第十六話 次は王都で!
町に帰還後、アズロはお礼を口にするなり去っていった。
母親のことが、よほど気にかかっていたに違いない。
病気の母親を救うためだと知り、さすがにネイも護衛料を諦めたらしい。ただ普通に、アズロの後ろ姿を見送った。
その後、咲弥達は冒険者ギルドに到着する。
ネイの言葉通り、スムーズに報酬の支払いが終わった。
咲弥とゼイドは、その場で報酬の分け前を受け取る。
そして――
「それじゃあ、依頼の達成を祝し――乾杯!」
「カンパーイ」
「あっ……か、乾杯です!」
ゼイドとネイは、お酒らしき飲み物をごくごくと飲んだ。
「ぷはぁっ! 仕事を終えたあとの一杯はうめぇな」
「体に染み渡る、この感じ。たまんないわ」
「さあ! 咲弥君もぐぐっと!」
咲弥は冷や汗をかいた。
咲弥が手渡された飲み物もまた、酒類だと思われる。
漂う臭いが、明らかにアルコール的なものだったからだ。
「い、いや、あの、僕……お酒は、ちょっと……」
「ははっ! それ、酒じゃねぇぞ」
「えっ! こんなお酒の臭いがしてるのに……ですか?」
「飲んだらわかるって。飲んでみな」
ネイの勧めから、咲弥は意を決し――口の中に流し込む。
甘味の強いオレンジらしく、炭酸のきいた飲み物だった。
「うぉわっ……これ、もの凄く美味しいです!」
「だろ? それは、俺のお勧めだ」
「リャタンナって地方で採れる、果実飲料なのよ」
「へえ……とっても美味しいです」
咲弥が飲んでいる最中、ゼイドが説明してくる。
「酒は一般人なら、十八歳以上からだぞ。冒険者になれば、いつ死ぬかわからないってんで、十六から飲めるけどな」
「そ、そうなんですか……」
「そっ! だから、私は飲んでも問題なぁーし! 残念ね、咲弥君」
ネイがいたずらな笑みで言い、咲弥はつい苦笑した。
仮に飲めたとしても、おそらくお酒は飲まないだろう。
国の法がどうのというより、単純に好ましくないからだ。
それは、過去の出来事が起因している。
物心がついたばかりの頃の記憶――
興味本位からか、お酒を舐めた経験がある。
父親が美味しそうに飲んでいたから、美味しい飲み物だと勘違いしたのだ。だが想像とは違い、苦く不味い味だった。
そのときのトラウマが、大きくなった今も根づいている。
(お酒を飲むことは、生涯ないだろうなぁ……)
咲弥は心の内側で、そんな感想をもった。
「お待たせしましたぁ! ご注文の料理でぇーす」
かなり目のやり場に困る服――胸元がたっぷりとひらけた制服を着た女が、大きなおぼんを両手に持ってやってきた。
料理が乗ったおぼんが、そのままテーブルに置かれる。
「さあ、食え食え! 咲弥君の分は全部、俺の奢りだ!」
「――えっ? あ、ありがとうございます!」
「いっただっきぃー!」
ネイは颯爽と、骨付き肉へと手を伸ばした。
その行動に、咲弥は少しばかり驚かされる。
「あ、あれ……? お祈りとかは、しないんですか?」
「お祈り……? ああ、リフィア様へってやつかな? 私、信心深くないからね」
「俺もあまり信心深くはない。まあ、公式の場ではやるが、ここじゃあな?」
ネイとゼイドは言い終えるや、食べ物を口へと運んだ。
咲弥は軽く事情を説明する。
「最初に立ち寄った村では、毎日してましたので……」
「信心深い人や、一般の人らはそうでしょうね」
「面倒だよな。俺にはこんな場のほうが性に合っている」
「私が信仰してるのは、リフィア様よりお金だからね?」
「だははっ。リフィア教徒の奴らが聞いたら発狂するぜ?」
ネイは肉を飲み込み、骨をゆらゆら揺らした。
「リフィア教の教えでお金が貰えるなら、毎日でも信仰してあげるけれど」
この世界でも、信仰の自由はあるのだと知った。
ネイが訝しげに、咲弥の顔を覗き込んでくる。
「なぁに? あんた、熱心なリフィア教徒だった?」
「あ、いいえ。別に、そういうわけじゃありません」
遥か大昔の――別世界の御使いを信仰する理由などない。
とはいえ、ゼイドには礼を尽くす必要がある。
「それでは、僕も――ゼイドさん、ご馳走になります」
咲弥は頭を下げてから、目の前の料理に手を伸ばした。
この世界を訪れてから、味が濃い物を食べたことがない。だからネイと同じ、色合いが濃い骨付き肉を掴んだ。
肉の種類は不明だが、とても食欲をそそる香りがする。
唾液を飲み込み、骨付き肉を大きく口を開けて頬張った。
噛むたびに、スパイスの利いた色濃い味付けが爆発する。
「うわぁあ……スパイスが利いてて、凄く美味しいです!」
「でしょっ? 私、これ好きなんだよねぇ」
「ほう? ならこれは、俺のお勧めだ。ちっと食べてみな」
対抗心を燃やした様子のゼイドが、すっと皿を滑らせた。
「生魚……ですかね?」
「ああ。そうさ!」
ゼイドが咲弥の取り皿に、魚料理を盛りつけてくれた。
咲弥は少し眺め、生魚の料理をフォークで突き刺す。
味はカルパッチョによく似ており、とてもほどよい弾力のある食感だった。
「これも美味しいですね! さっぱりとしてて、いくらでも食べられそうです」
「ここで、もうひと手間だ。この柑橘系の果汁をかければ、もっと旨くなる」
「わぁ……やってみます!」
どれもこれも、本当に美味しい料理ばかりだった。
文化どころか、住んでいる惑星すらも違う。それなのに、味覚は故郷よりも、こちらのほうが合っていると思えた。
「冒険者は命がけだからな。料理人も頑張ってくれるんだ」
「調理ギルドに行けば、もっと美味しいものがあるわよ」
ネイの補足を聞き、咲弥は興味を惹かれる。
「そんなギルドもあるんですね」
「この町にはないが、王都に行けばあるぜ」
「王都……」
咲弥は記憶に留めておいた。
明日にはもう、王都に向けて出発している。
ゼイドが小首を傾げ、疑問を呈した。
「そういえば、咲弥君はこれからどうするんだ?」
「えっと……明日には、王都へ向かいます」
「明日……? えらく急だな」
「最初からその予定でしたので。隊商の方々と向かいます」
「それじゃあ、しばしお別れだな」
「はい。とても寂しく思います」
「つっても、王都の冒険者ギルドに行くんだろ?」
実力はゼイドやネイには、今はまだ遠く及ばない。
咲弥自身、それはよくわかっていた。
それでも、情報収集にしろ、空白の領域にしろ――使命を果たすためには、やはり冒険者になるのが必須に違いない。
咲弥はフォークを置き、ゼイドをまっすぐ見据える。
「まだ勉強不足ですが、冒険者になるつもりです」
「そうか。俺は二週間後、王都に戻るつもりだ」
「私は、四日後ぐらいかなぁ」
「また王都で会えるな。俺らわりと、いいチームだよな?」
ネイは虚空を見上げ、小さく唸った。
「まあ、悪くはなかったわね」
「また王都で再会して、チームを組もうぜ」
咲弥はただただ、喜びに打ち震える。
たとえそれが、お世辞や社交辞令でも嬉しく思った。
「はい! ぜひ、お願いします!」
「その前に、あんたは冒険者の資格を取らなきゃね」
「おっと、そうだったな」
どんな審査や試験が待ち受けているのか、果たして無事に受かるのか、咲弥の胸には大きな不安が募った。
「審査は問題ないだろうが、受かるかどうかだな」
「嫌な奴が試験官にならなきゃいいけれどねぇ」
「ここ最近、受かりにくいって話も聞くからなあ……」
「まっ、そこは運次第ね」
ゼイドは豪快に笑った。
「上を目指すなら、それぐらいの関門は突破しないとな?」
「はい。頑張ります!」
「王都まで結構かかるし、少しは訓練しておきなさいよ」
「た……確かに、そうですね」
今回は、本当にいい経験になった。
紋章術と固有能力を、もっと試行錯誤したほうがいい。
ふと、紋章術について疑問があるのを思いだした。
「あ、そういえば――」
「おい、ゼイド! 聞いたかあっ?」
別のテーブルの席に着いていた男が、咲弥の言葉を遮る。
「すっげぇー情報があるんだが、聞いちゃうかい?」
「もったいぶるなよ。なんだ?」
「アーネメル大陸にある、ルパドナ帝国の話なんだがよ」
「アーネメル? またずいぶんと遠い大陸の話だな」
「その遠いルパドナ帝国にある、冒険者ギルドに……なんか〝俺は天の使いだ〟とか言う男が、やってきたらしいぜ?」
咲弥はゾワッと背に悪寒が走り、一瞬で体が冷え込んだ。
焦燥、恐怖、疑問――多くの感情が、一気に押し寄せる。
ゼイドは愛想笑いを飛ばした。
「天の使い? はは……なんだ、そりゃあ?」
「なんでも、ここで一番強い奴を出せとか言ったらしいぞ。それで出てきたのが、なんとあの竜印のジャレクだとよ」
「ほう……かなり有名な上級冒険者じゃないか」
「ああ。一騎打ちってことになったらしいが……」
「ぼろぼろに返り討ちか?」
「あの竜印が手も足も出せず、半殺しにされたんだとさ」
「おいおい、嘘だろ? 上の中級冒険者様だぞ」
嫌な汗が、じわりと湧き出る。
同じ使徒なのだとすれば、信じられない気持ちであった。
咲弥は与えられた能力を、まだ使いこなせてすらいない。
それなのに、その者は計り知れない実力があるようだ。
「それで、その天使さんは、その後どうしたんだ?」
「雑魚だなって言葉を残して、どこかに去ったんだとよ」
「上の冒険者を雑魚扱い、か……どんな戦いをしたのやら」
「さあな。本当、ただ一方的にやられたとしか聞いてない」
「まあ、りゅうえんが、じゃこらったんれしょ……」
戦々恐々としているさなか、咲弥はネイを見た。
髪の色と同様に頬を赤く染め、目がぐったりとしている。
別の使徒の話に気が向き、ネイの状態に気づかなかった。
「えっ。いつの間にこんな飲んで……あの、酔ってます?」
「酔ってらんからいやい! まらまら飲めるんらから」
「……これは、だめだな。完全にいっちまっている……」
「それらもう一杯! かん……うぅ……きもてぃわゆい」
「あわわぁっ!」
ネイが吐きそうなしぐさを見せた。
咲弥はとっさに両手で器を作り、激しく慌てる。
しかしネイは、寸前で堪えきったようだ。
「しゃあねぇ。お開きにするか……」
「そうですね」
「すまないが……そいつを、宿舎まで送ってやってくれ」
「宿舎……ですか?」
「ここを出て右に進めば、ギルドの紋章が刻印された看板の建物がある。そこは冒険者専用の、宿屋みたいな感じだ」
ゼイドが指を差した方向へ、咲弥は視線で辿った。
そこには、ギルドの印だと思われる紋章が刻まれている。
「あれと同じだから、すぐにわかるさ。頼めるか?」
「あ、はい! わかりました」
「すまんな。俺は、ちょっとこいつと話があるんでな」
「ゼイドさん、本当にいろいろとお世話になりました」
「おう。また絶対、王都で会おうな」
「はい! あと、ご馳走様でした!」
お互い頷き合ったあと、咲弥はネイに寄った。
「行きますよ。ネイさん」
「えぅ……うぉ……」
うめきしか漏れておらず、咲弥は困り果てる。
異性のため、下手に触れるのもよろしくない。
どうするか思案していると、ネイが抱き着いてきた。
華やか匂いと同時に、とても柔らかな感触が咲弥を襲う。
心臓がはち切れそうなほど、力強い鼓動を繰り返した。
「ネネネネネ、ネイさんっ?」
「おっしゃ! ちゅぎのぼうれんに行きゅぜぃ!」
完全に出来上がってしまっている。
咲弥は意を決し、そのままネイを背負った。
背中や両手に、ネイの柔肌が食い込んでくる。
咲弥は、無心だと心で何度も念じ続けた。
ゼイドが無言のまま、手で合図を送ってくる。
咲弥はお辞儀してから、冒険者ギルドを後にした。
夜の冷えた道を、咲弥はとぼとぼと歩き続ける。
ネイの薄着では、寒いのではないかと心配になった。だが彼女のほうからは、ほんのりと温かい熱が伝わってくる。
おそらくは、そういった紋章効果の宿った服なのだろう。
不意にネイがぎゅっと、後ろから抱き締めてくる。
ぎょっとしていると、ネイが寝言のように呟いた。
「らいじょうぶ……姉ちゃんが、みんら護ってやるかられ」
「ネイさん……?」
「……孤児院ら……れぇちゃんが護るらら……」
ある種、衝撃を受けた気分だった。
ネイがお金に執着していた理由が、今になって判明する。
咲弥はふと、アンカータ村にいるシェイを思いだした。
もちろん、ほかの理由はあるのかもしれない。ただ、この世界では、魔物に両親を殺された者も多いのだと思われる。
なんとも言えない気持ちのまま、宿舎へとやってきた。
扉を開けようとした瞬間、偶然にも開かれる。
「あら……? まぁた、酔っぱらちまってんのかい」
宿舎から出てきた、五十代ぐらいの女が言った。
「あの、宿舎の方ですか?」
「ああ。部屋は二階の一番奥だから、寝かせてやりな」
「え? あ、はい! わかりました」
代わりに連れていってくれると思ったが、違うらしい。
宿舎は木造造りで、木の香りが充満していた。
質素な造りだが、おもむきのある空気感が漂っている。
言われた通りの場所へ向かい、ネイの部屋の前まで来た。
当然、扉には鍵がかかっている。
「ネイさん、鍵をください。鍵です」
「うぅうううん……」
ネイがどこかからか、鍵を取り出した。
部屋へ入り、近くにあったベッドにネイを優しく降ろす。それから、彼女のややごつい靴を、なんとか脱がし終えた。
咲弥はほっと、大仕事を終えた気分になる。
魅惑に満ちたネイの体を眺め、とっさに恥じを覚えた。
視線を逸らした先で、つい目に入ったものがある。
広いテーブルの上にある道具は、綺麗に整理されていた。そこに、誰かの手作りだろうか――木製の写真立てがある。
数名の大人達のほか、小さな子供達と写ったネイがいた。
さきほど呟いていた、孤児院の子供達に違いない。
「うぅん……」
ネイのうめきにドキッとして、咲弥は慌てて振り返った。
ただうめいただけらしく、ほっと胸を撫で下ろす。
下手に長居し続けるのも悪いが、咲弥は少し黙考する。
(うぅん……やっぱり、これはネイさんに使ってもらおう)
ネイから貰った分け前を、咲弥は懐から取り出した。
(……孤児院にでも、あててください)
咲弥はお礼の意味も込め、貰った分け前を写真立ての下に挟んでおく。これで残りは、また四〇〇〇スフィアとなる。
それだけあれば、しばらく食うのに困らないはずだった。
ただ王都につけば、働いてお金を稼ぐ必要はあるだろう。
働きつつ、冒険者になる道を探したほうがいい。
咲弥は静かに、部屋の出入口まで進んだ。
扉の前で、眠っているネイにお礼と別れを告げる。
「ネイさん。本当にありがとうございました。また王都で」
ネイの部屋の鍵は、施設の者に預けておいた。
寒空の下、咲弥は冒険者専用の宿舎を後にする。
どこか寂しい気持ちを抱えつつ、自分の宿へ帰ったのだ。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
王都へと向かう、明確な目標ができました。
一月三十日――(改)とつくのがげんなりですが、追記。
本文から省いた、蛇足コーナーを追記します。
アズロの母親が患っていた病――筋萎縮性側索硬化症。
大地のマナを色濃く浴びて育った薬草がなければ、少年の母親は、次の日に呼吸不全に陥り亡くなっていました。
自然の加護を受けた薬草で、無事に難病が寛解します。
ちょっとした、ささやかなお願い。
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