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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第四章 無数にある分岐点(下)
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第十五話 心苦しい思い




 別世界を訪れてから、咲弥はあまり夢を見なくなった。

 起きた瞬間に忘れる。ただそれだけのことかもしれない。

 少なくとも、本人に夢の記憶は残っていなかった。

 とりとめのない夢は、やがて闇に溶けて消えていく。


 大半はその程度だが、たまに現実味の強い夢が存在する。

 久々に咲弥が見ている夢は、五感を覚える後者だった。

 とはいえ、別に現実感のある場所ではない。


 ここは本来、幼い乙女が思い描くような世界なのだ。

 どこも色鉛筆を使ったような、優しい色使いをしている。


 綿菓子を彷彿(ほうふつ)とさせる雲の地面――

 とても柔らかいボールみたいなシャボン玉――

 まるでトランポリンにも等しいキノコ――

 子供が描いたような愛くるしい謎の動物――

 そして、どこまでも続く花と甘い香り――


 咲弥は童心に返り、そんな乙女的な空間を堪能していた。

 キノコで空高く飛び、落下中にシャボン玉に跳ね返され、雲の地面にぱふっと乗る。華やかな匂いを発する謎の動物に群がられ、体中をくすぐられた。

 なぜかはわからないが、無性に楽しい。


「もう、やめてよぉ」


 咲弥は言いながら、優しく動物を一匹ずつ離していく。

 可愛らしい声をあげながら、動物は跳ね回っていた。

 シルクに近い(なめ)らかさがあり、かなり手触りが心地よい。

 その中には、弾力に富んだ動物もいた。


「うきゅ?」


 困惑げに鳴いた動物の頬を、()むように()でまわした。

 ぷるぷるとしているのに、張りと温もりがある。

 もはや、やみつきになりそうな感触であった。


「あははっ。君、可愛いなぁ」

「ん、はぁ……」


 唐突な(なま)めかしい吐息に、咲弥はぎょっとする。

 それはどこか、女らしき声質をしていたのだ。

 一気に我に返るや、夢の世界はぐにゃりと消え去る。


 咲弥の視界は暗いが、やや赤みを帯びていた。

 朦朧(もうろう)とした意識を抱え、眠りから覚めたと自覚する。


 不思議な話――いまだ華やかな香りがしていた。

 それどころか、まだずっと手に感触と温もりがある。

 理解不能な心境を抱え、ゆっくりと目を開いていく。


 射し込んだ光に目をやられ、またとっさに閉じた。

 その際――何か一瞬、衝撃的な光景を(とら)えた気がする。

 絶対にありえないはずの存在が、陽射しを浴びていた。


「……え?」


 咲弥は再び目を大きく開き、それから絶句する。

 思考が完全に固まった。まったく状況を把握できない。

 なぜか銀髪の少女が、同じベッドで寝転がっていた。


 ほんのり赤らんだ美麗な顔を()せ、上目遣い気味に咲弥を紅い瞳で見据えてきている。手触りのよいネグリジェを着た彼女は、少し恥ずかしそうな顔をしていた。

 咲弥は次第に、違和感の正体に気づく。


 通常、手触りなどわかるはずがない。

 漠然とではあるが、ふっと記憶がよみがえってきた。

 夢を見ていた気がする。そこで何かに触れていた。

 その何かは、思いだせない。


 だがどうしてか、触り心地がよかったことは覚えている。

 もはや、それが夢か現実なのかわからない。

 一つ言えるのは、今もなお紅羽の胸に触れている。

 どんどん血の気が引くさなか、紅羽が静かに(つぶや)いた。


「……咲弥様の、えっち」

「――っ!」


 咲弥は声にならない悲鳴をあげ、ベッドから転げ落ちた。

 寝起きのせいもあってか、思考が上手く働かない。


「な……んな……な……なな……」


 咲弥は気が動転してしまい、ついでに全身が震えだす。

 紅羽がベッドに手をつき、さっと上半身を起こした。

 綺麗な銀色の髪が、さらさらと流れ落ちていく。


 咲弥はひっくり返ったまま、起き上がれない。

 そんな姿勢でも、視線だけは紅羽から外せなかった。

 とても扇情的(せんじょうてき)な格好に、つい紅羽の胸に目が向かう。


 透き通るような白い肌に、大きな谷間ができている。

 ネイほど主張は激しくないが、紅羽も充分にでかかった。

 少なくとも、咲弥の手のひらでは全部を(おお)い隠せない。


(いや、違う……そうじゃない! なんで、ここに……?)


 理解に苦しい展開に、思考がまとまる気配はない。

 真顔になった紅羽が、淡々とした口調で挨拶してきた。


「おはようございます。咲弥様」

「おは、あ、え……な、なんで?」


 紅羽は小首を(かし)げた。

 咲弥は精一杯、声を絞り出して問いかける。


「な、な、なん、で……こ、こに?」

「メイアに、咲弥様と()()()()と言われて来ました」

「寝て? え……? いや、だって、ここ……」


 紅羽はこくりと(うなず)いた。


「特例で許可を頂き、案内をしてもらいました」

「だ、だだ、誰に?」

「帝国軍に所属する女性です。名は聞いておりません」


 どうやら、まだ理解に達せそうにない。

 咲弥は改めて尋ねる。


「……許可?」

「はい」

「……誰の?」

「帝国軍第二大将軍、ジェラルドという方の許可です」


 ようやく、思考が正常に働き始める。

 部屋の移動は、咲弥の行動に配慮してだと思っていた。

 確かにそれも、理由の一つには違いない。

 だが大部分は、きっとこのための移動だと考えられた。


 現状、咲弥は特殊な任務の最中にある。

 そのため、帝国城の貴賓室(きひんしつ)で生活しているなどと、外部の者に知られるわけにいかない。あるいは単純に、外部の者を下手に招けないだけの可能性もある。


 なにはともあれ、多くの理由があって今に(いた)るのだ。

 そんな曖昧な程度の理解までは、なんとか辿(たど)り着く。


「咲弥様」


 咲弥はぎょっとする。

 紅羽がベッドに乗ったまま、咲弥へと迫ってきた。

 そのせいで、胸の谷間がよりくっきりと浮き上がる。


 内心で(あわ)てふためく咲弥に、紅羽が手を差し出してきた。

 何のための手か、よくわからない。


「その姿勢、おつらくないですか?」

「ああ……あぁ……うん。そうだね」


 咲弥は納得してから、(なめ)らかな紅羽の手を(つか)んだ。

 さっと引っ張り起こされたあと、咲弥は彼女に背を向けるかたちでベッドのふちに腰を落ち着けた。場に沈黙が落ち、ひどく重い空気が満ちていく。

 何を話せばいいのか、うまく思い浮かばない。


「あ、と……そのぉ……」

「咲弥様」


 背後にいる紅羽へ、咲弥はやや肩越しに振り向いた。

 紅い瞳を見据えながらに応じる。


「え? うん? なに?」

「お元気そうで、なによりです」

「ああ、うん……そうだね。紅羽も元気そうでよかった」

「はい」


 咲弥は不意に、祭典の話を思いだした。


「そういえば、そっちのほうは順調?」

「はい。問題ありません」

「そ、そっか……」

「このまま順調に事が運べば、成功は間違いありません」

「そう。よかった。なんか、ごめんね。手伝えなくて……」

「いいえ……」


 咲弥は言葉を選び、紅羽に告げた。


「僕のほうは、まだまだ時間がかかりそうなんだ」

「そうですか」

「ただ、やることは多いから……」

「ほんの少し――体つきが、よくなりましたね」

「あっ! わかるっ?」


 咲弥は自然と笑みを浮かべた。


「指導官の方に、足技とか教わってるんだけど、今は別に、武器の扱いも簡単にって感じで、ちょっと習ってるんだ」

「武器、ですか?」

「それぞれの武器を、完璧に使いこなすため――って、いうわけじゃなくてさ、武器の扱いを覚えれば、自然と対処法も見えてくるからって言われて」


 紅羽はこくりと(うなず)いた。


「そうですね」

「紅羽みたいには、いかないけど……でも、少し……本当にほんの少しだけ、近づけたような気がするよ。ああ、紅羽もたくさん武器を使いこなせるから、すぐ動けるのかなって。といっても、まだまだ全然だめなんだけどね」


 咲弥は苦笑する。黒い髪に指を通し、軽く頭をかいた。


「それでも……ちょっとずつでも実感できるのは、いいね。前までは難しかったことも、今じゃなんとかできるかもって感じになれてるからさ」


 見据えてくる紅羽を眺め、咲弥ははっと我に返った。


「あ、いや……その……ごめん」

「なにが、でしょうか?」

「別に、遊んでるわけじゃないから。極秘任務も自分なりに頑張ってるよ」


 紅羽は沈黙してから、(おだ)やかな笑みを浮かべた。


「わかっています。咲弥様がお元気そうで、安心しました」

「なるべく早く、任務が終わるように頑張るから」

「いいえ。()く必要はありません」


 紅羽は首を横に振った。


「ですが、もしも都合がつけば……一週間後に、例の祭典が開催されます。私も一人の踊り子として、参加します。観に来て……くれますか?」


 紅羽の紅い瞳の奥に、不安げな色が宿っていた。

 咲弥は複雑な心境を抱えたが、まずは(うなず)いて応える。


「一週間後か……う、うん。なんとかしてみせるよ」

「そうですか」


 紅羽がもぞもぞと動き、咲弥の隣へと移動してきた。

 そのとき――紅羽のすらりと伸びた白い脚が(あら)わとなり、ネグリジェの裾が(めく)れ上がっていく。かなり(きわ)どいところで止まり、下着が丸見えになりかけていた。

 なかば無意識に目が向き、咲弥は勝手にどきっとする。


 それでなくても、紅羽の肢体は魅力に満ちているのだ。

 胸が高鳴る咲弥の手に、紅羽がそっと手を乗せてくる。

 咲弥はびくりと肩を震わせた。紅羽の紅い瞳を凝視する。

 紅羽は美麗な顔に微笑みを(たた)え、短い一言を放った。


「約束、ね」

「……あ、ああ……うん! 約束」


 咲弥はかろうじて笑みを作り、紅羽に応答した。

 場に妙な空気が漂う。甘くねっとりとした雰囲気だ。

 きっと恋人同士であれば、そのまま――

 そんな想像が働くと同時に、複雑な心境が胸を圧迫する。


(……こんな関係、手放したくなんかないなぁ……)


 それが心に浮かんだ、素直な感想であった。

 だが、最悪の場合――自ら手放さなくてはならない。

 その選択が、自分と紅羽、またみんなのためになるのだ。


 心が落ちていく。まるで奈落の底のようにも感じられた。

 天使から与えられた使命、家族、別世界の住人――

 あらゆる問題が、咲弥の心をひどく(むしば)んでいく。

 それでも、心配かけまいと笑みだけは崩さずにいた。


(……天使様……さすがの僕でも、つらいですよ……)


 胸の内側で吐いた泣き言は、決して(なぐさ)めにはならない。

 わかっている。理解してなお、吐かずにはいられない。

 そうしなければ、心の何かが壊れてしまう気がした。


 静寂に包まれる部屋の中に、電子的な音が鳴り渡る。

 咲弥がセットした目覚まし時計だった。


「あ……」

「咲弥様。お会いできて、少しほっとしました」


 紅羽がベッドから、すっと立ち上がった。

 咲弥もつられて腰を上げる。


「く、紅羽……?」


 紅羽は、ベッドの裏側へと回りながら述べた。


「咲弥様とお会いするために、いくつか条件が課されました――ですから、人気(ひとけ)のない時間に、私は再び帝都のほうまで戻らなければなりません」

「ああ、そうだったんだ……ごめん」

「いいえ。短い時間だとしても、お話できてよかったです」


 紅羽が突然、着ていたネグリジェを肩から下へ落とした。

 咲弥はぎょっとする。大慌(おおあわ)てで身を(ひるがえ)した。

 一瞬とはいえ、紅羽の綺麗な後ろ姿が脳裏(のうり)に焼きつく。


「ちょっ……! 紅羽! 一応、僕……異性だから! もう少し、こう……なんというか、恥じらいってやつをだね?」

「咲弥様以外の前ではしません」


 それならば、安心――と、なるのか少し疑問ではある。

 咲弥が懊悩(おうのう)している最中、紅羽が淡々とした声を(つむ)いだ。


「またこうした時間は、何度か作る予定だ――担当の方に、そう言われましたが……祭典の復活に向け、私も追い込みをかけなければなりません」

「あ、ああ……そっか……」


 気を取り直すなり、咲弥は言葉に詰まった。

 つまりはもう、最低でも祭典までは会えない。

 咲弥はとても申し訳ない気持ちになる。


「もし、それまでにこっちが終われば……すぐ行くから」

「了解しました」


 紅羽の了承を最後に、お互いに沈黙する。

 紅羽が着替える物音だけが、かすかに響き続けていた。

 ほどなくして、その衣擦れの音もぴたりと止まる。


「咲弥様。着替え終わりました」

「あ、うん」


 咲弥は後ろを振り返った。

 見慣れた白い衣服を着た紅羽が、窓を背に立っている。

 紅羽は小首を(かし)げ、(おだ)やかに微笑んだ。


「約束。守ってくださいね」

「え? あ、うん。もちろん」

「それでは、戻ります」

「気をつけてね」

「はい。了解しました」


 そう応えた紅羽が、なぜか窓のほうへと歩み寄っていく。

 咲弥は疑問に思い、首を(ひね)る。

 紅羽がさっと窓を開き、窓の下枠へと片足を乗せた。

 咲弥は自然と驚きの声が漏れる。


「えっ――?」

「それでは……」

「ちょちょっ!」


 紅羽に制止の声は届かない。

 そのまま窓の外へ、紅羽はすっと飛び立った。


「ここ五階なんだけどぉおおおおっ?」


 咲弥は大慌(おおあわ)てで、窓のほうへ駆け寄った。

 やや遠くにある地点で、紅羽が着地した瞬間を(とら)える。

 そのあと、あっという間に紅羽の姿が見えなくなった。


(えぇえええ……ま、まあ、紅羽なら普通……なのか?)


 なんとも言えない気持ちを抱き、咲弥は窓の外を眺める。

 なんらかの条件を、紅羽は課されたと言っていた。

 あまり人に、見られてはならないのかもしれない。

 だからといって、五階の窓から帰るのは違う気もする。


 咲弥はため息をついた。

 いろいろ思うところはあったが――ただ、突然の出来事に驚きはしたものの、紅羽に会えて満足している自分がいる。そのせいか、普段よりも体の調子がいい。

 やはり彼女は、特別な存在だということなのだろう。


 だからこそ、より心が重く苦しくなる。

 咲弥は首を横に振り、思考を改めた。

 今はまず、目先の問題を片づけなければならない。


「さて、僕も準備しなきゃ……」


 消えない心のもやもやを抱え、咲弥は身支度を始めた。



    ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆



 帝都にある夜の酒場は、騒がしい時間を迎えていた。

 日中に比べれば、気温は心地よいくらいまで下がるため、人はより活発さを増していた。ネイとゼイドの二人もまた、輪に馴染むかのように空騒(からさわ)ぎをしている。

 紅羽はやや離れた位置にある、静かなテーブル席にいた。


「――で、ちゃんと咲弥と()()()()のか?」


 同じテーブルを囲むメイアが、酒を片手に尋ねてきた。

 紅羽は(うなず)きをもって応える。


「はい。とてもよく熟睡できました」

「……んぁ?」

「ただ咲弥様が、疲労困憊(こんぱい)の様子で寝ていましたので、少し治癒術(ちゆじゅつ)を施してから、隣で添い寝させていただきました」


 メイアはどこか、きょとんとした顔をしている。

 それから苦笑しながら、彼女はすっと肩を(すく)めた。


「そういう意味ではなかったのだが……まあ、それもそうか……純愛だな」


 メイアの言葉の意図が汲み取れず、紅羽は小首を(かし)げる。

 だがメイアは、それ以上は何も言わなかった。

 事情はよくわからないが、紅羽はきちんとお礼を告げる。


「配慮していただき、ありがとうございました」

「この程度、別になんでもないさ」

「心がほんの少し、軽くなった気がします」

「なら、手配した甲斐(かい)があるな」

「あ、あの! 紅羽さん!」


 メイアの言葉が終わるや、若い男の声が飛んだ。

 紅羽は顔だけ振り返る。

 褐色の肌をした三人の男が、地に膝をついた姿勢で花束を差し出していた。


「僕と、真剣なお付き合いしてください!」

「いいえ! どうか、わたくしめと!」

「いいや! 俺とだ!」

「私、()()がおりますので」


 紅羽は即座に断ってから、メイアに視線を据え直した。

 度々ある誘いを受けては、こうして一蹴(いっしゅう)している。

 メイアが立てた親指を紅羽へ向け、つんつんとつついた。


「昨夜も旦那様と、幸せたっぷりに寝てきたばかりだぞ」

「ね、寝て……? がぁ~んっ……!」


 周囲の者が、男達を笑って(なぐさ)める声が聞こえた。

 (けわ)しい表情をしたシーラが、紅羽の視界を横切っていく。


「もし踊り子に手を出したら、袋叩きにしますからね!」


 気持ち本気の声で、シーラが怒鳴った。

 そちらで話が進むさなか、紅羽はメイアに声をかける。


「気のせいであれば、何も問題はありませんが……」

「んぅ。どうした?」

「彼はまた、何か抱え込んでいるかもしれません」


 メイアが真摯(しんし)な面持ちで、小刻みに(うなず)いた。

 紅羽は、もう少し()み砕いて説明をする。


「もとから隠し事は多いのですが、それとは別の――そんな予感がしました」

「たんに極秘任務が、難航しているんじゃないか?」

「いいえ……違和感を覚えたのは、空白の領域後からです」

「ふむ……」


 メイアとの間を、沈黙が行き来する。

 しばらくしてから、メイアは(つぶや)くように口ずさんだ。


「ならば……古代の遺跡だろうか……もしかしたら、我々にまだ伝えていない何かを、隠し持っている可能性があるな」

「それは、いったい……?」

「いまさらだが、咲弥の顔がかなり青ざめた瞬間があるのを思いだした。それは神々の果実ではなく、もっと別の情報を耳にしたからなのかもしれない」


 紅羽は思考する。彼がいったい何を聞いたのか――


「正直、古代語なんか私にはわからない」

「彼は以前から古代語に長けておりました。それは、()()()()()だと――ですが、私達は別に、精霊からそのような力は与えられておりません」

「精霊、か……聞けば、咲弥の精霊は特殊らしいな」


 紅羽はこくりと(うなず)いた。


「はい。我々とは違い、呼びかけに応えないそうです。また事態がひどく(きゅう)する直前、意思を流し込んで召喚させるよう催促(さいそく)してくるとお聞きしました」

「そうか……まあ一度、問い詰めてみるべきだろうな」

「おそらく……彼は応えてくれません。これまでも……」


 もどかしい気持ちが、胸の中をぐるぐると巡っていく。

 紅羽はなかば無意識に、そっと両手で胸を押さえ込んだ。

 紅羽へと視線を注いでいたメイアが、ふっと微笑する。


「それでも、何もしないで後悔するよりはいい。お前が彼に異変を覚えたのであれば、きっとそれは正しい。私はお前の直感を信じよう」

「……感謝します」


 紅羽は微笑みを顔に作り、再びお礼の言葉を送った。

 メイアは(うなず)いてから、手にした酒を口へと流し込む。


 一段落つき、紅羽は改めて周囲を眺めていく。

 彼がここにいれば――そんな夢想を、また始めている。

 漠然と(つの)る不安が、際限なく紅羽の胸を苦しめていった。




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