第三十二話 赤い遺髪
咲弥は放心状態から、ふっと我を取り戻した。
周囲から異様な気配が、ぽつぽつと湧いている。
「あァア……アぁァああアアァ……!」
レティアの頭部が、途端に胸を痛めるような声を発する。
枝が緩やかに垂れさがり、ずるりと幹から抜け落ちた。
咲弥は異常な光景に、我が目を疑うほかない。
地に散らばった枝が、ごりごりと嫌な音を立てながら――頭部であれば木の体が作られ、腕や脚にはそれ以外の部分が形作られていた。
接ぎ木された生物の情報を、なんらかの方法で読み取り、失った部分を正確に復元しているらしい。驚くべきは、服や腰に帯びた剣までもが再現されている。
一つの枝に一体――レティアの複製が五体生みだされた。
(他生物で接ぎ木する、植物系統の魔物……パーラ……)
生物を別の意味で取り込む魔物――パーラの最悪な点は、接ぎ木した生物の特性を、完璧に引き出せることにあった。
資料を思いだしながら、咲弥は戦闘態勢を整える。
メイアが右手にある剣を払い、咲弥に告げてきた。
「すまない……彼女は、私に任せてほしい。少しでもいい。ほかを頼めるか?」
「メイアさん……」
「これは、竜人……いや、私がやらなければならないんだ」
メイアの悲しくも力強い声に、咲弥は何も言えなかった。
その無言が、同意の合図となる。
「レティア……私が、楽にしてやるからな」
メイアはそう呟き、五体となったレティアへ突っ込んだ。
咲弥は覚悟を決める。邪魔をさせるわけにはいかない。
思考を瞬時に切り替え、別の部分に視線を移した。
(でも……いったい、何体いるんだ……?)
そんな疑問が、心の中で自然と浮かび上がる。
気配の増え方が尋常ではない。いまだに増え続けていた。
空を裂く音が聞こえ、咲弥は反射的に身を仰け反らせる。
「……くっ!」
避けられたのは、ほぼ奇跡に近い。
ほんの一瞬、飛来してきたものの姿を捉える。
槍のような、衣らしき木の体をすぼめた何かであった。
銃弾にも等しい速度に、咲弥は背筋がひやりとする。
(こんなの……次は、避けられないぞ)
受け身のままでは勝ち目がない。咲弥は攻めに移行する。
目で追えないのであれば、気配で追いかけるしかない。
魔物の素性は不明だが、直線的にしか進めないようだ。
「黒爪空裂き!」
黒爪にオドを込め、狙いを定めて黒手を振るった。
向かう方角さえわかれば、攻撃は当てやすい。
(だめだ……仕留められていない……!)
咲弥は冷静に見極め、周囲への警戒を強める。
飛ぶ魔物からやや遅れ、そこかしこからパーラが現れた。
(おいおいおい……)
たった一種のはずの魔物が、多種多様の形態をしていた。
獣、虫、鳥――そのほかにも、恐竜みたいな姿もある。
メイアが〝最大級にやばい〟魔物の一種として、パーラの名を出していた。その理由が、ここにある。生物の一部分が手に入れば、完璧な複製が作れてしまう。
もはや、理解不能としか言いようがない。
至極当然の話、魔物でも種族が違えば異なる生態がある。
中には天敵もいれば、共存が不可能な場合もあるだろう。
それが今や、一つの意思に統括された軍団と化していた。
(ぐっ……)
黒白で対処を試みるが、数があまりにも多い。
パーラの討伐方法は、接ぎ木した箇所の破壊――ひとまずそれで、複製化したほうは死ぬ。だが本体の木を根もとから切り倒さねば、本当に討てたとは言えない。
また本体を討ったとしても、もし分離した枝が生きていた場合、パーラが完全に死ぬことはなかった。分離した枝が、新たな本体へと代わるからだ。
だからまずは、複製化の破壊を優先している。
ただそれもまた、かなり難易度の高い問題であった。
連携を取られているため、狙った通りの攻撃ができない。しかも頭、体、腕、脚と、破壊しなければならない部分が、それぞればらばらなのだ。
「くっ……そぉおおおっ!」
たとえ窮地に立たされようと、咲弥は全力で戦い続けた。
本音を言えば、パーラを根絶やしにしたい気持ちがある。
これほどまでに残忍な魔物を、野放しになどしたくない。
しかし思いと実力は、まったく結びつかなかった。
どう考えても、一個人で殲滅できるような相手ではない。
わかってはいても、やるせない思いばかりが胸に募る。
レティアが死後もなお、なぜ謝罪していたのか――
いったいどんな思いで、メイアが戦いに臨んだのか――
考えれば考えるほど、つらい感情が胸に込み上がった。
「……せめて邪魔だけは、絶対にさせないぞ!」
咲弥は思いを言葉に乗せ、より深く戦闘に身を投じた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
メイアは袖から伸びた剣で、レティアの剣技をいなした。
そこに二体のレティアが、同時に剣先を突き入れてくる。
メイアは頬の薄皮を犠牲に、回避しながら左の剣を薙ぐ。
さらに別のレティアが、メイアの攻撃を撃ち落とした。
剣の強度や刃の鋭さが、木製に見えて本物と変わらない。
放たれる剣技や、戦い方にしてもそうだった。
レティアがしそうな立ち回りが、完璧に模倣されている。
偽物だとはいえ、そこに嘘や偽りは一切ない。
(次は右……ここで突き……いなしてからの薙ぎ払い……)
一つの動作ごとに、メイアの胸が複雑な思いで溢れ返る。
悲しさに悔しさ、憎しみに腹立たしさとさまざまだった。
なぜ、勝手な行動をしたのか――
なぜ、到着を待てなかったのか――
なぜ、生き伸びられなかったのか――
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ――
レティアの複製と戦いながら、ずっと頭の中が〝なぜ〟に襲われている。
胸がはちきれそうに苦しく、凄まじい激痛が走り続けた。
(あぁあ……本当に、レティアと闘っているみたいだなぁ)
心の中の声までもが、つらさに震えていた。
実を言えば、あらかた想像はついている。
レティアとは、それこそ乳児の頃からの付き合いなのだ。
予想つかないわけがない。理解できないはずがなかった。
だからこそ余計に、自分の失態が胸に重く伸しかかる。
里長マオの意向、アスクレピオスへ進入する許可の申請、領域内の資料収集――竜石化にかかった飛竜達が生きられる時間は、もうほとんど残されていない。
それでも、メイアは最大限の安全を選んだ。
飛竜達を救うために、犠牲者を多数出しては意味がない。
里長派の主張は、メイアも充分に承知している。
むしろ、否定など一つもしていない。
ただ相違点は、諦める選択をしなかったことにあった。
そのため始めから、少数精鋭で攻める作戦を立てている。
本当は里で手練れを募るつもりだったが、友人のほうから思いがけない支援が届く――宝具を所持した者が二人もいる冒険者達だ。
まるでそうしろと、天からのお告げだとすら感じられた。
奇跡の力を持った少年、恐ろしいほど流麗なオドを纏った少女達、力自慢だと思われる青年――傍から見ても、とてもいいチームだと素直に思える。
だが咲弥達が来た時点で、飛竜達に残された時間はさらに短くなっていた。
たとえそうであっても、暴走するような者達ではない。
メイアの考えには、レティア達も賛同していたからだ。
とはいえ、飛竜達があとどれくらい持つのかわからない。
それならば、どうするのが最善なのか――
神々の果実を少しでも早く得るため、事前に準備をする。
それが、レティア達の導き出した答えに違いない。
しかし現実は残酷だった。まさか強制的に場所を転移する魔物がいるとは、夢にも思っていなかっただろう。下準備の際中に襲われてしまい、そして今に至る。
メイアは、くっと息を詰めた。
(レティア……お前はあの頃から、ちっとも変ってない)
メイアはかっと目を見開いた。
(すまない……甘やかしていた私も、まるで変わってない)
レティアの複製が放つ攻撃を、メイアは掻い潜った。
さすがにレティア五人と、戦って勝てるとは思えない。
だから生の頭部を持つ複製のみに、狙いを定めている。
レティアの結った赤髪を、メイアは右の剣で裂いた。
地に落ちる前に、左手で掬い取る。
これは、竜人の習わしの一つだった。
戦いに身を置く者は、いつ死ぬかわからない。
それゆえこうして、髪の一部を常に結っておくのだ。
たとえ戦死した場合でも、容易に持って帰れるように――
(ここには、レティアだけか……)
咲弥側にも気を配っているが、もう同族は見当たらない。
レティアの遺髪は手に入れた。長居をするべきではない。
メイアは攻撃を避け、次の行動に移ることにした。
(愛おしき畏友、レティア……どうか、安らかに……)
目に浮いた涙を瞼で閉じ捨て、メイアは大きく後退する。
メイアはまず、咲弥がいる方角を目指した。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
魔法陣を白爪で裂き、接ぎ木の部分を黒爪で破壊する。
パーラが出現してから、まださほど時間は経っていない。
だが恐ろしいぐらい、長時間戦っているような気がした。
おそらくは、隠密に神経を割いていたせいでもある。
疲労もかなり溜まり、体中の反応が鈍くなっていた。
ただ泣き言を言っていられる状況ではない。
一手でもミスれば、すぐ死へと直結する。
安全な場所を瞬時に見極め、攻撃と回避と防御を、同時におこなわなければならない。パーラは多種族を操り、ずっと連携して襲いかかってきているのだ。
もっとも厄介なのは、資料で見た記憶のない魔物だった。
奇抜とも呼べる動きに、かなり呼吸を乱されてしまう。
そこに関しては、予測を立てて対処するしかなかった。
たった一種類の魔物――
こんな最悪な魔物、確かに領域外に出てきてはならない。
『魔神が復活すれば、その因子が爆発する。つまりは幽界を通ってきた生物が、歪に活性化、あるいは進化を遂げる』
(ふざけるなよ……!)
魔人ラグリオラスの言葉に、咲弥は憤りを覚えた。
今はまだ、人の力で領域内は抑え込めている。
だが魔神が復活すれば、どうなるのかはわからない。また最悪の場合――領域外にいる魔物が、パーラみたいな存在に進化する可能性も充分にあり得るのだ。
もしそうなれば、この世界は本当に地獄と化してしまう。
「黒爪空裂き、限界突破」
連携を逆手に取り、咲弥は集団に向けて黒手を振るう。
黒爪に裂かれた空間が歪み、強烈な衝撃波となって飛ぶ。複数体のパーラを一気に突き抜けたのち、後ろに立っている太い木々に大きな引っかき傷をつけた。
その瞬間、ふとメイアの気配を背後に捉える。
「すまない。待たせたな」
メイアの声が聞こえるや、咲弥は強く引っ張られた。
なかば無理矢理、咲弥はメイアに走らされている。
メイアは手を離したあとも、咲弥の前を駆け続けた。
「メ、メイアさん……!」
「全力でついてこい!」
「えっ、ちょ――?」
事情を呑み込めないまま、メイアが神速の勢いで進んだ。
紅羽を思わせる速さに驚きながら、咲弥は全速力で追う。
当然、差は縮まるどころか、どんどん引き離されている。
撤退でもするのか、咲弥は肩越しに背後へ目を向ける。
このままいけば、確かに振り払えそうではあった。
咲弥はふと気づく。集団の中に、レティアの頭部がある。
複雑な心境を抱えはしたものの、咲弥は前を向き直った。
(えっ……?)
ほんの一瞬だけ、目を離したに過ぎない。
しかしメイアの姿は、もう小指くらいの大きさに見えた。
立ち止まっていた彼女が、右手を高く掲げている。
待ってくれているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
メイアの右手付近に、黄金色に輝く紋様が浮かび上がる。
「我が声に応えよ! 雷の精霊ヴァストラ!」
メイアの紋様が砕け、上空に黄金色の魔法陣が描かれた。
魔法陣が激しい放電を始めるや、そこから金の装具を身につけた漆黒のドラゴンが、ぬるりと地に降り立つ。メイアの精霊は、かなり大きな体躯をしている。
背の高い木々が作る天然の天井に、頭がつきそうだった。
(ここで、精霊の召喚……?)
咲弥は漠然と、何か嫌な予感を覚える。
メイアが咲弥側のほうへ、緩やかに指を差した。
「ヴァストラ、頼めるか?」
「心得た」
ヴァストラは顔を下げ、大口を開いた。
そこに魔法陣が現れ、尋常ではない放電が生じている。
まるで凝縮するように、光が魔法陣の中心に迫っていく。
咲弥は恐怖心から目を見開き、体中でぞわっとした寒気を覚えた。放電する魔法陣の前に、またさらに複数の魔法陣が並んで浮かび上がっている。
それはどこか、銃口を連想させるものであった。
(やばいやばいやばい!)
今のままでは、確実に巻き込まれるに違いない。
咲弥は死に物狂いで、足に力を込めてメイアを目指した。
ヴァストラの口の前にある雷球が、ふっと小さくなる。
「うぉおおおっ!」
咲弥は叫び、メイアのほうへ全力で飛び込んだ。
その瞬間――凄まじい閃光が、魔法陣を突き破っていく。
かろうじてメイアの足元で這いつくばった咲弥は、即座に後ろを振り返った。
まばゆい一閃が稲妻を纏い、ところどころで爆発を生む。
爆風が吹き荒れ、太い木々が折れる勢いで曲がっている。
やがて光は薄れ、ヴァストラも一緒になって消えていく。
咲弥は唖然としていた。
消えたのは、ヴァストラと閃光だけではない。
規模もわからない森の一部が、やや扇状に消滅していた。当然、魔物の姿はどこにもない。あるのはえぐれた大地と、ほぼ見えなかった青い空のみであった。
それこそ、空間ごと消滅したかのような印象を抱かせる。
咲弥はぞくりとした。肌が粟立ち、身を小さく震わせる。
ヴァストラの一撃は、あまりにも想像を絶していた。
ただ単純に、力を抑え込んでいただけ――そんな可能性は否めないが、ヴァストラはこれまで見てきた精霊の中でも、一番の破壊力を持つ精霊なのかもしれない。
「なるほど……確かに、これは最終手段の一つ、だな……」
メイアが呟き、ぺたりと地べたに座り込んだ。
オドを大量に失い、足に力が入らなくなったのだろう。
言葉が出てこない咲弥に、メイアが微笑みかけてきた。
「予想外の威力だったが、間に合ってよかったな」
「い、いや……最悪、僕も巻き込まれてましたよ……?」
「ふふっ……そうだな」
咲弥は冷や汗をかいた。さすがに笑いごとではない。
そんな咲弥をよそに、メイアは颯爽と立ち上がった。
「だが、まあ……パーラの群れは一掃できたか」
咲弥は立ち上がってから、物悲しげなメイアを見据える。
気丈に振舞っているものの、つらくないはずがなかった。
どんな言葉を送るべきか、しかし何も浮かんではこない。
むしろこのまま、黙っていたほうがいい場合もある。
若長補佐であり、メイアを慕っていた存在――レティアに関して知っているのは、たったその程度でしかない。下手な発言は、逆効果だと感じられる。
咲弥が悩んでいるさなか、メイアが後ろを振り返った。
「ここに留まるのも危ない。神々の果実を目指すぞ」
悲しんでいる暇はない。それは、充分に理解している。
ただ今のメイアの姿勢は、あまりにも痛々しく見えた。
本当は泣き叫びたい――
そんな気配が、メイアの顔には薄く表れていたからだ。
「メイアさん……」
「言うな。今は神々の果実を目指せばいい。それに……」
メイアがうつむくように、自分の右手へ顔を向けた。
彼女の手のひらには、結ばれた赤い髪が乗せられている。
「我々竜人は、戦士だ。殺すこともあれば、反対に殺されることもある。そのため戦死した場合に備え、いつもこうして髪の片側を結っている。男女関係なくな」
メイアがそう言い、結った髪を見せてきた。
そこまで意識した記憶はないが、確かに同期の竜人も髪を片側だけ結っていたような気がする。民族衣装にばかり気を取られ、正直よくは思いだせない。
記憶はどうであれ、咲弥は事情を理解する。
メイアの手にあるのは、つまりレティアの遺髪なのだ。
メイアは遺髪を懐にしまい、まっすぐ前に向き直る。
「行くぞ。この騒ぎで、別の魔物が現れるかもしれない」
「……はい。わかりました」
メイアの発言は、間違っていない。
ただ一つ、咲弥は気にかかっていることがある。
「でも、あの……大丈夫、ですか?」
「何がだ?」
「いえ……オド、かなり失っていますよね?」
「ああ、そうだな。咲弥の言葉の意味が、よく理解できた」
「これからを考え、休める場所を探したほうがいいです」
咲弥の提案に、メイアは腕を組んで黙る。
少ししてから、メイアはこくりと頷いた。
「わかった。だが、位置的に考えれば、きっと古代の遺跡は遠くない。そこまで行ったのち、潜めそうな場所を探そう」
「はい。そうしましょう」
そうして、咲弥はメイアとまた暗い森の中を進んでいく。
もうまもなく――日が暮れるに違いない。
雷の精霊が開いてくれた空が、薄く黒ずみつつあるのだ。
夜になれば、それだけ危険は増すと思われる。
想像以上に、時間の進みが早く感じられた。
仲間の安否が知れぬ中、激しい不安ばかりが胸に募る。
(みんな……どうか、無事でいてくれ……)
咲弥は願いを込め、胸中でそう強く祈っておいた。
同時刻――
別の場所では、死闘が繰り広げられていた。
劣勢にある仲間の状況など、咲弥が知る由もない。
咲弥はただ、絶望と希望を宿した古代の遺跡へ――
ゆっくりと足を向かわせたのだった。