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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第四章 無数にある分岐点(下)
191/222

第十九話 最初で最後




 咲弥は成功を強く祈り、息を()らして見守った。

 時間にすれば、きっとほんの一秒にも満たない。

 そんな短い時のなか、焦燥感らしき気配が背後のほうから伝わってくる。


 理由は想像に難くない。しっかりと理解できた。

 赤キ神ノ執行は、皇女(こうじょ)救出の作戦に組み込まれていない。それどころか、ジェラルドとラクサーヌはこの力に関して、存在すらも知らないのだ。

 神殺しの獣が、神々から奪い取った力の一つ――


 精霊と同様、軽々しく口に出してよい能力ではない。

 つまりこれは、咲弥の独断専行であった。


(すみません。それでも……試させてください)


 咲弥は心の中で謝罪して、樹木化しているシャーロットの肩先を凝視し続ける。

 桎梏(しっこく)は本来、対象者の能力を完璧に封じる力だ。紋章術、魔法、呪術――どの力であれ、必ずなにかしらの源があって初めて発動する。


 それは神が扱う力とて、例外ではないはずだった。

 もちろんシャーロットの全能力を封じたところで、受けた呪いにまで影響が及ぶはずもない。むしろ、呪いそのものは対象外となり、シャーロットの状態が、今よりもひどくなる可能性のほうが高いと考えられた。


 そこまで理解していながらも、実行したのには訳がある。

 限界突破という力を与えられていなければ、おそらくその発想にまでは(いた)らなかった。自身のみならず、万物すべての限界をも超越できる天使からの贈り物――

 無論、ただの思いつきでしかないのは(いな)めない。


 成功するかどうか、実際に試さなければわからないのだ。

 咲弥は奥歯を()み締め、さらに成功を強く祈る。


桎梏(しっこく)の対象は、()()()()()()――頼む!)


 人の形をした赤き光達が、赤槍をシャーロットや(かせ)となる部分へと突き刺した。

 ほんの一瞬、時が停止したかのような感覚を覚える。


 実際、神域にあるすべてがわずかに沈黙したのだ。

 その直後、徐々に大きくなる地鳴りとともに、ぐらぐらと足場が震え始め、まるで悲鳴のごとく、自然界に属した物がざわついていく。中にはどこか、怨嗟(えんさ)の声らしき気味の悪いものも混ざっていた。


 咲弥ははっと息を呑む。目を大きく見開いた。

 シャーロットを拘束する(かせ)に、ひび割れが生じていく。

 咲弥は解放した黒手を、頭上よりも高く持ち上げる。


「いける!」


 意気込んだ声を発したものの、安堵(あんど)までにはまだ遠い。

 あたりまえの不安が、ほかにもいろいろ残っているのだ。

 一番の懸念は、呪いが消滅状態へと至れるかどうか――


 桎梏(しっこく)は対象の全能力を完全に封じるが、生命活動にまでは影響を及ぼさない。そのため、一定時間経てば効力は切れ、もとの状態へと戻ってしまう。もし永続的にシャーロットへ呪いの効果が与えられていた場合、意味がないこととなる。

 そうは思っても、もういまさら後には引けない。


 咲弥は冷静に(つと)め、(あわ)てずタイミングを見計らった。

 シャーロットの体を、傷つけるわけにはいかない。大樹に()まっている両手足の先を、透視するように予想しながら、咲弥は一呼吸の間に(かせ)を切り裂いた。

 引っかいた大樹の一部が、ばらばらと崩れ落ちていく。


「シャーロット様!」


 枷から解き放たれ、シャーロットがぐらりと倒れてきた。

 咲弥はとっさに、胸の中へとシャーロットを抱き寄せる。

 とてもか弱い感触が、腕や胸のほうから伝わってくる。


「ん……うぅ……あ、あなたは……あのときの……?」


 意識が戻ったのか、シャーロットは(はかな)げな声を(つむ)いだ。

 返答する前に、まずは確認しなければならない。

 咲弥は樹木化していた箇所に、視線を(すべ)り込ませた。

 それはどこか、汚れが流れ落ちていく光景にも近い。


 人らしい性質に、四肢の付け根から先へと戻っていく。

 咲弥は成功したと確信した。呪いの根源は赤い葉をつけた大樹であり、そこから精神体を引き離しさえすれば、桎梏(しっこく)の効果が切れても呪いは再発しない。


「やった! これなら、後遺症も残らない!」

「私……いったい……」


 シャーロットの(つぶ)きから、咲弥ははっと我に返った。

 今は喜びに浸っている暇などない。かろうじて意識は取り戻せたみたいだが、自力で動ける状態になるのは、まだまだ時間がかかると思われる。

 咲弥は悩む余地なく、シャーロットをお姫様抱っこした。


「きゃ……」


 シャーロットが、か細い驚きの声を漏らした。

 すぐ(そば)にある少女の顔に、咲弥は視線を()える。


 少し気が弱そうな印象こそあるものの、やはり皇族(こうぞく)なのは間違いない。その整った顔立ちからは、気品めいた雰囲気が強烈に放たれていた。今は恥じらいが先立っているらしく、ちょっと気まずいといった様子へと変化している。

 一緒に照れている場合ではない。咲弥は口早に告げた。


「ご無礼をお許しください! すぐ離脱に入ります」

「咲弥! よくわからんが、よくやった!」

「シャーロット様! ご無事ですか!」


 ラクサーヌに賞賛されたあと、ジェラルドから安否確認の声が飛んできた。

 咲弥の肩越しに、シャーロットが背後を覗き込んだ。


「……ジェラルド、おじ様……?」


 咲弥が後ろを向くや、ジェラルドが簡易的な敬礼をした。


勇敢(ゆうかん)な者達と共に、救出に参りました」

「ばか! 話は後にしやがれ! 咲弥、早く離脱だ!」


 ラクサーヌがジェラルドの腕を左手で(つか)み、咲弥のほうへ伸ばしてきた。

 神獣からの攻撃がやんでいる。絶好の機は(のが)せない。

 咲弥は全員に触れられている状態で――ぞっと怖気立(おぞけだ)つ。


「おい、どうした!」


 ラクサーヌが焦燥感の宿った声音を放った。

 咲弥は血の気が引く。ようやく、理解に達する。

 訪れたときから、漠然と感じていた妙な違和感――


「……精神世界の解除が……でき、ない……?」


 なんとか絞り出せた咲弥の言葉に、場が凍りついた。

 ジェラルド達の顔が、一気に青ざめていく。

 走馬灯のごとく、いくつかの理由が咲弥の脳裏(のうり)をよぎる。


(にえ)を解す、罪深き闖入者(ちんにゅうしゃ)――》

《二度、(のが)しはせぬ。愚かなる闖入者》

《我々が天罰を下そう》

《下等なる闖入者よ》

《苦痛の死をもって償え》


 恐怖を覚えながらも、咲弥の思考は正常に働いていた。

 ここは、神域――神獣の力による影響なのは間違いない。


 対処方法などまったく思い浮かびはしないが、なんらかの手段で封じられているのであれば、おそらくそれを打破する筋道は必ずあるはずであった。

 神に仕える獣といえども、理不尽ではない。

 シャーロットを救出した事実からも、それは明白だった。


(そうだとすれば……いったいなんだ? わからない。この神域自体に細工されてるのか? それとも、閉じ込める力を持つ神獣がいる?)


 答えの出ない憶測ばかりが、脳裏を無駄に飛び交った。

 一つ確かなのは――


「離れるぞ!」


 ラクサーヌがいち早く指示を飛ばしてきた。

 現状、取れる方法はそれしかない。


「くっ……!」


 咲弥はシャーロットを両腕に抱えたまま、ジェラルド達と一緒に走りだした。

 理解不能な事態だが、(なげ)いたままではいられない。

 咲弥は撤退しつつ、必死に思考を巡らせる。


(なんだ! いったい何が原因なんだ!)


 そもそも、原理自体をほとんど把握していない。

 本来、解除を強く望めば、精神世界からの離脱ができる。また黒白が強制的な遮断をした場合も同様、気がつけば現実世界のほうへと意識が戻っているのだ。

 つまり帰還する境目に、何か異常があるに違いない。


(どんな異常……ドアに鍵をかける、みたいな……?)


 また無駄に思考が巡り巡っていく。

 まさか離脱を封殺されるなど、想定外の事態であった。

 (あせ)りと不安に胸が押し潰され、錯乱(さくらん)しつつある。


(くそっ! くそっ! あとちょっとなのに!)


 咲弥の悲痛な思いを嘲笑(あざわら)うかのように、神獣の一体――

 蛇龍(だりゅう)ウルズヘッグが、水中から水面に飛び出してきた。

 ウルズヘッグが口を大きく開き、素早く攻撃態勢に入る。

 黒い紋様を宙に描き、ラクサーヌが大声で叫んだ。


「闇黒の紋章第八節、染める黒影」


 小さな人型――目の白い部分以外、黒一色の物体が無数に湧き出てきた。

 ほぼ同時に、ウルズヘッグの口から蒼い光線が放たれる。すると黒い人型が空中をひらひらと舞い、まるで蒼い光線を引き寄せるかのようにして吸い込んだ。


 一定の量を吸い込むや、黒い人型は破裂して消え去る。

 防御系統に属する紋章術に違いない。

 そう認識するや、今度はジェラルドの詠唱が飛んだ。


「烈火の紋章第一節、灼熱の流星」


 赤い流れ星のごとき一閃が、死角から迫ってきていた謎の衝撃波と追突する。(すさ)まじい爆炎を巻き起こして、衝撃波の進行をぎりぎり阻止できた様子であった。

 咲弥はごくりと息を呑み、全身の肌が粟立(あわだ)つ。


(あ、危なかった……)


 不意の衝撃波を、まったく察知できていなかった。

 ジェラルドが対処していなければ、確実にやられている。

 撤退を再開しながら、咲弥は自分の行動を(たしな)めた。


(シャーロット様を全力で護る。もっと警戒しろ)


 つまりそれは、自分もまた護られる側にいることになる。

 本音を言えば、護られるだけではなく、戦力の一つとして参戦したい気持ちはあった。とはいえ、シャーロットを腕に抱えたままではさすがに難しい。

 ラクサーヌ達を頼もしく思う反面、申し訳なくも感じる。


 それでも、咲弥は自分の任務に専念することにした。

 全体を警戒しつつ、神獣達の猛攻撃を()(くぐ)っていく。

 歩ける泉から脱したあと、進んできた道を戻っていった。

 しかし、一秒経つごとに状況が悪化している。

 神獣達の攻撃が、一向にやまないのだ。


(くそっ! まだ解除できる気配もないのに……!)


 苛立(いらだ)ちが胸を()き立て、ひどく息苦しい。

 咲弥はふと、不吉な光を視界の端で(とら)える。


 どこかレーザーに近い、赤く禍々(まがまが)しい光を発していた。

 咲弥は瞬時に、赤い閃光の意図を汲み取る。防衛に(てっ)するジェラルド達の死角を突き、見事な連携を瓦解させるための一撃なのだろう。


(なんだ……いったい、どこから……)


 咲弥は困惑するも、自然と体が動いた。

 幸い、シャーロットが咲弥の首に手を回してくれている。だからほんの一瞬であれば、左腕を自由に扱えそうだった。刹那(せつな)の思考を経て、白爪で赤い一閃を裂く。

 その瞬間、すべてを理解する。


 もし咲弥がやらなければ、確実に誰かがやられていた。

 そうなるように、神獣側が連携していたに違いない。

 猛攻撃の中に(ひそ)まされた、とても小さな罠――


「咲弥殿ぉおおお! シャーロット様ぁあああ!」


 それはまるで、全開の限界突破にも等しい光景だった。

 ジェラルドが捨て身の覚悟で、大きな手を伸ばしている。

 彼の渋い大人の顔が、絶望まじりに引きつっていた。


 咲弥の視線は、ゆるりと別の方角へと向く。

 誰もが対処できない衝撃波が、爆速で迫りつつある。

 姿勢がとても悪い。白爪では間に合わないだろう。


 ジェラルドの対処は待てない。

 思い浮かぶ手段は、たった一つしかなかった。


(僕がシャーロット様を投げれば、僕だけがやられる……)


 その後、どうなるのかはまったくわからない。

 自分がやられた場合、どう神域を抜け出すのか――咲弥が死ねば強制的に解除されるのかもしれないし、反対にずっと残らされ続ける可能性もある。

 どうしようもない。取れる手段など、もう限られている。


(くそっ……僕は……)


 咲弥は右腕に力を込め、シャーロットを――

 不意に左腰の辺りから、強烈な衝撃が発したのを感じた。


 咲弥の視線が、するっと滑り込む。

 ラクサーヌの呆れた表情が見えた。


「まったく……困った()()だ……最初で最後の、さ」


 そう言い、ラクサーヌは不敵に笑った。

 咲弥の目もとが、大きく(ゆが)む。

 吹き飛ばされながら、白手をラクサーヌへと向ける。


「ラク……」


 ラクサーヌは黒い紋様を描いた。

 その直後、彼の体は肩から腹部にかけて斜めに裂かれる。

 ラクサーヌは(うつ)ろな眼差しで、静かな声を発した。


「闇の精霊、シーカー。俺の魂、全部、もってけ」

「うわぁああああああああ! ラクサーヌさん!」


 咲弥の叫びとともに、黒い紋様が弾け飛んだ。

 周囲が瞬時に、黒く染められていく。


 まるで世界が停止した空間に、青白い炎が生まれる。

 虚空からぬるりと抜け落ち、闇の精霊シーカーが現れた。くたびれた黒いフードを目深(まぶか)にかぶった骸骨(がいこつ)の姿は、まさに死に神を強く連想させる。

 闇の精霊シーカーは、目の部分に不穏な光を宿して(つぶや)く。


「最初で最後の召喚、か……」


 シーカーの言葉が終わった矢先――衝撃波に裂かれ、(ひたい)を赤い一閃に貫かれた。

 見間違うはずはない。だが、シーカーは平然としていた。

 気づけば、さきほどの攻撃がなかったことになっている。


「痛い痛い……()()()だ」


 空間が揺れ、闇が一層濃くなる。

 すると唐突(とうとつ)に、神鹿(しんろく)ヨトヴァリンの一体が地に伏した。

 また別の方角から、何か重い物音も響き渡ってくる。


 なかば無意識に、咲弥は音がした場所へと目を向けた。

 そこには、栗鼠(りす)彷彿(ほうふつ)とさせる物体が転がっている。

 伝承に記されていた一体、栗鼠ヴァルトスクに違いない。


「さらばだ。我が主」


 ふわりと景色が戻り、闇の精霊シーカーも消え去った。

 わずか数秒の出来事――

 ラクサーヌの状態が、咲弥に錯乱(さくらん)をもたらしつつある。

 受け止められない現実の中、頭の片隅で状況を把握した。


 闇の精霊シーカーは、攻撃をしてきた対象に死をもたらす力に違いない。衝撃波を放ってきたヨトヴァリン、まったく姿を現さず赤い閃光を放ってきたヴァルトスク――きっと、排除しようとしたのが、裏目に出たのだと思われる。

 咲弥は漠然と、空白の領域にいた木霊(こだま)の姿が頭に浮かぶ。


 これらの分析は、心を静めるためなのかもしれない。

 あるいは、認めたくない現実から目をそらすためだ。

 だが、その事実は容赦なく咲弥に襲いかかってくる。


「う、うわぁあああ! ラクサーヌさぁあああん!」


 いくら叫ぼうとも、返答はない。

 ラクサーヌの胴は斜めに裂かれ、ずっと地に伏している。

 間違いなく、死んでいた。手を施すすべなどない。

 そう理解していながらも、認めたくはなかった。


 駆け寄ろうとして、しかし体は動かない。

 足にまったく力が入らなかった。感覚が麻痺(まひ)している。


 思考力すら失いつつある咲弥は、ふと(ほの)かな熱を感じた。

 視線の先には、空色の髪をした少女がいる。

 つらそうな顔をしているが、幸いどこにも怪我はない。


(護って……)


 ラクサーヌに、自らの命を犠牲にして助けられた。

 咲弥がシャーロットにするつもりだったことを、代わりにラクサーヌがやったのだ。その事実を呑み込むなり、咲弥はほんの少しばかり意識が正常に戻る。

 同時に、もう一つのある事実が判明した。


(妙な違和感が……消えてる)


 十中八九、闇の精霊が倒した神獣が原因に違いない。

 もしかしたら、今ならば――


「咲弥殿! シャーロット様!」


 ジェラルドが地に膝をつけ、咲弥達の前で背を向けた。

 神獣からの攻撃を、危惧(きぐ)している。

 ジェラルドは警戒したまま、咲弥に問いかけてきた。


「どちらもご無事ですかっ?」


 張られた声に、咲弥は何も応えられない。

 ラクサーヌの死が、咲弥から声を奪っていた。

 胸の中が気持ち悪い。ぐちゃぐちゃになっている。


《罪深き闖入者(ちんにゅうしゃ)

《許されざる闖入者》

《万死に(あたい)する》


 脳に直接、神獣達の声が響いた。

 また再び、神獣達の攻撃が始まる。

 地を裂く衝撃波に加え、暴風も迫っていた。

 空からは、ナイフみたいな水も落ちてきている。


「ぐっ……なんとしても、お守りいたします!」


 ジェラルドの声に、咲弥ははっと我に返る。

 ふと、師の言葉が脳裏(のうり)をよぎった。


『今は心を殺せ――悔恨(かいこん)懺悔(ざんげ)も何もかも、生き残れた奴の特権じゃ。まずは生き残ることだけを考えろ。ばか弟子!』

 そして、もう一つ――

『ずっとそのままなら、もっと多くを失うぞ』


 咲弥は奥歯を()み締め、ジェラルドを見上げた。


「ジェラルドさん! 手を!」


 咲弥は白手を突き出した。

 ジェラルドは一瞬の困惑を見せたが、すぐ白手を(つか)む。

 神獣達の攻撃が当たる寸前――


 間一髪(かんいっぱつ)のところで、視界が現実世界へと戻ってくる。

 咲弥は崩れ落ち、四つん這いの姿勢で激しく呼吸した。

 息を整えてから、恐る恐るラクサーヌに目を向ける。


「ラク、サーヌ……さん……」


 黒かった髪や瞳が灰色へと変わり、まるで老年を思わせる容姿に変化していた。ラクサーヌは(ほう)けた顔で空を見上げ、開いた口から唾液(だえき)が漏れ出ている。

 一瞥(いちべつ)程度でもわかる。彼から魂が完全に消えていた。


「くそっ……くそっ……すみません。ラクサーヌさん……」


 (せき)を切ったかのように、胸の中で感情が爆発した。

 涙がぼろぼろとこぼれ、次第に息が引きつり始める。

 つらい現実は、やはり受け止めきれそうになかった。

 どうするのが正解だったのか、今はもうわからない。


「くっ……ラクサーヌ殿……」


 低い(つぶや)きが聞こえたあと、力強い物音が響く。

 つかの間の静寂を経て、重い足音が咲弥の耳に届いた。

 実際に見ていなくてもわかる。

 ジェラルドがラクサーヌに帝国式の敬礼を送り、どこかへ向かって離れたのだ。


「シャーロット様――シャーロット様――!」


 ジェラルドの言葉から、居場所が知れた。


「う、うぅう……ジェラルド……おじ様……?」

「おお、シャーロット様……異変は、ございませんか?」

「私……私は……いったい……はっ!」

「い、如何(いかが)なされました……? スイ様もあなた様を……」

「お、お母様!」


 何かをひっくり返したような、荒々(あらあら)しい物音が鳴った。

 咲弥は心を必死に抑え込み、顔を持ち上げる。


 ジェラルドの背後にいるシャーロットが、(けわ)しい眼差しで母親のほうを(にら)んでいた。その姿勢はどこか、ひどく(おび)えた様子にもうかがえる。

 咲弥は怪訝(けげん)に思い、首を極わずかに(ひね)った。


(……なん、だ……?)


 スイは来る日もずっと、シャーロットに寄り添っていた。

 それこそ、やつれるくらいシャーロットを案じている。

 そんな母親に対して向ける眼差しではない。

 静まりかえる場で、スイがそっとため息をついた。


「よもや、本当に()()()()を消滅させてしまうとは……」


 スイの発言に、咲弥は頭の中が真っ白になった。




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