第二話 花のような少女
咲弥は誘導に従い、帝国城にある長い廊下を歩いていた。
初めて訪れたからという理由は当然あるが、それにしても城内の構造は、とても複雑だと感じられる。下手をすれば、城の中で迷子も普通にあり得るに違いない。
また同時に別の不安が、じわじわと咲弥を襲っていた。
案内役がアイーシャから、帝国軍第二大将軍ジェラルドに代わっている。咲弥に関する今後は、最初から彼が一任する予定となっていたらしい。
ラングルヘイム帝国は、ただでさえ新天地なのだ。
知り合いが一人もいない状況は、さすがに少し心細い。
作法も違えば、冒険者みたいにお気楽な雰囲気でもない。
久々に味わう孤独感に、咲弥は心の中で苦笑する。
見知らぬ地、見知らぬ人――生まれ育った世界とは異なる惑星を訪れてから、いつ孤独感を覚えなくなったのか、もうあまりよく思いだせない。
一日一日を、必死に駆け抜けてきたからなのだろう。
慌ただしく流れる時のなか、自然と仲間や友人ができた。
そしてさらに、住めば都とはいうが、どうやらその言葉に嘘偽りはない。いつしかレイストリア王国が、咲弥にとって第二の故郷と呼べる存在になっている。
咲弥はどこか、しみじみとそう理解に及んだ。
不安は当然ある。だが、安心感がないわけでもない。
帝都にまで戻れば、気心知れた大切な仲間達がいる。
すぐ傍におらずとも、その事実が心を安らがせてくれた。
「咲弥殿。少し、お伺いしてもよろしいですか? 咲弥殿の持つ生命の宿る宝具は、自国で発見されたのでしょうか?」
ジェラルドが肩越しに振り向き、不意に話しかけてきた。
澄んだ青色の瞳を見据えながら、咲弥は応答する。
「あっ、はい。ただの偶然ですが……古代ドワーフの跡地で手にいれました」
「ほう――古代ドワーフの跡地で、ですか」
どこか困惑気味の曖昧な表情を浮かべ、ジェラルドは口に微笑みを湛えている。
それから前を向き直り、彼は喋り続けた。
「世界的に見ても、いまだ宝具は謎多き代物です。おそらく咲弥殿が選ばれたのには、なんらかの縁、あるいは意思的なものがあったのでしょうな」
生命の宿る宝具には、確かに不可思議な力が宿っている。
だが調べた限りでは、黒白の籠手と類似した例はどこにも見られない。長い宝具の歴史の中でも、黒白はかなり特殊な存在なのだとよくわかる。
神殺しの獣――その心臓が、黒白の正体であった。
公にするつもりはないが、ジェラルドからすれば、まさか黒白の根源と対面済みだとは、夢にすらも思わないだろう。
咲弥は苦笑をまじえ、ジェラルドに返答した。
「そうかもしれません。とてもありがたく思っています……黒白が僕を選んでくださったお陰で、今もこうしてしっかり生きていられますから」
「宝具に対して、そのような感情を抱く――きっと、そこも選ばれた所以なのでしょうな。咲弥殿と接させていただき、より理解が深まりました」
誉め言葉を受け、咲弥は唐突な照れを覚えた。
「い、いえ。そんな……選ばれたこと自体は、本当にただの偶然なんです。とある町で寝坊してしまい、勘違いで馬車を間違えなければ、ドワーフの跡地まで連れて行かれることもありませんでしたから」
当時の記憶を振り返りながら、ふと思いだした。
「そういえば、そこで出会えた仲間が……いま帝都のほうに来ているんですが、彼女も最近、宝具に選ばれたんですよ」
「な、なんですとっ――?」
広々とした廊下に、ジェラルドの驚いた声が響く。
ジェラルドが足を止め、目を丸くして咲弥を振り返った。
一呼吸の間を置き、ジェラルドは恥ずかしげに頬をかく。
「ああ、その……本当に、申し訳ない。年甲斐もなく、つい興奮してしまいました。宝具所持者と巡り会える機会など、そう多くはありませんから」
「ははは……確かに、珍しいですからね」
「こほん……」
ジェラルドは咳払いをしてから、後ろを振り返った。
また歩きながら、太い声が紡がれる。
「それにしても、まさか帝国に宝具所持者が、同日に二人も訪れていらっしゃるとは……アイーシャの奴――どうやら、よき縁に恵まれたようですな」
アイーシャとの関係性が気になり、咲弥は小首を傾げた。
声音か、雰囲気か――
ジェラルトの言葉から、浅くはない関係性が漂っている。
問いかける直前に、ジェラルドがぴたりと足を止めた。
「長々と歩かせてしまいましたが――こちらが我々の目的の場所となります」
ジェラルドが手を示した方角へ、咲弥は目を向けた。
両開きの豪華な扉がある。
ただ帝国城の中にある扉は、どれも意匠が凝っていた。
そのため、ほかと比べて特別な扉だとは感じられない。
ジェラルドは扉を振り返り、大きな拳でノックした。
「帝国軍第二大将軍、ジェラルドと例の御仁が参りました」
「――は、はい! ただいま!」
ややくぐもった女の声が、扉のほうから響いてきた。
しばらくしてガチャリと音が鳴り、扉は開かれていく。
華やかな香りが漏れ、咲弥の鼻腔をくすぐる。
扉を開いたのは、侍女らしき服装をした女だった。
奥に見える景色は、とても色彩に富んでいる。
ぱっと見ただけでも、女部屋の特徴が強く漂っていた。
「どうぞ、お入りくださいませ」
侍女が優雅に、手のひらで勧めてきた。
ジェラルドの後に続き、咲弥も先へと足を踏み入れる。
愛くるしいぬいぐるみに満たされた部屋の中には、同時に彩り豊かな花もたくさん飾られていた。かなりファンシーな風景に、咲弥は少しばかりたじろぐ。
その際、ある程度の状況はすぐに把握できた。
壁際にある豪華なベッドの上に、花を連想させるくらいの可憐な少女が、上半身を起こした姿勢でいる。少し癖のある空色の髪が、彼女の魅力を一際強めていた。
病的なほど白い肌をした少女は――
(最初の頃の、紅羽みたいな感じだけど……これは……)
表情に変化がない紅羽も、最初はよくわからない子という印象が色濃かった記憶がある。しかしそれでも、紅羽はまだ魂が宿った人だと認識させてくれた。
だが目の前の少女は、まるで人形そのものでしかない。
そんな少女の傍に、どこか似た顔立ち――同じ髪色をした母親らしき女が、椅子に座っている。まだ四十代半ば頃だと予想するが、顔がひどくやつれていた。
そのせいで、想像した年齢よりやや老け込んで見える。
彼女は少女の手を、優しげに握り締めていた。
ジェラルドが部屋の中央で、帝国式の深い敬礼を送る。
咲弥も後に続き、地に膝をつく敬礼をした。
「スイ様、噂の御仁をお連れ致しました。彼が咲弥殿です」
「まあ、あなたが噂の……」
スイの言葉を聞き、咲弥は姿勢を崩さず自己紹介する。
「お初にお目にかかります……レイストリア王国の冒険者、咲弥です」
「お顔を……」
スイの指示に従い、ジェラルドと揃って顔を上げる。
スイは朗らかに笑い、緩やかな声音で自己紹介を始めた。
「私は第四皇妃のスイです。こちらは、娘のシャーロット」
スイの顔は微笑んではいるが、不安を隠し通せていない。
咲弥が観察している最中に、スイが問いかけてくる。
「あらかたのお話は、お伺いしておいででしょうか?」
「あ、いえ……その……」
応じたそのとき、部屋にノックされた音が響き渡った。
「私だ。早く開けろ」
不躾な言葉遣いに、咲弥は小首を傾げた。
ジェラルドが立ち上がり、咲弥もつられて腰を上げる。
侍女がやや慌てながら、扉の鍵を外してから開いた。
すると目つきの悪い長身の男が、ずかずかと部屋のほうへ踏み込んできた。あまりに無礼な振る舞いから、身分の高い男なのだろうかと予測する。
うねった長い黒髪をした男は、嘲笑うような表情で両手を小さく広げた。
「はんっ……お前が噂の? まだ、ただのガキじゃねぇか」
「あちらは、呪術師のラクサーヌ殿だ」
やや耳打ちに近い形で、ジェラルドが紹介してきた。
咲弥は自分とは別に、招かれた者だと認識する。
咲弥は一応、胸に手をあてる礼儀をもって接した。
「初めまして、僕は――」
「ああ、いらないいらない。俺は別に、この国の出自というわけじゃない。つぅか、そもそもの話、お前の名前になんかこれっぽっちも興味がない」
ラクサーヌは不満たっぷりの顔で、咲弥の挨拶を遮った。
そして、近くにある椅子を、乱暴に自分へと引き寄せる。
椅子の背に突っ伏すかのような姿勢で座り、ラクサーヌは再び口を開いた。
「――で、お前になら、呪いが解除できる。と?」
「い、いいえ……まだ、来たばかりですから……」
「はんっ――一瞥で判断もできねぇ素人かよ」
確かに、事実ではある。
事実ではあるが、さすがに少しばかり不快感を覚えた。
しかし同時に、気が楽だなとも感じられる。
こういう不躾な相手のほうが、実際やりやすいからだ。
これも冒険者ギルドで、培われた経験のお陰に違いない。
「ラクサーヌ殿。いくらこちらがお招きしたとはいえ、もう少し態度を謹んでもらいたい。こちらの咲弥殿もまた、我々帝国がお招きした大切な御仁なのだ」
「それは、俺には関係ねぇ」
ジェラルドとラクサーヌが、お互いを睨み合った。
不穏な空気が漂うさなか、咲弥は一歩を前に出る。
「ラクサーヌさんは、もうシャーロット様の呪いに関して、おおよその検討はついていらっしゃるんでしょうか?」
「なんも聞いてねぇの? 神の呪いだよ」
「あ、いえ……神の――どういった呪いなんでしょうか?」
ラクサーヌは片目を細め、咲弥を睨んでくる。
沈黙を挟んでから、面倒くさそうにふんと鼻を鳴らした。
「わからねぇ」
「えっ?」
「神の呪いというのは、間違いねぇぞ。呪術式の反応から、神聖なマナが漂ってきやがったから。それは人や悪魔では、絶対に出せない質のもんなんだ」
咲弥は唸る。そもそも、呪術がよくわからない。
ラクサーヌは呆れた様子で告げた。
「今のところ、魂の欠落といった結果しか見えねぇ。一応、全身を隈なく調べたが、異変に思えるところは何もねぇし」
咲弥は内心で、ぎょっとなった。
全身とは、つまりはそういうことに違いない。
何かしら問題はなかったのか、そちらへと意識がいく。
「こう見えて、俺はちった名の知れた呪術師だ。そんな俺が、お手上げの状態なんだ。お前みてぇなガキ一人が、どうこうできるはずがねぇだろ。恥をかかないうちに、さっさと国に帰ったほうがいいんじゃねぇの?」
ラクサーヌの煽り言葉を受け、咲弥は小刻みに頷いた。
「確かに、僕で力になれるのかはわかりません。ですが――やれるだけのことは、やってみたいと思います。皇帝陛下やスイ様に、そのほかの方々……シャーロット様のご無事を、心から祈っておられる方々が、安心してくだされるように」
ラクサーヌは不満げな表情で肩を竦めた。
「まあ、無駄だとは思うが……お手並み拝見といこうか」
咲弥は再び頷いて応え、シャーロットを振り返った。
ふと、漠然とした不安が胸に募る。
咲弥はジェラルドを見た。
「あの……紋様を浮かべても、よろしいんでしょうか?」
「……えっ?」
「いえ、実は……王城に招かれたときは、オドを乱す腕輪を着用させられました。防犯のためなんですが……いまさらに思えば、ここではありませんでしたので」
不安を打ち明けるや、ラクサーヌが大笑いした。
「そこを規制したら、助けられるもんも助けらんねぇだろ」
「あ、いや……それは、その通りなんですが……一応、念のために、許可だけは貰わないといけない気がしまして」
ラクサーヌに応じてから、ジェラルドの回答を待つ。
ジェラルドは苦笑しながら、ちょこんと右肩を竦めた。
「なぁに……もしも咲弥殿が、何か粗相を起こした場合は、私とアイーシャを含め、そのほかの血族すべてが、晒し首にされる程度で済みます」
冗談めかした口調だったが、事実なのだと感じられた。
咲弥は冷や汗をかく。
「――えっと、ありませんから……安心してください」
「はい。ですから、遠慮せず紋様を顕現してください」
安心と不安が混じり、咲弥はひどく微妙な心境になる。
とはいえ、ジェラルドからの許可はもらえた。
改めてシャーロットを振り返り、視線はスイへと向ける。
「僕の場合は、生命の宿る宝具――黒白の籠手がなければ、何もできません。今からその宝具を召喚させてもらいます」
咲弥は断りを入れてから、空色の紋様を虚空に描いた。
スイのほか、ジェラルドからかすかな唸り声が響く。
「話しには聞いていたが、これは稀有な……美しいですな」
「まるで……天使が宿ったかのような紋様ですわね」
二人の驚きの声を聞いてから、咲弥は唱える。
「おいで、黒白」
空色の紋様が弾けるや、淡い光が咲弥の両腕を覆った。
やや強めの輝きを放った瞬間、右には漆黒の籠手、そして左には純白の籠手が、すでに装着された状態で出現する。
そのとき――黒白のほうから警告の意識が届いた。
(そう……やっぱり、そうなんだね……)
「咲弥殿……? どうかなされましたか?」
ジェラルドからの問いに、咲弥は我を取り戻した。
いったん心を整理してから、疑問に応答する。
「いいえ……なんでもありません」
今回は目的から、左の籠手に少量のオドを流し込んだ。
瞬間的な速度で、光沢感のあるモヤが左腕にほとばしる。
どこか神々しい、白と金が交じる獣の手を生み出した。
「これが、黒白の……白手の解放状態となります。こちらの白爪を、シャーロット様の胸に突き刺せば、精神世界へ入り込むことが可能となります――」
咲弥は一同の顔を眺めてから、スイに視線を据え直した。
「安心してください。白爪は黒爪とは違い、物理的な影響は与えられません。オドや精神的なものは切り裂けますが……今回は突き刺すだけですので」
自分の肩を白爪で少し引っかき、咲弥は証明して見せる。
スイは目を閉じてから、鷹揚に頷いた。
「貴方のこれからの行動すべてに、信頼を置いております。どうか、シャーロットを……よろしく、お願い致しますわ」
「……了解しました」
咲弥はシャーロットの傍まで歩み寄る。
いっさいの反応がない彼女の胸に、白爪を突き刺した。
瞬間――
(なんなんだ……これは……)
視界に広がった光景に、咲弥は驚きを隠せない。
これまでは、総じて暗闇からが当然であった。
だが、初めて――最初から幻想的な景色が広がっている。
色とりどりの草花が咲き乱れ、木々の色も豊富であった。
とても華やかで、乙女チックな世界観ではあるが、ひどく重圧感に満ちた雰囲気が漂っている。音のない場所に、独り取り残されたみたいな寂しさを覚えた。
シャーロットの姿は、どこにも見当たらない。
状況を何も掴めないまま、咲弥はひとまず前を進んだ。
風がひとつも吹かない。地を踏み締める音のみが鳴る。
強烈な圧迫感ばかりが、咲弥の胸をぎゅっと苦しめた。
(いったい……これは……?)
まるで風景画の中に、入り込んだような心持ちだった。
あるいは、時間停止した場所といっても過言ではない。
ひたすら気味が悪く、どんどん息苦しさが強まる。
ほどなくして、何か奇妙な光景が目に飛び込んだ。
咲弥は眉をひそめ、おそるおそる歩み寄っていく。
色彩豊かな森の中にある泉――若葉みたいな色合いをした水面には、揺れが微塵も見られない。そのせいか、ゼリーを彷彿とさせる質感をしていた。
おそらくは、ただの水ではないのだろう。
そんな不思議な泉の中心には、真っ赤な葉をつけた大樹が一本生えている。螺旋状に捻じれているが、全体を見通せば天を仰ぐほどまっすぐ伸びていた。
咲弥の視線は、謎に巨大な大樹の根本付近に奪われる。
空洞となっている箇所に、見覚えのある人物がいたのだ。