第十六話 惚れたもん負け
港町ヴィチットにある、夜の飲食街――
どうやらここでは、テラス席が主流らしい。
どこの店も通路のほうにまで、溢れるようにテーブル席が置かれていた。それでも空きを探すのが困難だったくらい、大勢の人達で席は埋め尽くされている。
実際の事実がどうなのかは不明だが、おそらく店の中では収まりきらないほどの人達が訪れるため、こうした文化へと発展したのだろう。
そんな飲食街にあるテーブル席の一つに、咲弥はいた。
気心知れた仲間達のほか、オリヴィア達も同席している。
それぞれが、適当に注文している最中――
咲弥はネイから、衝撃的な事実を聞かされた。
ネイもまた、新時代の力を持った者と遭遇したらしい。
話の流れに乗り、咲弥も伝える予定だった出来事を語る。
そして、今現在――ネイが、まさにフグと化した。
「極めて遺憾だと、そう言わざるを得ませんなぁっ?」
紅羽が宝具を手に入れた事実が、よほど悔しいようだ。
ネイは不満げに、椅子の前足が浮くほど深くもたれ込む。
ゼイドは腕を組み、物悲しげな声で呟いた。
「まあ……宝具は運だからなぁ。巡り合わせってやつさ」
「後輩の二人が、冒険者の憧れを先に入手するだなんて……人生ってやつは残酷じゃないの! てか、片や冒険者になる前にゲットしてるしさぁ!」
ネイがぐしゃっと赤髪に指を通し、テーブルに突っ伏す。
頭を抱えた彼女を見ながら、咲弥はおずおずと告げる。
「いや、その……ただの偶然ですから……」
「私も同様の感想を抱いております。自分がまさか、生命の宿る宝具――ヴァルキリーを手にする日がやってくるとは、夢にも思いませんでした」
紅羽が胸にそっと手を添え、真顔のまま言葉を続けた。
「ヴァルキリーが得られた今、これまで以上に戦力の増強が見込めると、私はそう考えています。多種類の武器を瞬時に形作れる――そう、ヴァルキリーならば」
名づけてもらえたのがよほど嬉しいのか、または無自覚にネイを煽っているのか――紅羽はヴァルキリーという名を、かなり強調して発言した。
紅羽の性格を考えれば、単純に前者だと思われる。
ただ現状では、後者だと受け取られてもおかしくはない。
咲弥は冷や汗をかきながら、同時にほっと安堵もする。
港町へ帰還中、真剣に考え抜いた甲斐はあったらしい。
ネイがすっと目を細め、口を尖らせながら紅羽を睨んだ。
「悪いこと言わない。今すぐにでも呼び名……変えな?」
ネイは大袈裟なため息をつく。咲弥はぎょっとなった。
紅羽に悪気がないのは、おそらくネイもわかっている。
だから手頃な咲弥へと、矛先を向けてきたに違いない。
「なんでですか! 凄く、いい呼び名じゃないですか!」
「えぇえ……」
「みんなから、ばかにされないよう……必死に考えました。そのとき、ふとある神話が思い浮かんだんです。紅羽には、これ以上ないくらいぴったりですよ」
咲弥がそう主張すると、ネイは苦い顔をもって応えた。
ただ実を言えば、その神話について詳しいわけではない。
半神の戦乙女達――そんな漠然とした程度の知識だった。多種類の武器へ形状を変化させられる宝具から、語呂もいいヴァルキリーをなぞらえたに過ぎない。
そもそも紅羽自体、神話級の美しい容姿をしているのだ。
今回に限っては悪くない。咲弥は、そう自負していた。
しかしそれを、ネイが知るはずもない。彼女からすれば、意味不明な呼び名、または単語としか思えないのだろう。
ゼイドが唸りを上げ、そして呟くように言った。
「まあ……半神の戦乙女達ってのは、センスがいいかもな」
「そうです、そうです……って、えぇええええええっ?」
咲弥は心から、驚愕の叫びを上げる。
ゼイドの肩がびくりと跳ね、両手で防御の姿勢をとった。
ヴァルキリーの存在を、ゼイドが知っているはずがない。それは咲弥がもとの世界で見聞きした神話であり、こちらの世界で知った神話ではないからだ。
ゼイドが訝しげに、咲弥の顔を覗き込んでくる。
「なんだなんだ。そこじゃなかったのか?」
「あっ……いえ……どうして、知ってるんですか?」
「俺の生まれた村には、娯楽がほとんどない。だから神話や民間伝承が書かれた書物とかで、時間を潰してたんだ。こう見えて俺、昔は案外読書家なんだぜ?」
読書に耽った姿を、これまで一度も見た記憶がない。
ゼイドの意外な一面に、咲弥は内心でこっそりと驚く。
ゼイドは腕を組み、思いだすような姿勢で宙を見つめた。
「ヴァルキリーってさ、主神オーディンに仕える――半神の戦乙女達の総称だろ。各々が持つ多彩な武器という点から、紅羽の宝具に名をつけたんじゃないのか?」
「え? いや……まあ、そうなんですが……」
ゼイドに応じてから、そんな話だったか少し悩んだ。
ただオーディンに仕える――それは間違いない気がする。
いったい何がどうなっているのか、さっぱりわからない。
もとの世界で聞き覚えのある単語が、この別世界でも飛び出てくる場合は多々とあった。それは魔物だったり、または人や別の何かだったりもする。
完全に一致というわけではないが、類似点は結構あった。
だがまさか、もとの世界で知った神話が、この別世界にも神話として存在しているとは、さすがに予想外の事実としか言いようがない。
尽きない疑問が漂う中、酒場の女店員達がやってくる。
「お待たせしましたぁ! お飲み物とお食事でぇす!」
テーブルに、人数分の酒やジュースが置かれていく。
ネイが颯爽と、粟立ったビールに手を伸ばした。
「こうなりゃもう、ヤケ酒じゃあぁあ!」
「いやいや。あんま下手に酔わないでくださいよ!」
咲弥は抱えた疑問を捨て、慌ててネイに忠告した。
ネイが目を尖らせ、キッと睨んでくる。
「今酔わずに、いつ酔うんじゃい!」
ネイはがぶがぶと、ビールを一気に飲み干した。
「ぷはぁあ! もう一杯! 持ってこぉおい!」
(あ、もうだめだな。これ……)
そう思いながら、諦め気味の咲弥は周囲に目を向ける。
オリヴィア、リックス、ベティナルが苦い顔をしていた。
「いつも、こんな感じなんっすか?」
「……だいたいは……ですかね」
身内の粗相に、咲弥はとても恥ずかしく思う。
咲弥がため息をつくなり、ゼイドが苦笑まじりに伝えた。
「気にせず、あんた達も食事を始めてくれ」
ゼイドがそう勧めるなり、オリヴィア達が両手を組んだ。
食事前の祈りを、口を閉ざしたまま静かに捧げている。
おそらくは、簡略化された祈りのようだ。
だから、それほど堅苦しいものではない。
そのうえ、すぐに祈りの時間は終わりを迎えた。
「それじゃあ、皆さん。どうぞ、遠慮なく」
咲弥の合図に、全員が食事を始めた。
いつも通り、ゼイドが取り皿に料理を盛ってくれる。
「ほいよ」
「ありがとうございます。いただきます!」
咲弥も取り分けられた料理を、胃に収めていく。
少し食事が進んだところで、リックスが問いかけてきた。
「そういえば、咲弥さん達ってどこを目指してんすか?」
「僕達は、ラングルヘイム帝国ってところです」
「ああ……あの暑い国か……」
ベティナルの呟きに、咲弥は頷いた。
「らしいですね。あと一週間とちょっとくらいで、どうにか目的の帝国にまで、到着しないとだめなんですが……」
「経路はどうなっているんだ?」
オリヴィアの問いには、ゼイドが簡潔に答えた。
「パンレンから迅馬に乗り、陸路でハミルトピアを目指す。そこからは飛行船に乗って――という感じを予定している」
「それじゃあ、ラングルヘイム帝国まではぎりぎりだな」
オリヴィアが嘆息を漏らし、食事を進める。
咲弥は、自然とため息をついた。
「もともと乗っていた飛行船が、墜落してしまいまして……そのお陰で、かなり遠回りをするはめになったんです」
「ふむ……」
オリヴィアは腕を組み、じっと押し黙った。
なにやら、思案している気配がある。
「竜人の里を、経由したらどうっすかね」
「そうだな。それが、一番近道かもしれない」
リックスの提案に、オリヴィアはこくりと頷いた。
咲弥は首を捻る。
「竜人の里……ですか?」
「ハミルトピアとは逆になるが、パンレンから南西へ進めば竜人の里がある。そこの竜人達に、ハミルトピアまで送ってもらえば、陸路より早く行けるぞ」
「……そんらろこ、地図やぼけんちゃ情報にでちら、どこも載ってあかったわお」
ネイが唐突に口を挟んだ。
すでに酔っ払っており、呂律も回っていない。
咲弥はつい、苦い顔になる。オリヴィア達は驚いていた。
「えっ……? もう、酔っ払ってんすか……?」
「まだ三杯目だったぞ」
リックスに次ぎ、ベティナルがおずおずと呟いた。
オリヴィアは肩を竦める。酔っ払いのネイに説明した。
「あそこは、竜人の隠れ里だ。私達も父の情報がなければ、知りえなかった」
「俺達みたいな一見が行って、素直に送ってくれるのか?」
ゼイドのもっともな疑問に、咲弥も内心で同意を示す。
オリヴィアは微笑しながら、小刻みに頷いた。
「問題ない。私の名を出せば、聞き入れてくれるはずだ」
「今回は残念ながら機会がないんっすけど、先代に代わって今もたまに交易は続けてるんすよ。そこで、お嬢。竜人達にかなり気に入られてっすからね」
「リックス、お嬢じゃない! 船長だ!」
オリヴィアから雷が飛び、リックスが首を引っ込める。
ベティナルが苦笑まじりに補足した。
「パンレンから竜人の里までは、約三時間ってところだな。竜人達に送ってもらえば、そこから一日もかからず、目的のハミルトピアまで行けるだろう」
もし上手く事が運べば、予定を約二日は短縮できる。
これは素直に、嬉しい情報であった。
ただ一つ、咲弥にはわからない話がある。
「あの……竜人さんに送ってもらうって、具体的にはどんな方法なんですか?」
その疑問に、オリヴィア達がぎょっとした表情を見せた。
ゼイドが苦笑まじりに、咲弥をフォローしてくる。
「すまないな。ちょっと……物知らずなところがあるんだ」
「そりゃ竜人なんすから、乗るのは当然! 飛竜っすよ」
「飛竜……っ?」
咲弥は驚き、リックスに顔を向ける。
まず思い浮かんだのは、飛竜フォティタスの姿だった。
隣のベティナルが、ちょこんと肩を竦める。
「まあ、迅馬みたいなものだ」
「聞くよりも、実際に見たほうが早い。だろ?」
オリヴィアはそう言い、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
リックスとベティナルが、揃って頷いた。
「それもそうっすね」
「近くで見てわかることもある」
「わかりました。楽しみにしておきます」
そう応えはしたが、内心ではかなり戦々恐々としていた。
また空の旅になるのは、もう仕方がない。
それでも、新たな移動方法に不安が際限なく襲ってくる。
ただそれはそれとして、また別の疑問が湧き上がった。
咲弥は小首を傾げてから、誰にとなく質問を投げる。
「また変な質問かもしれませんが……そんないい移動方法があるのに、迅馬みたいに普及してませんよね? 空を見ても飛行船以外は、見たことがないですよ」
「地域や国にもよるんじゃないすか……? まあ、迅馬級の繁殖力はないっすよ」
リックスの回答は、なるほどと納得がいくものだった。
ベティナルが不敵な笑い声を漏らす。
「飛竜を操れるのは、一人前の証を手に入れた竜人のみだ。だから竜人は十五の年に里を離れ、武者修行の旅に出る――そして証を手に入れ、また里に戻るのさ」
「証っていうのは、いったいなんですか?」
「それは、里によって異なる。だがまあ……大抵は武功的なものではある」
(武功……)
咲弥の脳裏に漠然と、ある男の姿が思い浮かんだ。
それは冒険者ギルドでの同期となる竜人なのだが、彼とは確かに腹を割って話したことが一度もない。また、彼以外に近しい竜人の知り合いは特にいなかった。
そのせいか武者修行と聞き、咲弥は妙に納得する。
彼との出会いを振り返れば、思い当たる節は多い。
(だから借りの件で、手柄が欲しいとか言ってたのか……)
それはさておき、咲弥はまた別の疑問を呈する。
「でも数が少ないのに、本当に乗せてくれるんですか?」
「問題ないと言っただろ。私の名を出せばいい」
オリヴィアは断言した。
明確な根拠が、まるで見えてこない。咲弥は訝しく思う。
するとリックスが、こっそり耳打ちしてきた。
「そこのとある竜人さん、お嬢に求愛しまくりなんす」
「ばかリックス! 聞こえているぞ!」
リックスはまた、首を亀のごとく引っ込めた。
咲弥は納得すると同時に、静かに唸る。
うんざりとした表情で、オリヴィアは鼻を鳴らした。
「まったく……異種婚など、ごめんだ」
つい最近、そうなる可能性を持つ二人と出会った。
それだけに、咲弥は少しばかり複雑な心境を抱える。
お互いに好き合えば、種族など関係ない。そう思う反面、だからといって、オリヴィアの感覚を否定はできなかった。好みは人によって、異なって当然だからだ。
オリヴィアが呆れた様子のまま、言葉を続ける。
「ないとは思うが、もし断られた場合は、こう言い返せ――オリヴィアがもう二度と、会わないと言っていた。とな」
「うへぇ。悪女っすよ、悪女!」
「はっはっはっ。こりゃあ、傑作だ」
「ふん。惚れたもん負けだ」
オリヴィア達が盛り上がる傍ら、咲弥は苦笑する。
どんな人かはわからないが、少し可哀想だと思えた。
(惚れたもん負け……か)
黙々と食事をする紅羽に、咲弥はぼんやりと目を向けた。
ふと視線が重なり合い、紅羽から不意の微笑みを受ける。
咲弥の胸が、どきりと疼く。
オリヴィアの言葉に、どうやら間違いはない。好意を抱く相手から頼まれれば、大抵の物事には頷くしかないだろう。
大抵ではない物事――いまだ、その答えは出せていない。
紅羽の気持ちは、胸が痛いくらいに伝わっている。
ただ彼女の想いに、そして自分が抱いた想いには、素直に応じられなかった。
もとの世界へ戻る目的を捨てない限りは、感情の赴くまま受け入れてはいけない。どちらもが傷つく結果となるのは、火を見るより明らかだからだ。
もちろん、お互い気持ちに応え合ったところで、そのまま生涯を共にする相手となるのかは、また別の問題ではある。
愛想を尽かされる、あるいは捨てられるかもしれない。
未来がどう転ぶのかは、誰にもわからないのだ。
それは咲弥も、しっかり理解している。
たとえそうなったとしても、それは自分の選択した結果の一つに過ぎない。この世界に残るといった選択は、そういう現実とも向き合うことだと呑み込んでいた。
もとの世界へ帰還か、こちらの世界に残留か――
どちらかを選択しない限り、曖昧なまま濁すはめとなる。
それもそれで、最悪な選択だと自己嫌悪していた。
(僕は……父さん。母さん……)
やはり両親の存在は、咲弥の中からは消せない。
しかし同じくらい、彼女への想いもまた消せないのだ。
選べるはずのない二択が、咲弥の胸に重く伸し掛かる。
「どうしたんすか? 難しい顔をしちゃって」
リックスの声に、咲弥ははっと我を取り戻した。
オリヴィア達が、訝しそうに顔を覗き込んでいる。
「あ、いえ……竜人の里が、どんな場所か考えていました」
咲弥はとっさに、そう言葉を濁した。
やれやれとでも言いたげに、オリヴィアが呆れ顔となる。
「それは、行ってからのお楽しみだ」
「ははは……はい! 楽しみです」
咲弥は苦笑しながら、いつも抱く問題を闇に隠した。
一同の顔を眺めてから、咲弥はまた食事を再開する。
曖昧に濁し続ける――
それが自分に、相手にどれほど最悪な影響を与えるか――
このときの咲弥は、知る由もなかった。
本作をお読みくださり、本当にありがとうございます。
ここでまた、いつもの一区切ですね。
本編のヒロインが、ようやく宝具所持者となりました。
ワルキューレ、ヴァルキリー、ヴァルキュリア――
実は国々によって、この呼び名は変わっているようです。
正直、どの呼び名がいいか、三日くらい悩みました。
頭の中で思い描いた紅羽が、どう宝具を呼び出すのが一番しっくりとくるのか、妄想に妄想を重ねた結果、最終的にはヴァルキリーに決定しました。
今後の楽しみの一つとして、ちょっとしたお話をします。
紅羽が宝具を呼ぶ言葉は、次話が初となるわけですが――
ある日を境に、その呼び方が変化します。
ネタバレというほどネタバレではありませんが、この話を心に留めておいてくだされば、ほんの少し、彼女の気持ちや想いが、漠然と把握できるかもしれません。
それでは、今回も話に付き合ってくださり、感謝します。
そして、ちょっとしたお願い!
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