがえた。

 異形と化してから、時間はまだそれほど経っていない。

 しかしスイは、咲弥とジェラルドの二人を相手にしても、苦戦を()いる力を手にしている。仮に言葉通りだとすれば、かなり危険だと判断せざるを得ない。


(これ以上強くなったら、手の施しようがなくなる……)


 もう猶予(ゆうよ)はない。必ず次で、勝敗を決める必要がある。

 エーテルを扱えない事実が、再び胸に重くのしかかった。


(くそ……エーテルさえ……エーテルさえ扱えてたら……)


 いくら泣き言をもらしても、何も始まらない。

 咲弥はすぐ冷静に(つと)め、別の策を考え始めた。

 スイが手のひらを泳がせ、咲弥のほうへ目を向けてくる。


「では、お次は――」

「お母様! もうおやめください!」


 不意の展開に、咲弥の思考が一瞬停止した。



    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



 シャーロットは正直なところ、父がとても苦手だった。

 もっと正確に言えば、父だけではない。

 腹違いの兄姉(けいし)達にも、同様の感情を抱いている。


 威風堂々とした姿勢、他者を(すく)ませる眼光――すべてが、自分と正反対だと感じられる。そのため、物心ついた頃からあまり関わらないようにしていた。

 ただ皇子(みこ)としての立場上、許されない場面もある。


 そんなときは、いつも母の(かげ)に隠れていた。

 理解している。母もきっと、つらかったに違いない。


 第三までの皇妃達に、その皇子(みこ)達――さらに貴族達からの陰湿な嫌味や嫌がらせを受け続け、気苦労が()えることなどありえなかったと思われる。

 シャーロットもまた、陰湿ないじめを何度も受けていた。


 地位が低い。それも確かに、理由の一つではあった。

 しかし、単純にやり返す勇気がなかったに過ぎない。

 今後を考えれば、仕返しなど考えられなかった。


 自分のせいで、母によりひどい被害がいくかもしれない。

 だからシャーロットも、母と同様に耐え続けていた。

 だが――いつからか、母の様子が少しおかしくなる。


 おそらく、女神ユグドラシールの力が宿る、宿り木を手に入れたからなのだろう。いつも(そば)にいたシャーロットには、母の変化にすぐ気づけた。

 ほかの者達には、察知できなかったと考えられる。

 父でさえも――


「シャーロット」


 不意に太い声音で呼ばれ、シャーロットは少し萎縮(いしゅく)した。

 まず幻聴を疑ったが、どうやら父に呼ばれたらしい。

 父は振り向かないまま、威厳(いげん)に満ちた声を(つむ)いだ。


大事(だいじ)はないか?」


 シャーロットは混乱した。

 父が気にかけてくれている。そんなはずはない。

 疑心(ぎしん)に溢れ、シャーロットは言葉に詰まった。


「どうだ?」

「……はい。問題は、ございません」


 (のど)の奥から絞り出した声は、ひどく震えていた。

 父に気にした様子は見られない。


「そうか」

 そう短い言葉を挟み、父は次いで疑問を口にした。

()()()()()()に、お前は気づいておったのか?」


 シャーロットの心臓が、少し飛び跳ねる。

 戸惑い、悩み、冷や汗をかいた。


「……薄々とでは、ありますが……感じて、おりました」

「そうか」


 シャーロットは自分の言葉に、自信が持てない。

 なぜ問いかけたのか、なぜそれ以上喋らないのか――

 父が何を考えているのか、さっぱりとわからなかった。


 息苦しい空気に、シャーロットは少し吐き気を覚える。

 そんなとき、父の鋭い眼光が向けられた。

 シャーロットの目は泳ぎ、頭の中が真っ白になる。


 父の大きな手が、シャーロットのほうへ伸びてきた。

 シャーロットは恐怖に(おび)え、そのままじっと硬直する。

 シャーロットは再び、混乱を余儀(よぎ)なくされた。

 なぜか父の大きな手が、頭の上で優しげに乗っている。


()は父――いや、夫としても失格だな。すまなかった」


 シャーロットは、なかば茫然と父を見上げる。

 父の顔は、哀しそうに微笑んでいた。


「呪いを受け、母が憎くなったか?」


 どう答えればいいのか、正直に言えばわからない。

 シャーロットは視線を()せた。


(あの日……)


 記憶しているのは、母の冷たい眼差しだった。

 ただただ、静かな恐怖を覚えた気がする。


 その先からほとんど意識はなかったものの、(とら)われていた場所では、世界の停止に等しい寂しさに胸を苦しめられた。とても冷たく、凍りつくような孤独――

 まるで永遠とすら感じられる苦痛を、今でも思いだせる。


(でも……)


 母を嫌いになど、なれるはずもない。

 そうなるだけの理由があったと、知っているからだ。

 もっとも(とが)められるべきは、きっと自分のほうにある。

 つらいと――母も苦しいのだと、そうわかっていた。


(それなのに……私は……)


 母が(そば)にいたときは、ずっと母の(かげ)に隠れ続けていた。

 言い換えれば、母を盾としていたに過ぎない。

 そんな母を、()め立てられるはずもなかった。


 シャーロットは唇を結び、自分の不甲斐なさに(なげ)く。

 すると父が、優しく頭を()でてきた。


「たとえこの先、どんなことがあろうとも……どうか、母を許してやってくれないか。すべては、()の責任なのだ」


 シャーロットははっとなり、父を再び見据えた。


「余はいくつもの選択を間違えた。そのせいで、お前達には手酷い苦労をかけた――だから余のことは憎んでも構わん。その代わり、母の味方でいてやってくれ」


 父はそっと手を退(しりぞ)け、また前のほうを向き直った。

 シャーロットは頭の中が、疑問で溢れかえる。

 父は、こんな人だったのだろうか――


 玉座で威厳(いげん)を放ち、重い声音で相手の身を(すく)ませる。

 対面すれば必ず、鋭い眼光で相手を威嚇(いかく)するのだ。

 それが、シャーロットが父に抱いていた認識だった。


(違う。そう……もしかしたら、それは……)


 何かを(つか)みかけた瞬間、ひどい爆発音が鳴り響いた。

 シャーロットは身を縮め、激しい爆風に耐え忍ぶ。

 全身に熱を浴びはしたが、火傷は一つも負っていない。


 父がさりげなく壁となり、護ってくれたからだ。

 振り向かない父を眺め、シャーロットはやっと気づく。


(お父様じゃない……きっと、私のほうが……)

「シャーロット――もう一つ伝えておく。お前は余やスイがもっとも愛する、心から自慢できる娘だ。それはたとえ……何があろうと、決して変わることなどない」


 父はそう言ってから、口を堅く閉ざした。

 シャーロットは不意に、何か嫌な寒気を覚える。

 父はなんらかの覚悟を身に宿している――

 そんな漠然とした予感が、胸に不安を募らせていく。


 父はただまっすぐ、母のほうを哀しそうに眺めている。

 シャーロットも目を向けると、立ちのぼる黒煙が見えた。


 少しずつ風に流され、視界がどんどん良好になっていく。そこには、静寂の世界から救ってくれた男を護るようにして(かば)う、ジェラルドの姿があった。

 異形となり果てた母は、どこか薄く笑みを浮かべている。


(――っ!)


 シャーロットは奥歯を()み締めた。

 母が壊れた責任は、父だけではない。

 シャーロットにも同等か、それ以上の責任がある。 


 複雑な心境が、小さな胸の中で荒れ狂う。

 シャーロットは我知らず、その足を前へと進めていた。

 何かできるわけではない。戦力になどなるはずもない。

 それでも――


「お母様! もうおやめください!」


 シャーロットは男の前に立ち、両手を大きく広げた。

 もうこれ以上、母が苦しむ姿など見たくない。

 シャーロットは想いを胸に乗せ――

 異形と化した母スイを、じっと見据え続けた。




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