第十四話 もうひと踏ん張り
大きな破片がぶつかり、猛火の塊が別の場所へと逸れる。
間一髪のところで、咲弥は直撃をまぬがれた。
「咲弥君! 大丈夫かぁ!」
ゼイドの大声が、空間内に響き渡る。
どうやら崩落した瓦礫を、彼は突き抜けてきたようだ。
ゼイドに応えたかったが、口が上手く動かない。
なかば無理矢理に、咲弥はゼイドを向いた。
ついに頭がおかしくなったのか、咲弥は我が目を疑う。
ゼイドの容姿が、なぜか熊そのもの見えた。
確かに熊っぽい獣人ではあったが、そのものではない。
「小僧を救出しているじゃないか――やるな!」
言葉通りなのかは微妙なところだが、応える余裕がない。
ゼイドはすぐ、木の槍を構えたゴブリンボスを振り返る。
「まったく、厄介なことばかりしやがって!」
ゼイドは右手を小さく掲げ、黄土色の紋様を宙に描いた。
「土の紋章第三節、岩石の矛!」
紋様がカッと輝き、豪快に砕け散った。
ゼイドから一直線に地が割れ、ゴブリンボスへと向かう。それはまるで、モグラの行進を連想させる割れ方であった。
ゴブリンボスの付近で、勢いよく突起が飛び出す。
だがゴブリンボスは、見た目にそぐわない回避を見せた。
「ツノゴロレッ! チセスネオッ!」
ゴブリンボスがまた、赤く光る魔法陣を宙に描いた。
そこから小さな炎の塊――いくつか火の玉が発射される。
「剛力の開花!」
黄土色の紋様が砕け、ゼイドの腕が大きく膨れ上がる。
ゼイドの固有能力――膂力を強化する能力だ。
ゼイドは大斧で、激しく地面をえぐる。
大小とある石の破片が、豪快に吹き飛んだ。
炎と石がぶつかり合い、激しい衝突音を響かせた。
お互いの攻撃が、すべて相殺したわけではない。
炎と石が、ゼイドとゴブリンボスをかすめた。
「土の紋章第一節、砂塵の鉄槌」
霧にも似た砂が集い、まるで槌の形をした塊となった。
砂の塊は素早く、ゴブリンボスへと振り下ろされる。
ゴブリンボスもまた、魔法陣から大きな火球を一つ放つ。
爆発じみた破裂が起こり、熱風が咲弥の肌を通り過ぎる。
ゼイドの戦いを眺め、咲弥はある疑問を抱いた。
紋章石次第で変わるのか、個数で変化するのか、紋章穴にはめ込む位置での問題か――紋章術にしっかり種類がある。
最初の村にいた頃、別の種類はないのか調べていた。
紋章穴と紋章石が一つしかないため、想像や言葉を変えて試してみたが、咲弥は結局、一種類の紋章術しか使えない。
最初はただ、想像で変化を促せると考えていた。しかし、別の効果を想像しようとも、発動するのは水弾だけなのだ。
ゼイドの紋章術は種類が豊富で、しかも豪快であった。
ゴブリンボスの能力も、また凄まじい。
こんな怪物が、きっとこの世界にまだ多く存在している。
だからこそ、戦闘にたけた冒険者がいるのだろう。
ゼイドとゴブリンボスは、お互い一歩も引く様子はない。
壮絶な攻防が続いている。
(よし……)
やっと吐き気が収まり、咲弥は少しばかり回復できた。
体もわずかなら、動かせるようにはなっている。
ただ依然として、ゼイドは服を着た熊にしか見えない。
咲弥はいったん、思考を打ち消した。
今は自分の頭や目よりも、やるべきことがある。
「君、大丈夫?」
「いるんだ……薬草が……どうしても、いるんだ」
ただただ泣きじゃくり、同じ言葉を繰り返し呟いていた。
「……そっか」
咲弥は努めて、優しく声をかける。
「ゴブリンのボスを倒せたら、薬草を一緒に摘みに行こう」
「いいの? 本当に、いいの?」
「うん。採りに行こう」
「母さん、病気なんだ……僕には、母さんしかいないから」
家族のために、こんな無茶な真似をしたらしい。
咲弥は心の内側で納得する。
「君、名前は?」
「……アズロ」
「アズロ君……君は、ちゃんと生きて帰らなきゃね」
「うん……」
「君が死んだら、お母さんは独りぼっちになっちゃうから」
咲弥は声音を柔らかくして、そう諭しておいた。
その言葉はまるで、自身に言い聞かせていた気もする。
自分もまた、生きて帰らなければならない。
一瞬でも死を覚悟した事実を、咲弥はこっそりと恥じた。
(そう。帰るためには、まずは、あいつを倒さなきゃ……)
かろうじて動けるが、戦えるほどではない。
ゼイドに頼るしかない状況に、咲弥は苦い思いを抱える。
はっきりと言えば、咲弥はあまりにも弱過ぎた。
天使から授かった力を、まったく使いこなせていない。
(弱い……だから、僕にできる最大限を考えなきゃ)
自分に何ができるのか、咲弥は必死に思考を働かせた。
「くそっ! こいつ、強過ぎじゃねぇかっ?」
ゴブリンボス突く木の槍を、ゼイドは斧腹で防いだ。
すかさず斬り返すが、ネイほどの素早さはない。
まばたきすらも許されない攻防が続いている。
ついに、ゼイドが疲れからか大きな隙を生んだ。
「ゼイドさん!」
「ま、まず――!」
鋭利な槍の先端が、ゼイドの胸へと向かう。
瞬間――風を切るような音が聞こえた。
いつの間にか、木の槍が切断されている。
歪な穴の奥から、赤髪の女が鷹揚に歩いて来ていた。
「世話がやけるわね。危ないところだったんじゃない?」
「ネイさん……よかった、無事で……!」
「おい、おせぇぞ!」
ネイはさっと飛び上がり、ゼイドの付近に舞い降りた。
「こっちも、別のうざゴブと一戦交えてたの」
「なんにしても助かった。あれ、魔法を扱う魔物だ」
ネイは面倒そうな顔を見せた。
「まっ……でしょうね。で、属性は?」
「火だな」
「そう」
まるで、カフェで雑談でもしているかのようだった。
さきほどまでの、絶望的な空気感が消えている。
「ベコシコズヒトオヌ! ワテニメッ!」
「ワテニメッ!」
ネイが真似をして、ゴブリンボスにビシッと指を差した。
ゴブリンボスの付近に、また赤い魔法陣が生まれる。
そこから、激しい炎が噴き出していく。
即座に、ネイが若草色の紋様を虚空へと描いた。
「風の紋章第二節、妖精の輪舞」
ネイの右手から流れる激しい風が、炎をも飲み込んだ。
そのまま、ゴブリンボスに纏わりつく。
自身が生みだした炎で、ゴブリンボスは焼かれていた。
「ホンギャアガガンガア!」
属性の相性か、ゴブリンボスにとってネイは天敵らしい。
咲弥は呆然と見つめ、また同じ疑問を覚える。
ネイもゼイドと同じく、第二節と口にしていた。
(無事に、帰れたら……)
紋章術について尋ねようと、咲弥はそう考えた。
ネイは姿勢を崩し、呆れた声を投げる。
「ばかね。探りもせず、魔法を使ってどうするわけ?」
「サヒヒヒッ! ゴギャアギャガギャ!」
ゴブリンボスは、纏わりついた炎を消そうと試みている。
好機と見たのか、ゼイドが大斧を振り下ろした。
ガキンッ――と、嫌な音が空間に響き渡る。
ゴブリンボスが身を守ろうとして、大斧を殴ったのだ。
「ちょっ……ばかっ? 破損しちゃってんじゃない」
炎に焼かれながら、ゴブリンボスがゼイドに拳を振るう。
ゼイドはひょいっと回避しながら、ネイに言い返した。
「オメェが来るまでに、だいぶ酷使しまくってたからな!」
「安物の斧なんか使ってるからでしょ!」
「はああああんっ? 俺も金がねぇんだよ!」
言い合いをやめ、ネイが投げナイフで応戦する。
投げナイフが刺さらずに弾かれ、いくつか地に落ちた。
レイガルムもそうだが、大型の魔物は異常に硬過ぎる。
大樹をえぐる紋章術ですら、致命傷は与えられない。
ゴブリンボスに至っては、限界突破した紋章術だったが、致命傷と言えるほどのダメージではなかった。
しかしゴブリンボスに関しては、単純に狙い打った箇所が悪かったせいもある。
可能か不可能か、わからない賭けだった。そのうえ人質も取られていたのだから、こればかりはどうしようもない。
とはいえ、右肩だけでも潰せたのはよかったとは思える。
右肩を失っても、ゴブリンボスの戦闘力は凄まじいのだ。
破損した大斧で応戦しながら、ゼイドが大きく声を張る。
「おい! オメェの短剣を、ちっと、貸してくれぃ!」
「嫌。こんな魔物に使ったら、刃こぼれするでしょうが」
「そんなこと、言ってる、場合かぁあああああっ!」
ついに、ゴブリンボスに纏わりついていた炎が消えた。
ゴブリンボスは怒りの形相で、ネイ達を睨みつける。
ネイは腰にある鞄から、投げナイフを一本取り出した。
「しょうがないわね」
ネイが投げナイフを、ゼイドに投げ渡した。
「あんたの固有能力で投げてみなさいよ」
「お、おう! わかった!」
ゼイドは受け取るや、黄土色の紋様を虚空へと描き出す。
「剛力の開花!」
ゼイドの腕が、またぶくっと膨れ上がった。
そして投げナイフを、ゴブリンボスに向けて放つ。
もの凄い速度で進み、投げナイフがゴブリンボスの左足に深く突き刺さる。致命傷には程遠いが、ダメージは与えた。
ネイは腕を組み、ゴブリンボスのほうをじっと見据える。
「これ……もしかして、あんたじゃ倒せなくない?」
「ぽいなあ!」
「逃げる? 逃げちゃう?」
「そのほうがいいかもなあ!」
ゼイドは肯定しつつ、ゴブリンボスとの攻防を再開する。
確かに、逃げたほうが賢明だと感じた。しかしそれでは、アズロが目的としている薬草は、諦めるしかなくなる。
アズロの願いを想い、逃げる選択はしたくない。
咲弥はネイを向いた。
(え……)
もはや緊張感がなく、ネイは大きな欠伸を漏らしていた。
すでに逃げる選択を、視野に入れているからなのだろう。
「ちょ、ネイさん。ちょっと待ってください」
咲弥はたどたどしい足取りで、ネイへと近寄った。
「投げナイフの投げ方、教えてください」
「ん? どうするの?」
「……僕の固有能力でなら、倒せるかもしれません」
ネイは片目を細め、怪訝そうに見つめてきた。
「ふぅん。まあ、いいわよ」
「はい……!」
「けれど、投げナイフを扱った経験あんの?」
「……い、いいえ……」
ネイが渋い顔をした。
実際にできるのか、正直やってみなければわからない。
「でも、お願いします」
「はあ……わかった。いいわよ」
すでにオドは、ほぼないに等しいはずであった。
それでも、何もしないで諦めてしまうよりはいい。
今度は本当に、自身に使うわけではないのだ。
だからこれ以上、酷い状態にはならないと願うほかない。
咲弥は投げナイフを受け取り、空色の紋様を浮かべた。
投げナイフの真価は飛行に加え、突きだと思われる。
限界突破を使えば、そこに重点が置かれると考えられた。
「親指と中指で挟んで、腕が伸びるように投げるの」
そっと背後から身を寄せ、ネイが手を重ね合わせてきた。
まるで、二人羽織に近い。
ネイの胸が背にあたり、そして手の滑らかさが伝わった。
照れている場合でもないが、自然と胸がドキッとする。
(考えるな……今は、何も考えるな……)
咲弥は自身に何度も言い聞かせ、心を落ち着かせた。
「この投げナイフは、あんたの一部。そうイメージするの」
ネイが言いながら、咲弥の手や姿勢を正してきた。
「いい? 何か物に触れようとしたとき、伸ばした手の先がどっかへいったりしないでしょ? 理屈は、それと同じよ」
言われて初めて、ネイの言葉の意味を漠然と呑み込んだ。
咲弥は頭の中で、投げるイメージを描き続ける。
「支えといてあげるから、軸をぶらさないで投げなさい」
ネイの優しさに感謝し、咲弥は頭の中で何度も練習した。
限界突破の使いみちは、紋章術のときに学んだ。
感覚としては、同じ要領に違いない。
ゼイドと戦うゴブリンボスに、咲弥は視線を据える。
(ゼイドさんに当たったら大変だ。間を掴むんだ……)
「ゼイド!」
ネイに呼ばれ、ゼイドが察したように後ろに飛んだ。
咲弥はこの隙を逃さない。
「投げナイフに、限界突破」
投げナイフに意識を向け、固有能力を発動する。
まずは無事、紋様が砕け散った。
砕けた事実は、つまり確実に成功しているという証だ。
(ごめん……お前を倒さなきゃ、薬草は探せないんだ)
心の中で謝罪してから、咲弥は投げナイフを放った。
投げナイフは空を裂き、凄まじい速度で飛行する。
ゴブリンボスへと向かい、上手く胸に突き刺さった。
その瞬間の出来事であった。
爆発じみた轟音が響き、衝撃が空気を大きく震わせる。
ゴブリンボスの後方に、黒い血しぶきが飛び散る。まるで爆撃でも受けたかのごとく、投げナイフで貫かれたのだ。
投げナイフは粉々に砕け散り、跡形もなく消え去った。
胸に大穴が空いたゴブリンボスは、ゆっくり崩れ落ちる。
咲弥はおろか、その場にいた全員が沈黙していた。
静寂に包まれる中、咲弥の耳の付近で綺麗な声が飛ぶ。
「……えっ……? すご……」
ネイの呟きを聞くや、咲弥の視界がグニャリと歪んだ。
また強烈な吐き気も覚え、全身の力が抜け落ちる。
(そりゃ……やっぱそうだよな……知ってた……)
「うぉおおおおおお!」
ゼイドの勝利の雄叫びを最後に、咲弥は地面に倒れた。
意識が暗い闇へと、瞬時に染まる。
漆黒に満ちた闇の中――
ふと、何かが聞こえる。
「ほら、咲弥! はやく起きなさい!」
「……う、ん……」
聞き覚えのある声が、咲弥の耳へと届いた。
目を開けば、薄暗い白い壁と天井が見える。
趣味の品々がある勉強机へ、ゆっくりと視線を流した。
パソコンの電源が、入ったままになっている。
(ああ、消し忘れちゃったのか……)
咲弥は上半身を起こし、黒髪に指を通して頭をかく。
本日の夢は、とてもリアルな出来事に感じられた。
天使に選ばれ、強制的に使命と力を与えられる。それから魔物が存在する、地球とは異なる世界へと旅立つのだ。
人々は怯え、戦い、日々を精一杯に生きていた。
咲弥は多くの人と出会い――不意に、欠伸が漏れる。
(うぅーん……まだ寝ぼけてんのかな……)
身支度を整えるため、咲弥はベッドから降りた。
パソコンの電源を切ってから、階下へと向かう。
「母さん。起きたよ」
階下に降り切ったところで、咲弥は絶句した。
「えっ……?」
父親と友人達の、無残な死体が転がっていた。
何かで刺されたのか、体中から血が流れ出ている。
その中には焼け死んだような、黒焦げた死体も多い。
「な……なん、で……」
「きゃぁああああああ!」
母親の悲鳴が聞こえた。
視線を滑らせ、咲弥は戦慄する。
巨体のゴブリンが、母親の首を掴んでいた。
「ヲウナマシ!」
「やめろ……やめろ……」
「逃げ、なさい……咲弥……逃げて……」
「やめてくれ……頼むから……やめて」
「カダスアリ。ソロシニエッ!」
ゴブリンボスは、尖った木の槍を振りかぶる。
どうにかして助けだしたい。
しかしなぜか、体が言うことをきかなかった。
「やめろ……やめろ……」
ゴブリンボスは嘲笑い、槍で母親の大きく胸を貫いた。