第二十話 複雑な心境を抱え
「咲弥様……咲弥様?」
紅羽の呼び声が聞こえ、咲弥ははっと我に返る。
隣の席に座っている紅羽が、どこか不思議そうに紅い瞳で見据えてきていた。
咲弥達は大人の雰囲気が漂う、酒場ティアラに来ている。
酒場といっても、いつも利用している酒場とは訳が違う。ここは歌と音楽に耳を傾けながら、お酒や食事を楽しむ大人向けのレストランともいえる場所だった。
店の奥に低い舞台があり、その上できっちりと正装をした者達が複数の楽器を奏でている。時折、演奏者の前に誰かが立って歌っていた。
そんなお店を訪れる者は、気品に溢れた大人しかいない。
清楚感のある格好の紅羽は別だが、咲弥にネイとゼイドは明らかに場違い感がある。正直それを抜きにしたとしても、居心地はあまりよくないと感じられた。
咲弥には早い。そもそも、お酒は飲まない性分なのだ。
「ここの料理、口に合わなかったかな?」
対面の席にいるアルベルトが、不安げな表情を見せた。
白いお皿の上に、芸術的なくらい綺麗に盛られた料理は、どれも味の質は高めであった。まず目と鼻で楽しんでから、少量ずつ舌で味わっていく。
不味いわけがない。
しかし野宿以上に、満足感がないのもまた事実だった。
コース料理の形式は、もとの世界からも馴染みはない。
だからマナーに加え、食べ方もよくわからなかった。
もっとがっつける食事のほうが、どうやら自分の性分には合っている。そんな理由から、あまりにも綺麗に整い過ぎた料理は、少し味気なさが際立ったのだろう。
とはいえ、これ以上の失礼はできない。
咲弥は気を取り直してから、アルベルトに視線を送った。
「すみません。料理は本当に、とても美味しかったです……でも、こういった雰囲気のお店は初めてでしたので、かなり緊張しています」
咲弥は、そう言い訳しておいた。
嘘ではない。だがそこには、別の事情がもう一つある。
魔人からの接触が、咲弥の心を人知れず蝕んでいた。
酒場の雰囲気に気後れした事実は、確かに否めない。ただ魔人の存在が咲弥の精神状態に、少なからずよくない影響を及ぼしているのも間違いではなかった。
「そうか……俺も最初は、そうだったかもしれない。もっと気楽な店を選べばよかったね。気が利かなくて、すまない」
「いいえ! 貴重な経験をさせてもらい、感謝しています」
表情を曇らせたアルベルトに、咲弥は慌てて取り繕う。
沈黙がお互いを行き来する。かなり気まずい。
そんなさなか、別のテーブル席から爽快な大声が飛んだ。
「おっしゃあぁあっ! 次の酒、持ってこぉおおおいっ!」
「ちょっ! ネイちゃん! シィー! シィイイーッ!」
「叫ばれたくなきゃ、どんどん持ってこんかぁあああい!」
「ネェーイィーちゃん!」
場に馴染むという感性を、ネイは持っていないらしい。
陽気な青年エルヴィンが、ひどく慌てふためいていた。
ネイ達と同じ席のゼイドとキースは、どちらも渋い表情で沈黙している。
「な、なんか……すみません……」
ネイに代わり、咲弥はアルベルトに謝罪しておいた。
アルベルトは苦い表情を浮かべ、ネイ側を眺めている。
「気には入って……くれている、みたいだね」
アルベルトは苦笑してから、紅羽へと端整な顔を向けた。
「君は、どう?」
問われた紅羽が、真顔でこくりと頷いた。
「問題ありません」
「……えぇっと、美味しかった?」
「はい。とても上品な味わいでした。定められた順に従って味を楽しみ、お腹を満たしていく料理――私は、そう感想を抱きました」
アルベルトはどこか、ほっと安堵した顔を見せた。
紅羽は小食ではないが、大食いでもない。自分のペースで淡々と食事をする彼女には、確かにコース料理は合っている気がした。
料理が運ばれて来る間隔に加え、量もほどよい。
「そうか。気に入ってくれてよかった」
「はい」
視線を据え合う二人を眺め、咲弥は漠然と思った。
(美男美女同士だから、なんだか映えるな……)
咲弥は少しばかり、胸の奥がちくりと痛んだ。
場違い過ぎる自分は、きっと傍目からは異物でしかない。
勝手な想像が膨らみ、そして勝手に嫌な気持ちが湧く。
咲弥は自分自身に呆れ果て、心の中でため息をついた。
別世界で生まれ育った異物よりは、少なくとも同じ世界で生まれ育った者同士、合うのは至極まっとうな話ではある。
また彼みたいに、綺麗な容姿をもっているわけでもない。
自己分析すればするほど、心がじんじんと痛み続けた。
誰にも知られない程度に、咲弥は首を小さく横に振る。
自己嫌悪が強まる前に、思考を無理矢理打ち切った。
咲弥は心を落ち着かせてから、アルベルトに声をかける。
「あの……」
「ん?」
「実は、少し……小耳に挟んだ話なんですが……」
「うん。どうしたの?」
「アルベルトさんって、リフィア様が神器を授けた方の子孫……本当ですか?」
アルベルトが、はっとした顔を見せた。
表情の移り変わりからも、咲弥は間違いないと断定する。
「あっ……さ、さすが、冒険者だ。情報が早いな」
「いいえ……たまたま、ただの偶然ですから」
やはりアルベルトは、英雄となった者の末裔らしい。
それはつまり、魔人の言葉に信憑性を高めさせる結果へと繋がっていた。ラグリオラスはきっと、嘘をついていない。
どの情報に関しても、おそらくは事実を語っていたのだ。
「でも……いったいどこで、そんな話を?」
「……荷物を宿へ運ぶときに、町の人達の会話から、です」
咲弥は言葉を少し濁した。紅羽への言い訳も含んでいる。
あまり変に嘘をつきたくはないが、魔人から聞いたなどと言えるはずもない。仲間には――特にネイには、魔人の話を知られるわけにはいかなかった。
今の咲弥達では、たとえ全員で戦っても勝てる未来が思い描けない。だがもし彼女が知れば、それでもラグリオラスを討つために無茶をするだろう。
ネイを想えばこそ、今は黙っていたほうがいい気がした。
またそれと同じくらい、不信感を抱かれるのが怖い。
ラグリオラスと邂逅して間もない頃、仲間の誰かが魔人と繋がっている可能性を模索した。しかし理由はどうであれ、実際に繋がったのは疑った咲弥本人だ。
さまざまな感情が混ざり合い、気分が深く沈んでいく。
どうするのが正解なのか、何もわからなくなる。
そんな咲弥をよそに、アルベルトは小刻みに頷いた。
「あぁ……どこかで俺を見かけた人が、そう噂していたのか……なるほど。確かに俺は、神器を祀る神殿で生まれ育った――英雄の血族の一人だ」
「神殿……単刀直入に、お伺いしてもいいでしょうか?」
「ああ。俺に答えられる範囲でならね」
「魔神の封印は……今、どうなっているんですか?」
アルベルトが言葉に詰まった様子を見せる。
小首を傾げ、アルベルトは気まずそうな声を発した。
「どう、って……なにがだ?」
「魔神の封印は、もう綻んでいますよね?」
「えっ? そんな……」
アルベルトは目に見えて戸惑っていた。
「何かの、冗談……? そんな話、聞いたことがない」
「え……?」
「魔神に関しては神殿でも、お偉方の管轄になるが……もし封印が綻んだとなれば、伝わってこないはずがない。だから、何かの間違いじゃないのか?」
咲弥は驚愕すると同時に、つい顔をしかめた。
心臓が歪な鼓動を始め、呼吸が少しばかり乱れる。
浮かぶ疑問を追及するため、咲弥は別の問いで攻めた。
「――十天魔は、ご存じですか?」
「驚いた……ごく一部の者しか、知らないはずの名称だ」
「十天魔はもう、何体か目覚めていますよね?」
アルベルトは微妙な面持ちで、軽く苦笑を漏らした。
「まさか……そんな最悪な事実、聞いたことがない」
「え……?」
極秘事項のため話せないのかと、咲弥は勘繰っていた。
だがどうやら、そういうわけでもない様子にうかがえる。
いったい何がどうなっているのか、さっぱりわからない。
(少なくとも、ニギルに……ラグリオラスは目覚めている)
神殿側がそれを、認識していないとは到底考えられない。
咲弥が調べた情報によれば、魔神の封印を徹底的なまでに管理しているのは、三つの神器を祀った神殿なのだ。魔神の配下となる十天魔も、同様だと思われる。
アルベルトには、何も話が伝わっていないのだろうか――英雄の末裔とはいえ、本当に何も知らないのであれば、今はもう神殿の関係者ではないのかもしれない。
咲弥からすれば、そう疑わざるを得ない心境であった。
「アルベルトさんは今も、神殿の関係者……ですよね?」
アルベルトの表情が、少しばかり険しくなる。
これはさすがに、失言以外の何物でもない。
自然と漏れた言葉を窘めながら、咲弥は慌てて言い繕う。
「すみません……ですが、魔神の配下は最低でも、一体……目覚めていました」
「ははは……そんなの、絶対にありえないな」
「事実です。十天魔の一体を、咲弥様が討ちましたから」
紅羽の補足を聞き、アルベルトは静かな驚愕を顔に表す。
咲弥は近くの席にいるネイを気遣い、声を潜めて告げる。
「あれは人を魔物に変える……最悪な存在でした」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……」
アルベルトは難しい顔をして、腕を組んでから沈黙する。
咲弥はじっとアルベルトを眺め、彼の言葉を待ち続けた。
「本当にそんな話は聞いたことがない。いくら神殿にとって不要な俺だったとしても、もしそんな事態になれば、絶対に伝わってこないわけがないんだ」
「不要……?」
咲弥は訝しく思い、その点を問いかけた。
アルベルトはやや顔を曇らせる。
そして静かな声音で、アルベルトは内情を簡潔に語った。
その内容に、咲弥はとても微妙な心境を抱える。
神殿の事情や情報は、冒険者ギルドでも情報規制、または知られていない部分が多い。十天魔がそうであったように、いくら調べても出てこないのだ。
だから英雄の末裔からの話に、ひどく衝撃を受ける。
(血筋を……絶やさないために、か)
あらかた語り終えたのか、場に沈黙が落ちた。
アルベルトは微笑をもって肩を竦め、穏やかな声を紡ぐ。
「本家と縁遠いとはいえ、それでも……もしも本当に魔神の封印が綻んだ――あるいは、十天魔が目覚めたともなれば、俺の存在価値はもう少しだけ上がっている。兄姉達よりは、俺のほうが武芸に秀でていると自負しているからな」
事情は理解した。しかし、解せない点は多くある。
なぜ復活に関しての情報が乏しいのか、何もわからない。
咲弥が問う前に、アルベルトは言葉を続けた。
「神殿がある地域には、神殿騎士達の努力もあって、魔物がまったくいない。ここの島と同じで、安全そのものなんだ。だから十天魔が復活しているなんて事実があれば、それこそ大混乱する事態に陥っている」
「でも、現に――十天魔は復活していました」
咲弥はありのままの事実を突きつけた。
アルベルトの顔は渋い。
「……本当にそれは、十天魔で間違いないのか?」
「え……?」
「十天魔の名を語った何か……と、いうわけではなく?」
咲弥は言葉に詰まった。断言までは、当然できない。
リフィアがいた時代に、生きていたわけではないからだ。
とはいえ、魔人は明らかに異質な存在で間違いない。
だから十天魔の名を語るだけの存在だとは、到底思えない――それはあくまで、たんに咲弥側の感想でしかなかった。
明確な根拠など、今は示せるすべはない。
咲弥は何も言葉を返せないでいた。
「おいっ! しゃくあ!」
ネイがいきなり、後ろから咲弥に覆いかぶさってきた。
ネイの柔らかな胸の感触が背後から伝わり、途端の照れが咲弥に生じる。
咲弥は激しく戸惑い、間近にあるネイの顔を二度見した。
とろんとした目をしている。顔も真っ赤に染まっていた。
呂律も回っていなかったうえに、かなりお酒臭い。
「ちょ……ネ、ネイさん……!」
「あんね……ちょっろ、おもれにでらさい」
表に出ろと言っているらしい。
理解するまでに、少しばかり時間を要した。
酔っ払い特有の嫌な絡みに、咲弥は自然とため息が出る。
ネイは咲弥の肩に腕を乗せ、親指をクイッと差した。
「あれろらいけつしれ、らまらせてこんらい」
「え……?」
これは何を言っているのか、さっぱりとわからない。
なぜ通じないのか――ネイはそう言いたげな様子を見せ、不満顔で睨んできた。
「ららかってこいってころ!」
「いや、あの……本気で、何を言ってるのか……?」
「ネイちゃんがデートしたいなら、君と決闘で勝てってさ」
ネイに好意がある様子のエルヴィンが、事情を明かした。
咲弥はぎょっとする。
「なっ……どうして、僕なんですか……」
「あんら、わらしのにおつおちれしょ! やっれろい!」
「えぇえ……」
咲弥は、頭を抱え込みたい気分に陥る。
だいたいの事情は把握した。だが、さすがに都合が悪い。
それでなくとも、ラグリオラスの件が尾を引いている。
「君が断るなら、俺の不戦勝ってなるけど……?」
エルヴィンが片目を細め、不敵な笑みを見せつけてくる。
咲弥の頬を、ネイが両手でがっしりと包み込んだ。
「あんら……負けらら、こおすかんね?」
顔を至近距離まで詰め寄らせ、ネイがじっと睨みつけた。
それほど嫌ならば、きちんとお断りすればいい――そんな思いが口から出かけたものの、ぐっと心の中へ押し込める。
酔っ払い状態では、何を言っても無駄に違いない。
「いくあよ!」
ネイが離れ、店の出入り口のほうへ千鳥足で向かう。
なかば諦めの境地に達しながら、咲弥はまず悩んだ。
魔神に関した大事な話の途中だが、正直これ以上の情報は期待できそうにない。アルベルトのほか、神殿側でも魔人の存在は本当に把握していない可能性がある。
ある意味では、貴重な情報が手に入れられた。
神殿側では、魔神関連に沈黙している――
この事実は、のちに深く考える必要があるだろう。
ラグリオラスの言葉が、ふと咲弥の脳裏によみがえった。
『リフィアが神器を渡した奴の末裔だが、あれは憐れとしか言いようがない』
魔神や十天魔の気配に、まったく気づけていない――
そんな意味が、言葉の裏には含まれていたのだと思えた。
咲弥は内心、かなりのショックを受ける。
神殿では魔神関連の情報が、大量に眠っている――勝手にそう思っていた。だが神殿の関係者となる、英雄の末裔との会話から考えを根底から改めさせられる。
実際問題、笑えない話でしかない。
当然といえば当然なのかもしれないが、味方の人類よりも敵の十天魔のほうが、遥かに有意義な情報を握っている。
そんな事実を、ひどく痛感させられた。
「咲弥様……?」
また紅羽の呼び声で、咲弥は我に返った。
紅羽が小首を傾げ、じっと見据えてきている。
咲弥が気を取り直すや、ネイから怒号が飛んできた。
「らにしてんの! はあくこんかい!」
出入口の付近には、ゼイドとエルヴィン達もいる。
咲弥は自然と苦笑が漏れ、椅子から立ち上がった。
すると紅羽とアルベルトも、同時に席を離れる。
さまざまな心境を抱え、咲弥は紅羽達とネイを追った。