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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第四章 無数にある分岐点(下)
181/222

第十話 世界の異変




 パスカの研究室は、ひどく重い空気で張り詰めていた。

 じわりと湧き続ける不安が、咲弥の胸を()めつつある。

 パスカは柔らかい物腰を崩さずに言った。


「だが残念なことに、彼らの言っていた接触とは、大多数が文字通りの目撃、あるいは撃退されちゃったという話でねぇ……まったく、やれやれだよ」


 パスカはため息をつき、呆れ気味に虚空を見上げる。

 咲弥は(いぶか)しんだ。結局のところ、ただの噂に過ぎない。

 真偽(しんぎ)の知れない情報を、鵜呑(うの)みにはできなかった。


「あの、それは本当に……精霊術士だったんですか?」

「実際に自分の目で見たわけではないが、事実だろうな」

「なぜ、そう言いきれるんですか?」


 パスカが指を一本立てて見せた。


「ある国の者が、こう言った。紋様から魔法陣のような図が宙に描かれ、そこから召喚されたのは、まるで魔物みたいな容姿だった。またある国の者は、こう言った。魔法陣らしき図が砕けた瞬間、聖獣のごとき美しい獣が現れた。と――」


 パスカがぱちんと指を鳴らすや、リィン達が動いた。

 奥からホワイトボードが、引っ張り出されてくる。

 すでに何かが書き込まれ、数枚の紙も貼られていた。

 咲弥は目を()らして眺め、そしてはっと息を呑む。


「どうだい? とても()()()()だろ? たった一か国だが、写真の撮影に成功している。これが二つ目に言った聖獣と、その召喚者の姿だよ」


 咲弥は自然と眉をひそめた。

 いくら記憶の糸をたぐろうと、まったく見覚えがない。


 女性の容姿は、どこかのお姫様らしき気配を(かも)していた。ただ着ている服装は、あくまでも一般的な旅人の服といった印象しか受け取れそうにない。

 そのアンバランスな見た目から、ある予感が漠然と浮かび上がってくる。


 この世界の住人か、それとも別世界の住人か――

 判別する方法は、きちんと存在している。

 だが写真には、肝心な部分までは写されていない。


 咲弥は内心、くっとうめいた。

 そこが一番重要な点でもある。

 とはいえ、これをばか正直に()くわけにもいかない。

 咲弥は悩み、しっかりと考えてから疑問を口にした。


「写真以外の方々も、紋様から魔法陣的なものを……?」

「ああ。君の仲間と同じさ。違うのは、種類と言えるか」

「見た感じから……たぶん、火の精霊ですかね。この女性の紋様はどうだったんでしょうか? 火属性特有の紋様から、魔法陣的なものを展開したんですか?」

「話によれば、火系統の紋様を浮かべたらしい」


 言葉通りであれば、確実に使徒ではない。 

 つまり写真の中にいる女性は、自らの力で開花した者――またはさせられた者か、最初から精霊の召喚を会得していた者で間違いなさそうだった。

 共時性の関連は不明でしかないが、まだ完全に使徒の影が消えたわけではない。


(もしこれが共時性とかじゃなく、使徒の仕業(しわざ)なら……)


 刻印法術を広めた創始者と同じく、手当たり次第といった可能性がちらついた。

 そうでなければ、各国で発見されるわけがないのだ。

 ふと刻印法術の創始者と、同一人物ではないのかと疑う。

 すぐにそれはないと、自分の思考を打ち消しておいた。


 もし同じなら、遭遇した海賊の誰か一人くらいは、精霊の召喚をしてもおかしくはない。しかし結局、新時代の力しか彼らは保持していなかった。

 思考が正しければ、また別の使徒という説が浮上する。


 そこまで考え、咲弥は少しばかりの怒りを覚えた。

 もちろん、人のことは言えない。

 関連性が不明な共時性の件も、消えたわけではなかった。

 それは咲弥自身、しっかりと自覚している。


 だが故意に、世界に混乱を招こうとしているのであれば、さすがに許せない気持ちしかない。当然、それもなんらかの事情があった可能性は充分にある。

 やむを得なかった――そんな場合もなくはない。


 咲弥は心の内側で、こっそりとため息をついた。

 いくら思案したところで、はっきりとした答えはでない。

 咲弥は思考を切り替え、別の問題に関して尋ねた。


「そういえば、魔法陣もなく魔法を扱う魔物……あと紋様を顕現(けんげん)せずに紋章術を扱う方。これらの情報も、パスカさんは集めていらっしゃるんですか?」


 パスカは片目を細め、紫紺色の瞳で見据えてきた。


「それもまた、実に興味深い案件だねぇ。元来、人や魔物は紋様や魔法陣なくして、特殊な力を扱えない――この事実が(くつがえ)されているのだからね。以前は回答をもらえなかったが、君は遭遇した経験はないのかい?」


 この件に関して、咲弥は素直に答える。


「……どちらとも、実際に見聞きした覚えがあります」

「ほう。新時代の力――いや、刻印法術について、どこまで知っている?」


 咲弥は海賊を尋問したときの話を、()(つま)んで告げた。

 パスカは時折、(うなず)きながら聞き続けていた。

 あらかた語り終え――


「僕が知っているのは、この程度しかありません」

「素晴らしい。だが、()()()()()()なぁ」

「えっ……?」


 パスカが再び指を鳴らすや、リィンが素早く行動した。

 ホワイトボードが勢いよく、くるりとひっくり返される。

 そこへラーズとレイが、てきぱきと資料を貼っていく。

 咲弥は茫然と眺め、やがて(けわ)しい顔を作った。


 貼られたのは、資料だけではない。

 人の皮膚らしきものが、透明の袋に入れられていたのだ。


「我が国のほうでも、実は刻印法術の使い手が現れたんだ。(あば)れているとの報告を受け、すぐに警邏隊(けいらたい)の者達が現地へと向かった――取り押さえることには成功したが、まだ当時は刻印法術の力を、完全に認識し終えていなかったのさ」


 パスカはやや残念そうに、肩を(すく)めて見せた。


「まさか、()()()()()()()()()()()()()()()()、特殊な力が扱えるとは、ね」

「えっ……?」


 衝撃的な事実に、咲弥は心の底から驚愕する。

 おそらく、海賊達ですら知らなかった事実に違いない。

 知っていれば、紅羽のきつい尋問で吐いたはずなのだ。


「お(かげ)で、こちらに死傷者が複数出てね。だから、その場で使い手は始末する運びとなったよ。生きたままでの捕獲は、困難だと判断されたわけさ」


 咲弥は内心、なんとも言えない複雑な感情を抱いた。

 当然、嫌な気持ちは拭い去れないものの、始末に関しては仕方がないと呑み込むほかない。相手は人殺しを(いと)わない、重犯罪者だからだ。

 下手をすれば、帝都民に被害が拡大した可能性は高い。


 悲しくはあるが、問題はもっと別のところにあった。

 想像した通り、やはり最悪な事態を招いている。

 きっとこれは、帝国だけの話ではない。

 似た事件は、他国でも発生している気がした。

 手当たり次第にやれば、こうなるという見本でもある。


 もちろん、全部ただの憶測に過ぎない。

 それは、咲弥もわかっていた。しかし刻印法術の創始者は正体がバレないよう、細工している気配がある。その時点で決してばかではなく、賢いはずだった。


 だから起こりうる事件を、想定していないはずがない。

 仮にそうだとすれば、最悪な未来を予想していながらも、それでもなお、刻印法術を世界中にばら()いたことになる。

 おそらく善ではなく、悪に傾倒(けいとう)している者で間違いない。


 そんな創始者がもし使徒ともなれば、正直なところかなり嫌な気分だった。この世界の人にとっては、咲弥も創始者も別世界から訪れた異物に過ぎない。

 咲弥は心苦しさを覚えながら、パスカに()いた。


「刻印法術について、出所は判明しているんですか?」

「調査中だ。なかなか尻尾を(つか)ませてくれないねぇ」


 短くため息をついてから、パスカはあやしく微笑んだ。


「まあ、でも……遺体からいいサンプルが手に入ったから、私としては充分に満足している。なかなかごねられてねぇ。入手には、ちょっと難儀させられたが」


 高笑いをするパスカを見て、咲弥は頬を引きつらせた。

 彼女にとっては、そちらのほうが重要だったに違いない。

 パスカがにたりと笑い、咲弥に尋ねてきた。


「そういえば、刻印を解析した結果を聞きたいかい?」

「えっ? あ、はい!」

「見た様子からでは、ただの模様に過ぎない」

「そうですね」


 ホワイトボードのほうへ目を向け、咲弥は相槌(あいづち)を打った。


「だが、ただの模様じゃなかったんだな。これが」

「僕には、不思議な模様にしか見えませんが……」

「そうだろうね。遠目から、ではな?」


 咲弥は、パスカに視線を戻した。

 パスカは真面目な顔で、つまむようなしぐさを見せる。


「これは、極々小さな文字と(おぼ)しき集合体なんだ」

「文字、ですか?」

「一応、古代専門学の権威に調べてもらったが、これはどの時代の文字にも相当しない。つまりは、誰も読めない未知の文字があしらわれていることになる」


 リィンが無言で、ホワイトボードに大きな紙を貼った。

 咲弥は静かに、驚愕から目を見開いていく。

 意味はわからない。しかし、文字自体は解読できた。


(これは、数式……? まるで、数学の公式みたいな……)


 とても複雑で、ひどく難解なものだと感じられた。

 見ているだけでも、どんどん頭が混乱しそうになる。

 そんなさなか、頭の片隅で鮮明になる解答が浮かんだ。


 古代専門学ですら不明な、未知の文字が扱われている。

 だが咲弥の目には、天使からの翻訳で読み解けた。

 曖昧(あいまい)だった影が、ついには確信へと変化していく。

 これは、異なる世界――創始者の世界にある文字なのだ。


(でも、こんなの彫り方を教えても……)


 仮に腕のよい彫り師がいたとしても、世界中のあちこちで広められるほどの数を(そろ)えるのは、さすがに不可能だとしか思えそうにない。

 模様自体は、もとの世界でも見覚えのある刺青(いれずみ)だった。

 そう見えるだけで、これは何か別物なのかもしれない。


「あの……これって、刺青なのは間違いありませんよね? これほど緻密(ちみつ)なものを、手で彫れるもんなんでしょうか?」

「彫るというより、焼きに近い。ただ痕跡を見た限りでは、複数回に分けて処置された様子がうかがえる。というのが、医療班からの見解だったな」

「あぁ……そうなんですか」


 やっと、合点がいった。

 焼印さえ製造すれば、それで(まかな)えるに違いない。

 咲弥は顔をしかめ、視線を下げた。


 出会えた唯一の使徒は、とても(さわ)やかな好青年だった。

 だからほかの使徒達も、そうであってほしい――

 心のどこかで、そんな期待を抱いたのは(いな)めない。


(天使様……いったい、なぜ……)


 咲弥は密かに、重いため息をついた。

 刻印法術の件は、いずれにしろ(あば)かなければならない。

 何を考え、なぜ広めたのか――

 使徒であれば、問い(ただ)す必要がある。


「ところで、だ……」

 パスカの力強い声が耳に届き、咲弥ははっと我に返る。

「精霊の件は、話してくれないのかい?」


 しばらく黙考してから、咲弥は丁寧(ていねい)に応える。


「申し訳ありませんが、やっぱり話せません」

「理由を聞かせてもらえるかな?」

「刻印法術――これと、似た事態を起こしそうだからです」

「ふむ?」


 片目を細め、パスカはうなり気味に相槌(あいづち)を打った。

 咲弥はパスカの目を、まっすぐに見据える。


「僕の行動一つで、どういった結果をもたらすのか、実際のところよくわかりません……ただ、もし僕が精霊を召喚したことが原因で、世界各地に精霊術士が現れたのだとしたら、やはり下手に広めるべきではないと、そう判断しました」


 咲弥はさらに、畳みかけるつもりで告げた。


「もちろん、僕にそんな影響力なんかないのかもしれません……ですが、可能性がほんの少しでもある以上、僕が精霊の知識を広めたせいで、世界中で混乱が起こるような事態は、絶対に起こしたくありません」

「なるほど――君の考えは、よくわかった」


 想像以上に、パスカは聞きわけがいい。

 (いぶか)しく思ったものの、咲弥はとりあえずほっと安堵(あんど)する。

 パスカは沈黙したのち、再び口を開いた。


「……だが、こうは考えられないかな? 君の情報次第で、救える命もある、と」

「え?」

「刻印法術の件だが、もし事前に力の一端を知っていれば、捕獲の際に死傷者が出ることはなかった。これらは、事前の情報不足が招いた結果によるものだ」


 咲弥ははっとさせられた。

 パスカの言葉に、何も間違いはない。


「これまで精霊の存在は、お伽噺(とぎばなし)や夢物語に過ぎなかった。だが、本当にいないのか、真実を確かめようと研究している国は多い。我が帝国も、その内の一つだ」

 パスカはため息まじりに、首を横に振った。

「火のないところに煙は立たない――そうは言うが、これが誰かの妄想に過ぎないといった可能性は充分にある。無論、事実という可能性も、な?」


 よくよく考えれば、確かに不思議ではあった。

 紋章石には精霊が宿っている――

 いったいどこから始まったのか、少しだけ気になる。


「それはただの好奇心、あるいは探求心に過ぎないがね……それでも、我々の研究が多くの人々の役に立つということを祈ってはいる」

「あ、はい……」

「回りくどく言ったが、現状の話をしよう」


 咲弥は首を(ひね)った。


「精霊術士は、もうすでに――解き放たれている。これまで未確認でしかなかった存在が、世界各地で現れているんだ。あくまでも可能性の領域は拭えないが、これからもだんだん増えていくと、私はそう予想している」


 パスカは真面目な顔つきになり、やや硬い口調で述べた。


「君は精霊に関して、我々よりずっと知識に明るい。だが、我々は無知にも(ほど)がある状態だ。もし精霊術士の中に、刻印法術の件と同様、(あば)れ回る者が出現した場合、無知な我々は犠牲を払いながらに知っていくしかない。国際大会で見せた精霊の力は知っている。とても(すさ)まじいものだった。そんな脅威を、我々はほぼ対処法もわからないまま戦うしかない」


 パスカの意図は、わかっていた。

 ジェラルドのほうからも、しっかりと忠告されている。

 咲弥から精霊の情報を、なんとか引き出したいのだ。


 それは単純に、知的好奇心からかもしれない。

 あるいは、帝国の益になるとも考えているのだろう。

 咲弥は理解しているうえで、納得させられてしまった。


 どうなるかわからない。だから、力を隠してきた。

 下手に情報をばら()けば、刻印法術と同じになる。

 しかし、パスカの発言は的を射ていた。

 ほかに精霊術士が現れた以上、増殖する可能性は高い。


 さらに、もし悪い精霊術士が現れた場合――

 もはや咲弥は、見殺しにしたのにも等しくなると思えた。


「念のため言っておくが、精霊や刻印法術の警戒や対策は、冒険者ギルドを通し、各国で情報を共有するつもりだよ――もちろん、すべての国とまではいかないがね。ただ同盟国の間だけでも、注意喚起する必要性が出てしまったからな」


 それは、事実に違いない。

 初めて研究所を訪れたとき、ジェラルドも口にしていた。

 特に刻印法術は、最悪の事態を想定する必要がある。


 咲弥は下唇を少し()み、ほとほと困り果てた。

 本音を言えば、仲間達に相談がしたい。

 だがそれも、今はなかなか難しい状態にある。


 現状は保留にしたほうがいい。そう考えた。

 とはいえ、その間に事件が起こらないとは限らない。

 咲弥は悩み、何かいい方法がないか思案する。

 そして――


「わかりました。精霊についてお話しします」

「おおっ!」


 パスカが喜び、彼女の部下三名も嬉々(きき)とした声をあげた。

 咲弥は冷静に、ゆっくりと言葉を(つむ)ぐ。


「ですが、ある部分に関して……僕は何があっても、絶対に言いません」


 パスカ達が、(そろ)って小首を(かし)げた。


「その、ある部分とは……?」

「……精霊の力を〝得られる〟方法です」


 これが、咲弥の考えた最大限の譲歩だった。

 少なくとも、精霊に関する情報だけは提供できる。


 三人組のほうは落胆した顔を見せたが、パスカは違った。

 少し渋い顔ではあったものの、小刻みに(うなず)いている。


「わかった。咲弥の条件を呑もう」

「ご理解いただけて、よかったです」

「だが、こちらも至極単純で簡単な条件を出させてくれ」

「……なんでしょうか?」


 咲弥は(いぶか)しく思い、首を(ひね)る。

 パスカは口に笑みを(たた)え、ゆったりとした口調で言った。


「もちろん、言えない部分は言えないで構わない」

「は、はい」

「だけど、言える部分はきちんと教えてほしい」

「え? あ、はい」


 咲弥は困惑する。 

 それは当然の話であり、条件でもなんでもない。

 パスカは咲弥の返事に、満足した様子であった。


 彼女が何を考えているのか、さっぱりわからない。

 そのことが、ほんの少し――咲弥に恐怖を与えた。




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