間話二 夜の風景
満点の星空の下にある、風通りのよいひらけた会場――
紅羽は踊り子達と一緒に、今宵も華麗に舞い踊っていた。
会場には多くの植物が植えられており、一部の壁や床には水が永続的に流れる仕組みが造られている。そして炎を噴く松明台により、視界は夜でも充分に明るい。
ここはさながら、清涼感に溢れた森を表現している。
そんな会場にある石の舞台は、少し奇妙な形をしていた。
観覧席がとても広いため、立つ位置によっては踊り子達が見えづらくなる場所がある。だからなるべく、踊り子の姿が多く見られるように設計された舞台なのだ。
さらに踊り子達は、一か所に留まっているわけではない。
観客全員の目に触れるため、踊りながら移動していく。
煌びやかな光景は、きっと大勢の目を奪えるだろう。
今現在は予行演習のため、観客は裏方の者しかいない。
修繕、改修したところに、不具合がないか確認していた。また会場の隅々に、音楽がしっかり届くのかも試している。現時点では、特に問題はなさそうだった。
舞台の床は滑らかで、踊り子がつまずくことはない。
裏方達の様子からも、良好な雰囲気が伝わってきている。
みんなそれぞれの役割を、きちんと果たしていた。祭典の復活を特に望んでいたシーラに至っては、それこそ誰よりも奮起していたと言える。
亡き母の影を追い求め、彼女が心から夢見ていた祭典――それはこの地に古くから言い伝わる、女神ユグドラシールを讃えるための催しであった。
会場の風景自体が、女神を守護する四聖獣を表している。
植えられた植物は、地を司る神鹿ヨトヴァリン――
炎を噴く松明台は、火を司る栗鼠ヴァルトスク――
水が流れる仕組みは、水を司る蛇龍ウルズヘッグ――
開放感溢れる空間は、風を司る大鷹アースヴェルグ――
これらすべてをもって、女神ユグドラシールとなる。
女神に思い入れなど、当然まったくない。
しかし思いのほか、こうして他国の文化に触れてみるのは悪くない心境だった。
自分は旅のさなかにあるのだと、より強く実感できる。
厳密に言えば、レイストリア王国も紅羽にとっては他国に過ぎない。それなのに、今はもう――レイストリア王国が、本当の故郷ではないのかと錯覚している。
ロヴァニクス帝国が、紅羽の中で薄れつつあるのだ。
(そういえば、咲弥様の国は……)
咲弥も本当の故郷は、レイストリア王国ではない。
いまだ不明ではあるが、彼も出自は別のところにあった。おそらく彼のような優しい人が育つくらい、とても穏やかで長閑な国なのだろう。
いつの日か、彼と一緒に彼の母国を訪れてみたい。
そんな欲が湧いた瞬間――松明台の炎が一斉に消えた。
まだ照明具がいくつか生き残ってはいたものの、会場内は暗闇に近い状態となっている。唐突な現象に驚いたらしく、場はやや騒然としていた。
ほどなくして、再び松明台から炎が立ちのぼる。
「いててっ、おい! 離せって! いててててっ!」
明るくなると同時に、若い男の喚き声が聞こえてきた。
栗毛の男、レクトがゼイドに引っ張られてきている。
紅羽は心の中で、小さなため息をつく。
実はしばしば、彼は子供じみたいたずらをしてきていた。
そのたびに、幼馴染のシーラが叱りつけている。
だがどうやら、あまり効果はないようだ。
「ほらよ。犯人捕まえたぞ」
ゼイドがぽんっと放り投げるようにして、シーラの眼前へレクトを突き出した。
シーラは何も言わない。無言でレクトを見下ろしている。
レクトは戸惑いを見せてから、誇らしげな姿勢をとった。
「ほらほら! こうした事態も、ちゃんと想定しなきゃな。まったく、お前は本当いつも詰めがあめぇな。もしなんかの不具合で暗くなったらまずいぜ」
悪びれた様子はいっさいない。レクトは続けた。
「やれやれ。俺がいなきゃなぁんにもわかんねぇ――」
「レクト! いい加減にして!」
シーラの怒声が響き、しんとした静寂が訪れる。
凄みのある声音に、レクトは目を丸くしていた。
全身をわななかせるシーラの目もとから、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。
それから険しい眼差しで、レクトをきつく睨みつけた。
「なんなの……天樹祭の復活に、私がどれだけ真剣なのか、どうしてわからないのっ? いつもいつも……そんなに私の邪魔をするのが好きなの? おとしめて苦しめて楽しい? ばかにするのが楽しいっ?」
怒鳴り散らしたシーラは、少しのあいだ肩で息をした。
「もう、二度と……私の前に姿を現さないで! もう二度と私に関わらないで! あんたなんか、大っ嫌い! 嫌い! 大嫌い!」
シーラは身を翻したあと、むせび泣き始めた。
傍目には、ただのたわいない嫌がらせに過ぎない。しかし本番でもやられてしまい、その結果として天樹祭が中断する事態は、なんとしても避ける必要がある。
紅羽にとっては、そう認識を改める程度でしかなかった。
だが、シーラは違う。彼女は天樹祭に全力を注いでいた。
出会って間もなくとも、その程度なら容易に理解できる。
だからこそ、より不思議さが際立った。
シーラの願いと想いを、レクトが察せないはずがない。
二人の関係性――とても幼い頃からの付き合いだと聞いた日もまた、レクトは些細ないたずらをして、シーラをひどく困らせていた。
とはいえ、今回みたいに怒り狂ってまではいない。
日常の中にある、ありふれた出来事の一つ――
シーラは不平不満を口にしてはいたものの、別に本心からレクトを嫌っていた様子はなかった。当然、本当のところはシーラにしかわからない。
あくまで同性としての見立てだが、間違いはないだろう。
ただ本番が迫り、シーラも余裕がなくなってきている。
レクトにはそれが、どうにも察せないらしい。
いつもと様子が異なるシーラを見て、レクトはひどく面を食らっていた。唖然とした表情で、ただただシーラのほうをじっと眺めている。
ほどなくしてレクトはうつむき、下唇を噛み締めた。
「……へんっ! なんだいなんだい! だいたいさ、そんな破廉恥な格好なんかしちゃってさ! 似合ってないんだよ、ぶぅす!」
売り言葉に買い言葉か、レクトも声を荒げていた。
「お前がそんな女だとは思わなかったぜ! 言われなくても消えてやらぁ!」
レクトはそう言い捨て、会場の出入口のほうへと走る。
シーラは何も言わない。泣いたまま、会場の奥へ歩いた。
数人の踊り子達が、シーラを慰めながら寄り添っている。
紅羽が現状の把握をしているなか、ゼイドがぼやいた。
「やれやれ。念のため、警備を改めておいたほうがいいな」
ゼイドは裏方達を集め、会場の中心へと向かっていく。
シーラの件は、踊り子達に任せると判断したようだ。
ぼんやりとゼイドのほうを眺めていると、メイアとネイが紅羽の傍まで来た。
「……素直じゃないというのも、考えものだな」
「ある意味――あいつの同類ね。あれ」
ネイの発言から、紅羽の脳裏に黒髪の少年が浮かんだ。
紅羽は首を横に振る。
「咲弥様は、あのようないたずらなどしません」
ネイが呆れがちに微笑み、ちょこんと肩を竦めた。
「連想するってことは、あんたも薄々わかってんのね」
紅羽は閉口した。返す言葉もない。
メイアが腕を組み、ふっと鼻で笑った。
「まあ、気になった女が、異性の注目を浴びるような衣裳を着ているのが嫌なんだろう。それか、どんどん変わっていくシーラに、嫉妬しているのかもしれない」
「男なら、どっしり構えてりゃいいのに……情けないわね」
「女とは違い、男の精神はやや晩熟だと聞いた記憶がある。あの少年さながらのいたずらを見れば、その話にも信憑性が出てくるな」
紅羽は再び、首を横に振った。
「やはり、咲弥様とは異なります」
「そう? 方向性が違うだけで、似たり寄ったりよ」
ネイが苦笑まじりに、両手を小さく広げた。
紅羽はまた閉口する。心の中でため息が漏れた。
類似点があると、紅羽も漠然とながらに認識している。
素直にものを言えないのは、咲弥も変わらないのだ。
「さて……シーラは一緒に行った踊り子らに任せて、私らは残った踊り子達のケアでもしましょうかね。あと、いくつか立ち回りに関しての話もあるし」
メイアがゆっくりと頷いた。
「そうだな。案外、視野が狭くなってしまうところもある。そこに入って踊っていると、オドを読めない普通の人では、周囲の把握が困難になる」
「あぁ、あそこねぇ……確かに、言われてみればそうかも。私らは平然と察知しちゃうからあれだけど、一般人には少し厳しいかもしれないわね」
ネイが頬に人差し指を置き、虚空を見上げていく。
思案している様子のネイに、メイアが助言を送った。
「あの場所は、紋章者を中心に配置したほうがいい」
「よしよし。それも併せて、踊り子のほうも作戦会議ね」
これからの方針が定まった。
目の前にある問題は、小さくても潰さなければならない。
できればより完璧に、そして華やかに舞いたい。
観に来てくれた彼の心に、ずっと残るように――
そう願いを込め、紅羽は先を進むネイ達を追って歩く。
天樹祭が開催されるまで、あと残りもうわずかだった。