第?話 死の宣告
システム上の諸事情により、再掲載というかたちになりました。
詳しくは活動報告の〝【お知らせ】嘘……これできないんだ。〟をご覧ください。
内容はそれとなくいじっていますので、またお読みいただけたら幸いです。
夜の闇が広がる樹海の中を、多くの影が走り抜けていた。
木々をすり抜ける影もあれば、樹上を飛び移る影もある。
移動方法が異なれども、すべて同じ方角を目指していた。
この樹海には、国の者ですら滅多に足を踏み入れない。
そのため、魔物にとってはいい住処となってしまい、より一層人を遠ざける結果に繋がっていた。だが今現在、樹海の中を進んでいる影の正体は魔物ではない。
れっきとした人間と呼ばれている種族であった。
ガラが悪い見た目の男達が、一様に険しい顔をしている。
先頭を突っ走るシェウパが、ギリッと歯を鳴らした。
(クソがっ! 舐めやがって!)
シェウパは激怒しながらも、冷静に状況を把握していた。
怒りで我を失うのは、愚行以外のなにものでもない。
幼い頃からの経験が、呆れるくらい身に染みついている。
戦争の絶えない国で、シェウパは生まれ育った。
親については、何も知らない。一番古い記憶にあるのは、貧しい農村で暮らす老婆の姿であった。しかしその老婆が、別に血族というわけではない。
憐れな孤児を不憫だと感じたのか、はたまた孤独な環境に耐えきれなかったのか――理由は不明だが、まだ幼子だったシェウパをどこかから拾ってきたらしい。
隠し事のできない、穏やかで優しい老婆であった。
正直なところ、物心つく前のことなど気にならない。
老婆の傍で飯を食い、ただ生きていられればよかった。
だが老婆は、シェウパが七歳になる前に他界する。
敵国の野盗に、何から何まですべてを奪われたのだ。
シェウパは老婆に逃がされ、かろうじて命を拾う。
そこでこの世の真理というものを、幼いながらに悟った。
弱い者は食い殺され、強い者だけが生き残る――
そこからは一人で生き抜き、十五の年になる頃には山賊の頭として、略奪と暴虐の限りを尽くす。幸い、シェウパには明晰な頭脳と屈強な肉体があった。
別世界を訪れてもなお、それは変わらない。
欲望の赴くままに生きるのが、シェウパの美徳なのだ。
天使から面倒な使命を与えられたが、正直どうでもいい。
もし邪悪な神が目障りであれば、誰に頼まれずとも消す。
そうでなければ、関わる必要性はまるでない。
これまでシェウパは、ずっとそうやって生きてきた。
腹が減れば飯を食い、女や物が欲しくなれば奪えばいい。
それが今や、自分が奪われる側の状況へと陥っていた。
明確な目的は不明だが、おおかたの予想はついている。
怨みを買うのは、それこそ数えきれないほどにあるのだ。
苦労して手に入れたアジトまで、もうまもなく辿り着く。
事の真相が明らかになるまで、時間はさほどかからない。
問題は、誰かではない――誰が頭脳なのかであった。
やむを得ない事情で、アジトを疎かにしたのは否めない。
しかし今にして思えば、誘導されていた節がある。
ともすれば、相当の切れ者が絡んでいるのは間違いない。
「お頭!」
側近として据え置いた禿頭の男が、緊迫した声をあげた。
アジトの出入口が、シェウパの視界に入る。
そこはもともと、鬼みたいな魔物の住処であった。天然の洞窟を要塞へと造り変えていたのが気に入り、計画を綿密に練ってから殲滅して奪い取ったのだ。
シェウパはアジトを前に立ち、冷たい空気に総毛立つ。
鼻の奥に溜まるような、酷い血臭が漂っている。
不穏な雰囲気のせいか、少し空間が歪んで見えた。
「お、お頭……」
禿頭の男が不安げな声を吐いた。
ほかの男達も、怖気立った表情を浮かべている。
シェウパは応えない。洞窟の中へ、慎重に踏み込んだ。
しばらく進んだ先で、またぴたりと足を止める。
「んな、なっ……」
別の側近――巨漢がうめく。
まさに惨劇の跡と呼べる光景が、眼前には広がっている。
慰み者としてさらった女を含め、全員が殺されていた。
半裸の女達は喉元を斬られ、死体に損傷が少ない。反対に男達のほうは、全身がズタボロになるぐらい、激しい怨みを込めた甚振られ方をしていた。
惨状を考慮すれば、国の兵ではない。
怨恨を抱いた者の仕業だと思われた。
「こりゃあ、ひでぇな……」
禿頭の男が、数人を連れて先を進む。
なにやら妙な気配を、シェウパはとっさに感じ取った。
「バルガ! 待てぇっ!」
制止の声もむなしく、バルガの指先が男の死体に触れる。
その瞬間、男の死体を縛りつけるかのごとく、淡く輝いた鎖らしき何かが唐突に浮かび上がった。目を眩ませるほどの光を放ち、凄まじい爆発音が轟く。
バルガを含め、数名の男達が強烈な爆風に飲み込まれる。
紋章術をろくに扱えない下っ端はまだしも、紋章者として鍛えられたバルガまでもが、呆気なく肉片を散らばらせた。
紋章術とは考えられないが、それに近い能力に違いない。
シェウパの眉間に力がこもる。目をすっと細めた。
あれほどの爆発が生じてもなお、付近に転がっている女の死体には、かすり傷一つついていない。つまり男達のみを、正確に狙い撃ちしているのだ。
「お頭ぁ!」
シェウパは我に返り、すぐさま背後を振り返った。
知らぬうちに、紅い瞳を持つ黒髪の美女が立っている。
視界に入ってようやく、その存在を認識できた。
(気配が……まったく、感じられねぇ……)
内心で驚愕しながら、シェウパは冷静に分析を始める。
王族や貴族にでも仕えていそうな、気品のある執事らしき格好をした女だった。彼女自身もまた高貴な雰囲気が漂い、客観的に見ても極上の美女だと感じられる。
「これは、これは。ようこそ、おいで下さいました」
凛とした眉目秀麗の女が、優雅な一礼を送ってくる。
シェウパはキッときつく睨みつけた。
「はぁ……? ここは、俺様のアジトだ」
「おや? あなた様方の理論では、奪った者が次なる新たな主となるのでは?」
「まだ完全には奪われてねぇ。俺様がいるからな」
女は口を指で隠し、忍び笑いを漏らした。
シェウパはいら立ちを抑え、女に問いかける。
「なにもんだ。答えろ」
「そうですね――さしあたり、死の案内人でございます」
「はんっ! ざけんなっ!」
シェウパは鼻で笑い、金色の紋様を右手付近に浮かべた。
「雷鳴の紋章第一節、閃光の侵略」
死の案内人と名乗る女に向け、小手調べの雷撃を放つ。
死の案内人は身動き一つ取らない。避ける気がないのだ。
雷撃が命中するや否や、下っ端の一人が悲鳴をあげる。
「ぎゃあああああっ! お、お頭ぁあああああっ!」
なぜか下っ端が雷撃を浴び、痙攣しながら絶命した。
火で炙られたように黒焦げ、黒煙を立ち昇らせている。
方法は不明瞭だが、反射されたと呑み込むほかない。
死の案内人はまた、くすりと笑った。
「魔導文字というものを、ご存じでしょうか?」
シェウパは答えない。周囲の状況に神経を尖らせた。
隙を狙っているのなら、わざわざ乗ってやる必要もない。
死の案内人は肩を竦め、淡々と声を紡いだ。
「マナの力を扱う術でございます。たとえば……」
死の案内人は虚空に、淡く光る人差し指を踊らせた。
シェウパは息を呑み、絶句する。
宙に浮かぶ文字が、次から次へと書き綴られた。
「これが、魔導文字――術式。ここに最後の一文字を、書き足せば?」
無数の文字が輝き、紋様に酷似した模様を形作った。
死の案内人はそっと、右手を前に伸ばしていく。
まるでひび割れにも似た雷光が、四方八方へ駆け抜けた。
シェウパ以外の者すべてが、骨すらも残らず消滅する。
「なん、なんだ……これは……」
「こちらの世界ではまだ、同様の使い手と巡り会えた記憶はございませんが――私が生まれ育った世界では、魔導文字はとても一般的な術なのでございます」
シェウパは、ようやく理解する。
眼前の女は、自分と同じく天使に選ばれた存在なのだ。
別世界の者だと、この世界の住人に知られてはならない。
禁を破れば、自分と耳にした者は命を失うと教えられた。
だから今この場には、もう使徒しかいない。
自分以外の全員を消したのも、納得の話であった。
「お前が、十人のうちの一人か……」
「あなた様が狙われる理由を、ご理解いただけましたか?」
無論、殺しに来た以外の解答などない。
シェウパは思考を切り替え、戦闘態勢を整える。
理解不能な術を扱うが、見た目はただの人に過ぎない。
魔物でもなければ、天上の存在でもなかった。
「原住民だと侮っていた……悪かった。本気でやるぜ」
シェウパは言いながら、金色の紋様を浮かべた。
「雷鳴の紋章第二節、暗雲の羽織」
紋様が砕けるや、シェウパは全身に雷を纏った。
シェウパの移動は、まさに電閃の速度にも等しい。
シェウパは硬くした拳を、死の案内人へと突き入れた。
「チッ……」
シェウパは舌を打つ。空間がぐにゃりと歪んでいる。
見えない謎の壁が張られており、拳が届きそうにない。
死の案内人から飛び退き、シェウパは距離を取る――その矢先でのことだった。足元に何か妙な違和感を覚え、素早く視線を滑らせて確認する。
泥に足を突っ込んだかのように、土塊が付着していた。
見る見るうちに、シェウパの体が土塊に呑み込まれる。
重量感が強まり、やがて一歩先すらも進めなくなった。
「なん……だ……」
「聖人には夢幻のひとときを――下種には相応の地獄を」
どこからともなく、まだ幼さのある女の声が響いた。
シェウパは即座に視線を投げる。
きめ細やかな金髪をなびかせ、白磁の肌を持つ――気品に満ち溢れた一人の少女が、悠然と歩き向かってきていた。
見た目こそ少女だが、シェウパは違うと断定する。
横に尖った両耳を持ち、爬虫類を彷彿とさせる紅い瞳――シェウパのいた世界では、吸血鬼と呼ばれる怪物の特徴と、完全に一致していた。
死の案内人がそっと、優雅な一礼の姿勢を保つ。
その様子に、シェウパは混乱せざるを得ない。
「なん……で……まさか……?」
「下種の分際で、頭は働くようですわ」
「姫様。下賤な輩と会話など……穢れますよ」
「まったく……お前は口うるさいですわね」
これまで噂にすら聞かなかった使徒が、二人同時にいる。
しかもそのうえ、手を組んでいるというよりは、古くから主従関係にありそうな気配が濃厚に漂っていた。シェウパは本能から、危機を察知する。
だが土塊に、首から上以外のすべてを覆われてしまった。
これにはさすがに、シェウパも冷静ではいられなくなる。
「くそっ……! テメェら! 使徒同士のくせに、いったいどういうことだ!」
「あら? そんなことを知りたいんですの?」
「とっとと答えやがれ!」
「私達は二体の天使により、選ばれた使徒ですわ」
ありえないとは思ったが、実際にはありえる話であった。
天使の口ぶりからすると、同じ世界から選ばれる可能性は充分にある。シェウパは一体の天使だけを前にしていたが、ほかの使徒のことまでは何も知らない。
死の案内人が、深いため息を漏らした。
「姫様。いい加減、早く終わらせましょう」
「お待ちなさい」
「まさか、下賤な輩の血を飲むとは言いませんよね……?」
「やっぱり、テメェ! 吸血鬼か!」
シェウパは声を荒げた。
すると体を拘束する土塊が、きつく絞めつけられていく。
「ぐぉぁああああっ――!」
「さきほどは、我慢致しましたが……口の利き方を、少しは学ばれてはいかがですか? いえ――そもそも下賤な輩が、声など発さないでいただきたい」
「……アイフォリア?」
少女の窘めるような声が響き、締まる力が少し弱まる。
「くそっ! くそぉっ! くそがぁあああっ!」
少女は酷薄な笑みを浮かべ、歩み寄ってきた。
それからシェウパの頬に、すらりとした指を這わせる。
その爪は鋭利なのか、切られるような痛みが走った。
「殺すのはたやすい――でも、もっといい使い道があるわ」
「どうなさるおつもりですか?」
死の案内人は呆れ気味に、首を横へと振った。
少女は冷徹な表情を崩さず、にたりと笑う。
「その前に、聞かせてちょうだい。お前はなぜ、妄りに人を殺すのです?」
「仲間や女を殺したのは、テメェらだろうが!」
「あまりに少女達が不憫でしたわ。救ってさしあげたのに、なぜか殺してほしいと、泣き崩れながら懇願してきましたの――だから少し、問いかけてみました」
少女はくすりと笑う。
「死を望む前に、やりたいことはないのか――と」
惨たらしく死んだ男達の事情が、いまさらに呑み込めた。
シェウパと同様に拘束され、嬲り殺しにされたのだろう。
少女はカッと目を見開き、シェウパを見据えてくる。
「再び、問いましょう。なぜ、人を妄りに甚振るのです?」
「俺様はな、自分のやりたいように生きる。天使だろうが、なんだろうが、そんなのは知ったこっちゃねぇ。ほかの奴がどうなろうと、知るかってんだ」
「ふふっ……」
少女の顔が、恐怖を覚えるくらいひどく歪んだ。
その冷ややかな笑みには、いたずらっぽさも宿っている。
「まさに、下賤のクズ。よろしい――」
少女は両手の人差し指を、淡く光らせた。
虚空に無数の文字が、一気に刻み込まれていく。
死の案内人の魔導文字よりも、遥かに文字数が多い。
「汝、三つの刻の音により、非業の死を遂げん」
宙に浮く文字が、少女の右手の人差し指に集まっていく。それは途端に複雑な模様を形作り、シェウパの額のほうへと近づけられた。
全身に悪寒が走り、シェウパは叫ぶ。
「な、何をしやがるつもりだ!」
「使命は悪しき使徒一体の滅殺なり。禁じれば、破裂せよ」
少女の指先が、シェウパの額へと到達する。
ひどく気味が悪い。脳に指を刺されたような気さえする。
少女がそっと、シェウパから離れた。
「お前の命は残り三か月――期間内に使命を果たせなかった場合は、破裂して死ね。あと使徒と魔物以外の殺害も、死の対象となりますので、ご注意を」
「なっ……なんだと……!」
「悪しきの定義が何か、それは――お前の心次第」
少女は忍び笑いを漏らしてから、言葉を紡ぎ続けた。
「ふふっ……自分の心に、正直に生きてよろしいですのよ。その場合、お前に待っているのは死の微笑みだけ。それでもよろしければ、ですけれども」
シェウパへは向かずに、少女は片手を振って歩き出した。
「待ちやがれ、おい! メスガキ! 絶対、殺してやる!」
「ああ。そうそう……言い忘れていましたわ」
少女は肩越しに、身の毛もよだつような微笑みを見せた。
「その土塊は、自身の力で破りなさい。まあ、破れないまま……死を迎え入れるのもまた、一興ですけれど。それでは、ごきげんよう」
少女の背後を、死の案内人は追うかたちで歩き始めた。
どれほどシェウパが声を張ろうが、振り向きもしない。
少女から受けた術――おそらくは、呪いの類いであった。
初めて目にした呪いに、シェウパは心の底から焦る。
即刻、女達へと詰め寄りたい。だが、土塊が邪魔をした。
どれだけ力を込めても、破れる気配がまるでない。
「クソが! 絶対許さねぇ! ぐちゃぐちゃに犯したあと、時間をかけて殺してやる。覚えておけ! クソ女どもが! いいか、絶対だ! 絶対だからな!」
シェウパが破裂するまで、あと三か月しかない。
呪いを受けた者の牙は、やがて――