第二十五話 竜人の若長
夜の闇が落ちてから、まだまもない時刻――
大型船サンライト号は無事、港町パンレンに入港した。
船長のオリヴィアに別れの挨拶を告げに行った際、竜人の隠れ里までの道筋が記された地図のほか、里にいる若長への封書を一つ託される。
オリヴィアからの頼みごとを、咲弥は快く承諾した。
その後、お世話になったリックスやベティナルとも別れを惜しみつつ、咲弥は仲間達と一緒に厩舎を訪れ、明日の朝にすぐ迅馬を借りられるよう手配しておく。
そして日が昇る頃に、港町パンレンから颯爽と出発した。
最初は街道を走り、途中で大きく外れて道なき道を進む。
広大な野原を越え、河川をいくつか渡った。この時点で、もう随分と長い距離を走ってきたが、魔物とは一度たりとも遭遇していない。
かなり安全なルートが選ばれているのだと、よくわかる。
安心感のある旅を続け、咲弥達は今――樹海の中にいた。
大自然に満ち溢れた場所ではあるが、ところどころで人の気配をにおわせる部分も見られる。地図に従っているため、当然の話ではあった。
ただ一つ、咲弥は胸の内側で訝しさが湧いている。
肝心の飛竜の姿を、いまだ一度も目にしていないからだ。
咲弥は時折、馬車の窓から空のほうを仰ぐ。
木々の隙間から見える蒼い空には、白い雲しか見えない。
茫然と空を眺めていたとき――不意に、馬車が停車する。
その理由は、かすかに察知できた気配から呑み込めた。
御者台にいる老いた男が、やや怯えた声を発する。
「お、お客さん……」
「あっ、安心してください。大丈夫ですから」
咲弥は優しい声を作り、御者をなだめた。
ネイが開いた馬車の扉から、咲弥も下車する。
気配を殺して潜む者もいる様子ではあったが、少なくとも三名の者達が咲弥の視界に入った。国は異なれども、服装は冒険者同期の竜人とよく似ている。
とてもゆったりとした淡色系の民族衣装に加え、幅の広い鉢金風のバンダナ――顔と体の線がほぼ隠されているため、容姿や性別ははっきりしない。
ただオドが流麗で、全員が戦闘タイプの様子であった。
三名のうちの一人から、野太い男の声が発される。
「事情は知らないが、ここから先は立ち入り禁止だ!」
「立ち去れ! 最悪の場合、武力をもって排除する!」
勇ましい女の声をした者が警告を発すると同時に、両腕の袖から鈍く光る剣身を伸ばす。それに呼応するかのように、ほかの者達もそれぞれ武器を手にした。
咲弥は慌てずに、落ち着いた声を作って話しかける。
「すみません。僕達はレイストリア王国の冒険者です。実はこの先に住んでいる、竜人のセンという方を訪ねてきました――ご存じでは、ありませんか?」
「誰だ? 俺は、お前なんか知らない」
咲弥ははっとなった。
最初に警告してきた男が、目的の人物だったらしい。
「あなたが、センさん……?」
「ああ。そうだが?」
「オリヴィアさんからの紹介で、あなたに会いにきました」
「オ、オオ、オゥ、オリヴィアからぁっ?」
センは激しく取り乱していた。
事情を悟ったのか、ほかの者達が武器を引っ込める。
センはひどく動揺しながら言った。
「なんだ! 来るなら来るって言ってくれよ! そしたら、もっとちゃんとした格好したってのに! で、オリヴィアもその馬車にいるのか? いや、待て待て。やっぱしっかりと身だしなみを整えてから! 少し待っててもらってくれ!」
「あ、いいえ……オリヴィアさんは、来てません……」
咲弥は苦い声で告げた。センがぴたりと硬直する。
少ししてから、センは大袈裟なため息を漏らした。
「なんだ……期待させるだけ、期待させてさ……」
来ているなどとは、そもそも一言も言っていない。
勝手に勘違いをされ、咲弥は冷や汗をかく。
とはいえ、おおよその事情は掴めた。
確かに、オリヴィアにぞっこんらしい。
「じゃあ……なんの用?」
センは暗い声で、ぶっきらぼうに訊いてきた。
咲弥は少し戸惑いながら、目的を伝える。
「あなたであれば、ハミルトピアまで飛竜で送ってくれるとお聞きしました。どうか、お願いできないでしょうか?」
「うん。無理。帰れ」
センは一考の余地もなく、即座に断ってきた。
ネイが大袈裟に、呆れたしぐさを見せる。
「もし断られた場合、オリヴィアがもう二度と会わないって言っていたわよ?」
「……え?」
「はぁ……帰って、オリヴィアに断られたって言おうかな」
「ちょ、ちょっと、待て待て!」
センは大きくうろたえ、一歩を前に踏み出た。
「というか……あんたらが本当に、オリヴィアの知り合いか疑わしい。なんか知り合いだっていう証拠でもあんのか?」
「では、こちらをどうぞ……」
もし疑われた場合の対処を、オリヴィアから受けている。
オリヴィアから貰った地図を、咲弥はそっと差し出した。
センが受け取るなり、自身の顔に地図を押しつける。
冒険者の同期もそうだが、竜人はとても鼻が利くのだ。
咲弥はセンを見据え、ただじっと待ち続ける。
センは固まっていた。まるで動かない。
しばらく呼吸音のみが聞こえる場に、ネイの呟きが飛ぶ。
「いつまでやってんの? 気持ち悪い」
咲弥も少し思ってしまったが、口に出す勇気はなかった。
センは何事もなかったかのように、地図を返してくる。
「まあ……知り合いってのは、本当らしいな」
「では……」
「だが、飛竜の件は無理だ」
咲弥はまた冷や汗をかく。
ゼイドが腕を組み、呆れ気味のため息をついた。
「断られたぞって、オリヴィアに言いに帰るか……?」
「いや、待て! 本当に無理なものは無理なんだ!」
「オリヴィアが言ってたわ。私の願いを叶えられない程度の男なら、もう二度と会うことはない。断られたらつまらない糞男だったと、そう言いに来てくれって」
咲弥は自然と苦い顔になり、呆れ顔をするネイを見た。
さすがのオリヴィアでも、そこまでは言っていない。
とはいえ、彼女が口にしそうな発言ではある。
だからなのか、センは激しく取り乱した。
「いや、本当にどうしようもない状況なんだ! 俺だって、オリヴィアの頼みなら聞きたいさ……でも、飛竜達がみんな病気になっちまって、動けないんだよ」
「……えっ?」
紅羽を除き、咲弥達は揃って驚きの声を上げる。
センは苦々しい声音で、さらに事情を明かした。
「羽の機能が完全に麻痺してて、今は普通に歩くことすらも困難な状態なんだ」
「ちょ……無事な飛竜は、一体もいないわけ?」
「……ああ。みんな同じ病気にかかっちまってる」
ネイの問いに、センは少し沈黙してから答えた。
口を噤んだネイと同様、これには咲弥も閉口する。
また想定外すぎる事情との遭遇であった。
ゼイドがセンに疑問を投げる。
「治療のほうは、どうなっているんだ?」
センは口を閉ざしてしまい、答えない。
女の声を発していた者が、センの前へと歩み出た。
「レイストリア王国の冒険者、か……お前達の等級は?」
「えっ? えぇっと……」
咲弥は名だけの自己紹介を交え、各自の等級を伝えた。
女だと思われる者が腕を組み、ふむと唸ってから続ける。
「上級はなし。だが、中級が二名……か」
そう呟きながら、するりと顔をさらけ出していく。
黄金色の瞳に、桃色の艶やかな髪をした――とても力強い美貌を持つ、二十代半ば頃だと思われる女であった。
「紹介が遅れたな。私は次期里長となる、若長のメイアだ」
「若長……メイアさん……?」
咲弥ははっとなり、メイアへと少し歩み寄った。
「あの、ちょっとすみません……実はオリヴィアさんから、あなた宛ての手紙を預かっています。こちらを、どうぞ」
託された封書を、咲弥はメイアに差し出した。
メイアは封を開き、入っていた手紙に目を通し始める。
ほどなくして、メイアはふっと笑った。
「なるほど……そうか。これは、ちょうどいいな。さすがはオリヴィアだ。とてもいい届け物をしてくれるじゃないか」
メイアは独りごちたあと、手紙を封筒へと戻した。
メイアの凛とした眼差しが、咲弥のほうへと向けられる。
「友人からの手紙、届けてくれて感謝する」
「あ、いいえ……」
咲弥は首を小さく横に振って応じた。
メイアが不敵な笑みを浮かべ、咲弥達へ問いかけてくる。
「冒険者達よ。こちらの事情は理解してもらえたと思うが、これからどうする? そのまま迅馬で引き返してもらっても構わないが――一つ提案がある。これは依頼という形式では決してない、ただの私用に繋がるものだ」
それは冒険者ギルドを、理解したうえでの発言であった。
メイアの意図を、咲弥はそれとなく呑み込む。おそらくは飛竜達が抱えている問題の対処を、冒険者としてではなく、一個人として手伝ってもらいたいのだ。
メイアは咲弥達の様子を、一通り眺めるようにうかがう。
「もし引き受ける気があるのなら、里のほうへ向かいながら詳しい事情を説明する。引くも引かぬも、それは冒険者達の心に委ねよう」
二択を迫られ、咲弥はまず悩んだ。
飛竜達が病に伏せ、きっと困っているのは間違いない。
だからもし、自分にできることがあるとすれば、手伝ってあげたい気持ちは持っている。しかし約束となる期日まで、咲弥にはもうあまり時間が残されていない。
咲弥の思考は深く迷い、そして自分の心に正直に――
咲弥はメイアの黄金色の瞳を、まっすぐに見据えた。
「実は僕達、ピーラシモ大陸にあるラングルヘイム帝国に、あともう……一週間もなく、行かなければなりません」
「ああ。手紙にも、そう書かれていたな」
メイアの発言に、咲弥は少し驚く。
つまり咲弥達側の事情を、ある程度は承知しながら二択を迫ってきたのだ。それほど事態が切羽詰まった状況なのか、そこまではまだよくわからない。
咲弥は気を取り直してから、まずは心情を打ち明ける。
「それでも……もし困っている人がいるなら……僕なんかで助けになれるなら、力になりたいといった気持ちはあります――帝国まで、間に合いますか……?」
メイアの私用が、もし数日間に渡るようなものであれば、咲弥は断らざるを得ない立場にある。ただでさえ、移動には時間を取られてしまうからだ。
そして、もう飛竜達に望みはかけられないだろう。
もし治療が成功したところで、飛竜達がまたすぐに飛べる状態にまで回復できるとは、到底思えなかった。だから仮に手伝えたとしても、時間はわずかしかない。
メイアへの問いが、咲弥のできる最大限の譲歩だった。
メイアの返答次第で、咲弥の可不可が決まる。
少しの沈黙を経てから、メイアはふんと鼻で笑った。
「なるほど。手紙にも書いてあった通り、よほどお人好しのばからしいな」
「え……?」
「試すような真似をして悪かった」
咲弥は首を捻った。話の流れが見えなくなる。
メイアは腰に手を置き、やや横柄な姿勢で言い放った。
「そもそも、ハミルトピアなんかへ行く必要などない」
「へ……?」
予想外の発言を聞き、咲弥は間の抜けた声を漏らした。
メイアがすっと片手を小さく挙げる。
すると一人、メイアの傍へと迅速に詰め寄った。
「国境を越える手続きをしておけ。問題が解決したのち――冒険者諸君を、帝国ラングルヘイムまで送り届ける」
メイアの言葉に、咲弥は震撼するほかなかった。
まさか帝国に直接行けるとは、予想すらもしていない。
これにはさすがに、ネイも驚いた様子であった。
「ちょ、ちょっと! それ、大丈夫なわけ?」
「ああ。問題ない――私の飛竜は、いまだ健在だ」
さきほどのセンに、妙な間があったのを思いだした。
飛竜すべてが、病に伏しているわけではないらしい。
「えっ? 若長っ? ま、まさか若長の飛竜に、人を乗せるおつもりですかっ?」
途端に声を荒げたのは、隠しごとをしていたセンだった。
センはそのまま抗議を始める。
「いやいや、ありえないです。若長の飛竜は普通の飛竜とは違い、とても神聖な存在ですよ。それをよく知りもしない、浅い連中を乗せるだなんて……」
「オリヴィアからの紹介だが?」
「いや、そうですが……それとこれとは、話が違います」
センは引き下がらない。メイアは肩を竦めて微笑した。
「それなら、お前が問題の解決をしてくれるのか?」
「えっ? いや、それは……ちょっと……」
「よし。では、里にまで来てもらおう。それで、いいな?」
メイアが咲弥のほうへ、力強い眼差しを向けてくる。
咲弥は少し戸惑い、仲間達をゆっくりと見回した。
ゼイドが腕を組み、静かに首を縦に振る。
ネイは複雑そうな表情で、ちょこんと肩を竦めた。
隣にいる紅羽は真顔のまま、こくりと頷いて見せる。
仲間達の同意を得て、咲弥はメイアを振り返った。
「……はい!」
咲弥達は荷物を取り、老いた御者に料金を支払った。
それからメイア達の誘導に従い、咲弥達はついて行く。
メイアが進みながら、抱えていた事情の説明を始めた。
「まず飛竜達を苦しめている病、名を竜石化と呼ぶ――その病名の通り、全身が石化のごとく硬直してしまい、ついには生命活動を停止させる飛竜特有の疾患だ」
メイアは淡々とした口調で続けた。
「野生でも普通にある話なのだが、竜石化の原因についてはいまだに何も解明されていない。つまり治療法もまた、当然発見されていない」
咲弥は自然と、険しい顔つきになった。
竜石化にかかれば、それは確実なる死を意味している。
ネイが素朴な疑問を呈した。
「飛竜達が……そう言ってたわよね? それ、伝染病?」
「ああ。そうだ。私の飛竜は、常に別の場所にいる。だから逃れられた」
「……そうなる前に、何か対処はできなかったわけ?」
「歴史が綴られた書物に、似た事例はあった。そのすべてに発症の前兆や理由は解明に至らず、卵から――または野生を手懐け直すほかなかったと記されていた」
竜石化にかかった飛竜の全滅は、免れなかったのだろう。
幸い卵の飛竜にまでは、害が及ばない様子だった。
とはいえ、繁殖力は迅馬ほどではないらしい。
だから野生の飛竜を頼ったのだと、咲弥はそう判断する。
ゼイドが唸り、ぼそっと呟いた。
「にしても、そんな伝染病があるのによく絶滅しないな」
「竜石化にかかり死ぬ野生の飛竜もいるが――実は死なない個体のほうが多い」
「……はあ?」
ネイが困惑の声を漏らし、小首を傾げた。
これには、咲弥も首を捻る。
まるで治療法があるような気配をにおわせていた。
しかしそれでは、さきほどの発言の意味がわからない。
メイアは肩越しに、黄金色の瞳を向けてきた。
「冒険者であれば、深く言わずとも理解を示してもらえると思うが、飛竜の一生を事細かに調査するのは不可能だ。人と生きる飛竜と野生では、事情も大きく異なる。つまり、なぜ竜石化から逃れられているのか、専門家にすらわからない」
「じゃあ、手の打ちようがないじゃない」
「ああ」
メイアは短く同意した。
ネイは怪訝な様子で、メイアに問いかけた。
「……あんた、私達に何を手伝ってもらいたいわけ?」
ネイのもっともな疑問に、メイアは人差し指を立てた。
「たった、一つ――飛竜達を救える方法が残されている」
「それは、なによ?」
「冒険者ならば、聞いたことはないか? 神々の果実――」
咲弥は眉を寄せ、深く記憶の糸を手繰る。
どこかで聞き覚えのある単語だったからだ。
(神々の果実……? はっ……まさか!)
次第に、しかし鮮明に記憶がよみがえる。
王都のスラムに住む、情報屋から聞いた話の欠片――
メイアは途端に立ち止まり、詩を読むように声を発する。
「その香りは万病に効き、食べれば外傷すらも癒せる奇跡の果実――それは、ある特定の……人類には危険でしかない、ある秘境にしか存在しない」
咲弥は息をするのも忘れ、メイアの背をじっと見据える。
メイアは咲弥達を振り返り、そして力強く言い放った。
「そう。我々の目的は――空白の領域にある、神々の果実を入手することだ」
全身に痺れを覚えた咲弥を、ふわりと風がすり抜けた。