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神殺しの獣  作者: Key-No.92
第四章 無数にある分岐点(下)
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間話一 朝の風景




 帝国で初めての朝を迎え――

 咲弥は長く伸びた食卓の席に着いていた。


 真っ白な卓布(たくふ)の上には、芸術の(いき)に達した料理がいくつも並べられている。お皿一つとっても、なにやら異常なくらい(こだわ)り抜かれた雰囲気が(かも)されていた。

 これは、絵画の一種――もしそう言い張られたら、素直に納得したに違いない。


 仮に絵画と定義した場合、手前にある料理は、きっと朝を表現している。そのほかにも、日の出に照らされた庭園に、果樹園が描写された作品まであった。

 そんな感想を抱きつつ、咲弥はおずおずと食事を始める。


 まず芸術の一部を、(ひか)えめにフォークで突き刺した。

 申し訳ない気持ちを込め、今度はナイフで切っていく。

 それから口へ運び、ゆっくりと()み締めて味わう。


 凝縮されたうま味が、口の中を完全に支配していった。

 噛むたびに、味が踊り狂っているような印象さえ抱く。


(なんか……美味しいのに、まったく味がしないや……)


 心の中で漏れた声は、もはや矛盾でしかない。

 その訳については、しっかりと理解している。


 食器の触れ合う音が、極わずかながら鳴っていた。

 咲弥とは対面にあたる席――とはいえ、かなり遠い場所に帝国軍第二大将軍のジェラルドがいる。彼はとても優雅(ゆうが)に、朝食を堪能している様子であった。


 また咲弥達の(そば)には、侍女が一人ずつ待機している。

 何か指示が飛べば、即座に行動するためなのだろう。


 咲弥は今朝を振りかえり、ややげんなりとした。

 (いた)れり尽くせりといえば、聞こえはいい。

 だが何事にも、限度があると痛感させられた。


 重々、承知している。侍女としての責務があるのだ。

 だからといって、起床時間前に部屋を訪れ、朝の身支度も含め、何から何まで世話をしようとするのは、さすがに困り果てるしかない。

 下着の()き替えすら、侍女達はやろうとしてきたのだ。


 こればかりは、恥ずかしいなんてものでは済まない。

 かなりごねた末に、侍女の一人が咲弥にこう言った。


『咲弥様のお世話は、きちんとなさってください――上からそう申しつけられております。もしこれを反故(ほご)にした場合、私達一同、(そろ)って首を切られる結果を招きます。ですから、どうかご安心して、お任せくださいませ』


 脅迫まがいの忠告を受け、咲弥は押し黙るほかない。

 最終的には、朝の身支度程度は自分でやると、上にはそう話を通しておくといった形で、なんとか侍女達には納得してもらえた。

 そんな一騒動(ひとそうどう)を終え、今現在へと至っている。


 貴族的な暮らしはできそうにないと、心から実感した。

 ガチャガチャとうるさい物音が常に鳴り、そこかしこから大きな笑い声や話し声が飛び交う――酒場の日常とも呼べる光景が、初日にしてもう恋しくなる。


 ここはまるで、御通夜を連想させるほど静かだった。

 この状況で朝食を楽しめとは、無理にも(ほど)がある。

 もっと言えば、今日だけの話ではないのだ。

 しばらく続きそうな予感が、心苦しさを増大させている。


(こういうのも、やっぱ慣れなのかなぁ……)


 実際、経験したことのない奴隷暮らしには慣れた。

 これもまた、住めば都なのかもしれない――奴隷時代とは対称と言える貴族的なものも、例外ではない可能性が浮く。

 ただ不自由がないぶん、慣れるのは時間がかかるだろう。


「咲弥殿」


 ジェラルドの太い声が耳に届き、咲弥ははっと我に返る。

 彼は小首を(かし)げ、やや不安そうな表情をしていた。


「食事が進んでおりませんが、お口に合いませんか?」

「あっ、いいえ。すみません。少し考え事をしてました」

「そうですか。料理長が腕に()りをかけた料理――どうか、堪能してください」

「はは……本当に美味しくて、びっくりしました」


 ジェラルドは、ゆっくりと(うなず)いた。


「この料理を用意してくれた料理長は、もとは調理ギルドに所属していた方で、若い頃はなんでも、諸外国を飛び回って修行していたとお聞きしています」

「そうなんですか」

「料理は味覚だけでなく、触覚、聴覚、視覚、嗅覚と五感のすべてで味わう――これが彼の流儀のため、お皿の一つにも(こだわ)りをもっております」


 咲弥は感嘆の吐息を漏らした。

 芸術的に見えたのも、料理長の努力の結晶に違いない。

 ジェラルドは微笑する。


「昔の話ですが、腹に入れば同じではないのか……? 私がそう言ったとき、ひどく激昂してしまいましてね……料理の意義がわかるまで、説教されました」

「ははは……」


 咲弥は苦笑した。

 ジェラルドにも青い頃があったのだと、少し安心する。


「説教後に出されたのが、お世辞にも美しいとは言い難い、食材がかき混ぜられた冷えた料理でした。ですが、まあ……食べてみると、これがまた美味しいのです」


 まず頭に浮かんだのは、冷やし中華とサラダであった。

 ただ故意に冷やされたのかどうかで、話は大きく変わる。


「それからすぐあと、また同じ食材のみを使用された料理が出されました。そちらは先の料理とは(こと)なり、とても整った彩り豊かな見た目をしています。かき混ぜるといった過程を省かれただけに過ぎないのですが、彼の言う五感のすべてで味わう――その意味を、はっきりと理解させられました」


 混ぜても美味しい。混ぜなくても美味しい。

 さらに故意ではなく、もとから冷えている。

 いくら考えても、明確な答えは見えてこない。

 咲弥は思考を諦め、ジェラルドに問いかけた。


「具体的には、どんな料理だったんでしょうか?」

「新鮮な海鮮類を扱った料理でしたか――この暑い国では、なかなか食べられない一品だと言われました。ああ、あとは卵焼きや、野菜も使われていましたね。分類上は、米料理にあたるのだと思われます」


 咲弥は眉をひそめた。

 漠然と脳裏(のうり)に料理の姿が浮かび、さらに尋ねてみる。


「それ、お米にお酢を混ぜられていませんでしたか……?」

「ああ……そうそう。思いだしました。その通りです」

「うわっ……それって、ちらし寿司なのでは……!」

「そのような名称なのですか?」


 ジェラルドからの素朴な疑問に、咲弥は少し戸惑った。


「ああ、いや……こちらでどう呼ばれているのか、ちょっとわかりませんが……僕が聞いたのは、そんな名ですね」

「おお……まさか咲弥殿も、食した経験があるとは」

「あははは……」


 咲弥からすれば、ジェラルドのほうにこそ、信じられない心持ちだった。

 とはいえ、別にそこまで不思議というわけでもない。

 完全に一致ではないにしろ、似た料理はたくさんあった。


 レイストリアの王都を探索していたときに、見覚えのある料理はいくつも発見している。その中でも一番驚いたのは、やはりラーメン屋台があったことだろう。

 それは箸ではなく、フォークで食べる代物であった。


 まったく別の世界なのに、なにかと類似点は多い。

 少し奇妙な気持ちを覚えながら、咲弥は(つぶや)いた。


「僕も久々に、食べてみたいですねぇ」

「わかりました。私のほうから、彼に話を通しましょう」

「え? あ、いやいや……そんな、ご迷惑を……」


 催促(さいそく)したつもりではないため、咲弥は(あわ)てて否定した。

 ただちょっと、本音が漏れただけに過ぎない。

 ジェラルドはふっと微笑する。


「いいえ。彼とは気心知れた仲ですから。ただ、さきほども申しました通り……この暑い国では、なかなか難しい一品に間違いありません。ですから、用意に多少時間がかかるかもしれないというのは、覚悟しておいてください」

「ああ、いや……はい。ありがとうございます」

「それでは、朝食で英気を養ってください」

「はい! いただきます」


 久々に見知った料理が、食べられる可能性がある。

 口では否定したものの、内心はとても(うれ)しいと思った。

 それに加え、料理長の話を聞いたというのも大きい。


 気分が変われば、味もまた変わる。

 味のしなかった朝食が、とても美味しいと感じられた。

 食事する人のことを、極限まで考え抜かれている。


 作法や礼儀に関しては、少し億劫(おっくう)ではあったが――

 気がつけば、あっという間に食べ終わっていた。


(はぁ……凄い、ちょうどいい量だったなぁ……)

 咲弥は満足感に浸りながら、食後の挨拶をする。

「ご馳走様でした。本当に、美味しい料理でした」


 ジェラルドは微笑み、鷹揚(おうよう)(うなず)いて応えた。

 咲弥はしばし、食後の休憩に入る。


 そうして、本日から始まる――

 また新たな一日を、迎え入れたのだった。




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