第十八話 悪しき接触
夕方に差しかかる前に、サンライト号は島へと到着した。
ただ船乗り達の仕事は、まだ終わらない。船に積んでいた貨物を搬出したのち、今度は島の港に保管されていた貨物を搬入する作業に取りかかるようだ。
すべての作業が終わるのは、夜の零時を回るらしい。
島としか聞いていなかったため、もっと長閑そうな風景を勝手に想像していた。
しかしそんな予想とは異なり、視線を巡らせるほどに島は栄えている。石やレンガ造りの建物が多く建ち並んでおり、街灯のある歩道もきちんと舗装されていた。
綺麗な宿屋は外観と同様、内装のほうもかなり満足のいく造りをしている。それこそ、ホテルを彷彿とさせるくらい、整った施設であった。
本日はそんな宿で、咲弥達は一晩を明かすことになる。
目的の港町への出航は、明日の朝九時頃だと聞かされた。
だからそれまでは、この島の港町に留まるしかない。
「――というわけで、今日は買い出しに行きましょうか」
元気になったネイが、両手をぱちんと重ね合わせた。
すでに荷物は宿に預けており、誰もが身軽な状態となって広場に集合している。
咲弥は首を捻り、ネイに問いかけた。
「何かたりないものでも、あるんですか?」
「女の子ってのはね、常備しておく物が何かと多いのよ」
ネイは呆れた面持ちで、胸の前で手を小さく広げた。
理由は呑み込めなかったが、咲弥は曖昧に頷くしかない。
両手を前で組んだ紅羽が、真顔で口を開いた。
「調味料類が、いくつか切れそうです。特に、お塩です」
「あぁん……なんにでも使っちゃうやつは、やっぱり減りが早いわね。わかった。それも併せて、補充しちゃいましょ」
ネイが応じたあと、ゼイドが渋い声を紡いだ。
「必要な物ならいいが、あれもこれもと買うなよ?」
「ただでさえ、荷物は多いですからね……」
男性陣からの愚痴に、ネイは大袈裟なため息をついた。
「まったく……うちの男どもは情けない」
「なら半分、持ってくれても構わないぞ?」
「さぁ! しゅっぱぁーつ!」
ゼイドの発言を無視して、ネイは陽気に歩き始めた。
ネイの背後を睨んだゼイドが、咲弥へと顔を向けてくる。
ゼイドは呆れ顔で小首を傾げながら、右肩だけを竦めた。
やれやれと言いたげな彼に、咲弥は苦笑するしかない。
「行くか……」
「はい……」
それから咲弥達は、いろいろな店を巡った。
この島自体には、資源となるものはほとんどないらしい。それでも多くの店が立ち並び、多種類の品々が扱えるのには相応の訳があった。
地図上では小さくとも、実際はかなり広い。そんな島には主要となる港町が全部で四つあり、船の向かう先がそれぞれ大きく異なる。
つまり島全体が、重要な中継地として機能しているのだ。
さらに、もう一つ――最高の利点が、この島にはある。
海の魔物に気をつける必要はあるものの、島の中自体には魔物がほぼいない。野生動物ならそれなりにいるそうだが、人に危害を加える動物ではないと聞いた。
そんなさまざまな理由から、島の中はどこも栄えており、中には隠居生活の場として住みつく者もいるらしい。
確かに道行く人は、殺伐とした世界とは無縁そうに思える者ばかりであった。
(危険を考える必要がないって、なんだか久々だなぁ……)
もとの世界ではそれが普通で、また当然のことであった。
自分の適応能力の高さに、改めて驚かされる。あるいは、住めば都というように、人はそこに在るしかないとなれば、誰でもそうなるのかもしれない。
ただ本来の平穏を知っているからか、島内にある安全が、咲弥にはとても貴重なものだと感じられた。こんな機会は、滅多にないだろう。
だから仲間とのショッピングを、咲弥は心から楽しんだ。
しかし次第に、荷物の量がどんどんとやばくなってくる。
ネイも紅羽も楽しんでいるだけに、強くは言い出せない。
「よぉし! お次は、あの店に行きましょ」
ネイが指を差した方角は、お酒が並べられた店であった。
咲弥は苦い眼差しで、ネイに訴える。だが、ネイは満面の笑みを見せつけ、気づかない振りをした様子だった。
先を行くネイとゼイドを見つめ、咲弥はため息が漏れる。
「あれ……? 君達は……」
不意に、近くで男の声が飛んだ。
自分ではないと思いながらも、咲弥は男の声を振り返る。
するとそこには、サンライト号で見た三人の男がいた。
高貴な印象を醸した男が、咲弥のほうへ歩み寄ってくる。
「船で見た君達の戦い――正直、驚きの連続だった」
「あぁ……えぇっと……」
咲弥は少しばかり対応に困った。
名を聞いた記憶はあるものの、まったく思いだせない。
それに気づいたのか、気品のある男があっと声を上げた。
「申し訳ない。自己紹介が遅れたね。俺は、アル――」
「こいつはアルベルト。そんで俺がエルヴィンで、そっちのでかぶつはキースだ。よろしく!」
アルベルトの言葉を遮り、代わりにエルヴィンが告げた。
陽気な彼とは違い、堅物そうなキースが不満を口にする。
「おいおい……でかぶつなんて紹介があるかよ」
「事実じゃん。ねぇ、アル?」
「ははは……」
アルベルトは渋い面持ちで、苦笑を漏らした。
微妙な空気感のなか、咲弥も紹介を始める。
「えっと……僕は咲弥です。そして、こちらは紅羽です」
「初めまして」
アルベルトは挨拶しながら、にっこりと微笑んだ。
エルヴィンが、アルベルトの胸をぽんぽんと叩く。
「君達の船での活躍、本当に凄かったよ。でもね、実は――ある意味、こいつもなかなか負けちゃあいないんだぜ?」
「お、おい……」
アルベルトは、軽くうろたえていた。
咲弥は小首を傾げ、感想を伝える。
「オドの流れが綺麗ですから、お強そうだと思います」
「まあそれもそうだが、血統的な意味で……だな」
キースは不敵な笑みを浮かべ、そう訂正してきた。
王族か貴族か、やはり雰囲気通り高貴な存在なのだろう。
どう対応すればいいのか、咲弥は激しく悩んだ。
すると先を進んだネイ達が、踵を返して戻ってくる。
「なあに、あんた達……ナンパァ?」
咲弥の肩に腕をかけ、ネイが呆れ気味に訊いた。
その態度に、咲弥は焦る。
「ネ、ネイさん……なんか、身分の高い人達みたいですよ」
「ふぅん……まあ、そんな雰囲気はあるかも?」
ネイにとっては、どうでもいいらしい。
エルヴィンが途端に、目を輝かせながら声を漏らした。
「これは……凄く、美人なお嬢さんだ」
「あ、えっと……こちらの二人も、冒険者仲間のネイさんとゼイドさんです」
「冒険者……」
やや驚いた面持ちで、アルベルトがそう呟く。
咲弥はゆっくりと頷いた。
「はい。僕達、レイストリア王国の冒険者なんです」
「レイストリア……ああ。レイストリアか」
咲弥と紅羽を、アルベルトは交互に見ている様子だった。
そのさなか、エルヴィンはネイをまじまじと眺めている。
実はこういった展開は、これまでもちょくちょくあった。
美人過ぎるのも大変だと、咲弥は胸中でこっそりと思う。
ついにエルヴィンが、意を決したような声を紡いだ。
「あの……お嬢さん。彼氏は?」
「別にいないわよ。私よりも弱い男には興味がないからね」
「それはだいたい、どのくらいの強さがあれば合格?」
「零級の魔物を、一人で討伐できるぐらい」
ネイは即座に、きっぱりと言い放った。
エルヴィンは苦い顔をして、大きくうな垂れる。
キースが豪快に笑い飛ばした。
「そんな奴、そうそういないぜ」
「あと初対面で、人の交際関係を訊かない人――かな?」
ネイが嫌味たらしく言い、いたずらっぽく笑う。
咲弥は内心、はらはらとしていた。
咲弥は小声で、ネイを止めておく。
「あ、あの……ネイさん? 高貴なお方達ですよ」
「いや、それは冗談だ。俺達は別に、そんなんじゃあない」
苦笑気味に断言してから、アルベルトは話を進めた。
「実はこれから、この島にいる知人に会いに行くんだが……もし時間があるなら、またあとで会えないか?」
「えっ……時間、なら……別にありますが……」
アルベルトの唐突な誘いに戸惑い、咲弥は曖昧に応えた。
会って何がしたいのか、いまひとつよくわからない。
咲弥が問う前に、アルベルトが内情を語った。
「宝具所持者と、お近づきになれる機会は滅多にないから。そちらの彼女からも、いろいろとお話を伺ってみたい」
アルベルトの碧眼が、紅羽のほうへと向く。
視線を据えられた紅羽は、ただ黙って前を向いていた。
確かに宝具所持者は、珍しい存在ではある。
漠然と理由を呑み込み、咲弥はこくりと頷いた。
「僕達でよければ……」
「お酒でも奢ってくれるなら、貸してやってもいいわよ?」
ネイが目を細め、にやにやと笑っていた。
アルベルトは肩を竦める。
「わかった。それぐらいなら、なんでもないさ」
ネイの条件を受け入れ、アルベルトは虚空を見上げた。
「それじゃあ、今から……そうだな、二時間後くらいか……ここの大通りを北に進めば、ティアラという店があるんだ。そこで、先に待っていてくれないか」
時間的には、晩飯の頃合いではある。
咲弥が返事をする前に、ネイが疑問を呈した。
「好きに注文しても、構わないのよね?」
「ああ。先に食事を始めてくれていても問題ない」
「いいわ。それじゃあ、約束通りこの子達を貸してあげる」
咲弥は苦笑しながら、ネイをじっと睨む。
ため息をつきたい気分だったが、もう話は纏まったのだ。
アルベルトはどこか安心顔で、軽く微笑む。
「それじゃあ、またあとで……」
「はい。わかりました」
咲弥が了承するや、エルヴィンが声を飛ばした。
「それじゃあ、ネイちゃん。またあとでね!」
「えぇえ……あんたは別に、いらないんだけれど」
「美人に睨まれるのも、なかなか悪くないね!」
「おい。遅れるから行くぞ」
エルヴィンの襟を掴み、キースが引っ張った。
そうして、アルベルト達はどんどんと遠ざかる。
見送っているなか、ゼイドがぼそりと言った。
「結局、誰だったんだ?」
「さ、さぁ……どうなんですかね?」
咲弥が曖昧に言葉を返すと、ネイがからからと笑った。
「タダ飯が食えるんなら、誰でもいいんじゃない?」
「オメェはもっと、危機感を持つべきだと思うぞ」
ゼイドの小言に、咲弥も内心で同意する。
ネイは悪びれた様子もなく、お気楽な声を紡いだ。
「あんたらがいるんだから、何も問題ないでしょ」
「……んで、お前は好き勝手する。と?」
「そのとぉおり!」
これにはゼイドを含め、咲弥もため息が漏れる。
ネイはくすりと笑い、右腕を高く掲げた。
「それじゃあ、買い物の続きでもしましょうか」
「つっても……もう結構、荷物がぱんぱんになってきたぜ」
「うぅん……確かに」
咲弥はやれやれと思いながら、唸るネイに提案した。
「僕が一度、荷物を宿に持って帰りましょうか?」
「おお、それはいい案ね」
手伝う気はなさそうなネイが、子供っぽく笑った。
傍にいる紅羽が、咲弥の袖をくいっと引っ張ってくる。
「私も、お手伝いします」
「いや、いいよ。すぐ戻ってくるから、みんなと待ってて」
紅羽は真顔のまま、少ししてからこくりと頷いた。
「了解しました」
「それじゃあ、荷物持ち君! 宿まで頼んだぞ!」
「あ、ああ……はい……」
咲弥は渋々と伝わるように、ネイに了承しておいた。
ゼイドが手にしていた荷物を、咲弥は受け取る。もとから持っていた荷物と合わせるや、想像以上に重たくなった。
大型のリュックに、全部詰め込めるのか心配になる。
「それでは……皆さんはこの辺りで、待っててください」
「おう。荷物、頼んだぜ」
「はい」
ゼイドに応じてから、咲弥は宿の方角を目指して歩いた。
街路樹のある歩道を、咲弥は進みながらに周囲を眺める。
発光石が仕込まれているのであろう街灯が、等間隔に立ち並んでいる。そのため夜が訪れてもなお、港町では明るさを保っていた。
王都と同じく、この時間帯でも人の数はとても多い。
ここにいる人達は、だいたいがラフな格好をしている。
夜でも少し暑いため、男は半袖や半ズボンが目立つ。
女性はワンピース系の、薄い生地をした者ばかりだった。
だから咲弥みたいな格好は、よそ者だとすぐにわかる。
この世界を訪れてまだ間もない頃は、服装の違いで旅人か現地の住人かなど見分けられなかった。そのときの記憶が、咲弥の脳裏にぼんやりとよみがえる。
(あの頃は学生服に、かなりだめ出しされたっけ……)
散々な評価を、各ギルドから受けた記憶があった。
あの頃に比べれば、だいぶ成長した気がする。
知識も、戦闘面も、何もかも――
それなのに、邪悪な神へと近づけているのかわからない。
空白の領域にですら、まだ一度も入ったことがなかった。
あとどれくらい、時間を費やせばいいのか――
急いたところで、いい結果など生むはずがない。
ただ実感が得られないのは、不安と苦しさが胸に募る。
「はぁ……」
我知らず、咲弥はため息が漏れた。ふと潮の匂いを嗅ぐ。
ここは海から、結構離れた距離にあるはずだった。
そこで咲弥は、衝撃的な事実を知る。
「……あっ! 行き過ぎた!」
曲がらなければならない場所を、咲弥は直進していた。
別の意味でため息が漏れ、すぐさま踵を返す。
そして、大通りにある十字路の手前――
建物同士の隙間と思える細道から、不意に男の声が飛ぶ。
「やあ。こんばんは」
「え? あっ……こんば……」
咲弥は言葉に詰まった。
確信があったわけではない。だが、本能が警告を発する。
挨拶してきたのは、明らかに人と呼ばれる存在ではない。
漆黒の眼球に、深紅の瞳を持つ――性別は男になるのか、とても中性的な容貌をしている。そして肌は異常に青白く、そのせいか少し病弱そうな印象を受けた。
咲弥は瞬時に、魔人ニギルの姿が脳裏に浮かぶ。
しかしニギルとは違い、悪魔的な要素が欠落していた。
黒い角も翼もない。だが、悪魔的な気配が漂っている。
たとえ姿形が異なろうとも、魔人なのは間違いない。
混乱を必死に抑え込み、咲弥は即座に――
「落ち着いてくれ。俺は敵じゃない。こっちにおいで」
穏やかな口調で言い、黒髪を総髪にした魔人が動く。
咲弥はとっさに、制止の声を張り上げた。
「ま、待て!」
魔人は聞き入れない。
どんどん薄暗い路地の奥へと進んだ。
咲弥はくっとうめき、慌てて追いかける。
ほんの少し先で、魔人は急に立ち止まった。
総髪の黒髪を撫でるようにかき上げてから、目の前にいる悪しき存在は腕を組んだ。そのまま壁にそっと背をあずけ、まるで待ち人を待つ姿勢となる。
咲弥は一定の距離を保ち、荷物を地へと落とした。
念のため紋様を浮かべ、臨戦態勢を整えておく。
魔人はまったく動じず、落ち着き払った声音で言った。
「俺はラグリオラス――初めまして。神殺しの獣」
「……っ!」
神殺しの獣に関しては、仲間の三人にしか話していない。なぜラグリオラスが知っているのかわからず、じわりとした恐怖に心臓の鼓動が速まる。
咲弥の脳裏に、さまざまな疑問が駆け巡った。
(誰かが魔人と繋がっている……? 絶対ありえない……)
一瞬の疑いはかき消し、透視や未知の力のほうを疑う。
この神秘的な世界では、それでもなんら不思議ではない。
ラグリオラスは片手を軽く振り、穏やかな口調で述べた。
「本当は、まだ接触する予定じゃなかったんだ。でもまあ、なんとも奇妙な縁か……ついでに顔合わせでもしておこうと思ってね」
「ついで……? いったい、何が目的なんだ?」
咲弥の声は強張っていた。しっかりと自覚している。
痺れるような緊張感に、全身から嫌な汗をかいた。