第十八話 奴隷の実態
石造りの大きな建物の前には、殺風景な広場がある。
清掃はされているものの、老朽化した部分も多い。そこに拘束具をはめた、数えきれないほどの人達がいた。
全員奴隷らしく、綺麗な列を作っている。咲弥もその内の一人として並び、少しずつ建物の中へと流れ込んでいった。
建物の中に入ると、人によっては道が分岐する。
ある者は右の通路を、またある者は左の通路を進んだ。
「えぇっと……お前は、左」
「あ、はい」
眠たそうな男から指示を受け、咲弥は左の通路を歩いた。
数歩進んだ先で、貴金属の首輪をはめられる。
何も説明されなかったが、嫌な想像しか思い浮かばない。
(爆発とかするんじゃ……)
咲弥はぶるりと身を震わせ、通路の奥へと向かう。
しばらく歩くと、壁に背をもたれたロイを発見する。
素早く駆け寄り、不安要素の一つを問いかけた。
「ロイさん。僕の荷物のほうは、大丈夫でしたか?」
「ここじゃ、まずい。こっちに来い」
ロイは忍び声で言い、手招きをする。
すぐ傍にあった物置部屋へと、咲弥は招かれた。
「ここなら、いいだろう」
「絶対、なくさないでください。僕には大事な物ですから」
「わかってるって……大丈夫だ。安心してくれ」
まったく安心はできない。
そのうえ、不安要素はまだまだある。
「この首輪……なんなんですか?」
「絶対に外そうとするなよ? 首と胴体が離れるからな?」
悪い予感ほどよく当たる。
危険物を首に抱え、妙なむず痒さを覚えた。
咲弥はため息をつき、気持ちを入れ替える。
「それにしても、人の数がだいぶ多いですね」
「今回は大規模に、あちこちから集められたからな。まあ、それだけどうしようもねえ奴が、多いってことでもあるが」
「奴隷だなんて……ちょっと、ひど過ぎます」
ロイは悩ましげな表情で、虚空を見上げた。
「咲弥君は……奴隷制度のない国から来たんだな」
「……はい」
「俺もクソだとは思うが……悪いことばかりじゃないさ」
「どういう意味ですか?」
「ここに集められた奴らの大半は、働くこともしないクズな連中だ。ただ売られただけの奴もいるが、大なり小なり罪を犯した奴や、莫大な借金を抱えたって奴もかなり多い。奴隷制度のない咲弥君のところは、どうだったんだ?」
そんな者はいなかったとは言えない。
適切な返答が浮かばず、咲弥は押し黙った。
「なっ? そんな奴に強制とはいえ、労働させる代わりに、最低限の食事と寝床を与えてやってるわけだ……もちろん、一定の監視と秩序のもとでな」
それでも奴隷制度には、納得したくなかった。
ただ廃止を求めるだけの力を、咲弥は持っていない。
「正直……制度うんぬんの話は、俺にもよくわからねぇよ。俺はただ、雇い主の命令に従うだけの人材だしな。その点に関しちゃあ、俺も奴隷と変わらねぇさ」
「この国では……それが認められているんですか?」
「あんま下手な扱いをすりゃ、罰が下るかもしれねぇが……ある程度は黙認――ってのが現実だ。犯罪者関連の奴隷が、どこからくるのか考えりゃわかるだろ?」
国家と繋がりがあると呑み込み、咲弥は驚愕する。
それならば、現時点ではどうしようもない。
心苦しさを覚えるが、今はまず自分の身を案じる。
「それで、僕はこれからどうなるんですか?」
「奴隷区域に連れて行かれる。区域つっても、自由に動けるわけじゃないが……」
どんな場所なのか、まるでわからない。
想像すらも浮かばず、不安だけが咲弥の胸を埋めた。
しかしこれもまた、世界を知るための機会だとは思える。
今はぐっと堪え、なりゆきに身を任せるしかない。
「できる限り、咲弥君に会いに来る。もし何かあれば、そのときにでも話してくれ……ただ、俺も自由に動ける身分じゃねぇから、そこは理解してくれ」
「わかりました」
「じゃあ、そろそろ行くか。あんま遅いと怪しまれる」
「はい」
ロイは部屋の出入口まで進み、そして立ち止まった。
栗毛に指を通し、ロイは頭を雑にかきむしる。
「あ、そうだ……その、ありがとうな。ほんと助かったぜ」
「いえ……」
「それじゃあ……頼んだ」
ロイが部屋から出たあと、咲弥も部屋を出た。
とりあえず、さきほどまで向かっていた方向へと進む。
先にあった大広間には、すでに奴隷達が列を作っていた。
「お前で最後か。これで全員、揃ったな」
黒革の服を着た、金髪の女が勇ましげな声で言った。
女は短鞭を持ち、自身の手のひらをゆっくり叩いている。
その背後には、似た服を着た二人の女が控えていた。
咲弥が列の最後尾に並ぶや、短鞭を持った女の声が響く。
「私は奴隷紋章者を任されている、アグニスだ」
(……左右に分けていたのは、紋章者かどうかだったのか)
「これからお前達には、自身がどうあるべきなのか、また、何をすべきなのかを、きっちりと頭に叩き込んでもらう」
アグニスは別に、声を張っているわけではない。
それなのに、かなり耳に通る声質をしていた。
「お前達は紋章者。常人より遥かに有能な存在だ。つまり、まっとうに仕事ができる物だと認識している。主な仕事は、雑用から魔物の駆除となる。肉体労働など、紋章術も扱えぬゴミに任せておけばいい。その点では、お前達は有利だ」
淡々と進む説明を聞きながら、咲弥は周囲を観察する。
馬車に同席していた者達は、憔悴した表情ばかりだった。
ここも陰鬱な空気は漂うが、顔色がいい者が多い。
その中で一人――咲弥は自然と視線を奪われた。
腰まである長い銀髪に、紅い瞳を持った可憐な少女だ。
神々しいほど美しい容姿だけを見れば、とても奴隷だとは思えない。しかし彼女の着ている服は、飾りけのない灰色のワンピースだけであった。
それでも、溢れんばかりの魅力を放っている。肌は穢れを知らないほど白く、どこか神秘的な空気感を醸していた。
「これだけは、伝えておこうか。いくら紋章者といえども、使えないゴミは、ただのゴミだ。それをゆめゆめ忘れるな。では……お前達の生活区域へ案内しよう。常に迅速な行動が取れるよう、しっかり脳に刻み込め」
アグニスを先頭に、奴隷達は黙々と歩かされる。
建物の内側は、まるで迷路みたいに入り組んでいた。
右へ左へと通路を進み、長い螺旋階段を降りる。
三十分ほど歩かされ、豪勢な鉄の門の前までやってきた。
「ここが君らの生活の場所であり、仕事場でもある場所だ」
アグニスの御付きらしい二人の女が、鉄扉に向かい合う。
貴金属がこすれる音を立て、鉄扉は少しずつ開かれた。
(なん、だ……これは?)
信じられない光景が、咲弥の視界いっぱいに広がった。
荒廃した都市といった言葉が、咲弥の脳裏をよぎる。
すでに多くの人が、地下の都市で働かされていた。
「驚いたか? ここは、古代地底人――ドワーフの跡地だ。お前達の仕事は、ここを人が住める楽園に作り替えること」
咲弥はドワーフと聞き、小太りした小人が思い浮かんだ。
「一つ伝えておこう。お前達の働き次第では、たとえ奴隷であろうとも恩恵はある。私も元は、お前達と同じ奴隷だ」
アグニスの言葉に、周囲がどよめいた。
「お前達の中には――犯され、虐げられ、暴力を振るわれ、苦渋に耐え、涙を飲んだ奴もいるだろう。ここでは違うぞ。認められれば上に行ける。評価を得られれば奴隷ではなく、人としてのまっとうな権利すらも与えられるのだ」
「本当ですか?」
「頑張れば……人としての……?」
信じられないといった声に、希望めいた響きがあった。
さきほどまでの、陰鬱とした雰囲気が消えている。
「どうなるのかは、お前達次第だ。では、進むぞ」
アグニスは颯爽と振り返り、大きく闊歩した。
奴隷達の居住区――風呂場、寝室と便所へ案内される。
果たして言葉通りの場所か、咲弥はふと疑問に感じた。
風呂と呼ばれていたが、浴槽などはない。シャワーの中をただ進み、さっと汚れを落とすだけで終わる場所のようだ。
寝室は石の地面の上に、人数分の布が一枚敷かれていた。
それ以外は特に何もない。とても質素な造りをしている。
その寝室から、壁を一枚隔てた場所にある狭苦しい便所に至っては、衛生面度外視の汲み取り式しかないらしい。
便所専門の奴隷が、糞尿を処理するのだと聞かされた。
あまりに劣悪な環境だとしか、咲弥は感想を抱けない。
これらから察するに、食事も期待はできそうになかった。
ネイやゼイドと食べた料理が、とても恋しくなってくる。
「次は、お前達の仕事場へ案内する。ついてこい」
居住区から結構な距離を歩かされ、仕事場へと向かう。
肉体労働は、紋章術が扱えない者の仕事だと言っていた。咲弥の目に映る人々は、おそらく紋章者ではないだろう。
大きな石や資材などを、どこかへ運ぶ者達や、岩を削って加工する者達と、肉体労働にもいろいろな種類がある。
そこからさらに進んだ先で、待機している者達がいた。
待機していた一人ひとりに、咲弥と一緒にやってきた者が数人ずつ振り分けられる。どうやら班を作っているらしい。
気がつけば、咲弥は銀髪の少女と取り残されていた。
近くで見れば見るほど、本当に綺麗な顔立ちをしている。だが感情の起伏というものが、何一つとして感じられない。
それこそ、人形と錯覚しそうになるくらい無表情なのだ。
年頃は自分と、あまり変わらなさそうに見える。
ただネイの経緯から、自分の感覚はあてにならない。
「こいつらは、お前に任せるぞ」
「は、はい! アグニス様」
三十代後半か、少し冴えない男が自身の手を揉み込んだ。
アグニスの機嫌を、腰を低くしてうかがっている。
「こいつは班長のコルスだ。しっかり仕事を教えてもらえ」
「はい」
横柄なアグニスを見据え、咲弥は返事をした。
隣にいる少女は、無言を貫いている。
しかしアグニスもコルスも、さして気にした様子はない。
「では、君達……こっちへついてきて」
コルスに導かれ、咲弥達は歩いた。
「僕らの班は……まあ、大変だけど、そんなきつくないよ」
コルスは歯切れの悪い言葉を並べた。
何が言いたいのか、どんな仕事なのか、よくわからない。
(それにしても……)
周囲で働く肉体労働者達の雰囲気は、とてつもなく重い。
誰もが精根尽き果てた表情をしていた。
茫然となる思考の中で、コルスの声が聞こえた。
「ええっと……君達、属性はなんだい?」
「え? あ、えっと……水です」
下手に属性がわからないと言えば、面倒になる気がした。
実際は不明だが、とりあえずそういうことにしておく。
「そ、そっか……そっちの娘は?」
黙々と歩く少女は、何も言葉を発さない。
しばらく待っていたコルスが、苦笑いをした。
「はは……困ったな。まあ、いっか。そのうちわかるかな」
「コルスさんは、もうここに来て長いんですか?」
「そ、そうだね。もう五年になるかな」
「五年っ?」
咲弥は驚きのあまり、つい声が裏返りかけた。
コルスは困ったような笑みを見せる。
「ははは……まあ、そうだね」
「あ……す、すみません……」
「いやいや、大丈夫……ははは……」
「……班のメンバーは、ほかにもいるんですか?」
気まずい雰囲気を感じ取り、咲弥はすぐに話を変えた。
コルスは首を横に振る。
「あ、いや……もう今は君達だけさ」
「そうなんですか……」
「班ではなく組でなら、結構な人数がいるけどね」
数日のうちに、咲弥は奴隷から解放されるかもしれない。
それまでの間は、迷惑をかけるわけにもいかなかった。
少しずつでも、内情を掴んでいくしかない。
不意に――力なく倒れる男の姿が、咲弥の視界に入った。
「だ、大丈夫ですか!」
咲弥は即座に、倒れた男へと駆け寄った。
顔に生気がなく、目も虚ろとなっている。
呼吸はしているが、ほとんど虫の息に等しい。
周囲を見回すが、誰一人として気にもとめていなかった。
「ああ……こりゃあ、もうだめだね」
「コルスさん。医者……医務室はないんですか?」
「そんなのないよ。その男はもうだめさ。ほうっておきな」
「な、何を……ほうっておけるわけ、ないじゃないですか」
「とはいってもねぇ……」
「おい。何をやってんだ」
大柄な男が、咲弥達のほうへ寄ってきた。
咲弥は手短に事情を説明する。
「この方が倒れて……助けてくれる人はいないんですか?」
「ん? ああ……だめだな。処理場に運ぶしかねぇか」
「えっ? 処理場?」
「死んだ人はね、そこで処理されるんだよ」
コルスの発言に、咲弥は驚きを隠せない。
「待ってください! この方、まだ生きてるんですよ!」
「でも、どうせじきに死ぬだろ?」
咲弥は耳を疑った。
大男もコルスも、悪さから言っているわけではない。
純粋に、それが当然だといった態度で喋っていた。
「知り合いなのか? 残念だが、こうなっちゃおしまいだ」
「そうじゃないですけど……」
「み、水……」
倒れた男が、か細い声で伝えてくる。
危うく聞き逃しそうになったが、咲弥はふと勘づいた。
「あの、水はありますか?」
「あ、ああ。水ならあるぜ」
大男が、ツボが並んだ小屋へと指を差した。
咲弥は駆け寄り、ツボの中を覗いて見る。
綺麗とは言いがたいが、水がたっぷりと溜められていた。
落ちていた木製のコップで、水を汲み取る。
次に近くにあった布切れに、コップの水をかけた。
濡らした布を、可能な限り激しく振り回す。
こうすれば、布を限界まで冷やすことができるのだ。
理屈や原理はよくわからない。中学生の頃に、真夏の体育授業で友人達と偶然発見した、裏技みたいなものであった。
「すみません。そちらの方を、こちらまで運んでください」
咲弥は拘束具のせいで、運ぶのが難しい。
大男は肩を竦め、倒れた男を担いで運んでくる。
その間に、咲弥はまたコップに水を汲んだ。
「水です。飲んでください」
倒れた男は、かろうじて水をごくりと飲んだ。
次に額と脇と唇の下に、冷やした布をかぶせる。
「すみません。正直、こういった場合での処置をした経験がないので、どうなるかわかりません……でも、このまま何もしないよりはいいです」
横になっている男に向け、咲弥はそう伝えた。
「だめだとは思うんだが……兄ちゃんがそこまでするなら、俺が見といてやるよ」
「本当ですか?」
「つっても俺も仕事あるから、ちょくちょくでいいならな」
「はい。よろしくお願いします」
やり取りの隙を見計らってか、コルスが口を開いた。
「さあ、そろそろ行こう。遅れると、どやされるよ」
「あ、すみません」
咲弥は、歩くコルスを追った。
少し進んでから、咲弥は肩越しに後ろを振り返る。
倒れた男が回復してくれるよう、心の中で祈っておいた。