第十二話 穏やかなひととき
帝都にある大広場には、たくさんの人が集まっていた。
されども、賑やかに騒ぎ立っているわけではない。
誰もが黙したまま、ある場所へと視線を据えていた。
独特な音楽が流れ――露出が控えめな踊り子の衣裳に身を包んだ女達が、音に合わせて華麗な舞踏を見せつけている。そこに、紅羽の姿もあった。
銀髪をはらりとゆらし、紅羽も優雅に舞い踊っていく。
最初は少なかった踊り子も、牛歩ながら揃いつつある。
人目の多い場所で踊って宣伝し、参加者を募ったのだ。
本日もまた、強い日差しの中での舞踏が終わりを迎える。
「それでは、皆様! これにて、演舞は終了となります! 本日もご覧いただき、ありがとうございました! 復活祭、お楽しみにお待ちくださいね!」
顎先から汗を垂らしていくシーラが、さらに言い放つ。
「あと、もし踊り子や裏方をしてもいいよという方! 随時募集していますので、ぜひ遠慮なく声をかけてください!」
拍手喝采を浴びながら、紅羽は周囲にいる人を眺めた。
いやらしい眼差しをした男も当然いたが、純粋に復活祭を楽しみにしている男女の割合は大きい。現状を考慮すれば、成功する雰囲気は濃厚であった。
ただ潰しておきたい問題点が、まだまだ残っている。
先日、開催地の下見に行った際、想像よりも大きな会場に多少の驚きはしたものの、それ以上に劣化や崩壊した部分がひどく目についた。
管理者はいる様子だが、ほとんど手が行き届いていない。
ここに関しては、ゼイドや裏方達の出番となる。
しかし、踊り子の参加に比べ、裏方のほうは思った以上に集められていない。期日までに修繕が間に合うのか、微妙な空気がじわりと広がりつつあるのだ。
もう少し人手がほしい。それが、純粋な感想だった。
『大丈夫だよ。絶対、間に合わせてみせるから』
紅羽はなかば無意識に、彼の声がしたほうを振り返る。
当然、視線の先に彼の姿はなかった。
だが、もし彼がいれば、きっとそう言ったに違いない。
紅羽は胸に手を添え、心の内側でため息をつく。
(人集めは、私達が頑張ればいい)
紅羽がそう思った矢先、背後から幼い女の声が響いた。
「あ、あのぉ……」
まだ十歳に満たない、褐色の肌をした少女だった。
見た目と声から、少し気が弱そうな印象を抱く。
少女はためらい気味に、一歩を前に紅羽へ詰め寄った。
「あたしも、おねえさんみたいに……なれ、ますか……?」
どの部分を指しているのか悩み、紅羽は小首を傾げた。
「踊り子の話ですか?」
「あっ……あのあの……そのぉ……」
少女は萎縮してしまい、ついには目もとに涙を浮かべた。
どうやら、対応を間違えたらしい。
ネイが飛ぶように訪れ、少女の前でしゃがみ込んだ。
「踊り子? 踊り子ね? きっとそうに違いないわ」
「あ、えっと……はい!」
「いいところに来てくれたわね。ちょうど子供達の踊り子が欲しかったの」
そんな話は初めて聞いた。紅羽は小首を傾げる。
次第に幼い少女の顔が、笑顔へと変化していく。
「そ、それじゃあ……」
「ええ。一緒に踊りの練習をしましょ」
「は、はい!」
「あともしよければ、お友達も誘ってくれると嬉しいかも」
「あ、はい! きいてみます! やった!」
それとなく、ネイの意図を察した。
幼い少女とネイの会話を聞きながら、紅羽は感心する。
孤児院が出自なだけあり、子供の扱いが非常に上手い。
ふと思えば――ネイの孤児院に行ったとき、子供達よりもマザーと一緒に過ごした時間のほうが長かった。子供達と、あまり馴染めていた記憶はない。
それに対して、彼はひどく馴染めていた気がした。
「――それじゃあ、おともだちにもきいてきますね」
「もしだめでも、ミィアちゃん一人でも来てねぇ!」
ミィアと呼ばれた少女は頷き、どこかへと駆けていく。
ネイは立ち上がり、右手首を腰に据えた。
少女を見送ったあと、ネイが紅羽を振り返る。
「まだまだ――ね?」
「はい。その模様です」
苦い笑みを浮かべるネイに、紅羽は淡々と応えた。
今回の件は、この部分も訓練するいい機会になる。
子供との距離が狭まれるよう、努める方針を定めた。
「こっちも、裏方さんが何人か参加してくれました!」
「よっしゃあ! いい感じね!」
シーラの言葉に、まずネイが反応を示した。
傍まで歩み寄ってきたシーラに、紅羽は告げる。
「裏方は、さっそく会場へお連れしたほうがよろしいかと」
「ええ。あっちもあっちで、大変そうですからねぇ」
「はい」
変な問題は特に起きていない。順調に物事は進んでいた。
もう少し人員を募れば、より安心感は増すに違いない。
「じゃあ、私達は別の場所で踊って人集めしましょうか」
紅羽と同様の不安を、ネイも抱いていた様子だった。
さすがだと思いながら、紅羽はこくりと頷く。
「はい。そうしたほうが賢明です」
「それじゃあ……私はこれから、裏方さん達を会場のほうへ連れていきますから、そちらは任せても構いませんか?」
「問題ありません」
紅羽の言葉に、シーラは微笑みをもって応えた。
するとネイが、拳を高く掲げる。
「天樹祭の復活を成功させるため、みんなで頑張るわよ!」
「おー!」
シーラも拳を掲げ、意気込んだ声を放った。
紅羽は少し二人を眺め、ふと幻覚が見えてくる。
彼がここにいれば、きっとネイ達と同じように――
「失礼……そこのお嬢さん方」
背後のほうから、年老いた男のしわがれた声が響いた。
肩越しに視線を向けると、高貴そうな雰囲気を持つ色黒な老人が一人いる。年は七十代半ば頃か、あるいはもう八十に達している容姿をしていた。
物腰は柔らかく、危険な気配は特に感じられない。
参加希望者なのか、現状では判断がつけられなかった。
老人の様子をうかがっていると、傍にいるシーラが途端に戸惑い始める。
「あ、あぁ……あなたは……あの、私、シーラと申します」
シーラは胸元に右拳を添え、深くお辞儀をした。
シーラの慌てぶりから、とても高名な人だと推測する。
老人も帝国式の敬礼をおこない、穏やかな口調で言った。
「初めまして。私は、ゼクセンと申します。これもきっと、ユグドラシール様のお導きなのでしょう。あなた方の活動が私の耳に届くまで、少し時間はかかりましたが――どうか、今後の支援について、お話でもいかがですかな?」
どうやらゼクセンは、天樹祭の復活に意欲的らしい。
拒む理由はない。今はどんな支援でもありがたいのだ。
シーラは慌てふためきながら、頭を何度も下げている。
「あのあの……あ、あり、感謝致します! その……」
ゼクセンは優しげに、にっこりと微笑んでいる。
紅羽はひとまず、事のなりゆきを黙ったまま見守った。
この日、ユグドラシール教の教皇ゼクセンの力により――
あらゆる問題が、一気に解消されていった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
帝国軍事図書館は、帝国城からやや離れた位置にある。
ここの利用者は、皇族、軍人や軍学校に在籍する生徒で、本来は一般人の立ち入りが許されていない。また地位や階級次第では、踏み込めないところもある。
位の高い者しか利用できない、そんな場所に咲弥はいた。
眼前にある大きな机の上に、無数の書物や資料の束が高く積み上げられている。それは床のほうにまで広がっており、そちらは自分の背丈をも超えていた。
数多くある中から、咲弥は神話を選んで眺めている。
森の女神ユグドラシール――
大地に大いなる恵みを与え、数多の生命を育む。
かの女神が住まう地は、色彩豊かな神域なり。
選ばれし生命体以外は、侵すことを許されない。
禁を破れば、女神を守護する聖獣に天罰が下される。
風を司る大鷹アースヴェルグ――
地を司る神鹿ヨトヴァリン――
火を司る栗鼠ヴァルトスク――
水を司る蛇龍ウルズヘッグ――
それぞれに、壁画みたいな絵が添えられている。
すべてそのまま――というわけではなかったものの、皇女シャーロットの精神世界で遭遇した三体は、確実に火以外を司る聖獣で間違いない。
そう思える類似点が、あちこちに見受けられたからだ。
調べれば調べるほど、理解不能さが深みを増していく。
帝国領内では確かに、森の女神ユグドラシールを信仰する宗教が実在しているようだ。しかしそれはあくまで、人々の心に安寧をもたらすために過ぎない。
遥か大昔には、大規模な神事もあった様子だが、現代ではもう催されていない。その名残から誕生した天樹祭もまた、十数年前に途絶えていた。
長い時の流れで、忘れられつつあるのかもしれない。
その忘却こそが、皇女が呪われた発端――
咲弥は最初、人からではなく女神からの線を疑ってみた。
だがそれは、あまりにもいまさらな話でしかない。
しかも信仰自体は、今もなお機能している様子なのだ。
皇女一人が呪われた原因には、いっさい結びつかない。
だから今度は、神域を侵した可能性について模索した。
そもそも、神域は簡単に行ける場所ではない。それこそ、黒白のハクと同等の力を持っている必要がある。少なくともシャーロットには、そんな力はないらしい。
女神からの線は諦め、呪術という点に着目してみた。
まず女神を扱う呪い自体が、どの資料にも存在しない。
もとからそのような神ではないため、当然ではあった。
本日もまた、書物や資料を見てはため息が漏れる。
真っ暗闇の中を、あてもなくさまよい続けているのだ。
「……ほんっと、お前って変わりもんだな」
対面の席にいるラクサーヌが、突然ぼやいた。
咲弥はやや驚き、ふっと顔を上げる。
彼は机に頬杖をつき、資料のほうへ視線を落としていた。
その姿勢は、かなり行儀が悪い。積み上げた書物に片足を乗せ、椅子にだらけた状態で座っている。見る者が見れば、嫌悪感を抱きかねなかった。
特にジェラルドに目撃されれば、怒声が飛ぶに違いない。
そんなことを思いながら、咲弥は首を捻って訊いた。
「変わり者……ですか?」
「つか、もうただの変人の域じゃね?」
「いやいや……全然。普通ですよ」
「自覚のねぇ変人が、この世でもっとも怖ぇよな」
咲弥は眉をひそめる。困惑気味に苦笑するしかない。
唐突すぎる文句に、どう対応していいのかわからない。
視線を重ねてこないラクサーヌに、咲弥は素直に問う。
「どの部分を見られて、そう思われたんですか?」
「俺と居ても、平気なとこ」
予想外の返答に、咲弥は言葉に詰まる。
ラクサーヌは呆れた様子で、肩を軽く竦めた。
「状況的に仕方がない場合を除けば、普通ならなるべく俺と関わらないようにするもんだ。悪態を突き、暴言を吐く俺の態度に、普通の感性をもっていりゃあ苛立つからな。だからそんな俺といて平気な奴は、まともじゃない。変人だろ?」
咲弥は戸惑った。
「それで変人と、言われましても……ただ、ラクサーヌさんお一人にお任せするのは、違うと思ったんです。もちろん、僕なんかで助けになれるのかはわかりませんが……一人より二人のほうが、楽かと思ったんです」
ラクサーヌは虚空を見上げ、深いため息をついた。
「誰も頼んじゃいねぇよ」
「はい。頼みそうにないので、自分で考えて行動しました」
「一人のほうが気楽なんだが? むしろ、誰かいると邪魔」
「邪魔にならないよう、頑張って協力してみます」
「ばかか? いるだけで邪魔だつってんだろ!」
うんざりとした面持ちで、ラクサーヌが怒鳴ってきた。
咲弥は苦笑をもって、ラクサーヌをなだめる。
ラクサーヌは再度、太い息を吐いた。
「……やっぱ、お前かなり頭腐ってんな。つか、手伝う気が少しでもあんなら、こっちばっか見てねぇで、資料のほうに目を向けやがれ」
咲弥はどきりとした。
ラクサーヌは終始、咲弥へは目を向けてきていない。
「し、視野が広いですねぇ……はい。わかりました」
咲弥は手元にある資料を、再び眺め始める。
しばらく続く静寂を破ったのは、ラクサーヌであった。
「にしてもさ、お前……なんで、毎日ぼろぼろなんだ?」
「え?」
本日はやけに口数が多い。
これまでの間、叱咤のほかは無視ばかりされていた。
そういった理由もあり、ラクサーヌに自然と視線が戻る。
「資料……!」
「あ、はい」
また怒られてしまい、咲弥は慌てて資料に顔を向けた。
とはいえ、喋りながら読むのはかなり難しい。
咲弥は位置だけを覚え、ラクサーヌに応えた。
「軍の訓練に、付き合っていますから」
「なんのために? 誰か人質にでも取られてんの?」
訝しげなラクサーヌの疑問を聞き、咲弥は苦笑した。
「違いますよ。最初はただの流れでしたが、今はありがたく思っています」
「なんで?」
「……とても、いい訓練になるから……ですかね」
それは本音ではあるが、少しばかり足りない。
咲弥には、考えなければならないことが山ほどあった。
もちろん、ただ先延ばしにしているだけに過ぎないのは、咲弥も充分に理解している。だが現状、考えても仕方のない問題があまりにも多過ぎるのだ。
しかし訓練中は、忘却できる――これが、本当に大きい。
訓練に打ち込むほど、思考はより透き通っていく。
目の前にある何かだけに、一心不乱に向かえるのだ。
咲弥は心の中でため息をつき、ラクサーヌの言葉を待つ。
「いいように、使われてるだけなんじゃね?」
「いいえ。仮にそうでも、自分のためにもなりますから」
「お前、ほんとお人好しのばかだな。つか、くそだ」
「いえいえ。なんでですか……!」
ラクサーヌのほうから、重いため息が聞こえてきた。
「いくら自分に都合よく置き換えたところで、その実は何も変わらねぇぞ。この世の物事なんざ、どれもこれも、たった一つの意思のみで動いてるわけじゃねぇんだ。頭の足りねぇゴミは、ていよく扱われるだけ扱われて、ぽいっだ」
ラクサーヌが言わんとすることは、それとなくわかる。
咲弥は少し考えてから返答した。
「それでも、まぁ……自分にまったく身にならないわけではありませんよ。奴隷時代でもそうでしたが、得られる何かは必ずありましたし」
「オメェ、奴隷だったのかよ」
「違います、違います! ふりです、ふり! ただ最終的に奴隷でしたが……」
咲弥は当時の流れを、少し掻い摘んで説明した。
ラクサーヌはかぁっとうめく。
「お前、やっぱマジもんじゃねぇか」
「そんなことないです。普通です」
「誰が聞いてもイカレてんだろ」
これには咲弥も、苦笑するほかない。
「いやぁ、そのときはそうしたほうがいいと思ったんです。でも、そのお陰で大切な仲間と出会えましたし、生命の宿る宝具も手にすることができましたから」
「ただの結果論だろ。一歩間違えれば、首落ちてただろ」
「それは、まあ……確かに……」
「ほんと、お人好しの間抜けなあほだな」
咲弥は苦い笑みを浮かべ、対応を模索する。
「でも、ラクサーヌさんだって、本当はいい人ですよね」
「ばかか? どこをどう見たらそうなんだよ」
「だって……今、ここにいますから」
「はぁ? 狂人の思考は、マジで意味がわからん」
「神の呪いだと気づいて、匙を投げられたんですよね?」
「投げてねぇよ!」
「えっ? そうお聞きしましたが……?」
「いや、まあ……無理だとは言ったが」
言い淀んだラクサーヌに、咲弥ははっきりと告げた。
「無理かもしれないとわかってて、それでも皇女様のために頑張ってるのは、ラクサーヌさんがいい人だからですよ」
「途中で投げ出すのが、嫌いなだけだ。新たに来る助っ人の話を聞いてな。そいつからも光明が見えなきゃあ、さすがに無理だって諦めていたけどな」
「諦めたくないから、僕の到着を待ってくれたんですね?」
咲弥が言わんとすることを、どうやら呑み込んだらしい。
ラクサーヌは少しの無言を経てから、鼻で短く笑った。
「ほら。やっぱり、ラクサーヌさんはいい人ですよ」
「ケッ……言ってやがれ。つか、ページが進んでねぇだろ。おらっ!」
「あっ、すみません」
話の切れ目を覚り、咲弥は真剣に資料を読んだ。
ページをめくる音のみが、周辺に鳴り渡る。
どこか物寂しい雰囲気が、辺り一面に広がっていく。
だがそんな静寂も、長くは続かなかった。
ラクサーヌが途端に、また独り言のような声を紡ぐ。
「資料を読むにしても、方向性を見いだすにしても……」
「えっ?」
「ものを知らない無能じゃ話にならん。わかるか?」
「ま、まあ……はい」
「一を知って二を知らず――ってな。ただ呪いという存在を真正面からぼけぇっと眺めてたって、視野の狭いカスじゃ、なぁんにも意味がねぇってことだ」
無駄なことだと言いたいのか、咲弥は生返事をした。
「は、はぁ……」
「ならば、どうすればいいのか……? 答えは、簡単だ」
「ほかの知識を得ればいい……って、ことですか?」
「お前、呪術に関してなんも知らねぇだろ?」
「あぁあ……はい」
「なら、さわり程度までは教えてやる」
「あっ……」
咲弥はようやく、ラクサーヌの意図が呑み込めた。
咲弥は自然と笑みを作り、ラクサーヌを見据える。
すると初めて、彼の黒い瞳が咲弥へと流れてきた。
「その代わり、覚悟しろよ? 俺はかなり厳しいからな」
「はい! よろしくお願いします!」
この日から、咲弥は呪術を学び始めた。
ラクサーヌの教え方は非常に丁寧で、またわかりやすい。
だから無知な咲弥でも、苦戦は当然したが理解はできた。
その際、咲弥はラクサーヌに関して思う。
最初は横柄で、最悪な印象を抱いた。
しかし彼は、やはり優しい人らしい。
呪術の勉強以上に、それがよくわかった。