表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神殺しの獣  作者: Key-No.92
第四章 無数にある分岐点(下)
173/222

第三話 守護神獣からの警告




 (ねば)り気のある恐怖に包まれ、咲弥の全身は強張(こわば)っていた。


(あれは……間違いない。シャーロット様だ)


 泉の中心で(そび)え立つ、螺旋状(らせんじょう)()じれた巨大な大樹の根本付近――まだ距離があるため、はっきりとはしない。だが、(とら)われている様子が色濃く感じられた。

 咲弥は覚悟を決め、まずは片足を水面へと運んでいく。


 足は沈まない。それはどこか、ゴムに似た感触だった。

 やはり想像した通り、ただの水ではない。

 咲弥は怯えながらも、シャーロットを目指して進む。

 近づくにつれ、どんどん状況を把握できた。


 シャーロットの両手足が()るされたような姿勢で、大樹に()まっている。融合かどうかの判断はまだできないが、体が木に浸食されつつあると見受けられた。

 やがて、大樹の一部となる。そんな印象を強く抱かせた。


 泉の上を進み、シャーロットに半分近づいたところで――

 眠りから覚めるように、彼女の目が見開かれていく。

 ぼんやりとした顔を向け、シャーロットが声を(つむ)いだ。


「た、すけ、て……助け、て……」


 ややかすれた可憐(かれん)な声を聞き、咲弥はふと呼吸を忘れる。

 魂は無事――そう安堵(あんど)した直後のことであった。

 脳内に直接、重く低い声が響き渡ってくる。


《去れ。闖入者(ちんにゅうしゃ)。ここは、神域だ》


 背筋に悪寒が走り、咲弥は不意の寒気を覚えた。

 途端に泉の水が震え、同時に周囲の森がざわつき始める。


 すると水中から、細長い魚に似た蛇龍種(だりゅうしゅ)が一体出現した。さらに二つの首を持つ、巨大なトナカイらしき存在が二体、ゆるりと水面へ舞い降りてくる。

 また上空には、巨大な鷹のような鳥が空中停止していた。

 どれも神聖な雰囲気が、きついくらい放たれている。


闖入者(ちんにゅうしゃ)。去れ。命惜しくば、二度と踏み込むな》

《次はない。我ら守護神獣が、汝の命を滅する》

《去れ。闖入者》


 どの個体が声を発しているのか、まったくわからない。

 漠然とした予感を覚えながら、それでも咲弥は恐怖を振り払って問いかけた。


「なぜ……彼女は囚われているんですか?」

《汚らわしい。言葉を、声を(つむ)ぐな》

《直ちに去れ。闖入者》

《下等生物。消え去れ》


 案の定、まるで話が通じない。

 じわりと肌や気配から伝わってきた。神の番人と思われる存在が、臨戦態勢へ入りつつある。おそらくは、言葉の通り強制的に排除するつもりなのだろう。

 希望は見えないが、咲弥は一歩を――


「――っ!」


 咲弥の前にある水が、(すさ)まじい勢いで二つに裂けていく。

 もしあと一歩を踏み出していたら、片足を失っていた。


 咲弥はぞっとしながら、守護神獣を力強く見据える。

 水飛沫(みずしぶき)にも似た衝撃波は、目で確認ができた。とはいえ、どの個体がどう放った攻撃なのかが、まるで理解できない。それこそ、無から生じたとさえ思えた。


 見えない場所に、別の存在が(ひそ)んでいる可能性が浮く。

 咲弥は警戒を最大限に、また語りかけた。


「……シャーロット様を、どうか解放してください」

《警告する。闖入者(ちんにゅうしゃ)。次はない》

(いな)。今、滅する》


 咲弥ははっと息を呑んだ。迅速に後方へと飛び退()く。

 瞬間――四方八方から、さきほどの衝撃波が迫ってきた。

 咲弥は悔しさに心を痛めながら、精神世界を解除する。


「うぁはっ……はぁあはぁ……はぁ……」


 まるで水中から這い上がったあとのような呼吸を、咲弥は繰り返していた。

 ひどく息苦しい。嫌な汗がどっと下へ流れ落ちていく。

 視界はすでに、現実世界に戻って来ていた。


 精神世界からの帰還が、あとわずかにでも遅れていたら、咲弥の魂は消滅させられていたに違いない。そんな予感が、胸にある恐怖心をより一層高めていく。

 呪術師ラクサーヌが、ふんと鼻を鳴らした。


「なぁにやってんだ? お前?」

「咲弥殿……いかがなされましたか?」


 ジェラルドが不安げな面持ちで、咲弥に歩み寄ってきた。

 応える余裕がない。先に自分の心を、静めるよう努める。

 困惑の空気が漂う場に、ラクサーヌの笑い声が響いた。


「はっはっはっ! やっぱ、ただのガキだな。白爪とやらを刺してすぐ引き抜くとか、パフォーマンスとしても、ちっとばかし稚拙(ちせつ)過ぎるぜ?」

「え? あっ……」


 咲弥は息を整えつつ、言い忘れていた事実に気づいた。


「実は精神世界と現実世界では、時間の流れが違います……こちらでは数秒かもしれませんが、あちらでは結構な時間が経っています」

「ほぉん……で? お前の語る物語だけは、聞いてやるよ」


 ラクサーヌが嘲笑をまじえて言った。

 咲弥は、ようやく息を整え終える。


「これから、見たままをお伝えします」


 まず語ったのは、暗闇からではなかったことであった。

 どんな景色があったのか、泉で何が起こったのか――

 最初は茶化していたラクサーヌも、次第に口を(つぐ)んだ。

 誰もが無言で、咲弥の話を(けわ)しい顔で聞き入っている。


「これ以上は、残念ながら……もう、留まれませんでした。これも後づけになってしまいましたが、もしあちらで怪我を負った場合、現実では目に見えない怪我となって残ります。魂だけが、ひどく()んでしまうからです」


 咲弥の説明を最後に、場は静まりかえる。

 深い沈黙を破ったのは、ラクサーヌであった。


「おい、ガキ……また、聞かせろ。泉に赤い葉の木があり、そこに娘が繋がれたような状態で囚われていた、と?」

「あ、はい。そうです……両手足が大樹に埋まり、そこから少しずつだと思いますが、シャーロット様の体が、どんどん木に浸食されているように見えました」

「……まさか、破滅樹の呪い。か……?」


 咲弥は首を(ひね)った。


「破滅樹……? なんでしょうか、それは?」

「皇族や王族から始まる、神の力を使った呪い――破滅樹の呪いを受けた者は、次第に肉体が木へ変わる。根を伸ばし、巨大な成長を()げ、最終的には国自体を呑み込む。たとえ、どこへ逃げようとも、だ――呪いを受けた血筋は皆、次々に同様の呪いにかかり、最後にはただ深い森だけが残るんだ」


 ラクサーヌは嫌な顔をせず、予想外にも説明してくれた。

 漠然とした想像が、咲弥の恐怖心を()き立てる。

 もしラクサーヌの推測が正しければ、今は単なる始まりに過ぎない。シャーロットが起点というだけであり、これから呪いが広まっていく可能性を示していた。


 重い空気に、場が支配される。

 静寂を払うかのように、スイがそっと声を(つむ)いだ。


「咲弥殿が語った守護神獣――それは、ユグドラシール様に仕えし聖獣では……」

「……はい。私もまた、同様の想像を抱きました」


 スイとジェラルドを、咲弥は交互に見つめる。

 すると困惑を宿した視線に、スイが気づいてくれた。

 スイは硬い面持ちを崩さず、重い声音で語り始める。


「帝国が灼熱の地にありながらも、人々が繁栄できるのは、ユグドラシールといった女神の加護があり、()の神に仕えし聖獣それぞれが、多大な恩恵を与えているからと、古来より云い伝えられているのです」


 スイが綺麗な青い瞳を、まっすぐ咲弥へと向けてきた。


赫灼(かくしゃく)の炎が闇を払い、恵みの大地が生命を育む。(おだ)やかな風が命を運び、(いや)しの水が(うるお)いを与える。これらすべては、女神ユグドラシールによる恩恵なり――と」


 神話を聞き、咲弥の脳裏(のうり)に疑問が巡る。

 そんな女神がなぜ、少女を呪ったのかがわからない。

 咲弥が悩んでいるさなか、ラクサーヌがぼそっと言った。


「ちと、あまりにもでき過ぎだな……」

「え?」


 ラクサーヌが片目を細め、咲弥を(にら)みつけてきた。


「宝具所持者っつぅのは、素直に認めてやるよ。だが、その能力に関しちゃ、さすがにちょっと疑わざるを得ねぇな?」

「疑う……?」

「その精神世界とやら、本当にそんなもんがあんのか?」


 ラクサーヌは(あご)をしゃくりあげ、鼻で笑った。


「単純に、それらしい呪いや帝国の神話を、事前にどこかで調べておいた――って、それだけの話じゃねぇだろうな? もしそうなら、相当なペテン師だな」


 難癖(なんくせ)にも程がある。咲弥は首を横に振った。


「い、いえ……違います! 呪いの話も神話も、いま初めてお聞きしましたから」

「どうだかな。皇族連中に取り入ろうとするために、お前が(たばか)っている可能性もなくはないだろ。人は目的のためなら、手段を(えら)ばねぇからな」


 あまりにも理解不能な疑われ方に、咲弥は絶句する。

 ただ証明自体は、さほど難しい話ではない。

 しかしジェラルドが、一歩を前に進んだ。


「残念ながら、そのような可能性はありえないかと――」

「なぜだ?」


 (いぶか)しげに、ラクサーヌは小首を(かし)げた。


「皇帝陛下に謁見(えっけん)するまでの間、咲弥殿には事情がいっさい明かされておりません。彼が我々の目的を知ったのは、ついさきほどのことなのですよ」

 ジェラルドは、さらに述べた。

「そもそもの話ですが、咲弥殿が皇族と面会をすると知った事実でさえ、帝国を訪れるまでは知らされておりません――ですから、事前にというのは不可能です」


 ラクサーヌは口を(つぐ)み、深く思考するような顔を見せた。

 場に沈黙が落ちる。

 ジェラルドが短いため息をつき、スイへと向き直った。


「しかし、実に――最悪としか言いようがありません……」

「ええ。まさか呪いの源が、ユグドラシール様とは……」


 スイはひどく悲しみ、暗い表情を()せた。

 ジェラルドは(うな)り、自身の唇を指で()でる。


「いったい、なぜなのでしょうか……?」


 何が起因となったか、ジェラルドにもわからないらしい。

 問わずして回答が得られたが、謎がより深まっていく。

 ラクサーヌが呆れ気味に、ため息まじりにうめいた。


「やれやれ、だな……いずれにしろ、もう精神世界に行って調べるのはよろしくねぇ。最悪、呪いの進行が早まっちまう可能性だってあるからな。だから、まずは……この帝国に、女神に関した資料を集められる場所はあるか?」

「……でしたら、帝国軍事図書館がよろしいですわ。本来、一般人では立ち入れませんが、そこであればおそらくは……大抵の資料が、(そろ)うかと存じます」


 スイの応答に、ラクサーヌは柔軟運動をしながら立った。


「すぐ俺の立ち入りを許可しろ。まずは呪いの情報を集め、お怒りらしい女神が、穏便(おんびん)に済ましてくれる方法を探る――その間、なぜ呪いが発生したか調べておけ」

 ラクサーヌは呆れ気味に肩を(すく)め、両手を小さく広げた。

「たとえば根絶やしにしたいと怨んでいる奴……とかな?」


 ラクサーヌの発言に、周囲の空気が凍りついた。

 彼は神そのものではなく、人為的なものを疑っている。

 確かに、ありえない話ではないと思えた。

 とはいえ、それをずかずかと言い放てる度胸はない。


 ラクサーヌはため息まじりに、出入口へと進んでいく。

 だが不意に足を止め、彼は肩越しに少し陰険(いんけん)さのある顔を向けてきた。


「お前、確か咲弥……だったか?」

「え? あ、はい……」

「まだ、この国に来たばかりなんだろ?」

「はい。少し前に到着しました」

「なら、俺が情報を集め終えるまでは、ゆっくりしてろ」


 ラクサーヌの言葉に、咲弥は耳を疑った。

 第一印象を考えれば、そんな配慮などするはずがない。

 何か意図があるのか、咲弥はひどく(いぶか)しんだ。


「いつ呼び出されてもいい覚悟だけはしておけ。いいな?」

「もちろん、構いませんが……」

「へっ! そんな不思議がんなよ。さっきは、悪かったな。あんまりにも非現実な能力すぎるんで、ほんのちょっとだけかまをかけただけだ。マジで驚いた」


 ラクサーヌは出入口側へ向き、軽く片手を振って見せた。


「俺は無能な奴が大嫌いだ。でもな、有能な奴の名は覚える――まだガキ臭さは残っちゃあいるが、それでもお前という人間を認めてやる。咲弥、お前の手柄だ」


 ()められているはずなのに、そうだとは感じられない。

 咲弥は苦笑しながら、部屋から出るラクサーヌを見送る。

 (ひたい)を抱えたジェラルドが、小さなため息をついた。


「悪い人ではない、と思われますが……あの不躾(ぶしつけ)な態度が、どうにもこうにも……個人的には、受け入れ難いですな」


 ジェラルドのぼやきにも、咲弥は苦笑するほかない。


「ははは……僕はどちらかと言えば、ああいった方のほうが接しやすいですが」

「正直、内心はらはらしておりました。いきなりあのような態度を取られ、咲弥殿がお気を悪くしないのか――ですが、うつわの大きさに感服致しました」


 ジェラルドの発言に、咲弥は少しばかり戸惑った。


「い、いえ。冒険者ギルドでは、案外普通のことですので」

「……()()()()()()、ですかな?」

「あはは……」


 咲弥は苦笑いで誤魔化しておいた。

 ジェラルドは眉間をつまみ、首を横に振る。


「本当に、申し訳ない。あれは、母親似なのです」


 ジェラルドの発言を聞き、それとなく間柄が(つか)めた。

 おそらくは、血縁関係者なのだろう。

 ただ現状、皇妃(こうひ)の前でするような会話でもない。

 咲弥は(うなず)きをもって、ジェラルドに応えておいた。


 少しの沈黙を挟み、ジェラルドはスイのほうを振り返る。

 それから拳を胸にあて、軽いほうの敬礼をした。


「スイ様。我々は一度、こちらで失礼させていただきます。ラクサーヌ殿がおっしゃった通り、まずは情報をかき集め、事実をより鮮明にする必要があるかと思われます。陛下へのご報告は、僭越(せんえつ)ながら私に任せていただけたらと存じます」


 スイは鷹揚(おうよう)に頷いた。


「ええ。いつも、あなたにはご苦労をおかけしますね」

「いいえ。もったいなきお言葉、感謝致します」


 スイは少し微笑んでから、咲弥へと顔を向けた。


「咲弥殿。あなたも……頼りにしていますわ」


 咲弥は、なかば茫然としていた。

 はっと我に返り、咲弥も(あわ)てて帝国式の一礼を送る。


「どこまでお力になれるのか、わかりませんが……でき得る限り、全力を尽くさせていただきます。ですから――どうかお体のほうを、お大事(だいじ)になさってください」


 やつれたスイの身を案じ、咲弥は言葉を選んで伝えた。

 スイはやや驚きを顔に(たた)え、また静かに微笑む。


「ええ。感謝致しますわ」


 それから咲弥は、ジェラルドと一緒に出入口へと進んだ。

 そこで再び、スイとシャーロットに向けての一礼を送る。

 侍女に扉を開かれ、部屋の外へと出た。


 花の香りが薄れ、やや冷えた空気に鼻先をくすぐられる。

 ジェラルドが、咲弥を振り返った。


「それでは、咲弥殿」

「あ、はい」

「これより、応接室へとご案内致します」

「応接室……ですか?」


 まだ誰かと会うのか、咲弥は小首を(かし)げる。

 ジェラルドは、ゆっくりと首を縦に振った。


「はい。司書官に連絡のほか、陛下へ途中経過をお伝えする必要がございます。申し訳ないですが、私が戻るまでの間、少々お待ちいただきたいのです」

「ああ……そうですか。わかりました」

「侍女を一人待機させておきますので、何か入用があれば、なんでもおっしゃってください。お食事からお飲み物と――すぐ、ご用意させますので」


 ジェラルドの配慮を、咲弥は素直に(うれ)しく思った。

 お腹は空いていないが、さすがに(のど)がひどく(かわ)いている。


「すみません。では、お飲み物をいただけたらと思います」

「了解しました」


 ジェラルドは(ほが)らかに微笑み、右手をはらりと流した。


「それでは、こちらへ」

「はい」


 咲弥は誘導に従い、帝国城の廊下を歩いていく。

 静かなせいか、目に映る光景に謎の圧迫感を覚える。

 我知らず自身の胸に手を置き、それからそっと(つか)む。

 言い知れぬ不安が、じわじわと襲ってきていたからだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ