第八話 それぞれの報告
もうほどなくして、日没を迎え始める時刻――
咲弥は通信機を片手に、暑い帝都を歩いていた。
「えぇっと……シフォンの森、シフォンの森、と……なんのお店なんだろ?」
大雑把な所在地と店名の二つしか、仲間からメッセージは入ってきていない。
そのため、紅羽達の現状をいまだ把握できないでいる。
ただ問題が発生していれば、もっと何かあるに違いない。
咲弥は安心感を持ち、シフォンの森を目指していく。
今は商業区域にいた。ここは、屋台や露店が実に多い。
暑さに負けないくらい、血気盛んに賑わっている。
商売人の活発な声につられ、視線が右へ左へと流れた。
「わぁ、凄いな……ん、果物……? あれは、なんだろ?」
国が違えば、気候も異なっている。
もちろん何もかもというわけではないが、レイストリアの王都では見慣れないような食材が、この帝都にはごろごろと転がっている様子であった。
ふと王都にある酒場のマスターの姿が、脳裏に浮かぶ。
きっと彼が帝都を訪れたら、店中を巡って味見している。
そんな想像から、マスターの料理が急に恋しくなった。
(そういえば……母さんの手料理も、もう……)
あまり考えないようにしていた。だが、つい連想が働く。
父と母の姿――咲弥は首を横に振り、思考を振り払った。帝都の熱された空気を大きく吸い込み、胸の中に漂い始めたモヤと一緒に吐き捨てる。
紅羽達との合流後に、咲弥は思考を切り替えていく。
今後の方針について、話さなければならないことは多い。
咲弥は進む速度が、自然と少しばかり上がった。
しばらくして、ようやく目的地と思しき建物を発見する。
木の形を模した看板に、シフォンの森と書いてあった。
「あっ……きっと、あれだな」
外観の雰囲気から、服屋なのだろうと判断する。
仲間の居所を掴むや、咲弥は首を捻った。
メッセージが送られてきてから、もうすでに結構な時間が経っている。服選びをしているにしても、さすがに何時間も留まれるような場所だとは思えない。
連絡できないほどの問題が起きたのではないか――
不穏な想像が脳裏で働き、咲弥は嫌な胸騒ぎを覚える。
焦燥感に襲われながら、店の玄関口へと早足で向かう。
扉にある持ち手を握り締め、おそるおそる開いていく。
すると扉の上部に備えつけられていたベルから、涼やかな音色が鳴り渡る。褐色の肌色をした赤毛の女が反応を示し、店の玄関を振り返った。
服装からでは判断しづらいが、おそらく店員なのだろう。
「あっ、いらっしゃいませ。ようこそ、シフォンの森へ!」
赤毛の女店員が、元気いっぱいの挨拶で出迎えてくれた。
一見、異常らしい異常は、どこにも見当たらない。
お客の姿はなく、どこか物寂しい雰囲気が漂っている。
不意に店の奥から、ゼイドがひょっこりと顔を覗かせた。
「おっ? 咲弥。やっと来たか」
「ゼイドさん!」
咲弥は小走りで、女店員とゼイドに近寄っていく。
辿り着くまでの最中、女店員がぼそっと呟いた。
「あぁ……この人が、噂の……?」
よくわからないが、どうやら何か噂されていたらしい。
状況を掴めないまま、咲弥はゼイドの前に立つ。
噂の内容も気になるが、まずは事情の説明をした。
「遅くなって、すみません。ちょっと距離が遠くて……」
「ああ、そうだったのか」
「はい……あの、紅羽達はどこへ?」
咲弥が尋ねたとき、複数の足音が奥のほうから聞こえた。
特に何も考えないまま、ぼんやりと視線を移していく。
予想外の光景に目を疑い、咲弥はぎゅっと眉をひそめた。
「お、咲弥じゃん」
「咲弥様」
「おお。戻って来たか」
ネイ、紅羽、メイア――咲弥は絶句から逃れられない。
もはや慌てるという領域を、軽々と飛び越していた。
どんな事情から現在に至ったのか、本当に把握できない。
咲弥は口をぱくぱくとさせ、無理矢理に声を発した。
「え、あっ、えあ……な、なんちゅう格好してんですか!」
ふっくらとした胸に、きゅっと引き締まった体のくびれ。さらにお尻の形から脚の細さと長さまで、あまりの露出度の高さに、見ただけでもはっきりとわかる。
仮に痴女と言われても、おそらく誰一人として疑わない。
それぞれ髪の色を基調とした水着――少し頑張れば、そう受け取れないこともないが、やはり似て非なる別物だろう。
それはどこか、アラビアンな雰囲気に近いと感じさせた。
ネイが腰をくいっと持ち上げ、凛とした顔に微笑を湛えて訊いてくる。
「どうよ? 似合ってるっしょ?」
ネイが衣装を見せびらかすように、姿勢を変えていく。
そのたびに、豊満な胸がぷるんぷるんと荒ぶっている。
「ちょ、ちょっと!」
咲弥の動揺が、最高潮に達する。
ネイの胸が、危うくぽろりとこぼれそうに見えたからだ。
咲弥が泡を食っていると、紅羽が静かに近づいてくる。
「咲弥様。見てみてください」
咲弥は戸惑いながらも、紅羽に視線を据えた。
すると何を思ったのか、急に紅羽が踊り始める。
しなやかな舞は、踊り子だと錯覚してもおかしくはない。
たおやかに踊る紅羽の背後に、ネイとメイアも加わった。
咲弥は三人の踊りを、やや気が抜けた状態で眺めた。
やや幻想的であり、同時に蠱惑的な印象も放っている。
不意に目を奪われる――そんな魅力に満ち溢れていた。
「はぁん……とても、素敵だわぁ。この短時間で、ここまで踊れるようになるなんて……本当に凄いとしか言えないわ」
赤毛の女店員が、目をきらきら輝かせて呟いた。
ゼイドが腕を組み、豪快に笑う。
「戦闘技術に、なんか通ずるもんでもあるんじゃねぇのか」
「確かに……華麗に戦う方もいますねぇ」
「俺みたいな武骨なもんじゃ、こうはならねぇかんなぁ」
二人の会話が終わる頃、紅羽達の踊りも終了した。
咲弥一人が、どこか場違い感を覚えている。
紅羽が紅い瞳を向け、淡々とした口調で尋ねてきた。
「どうでしたか?」
「……え?」
咲弥は間の抜けた声を漏らしたあと、固まってしまった。
衝撃的過ぎて、鮮明なのに記憶が曖昧にぼやけている。
言葉を選んでいる最中、メイアがふっと短く笑った。
「どうやら魅力的過ぎて、声も出ないようだ」
「はっきりと、よかったって言ったらんかい!」
ネイが虚空へ拳を何度も突き入れ、険しい顔で怒鳴った。
咲弥はひどく戸惑い、苦笑しつつ両手を小さく振る。
「あ、いや、その……なんか、見とれてましたから……」
「どうでしたか?」
紅羽が小首を傾げ、再び問いかけてきた。
咲弥はうめき、自然と視線が泳ぐ。
「あぁ、うん……その、とても、よかったよ……」
「なんじゃい、その適当な感想は! もっと言うべきこと、ほかにあるっしょ」
「えぇっ……? い、いや、あのぅ……」
ネイの催促に、咲弥は困り果てる。
本心を告げたつもりなのだが、ものたりなかったようだ。
咲弥は思考をぐるぐると巡らせた。
「えぇっと……うん。とても、綺麗……でした、かな?」
ネイとメイアが、揃ってため息をついた。
咲弥の感想は、お気に召さなかったらしい。
気の利いた言葉でも送れたらよかったが、さすがに展開の把握が困難を極めている。そのうえ、紅羽達のあられもない姿の件も、いまだに尾を引いているのだ。
少なくとも、咲弥には精一杯の感想を述べている。
苦笑で誤魔化していると、赤毛の女店員が迫ってきた。
「あのあの! あなたが噂の咲弥様? 私、シーラです!」
「あっ、そうだった……その、噂のってなんですか?」
咲弥はふと思いだし、赤毛のシーラに問い返した。
「紅羽ちゃんが咲弥様次第と言っていたので……あのあの、どうか紅羽ちゃん達を、少しお貸しいただけませんかっ?」
「え、えっ……?」
シーラの気迫に圧倒され、咲弥はやや腰が引けた。
彼女はさらに、咲弥との距離を縮めてくる。
「昔まであった祭典を、私どうしても復活させたいんです。でも、その祭典は一か月半後くらいを予定していまして……踊り子の数もなかなか揃わなくて……紅羽ちゃん達みたいな踊り子が一回でも出れば、来年も再来年も祭典をしようって、思ってくれるかもしれません。ですから、お願いします!」
シーラは、深く頭を下げてきた。
少し拙い言葉の羅列は、きっと必死だからに違いない。
シーラの熱量から、本気さがしっかりと伝わってきた。
漠然とではあるものの、紅羽達の全容が見えてくる。
咲弥が応答する前に、紅羽が問いかけてきた。
「咲弥様、問題はありませんか?」
紅羽の隣に、ネイが寄り添った。
ネイはため息まじりに、紅羽の頭をぽんぽんとする。
「本当、やれやれよね。なんかあんたに似てさ、困っている人をほうっておけないんだって。今回の件は、紅羽の独断。あとは、あんたの意向次第ってわけ」
ネイの補足説明を聞き、咲弥は内心で驚いていた。
そもそも、真っ先に咲弥が動くからなのかもしれないが、それにしても――ある条件を省いたうえで、紅羽が自発的な行動を取るのは、やはりなかなか珍しい。
普段なら事を運ぶ前に、指示を仰いでいただろう。
事情をあらかた呑み込み、咲弥は小刻みに頷いた。
「それなんですが……おそらく、何も問題はありません」
紅羽達は揃って小首を傾げた。
咲弥は説明する前に、ジェラルドの言葉を振りかえる。
『でしたら、こうおっしゃってください――極秘任務につき事情を深くは明かせないが、見通しが立たない任務期間中は帝国城付近に駐在する。また戦闘技術向上のため、帝国軍の訓練にも参加する運びとなった。と、どうでしょうか?』
これには、真実と虚実が織り交ざっていた。
少なからず、皇女絡みだとは間違いなく思われない。
よくて軍に関する任務と、そう疑われるぐらいで済む。
咲弥はジェラルドの言葉を、少し噛み砕いて伝えていく。
最初に顔を輝かせたのは、シーラであった。
「そ、それじゃあ……!」
「はい。僕のほうは正直、どれくらいかかるのか、まったく判断のつかない状態なんです……ただ祭典の話に関しては、別に何も問題ありませんよ?」
咲弥は前置きをしてから、シーラへはっきりと伝えた。
「たとえ祭典までに終わったとしても、紅羽やネイさん――あとメイアさんが了解されているんでしたら、そもそも僕の意向なんか、必要ありませんから」
「おいおい! 俺も一応、裏方として働くんだぜ」
ゼイドがやや憤慨気味に言ってきた。
咲弥は少しはっとなり、苦笑を送る。
「そ、そうだったんですね。すみません……もし祭典までに任務が終われば、僕も自由に動けます。ですから、微力かもしれませんが、お手伝いさせてください」
ゼイドが無言で二度頷き、了承を示した。
シーラが紅羽の隣に移り、やや覗き込むように微笑む。
「聞いていた通り……本当に優しくて、いい方なんですね」
「はい」
紅羽が微笑みを湛え、ゆっくりと頷いた。
それから、咲弥の傍まで歩み寄ってくる。
「ありがとうございます」
「うんん。紅羽が自分で決めたことなんだ。むしろ、なんか嬉しいよ」
それは、概ね本音ではあった。
奴隷施設を脱したあと、紅羽の思考は咲弥が主体だった。
特殊な状況を除けば、他者に関心などまったく示さない。
だから紅羽が独断で行動している場合、それは最終的に、咲弥のためになるからといった理由でしかなかった。実際、紅羽のお陰で助かった場面は多い。
そんな彼女が、咲弥に繋がらない件で動いたのだ。
紅羽は人として成長している。それは、明確な事実だ。
咲弥のいない場所で、咲弥とは関係のない人を助ける。
咲弥は本心から、とても嬉しく思う。
ただ心のどこかで、同じくらい寂しさも感じていた。
きっと、紅羽はもう――
たとえ咲弥が消えても、もう大丈夫なのかもしれない。
自分で考えて動き、仲間の輪を広げて生きていける。
今回の件から、そんな印象を強く受け取れた。
(そっか……きっと、僕のほうが……)
傍にいるのが、あたりまえだった。
指示を仰がれるのは、何も不思議に思わなくなっている。
そのせいでより一層、寂しさを覚えているに違いない。
離れるのが寂しいのは、むしろ咲弥のほうなのだ。
複雑な心境を抱えたそのとき、破壊と再生の神リフィアの件が脳裏をよぎる。それ以外の問題も、次から次へ頭の中を駆け抜けていった。
そう遠くない未来、事と次第によっては――
「咲弥様……?」
紅羽が真顔で、小首を傾げた。
咲弥ははっと我に返る。すぐさま、苦笑で応えた。
少なくとも今は、何も判断がつけられない。
咲弥は心を押し殺してから、なにげない声音で告げる。
「……でもさぁ……さすがに、その格好は、ちょっと……」
「あぁ~? わかったぞ! あんた、ほかの男に紅羽の肌を見られるのが、嫌なんでしょ? 妬いちゃってるんだ?」
それ以前の話だが、あながち間違いとは言い切れない。
ネイからの指摘を受け、咲弥はうっとうめいた。
「いやいや、紅羽だけじゃなくて……もっとこう、皆さん、羞恥心と言いますか、恥じらいと言いますか、そういうのを持たれたほうがよろしいのでは?」
ネイがいたずらな笑みを浮かべ、魅惑的な姿勢を取った。
「世の男どもを、一人残らず虜にしてやんぜ!」
「何か問題があったら、どうするんですか」
「へぇ? 心配してくれるんだ?」
「そりゃそうですよ」
「安心しなさい。そんときは、返り討ちにするだけだから」
「むしろ、そんな気概のある男を見てみたいもんだ」
ネイとメイアの発言を聞き、咲弥は苦笑する。
襲いかかった女に、呆気なく再起不能、あるいは殺される――王都の冒険者ギルドにいたとき、そんな事件をちょくちょく耳にした覚えがあった。
また紋章具にも、防犯的な代物がごろごろとある。
よほど実力差がない限り、下手な真似はできない。
とはいえ、だから心配しないとはならないのだ。
「それでも、気をつけるに越したことはありません」
咲弥はため息をつき、それからふと気づく。
傍に立つ紅羽が、さきほどから真顔で小首を傾げたまま、咲弥を見つめてきていた。何か言いたいことでもあるのか、彼女の心情はよくわからない。
「ん……どうしたの? 紅羽」
「咲弥様の事情は理解しました。ですが――」
「ん?」
「依頼された方は、女の方だったのですか?」
「え……?」
今度は、咲弥が首を捻った。
紅羽が無表情のまま、淡々とした声を紡いだ。
「咲弥様から少々、女性の香りがしましたので」
咲弥は心底、ぞっとした。
やましいことなど何一つない。それは、断言できる。
しかし女の嗅覚の鋭さを知り、謎に戦慄させられた。
花の香りに満ちた皇女シャーロットの部屋か、帝国紋章学研究所のパスカか、帝国軍第一千人隊長のシルヴィアか――思いあたる節は、この三つしかない。
咲弥ははらはらとした気持ちを抑え、冷静に言葉を選ぶ。
シャーロットに関する話題は、完全に極秘事項なのだ。
「あぁ、たぶん……試し合いのときに、ついたのかなぁ……同じ爪使いだって紹介されてさ、なんか流れから戦闘能力を把握するために、実戦させられたから」
紅羽を相手に、あまり変な嘘はつきたくはない。
とはいえ、パスカのほうは誤解を招きそうな気配がする。
軍にまつわる話のほうが、今後も含め無難と考えたのだ。
紅羽は表情を変えず、また問いかけてくる。
「その相手が、女の方だったのですか?」
「う、うん。そうだね」
「そうですか」
納得したのかどうか、表情からは読み取れそうにない。
いやらしい笑みを浮かべ、ネイがぼそっと言った。
「対戦中に、どうせいやらしいことでもしたんでしょ」
「してません! というか、めちゃくちゃ強かったです!」
「へぇ……?」
ネイが片目を細め、じっと睨んでくる。
咲弥はなんとも言えない気持ちを胸に、戸惑うほかない。
「それで、いつまでここにいられるんだ?」
ゼイドの言葉に、咲弥は素直に答える。
「それが、すぐに戻らなければなりません」
「マジか。今さっき来たのにか?」
「はい。本当は使者を送ると提案されたんですが、仲間への報告は自分で直接させてほしいと、少し無理を言って許可を出してもらったんです」
「あぁ……そうか」
ゼイドは小刻みに頷き、低い声で了承を示した。
咲弥は一同の顔を、順々に眺めていく。
みんなそれぞれ、残念そうな面持ちをしていた。
紅羽も無表情ではあったものの、どこか暗い雰囲気が少し滲んでいる。
「本当に、すみません」
「まあ、任務なら、どうしようもないわよね」
ネイが肩を竦め、ため息まじりにそう言った。
咲弥は頷いたあと、深く頭を下げる。
「しばらくの間、連絡も取れなくなるかもしれませんが……こうして外出の許可か、連絡が取れそうなら取ってみます。それで、どうかよろしくお願いします」
「ほぉーい」
「ああ。わかった」
「まっ、しゃあねぇか」
みんなばらばらに、了承の声を上げていった。
少し寂しく感じながら、咲弥は紅羽に目を向ける。
紅羽はただじっと、咲弥のほうを見据えてきていた。
おそらくは、問いたい疑問が山ほどあるに違いない。
彼女の紅い瞳には、そんな葛藤が宿っている気がした。
咲弥は少し考えてから、紅羽に告げる。
「任務が終わったらさ……王都でしているみたいに、帝都の探索してみない?」
紅羽はほんのわずかに、目を大きくする。
神々しい顔に微笑みを湛え、紅羽はこくりと頷いた。
「はい。了解しました」
紅羽の表情を眺め、咲弥はほっと安堵する。
それから、雑談を少ししたあと――咲弥は一人、帝国城へ戻っていった。その道中、今後の不安に加え、紅羽が見せた変化についても思考が巡る。
いつまで彼女の傍にいられるのか、漠然とした不安が胸をきつく苦しめた。