第三十五話 賢者の原石
青白い線の流れに従い、咲弥達は遺跡の中間付近にいた。
黒い外壁にある青白い線はどれも、眼前にある平たい壁にすべて集束している。どの線から辿ろうと、やがてはここへ到達する仕組みになっている様子であった。
すべての線が交わるところに、再び青白い玉が生まれる。
玉が弾けると音が流れ始め、遺跡は歌いだした。
《ようこそ。我らがアジトへ。ようこそ。僕らのアジトへ。ここが、アジトの入口さ。さあ、合言葉を唱えて、目の前にある扉を開いてみて》
「えっ……扉? 合言葉……?」
咲弥は目を丸くして、静かに驚いた。
扉らしきものは、どこを探しても見当たらない。
さらに言えば、合言葉など知るはずもなかった。
メイアが眉をひそめ、問いかけてくる。
「そう歌ったのか?」
「あ、はい。でも、扉もありませんし、合言葉なんか……」
周辺を観察しても、ヒントらしきものは発見できない。
《さあ、合言葉を唱えてくれよ。君になら、わかるはずさ》
無茶を言ってくれるなと、咲弥は心からそう思う。
当時の人ならば、簡単に推測できる合言葉なのか――
資料によれば、少なくとも五千年以上も昔の遺跡なのだ。
栄えていた時代のことなど、咲弥が知る由もない。
悩む咲弥の隣で、メイアがぼそっと呟いた。
「合言葉、か……そもそも、このアジトとやらが、いったいなんのために造られたのか、それすらもわからないからな」
造られた目的が判明すれば、確かにヒントとはなり得る。
遺跡に関して理解している点は、特定の場所に行けば音を流して歌い、壁に刻まれた青白い線は入口への道標となる。それ以上の情報は、現段階では特に――
咲弥はふと、胸の中で何かが引っかかる。
「あの……メイアさん」
「なんだ?」
「どうして、この遺跡は僕達……あ、いや……訪れた人を、導くんでしょうか? 勝手な想像ですが、普通なら侵入者が来ないようにするものじゃないんですか?」
咲弥は悩ましく思い、首を捻って見せる。
メイアは腕を組んだ。
「当然、罠の可能性は捨てきれないぞ」
「あ、まあ……それも、そうなんですが……そうです、ね」
「何が腑に落ちない?」
「いえ……導く前に排除すべきでは? と、思いまして」
「合言葉を間違えたら、罠が発動するんじゃないか?」
「ああ……そう、なん、ですかね……」
納得はしたものの、やはりまだ何かが引っかかっていた。
それはいまだ流れている曲と歌が、テーマパークみたいな調子だからなのかもしれない。だからこそ、余計に違和感が強いのだと思われる。
咲弥はぼんやりとした記憶を、必死に手繰り寄せた。
最初に聞こえた歌を口ずさみ、ふと疑問を呟く。
「友……友達……? なんで、友達……?」
《そう。僕らは友さ。合言葉は友――友達》
「えっ――?」
途端に青白い光の線が、大きな扉の形へと変化した。
重々しい音を響かせながら、建造物が激しく揺れている。
メイアが慌てた声を紡いだ。
「お、おい! 合言葉に、失敗したのか?」
「えっ? いや、なんか……正解しちゃいました」
「なんだと……正解はなんだったんだ?」
「友達……だ、そうです」
怪訝なメイアと同様、咲弥も理解不能な心境であった。
青白く描かれた扉が、悲鳴をあげながら開かれていく。
内部は漆黒に満ちており、一歩先すらも見えない。
《さあ、来てごらん。僕が待っているから》
「待っている? 遺跡の中に、本当に人が……?」
「おい、説明しろ」
咲弥は流れた音声を、翻訳して伝えた。
メイアは戦闘態勢を取り、注意を促してくる。
「気をつけろ。何が出ても、不思議じゃない」
「……はい!」
咲弥は黒白を解放して、戦闘準備を整えた。
そしてメイアと並び、扉の先を進む。
ほどなくして、咲弥ははっと息を呑んだ。
「なっ、なんなんだ、これ……」
小さな光の粒が無数に舞い、色鮮やかな光の線が踊った。
やがて派手な演出は、何もなかった空間に、人工的な物を次から次へと生む。まるでパソコンの中にでも入ったような――仮想現実を彷彿とさせるものであった。
そんな感想から、咲弥の脳裏にある人物が浮かぶ。
(……これは、クードさんの言ってた……?)
クードも咲弥と同じく、天使に選ばれた使徒の一人だ。
雑談まじりに、クードから聞かされた話がある。
クードのいた世界は、電子に満ちたところだったらしい。実際に見たわけではないが、咲弥がいた世界よりも、遥かに文明の栄えた世界だと感じた記憶がある。
眼前に広がる光景が、おそらくはそれなのだと想像した。
とても、未来的な世界観――
とはいえ、まったく理解が及ばないわけではない。
だがメイアにとっては、驚愕するほかないのだろう。
メイアは慌ただしく、周囲をひどく警戒し続けていた。
「いきなり物で溢れた……? どうなっている……?」
原理は不明だが、ぼんやりとした説明ならば可能だった。
咲弥が口を開きかけたそのとき、またはっと息を呑む。
「やあ。ようこそ、僕らのアジトへ!」
ほかの人工物と同様、両手を広げた肌の黒い男が、瞬時に形作られた。白衣みたいな装いをしていることから、医者や研究者といった印象を強く抱かせる。
メイアが攻撃態勢に入り、険しい顔で言い放った。
「なぜ、オドが感じられない……お前、何者だ!」
メイアの声は低く、威嚇に近い口調だった。
男は慌てた様子もなく、物腰はずっと柔らかい。
それも、そのはずであった。
もし男に攻撃したとしても、何も意味はない。
本物にしか見えないが、立体的に表示されただけの映像に過ぎないからだ。
「あの、メイアさん。たぶんこれ、ただの映像です」
「映像、だと……? そんな、ばかな!」
「ああ、安心してほしい……危害を加える気はないから」
男は両手を使い、なだめるしぐさを見せる。
それから右へ左へと歩き、人差し指を振りながら言った。
「まず説明しておくと――この建物はね、もとは大陸随一の研究施設なんだ。とても慣れ親しんだ場所だからね。だからここを、最後のアジトにしたのさ」
睨んだ通り、やはり研究者のようだ。
ただ、最後の――そこが、咲弥の胸にひっかかる。
メイアが警戒したまま、咲弥に問いかけてきた。
「おい。なんと言っている?」
「ここは研究施設で、最後のアジトだと言ってます」
咲弥は簡潔に伝えた。
こちらの事情も汲まず、男の喋りは止まらない。
「あぁあ、そうそう……ちょっと紹介が遅れてしまったね。僕は、パラケルスス」
「パラケルスス――っ?」
咲弥は驚愕のあまり、声が少し裏返った。
その人物に、特別詳しいというわけではない。
そもそも、実在か架空の人物なのかもわからない程度だ。だがアニメやゲームなどで、錬金術が題材にされた話には、よく出てくる名だと記憶している。
「パラケルスス? なんだ? それは」
「あ、いいえ……少し、聞き覚えがあった名でしたので……関係はないので、気にしないでください。それでこの方は、パラケルススさんだそうです」
メイアに言い訳しながら、咲弥は男の声に耳を傾けた。
翻訳しながら話を聞くのが、本当に難しく思う。
「まあ、パラケルススっていうのは、ただのあだ名なんだ。それよりも、僕の作った曲と歌、どうだった? こう、いい感じにワクワクとノれたかい?」
身振りや手振りから、陽気な雰囲気が伝わってくる。
見た目は大人だが、とても童心に溢れた人であった。
パラケルススはなぜか、少し寂しげに微笑む。
「気に入ってもらえたなら、嬉しいけれど……」
なんとも言えない表情で、パラケルススは肩を竦めた。
「ここに来られた。ということは、つまり――僕の言葉が、ちゃんと伝わっている……って、ことだよね? いったい、どれくらいの時間が経ったのかな?」
パラケルススの疑問は、誰にも答えられないに違いない。
返答は期待していないのか、パラケルススは話を進めた。
「たとえ、数百万年以上の時が流れていたとしても――またここを訪れられるような、超高度な文明まで発展させられた生命体が、現れたってことだよね」
咲弥は眉をしかめ、小首を傾げた。
失われた古代文明の言葉の翻訳は、例外を除けば並大抵の努力では済まない。大袈裟な物言いも相まってか、何か別の意味が、そこに込められている気がした。
パラケルススは腕を組み、悩ましげな表情を見せる。
「僕が使っている言語は、ちょっと難解だっただろうね……でも、この程度も解き明かせないようじゃ、そこまで文明が発達してないってことではあるけれど」
咲弥はそれとなく理解に達する。
流れていた音と歌は、試練の一つだったようだ。
咲弥はここぞと、隙を見計らって話しかけてみる。
「あの、すみません……ちょっと、いいですか?」
「質問? ごめんね。先に言っておくけど、僕は答えられる質問と、答えられない質問がある。だから、気をつけてね」
忠告を受け入れ、咲弥は最初に抱いた疑問から追求する。
「ここでは、何を研究されていたんでしょうか?」
「一概にはこれとは言えないね。いろいろな部署があって、それぞれ多種多様な研究をしていたからさ。僕がいたのは、医療専門のところだね」
「医療専門……」
パラケルススはこくりと頷いた。
「僕が一番と誇れる研究はね、あだ名の由来ともなった――賢者の石さ」
「け、賢者の石?」
「とはいっても、神話や伝承にあるような本物じゃあない。別に非金属を貴金属に変化させたりとかはしないし、人間を不老不死にするみたいな効果もないから」
パラケルススは陽気に笑った。
「でも、どんな病も治せるし、食べればどんな傷も癒せる。まあ本物には及ばなかったから、僕らはあれを賢者の原石と名づけた。ああ、でも注意してくれ。たとえ手足を失っても治せる――けれど、賢者の原石の量も増えちゃうからね?」
メイアへの翻訳も忘れ、咲弥は驚きのあまり絶句した。
自然と身が震え、寒気すらも覚える。
メイアの予感は正しかった。
ここに神々の果実の情報は、確かに眠っていたらしい。
「神々の果実は……賢者の原石……?」
「なんだ? どういうことだ?」
「ちょ、ちょっと、待ってくださいね」
咲弥は一時的に翻訳をやめ、パラケルススに質問する。
「その賢者の原石は、どこで入手できるんですか?」
「それにはまず、精製方法を軽く説明する必要があるね」
パラケルススは、そう前置きしてから語った。
「この世には、二つの世界がある。それは、顕界と幽界――僕らが生きる場所が顕界さ。幽界はその逆で、精神世界とも呼べる場所となる」
パラケルススは指をぱちんと鳴らした。
すると彼の付近に、青白い光を放つ結晶が出現する。
鮮やかで柔らかな光に、咲弥はつい見惚れた。
「この蒼い石は、その幽界にしか存在しない。美しい結晶に思えるだろ? おっと、しかし注意してくれ。僕らは、この結晶を死蒼石と名づけた――その名の通り、生物の生命力を奪う性質がある」
「生命力を、奪う……?」
資料のほうに、生命を貪る鉱石獣の記録があった。
何か関係があるのかは不明だが、今はパラケルススの話を集中して聴く。
「目を持つ生物であれば、人も例外じゃない。ひどく危険な代物だけど、この死蒼石こそが、賢者の原石を精製するのに必要不可欠な、素材の一つなのさ」
つまり神々の果実は、何かの命を代償に作られていた。
その事実に、咲弥は少しばかり恐怖する。
パラケルススは再び指を鳴らし、絵図を空中に展開した。
「死蒼石が奪った生命力は、水に溶け込む性質がある。その水に溶け込んだ生命力を抽出しながら、とある特殊な素材と調合をしなければならない」
パラケルススの口調と、絵図のせいだろうか――
まるで、科学の授業を受けているかのような気分になる。
どうでもいい感想は捨てて、咲弥は真剣に耳を澄ました。
「水中にある成分に加え、大気中にも含まれている成分――それは、マナと呼ばれる自然界の特殊エネルギーだ。適切な量を抽出したのちに、調合――限界をも超えて凝縮すれば、賢者の原石は形作られることとなるわけさ」
宝石のような紅い石と一緒に、地図が浮かび上がる。
パラケルススは説明を続けた。
「顕界には、幽界と繋がりやすい場所がある。このアジトの真下にある地下空洞――僕らは幽界と繋がる原理を分析し、すでに解明もしている。ある一定の法則を掴めば、無理矢理繋げることも可能なのさ。魔術と科学の――融合でね」
咲弥は驚愕のあまり、一歩を後退する。
魔神が実行した行為を、大昔の人もまたおこなっていた。
人が踏み込んではならない、禁断の領域ではないのか――そう感じられる。
だがそこにこそ、咲弥の求めていた答えもある気がした。
すぐ問いたかったが、パラケルススの発言は止まらない。
「それは死蒼石を、こちらに顕現するためだ。そのお陰で、研究は無事進み、賢者の原石は見事に誕生した――さてと、問題のありかについてだね」
パラケルススの傍に、また別の図がもう一つ展開された。
おそらくは、研究施設全体の図面だと思われる。
「賢者の原石が、生成されている場所はここさ。地下空洞の水を大量に利用する必要がある――だから必然的に、地下に僕らの研究所を移すことになったのさ」
当時と現在では、地形が大きく変わっている。
それでも、なぜ神々の果実が川で発見されたのか――
漠然とではあるものの、絵図から推測できた。
特殊な水を、研究所では大量に使用している。
不要になった水を排出した先が、川へ繋がっていたのだ。
(さらに地形が変化してしまったから、神々の果実は、ここ何十年も発見されなかったのか……?)
咲弥は疑問まじりに、そう解釈した。
「おい。いい加減に説明しないか!」
メイアが痺れを切らしたらしく、咲弥の肩を掴んだ。
咲弥ははっと我に返り、これまでの説明を始める。
しかしすべて話し終える前に、パラケルススが真顔のまま再び口を開いた。
「さきほども言ったように――」
「え、ええぇっ? ちょ、メイアさん。待ってください!」
咲弥はありかを伝える直前で打ち切る。
パラケルススは、こちらの事情などお構いなしであった。
「賢者の原石には、死蒼石が奪った生命力が必要――だから長い時の流れで破壊、または生物から生命力が奪えていない場合は、賢者の原石は生成されなくなる。人で換算すれば、五千人程度の生命力が必要だからね」
地形変化以外にも、そんな理由があるのかもしれない。
事情が判明すると同時に、狂気の科学に少し怖気立つ。
また、別の恐怖にも縛りつけられた。
もし神々の果実が公の事実ともなれば、悪用しようとする者が現れても、なんら不思議ではないだろう。賢者の原石を生成するために、人の命を犠牲にする――
そんな想像が、咲弥の脳裏にぴたりとくっついた。
確かに作り方を間違えなければ、最高の薬ではある。
それにしても、生物の命を奪わずには作れないのだ。
いまさらながらに、遺跡を開いたのは失敗だった可能性が浮上してくる。しかし、まだ間に合う。事実を知ったのは、咲弥とメイアのみしかいない。
口止めが必要と考えた瞬間、パラケルススが言ってきた。
「君の期待に、きちんと応えられたかな? 実を言えばね、僕が答えられるのは、今現在僕の脳にある記憶だけなのさ。音声と映像システムが君の声や動作を拾い、それに見合った回答と動作を自動的に映しだしている」
不思議と、そこに驚きはなかった。
遥か大昔の人間が、今もなお生きているとは思えない。
動作や回答があまりに綺麗なため、つい錯覚しそうになる――目の前で話しているパラケルススという人物は、本当にただの映像に過ぎないのだ。
「こうして、記録と映像を残しているのはね……もちろん、君の疑問に答えるためじゃない。ある事実を、どうか未来の君に、そして人類に伝えたかったのさ」
とても神妙な面持ちで、パラケルススは声を紡いだ。
「僕はここが、最後のアジトだと言ったね? そのわけを、まずは君に伝えたい」
確かにそこも、気になる話ではあった。
だが本音を言えば、先に幽界と繋いだ方法が知りたい。
そう思いはしたものの、もうすでに語り始められている。
メイアへ簡潔に翻訳しながら、咲弥は自分の欲を律した。
「今も生き残っている人間は、もうきっと、僕しかいない。各地で天変地異が起こり、なすすべもなく、人類は壊滅した――でもね、本当は前々から全部わかっていたことなんだ。数々の遺跡には、あらゆる記録が遺されていたからね」
咲弥は眉をひそめ、小首を傾げた。
パラケルススはため息をつき、何度も頷いている。
「君はたぶん、このアジトに来て驚いているよね? 僕らも最初の頃は、数々の遺跡で驚かされてばかりだった。未知の秘術に、未知の科学――」
当時の光景か、あらゆる場所に立体的な映像が流れた。
メイアと同様、これには咲弥も驚きを隠せない。
パラケルススは、両腕を大きく広げた。
「そうして人類は、少しずつ繁栄を極めた――けれど、ある一つの遺跡から、僕ら人類は滅びの予言と出会ったのさ」
パラケルススは咲弥達側に、まっすぐ目を向けてきた。
「事実、この世界はね……ある神様によって、ずっと何度も破壊されては、再生されている。遺跡にあった記録から――僕らも、その神様をこう呼んでいるんだ」
パラケルススは少しの間、穏やかに目をつぶった。
そして、彼は目を開き――
「破壊と再生の神、リフィア――と、ね」
咲弥はまた翻訳するのも忘れ、ただただ――
全身の血が凍りつくような、そんなひどい寒気を覚えた。