第十七話 間違えた!
咲弥は奥歯を噛み締め、町の中を全速力で走っていた。
歩く人達の間をすり抜け、大慌てで目的地へと向かう。
疲労が溜まっていたせいか、つい寝過ごしてしまった。
「やばいやばい。すみません、通ります! すみません!」
相部屋の者達は誰も起こしてくれなかった様子で、咲弥が目覚めたときには、部屋はもう蛻の殻となっていたのだ。
宿屋の主人から、まだ出たばかりだと聞かされている。
だから急げば、きっと追いつけるはずであった。
しばらくして、遠くに馬車の群れが見えてくる。
どうやらまだ出発前らしく、咲弥は心の底から安堵した。
隊商の話によれば、乗車する馬車には赤印がついている。
馬車の間を縫うように進み、咲弥は目印を探した。
(どれ……だろう……あっ!)
とても頑丈そうな馬車が、咲弥の目にとまった。
おそらく、安全面を考慮してか――格子状となった木製の囲いが、本来なら荷台にあたる部分に造られている。そこに赤い二重丸の印がつけられていた。
乗車席のほうには、すでに多くの人が乗っている。
「あん? お前で最後か?」
馬車の付近にいた、小太りの男が唐突に声をかけてきた。
声や態度から、かなりいら立っている様子がうかがえる。寝坊した咲弥の到着を、ずっと待たされたからに違いない。
咲弥は罪悪感から、深く頭を下げた。
「はい! 遅れて、本当にすみませんでした!」
「ちっ……まあいい。とっとと乗れ」
「はい!」
咲弥は馬車の乗車席へと進んだ。
不意に、小太りの男に呼び止められた。
「あ、あれ? 待て。お前、腕輪はめてねぇじゃねぇか」
「えっ? 腕輪、ですか?」
「あぶねぇあぶねぇ。おい、お前。両腕を出せ」
「あ、はい……」
両腕を差し出すと、ごつい腕輪をガチンとはめられた。
まるで逮捕でもされたような気分になる。
咲弥は怪訝に思い、乗車席のほうへ視線を移した。
よく見れば、誰もが一様に腕輪をはめている。
この世界での事情や常識は、まだあまりよく知らない。
なんらかの理由があると、咲弥は呑み込んでおいた。
「あっ、しまった。お前、荷物なんか背負ってんのかよ」
「え? あ、はい」
「チッ! まあいい。どうせ、ロクなもん入ってないだろ」
貴重品はお金しかないが、それにしても失礼な話だった。
タダで王都まで乗せてもらうため、強くは言い返せない。
「ええっと……少しばかりの、お金ぐらいです」
「金? ふぅん。まあいい。とっとと乗れよ」
「はい……」
木製の囲いの中を進み、開いている席に腰を下ろした。
乗車席には、見た記憶のない者達しかいない。
宿屋で相部屋だった者がいれば、少しは安心できたのだが――隊商の総人数は、ずいぶん多そうだったため仕方ない。
(それにしても……なんだか……)
重苦しいぐらい、陰鬱な空気が漂っていた。
誰もが憔悴しきった表情をしている。
「おい、ザップ。ちゃんと全員積んだか?」
小太りした男――ザップの傍に、栗毛の男が詰め寄った。
硬派な見た目をした男は、少しいかつい雰囲気がある。
「アニキ! ちゃんと、人数は揃っていやす!」
「そうか。なら、俺達もそろそろ行くか」
「了解っす」
囲いの扉が閉められ、しばらくして馬車は動き始めた。
カタカタと車輪が回る音が、どこか小気味よく響き渡る。
同席していた女が、突然すすり泣きだした。
「え? あ、あの……どうかされましたか?」
咲弥はすぐ、声を押し殺して泣く女に寄った。
女はただ悲しみに暮れ、何も答えない。
「僕で力になれるなら、なんでも言ってください」
「へっ……小僧が、どんな力になれるってんだ」
咲弥は肩越しに、男の声がしたほうを振り返った。だが、誰もが咲弥のほうを見ており、声を上げた者がわからない。
背後にいた男は全員、死んだような目つきをしている。
誰にとなく、咲弥は声を紡いだ。
「わかりません。でも、何かあるかもしれません」
「ねぇよ。そんなの……」
「どうして、そんな酷い言い方をするんですか?」
「俺も小僧もその女も、同じ売られた身だろうが」
くたびれた男の言葉が、何一つ理解できない。
咲弥は首を捻った。
「何を言ってるんですか?」
「頭でもやられちまったか? それとも、ここが弱いのか」
男は自身のこめかみを、指先でとんとんとする。
その男のしぐさに、咲弥は嫌悪感を抱いた。
さきほどといい、今といい、あまりにも失礼な人が多い。
「意味がわかりません。はっきりと言ってくれませんか?」
「はぁ……気を悪くしたんなら謝るよ。まあ、どうせ俺らの運命は変わらん」
「あの、本当に言ってる意味が、よくわからないんですが」
「奴隷だよ……わかるか? それが運命だって言ったんだ」
「……奴隷……? えっ……?」
格子状になっていた理由から、乗っていた人達の状態――
いまさら理解に達し、咲弥は一気に血の気が引いた。また同時に、奴隷という存在がある事実に対しても、少なからずショックを受ける。
胸の辺りがざわつき、いやな不快感が襲ってきた。
まさかとは思う反面、否定できない部分があまりに多い。
「まあ、運がよければ……そんな悪くねぇかもな」
「前よりも、いいところだといいな……」
「買ってくれた主様次第だよな……」
「前の主は、クソみたいな奴だった……もう嫌だ……」
男達の会話が、咲弥の胸をきつく絞めつける。
奴隷に対して悲しく思う反面、ふと想像が働いた。
今回、タダで王都まで乗車させてもらっている。
奴隷にまぎれ、乗せられていても不思議ではないのだ。
「ちょ、ちょっと、待ってください……この馬車は、王都へ向けて、出発したんですよね……? そうですよね……?」
男達は全員が顔を見合わせ、同時に小首を傾げる。
「この馬車は、アドロア町っていう無法地帯行きさ」
咲弥は絶句する。
突っ込む勢いで、御者台のほうへ近寄った。
格子状となった木枠の一部に手を置き、咲弥は声を張る。
「すみません! 僕、乗る馬車を間違えてしまいました!」
栗毛の男が肩越しに振り返り、鋭い視線を投げてきた。
「あぁん? 人数は揃ったって話だが?」
「そういや、奴隷にしちゃ鞄なんか背負っていやしたね」
「おいおい。オメェ、まさか……おい、小僧。名前は?」
「え? 咲弥ですが……」
男は鞄から取り出した紙で、何かを確認している。
しばしの沈黙を経て、男は深いため息をついた。
「はぁ……咲弥なんて名前、載ってねぇわ……」
「え? マジっすか?」
「シャレにならん。人を間違えたとか、最悪、消されるぞ」
「うぇ……マジっすか? どうしやしょう、アニキ……」
奇妙な静寂が、場に満ちる。
男がザップを、呆れ声で叱った。
「どうしようって……なんで、ちゃんと確認しねぇんだよ」
「でもこいつ、お前が最後かって訊いたらそうだって……」
咲弥のほうに指を差し、ザップはそう言い訳をした。
引きつった顔をして、男が肩越しに咲弥を向く。
「……なんでだよ?」
「隊商の話では、赤印が馬車についていると言ってました。この馬車には、赤い二重丸の印がついてたじゃないですか。だから、てっきり……」
「あっ……オレっちが、昨日遊びのためにつけた……」
ザップの呟きに、咲弥は戦慄する。
男は唖然とした顔で、ただザップを向いていた。
「小僧の理由はわかった……つか、ザップ。荷物を背負ったまま拘束具とか、普通に考えておかしいって気づくよな?」
「あ、いや。腕輪は、さっきオレっちがはめやした。へへ」
ザップは愛想笑いをする。
男は硬派な顔を渋くしてうめいた。
「拘束具、してなかったのか? そもそもから、ぜってぇに違うじゃねぇか!」
「すいやせん! てっきり、はめ忘れたのかと思って……」
「この、くそばか野郎が! 奴隷となった時点で、拘束具は絶対してんに決まってんだろうがよ! ほんとばかだな!」
男は声を大きく荒げた。
どんどん馬車は加速し、前に進んでいる。
咲弥は隙を見計らい、口を挟んだ。
「すみません! もういいですから、降ろしてください!」
沈黙が訪れ、車輪の音のみになる。
硬派そうな男が、気まずそうに振り向いた。
「すまねぇ。悪いが、ちょっと奴隷になってくんねぇか?」
男からの提案に、咲弥は驚愕する。
何を言っているのか、少し理解できずにいた。
「えっ? 嫌ですよ!」
咲弥は重ねて告げる。
「僕はどうしても、王都に行かなければならないんです」
申し訳なそうに、男は両手を重ね合わせた。
「そこをなんとか、ちょっと頼むわ。このままじゃあ、俺は上に消されるかもしれねぇ。わかるか? 殺されるんだ」
「それは、ちょっと……アレですが……でも、王都の冒険者ギルドのほうで……僕、人と待ち合わせをしていますから」
「うぇっ? 小僧、まさか冒険者かっ?」
「い、今は違いますが、そうなる予定です!」
男は心の底から、安堵したようなため息を吐いた。
「あ、焦ったぁ……冒険者ギルドに所属とかされていたら、完全アウトだったわ」
「いや、所属していなくても、完全アウトですよ!」
「ま、まあ、ちょっと、話を聞け。いいか?」
「なんですか?」
スムーズに話が終わるのなら、そのほうがいい。
咲弥は話を聞く姿勢を見せた。
「とにかく、奴隷のフリでいいんだ。わかるか? フリな。一応、形式上は奴隷だが……何も俺も鬼じゃねぇ。ちゃんと便宜ははかってやるさ」
「それは、すぐに解放してくれるってことですか?」
「ああ……まあ……それは……できる、限り?」
男は訥々と答え、咲弥の頬は自然と引きつった。
精一杯の声を張って抗議する。
「できる限りってなんですか。今すぐ解放してください!」
栗毛に指を通して、男は愛想笑いで誤魔化してきた。
こうしている間にも、馬車はどんどんと進んでいる。
男は親指を立て、ザップのほうへと向けた。
「とりあえず、今からこの豚を馬車から蹴落とす。それで、本当の奴隷を探させる。見つかれば交代って感じでどうだ」
「ええっ! アニキ! そんなぁあああ! 酷いっすよ」
「うっせぇ! もとはといえばな、テメェがちゃんと奴隷の確認をしなかったからだろうが! さっさと探してこい!」
ザップはぶんぶんと首を左右に振る。
「いや、だって……そんなぁ……酷いっすよ」
「いいからとっとと戻って探してきやがれ! 豚ザップ」
「ブヒィイイイ……」
「見つけるまで帰ってくんなよ! いいか、絶対だ!」
「もう絶対に見つかりませんよ……アニキィ!」
「もし手ぶらだったら、俺がテメェを消すからな!」
男が言い終えた直後、ガンッと鈍い音が響いた。
ザップが本当に、馬車から蹴り落とされたのだ。
馬車はもう、かなりの速度が出ている。
ボールみたいに転がるザップが、素早く遠のいていった。
「なっ? 見ただろ? 俺はな、ちゃんと約束を守る男だ。とりあえず、フリだけでもいいから、なんとか頼むぜ……」
咲弥は唖然となり、言葉が出てこない。
蹴落とされたザップが、無傷で済むはずがない。
「それに奴隷も、案外……悪くねぇかもしれねぇ。ちゃんと飯は出るし、寝床だってある。ああん。悪くねぇなあ……」
咲弥ははっと我を取り戻した。
なかば聞き流していた男の言葉に反応する。
「いや、悪いですよ! 奴隷ってなんですか。奴隷って!」
「ちょ、落ち着けよ。俺にできる範囲内で協力はするから」
「奴隷って……いったい、何をされるんですか?」
男は虚空を見上げる。
「ああ……ここでは、主に肉体労働だな。現在とある施設の整備中なんだが……それに奴隷の多くが、割り当てられる」
「施設?」
「まあ……あんま気分のいい施設じゃねぇよ」
どんな施設なのか、男は口を閉ざして続けなかった。
いずれにしても、拘束され続けているわけにもいかない。
ただ無理に逃げ出せば、今度は男の命に関わるようだ。
咲弥は徐々に、諦めの境地に入ってくる。
「わかりました……できる限り、早くお願いしますよ」
「マジかっ? やってくれるか? ああ、ありがてぇ……」
男はとても大きなため息を漏らした。
「あぁ、そう。俺、ロイってんだ。よろしくな、咲弥君」
「ええ……よろしくお願いします……」
咲弥は渋々、もといた座席へと戻った。
ふと気づけば、泣いていた女は静かになっている。
激しく回転する車輪の音だけが、咲弥の耳に届いた。
(僕も、泣きたくなってきたな……)
そんなことを、咲弥は心の内側で呟いた。